2015年7月31日星期五

パーティーは賑やかに

革命と言う名の暴挙が終息し二日経った。
 学校内で起こった戦闘の傷痕は残っているが、生徒達の意識は落ち着き始めていた。
 当然であるが、革命騒ぎのせいで学校は授業どころではなく休みになっている。しかし特に用がなければ学校の敷地から出ない事を厳守されていた。蟻力神
 何故なら今回の事件によって、全生徒から事情を聞くべきだと城が決定したからである。
 これは生徒が危険な思想を持っていないか調べる意図もあり、今頃教室では城から来た兵士や学者によって生徒が呼び出され個人面談を受けている頃だろう。
 ちなみに呼び出しがあるまでは寮で待機していなければならないのだが、俺達が住んでいるダイア荘は山奥で用がある人以外は滅多に近寄らない場所だ。
 そのせいか順番がくるのが遅く、時間に余裕がある俺は弟子達の願いを叶えていた。

「兄貴! もっともっと!」
「シリウス様! 次は私がキャッチしてみせますから見ててくださいね」
「わかったわかった。ほら、取ってこーい」

 つまり……わかりやすく言えば遊んでいた。
 俺が投げるフリスビーを、姉弟が楽しそうに追いかけるほのぼのとした日常――……じゃないな。姉弟が走った後は凄まじい土埃が舞うので、見る人によっては格闘技に見える程の熱気を感じさせるかもしれない。
 あれだけの騒ぎになって僅か二日だと言うのに、俺達はすでにいつもの日常を過ごしている。
 被害に遭った他の生徒達には悪いが、俺達には騒ぎによる被害がほとんど無かったし、むしろ様々な苦難を乗り越え良い経験になったと思う。若干レウスが落ち込んだが、今はもう調子を取り戻して元気にフリスビーを追いかけていた。
 ちなみに弟子達への褒美として一つだけ願いを叶えてやると言ったら、レウスが遊んで欲しいと言って来たのでフリスビーをしているわけだ。

「本当に楽しそうですね。見てるこっちが羨ましくなるくらいです」
「あいつら本当にフリスビーが好きだからな。だけど俺が投げないと嫌がるんだよ」

 こうして何度もフリスビーで遊んでいるが、投げるのは全て俺だ。この姉弟はずっとキャッチする事を続けているのに飽きたりしないのだろうか?

「リースは混ざらないのか?」
「二人から取るのが難しそうですし、見ているだけで十分ですよ」
「取りました!」
「ちょっと姉ちゃん! それ反則!」

 弟の背中を踏み台にするとは、えげつないなエミリアよ。
 何にしろキャッチに成功したエミリアは全力ダッシュで俺の前へ戻り、フリスビーを渡してから頭を向けてくるので撫でてやった。

「よしよし、ナイスキャッチだぞ」
「うふふ……やりましたぁ」
「次は俺が取るから! 兄貴、早く投げて!」
「……原因はそれですね」
「原因って、俺が投げないと嫌がる理由ってやつか?」
「それだけ自然という事なんですね。シリウスさんは理由がわからなくても構いませんよ。今から私も入りますので、お手柔らかにお願いします」
「おい、どうしたリース?」

 リースが急にやる気をだしたと思えば腕まくりをし姉弟の横に並んでいた。

「どうやら気づいたようねリース。でもそう簡単に取れると思わないでね」
「次こそ絶対俺だ!」
「私も負けないから! でも……一回くらいは勝たせてほしいな」

 よくわからなかったが、リースも参戦し勝負は更に白熱していった。
 結果……何回投げたか数えてないが、全体的に見てエミリアが六割、レウスが四割、そしてリースが明らかに手加減されて数回だけキャッチ出来たのであった。


 午前はそんな風に遊び続け、午後からは料理の時間である。これはリースの要望で、俺の作ったお菓子を沢山食べたいそうだ。今日は完全に訓練をオフにしているので、久々に凝った料理でも作ってみたいものだ。

「ケーキにプリン、そしてクレープ。色々あるが何か希望はあるか?」
「その……シリウスさんの作ったケーキを全種類食べてみたいです」
「それいいなリース姉!」

 全種類って……そこまで種類があるわけじゃないが胸焼けするぞお前ら? いや、リースならペロリと平らげてしまいそうだ。

「全部は大変だから三種類で勘弁してくれ。ショートにチーズとフルーツケーキでどうだ?」
「構いません! ふふ……夢みたいです」
「兄貴兄貴! 前言っていたタコヤキってやつも食べたいな」
「ああそれか。まだ専用の鉄板もないし、お好み焼きでもいいか?」
「よくわからないけど、兄貴の作る物なら何でも美味いからそれでいい」

 たこ焼きの丸い形を作るための鉄板をガルガン商会に頼んでいるが、まだ出来ていないそうだ。特殊な形なので依頼した当初は不思議がられたが、新しい料理ですと言えばあっさり納得された。
 今からケーキを作るから、お好み焼きは今日の晩御飯に回すとしよう。

「よし、それじゃあ生地を作るとするか」
「手伝いますね」
「生地を混ぜるのは任せてくれよ」
「シリウス様、準備が整いました」

 早速取り掛かろうと調理器具を準備をしようと思ったら、すでにエミリアが準備を済ませるどころか材料も並べていた。俺達の会話を聞きながら必要な物を知り、前もって用意を済ます。従者としての腕がますます磨きがかかっているな。

「流石だなエミリア」三便宝カプセル
「ありがとうございます。ですが、そのオコノミヤキの材料がわからないのです。何が必要なのでしょうか?」
「ああ、それは晩御飯に回すから今はいいよ。とにかく今日はケーキパーティーだな」
「ケーキパーティー……素晴らしいです!」

 ご機嫌な弟子達と共にケーキ作りは始まった。
 生地は何度も作るのを手伝ったエミリア達に任せるとして、俺は生クリームや配分が難しい部分を担当する。量と種類が多いから、少し糖分を控えめに作るとしようか。
 協力して作った生地をオーブンもどきに入れ、生クリームや冷やす物を冷蔵庫モドキに入れてようやく一段落だ。後は生地が焼けるのを待って仕上げるだけである。

「オーブンを大きめに作っておいて正解だったな。一個一個焼いていたら夜になったかもしれん」
「シリウス様、アプが予想以上に残っていますね。どうしますか?」
「そうだな、一つ食べるか」
「わかりました。レウス、お皿を」
「おう!」
「ケーキの前菜ね」

 エミリアが余ったフルーツを切りテーブルに載せた。こういう時は俺が一番に食べないと弟子達が手を伸ばさないので、一切れ取ろうとするとエミリアが先に取り俺の口元に差し出してきた。

「シリウス様、どうぞお口を開けてください」
「いや、一人で食べられるんだが」
「それでは私の褒美ではありません」

 少し頬を膨らましつつ、エミリアは拗ねるように言ってきた。そうだった、エミリアは今朝一番に自分の要望を伝えてくれたのだが、内容が奉仕をさせてほしいとの事だ。
 普通に考えれば逆だと思うが、細かい事を任せてくれないから不満があるそうだ。
 俺からすればお茶を用意したり掃除や料理の手伝いもしてくれるから十分奉仕していると思うんだが、彼女はそれだけでは物足りないらしい。その一つがこれなわけか。

「どうぞ、あーんしてください」
「豊穣祭の時といい、お前は本当にこれが好きなんだな」
「当然です。あ、本日は背中も流させていただきますので」
「もう好きにしてくれ。ただし、裸で来るなよ」
「……はい」

 何で残念そうなんだ! もう少し恥じらいを持ってほしいと、父親のような心境でアプを食べさせてもらうと、リースもアプを持って俺に差し出していた。

「ど、どうぞシリウスさん!」
「お前もかリース」
「あ、嫌なら別に……」
「嫌とは言っていない。ほら、食べさせてくれ」
「は、はい!」

 顔を赤くしながらリースは俺に食べさせると、自分の手と俺の顔を見てから頷き、優しく微笑んだ。

「……うん、エミリアの気持ちがわかる気がする。恥ずかしいけど、何だか嬉しいな」
「リースなら理解してくれると思ったわ。今度……いえ! 今日一緒にシリウス様の背中を流しましょう」
「え!? ……うん、やってみようかな?」
「ちょっと待て!」

 そもそも三人も入るには風呂場が狭い……じゃなくて、人数が増えるのは予想外だ。
 まだ精通は来ていないが、可愛く魅力的になってきた二人に触れられて鼓動が早くなるのも事実。というか、二人の好意から推測するに俺が襲っても普通に受け入れられそうだな。特にエミリアは嬉々として服を脱ぎ、リースも何だかんだ言って受け入れそうである。
 性欲のコントロールもある程度出来るし別に襲うつもりはないが、思春期の体には辛いのでもう少し抑え目で来てほしいものである。

「頼むから二人同時は止めろ。もう少し慎みを持ちなさい」
「仕方ありません。今日は私で、明日はリースでお願いします」
「が、頑張ります!」

 これ以上渋ると、自分の魅力が足りないのですか……と訴え始めそうなので許可する事にした。
 今更言うのもなんだが、まさかここまで好かれるとは思わなかったな。俺としては前世と同じように接して育てたつもりだが、あの時の俺は完全におっさんで、今は同年代の男だから仕方ないのかもしれない。
 別に教え子を娶るのを嫌なわけじゃないし、この世界にそういうルールは無い。
 ただ、少しばかり時期が……な。
 俺は定住しておらず、金はあっても収入が安定しているわけじゃない。どちらもやろうと思えばやれないこともないが、俺は学校を卒業したら世界を旅して教育者になる目標がある。リースはまだわからないが、それに付き合うエミリアの好意にはいつかはっきりと応えてやらねばなるまい。師匠としてではなく、一人の男としてだ。
 卒業して旅先で安住の地を見つけてからが理想なんだが……曖昧な関係だと可哀想だし、せめて婚約者にしておくべきだろうか?
 悩んでいる俺の前に再びアプが差し出されたが、今度は何故かレウスであった。

「兄貴、口を開けてくれ」
「何でお前も?」
「何でって、俺も兄貴が好きだし、食べてほしいと思ったんだ」

 俺とレウスは断じてそういう関係ではないし、お互いにノーマルだ。おそらくレウスは、こういう行為は男女問わず好きな者同士がやる事だと思っているのだろう。
 天然なのに恋愛だとかそういう方面に知識が薄いレウスは危険極まりない。そろそろ性欲を含めそっち方面の情操教育をするべき時が来たのかもしれない。五便宝
 ちなみに断ると凄く悲しそうにしていたので食べてやった。



 それからケーキの生地が焼きあがり、生クリームとフルーツで飾り付けをしていると鈴の音がキッチンに響き渡った。

「私が行ってきます」

 俺が何か言う前に、エミリアは率先して玄関へ向かった。今しがた響き渡った鈴の音は呼び鈴の代わりだ。玄関に紐を垂らしてあり、それを引っ張れば鈴が鳴る簡単な仕組みである。こんな物が無くても人が来れば気配でわかるが、こういう装置は必要だろう。
 そしてショートケーキの分が終わったところでドアが開き、エミリアがお客を連れて俺達の前に現れた。

「こんにちはシリウス君。突然お邪魔するわね」
「姉様!? どうしてここに?」
「どうしてって、私が来ちゃ駄目なのかしら?」
「そういうわけじゃないですけど、来るなら前もって言ってほしかったです。そうしたら色々歓迎の準備をしたのですが」

 現れたのは髪色を変えて変装したリーフェル姫だった。後ろにセニアとメルトも続き、突然の登場にリースは驚きつつも嬉しそうである。

「貴方の顔が見れれば歓迎なんていらないわよ。それにしても……目の前に凄く幸せな光景が広がっているわね」

 姉妹だけあってテーブルに並べられたケーキに目を奪われているようだ。予想外のお客様であるが、これはまたタイミングよくやってきたものだ。
 流石に三人も増えると手狭だが、詰めれば何とかテーブルに座れそうである。エミリアとレウスが追加の椅子を持ってこようとするが、セニアが首を振って断ろうとしていた。

「突然の来訪ですし、私達は従者ですから立ったままで構いませんよ」
「それはいけません。ダイア荘では従者でも何でも座って食事を取るのが当たり前なんです。なにより療養所で私達を歓迎してくれたお礼がまだですから」
「立ったまま食べるケーキなんて兄貴に失礼だよ。ほらメルトさんも座って」
「う、うむ。すまん……な」

 姉弟の迫力に押され、二人は渋々と座る。主人であるリーフェル姫と同じ席に着くのを気にしているようだが、ダイア荘は従者だろうが何だろうが平等に食事を取るルールだ。
 リーフェル姫も気にしておらず、リースと楽しそうに会話を続けているし問題は無いだろう。

「初めて貴方の住んでいる場所に来たけど、良い感じじゃない」
「学校寮も良かったんですけど、ダイア荘はもっと良いですよ。シリウスさんが過ごしやすいように色々作っているんです」
「城や療養所に比べたら狭いですが、私なりに拘ってみたのです」
「確かに見たこと無い物が結構あるわね。それにしても靴を脱いでこのスリッパと言う物を履くなんて変わった習慣ね」
「私も最初は驚きましたが、慣れると楽ですよ」
「城でもやってみようかしら?」
「リーフェル様、流石に城では……」
「もちろん冗談よ。あら、これはもしかして?」
「オーブンですよ。シリウスさんの作るケーキは全てここから始まっているのです!」

 リースがリーフェル姫を相手している間にようやく三つのケーキが完成した。全てのケーキを一定の大きさで切り、好きなのを自由に取れとばかりにテーブルに並べた。その間にエミリアとセニアが紅茶の用意をし、個人の皿を一つずつ渡して準備完了だ。

「うーん……ケーキが三種類も並んでいるなんて夢のよう。本当にタイミングよく来れたものねぇ。自分を褒めたいくらいだわ」
「申し訳ないですが、一応これはリース達の褒美ですので、彼女達を優先でよろしいでしょうか?」
「こちらは気にしなくて結構よ。私達はちょっとした用事で顔を見せに来ただけだし、ケーキを頂けるだけで十分だから」
「ありがとうございます。ほら、遠慮なく取りなさいお前達」
「はい! それではいただきます」

 俺の号令で、リースを筆頭に弟子達が思い思いにケーキを取り食べ始めた。
 一つずつ皿に乗せて食べるエミリアに、ショートを二つ確保しているレウス。そして全種類を乗せて更に好物であるチーズを二つも確保しているリースと、食に対する個性がよく現れていた。
 俺は一つ食べれば十分なので、リーフェル姫の前には全種類を一つずつ乗せた皿を差し出しておいた。

「まだまだありますから、お代わりはご自由に。セニアさんとメルトさんもどうぞ」
「そうそう、わかっているわねシリウス君! 三種類も楽しめるなんて贅沢ねぇ」
「お言葉に甘えまして、私もいただきましょう」
「すまないな。では私はこのフルーツをいただこう」

 従者達も食べ始めたので俺もそろそろ食べようかと思ったら、ケーキを刺したフォークが俺の前へ差し出された。犯人はエミリアだが、もはや問答するのも面倒なので何も言わず食べてやった。

「うふふ……もう一つ如何ですか?」
「いただこうか。だけど俺だけじゃなくエミリアもちゃんと食べなさい」
「私は二つも食べたので十分です。こうしてシリウス様のお世話をさせていただければ幸せですから」VigRx

 心から幸せそうにエミリアは俺に食べさせてくれる。下手したら紅茶まで飲ませてきそうなので、それだけは阻止しようとカップは握ったままにしておいた。
 そんな熱々カップルのような俺達を、リーフェル姫は不思議なものを見るような表情で眺めていた。

「エミリアはわかるけど、シリウス君も結構慣れているわね。全然恥ずかしがってないし、いつもこんな感じなのレウス?」
「そうだよ。姉ちゃんは隙さえあればやろうとするし、兄貴は結構やられているからとっくの昔に慣れているよ」

 レウスの言う通り、エミリアの前は母さんがよくやってきたので慣れた。一人で食べられるようになっても、母さんは数日に一回は今のように食べさせてきたのだ。なので恥ずかしいという感覚がすでに麻痺している。

「生半可な誘惑じゃあ靡きそうにないわね。それに比べ家の妹は……」
「ケーキの甘さとフルーツの酸っぱさがたまりませんね姉様!」
「……この有様。ケーキに夢中なのもわかるけど、もっとしっかりしなさいリース! シリウス君に娶ってもらって、私の義弟になればいつか部下になってくれるかもしれないんだから!」
「え? え? 姉様はフルーツケーキが駄目でしたか?」
「違ーうっ! 私的にはありだけど、そうじゃないの! ケーキから離れなさい!」

 まあ、食べ物になるとちょっと残念な子になっちゃうけど、リースはとても魅力的ですよ。それにしてもリースを推してくる理由はそういうわけだったんだな。最も優先するのがリースの幸せだとわかっているから怒る気も嫌う気もないけど、せめて本人の前で言わないでほしいものである。
 そのままやり取りを続け、ようやく意味を理解したリースが顔を真っ赤にしたところで、リーフェル姫は取り澄ました笑みでこちらを見た。

「ごめんなさい。ちょっとはしゃぎすぎちゃったわね」
「構いませんよ。それよりリーフェル姫は何故こちらに? 王女がこんな所に来るなんて、何かあったのでしょうか?」
「用があるのは私じゃなくてメルトなの。貴方達の所へ行くと聞いて、私はついてきただけなのよね」
「私は止めたのだが、姫様がついて行くと聞かなくてな」
「何だかんだ言いながら連れていってくれる貴方が好きよ。ほら、頭撫で撫でしてあげるわ」
「このような所でお止めください! それで私がここへ来た理由だが……」

 リーフェル姫に絡まれながらも、メルトはここへ来た理由を話し始めた。
 結論から言うと、現在生徒達に行っている個人面談の為らしい。
 授業の再開を早めるために城からの人員を増やす事が決定したそうだが、ダイア荘は距離があるので呼びに行くのが面倒らしく、俺達の担当になった人が溜息を吐いていたところにメルトが通りがかったそうだ。
 リースの様子を見たり、リーフェル姫用にケーキを貰えないかと思ったメルトは、その人からダイア荘に住む俺達だけの担当を引き受けたらしい。そして引き受けたのをリーフェル姫に報告したら……無理矢理ついてきたってわけだな。
 メルトは持っていた資料を取り出し、テーブルの上に広げた。

「という訳で、個人面談をさせてもらおうと思う。もちろんケーキを食べ終わってからで構わない」
「ちょっと見るわよメルト。ふむふむ…………何だか面倒な質問が多いわね。変な事を起こさないか調べる為だろうけど、これはちょっと時間がかかりそうね」
「そのせいでまだ全生徒の半分ほどしか終わってないそうです。すまないが、個人面談できる部屋はないか?」
「空き部屋が一つありますけど倉庫ですからね。レウス、部屋を使っても――……」
「はい、シリウス君達は全員問題無し……と。何なら私のサインも入れておこうかしら?」

 レウスの部屋で面談しようと考えてる間に、リーフェル姫が資料に結果を書き込んでいた。書類作業に慣れているのか鼻歌交じりに書き進め、あっという間に書類上では俺達の面談は終わったことになった。

「また勝手に。それより姫様のサインが入っていたら面倒になるので絶対に止めてください」
「姉様、問題無いのはわかりますけど、それでよろしいのでしょうか?」
「だって貴方達があんなバカな真似をするわけないでしょ? まあ仮に変な事をしでかしたら、それを見切れなかった私達が悪いって話よ」
「その通りですリーフェル様! シリウス様はあのような愚かな事を絶対にしません。もしやるとしても、シリウス様なら誰にも気づかれず知らない内に思想を変えていかれるでしょう」
「ほらね。 シリウス君に一番近いエミリアがそう言うんだから大丈夫よ」
「……後半に問題発言があった気がします」

 こうして数時間はかかる作業が、王女の独断で僅か数分で終わった。
 それからリースが姉に押され俺にケーキを食べさせてきたり、ダイア荘の暮らしを語ったりと和やかな雰囲気のままケーキパーティーは続いた。
 ケーキも残り少なくなり、余った分はリーフェル姫に包んであげようかと思っていると再びダイア荘に鈴の音が響いた。気配からして只者じゃない雰囲気を感じるが……。

「誰だ? まさか陛下……じゃないよな?」
「父さんは忙しいから無理だと思うわ」
「ふむ…………ああ、知っている人だな。エミリア頼む」
「わかりました」巨人倍増

 『サーチ』で調べれば危険は無さそうな人物なのでエミリアを迎えに行かせた。危険ではない人物なのだが……ここに来てる時点で問題ありそうな人物でもある。

「えっと……こちらです」
「失礼します。おや? リーフェではありませんか。こんな所で会うとは奇遇ですね」
「あらおじさま。お久しぶりです」

 現れたのは学校長であるロードヴェルだった。
 何だかんだで彼がここへ来るのは初めてだが、今は革命騒ぎの後始末で忙しい筈なのに……何故ここへ来ているんだろうか?

「……知り合いなんですね」
「父さんを子供の頃から知っているエルフだから自然と私もね。今でも父さんとは相談し合ったり、一緒にお酒を飲む時もあるみたい」
「伊達に長生きしていませんよ」

 新たな椅子が用意され、更にテーブルが狭くなったがロードヴェルも輪に加わった。学校の最高責任者に、次期女王候補が平民の寮に集まる光景。かなり凄い状況じゃないかこれ?

「それでおじさまは何をしにこちらへ? まだ仕事は溜まっているでしょうに」
「ええ、まだまだたっぷり溜まっています。ここへ来たのは息抜きですよ」

 息抜きと言うが、半分逃げて来たのではないかと睨んでいる。
 革命騒ぎの主犯達とそれに賛同し手を貸した者達の処分や、何も知らず子供が巻き込まれ文句を言ってきた貴族の親の対応などと、学校長のやる事は本気で多い。
 獣人に偏見を持つ生徒達の劇薬として利用しようと、革命を事前に阻止しようとせずわざと起こさせた責任問題だってある。差別や偏見を根本から変えるには必要だったと思うし、わざと起こさせた気持ちはわからなくもない。だがそれでも責任を取らなければならないのが上の定めだ。
 これだけの騒ぎを見過ごしたなら校長の席から降ろされるかと思うが、そこは長く勤めているだけあって現状維持のままだった。一見ただのケーキ中毒者であるが、様々な方面で活躍しているのは伊達ではなさそうだ。

「主犯と加担した貴族には称号剥奪の手続きに、貴族の生徒の家へ出向き親に説明……いい加減に疲れましたよ」

 半分愚痴に近いが、結果を淡々と語りつつも学校長の視線は残ったケーキに釘付けだった。そういえばケーキの差し入れを禁止していたが、まさかたった二日でケーキ分が切れたのか? 忙しいから消耗が激しいのかもしれない。

「……食べますか?」
「よろしいのですか?」
「忙しそうですし、ここまで来てただで帰すのも失礼かと思いまして」

 逃げるならもっと隠れやすそうな場所に行くかもしれないし、ここへ来たのは無意識に甘味を求めてだろう。
 俺は今回の主旨を説明し、その余ったケーキだから食べても構わないと伝えると、学校長は満面の笑みを浮かべ喜んでいた。四百年生きていても見た目は爽やかな青年だから、何も知らない女性が見たら惚れるんじゃないのかこれ?

「いやぁ……嬉しいですね。それではお言葉に甘えていただきます」
「余った分はリーフェル姫のお土産として持たせるつもりでしたので」
「おじさま! 王女としてそれを食べるのは禁止します!」
「王女の権限すら出してくるとはそれだけ本気って事ですね。そうですか……貴方も敵となりますか」
「そもそも、おじさまは研究に夢中になり過ぎるのが駄目なんです。先日の革命だって、研究に没頭しなかったらもっとスマートに解決出来た筈ですよ」
「うっ!? いやぁ……はは、耳が痛いですね」
「というわけで、私の明日の楽しみを奪うのを禁止します」
「リーフェ! せめて一つくらいは……」

 低レベルな争いは続いたが、学校長は何とか一つは食べる事に成功して満足気に帰り、リーフェル姫もその後すぐに帰った。リーフェル姫とメルトの御蔭で面倒な個人面談もあっさり終わったし、後は授業が再開されればほとんど元通りだろう。ようやく革命騒ぎが終わった実感が出てきた。
 レウスとリースの要望は叶えたし、後は今日一日の約束であるエミリアの要望だけだ。

 静かになったダイア荘のソファーに座り、騒ぎの終わりを実感して安堵の息が漏れた。

「だから裸で来るなって言っただろうが! タオルくらい巻きなさい!」
「シリウス様に成長した私を見てもらいたいんです!」
「俺も見てくれよ兄貴!」
「あうぅ……裸は無理だよう……」
「お前らいい加減にしろ!」


 …………騒ぎはまだ終わらないようだ。中絶薬RU486

2015年7月29日星期三

メルジーネ海底遺跡

そこが、かつてミレディ・ライセンから聞いた七大迷宮の一つ【メルジーネ海底遺跡】の存在する場所だ。

 だが、ミレディから聞いたときは時間がなかったため、後は“月”と“グリューエンの証”に従えとしか教えられず、詳しい場所はわかっていなかった。絶對高潮

 そんなわけで、ハジメ達は、取り敢えず方角と距離だけを頼りに大海原を進んできたのだが、昼間のうちにポイントまで到着し海底を探索したものの特に何も見つけることは出来なかった。海底遺跡というくらいだから、それらしき痕跡が何かしらあるのではないかと考えたのだが、甘かったらしい。

 ただ、周囲百キロメートルの水深に比べると、ポイント周辺の水深が幾分浅いように感じたので、場所自体は間違えていない……と思いたいハジメだった。

 仕方なく、探索を切り上げてミレディの教えに従い月が出る夜を待つことにした。今は、ちょうど日没の頃。地平線の彼方に真っ赤に燃える太陽が半分だけ顔を覗かせ、今日最後の輝きで世界を照らしている。空も海も赤とオレンジに染まり、太陽が海に反射して水平線の彼方へと輝く一本道を作り出していた。

 どこの世界でも、自然が作り出す光景は美しい。ハジメは、停泊させた潜水艇の甲板で、沈む太陽を何となしに見つめながら、ふと、このまま太陽へと続く光の道を進んだならば、日本に帰れはしないだろうかと、そんな有り得ない事を思った。そして、何を考えているんだかと苦笑いをこぼす。

「どうしたの?」

 そんなハジメの様子に気がついて声を掛けてきたのは香織だった。

 先程まで船内でシャワーを浴びていたはずで、その証拠に髪が湿っている。いや、香織だけではない。いつの間にかユエやシア、ティオも甲板に出てきていた。皆、ハジメ自慢の船内シャワーを浴びてきたようで、頬は上気し、湿った髪が頬や首筋に張り付いていて実に艶かしい姿だ。備え付けのシャワールームは、天井から直接温水が降ってくる仕様なので、四人全員で入っても問題ない。

 ちなみに、ハジメが甲板で黄昏れているのは、下手をすればシャワールームに連れ込まれていた可能性があったからだ。

 彼女達が、シャワーを浴びようとした時、ティオがハジメを誘ったのだが、それに香織もシアも、もちろんユエも賛同し、断ったハジメに全員でにじり寄ってきたのである。ユエ以外の女を抱くつもりがないハジメは、他の女と裸の付き合いをするつもりはないとはっきり伝えた。

 しかし、そんなハジメの言葉を笑顔でスルーした香織達は、頬を染めてイヤンイヤンしているユエを尻目に、香織とティオでハジメを抑えに掛かり、シアが背後からドリュッケンで意識を飛ばそうとしたのだ。流石に身の危険を感じたハジメは、割かし本気で逃げ出し、甲板に出て来たわけだが……据え膳食わぬは、やはり男の恥なのだろうか?

 ハジメは、そんな疑問を馬鹿馬鹿しいと頭を振って追い出しつつ、香織の質問に答えた。

「ちょっと、日本を思い出していたんだよ。こういう自然の光景は、変わらねぇなって」
「……そっか。うん、そうだね。向こうの海で見た夕日とそっくり……なんだかすごく懐かしい気がするよ。まだ半年も経っていないのにね」
「こっちでの日々が濃すぎるんだよ」

 ハジメの隣に座った香織が、どこか遠い目をしながらハジメの言葉に同意する。きっと、日本で過ごしてき日々を懐かしんでいるのだろう。

 二人にしか通じない話題に寂しさを感じたのか、ユエは、火照った体でトコトコとハジメに歩み寄ると、その膝の上に腰をおろし、暑いだろうに背中をハジメの胸元にもたれかけさせ、真下から上目遣いで見つめ始めた。

 その瞳は明らかに、自分も話に入れて欲しいと物語っている。寂しさと同時に、ハジメ達の故郷のことを聞きたいという気持ちがあるようだ。ユエの可愛らしさに内心ノックアウトされながら、ハジメは、隣の香織が般若を出しそうになったので、そのほっぺをプニプニして諌める。

 それだけで、途端に機嫌が良くなるのだから、ハジメとしては複雑だ。受け入れてくれない相手に、どうしてそこまで……と、思ってしまう。もっとも、思うだけで口にはしない。それは、余りに彼女の気持ちに対して失礼だから。

 香織の頬をプニっていると、今度は、反対側にシアが寄り添い、その目をキラキラさせる。明らかに構って欲しいという合図だ。空いている手で、ウサミミをモフる。「えへへ~」と頬を緩めるシア。

 背中には、ティオがもたれかかった。特に何を要求するでもなく、静かに背中合わせになっている。ただ、体重のかけ具合から心底リラックスしていることが分かった。変態的な要求でもされたら、海に投げ落としてやろうと思っていただけに、ハジメとしては少々意外だった。

 もっとも、ハジメの雰囲気から何か感じたのか、一瞬ビクッと体を震わせると、少し息を荒くしていたが……

 広大な海の上で、小さく寄り添い合うハジメ達。夜天に月が輝き出すまでは今暫く時間がかかる。それまでの暇つぶしに、ハジメは、少し故郷のことを話し始めた。

 ハジメの語りにユエ達が興味津々に相槌を打ち、香織がにこやかに補足を入れる。そんな和やかな雰囲気を楽しんでいると、あっという間に時間は過ぎ去り、日は完全に水平線の向こう側へと消え、代わりに月が輝きを放ち始めた。

 そろそろ頃合かと、ハジメは懐から【グリューエン大火山】攻略の証であるペンダントを取り出した。サークル内に女性がランタンを掲げている姿がデザインされており、ランタンの部分だけがくり抜かれていて、穴あきになっている。

 エリセンに滞在している時にも、このペンダントを取り出して月にかざしてみたり、魔力を流してみたりしたのだが、特に何の変化もなかった。

 月とペンダントでどうしろと言うんだ? と、内心首を捻りながら、ハジメは、取り敢えずペンダントを月にかざしてみた。ちょうどランタンの部分から月が顔を覗かせている。

 しばらく眺めていたが、特に変化はない。やはりわけ分からんと、ハジメは溜息を吐きながら他の方法を試そうとした。

 と、その時、ペンダントに変化が現れた。

「わぁ、ランタンに光が溜まっていきますぅ。綺麗ですねぇ」
「ホント……不思議ね。穴が空いているのに……」

 シアが感嘆の声を上げ、香織が同調するように瞳を輝かせる。

 彼女達の言葉通り、ペンダントのランタンは、少しずつ月の光を吸収するように底の方から光を溜め始めていた。それに伴って、穴あき部分が光で塞がっていく。ユエとティオも、興味深げに、ハジメがかざすペンダントを見つめた。

「昨夜も、試してみたんだがな……」
「ふむ、ご主人様よ。おそらく、この場所でなければならなかったのではないかの?」

 おそらく、ティオの推測が正解なのだろう。やがて、ランタンに光を溜めきったペンダントは全体に光を帯びると、その直後、ランタンから一直線に光を放ち、海面のとある場所を指し示した。

「……なかなか粋な演出。ミレディとは大違い」
「全くだ。すんごいファンタジーっぽくて、俺、ちょっと感動してるわ」

 “月の光に導かれて”という何ともロマン溢れる道標に、ハジメだけでなくユエ達も「おぉ~」と感嘆の声を上げた。特に、ミレディの【ライセン大迷宮】の入口を知っているシアは、ハジメやユエ同様、感動が深い。FAMPROX(強力媚薬)

 ペンダントのランタンが何時まで光を放出しているのか分からなかったので、ハジメ達は、早速、導きに従って潜水艇を航行させた。

 夜の海は暗い。というよりも黒いと表現したほうがしっくりくるだろうか。海上は月明かりでまだ明るかったが、導きに従って潜行すれば、あっという間に闇の中だ。潜水艇のライトとペンダントの放つ光だけが闇を切り裂いている。

 ちなみに、ペンダントの光は、潜水艇のフロントガラスならぬフロント水晶(透明な鉱石ですこぶる頑丈)越しに海底の一点を示している。

 その場所は、海底の岩壁地帯だった。無数の歪な岩壁が山脈のように連なっている。昼間にも探索した場所で、その時には何もなかったのだが……潜水艇が近寄りペンダントの光が海底の岩石の一点に当たると、ゴゴゴゴッ! と音を響かせて地震のような震動が発生し始めた。

 その音と震動は、岩壁が動き出したことが原因だ。岩壁の一部が真っ二つに裂け、扉のように左右に開き出したのである。その奥には冥界に誘うかのような暗い道が続いていた。

「なるほど……道理でいくら探しても見つからないわけだ。あわよくば運良く見つかるかもなんてアホなこと考えるんじゃなかったよ」
「……暇だったし、楽しかった」
「そうだよ。異世界で海底遊覧なんて、貴重な体験だと思うよ?」

 昼間の探索が徒労だったとわかり、ガックリと肩を落としたハジメだったが、ユエと香織は結構楽しんでいたようだ。

 ハジメは潜水艇を操作して海底の割れ目へと侵入していく。ペンダントのランタンは、まだ半分ほど光を溜めた状態だが、既に光の放出を止めており、暗い海底を照らすのは潜水艇のライトだけだ。

「う~む、海底遺跡と聞いた時から思っておったのだが、この“せんすいてい”? がなければ、まず、平凡な輩では、迷宮に入ることも出来なさそうじゃな」
「……強力な結界が使えないとダメ」
「他にも、空気と光、あと水流操作も最低限同時に使えないとダメだな」
「でも、ここにくるのに【グリューエン大火山】攻略が必須ですから、大迷宮を攻略している時点で普通じゃないですよね」
「もしかしたら、空間魔法を利用するのがセオリーなのかも」

 道なりに深く潜行しながら、ハジメ達は潜水艇がない場合の攻略方法について考察してみた。確かに、ファンタジックな入口に感動はしたのだが、普通に考えれば、超一流レベルの魔法の使い手が幾人もいなければ、侵入すら出来ないという時点で、他の大迷宮と同じく厄介なことこの上ない。

 ハジメ達は、気を引き締め直し、フロント水晶越しに見える海底の様子に更に注意を払った。

 と、その時、

ゴォウン!!

「うおっ!?」
「んっ!」
「わわっ!」
「きゃっ!」
「何じゃっ!?」

 突如、横殴りの衝撃が船体を襲い、一気に一定方向へ流され始めた。マグマの激流に流された時のように、船体がぐるんぐるんと回るが、そこは既に対策済みだ。組み込んだ船底の重力石が一気に重みを増し船体を安定させる。

「うっ、このぐるぐる感はもう味わいたくなかったですぅ~」

 シアが、【グリューエン大火山】の地下で流されたときの事を思い出し、顔を青くしてイヤイヤと頭を振った。

「直ぐに立て直しただろ? もう、大丈夫だって。それより、この激流がどこに続いているかだな……」

 そんなシアに苦笑いを浮かべつつ、ハジメは、フロント水晶から外の様子を観察する。緑光石の明かりが洞窟内の暗闇を払拭し、その全体像をあらわにしている。見た感じ、どうやら巨大な円形状の洞窟内を流れる奔流に捕まっているようだ。

 船体を制御しながら、取り敢えず流されるまま進むハジメ達。しばらくそうしていると、船尾に組み込まれている“遠透石”が赤黒く光る無数の物体を捉えた。

「なんか近づいてきてるな……まぁ、赤黒い魔力を纏っている時点で魔物だろうが」
「……殺る?」

 ハジメがそう呟くと、隣の座席に座るユエが手に魔力に集めながら可愛い顔でギャングのような事をさらりと口にする。

「いや、武装を使おう。有効打になるか確認しておきたいし」

 ハジメが、潜水艇の後部にあるギミックを作動させる。すると、アンカジのオアシスを真っ赤に染めたペットボトルくらいの大きさの魚雷が無数に発射された。ご丁寧に悪戯っぽい笑を浮かべるサメの絵がペイントされている。

 激流の中なので、推進力と流れがある程度拮抗し、結果、機雷のようにばら撒かれる状態となった。

 潜水艇が先に進み、やがて、赤黒い魔力を纏って追いかけてくる魔物――トビウオのような姿をした無数の魚型の魔物達が、魚雷郡に突っ込んだ。SPANISCHE FLIEGE D9

ドォゴォオオオオ!!!

 背後で盛大な爆発が連続して発生し、大量の気泡がトビウオモドキの群れを包み込む。そして、衝撃で体を引きちぎられバラバラにされたトビウオモドキの残骸が、赤い血肉と共に泡の中から飛び出し、文字通り海の藻屑となって激流に流されていった。

「うん、前より威力が上がっているな。改良は成功だ」
「うわぁ~、ハジメさん。今、窓の外を死んだ魚のような目をした物が流れて行きましたよ」
「シアよ、それは紛う事無き死んだ魚じゃ」
「改めて思ったのだけど、ハジメくんの作るアーティファクトって反則だよね。」

 それから度々、トビウオモドキに遭遇するハジメ達だったが容易く蹴散らし先へ進む。

 どれくらいそうやって進んだのか。

 代わり映えのない景色に違和感を覚え始めた頃、ハジメ達は周囲の壁がやたら破壊された場所に出くわした。よく見れば、岩壁の隙間にトビウオモドキのちぎれた頭部が挟まっており、虚ろな目を海中に向けている。

「……ここ、さっき通った場所か?」
「……そうみたい。ぐるぐる回ってる?」

 どうやら、ハジメ達は円環状の洞窟を一周してきたらしい。大迷宮の先へと進んでいるつもりだったので、まさか、ここはただの海底洞窟で道を誤ったのかと疑問顔になるハジメ。結局、今度は道なりに進むのではなく、周囲に何かないか更に注意深く探索しながらの航行となった。

 その結果、

「あっ、ハジメくん。あそこにもあったよ!」
「これで、五ヶ所目か……」

 洞窟の数ヶ所に、五十センチくらいの大きさのメルジーネの紋章が刻まれている場所を発見した。メルジーネの紋章は五芒星の頂点のひとつから中央に向かって線が伸びており、その中央に三日月のような文様があるというものだ。それが、円環状の洞窟の五ヶ所にあるのである。

 ハジメ達は、じっくり調べるため、最初に発見した紋章に近付いた。激流にさらされているので、船体の制御に気を遣う。

「まぁ、五芒星の紋章に五ヶ所の目印、それと光を残したペンダントとくれば……」

 そう呟きながら、ハジメは首から下げたペンダントを取り出し、フロント水晶越しにかざしてみた。すると、案の定ペンダントが反応し、ランタンから光が一直線に伸びる。そして、その光が紋章に当たると、紋章が一気に輝きだした。

「これ、魔法でこの場に来る人達は大変だね……直ぐに気が付けないと魔力が持たないよ」

 香織の言う通り、このようなRPG風の仕掛けを魔法で何とか生命維持している者達にさせるのは相当酷だろう。【グリューエン大火山】とは別の意味で限界ギリギリを狙っているのかもしれない。

 その後、更に三ヶ所の紋章にランタンの光を注ぎ、最後の紋章の場所にやって来た。ランタンに溜まっていた光も、放出するごとに少なくなっていき、ちょうど後一回分くらいの量となっている。

 ハジメが、ペンダントをかざし最後の紋章に光を注ぐと、遂に、円環の洞窟から先に進む道が開かれた。ゴゴゴゴッ! と轟音を響かせて、洞窟の壁が縦真っ二つに別れる。

 特に何事もなく奥へ進むと、真下へと通じる水路があった。潜水艇を進めるハジメ。すると、突然、船体が浮遊感に包まれ一気に落下した。

「おぉ?」
「んっ」
「ひゃっ!?」
「ぬおっ」
「はうぅ!」

 それぞれ、五者五様の悲鳴を上げる。ハジメは、股間のフワッと感に耐える。直後、ズシンッ! と轟音を響かせながら潜水艇が硬い地面に叩きつけられた。激しい衝撃が船内に伝わり、特に体が丈夫なわけではない香織が呻き声を上げる。

「っ……香織、無事か」
「うぅ、だ、大丈夫。それより、ここは?」

 香織が顔をしかめながらもフロント水晶から外を見ると、先程までと異なり、外は海中ではなく空洞になっているようだった。取り敢えず、周囲に魔物の気配があるわけでもなかったので、船外に出るハジメ達。魔鬼天使Muira.PuamaII

 潜水艇の外は大きな半球状の空間だった。頭上を見上げれば大きな穴があり、どういう原理なのか水面がたゆたっている。水滴一つ落ちることなくユラユラと波打っており、ハジメ達はそこから落ちてきたようだ。

「どうやら、ここからが本番みたいだな。海底遺跡っていうより洞窟だが」
「……全部水中でなくて良かった」

 ハジメは、潜水艇を“宝物庫”に戻しながら、洞窟の奥に見える通路に進もうとユエ達を促す……寸前でユエに呼びかけた。

「ユエ」
「ん」

 それだけで、ユエは即座に障壁を展開した。

 刹那、頭上からレーザーの如き水流が流星さながらに襲いかかる。圧縮された水のレーザーは、かつてユエが【ライセン大迷宮】で重宝した“破断”と同じだ。直撃すれば、容易く人体に穴を穿つだろう。

 しかし、ユエの障壁は、例え即行で張られたものであっても強固極まりないものだ。それを証明するように、天より降り注ぐ暴威をあっさり防ぎ切った。ハジメが魔力の高まりと殺意をいち早く察知し、阿吽の呼吸でユエが応えたために、奇襲は奇襲となり得なかったのである。当然、ハジメが呼びかけた瞬間に、攻撃を察していたシアやティオにも動揺はない。

 だが、香織はそうはいかなかった。

「きゃあ!?」

 余りに突然かつ激しい攻撃に、思わず悲鳴を上げながらよろめく。傍にいたハジメが、咄嗟に、腰に腕を回して支えた。

「ご、ごめんさない」
「いや、気にするな」

 あっさり離れたハジメをチラ見しながら、普通なら赤面の一つでもしそうなのだが、香織の表情は優れない。抱き止められたことよりも、自分だけが醜態を晒したことに少し落ち込んでいるようだ。

 そして、それ以上に、ユエの魔法技能の高さに改めてショックを覚える。

 光輝達といた時は、鈴の守りを補助する形でそれなりに防御魔法は行使してきた。たくさん訓練をして、発動速度だけなら“結界師”たる鈴にだって引けを取らないレベルになったのだ。それでも、ユエと比べると、自分の防御魔法など児戯に等しいと思わせられる。

 【オルクス大迷宮】でハジメ達に助けられた時から感じていた“それ”――分かってはいたが、それでもハジメの傍にいるためにはやるしかないのだと自分に言い聞かせて心の奥底に押し込めてきた――“劣等感”。自分は、足でまといにしかならないのではないか? その思いが再び、香織の胸中を過る。

「どうした?」
「えっ? あ、ううん。何でもないよ」
「……そうか」

 香織は咄嗟に誤魔化し、無理やり笑顔を浮かべる。ハジメは、そんな香織の様子に少し目を細めるが、特に何も言わなかった。

 そのことに、香織が少しの寂しさと安堵を感じていると、未だに続いている死の豪雨を防いでいるユエがジッと自分を見ていることに気がついた。その瞳が、まるで香織の内心を見透かそうとしているようで、香織は、咄嗟に眼に力を込めて睨むような眼差しを返す。

 いつかのように、自分の気持ちを嗤わせるわけにはいかない。そんな事になれば、ハジメの愛情を一身に受ける目の前の美貌の少女は、香織を戦うべき相手とすら認識しなくなるだろう。

 それだけは……我慢ならない。

 香織の強い眼差しを受けたユエは、少し口元を緩めると再び頭上に視線を戻した。同時に、ティオが火炎を繰り出し、天井を焼き払う。それに伴って、ボロボロと攻撃を放っていた原因が落ちてきた。

 それは、一見するとフジツボのような魔物だった。天井全体にびっしりと張り付いており、その穴の空いた部分から“破断”を放っていたようだ。なかなかに生理的嫌悪感を抱く光景である。

 水中生物であるせいか、やはり火系には弱いようで、ティオの炎系攻撃魔法“螺炎”により直ぐに焼き尽くされた。

 フジツボモドキの排除を終えると、ハジメ達は、奥の通路へと歩みを進める。通路は先程の部屋よりも低くなっており、足元には膝くらいまで海水で満たされていた。

「あ~、歩きにくいな……」
「……降りる?」

 ザバァサバァと海水をかき分けながら、ハジメが鬱陶しそうに愚痴をこぼす。それに対して、ハジメの肩に座っているユエが、気遣うようにそう言った。ユエの身長的に、他の者より浸かる部分が多くなってしまうのでハジメが担ぎ上げたのだ。

 少し羨ましそうに見つめてくる香織とシアの視線をスルーして、問題ないと視線で返しながら、ハジメはユエが落ちないように太ももに手を置いてしっかりと固定した。ユエも、ハジメの首筋に手を回してぴったりとくっついた。SPANISCHE FLIEGE D5

 益々、羨ましそうな眼差しを送る香織達だったが、魔物の襲撃により、集中を余儀なくされる。

 現れた魔物は、まるで手裏剣だった。高速回転しながら直線的に、あるいは曲線を描いて高速で飛んでくる。ハジメは、スっとドンナーを抜くと躊躇わず発砲し空中で全て撃墜した。体を砕けさせて、プカーと水面に浮かんだのはヒトデっぽい何かだった。

 更に、足元の水中を海蛇のような魔物が高速で泳いでくるのを感知し、ユエが、氷の槍で串刺しにする。

「……弱すぎないか?」

 ハジメの呟きに香織以外の全員が頷いた。

 大迷宮の敵というのは、基本的に単体で強力、複数で厄介、単体で強力かつ厄介というのがセオリーだ。だが、ヒトデにしても海蛇にしても、海底火山から噴出された時に襲ってきた海の魔物と大して変わらないか、あるいは、弱いくらいである。とても、大迷宮の魔物とは思えなかった。

 大迷宮を知らない香織以外は、皆、首を傾げるのだが、その答えは通路の先にある大きな空間で示された。

「っ……何だ?」

 ハジメ達が、その空間に入った途端、半透明でゼリー状の何かが通路へ続く入口を一瞬で塞いだのだ。

「私がやります! うりゃあ!!」

 咄嗟に、最後尾にいたシアは、その壁を壊そうとドリュッケンを振るった、が、表面が飛び散っただけで、ゼリー状の壁自体は壊れなかった。そして、その飛沫がシアの胸元に付着する。

「ひゃわ! 何ですか、これ!」

 シアが、困惑と驚愕の混じった声を張り上げた。ハジメ達が視線を向ければ、何と、シアの胸元の衣服が溶け出している。衣服と下着に包まれた、シアの豊満な双丘がドンドンさらけ出されていく。

「シア、動くでない!」

 咄嗟に、ティオが、絶妙な火加減でゼリー状の飛沫だけを焼き尽くした。少し、皮膚にもついてしまったようでシアの胸元が赤く腫れている。どうやら、出入り口を塞いだゼリーは強力な溶解作用があるようだ。

「っ! また来るぞ!」

 警戒して、ゼリーの壁から離れた直後、今度は頭上から、無数の触手が襲いかかった。先端が槍のように鋭く尖っているが、見た目は出入り口を塞いだゼリーと同じである。だとすれば、同じように強力な溶解作用があるかもしれないと、再び、ユエが障壁を張る。更に、ティオが炎を繰り出して、触手を焼き払いにかかった。

「正直、ユエの防御とティオの攻撃のコンボって、割と反則臭いよな」

 鉄壁の防御と、その防御に守られながら一方的に攻撃。ハジメがそう呟くのも仕方ない。それを余裕と見たのか、シアがハジメの傍にそろりそろりと近寄り、露になった胸の谷間を殊更強調して、実にあざとい感じで頬を染めながら上目遣いでおねだりを始めた。

「あのぉ、ハジメさん。火傷しちゃったので、お薬塗ってもらえませんかぁ」
「……お前、状況わかってんの?」
「いや、ユエさんとティオさんが無双してるので大丈夫かと……こういう細かなところでアピールしないと、香織さんの参戦で影が薄くなりそうですし……」

 シアが、胸のちょうど谷間あたりに出来た火傷の幾つかをハジメに見せつけながら、そんなことをのたまった。

 すると、

「聖浄と癒しをここに“天恵”」

 いい笑顔の香織がすかさずシアの負傷を治してしまった。「あぁ~、お胸を触ってもらうチャンスがぁ!」と嘆くシアに、全員が冷たい視線を送る。

「む? ……ハジメ、このゼリー、魔法も溶かすみたい」

 嘆くシアに冷たい視線を送っていると、ユエから声がかかる。見れば、ユエの張った障壁がジワジワと溶かされているのがわかった。

「ふむ、やはりか。先程から妙に炎が勢いを失うと思っておったのじゃ。どうやら、炎に込められた魔力すらも溶かしているらしいの」

 ティオの言葉が正しければ、このゼリーは魔力そのものを溶かすことも出来るらしい。中々に強力で厄介な能力だ。まさに、大迷宮の魔物に相応しい。

 そんなハジメの内心が聞こえたわけではないだろうが、遂に、ゼリーを操っているであろう魔物が姿を現した。

 天井の僅かな亀裂から染み出すように現れたそれは、空中に留まり形を形成していく。半透明で人型、ただし手足はヒレのようで、全身に極小の赤いキラキラした斑点を持ち、頭部には触覚のようなものが二本生えている。まるで、宙を泳ぐようにヒレの手足をゆらりゆらりと動かすその姿は、クリオネのようだ。もっとも、全長十メートルのクリオネはただの化け物だが。紅蜘蛛

 その巨大クリオネは、何の予備動作もなく全身から触手を飛び出させ、同時に頭部からシャワーのようにゼリーの飛沫を飛び散らせた。

2015年7月26日星期日

蓮弥からの指令らしい

「俺達をどうするつもりだ?」

 両腕を後ろに回されて、縄を打たれた状態のレパードが蓮弥の館の謁見の間につれて来られてからまず口にしたのはその台詞であった。
 いうまでもないことではあるが、レパードの怪力をもってすれば縄が鎖に変わっていようが瞬時に引き千切ってしまうことが可能ではあった。巨人倍増
 レパードがそれを行い、逃げに走らないのは建前上は酒精が回ってしまってぐったりとしたまま、謁見の間の壁際に設置されているソファーの上でだらしなくのびているカエデの身を案じて、ということになっているのだが、実際は違う。

 「ふふん、勇者よ。己の未来が心配でならないか? なの」

 いまだに黒いローブ姿のフラウが、上座の席からレパードを見下ろすようにしつつ鼻で笑って見せる。
 深く椅子に腰掛けて背もたれに背中を預けつつ、足を組んでいる姿はそのまま悪役そのものであったが、残念なことに椅子は蓮弥の体格に合うように作られているものであるので、フラウでは足の長さが足りない。
 組んだ足も、床に届く事が無くぷらぷらと揺れていた。

 「カエデさえ無事なら……俺はどうなってもいい」

 神妙な口調でレパードが言えば、フラウは口の端を歪めて。

 「ふはははは! 見上げた覚悟なの、勇者よ!」

 「フラウ様……クルツ様が起きかけておりますが」

 冷静に突っ込んだのはフラウの背後に控えていたキースである。
 突っ込まれたフラウが壁際の一角へと目をやれば、そこにあるソファの上で獣人族の巫女二人を両脇に抱えたまますやすやと寝入っていたクルツが、少しだけむずがるような表情を見せているのが目に飛び込んできた。
 かすかに空気を切り裂くような音がして、上座のフラウの姿が椅子の上にくたりと潰れる。
 呆気にとられかけたレパードとキースであったが、すぐにそれが脱ぎ捨てられた黒いローブだけが椅子の上にわだかまっているのだと気がついた。
 では、中身はどこへ行ったのかと首を巡らせれば、エプロンドレス姿のフラウが、むずがっているクルツの傍でその頭をやさしく撫でながら、再度寝かしつけようとしている姿が見える。

 「速ぇな……」

 「さすがフラウ様です」

 呆れた声を出すレパードと、フラウを賛美する感情を声に含ませたキースが見守る中、クルツの表情がようやく穏やかに眠るものに変わったのをきちんと確認したフラウは、行った時と同じくらいの速度でもって椅子の上へと戻ると、またローブ姿に早着替えした。

 「ふははははー……見上げた覚悟なのー……勇者よー……」

 「そこからやり直すのか」

 ぎりぎりレパードの耳に届くくらいの小声で言い直したフラウ。
 がっくりと肩を落しつつ、溜息と共にそう呟いたレパードは床に転がったままぴくりともしないアルベルトの姿と、別なソファーに腰掛けたまま興味深そうに状況を見守っているグリューンの姿に気がつく。

 「勇者四人揃えて、レンヤの命令だとか言ってた気がするが、俺らに何をさせるつもりなんだよ」

 「マスターがね。カトゥルーと交渉を行ったみたいなの」三便宝カプセル

 「……はぁ!?」

 思わず大きな声を上げたレパードの目の前で、フラウが人差し指を自分の唇の前に立てて慌てて静かにするように指示する。
 折角寝かしつけたクルツが起きてしまう事を恐れての指示であったが、寝かしつけたばかりであったせいなのか、フラウとレパードの視線の先でクルツは幸せそうな寝顔のまま眠っていた。

 「起きたらどうするつもりなの……」

 「わ、悪ぃ……けど、驚けば俺だって声が大きくもなるってもんだぜ?」

 咎めるようなフラウの言葉に、申し訳なさそうにしつつもレパードは一応の抵抗を試みる。
 カトゥルーの存在は獣人族であるレパードも知っていた。
 獣人族の大陸にも港町は存在し、そこはカトゥルーの被害が及ばない、決められた狭い地域にのみ限るというのはどこの大陸においても共通の決まりごとのようなものといっていいことである。
 戦闘狂が多い獣人族の戦士達も、流石に相手が世界規模の大きさの存在ともなれば、戦いを望むよりも避ける事を重視するくらいの常識の持ち合わせはあった。

 「マスターの行動に一々驚いていたら、肝がもたないの」

 そんな常識を一刀両断するようなフラウの言い草に、驚く反面なるほどと納得しかけている自分にレパードは苦笑してしまう。
 それはフラウの背後に控えているキースも同じ思いであったらしく、口元に微笑が浮かんでいるのがレパードの所から見えた。

 「まぁ確かにな。それはそれとしてだ。カトゥルーって交渉できるようなモンだったか?」

 「その点についてはフラウも良く分からないし、手紙にも詳しく書かれてなかったの」

 「手紙か……ってちょっと一つ聞きたいことができたんだけどな?」

 手紙という単語に反応したレパードに、手紙の一体何がそんなに気になるのだろうと首を傾げるフラウ。
 そんなフラウにレパードは、ふと思いついた疑問をぶつけてみた。

 「その手紙にはよ。勇者を捕獲しろって書いてあったのか?」

 「勇者四人に以下の指令を申し付けるように、って書いてあったの」

 レパードの質問に素直に正直のフラウが答えると、レパードの目が少しだけ据わった。
 その変化の意味が分からないフラウは首を傾げたままレパードの次の言葉を待つ。

 「捕獲しろとは書いてねぇんだな」

 「書いてないの。だからグリューンとかクルツはちゃんと説得したの」

 「俺とアルベルトの扱いについて説明を求めてぇな!?」

 「手紙の意訳と日頃の行いの結果なの。異存でも?」

 逆に尋ねられたレパードは、大声でそれに答えようとしてクルツの事を思い出し、口の中でごもごもと言葉にならない音を籠もらせるだけで結局は反論しなかった。
 思い当たる節が全くないわけではなかった上に、反論しても無駄だろうということが反論する前から分かりきっていたせいである。蟻力神
 しても無駄なことはするだけ時間と労力の無駄である、ということをレパードも学びつつあった。

 「納得してもらった所で、改めてマスターからの指令を伝えるの」

 「あぁ……もう分かったから縄解いてくれ……別に罪人ってわけじゃねぇんだろうし、もう逃げねぇからよ」

 声に諦観をたっぷりと含ませてレパードがお願いすれば、フラウがちらりと一瞥しただけでレパードの両腕を拘束していた縄がぱらりと床に落ちた。
 それほどきつく縛られていたわけではないが、やはり腕が自由になると気持ちが少し緩むのか、ほっと息を吐くレパードであったが、床に落ちた縄の切れ端を見て背筋に冷たいものが走る。
 縄は解かれたわけではなく、レパードが冷たいものを感じるほどに鋭く、鮮やかな切り口を見せて床に転がっていたせいだ。

 「お前……だんだん妖精の範囲から逸脱していくよな」

 「失礼な。フラウはかわいい妖精のシルキーさんなの!」

 心の底から不本意であることを示すように、頬を膨らませ鎖骨の辺りで仕草だけは可愛らしく拳を握り締めて抗議するフラウであるが同意の言葉はどこからも聞こえてこなかった。

 「……異論があるの?」

 握り締めていた手を解き、胸の前で腕を組んで軽く胸を張れば、いきなり謁見の間を支配した威圧の気配に、部屋の中にいた全員がものすごい勢いで視線を反らした。
 それは眠っているクルツと獣人族の巫女を除いた全員であり、縛られて転がっているアルベルトすら芋虫状態のまま体を転がして、フラウの視線から逃げようとしている。

 「どうにも話が進まないように思えるので、その辺りの判断は一旦保留と言うことで伯爵殿のご指示を頂くわけにはいきませんか?」

 フラウの真正面にいるせいで、視線はそらせても威圧はモロに受けているレパードが声を出せずにいる所に助け船を出したのはグリューンであった。
 控えめにして物静かな上に、目立とうと全くしないグリューンが珍しく自分から話に加わってきたのは、それほどまでにレパードの置かれている状況が危ないものに見えたらしい。
 グリューンのとりなしに、やや不満げな表情を見せていたフラウではあるが、確かにこのままでは話が先に進みそうな気配がなく、それでは蓮弥の指示を勇者達に伝えることができないと判断したのか、威圧を解除して腕組みを解く。蔵秘雄精

 「マスターの指示は、指定された地点に竪穴を掘れ、というものなの」

 「竪穴ですか。どのくらいのでしょう?」

 レパードが何か言いかけたのを手で制して、壁際からレパードの隣まで歩み寄りながらグリューンが尋ねた。
 おそらくレパードはまた指示された土木工事に文句を言いかけたのであろうが、蓮弥の指示である以上、そこにどれだけ文句をつけてみた所でフラウが引くことはないだろうとグリューンは思っている。
 ならばここは文句をつけてみても意味がなく、指示の全貌を取りあえずは聞いた上で、労働条件や目的の緩和に努めた方が建設的であろうと言うのがグリューンの判断だ。

 「直径100mちょっとの深さ30mくらいみたいなの。あんまり大したことないの」

 「それなりに大変だと思うのですが……」

 「当初の予定では、マスターが訪問してる港町まで穴を掘るってお話もあったの。それに較べたら楽なものだと思うの」

 当初の予定とやらを聞かされたレパードの顔が惚ける。
 さすがにグリューンもそれに対しては、そうですねと言うわけにもいかずに困ったような笑みを浮かべるに留まった。
 そして二人とも、ほぼ同時にそうならなくてよかったと胸を撫で下ろす。
 仮に、そうせざるを得ない状況に陥った場合。
 確実に自分達はその港町まで続く延々と長い穴を掘り続ける作業に従事する以外の選択肢がなかったであろうことは予想するのが難しいことではなかったからだ。

 「掘った穴の底を平らにならして、石を積んできちんとした設備にするところまでがお仕事なの」

 「何に使うんだそんなもん。カトゥルーを讃える儀式でもすんのか?」

 石を積む作業まで、自分達の分担なのだろうなと思いつつぼやくレパードに、フラウは隠すつもりもないらしくきちんとした説明を続ける。

 「港町と接続する転送設備に使うの。転送用の陣とカトゥルーへの接続はフラウがやるから大丈夫なの。勇者さん達は穴を掘り終えたら地上部分の建築物も作成をお願いするの」

 「転送設備を野晒しにできない、ということに加えて転送で運ばれてきた物資の一時貯蔵設備、と考えればよろしいのでしょうか?」

 「さすがグリューン、理解が早いの。レパードも見習うべきなの」

 グリューンからの質問にこっくり頷くフラウ。夜狼神
 一応褒められたようではあったが、素直に受け取って良いものなのか迷うグリューン。
 比較対象にされたレパードは、不機嫌そうに舌打ちをして、フラウに睨みつけられて慌てて姿勢を正した。

 「キースは兵士を使って、設備とクリンゲを繋ぐ道路の舗装に着手するの。部材の手配はメイリアにお願いするから心配しなくていいの」

 「承ります、が。メイリア様が苦情を申し立ててきそうですな」

 恭しく一礼しつつ言ったキースの言葉に、フラウは黒のローブを脱ぎ捨てていつものエプロンドレス姿に戻りつつ、脱いだローブを床に適当に放り投げる。

 「クリンゲや、領地の運営は一応軌道に乗りつつあるはずなの。今、それほど忙しくないはずなの。ただ、メイリア姉様にばかり負担をお願いするのも悪いお話だから、事務方の人員の増員は申請されたら通してあげなきゃなの」

 「俺らの手伝いとかも増やせ!」

 放っておけば確実に穴掘りから石積みまでは四人だけでやらされる、というよりもクルツにそれほど無理をフラウがさせるわけがないので、実質三人でやらなくてはなくなると思ったレパードがここぞとばかりに声を上げる。

 「勇者の周りに一般人を置いても、作業速度について行けずに邪魔になるだけなのー」

 ふふんと鼻で笑うように言い放つフラウに、文句をいいかけたレパードをまた制して、グリューンが少し考えてからフラウに言う。

 「穴を掘る作業は確かにその通りですが、石を積む作業は我々でも専門の作業員でもあまり変わらないと思うのです。そちらだけでも人員を増やしてもらうわけには行きませんか?」

 「グリューンったら交渉が上手なの……でもまぁ確かにそっちの作業は勇者とか関係なさそうなの。むしろ職人さんの方が上手かもしれないの。……じゃあそっちはお手伝いさんを何人か入れてあげるの」

 考えを纏めるかのように、ゆっくりゆっくりそういったフラウに、レパードが噛み付きかけたのをグリューンの拳が脇腹に突き刺さって沈黙させる。
 おそらくは、どうせ手伝いを入れるなら自分達の作業は免除しろ的なことを言いかけたのだろうとグリューンは思っているが、下手なことをフラウにいって機嫌を損ねて手伝いの人員をキャンセルされてしまっては面白くない。
 脇腹の肉の薄い所に、結構な勢いで一撃を食らったレパードが息を詰まらせて崩れていくのをつまらなそうに見ていたフラウは、完全にレパードが沈黙したのを見てからぱんぱんと手を叩いた。

 「はいはい、お話は以上なの。今からやれとか無理なことはいわないから、明日から皆作業にとりかかるの。わかったの?」

 「仰せのままに」

 やはり眠っているクルツ達と、今しがた一撃食らって絶息したレパード。
 それと転がされたままのアルベルト以外の部屋にいた全員が声を揃えて頭を垂れ、蓮弥からの指示を伝える話し合いはお開きとなるのであった。樂翻天

2015年7月22日星期三

夜の王宮

 その日の夕刻過ぎ。

 善治郎はすっかり暗くなった王宮の一室で、静かに人を待っていた。元々の予定ならば、とっくに後宮に戻っている時間なのだが、急きょ予定が変更されたのである。

 これは非常に珍しいことである。まず第一に、アウラほどの仕事量をこなしていない善治郎が、日の落ちかける時間まで王宮に残っているのが珍しいし、善治郎の予定が途中で変更されることがそれ以上に珍しい。RUSH情愛芳香劑 ECSTASY POP

 これでこれから会うのが、フランチェスコ王子やボナ王女であれば、「ああ、またあの王子様がなにか突拍子もないことを言い出したのか」と納得もできるのだが、善治郎がこれから会うのは、女王アウラの腹心であるファビオ秘書官だ。

「何かあったんだろうな。それも、かなりやばい事が」

 窓から差し込む消えかけの夕日と、テーブルの上で燃える油皿の炎に赤く照らし出される善治郎は、ポツリとそう独り言を漏らす。

 善治郎は特別聡い人間ではないが、極端に鈍い人間でもない。

 自分の予定が急遽変更され、アウラの腹心である男が「アウラを交えず」自分に話があると聞かされれば、何らかの非常事態があったのだというくらいの想像は付く。念のため確認を取ったのだが、善治郎がこうしてファビオ秘書官と話し合いの場を持つことは、女王アウラにも話が通っているという。

「なにがあったのかは分からないけど、アウラ抜きでファビオだけが俺の所に来るってことは、アウラも今は手が離せないってことかな? アウラと俺がそれぞれ別のところで取りかからなければならない急用。これはいよいよ大事だ」

 そう呟く善治郎の推測は筋の通ったものであるが、あいにくと全くの的外れである。

 この時点でアウラはすでに後宮に戻っている。アウラが来ないでファビオ秘書官一人が善治郎との面談を申し込んだのは、アウラでは私心の混じらない説明が難しい話を善治郎にするためだ。

 その可能性に善治郎が思い至らなかったのは、それだけ善治郎がアウラという人間を、能力的にも人格的にも信頼しているからに他ならない。

「失礼します、ゼンジロウ様。お待たせいたしました」

 そんな善治郎の妻に対する全面的な信頼をほんの少しだけ揺るがせる話を伝えに、細面の中年男がやって来たのは、窓から差し込む夕日がすっかり沈んだ後のことだった。





 ファビオ秘書官と一緒に入ってきた王宮侍女が木戸を閉じ、代わりに追加の油皿に火を灯した後、一礼をして退室する。

 ユラユラと揺れる油皿の炎に照らし出されるファビオ秘書官の姿は、率直に言って不気味である。細面で表情の乏しい中年男が、姿勢良く微動だせずに立っていると、どこか非人間的な雰囲気を漂わせる。

 本音を言えば、このような暗い密室で二人きりになりたい相手ではない。

「用件を聞こう。このような時間に貴様が私との時間を欲するなど、ただ事ではあるまい」

 木と蔦で出来た椅子に深く腰をかけた善治郎は、対面に立つ秘書官の顔を下から見上げながら、そう切り出した。

 主君の夫の言葉に、中年の秘書官は小さく一礼すると、

「はっ。お許しを頂き、率直に申し上げます。ガジール辺境伯家に、こちらの知らない『次女』ニルダ様がいることが判明したしました。その結果、『長女』ルシンダ様の、ゼンジロウ様の側室入りが、一気に現実的な話となってきております」蟻力神

「ッ!? ………詳しく聞こう」

 一瞬で険しい顔になった善治郎は、薄闇でも全く動揺を隠せていない脆い無表情で、そう説明を促すのだった。





 元々秘書官という仕事をこなしているファビオは、話の要点をまとめて他者に伝えることを得意としている。

 そのため、ファビオ秘書官の説明を受けた善治郎は、簡単に自分の置かれている状況を理解したのだった。



 ガジール辺境伯には実は、私生の娘がいた。
 その私生の娘は、カープァ王国の『名簿』に名を連ねる歴とした貴族なのだが、先の大戦中に『名簿』が一部紛失(確定ではない)した影響で、アウラはその存在を知らなかった。
 チャビエル・ガジールと面識を持ったプジョル将軍は、チャビエルの口からその存在を知らされていた。そのため、女王アウラの「善治郎がルシンダに興味を示している」という発言を受け、その場で自分の結婚相手を正妻の子である長女のルシンダから、私生児である次女のニルダへと移行。
 結果、ルシンダは未婚のまま、「善治郎がルシンダに興味を示した」という情報が、プジョル将軍、チャビエル・ガジールにも広まってしまった。




 これだけの情報を聞かされて自分の立場を理解できないほど、善治郎は馬鹿ではない。

 眉の間に深い皺を寄せたまま、善治郎は低い声で妻の秘書官に確認する。

「おおよその事情は分かった。仮にも私の方から「一度会ってみたい」と言ったのだから、こうなった以上私がルシンダ嬢と会うのは決定事項だろう。その上で、率直に答えよ。私には最終的にルシンダ嬢を側室に迎えないという選択肢は残されているのか?
 その場合、私の悪評はどれだけ上がっても良い。その代わり、アウラ陛下、王家、王国への実害は最小限、欲を言えば実害がない状態で、断ることは可能か?」

 王配の問いに、女王の秘書官は最初から答えを用意していたかのように、即答する。

「可能です。ルシンダ様と対面をはたした後、ゼンジロウ様があることないこと難癖を付けて、話をご破算にすれば良いのですから。あいにくと、最大の攻めどころは使えませんが」

 最大の攻めどころとは言うまでもなく、ルシンダの歳である。二十代の半ばを過ぎているという年齢は一般的に、結婚を破断にする十分な理由となり得るのだが、今回は使えない。善治郎は事前にルシンダの歳を知った上で「一度会ってみたい」と言っている以上、他に難癖を付ける場所を見つける必要がある。威哥王

「ゼンジロウ様が「一方的な我が儘」でルシンダ様を拒絶し、目に見える形でアウラ陛下がその仲裁に入り、それでもゼンジロウ様は意思を変えない。そういう流れでしたら、ゼンジロウ様個人の評判以外は、最少の傷で切り抜けられるでしょう」

「そうか」

 ホッと安堵の息を漏らしかけた善治郎に、細面の秘書官はその希望を断ち切るように言葉を続ける。

「ただし、ゼンジロウ様個人の評判は、間違いなく最悪まで落ちます。そして、現状ではゼンジロウ様の評判が落ちること自体が、アウラ陛下、ひいてはカープァ王家の損害です。
 ゼンジロウ様は今一自覚されていないようですが、今のゼンジロウ様はアウラ陛下の名代として多くの仕事をこなしておいでです。しかし、ゼンジロウ様の評判がそこまで落ちた後は、今のように名代の仕事を問題なくこなすことも困難となるでしょう。それはそのまま、アウラ陛下の負担となります」

「む……」

 難しい顔をする善治郎に、ファビオ秘書官はさらにたたみ掛ける。

「付け加えますと、これは私の私見なのですが、ゼンジロウ様が今回「ルシンダ様を側室に迎えない」ことは可能だと思いますが、生涯を通して「誰一人側室を持たない」ことは不可能ではないでしょうか。少なくとも、先ほどゼンジロウ様が仰ったように「アウラ陛下にも、王家にも、王国にも迷惑をかけずに」達成することは、絶対に不可能であると断言できるかと」

「…………」

 ハッキリと現実を突きつけられた善治郎は、しばし言葉を失った。

 薄々そうではないかと、分かっていたことではある。善治郎という男が、王配として求められることは本来ただ一つ。一人でも多くの『血統魔法』の継承者を作ることだけなのだ。

 もちろん、女王の名代として仕事をこなしたり、異世界から持ち込んだ道具や知識で、王家、王国に利益をもたらす事も決して無意味ではない。

 だが、それは国軍の将軍が、実は政治にも強かったり、書類と格闘する文官が、密かに弓の腕もたったりするのと同様で「その分評価にプラス修正を受けるが、評価の土台からは離れている」部分である。

 今のところ、善治郎がそれなりの評価を受けているのも、女王アウラとの間が上手くいっていて、第一王子カルロス=善吉を設けているからに他ならない。

 言葉をなくした善治郎に、ファビオ秘書官は少しフォローするように付け加える。

「召喚前にこちらが想定していたとおり、アウラ陛下との間にかろうじて血統魔法の使い手を設けられる程度の血の濃さであれば、側室問題も生まれなかったのでしょうが、ゼンジロウ様ご自身が『時空魔法』を使えるほどの濃さとなりますと、側室問題は避けようがありません。
 『血統魔法』の継承者が三人しかいない現状は、南大陸の大国では、正常な状態とは言えないのです」五便宝

「……つまり、ルシンダ嬢の側室入りに抗っても無駄、ということか?」

 硬い表情で固い声を発する善治郎に、秘書官はその細面の顔を小さく横に振り、

「いいえ。前提条件をお間違えないように、と申し上げているのです。側室など一人もいらない、というゼンジロウ様の『我が儘』が通用しない。いずれ誰かは側室を取らなければならない、という前提で今回の一件を考えていただきたいのです。
 側室などいらない、という前提で考えれば、ルシンダ様の人となりもその周囲を取り巻く環境も、全くゼンジロウ様に取っては無意味なものとなりましょう。しかし、嫌でも側室はいずれ取らなければならない、という前提で考えれば、ルシンダ様との面談も多少は有意義なものになるのではないでしょうか」

 そう、冷静に助言した。

 つまり、反射的に拒絶するのではなく、ルシンダ・ガジールという人間と接し、その人格なり容姿なりをある程度理解した上で、結論を出すべきだと言っているのだ。

 最終的に側室を取るという運命が避けがたいという前提で見れば、ルシンダ・ガジールという女は、側室として最良の選択である可能性もある。もし、ここでルシンダを拒絶し、後日もうどうやっても側室を迎えない訳にはいかない所まで追いつめられたとき、「ああ、こんなことならあそこでルシンダを選んでおけば良かった」と、後悔しても遅いのだ。

「もちろん、ルシンダ様と相性が悪い可能性もございますので、拒絶という選択肢もございましょう。しかし、それは『ルシンダ様を拒絶する』場合の話です。『側室は無条件で拒絶する』のは危険ではないかと、あえて苦言させていただきます」

 そう言って、ファビオ秘書官は、機械のように正確に頭を下げた。

「…………」

 善治郎は無言のまま目を瞑り、痛みに堪えるように体を硬くする。

 ファビオ秘書官の言葉は、恐らくこの国の貴族のごく一般的な意見だ。善治郎に遠慮があるアウラが伝えていない、ダイレクトな言葉である。

(言われてみれば確かに、俺に側室を薦めてくる貴族連中は『側室を持つことを前提』とした物言いしかしていなかったよな……)

 目を瞑ったまま善治郎は、これまで社交界で、貴族達に言われた言葉を思い出す。

「ゼンジロウ様は、女性に何を求めますか?」「やはり、アウラ陛下のような女性がお好みなのでしょうな?」「いやはや、ゼンジロウ様は手厳しい。果たして、アウラ陛下の次に、ゼンジロウ様のお心を射止める女性は誰になるのやら」

 娘や親族を紹介する貴族も、自分を売り込む娘達も、善治郎が将来的に側室を持つことは確定している前提で、常にものを言っていた。

 自分の希望が叶わない可能性はあっても、それはライバルに先を越されるという可能性であって、『側室試験合格者ゼロ』という結果は想定していない。そういう物言いだ。三體牛鞭

(側室完全拒否は、茨の道か……)

 それでも、目があるのならばその茨の道に挑戦したい、というのが善治郎の正直な心情であるが、冷静に考えればファビオ秘書官の言葉が正しいことは理解できる。

 やっと目を開いた善治郎は、努めて平静を装った声で、微動だしない秘書官に言葉をかける。

「分かった。貴様の忠言、確かに胸に刻んでおく。今回の一件を、アウラ陛下ではなく、貴様が一対一で私に伝えたのは、その苦言のためか?」

 アウラは公人としての判断を優先する人間であり、間違っても甘い人間ではないが、善治郎に対してだけは、どうしても遠慮がある。まあ、アウラの立場を考えれば、夫で王配の善治郎と仲違いをすることは、万難を排してでも避けなければならないことなのだから、その判断は公人としても決して間違ってはいない。

 だからこそ、アウラには言いづらい善治郎の機嫌を損ねる忠言を、替わってこの女王に忠実な秘書官が行ったのだろう。そう当たりを付ける善治郎に、ファビオ秘書官は珍しく、肉付きの薄い唇をほんの僅かだけ、笑みの形にゆがめた。

「はて、そういう意図がなかったといえば嘘になるでしょうな。しかし、主だった理由は此度の一件について詳しくお話すると、どうしても先々代陛下の戦死について触れる必要がございます。そのあたりについては、アウラ陛下では私心の入らない説明は不可能でしょうから、私が変わってご説明させていただくため、お役目を頂戴いたしました」

「先々代、サンチョ1世陛下か。アウラ陛下にとっては同腹の弟だったな。実の弟の死に関わる話は、さすがのアウラ陛下も感情を交えずに説明は難しいか」

 ファビオ秘書官の言葉に、善治郎は理解を示すが、秘書官の答えはそうではなかった。

「いいえ、それは違います。アウラ陛下がその件に関して、私心を交えずに話すのが難しい理由は、血のつながりではなく、もっと単純にアウラ陛下が『当事者の1人』だからです」

「ッ!?」

 炎の薄明かりでも容易に分かる位に、善治郎が驚きを露わにする。

「当事者? つまり、サンチョ陛下が戦死された戦場に、アウラ陛下もおられたということか?」

 先の大戦では、アウラも女将として戦場を駆け抜けたという話は聞いているが、具体的な話を聞くとやはり驚きが先に立つ。

 ファビオ秘書官は、能面じみた無表情のまま、小さく一つ首肯する。

「はい。その戦いの詳細を知っている者はごく僅かです。『夜戦』であり『乱戦』であり『激戦』であったその戦場は、参加した者でも兵士や下級の指揮官では、自分たちがどこで何をやっていたのか説明が出来ないほどでした。
 カープァ王国側で、詳細を理解している人間は、アウラ陛下とララ侯爵、そしてこの私の三人だけでしょう。
 一夜の戦いで、敵味方二人の王が戦死した、先の大戦の中でも特筆される戦いの一つ。その戦いの勝者を定めるとすれば、それはアウラ女王陛下――当時は王女殿下でしたが――がそれに相当するでしょう。
 少々長い話になりますが、お聞きになりますか?」

 表情にも声にも感情の色は欠片もないのに、不思議と圧迫感のある秘書官の問いに、善治郎はゴクリと唾を飲み込み、首を縦に振る。

「ああ、聞かせてもらおうか」

 覚悟を決めて発したつもりのその言葉は、それでも少しかすれていた。狼1号

2015年7月10日星期五

焦燥

飛び込んできた真希の言葉に、俺は耳を疑った。

 ――迷宮内での集団自殺。

 ゲームでは存在しなかった行動だ。
 しかし、有効ではある。縮陰膏

(少し、考えが足りなかったか)

 真希たちに村を攻めさせるという行動は、ゲームのイベントにはなかった。
 イレギュラーな行動に対しては、イレギュラーな反応が返ってくる。
 当然の帰結だ。

 万全を期すなら、あくまでクエスト攻略からはみ出さない範囲でことを進めるべきだったか。
 いや、どうせどこかで道を外れないと、リファを助けられる望みはなかった。

「そーま?」

 近付いてきた真希に声をかけられて、ようやく我に返る。
 そうだ、今はそんなことを考えてる場合じゃない!

「止めるぞ! 案内してくれ!」

 いくら邪教徒とはいえ、この世界での彼らはれっきとした人間だ。
 説得が出来るとも思えないが、自殺なんて馬鹿なことは出来れば止めてやりたい。
 それに……。

「わ、わかった。こっちだよ!」

 今度は真希に先導されながら、ふたたび迷宮を駆ける。
 そこで横にミツキが併走してきて、ささやいた。

「……彼等が復活させようとしているモノ、見当はついていますね?」
「ああ。たぶん、『アレ』だろうな」

 普通の悪魔復活程度ならここまでたくさんの生贄を必要としないだろうし、復活しただけでゲームオーバーにもならないはずだ。
 それに、この場所の『封印の迷宮』という名前からして、あの場所との類似性を感じる。

「でしたら、分かっていますね?
 その復活は、絶対に阻止されなければなりません」
「もちろん、分かってる」

 何しろ復活=ゲームオーバーだ。
 俺が一番その危険性を認識していると言っても過言ではない。
 むしろ、

「でも意外だな。ミツキなら戦いたがるのかと思ってた」

 ミツキなんかは、復活大歓迎、みたいな感じかと思っていた。
 しかし俺の言葉に、ミツキは猫耳を「ひどいよー」と言いたげによじらせた。

「心外な事を言いますね。
 『アレ』の脅威は父に随分と聞かされてきました。
 個人的に戦ってみたくもありますが、それで討ち果たせなかった結果、無辜の民に危害が及ぶのは避けなければなりません」
「なるほどね」

 それは非戦闘員を守ることに力を尽くすヒサメ家らしい考え方だ。
 無辜の民なんて言葉、実際に使われるのを初めて聞いた。
 まあ、何も悪いことをしてないのにバトルジャンキーのワガママのとばっちりで殺されてしまったら、それはかなり浮かばれない。

「それよりも、貴方は本当に注意して下さい」
「え? 俺?」
「はい、貴方は時々とんでもない事をやらかしますので、くれぐれも軽率な行動は控えるようにお願いします。
 ……等と言ってもどうせ無駄でしょうが、何かやる時はせめて私かリンゴさんに事前に相談を」

 かなり信用がない。
 それをバトルジャンキーさんに言われるのは、それこそ心外だ。

「分かってるよ。
 今回に限っては、俺も自重する。
 何かするとしても、その前に相談くらいはするさ」
「……頼みます」

 そうして俺とミツキの間で合意が交わされた時、先導していた真希が振り向いて怒鳴る。

「もう! さっきから二人で何をこそこそ話してるの!
 そろそろ……」
「ッ!? 前を!」
「えっ?」D10 媚薬 催情剤

 ミツキの警告に真希が振り向くが、一瞬遅かった。

「きゃぁっ!?」

 高レベルキャラのはずの真希の身体が、あっさりと後ろに跳ね飛ばされる。
 それをミツキが受け止めたのを横目で確認しながら、俺は前方、真希を吹き飛ばした『そいつ』をにらみつけた。

「……ご苦労様です、王女様。
 あなたを逃がせば、わたしたちの邪魔をした相手に行きつくと思いましたが、案の定だったようですね」

 ゲームでは聞いた覚えのある声。
 クエストの説明とゲームオーバー前に何度も聞いた、サイガ村の村長の声。
 だが、その姿は既に人の物ではなかった。

「悪魔……」

 黒くゴツゴツとした体躯に、ねじれた二本の角。
 背中に生えた、コウモリのごとき漆黒の翼。

 ――邪教徒を操る悪魔が、その本性を現わしたのだ。


 まず反応したのは、吹き飛ばされた衝撃から立ち直った真希だった。

「どうしてあなたがここに?! 騎士団のみんなはっ?」

 その言葉に、本当の姿を見せた村長は、口元だけの笑みを作る。

「ああ、あの雑魚たちですか。
 今はその辺りに転がっていると思いますよ。
 騎士があれほどまでに弱いと知っていたら、わざわざ手駒を無駄に消費する必要もありませんでしたね」
「ま、まさか…!」

 悪魔の返答に真希が色を失うが、

「いいえ、殺してはいませんよ。
 一人だけ残った『駒』に武装解除をさせているところです。
 だって殺してしまったら、『あのお方』の最後の贄に、粗悪な物を捧げることになってしまいますからね」

 悪魔はそれを否定した。
 ただ、問題はそれよりも『最後の贄』という台詞。
 俺があわてて壁を見ると、いつの間にか壁の数字は『一』になっていた。

 あの村には20を超える数の村人がいた。
 その内の何人かが生贄に出来ない悪魔だったとしても、残りの村人だけで17人の生贄をまかなうことが出来たのだろう。

(まずいぞ…!)

 これはクエストの通りなら、リファが祭壇まで飛ばされる状態。
 いまだにその兆候が見えないのは、クエストがイレギュラーな進行をしているからか。
 だが、おかしいのはそれだけではない。

(こいつ、そんなに強かったか?)

 目の前にいる悪魔。
 サイガ村で戦ったことがあるが、所詮低レベルクエストのボス。
 正直に言って、騎士団が負けるような相手ではなかった。
 油断していたとはいえ、抜群のステータスを誇るはずの真希が吹き飛ばされたのもおかしい。

「腑に落ちないという顔をしていますね。
 わたしたちの計画を見破れても、この石のことはご存じなかったと見える」
「その首飾りは、リファさんがしていた……」

 後ろでミツキがつぶやいた通り、悪魔が手にしたのは、真っ赤に光るペンダント。
 それはリファがしていた呪いの装備と全く同一の物だった。

「この石が何なのか、あなたたちは知っていますか?」
「それは……この迷宮で採れる鉱石、ではないのですか?」
「惜しい。いや、実に惜しい所まで来ています。
 ここにしか存在しないという点については、真実を捉えてはいる」魔鬼天使性欲粉(Muira Puama)強力催情

 ミツキの返答に、悪魔は笑う。

「もう薄々勘付いているのでしょう?
 この迷宮には『あのお方』、我らが崇める唯一神の欠片が封印されていると」
「やはり、邪神『ディズ・アスター』」

 奴の言葉に、ミツキが険しい声でつぶやく。

(やっぱりか……)

 復活しただけで強制ゲームオーバーを引き起こすような存在と言えば、それくらいしか思い当たる物がない。
 確かに隠しダンジョン、『封魔の迷宮』の奥にいた『邪神の欠片』は馬鹿みたいに強かった。
 あれが解き放たれ、何の制約もなく動き回ることが出来るようになったとしたら、世界が滅ぶなんてこともありえない話じゃない。

「ここにあるディズ・アスター様の欠片はそう大きい物ではありませんが、それでも厳重な封印がなされていました。
 迷宮の中心にある大きな扉の向こう。
 そこが『封印の間』です。
 あそこにディズ・アスター様の欠片が封印されています」
「あそこは、『生贄の祭壇』じゃ、なかったのか……」

 俺のつぶやきを耳ざとく聞きつけ、悪魔は答える。

「いいえ、今は『生贄の祭壇』でもありますよ。
 わたしたちは長い年月をかけ、『迷宮内にあふれる力を集めてディズ・アスター様の封印のための力にする』忌々しいこの迷宮の仕掛けを逆手に取り、『迷宮内にあふれる力を集めてディズ・アスター様の復活のための力にする』仕掛けへと作り替えました」
「封印のための仕掛けを、復活のための仕掛けに流用したってことか……」

 それがゲーム時代からあった設定なのか、この世界が現実になったことで生まれた後付け設定なのかは分からない。
 しかし、それを聞いてこの場所での死者がどうして邪神の復活につながるのか、少し理解出来た。

「ただ、ディズ・アスター様に力を届けるには、どうしても一度は直接ディズ・アスター様の欠片に触れ、力の経路を作る必要がありました。
 しかし『封印の祭壇』の前にある扉は強固で、どうやってもディズ・アスター様の欠片の場所まで行きつくことが出来なかったのです。
 わたしたちの計画は、そこで一度頓挫しかけました」

 悪魔の話を聞きながらも、どうしてこいつが長々と話を続けているのか考える。
 何か策があるのか。
 警戒だけはしておかなくてはいけない。

「ですがその時、わたしたちはこの迷宮内で見つけたのです。
 封印の時に弾き出された、ディズ・アスター様の小さな小さな欠片を」
「小さな欠片…? まさかっ!!」

 ミツキは悪魔の言ったことを理解したようだ。
 そして俺も一瞬遅れて理解して、

(おいおいおい! まずいぞ、そりゃ!)

 自分がとんでもない失敗をしてしまったことに気付いて、青くなった。
 思わず左手を強く握りしめる。

「ええ、そうです。
 見つけたのは爪の先ほどの大きさの、小さな三つの欠片。
 わたしたちはそれを宝石に埋め込み、『首飾り』へと加工したのです」

 焦る俺たちを嬉々として見回して、悪魔は語る。

「その『赤い宝石のついた首飾り』は素晴らしい恩恵をわたしたちにもたらしました。
 まず、わたしのような悪魔が身につければ、ディズ・アスター様の魔力があふれるこの空間での力が大幅に上がります。
 それこそ騎士団を圧倒出来るくらいに」
「だから、みんながっ!!」

 真希が叫ぶ。
 悪魔の強さのカラクリは、赤い石の首飾りと、この迷宮の瘴気だった。
 確かに村長とは、地上でしか戦ったことがなかった。蒼蝿水(FLY D5原液)
 迷宮の中で戦えば、あれ以上の強さだったということか。

「そして、それを人間につければ、だんだんとディズ・アスター様の魔力が身体に染み渡り、良質な生贄となります。
 ……そうですね。
 二年もあの首飾りをつけていれば、極上の生贄になっているでしょう」
「だからお前は、リファを育てたのか!!」

 もう一つの謎、この悪魔がリファを最後の生贄にこだわる理由も分かった。
 奴はリファに邪神の欠片を仕込んだ首飾りをつけて、生贄として『養殖』していたのだ。
 だが、悪魔はまだ笑う。

「そして、最後の効能。
 ディズ・アスター様の欠片は、力を封印されてなお、引き合おうとする性質を持っています。
 少しでも大きな欠片になって、自ら復活をなそうとされているのです。
 具体的には、小さい欠片はより大きな欠片に引き寄せられ、吸収されようとする。
 その性質を最大に活用すると何が出来るか、分かりますか?」

 その答えは、俺はクエストの中で何度も目にした。
 赤く光る首飾り、そして祭壇へと消えるリファ。

「身につけた者ごと、『邪神の欠片』の場所まで、転移する……」
「そうです。一度使うと小さな欠片は大きな欠片に吸収されてしまうので使い捨て。
 しかも『封印の間』からもどる方法がないので一方通行ですが、そのおかげでディズ・アスター様を復活させる準備は整いました。
 その時に『駒』の一匹と小さな欠片の一つを失ってしまいましたが、些細な犠牲でしょう」
「お前は…!」

 人を単なる使い捨ての道具としか思っていない態度に激昂しかけるが、悪魔は動じない。

「……なぜ、わたしがこれほどまで余裕でいられるか、まだ分かりませんか?
 『封印の間』の封印は厄介でしたが、一度中に入ってしまえば、何より強固な防壁へと変わります。
 たとえそこで何が行われていても、誰にも手出しすることは出来なくなる」

 言いながら悪魔が首飾りを手にした途端、

「しまった!!」

 ミツキが弾かれたように反応、悪魔に向かって駆け出そうとする。

「やめろ! そんなことをしたら…!」

 俺も必死で声を張り上げた。
 奴が首飾りを使えばどうなるのか、たぶん俺だけが正確に知っている。
 それは、なんとしても止めなければならない。

 しかし、


「――遅いですよ」


 無情にも、首飾りは光る。

「さぁ、リファ! お前の役目を果たす時が来た!」

 飛び出すミツキも、必死に声を上げる俺よりも早く、美人豹


「あの扉は、復活したあのお方以外に誰も破れない!
 ――我らの、勝利だ!!」


 悪魔の首飾りが禍々しい光を放ち、悪魔の姿がかき消えて――


「――は?」
「――え?」


 ――いきなり俺の超至近距離に、変身後村長の悪魔顔が現れた。

「ぎゃ、ぎゃぁあああああああ!!」

 近くから直視するとかなりグロい。
 俺はあわてて傍らに現れたリファを抱きかかえて逃げ出した。
 情けないと思いつつも、ミツキの後ろに隠れる。

 ――しかし、動揺しているのはほかのみんなも同じだった。

 リファは俺の腕の中で、

「あ、あれ? おにいちゃん? リンゴおねえちゃんは…?」

 と目を丸くしているし、ミツキも何が起こったのか把握出来ず、猫耳をぴょこぴょこさせている。
 そして悪魔に至っては、砕け散った赤い首飾りを呆然と眺め、言葉も出ない様子。

 だが、事前情報が多い分、ミツキと悪魔はすぐに気付いた。
 気付いて、しまった。

「ま、まさか…!」
「まさかっ!」

 二人が声を上げ、俺の方を向いたのは同時だった。
 悪魔は『信じられない』というような愕然とした顔でこちらを見ていて、いつも能面なはずのミツキも『何だこいつマジか』みたいな驚愕の表情でこちらを見ている。
 恐ろしいまでの視線の圧力。

「え、ええっと……」

 二人のプレッシャーに負けた俺は、ごまかすように頭をかいた。


「――やっぱりこれ持ってきたの、まずかったのかなー、なんて」


 そう言って乾いた笑いを浮かべた俺の左手の中。
 さっきミツキたちと別れた時、俺が祭壇の上・・・・から見つけてきた真っ赤な石が、不気味な脈動を始めていた。紅蜘蛛(媚薬催情粉)

2015年7月8日星期三

太一と奏の正体

 今日の修行はかなり実があるものだったらしい。自分たちでも多少の手応えがあったが、レミーアの総評がそれを確信に変えてくれたのだ。
 曰く「予想以上に上達が早い」ということ。太一は右手だけの状態から始め、両腕に魔力を宿せるようになり、安定感も上がってきた。奏は四属性の基本魔術全てが成功し、火属性と水属性で応用まで出来た。花痴
 もともとセンスがいい太一は、奏からすれば当然の結果。
 スポーツ、とりわけ球技で遺憾なく発揮されるその才能だが、奏が見る限りそれは多方面でも生かせるものだ。
 試験もその気になれば平均点以上は楽に狙えるのだが、太一が勉強が嫌いで面倒臭がるため、眠ってしまうことが多いだけである。自分が怠けた癖に赤点を取れば一丁前に落ち込むのだから、その度にやれば出来るのだから、と進言しているのだが。
 恐らく今回の修行もそのセンスが発揮されたのだろう。やれば出来る子が優秀な講師の元でやることをこなしたのなら、その成果は推して知るべし。
 一方奏の成果にも、太一は驚くことはない。彼女は優等生だ。但し、特に優等生であろうとしている訳ではない。
 目的地に至るまでに『出来ることは全てやる』事を信条としている奏。彼女の優等生ぶりはその結果だ。本人は結果が良くても悪くても気にはしない。今日もそれを実行しただけだ。普段と何も変わらない。
 基礎魔術四つを成功させ、応用を行った。火の魔術では青い火を出し、水の魔法では生み出した水球を冷やして氷にしたという。ミューラはとても驚いていたが、奏からやり方を聞いて納得した。青い火はガスバーナーを、氷は水の原子運動を遅らせたのだと。太一は言われて「ああ」と思い出す程度だが、奏は最初から覚えていてもなんら不思議ではない少女だからだ。
 出足は上々と言っていいだろう。
 キッチンで料理をするレミーアの後姿を眺める。フライパンではハムステーキが食欲をそそる音を立てて焼けている。
 この世界には加工食品というものはあまり無い。今焼かれているハムステーキも、スーパーなどで売っている「後は焼くだけ」状態のものではなく、生肉から仕込まれている。昨日の昼頃やってきたレミーア懇意の商人から仕入れたものだろう。
 食事はブラックペッパーの香りが効いたハムステーキと、チーズとハムが乗った色合い豊かな緑野菜のサラダ、そして汁物に滑らかな舌触りのクラムチャウダー。炭水化物はパンだった。この世界には米は一般的にはあまり出回っていないようで、とある国に行かないと食べられないという。
 もちろんパンも香ばしく焼けていてとても美味しいのだが、食べれないとなると米が恋しくなってしまう日本人二人。この世界の米を味わう! と、冒険者として目標を密かに立てたのは奏であった。
 とはいえ、現状の食事に不満があるかといえばそういうわけではない。ファミレスで食べるよりはよほど美味しい。流石に料理専門店と比べてしまうとレミーアが可哀想だが、それでも家庭の手料理としては十分過ぎるほど美味である。
 結局今日の夕食も、ミューラが若干呆れるくらいにがっついてしまった太一。奏も控えめではあったが、いつもより空腹だったのか食べる量が多かった。作り手としては文句なしの食べっぷりに、上機嫌のレミーアだった。

「あー、食った食った」

 おなかをさすりながら背もたれに身体を預ける太一。もう食べられない、と顔に書いてある充足ぶりだ。少しだらしのない姿勢も、少しは大目に見てもらいたいところだ。
 その横で奏がコーヒーを上品に飲んでいる。別にいいとこのお嬢様ではない。姿勢とスタイルがいいせいか、妙にそういう仕草が似合うだけだ。

「ふふ。気持ちのいい食べっぷりだな」
「すみません、あまり遠慮もせず」

 自分も結構な量を食べた自覚があるのか縮こまる奏。
 レミーアがいやいや、と手を左右に振った。

「私もミューラもあまり食べるほうではないからな。作る側としては、そうやって食べてくれるほうが嬉しいものさ」
「そう? 明日もがっつり食っちゃうよ?」
「ああ。たくさん食べてくれ」
「何の宣言よ?」
「いいじゃねぇか、喜んでくれてるんだし」
「そうだけど。私達は居候なんだから。お金だって払ってないのよ?」
「構わんさ。金には一切困っておらんからな」
「そうなんですか?」

 居候二日目に使用した魔力値測定魔術。あれを国に売ったときの収入が凄まじい事になっているらしい。
 具体的には、贅沢をしながら一生を働かずとも、一〇人ほどは軽く養える程度に。それ以外にも趣味で行っている魔術開発の依頼を受けたりしてそこでも安くない報酬を得ているため、太一一人が少し多く食べたくらいでは全くもって揺るがないと言う。
 流石は超一流の魔術師といったところだろうか。三體牛寶

「さて。片付けてゆっくりしよう。修行は明日からもまだまだ続くからな」
「そうですね」
「はいよ」

 太一と奏が席を立つ。
 と、レミーアが一切動かないミューラに気付いた。
 普段からあまり会話に口を挟まない彼女だが、家事などは積極的に手伝う姿勢を持っているのを太一も奏も知っている。そんな彼女だから、こういうときは率先して席を立つのだが、今は一切動かなかった。

「ミューラ?」

 反応をしない、というリアクションが気になったレミーアが声を掛ける。
 太一も奏も彼女を見ていた。
 どうやら無視しているわけではないらしい。ミューラがやがて顔を上げ、そして、太一と奏をじっと見据えた。
 そして、その瑞々しい唇が、小さく動いた。

「ねえ、タイチ、カナデ。貴方達、どこから来たの?」

 それは二人の急所を突く言葉だった。
 ライター。ガスバーナー。原子の減速。
 ミューラとの修行中、奏が口にした言葉の数々。目を丸くして奏を見る太一。しまった、と口元を押さえる奏。
 時が来るまで自分たちが異世界人であることは黙っていよう、と考えていた。
 不用意に日本で知った単語を口にしない。それが、二人が決めた事だ。いつ話すかは分からない。もちろんいつまでも隠し通せるとは思わないし、明かすのは明日かもしれないし、一週間後かもしれないし、一ヵ月後かもしれない。
 二人が危惧したのは、「こいつらはおかしい」と判断される事。ここで再び放り出されては、今度こそ生きていけない。言うタイミングを計っていた事だった。
 太一がそのミスを犯すかもしれない、という事は、本人がやや警戒していた事だった。だが、奏がそれをやってしまうとは。彼女にしては珍しい、本当に珍しいミスである。
 取り繕えるか?
 誤魔化せるか?
 そう考えていた太一と奏だが、レミーアの「この世界には存在しない言葉だな」という一言が、ゲームセットを知らせるサイレンとなった。

「この世界に存在しない、ですか?」
「ああ。どういう事か、聞かせてもらうとしよう。ひとまず、ぱぱっと片付けてしまおうか」

 食器を流し台で洗いはじめるレミーアとミューラ。
 ダイニングに残された太一と奏。

「ゴメン」

 奏が口にした一言目はそれだった。
 太一としては彼女を責める気は微塵も無い。やってしまうのは自分だと思っていたからだ。
 むしろ、自分が謝るだろうと思っていただけに、謝られるのは完全に想定外。そんな思いを抱えながら、頭を小さく下げる奏の顔を上げさせた。

「謝らなくていいよ。どの道バレるか、バレなくても明かすつもりだったんだ」
「でも、追い出されるかも」
「それは仕方ない。もう誤魔化しも効かないだろうし、素直に話すしかない」

 太一の言う事は最もだった。
 この世界には無い、ときっぱり断言されてしまったため、いくら誤魔化そうとしてもそれは裏目に出るだけだ。

「それに。案外、先延ばしにしていたのは無駄だったかもしれないぞ?」
「え? どうして?」

 どうやら、冷静なのは見た目だけで、内心では相当気が動転しているらしい。
 普通なら奏の方が洞察力に優れるはずなのだが、彼女は気付いていない。今まで言われて気付く側だった太一としては、立場が逆転していてちょっぴり面白い、と不謹慎な思考をしていた。
 やがて洗い物が終わったレミーアとミューラが並んで座り、対面に太一と奏が座った。四人の前にはそれぞれクーフェが置かれている。初日に魔術について講義を受けたのと同じ配置である。

「さてと。タイチとカナデ。お前達は『迷い人』だな」
「迷い人?」
「なんです、それ?」
「レミーアさん、それ、あたしも知りません」

 迷い人、という単語に、三人が揃って疑問符を浮かべた。

「うむ。多くて数十年に一度……少なければ一〇〇年単位で起きない事もあるそうなのだが、別の次元にある世界から、この世界にやってくる者がいる。文献では、そういう者を『迷い人』と呼んでいるのを思い出してな」勃動力三体牛鞭

 一体どれだけの文献を読んでいるんだこの人は。
 この世界の人間でない事に驚いてない?
 そんな事が起こるなんて。
 それぞれ上から太一、奏、ミューラの感想である。

「何らかの切欠で次元に穴が空いて、落っこちてやってくる。或いはこちらの魔術師が、次元を超える魔術を行使し、異世界の人間を召喚する。この世界にやってくる手段としてはこの二つだな。タイチ、カナデ、お前達がこの世界に来るとき、穴に落ちてきたのか?」
「いや? 確か、足元がいきなり光って、気付いたらここにいたな」
「ええ。妙な円の中に私達がいて、それが強く光って目の前が真っ白になって……気付いたら、草原にいました」
「ふむ。お前達は召喚されたな」
「召喚……? 誰かが俺達を呼んだって事か?」
「そうだ」
「何のために?」
「それは召喚魔術を使った者に聞くしかないな」

 ごもっともである。

(気付いたら、草原に……? 召喚魔術、確か……。これは、予想以上に厄介事かも知れんな。いや、こいつらはむしろ幸運なほうか……)

 自身の庇護下に入っている時点で、この世界に存在する脅威の半分以上から遠ざけられていると言っていいだろう。着いた場所が魔物の巣だった場合、今頃消化されているはずだから。
 レミーアはその思考を、ひとまずは振り切った。現時点で大事なのはそれではない。

「召喚魔術を使ったのは、まあ端的に言えば時空魔術師だ。細かい説明は省くが、時間と空間を操る属性。それが時空属性だ。それを十二分に操れる優れた術者は、次元の壁に穴を開く事も出来るからな」
「じゃあその時空魔術師とやらが、俺達をこの世界に呼び出した、って事か」
「ン? ああ、まあな」

 太一の表情に若干の棘が入っている事に気付いた。生返事をしている間にそれは消えてしまったが。

「私達、異端ではないんですね?」

 奏の言葉が、心情を全て表していると言っていいだろう。
 二人が何をもって『異世界人』であることを黙っていたのか、レミーアもミューラもそれで察する事が出来た。
 つまり、自分たちがこの世界にとって『異分子』だという自覚があるという事だ。

「何だ、それで追い出されるとでも思っていたのか。心配要らんさ。迷い人の珍しさはユニークマジシャンと変わらんからな。私が読んだ文献には、この世界で生きた迷い人の生活も簡単に記されておったよ。この世界の人間と、協調して生活を営んでいた、とあったな」
「そうですか」

 ホッとした様子の奏。彼女は苦労性なのだろう。太一のようにもう少し楽天家でもよいのではないか。それは性格だから、無理な相談なのだろうが。
 いやこの場合、太一が気にしなさすぎ、という事も出来るか。

「一応確認しておこう。エリステイン王国。この言葉に聞き覚えは?」
「いや無い」
「シカトリス皇国は?」
「知らないです」
「ガルゲン帝国」

 二人揃って首を横に振る。

「お前達が住んでいた国は?」
「日本」
「ニホン……ミューラ、聞いた事は?」
「あたしは聞いた事無いです」
「私も無いな。この世界には存在しない国、と見ていいだろう。更に、この世界に生きていれば子供でも知っている三大国家を知らない。召喚魔法陣らしきものも見たと言うし、迷い人で確定してしまっても良い位に要素が揃っている」

 レミーアはクーフェを一口飲んだ。
 それに倣ってクーフェで喉を潤した奏が口を開いた。蒼蝿水

「でも、召喚されたのに迷い人って変ですね」
「そうだな。どういう理由かは知らぬが、召喚された者も、次元の穴に落ちた者も一くくりで迷い人とするそうだ。異世界から来た者の総称のようなものだから、あまり気にする必要もなさそうだがな」
「そうですね」

 重要なのは語源ではなく、自分たちが異世界人であるという事だ。もし気になったら、また後ほど調べてみればよい。

「俺が不思議なのは、何で言葉が通じるか、って事だな。俺達の世界の言葉と、この世界の言葉が一緒とは思えない。なのに、俺達コミュニケーションで困った事は無いんだ」

 異世界から来たと言うのに、会話が出来る。
 それはずっと疑問に思っていたことだ。
 日本と同じ言葉を使っているのかと思ったが、文字を見ると読むことが出来なかった。まるで違う言葉を使っているはずなのだ。
 なのに、何故。
 とりあえずコミュニケーションは取れるためそこまで問題視はしなかったが、どうしても気になっていた事でもあった。
 太一の疑問に対して、レミーアは「恐らくだが」と前置きして答えた。

「召喚対象に、翻訳の効果をもたらす術式がオプションで組み込まれた召喚魔術だったのだろう。召喚対象とすぐにコミュニケーションが取れるようにな。相手を混乱させないための配慮だとは思うが……」

 召喚された時点で配慮も何も無いな、とレミーアが呟く。太一は大いに同意した。

「ところで、過去この世界に来た迷い人は、元いた世界に戻れたんですか?」

 奏の言葉に、太一もレミーアを見る。ミューラからも視線を向けられ、しかしレミーアは静かに首を横に振った。

「私が見た文献に記された迷い人は、皆この世界で残りの人生を終えたと記されてあった」
「それって何? 帰れない、って事か?」
「私が知る限り存在するのは、次元の向こう側にいる人間をこちらから呼び寄せる魔術だけだ」
「召喚があるのにその逆は無いんですか?」
「確かにな。召喚があるなら送還があってもおかしくは無い。だが、私には心当たりは無い。召喚する必要はあっても、送還する必要は無いのだろう」
「そんな勝手な」
「マジかよ……」

 嘆きも最もだ。
 こちらの都合を一切無視して呼び出して、帰る時のことは知りません、では無責任にも程がある。
 二人が言葉を失い、室内に沈黙が腰を下ろす。
 今までの覇気が無くなってしまった太一と奏にフォローが必要だと感じたレミーアが続きを紡いだ。

「これは慰めだから聞かなくても良いが、お前達は運が良い方だぞ」

 太一が顔を上げ、奏がぴくりと動いた。

「この世界に、どれだけ迷い人がやって来ているのか、正確な記録は残っておらん。文献で、そういった事例がありうる、という事しか私達には知る手立てが無い。何故なら、召喚魔術は最高深度の秘匿技術故に、実施したとしても記録を残さぬからだ。また次元の穴からこちらの世界に落ちてきた人間が、この世界で生活できるようになる確率が限りなく低いからだな。数十年から数百年に一度、というのも推測でしかない。文献にも、それを証明できるものは何一つ無かったしな」SEX DROPS
「そうなんですか?」

 ミューラが続きを促す。彼女もこの件については詳しくない。二人が心配だという気持ちと共に、自分の知識欲もあった。

「うむ。タイチとカナデの事例が、召喚魔術が安全ではないと証明しているし、次元の穴からやってきた者が、安全な場所に辿り着ける可能性は限りなくゼロに近い。タイチ。冒険者三人組が助けてくれなかったらどうなっていた?」
「いや……うん。死んでた、間違いなく」
「そういう事だ。現れた場所が草原や荒野のど真ん中なら、魔物に襲われてアウト。襲われなくても、彷徨っているうちに飢えと水分不足を解消できずにアウト。出会った人間が野党のようなならず者でも碌な目には遭わぬ。この世界で迷い人が生き残るには、奇跡と言っても良い偶然が揃わねばならん。そういう知識と技術、戦闘能力を持っていなければ生きられん世界だ、ここは」

 仮に街に辿り着いても、自分の身を立てる手段が限りなく少ない事もラケルタとメヒリャから聞いている。
 この世界は本当に厳しい。
 バラダー達に拾われた。偶然の産物とはいえ、魔力の適正があった。レミーアに保護してもらった。冒険者として生きてゆくため、最高の師二人から魔術を教わっている。
 これだけの都合がいい偶然が重なり、今椅子に座ってクーフェで一息がつけている。
 これを奇跡と呼ばずに何と呼べばいいのか。
 一度、自分たちは運がいいと気付いたはずではなかったか。
 どんな理由と原因があれ、この世界に来た時点でそもそも理不尽だったはずではなかったか。

「そうだなあ……死ぬよりはマシか」
「太一」
「死んでたら、悩む事も落ち込む事も出来ないしな。贅沢してるじゃん、俺ら」
「また分かったような事言って……。うん、でも、そうだね」

 生きていれば、何とかなるかもしれない。
 諦めてしまっては試合は終了してしまう。
 ベストセラーとなったスポーツマンガでも言われていたことではないか。

「立ち直ってくれて何よりだ。元の世界に戻る事について手助けは出来んが、この世界で生きていけるようにはしてやる。この世界の常識も、知っておく必要がありそうだな」

 よろしくお願いします、と奏が頭を下げた。

「心配要らん。これでも八三年生きているからな。大抵の事は教えてやれるだろう」
「え?」
「え?」
「ん?」

 上から太一、奏、レミーアである。
 知っていたらしいミューラは「ああ、言ってなかったか」という顔をしていた。

「いや待った。レミーアさん、どう見ても二十代……」
「そうか、この世界の常識を知らなんだな。私はハーフエルフだからな。エルフのミューラと比べて見た目はまるきり人間だが、寿命は三〇〇年程あるのだよ」

 ミューラは耳が尖っていて類稀な美貌を持っている、という点で、エルフではないかと当たりはつけていた。特に確認はしていないが、ファンタジーな作品に登場するエルフと特徴がまるで一緒だったからだ。
 だがレミーアの場合、凄まじい美貌ではあるが、耳が尖っていなかった。人間の成人女性だとばかり思っていたのだ。
 因みにエルフの寿命は、個体差があるもののかなり長く、五〇〇年から一〇〇〇年程らしい。

「ハーフエルフは、両親のどちらかの特徴が出る。エルフと同じく耳が尖る可能性もあるし、人間と見分けがつかない可能性もある。私は後者だった、という訳だ」
「はあ……」
「寿命が三〇〇年とか、ファンタジーだわ……いや、今更か」

 既に魔術を使っている時点で、自分たちもそれに染まっていると気付いてしまった。

「この世界についても合わせて教えてゆくとしよう。明日からは忙しくなるな」

 魔術の修行にこの世界の常識。
 既に日本での常識に染まってしまっているため、新たな常識を詰め込むのは結構大変だろう。
 だが、生きていく上で必要な知識であるのは間違いないため、やらない訳には行かない。
 勉強そのものを苦にしない奏のケロッとした表情と、うんざりした太一の顔が、内心で何を考えているのかを露にしていた。三体牛鞭

2015年7月6日星期一

宿屋にて

「ご主人様は……その……男色なのでしょうか……」

 主人であるキッドが風呂にのんびりと浸かっているその頃、一つのベッドの上に女性陣が集まり、自らの主人についての話題で盛り上がっていた。

「たしかに、裸を見られてもいやらしい目をされることはありませんでしたね」ペニス増大耐久カプセル

 アイリの問いに答えたのは唯一人男性経験のある子持ちのルナである。

「あれは理性で押さえ込んでいるというよりも、恐らく魔法における思考分割のような見方をしていますわね」

 女性陣の集まるベッドの隣のベッドに寝転んでいたメリルがつまらなそうに答えた。

「どういうことです?」

「すぐれた魔導師は複数の魔法を同時に使うことができますが、同時に2つ以上のイメージを発生させるときによく用いるのが思考分割、いわゆる複数思考ですわ。人によりやり方が異なるのですがよくいわれるのが、その時に発生する事象を一歩引いた視点で大局的に捉えることにより、複数の事柄を全体としてとらえるなんていわれてますわ。要は細かくその事象1つ1つを見るのではなく、一歩引いた視点で薄く広く視野を広げる感じでしょうか。恐らくあの男は1人1人を犯したいきれいな女性の体ではなく、全体としてみて洗うべきそれぞれの肉体というような感じで捉えている感じがしますわ」

 へえーと女性陣の感心した声が聞こえる。

「メリルさんはすごいですね。よくそんなことわかりますね」

「私わたくしを誰だと思っていますの? ミグード最高の天才、ミグード最高の頭脳と呼ばれているのは伊達ではありませんわ!!」

 そう自信満々に誇るメリルだが、実際ミグード族ではミグード最高の天才ではなく天災と呼ばれていることを本人は全く知らないのであった。

「それでしたら、まだご主人様のご寵愛を受ける可能性は残されているということですね」

「アイリさんはキッドさんのことを?」

「はい、愛しております。できることなら子供が欲しいです」

 何のためらいもなくそう語るアイリに、質問したフェリアのほうが赤くなって照れてしまった。

「まだ出会ってからほとんど経っていないのに、なぜそこまで……」

「詳しく説明するのは難しいのですが、森の妖精族の血とでもいいましょうか……理性ではなく感情のことなので説明はやはり難しいです」

 リンの問いかけに対してアイリは首をかしげながら、全く答えになっていない答えを返す。

「まぁたしかにキッドさんは相手が亜人であっても態度が変わらないですし、優しくて強くて不思議な力を持っていますし、これほどいい方は銀狼族にもいないかもしれませんね」

「金虎族にだっていないよそんなの。ドクのおじさんにだって勝てるやつがいるかどうか分からないくらいなのに」

 そう答えるのはマオの姉のリン。捕まるまでは自身の強さにある程度自信を持っていたがドクとキッドの戦闘を見て、すぐに自身が井の中の蛙だということに気がついた。勝てないまでも村で最強である父とだってある程度は戦える自信があったが、キッドとドクの戦闘を見たらそんな自信は木っ端微塵に吹き飛んだ。ほとんど動きを捉えることすらできなかったのである。飄々(ひょうひょう)と語りながら人外の戦いを行う2人を見て、相手が人間であることも忘れて戦いに見入ってしまったのだ。

「私は実際見たことがないのだが、主殿はそんなにお強いのか? 只者でないことはわかるのだが……」

「恐らくこの中で一番一緒にいる私もほとんど戦う姿を見たことがありません。でもサピールさん、私達と一緒に貴族に捕まっていた人の話ですと、私達を捕まえていた貴族の私兵が半日で皆殺しになっていたそうです」

 十六夜の問いかけにそう答えるフェリア。その答えを聞き全員が絶句していた。

「し、私兵というのはどれくらいいたのです?」

「聞いた話では200人以上とのことでした」

 それを聞いてさらに全員の顔が青くなった。

「本当にたった1人で……200人以上を殺したの? 同じ種族の人間を?」

「そう聞いています」

 もはや理解ができなかった。たった1人で200人を殺すこともだが、亜人のために同族に、しかも貴族に敵対して皆殺しなんて正気の沙汰とは思えなかった。

「一体どうやって……主殿は怪我等しておられなかったのか?」超強黒倍王

「傷一つおっていませんでした」

「そんな馬鹿な……一体どれほど強いというのだ……その強さならたしかに鋼殻竜を倒すという自信も頷ける」

「その時返り血なんかは浴びていませんでした?」

 そういって会話に割り込んできたのはメリルだった。

「いえ、特に服が汚れていたことはありませんでした」

「ならば恐らくあの男は魔導師、もしくは大規模戦闘に長けたスキルの持ち主という可能性が高いですわね。いや、もしやあの魔獣が……」

 そういって唇に指を当てながらぶつぶつとつぶやき、周りを全く置いてきぼりでメリルは己の思考の海に浸る。

「シロさんはシグザレストを出てから旅に加わりましたから、やったとするならキッドさん本人だと思います」

 そうフェリアが付け加えるもメリルは全く聞いていないようだった。

「ご主人様は魔法が使えるのですか?」

「魔法かどうかはわかりませんが、一瞬で別の場所に移動したり、鍵を使わないで首輪を外したりしてました」

「転移魔法!?」

 それを聞いて一瞬で思考の海からメリルが戻ってきた。

「こちらの国では転移魔法が実現しているとでもいうのですか!?」

 メリルが興奮したようにフェリアに詰め寄る。ガクンガクンとなすがままに首を揺らされてフェリアはノックアウト気味だ。

「落ち着いてくださいメリルさん!!」

 リンとアムルルの2人に止められてなんとかフェリアはメリルから開放された。はぁはぁと息を荒く興奮冷めやらぬメリルを咳き込みながらフェリアは見つめた。

「魔法については私では良くわかりません」

 そう答えるフェリアを一瞥した後、メリルは周りの女性陣1人1人を見つめる。見られた女性陣はすぐさま首を横に振る。そんなものは知らないと。

「これはあの男を問い詰めるしかないようですわね」

 そういって不敵に笑うメリルは自身の首に隷属の首輪がはまっていることを全く忘れているのだった。

「あーいい風呂だった」

 本当に久しぶりに風呂に入ったせいでとても幸せな気分だ。ちなみに使用済みタオルはすべてお湯で洗って脱衣所の布が掛かっていたところに干してある。明日の朝には乾いてなくてもそのまますべて鞄に放り込むつもりだ。ちなみにあれからドクはすぐ上がったため、一人になった時にカードを引いておいた。

 風呂から上がるとリビングには誰もいなかった。寝室に向かうと女性陣が一つのベッドに集まってなにやら話をしているようだ。子供達は違うベッドですでに寝てしまっている。ちなみにこの部屋には巨大なベッドが6つ程置いてある。一つでゆうに大人3人は寝られる程大きなベッドだ。一番窓際は俺が寝るということで他の子はそれ以外で寝るようにいってある。しかし、窓際のベッドを見るとすでにコウがそこで寝ているようだった。万が一外からの敵襲を考えてのことなので、後で隣で寝ているマオちゃん達のところへ移動させよう。まぁ警戒するのは俺じゃなくてシロ頼みなんだけどね! あっドクは寝室ではなくリビングにあるソファーで寝てもらうことになっている。敵が来る場合にどっちからかわからないからね。「なんで俺だけ」なんて愚痴を零していたがタダでこんな高級宿に泊まれるんだから文句いうなといって黙らせておいた。

 寝室に入った瞬間からなにやら女性陣、特にメリルの視線が痛い。それはもう視線で人が殺せるのではというくらいに俺を睨んでいる。

「貴方にちょっとお聞きしたいことがありますの」

 そういって笑いながらメリルが語りかけてくるが目が全く笑っていない。

「貴方転移魔法が使えるって本当ですの?」

「なにそれ? 俺魔法そのものが使えないんだけど」

「え?」と女性陣が全員こちらを驚いた顔で見た。

「貴方確か先ほど魔力を圧縮した石を作れると仰られてませんでした?」麻黄

「ああ、アレは魔力をただ圧縮するだけだからな。魔法とは全然関係ない」

「それでは200人からなる貴族の私兵を倒したというのは?」

「何のことだ? そんなことしたこと覚えないぞ?」

 なぜそんなことを知っているのか。この中で知ってる可能性があるのはフェリアくらいだ。しかしフェリアには言っていないはず……。だれかから情報が漏れた? サピール辺りは情報の大切さを知ってるはずだからいうとは思えないし……俺がやったということはいっていないはずだがサピールとの会話を聞いてそう判断したということか? 

「なるほど。正直に言うつもりはないということですわね」

 そういってじっと睨んでくる。しばしの時間の後「まぁ今はいいでしょう」と言い残し、メリルは隣のベッドにいってすぐに寝てしまった。今は杖もないし首輪もあるから、力ずくで聞き出すことができないと判断したのだろう。魔法を使えないってのは本当のことなんだけどなぁ。

「さっ明日は朝早いんだ、みんな適当に分かれて寝てくれ」

「あ、主殿」

 みんなに寝るように促すと十六夜がおずおずと問いかけてきた。

「ん? どうした?」

「そ、その……闇の妖精族は日が落ちてから皆起きだすのだ。そして朝日が昇る頃に眠りに着く。早い者でも起きるのはお昼過ぎなので、その……明日の朝、皆の移動中起きていられるかどうか……男なら日中でも普通に活動できるのだが、女の場合午前中はほとんど眠ってしまうのだ……」

「あれ? 迷宮で情報収集してたとかいってなかったか?」

「夜の酒場で聞き込みを行っていたのだ。日中は宿で寝ていた。まぁそこを襲われたのだが……」

「そうか、それなら起きられる限界までがんばってもらって、だめなようなら俺が運ぶよ。馬車についたら荷台で寝てるといい。森に着く頃にはお昼にはなってるだろうから」

「あ、主殿にそのようなマネをさせるわけには!!」

「俺がいいっていってんだからいいの。女の子の1人や2人運ぶくらいどうってことないよ」

「お、女の子……」

 そういうと十六夜は頬を赤らめて俯うつむいた。あまり言われなれていないのか、それとも女の子扱いされていなかったのか……。それをみてなぜかアイリの目が冷たくなったのはきっと気のせいだと思う。

 そのまま俺はシロを枕に窓際のベッドで一人眠る。翌朝、息が苦しくなって目が覚めると、胸の上にはマオちゃんが、右足にはコウが、左腕にはアイリがくっ付いてた。どうりで暑苦しかったわけだ。俺は3人を起こさないようにベッドに寝かすと風呂場に向かう。

「おはようございます主殿」

 ベッドから降りると眠そうな顔で十六夜が挨拶してくる。腕時計を見ると現在朝の5時。闇の妖精族にとっては今からやっと寝る時間なのだろう。

「おはよう。もうちょっとがんばって起きててくれ」

「がんばります」

 そう答えた十六夜だが、すでに瞼まぶたが落ちそうになっていた。寝室を出るとドクがソファーで寝ていた。扉が開いた瞬間に反応して目を開ける辺りさすが元騎士だ。

「おっす旦那、はやいな」

「ああ、まだ寝てていいぞ。朝食にはまだ時間がある」

 朝食は6時に持ってきてくれと頼んである。俺は風呂場に入りお湯を暖め直す。地球にいた頃は朝風呂が日課だったのだ。せっかく風呂に入れるのだから沢山入ったほうがいいだろうと思い、昨夜お湯を抜かないでおいたのだ。老虎油

 脱衣所に入ると俺はカードを引く。するとSRが出て思わず声を上げそうになった。2枚目のSR。しかしこれは……。シロみたいなものなのか? シロのぶっとんだ能力でRなのにこれがSRになんてなったら……結果が全く予測できないからみんなを送り返した後にでも使うとしよう。
 ちなみに風呂に入るときは手袋は脱衣所においてあるため、完全に無防備だ。ここで襲われたらかなりやばい。まぁ一応保険はかけてあるのだが……。

 お湯を確認すると沸かし直さなくてもそれなりに暖かかったので沸かしながらそのまま入ることにした。やはりお湯に浸かると落ち着く。これは日本人の性なのだろう。

 まったりと湯に浸かり、満足して風呂からあがるとちょうど朝食が届いた。俺は子供達を起こしそのまま朝食を取る。寝ぼけ眼の子供達だが、朝食の匂いを嗅ぐと、とたんに目を覚ましたようだ。朝からすごい食欲でガツガツとパンを食べる姿は見ているだけで胸焼けがしそうだった。

 朝食後、そのまま宿を後にし、馬屋に向かう。十六夜はふらふらと足取りもおぼつかないが、まだなんとか起きているようだ。闇の妖精族はとても朝に弱いらしい。そもそも夜に闇の精霊の加護により細胞が活性化して元気になるため、夜寝ることができないのだとか。そして日中はその逆で、闇の精霊の恩恵が全くないため脳細胞が休眠しようとして眠くなるのだろう。別に加護がないくらいで眠くはならないと思うのだが、俺は闇の妖精族じゃないので詳しくは分からない。その種族でもないのに分かったようなことをいうのはおかしいので何も言わないでおく。

 ふらつく十六夜を気にしながら俺達は馬屋についた。そして奴隷商人が使っていた馬車のほうを引き取る。その際、ルナ親子3人の首輪を外しておいた。金貨2枚を渡して泊まれるだけ宿に泊まるように指示をする。これだけあれば俺が帰ってくるまでは持つだろう。ドクに聞いたところこの辺りの普通の宿なら1泊で銀貨1枚もしないそうだから。1人銀貨1枚として3人なら2ヶ月は泊まれる計算になる。食事代なんかも入れてもそれくらいは持つだろう。さすがに1ヶ月も掛からないと思うが万が一を考えて余計に渡しておいた。まぁ帰ってきたら逃げていたなんて可能性もありえるがその時はその時だ。寧ろ貴族に見つかって誘拐されないかのほうが心配だ。念のため昨日買っておいた顔が隠れるローブを渡しておいた。これを着ていれば何かあったときにも外に出ることができるだろう。

 渡した金貨だがもちろん本物だ。金貨だと使い勝手が悪いだろうが、この世界にも両替商と銀行がそれぞれ存在するのでそこで両替してもらえばいいだろうと金貨を渡しておいた。

 

 銀行は銀行と翻訳されているが実際の名前は違うかもしれない。銀行には銀行用のギルドカードのようなカードがあり、それに対して預金額の情報が書き込まれる仕組みとなっている。ネットワークで全世界にその情報が共通化されている訳ではない。つまりそのカードさえ偽造できればなんでもありなのだ。しかし銀行はどこも国が直接運営しているため、カード情報については国家機密だ。さすがに重要度が桁違いなので解析したり偽造したりするのは難しそうだ。それにそうしたことが見つかった時点で即極刑であるためリスクがかなり大きいし、あまりに不審な金額操作をした場合すぐにばれてしまうので使いどころが難しいだろう。

 そして銀行では本人しかカードを使うことができないため、他人のを盗んでも意味が無い。銀行は国ごとに管轄が変わってしまうため、他国にいった場合はそこでも新しいカードを作る必要がある。それに他国の銀行に入れたお金を下ろすことはできないので、使うためには新たにその国で預金する必要があるのだ。国を股に駆ける商人はいくつもの銀行カードを持ち歩くのが普通だと以前ランドさんに聞いたことがある。ランドさん自身も若い頃は色々な国を回っていたそうで色々な国のカードを見せてもらった。その時のランドさんの懐かしそうな表情は今でも覚えている。正確な顔のつくりは思い出せないけど。


 ちなみに俺は銀行カードはまだ持っていない。ルナも持っていないそうなので作ってもいいのだが、どうせすぐに出国するなら作ってもあんまり意味が無いかと思い、手続きが面倒なようなら作らなくてもいい、その判断は任せるといっておいた。こんな大金を持ち歩くのは不安だといっていたので恐らく作ることだろう。ただ、銀行や両替商を使うなら回りに気をつけろといっておいた。そこを見張るだけで間違いなく金を持ったやつが出てくるから狙われやすいだろうと。威哥十鞭王

 しかし、その辺りも国は考えているらしく、ドクに聞いたところ出入り口に近いポイントや見張れるような場所は常に騎士が立って見張っているとのことだ。そして何より銀行は必ず騎士団の詰め所のようなところがセットになっているのだとか。地球でいうなら銀行の1階、もしくは同じ建物内で隣接しているのが警察というわけだ。それならよほどのことでもないかぎり無茶なことをしようとするやつはいないだろう。その警察が犯罪者とグルでないかぎりは。

 建物の出入り口も多いらしく、出入り口を変えれば大きな建物なので個人に付け狙われる危険も少ないだろう。ただし、それでも狙うやつは狙ってくるし、出口だけを見張って狙うやつがいるかもしれない。それに命の掛かっている孤児なんかはなりふり構わず金を盗みにくる可能性がある。危険なことには違いないので警戒は必要だ。念のため俺はドクにルナ親子を宿に連れて行くように指示をする。その際、必要なら銀行へもついていくようにと。

 ドクを待っている間に一度皆馬車に乗ってもらう。かなり大き目の馬車だが、さすがに10人以上乗るとかなりキツキツだ。まぁ大半は子供なので何とか入るが。

「私わたくしにこのような狭い所に入れというのですの?」

 と、メリルが文句をいってくる。仕方ないので俺はメリルを持ち上げた。非常に軽い。これなら上に放り投げたら月まで飛んでいくんじゃないか? 屋根の上にでも放り投げてやろうと思っていたがそれをやめ、俺はメリルを回転させて勢いを付けて遥か上空へ投げ飛ばした。名づけてムーンサルトジェットコースター!! いや垂直落下だからフリーフォールかな?

「ちょっと月まで行って来い!!」

「い、一体なにきゃあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――――――――――――――」

 悲鳴を上げながらメリルは星になった。全力では投げていないのですぐに落ちてくるだろう。全員が見上げるなか十秒程した後にやっと落ちてきた。

「――――――――――――――――――――ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああ」

 しっかりとキャッチした後、勢いを殺すようにその場で数回転した。メリルを見るとピクピクと震えているが反応がない。どうやら気絶しているようだ。静かになったので馬車へと放り込んでおいた。ちなみに十六夜はすでに馬車に入り込んで眠っている。

 メリルを投げるのを見たマオちゃんが自分もやってやってと強請ねだってくるので、手加減しながらメリルとは違いやさしく投げてあげた。「とんでるにゃー!!」と大変ご満悦のようで、「もう一回!! もう一回!!」と何度も強請ってきて大変だった。それを見たファリムやコウも強請ってくるので結局、ドクが戻ってくるまで延々と子供達を上に投げ続けることになった。

「待たせたな、さぁ行こうか」

「襲われなかったか?」

「あぁ、問題ない。ちゃんと無事に送り届けてきたぜ。怪しいやつもいなかった。それとこれが頼まれてたやつだ。これでよかったか?」

 そういってドクが渡してきたのは背負子しょいこだ。薪なんかを担ぐ木でつくったリュックのようなやつだ。今はもうあまり見かけないが俺が小学生の頃には学校に二宮金次郎の銅像が置いてあった。あれの担いでいるやつといえばわかるだろうか。まぁ実際は二宮金次郎は薪を担いで勉強していたわけじゃないらしいけど。

「ああ、いい感じだ。じゃあ行くか。ドク御者してくれ」

「全く、旦那は人使いが荒いな」

 そういいながらドクは御者台に上り、俺達は森へと出発した。田七人参

2015年7月2日星期四

おさわり禁止

「それはあれですか、護衛にくっついてきていた兵士か従者が噂の出所ですか? もしくは屋敷の使用人とか」

「いえ、出所は穀倉地帯で作業をしていた使用人たちのようです。先日1ヶ月遅れで収穫を始めたのですが、生き残った作物の成長具合が著しく、昨年の収穫高とほぼ同量を収穫することができました。その際に噂が広がり始めたようでして」情愛芳香劑

「昨年と同量ですか。それなら噂が立っても仕方がないか……」

 撒いた肥料は通常の50分の1にまで薄めたのだが、それでもかなりの効果があったようだ。

 北側と西側の川や溜め池から離れた場所の作物の大半は枯れてしまっていたので復活しなかったが、南側と東側の作物は健在である。
 作物自体に大きな被害は出てしまったが、肥料を撒いた範囲の生き残った作物からの収穫量がかなり多かったようだ。
 しかもそれが、畑全体からの収穫量は例年と同程度とあれば大変な事態だ。
 使用人たちには肥料を撒く理由を簡単に説明してあったが、このような結果が出るとは夢にも思わなかっただろう。
 魔法か奇跡のような出来事に感じて当然だ。

「それが、きっかけはそれではないようです。以前カズラ殿が穀倉地帯で作業の説明を行った際、使用人の中にこの国の言葉がまだほとんど話せない者が1人いたようで、そこから噂が立ったようなのです。そこに先日の収穫量を受けて、噂が再燃したのでしょう」

「……ん? どういうことです?」

 説明の意味が分からず、一良が問い返す。

「言葉の分からない者もカズラ殿の説明を聞いて理解したため、まさか、となったようです。私も使用人の出身地を調べておくことを失念しておりまして……」

「……んん?」

「どうかなさいましたか?」

 話の意味がすぐには分からず、一良は首を傾げた。
 その様子を見て、ナルソンも首を傾げている。
 話が噛み合っていないというか、お互いの思考の整合性が取れていないようだ。
 一良は少しの間考え込み、改めてナルソンに目を向けた。

「ええと、私の話を聞いて、この国の言葉が分からない人たちも話を理解したから、なんじゃこりゃってなったってわけですか?」

「そのとおりです。先ほどの説明は分かりにくかったですかな。申し訳ありませんでした」

「(……マジですか)」

 どうやら一良の話す言葉は、この国の言語を理解していなくとも、誰もが内容を理解できるらしい。
 考えてみれば、以前一良はナルソンとジルコニアから複数の言語で話しかけられた際、そのすべてを理解できていた。
 その時に、今回明らかになったような事象もありえると予想しておくべきだっただろう。

「ただ、今のところその噂を……カズラ殿がグレイシオール様だと思っている者は少数に限られるようです。少なくとも職人たちは、作物の成長や道具の開発は同盟国の技術協力の結果と捉えています。それ以外の者たちの心境までは分かりませんが」

「でも、その使用人たち経由で私がグレイシオールだという噂が広まりそうですね……たとえ私のことがばれなかったとしても、肥料を運び出したグリセア村にグレイシオールがいるといった認識が広まってもおかしくないような」

「そうでしょうか? グリセア村は元々グレイシオール様が現れたという伝説が残っている土地なので、周囲の森には加護の力が強く備わった土があるという噂をこちらから流せば問題ないはずです。我々が噂を流すまでもなく、すでに噂として広まっているかもしれませんが」

「そ、そんなに上手くいくものですかね?」

 半信半疑な一良に、ナルソンは当然のように頷いた。

「運んできた土を撒いて収穫量が増え、それの出所がグリセア村だという噂が流れれば、そう考えるのが普通かと。もし本当にグレイシオール様が現れているのならば、そんなことをせずとも国中の作物が勝手に復活して大豊作になると普通は考えるでしょう」

「な、なるほど……」

「それに、カズラ殿はこう……ええと、何とも親しみやすいというか、実に人間味があるというか……」三體牛鞭

「グレイシオールに見えない?」

 言い難そうにしているナルソンに代わって一良が言うと、その場にいる全員が頷いた。
 一良も内心、『俺もそう思う』と同意しておく。
 寝不足でクマを作りながら青白い顔で働いている人を指して、『あれが神様だ』と言われても、信じる人間などいないだろう。

「あ、その……ご気分を害されましたら大変申し訳なく……」

「いや、いいんですよ。お気になさらず。実際こんなんですし」

 特に気にした様子もない一良に、ナルソンはほっとした。
 ナルソンは極力一良の機嫌を損ねないようにと気を使っており、あまり踏み入ったことや気に障りそうなことは言わないように心がけている。
 一良が本物のグレイシオールであるかといったことはどうでもよく、現在行われている支援を継続してもらうことが重要である。
 神様だろうが悪魔だろうが、領地運営の役に立ってくれるのならば何でもよいのだ。
 一良とはだいぶ親しくなってきたと感じてはいるが、油断は禁物である。

「とはいえ、グリセア村周辺の森に加護があるという噂が広がると、土や食料を狙ってやってくる者が現れるかもしれません。村ではすでに要塞化が進んでいると窺っていますが、万が一外部から接触者が現れた場合に備えて、村の近くに防衛部隊を駐屯させていただければと思うのですが」

「確かに、そうしたほうが安全ですかね……」

 村には迷惑をかけないと決めていたにも関わらず、完全に迷惑をかける方向に進んでしまっている。
 穀倉地帯が全滅寸前で一刻の猶予もなかったとはいえ、肥料の大量輸送はやりすぎだったかもしれない。
 だが、あの時はあれ以外に方法が思いつかなかったうえに、そこまでしても作物の半数は枯れてしまったのだ。
 肥料袋をイステリアで作らせたり、人目に付かないように夜中にイステリアに搬入したりと手を尽くした結果なので、仕方がないといえば仕方がないだろう。

 後で村の皆に侘びを入れなければ、と一良はため息をついた。

「では、そのようにいたしましょう。アイザック」

「はっ」

 ナルソンの呼びかけに応じ、アイザックが姿勢を正す。

「信頼できる者を何名か選出しろ。その者たちに駐屯軍の指揮を任せる」

「私の一存で構わないのですか?」

「うむ、一応私も確認はするがな。カズラ殿、よろしいですかな?」

「いいですよ。アイザックさんが選んだ人なら安心です。戦闘技術よりも、人柄優先でお願いしますね」

「はっ! お任せください!」

 アイザックは勇んで返事をすると、一礼して部屋を出て行った。   

「兵は第1軍団の近衛の予備役よびえきを使い、期間を区切って50名ずつ交代で配備しようかと思います。年配者ばかりで体力には劣りますが、老練で経験豊富な精兵です。今回の任には最適かと」

「そのあたりはお任せします。村の内情には干渉しないようにとだけ言っておいてください」

「かしこまりました」

 グリセア村はイステリアからさほど遠くないからか、大人数を駐屯させるわけではないようだ。中華牛鞭
 軍の目があるということでの治安維持もあるが、外部接触者に対する門番的な役割が大きいのだろう。

「噂関係についてはこんなところですかな。他にもご報告することがありまして」

「分かりました。そちらが済んだら工事計画の話を詰めましょうか」

「そうですな。では、ご報告内容なのですが、穀倉地帯の開墾状況と新たな候補地の選定、街なかの井戸掘りの進捗、氷池建設の進捗、氷室建設予定地の候補などがありまして……」

「む、結構ありますね。私のほうも、馬車の改良案と豆油まめあぶらの搾り出しについて提案が……」

 その後、昼食の時間まで各自の報告に時間を費やしたのだった。



 話し合いが一段落ついたのは、夜の10時を回った頃だった。
 先ほど解散し、それぞれ休憩したり別の仕事を片付けたりしている。

 一良がコーヒーを飲みながら工事計画書をぱらぱらと見直していると、部屋の扉がノックされた。

「リーゼです」

「どうぞ」

 声をかけると、そっと扉が開いてリーゼが入ってきた。
 普段ならリーゼはとっくに寝ている時間なのだが、服装はドレス姿のままだ。

「あれ、まだ風呂に入ってないのか。今日は仕事はもういいから……どうかした?」

 何やらリーゼの表情が暗いことに気づき、一良が声をかける。

「うん……相談したいことがあって」

「ん、そうか。とりあえず座りなよ」

 リーゼをテーブルの席にうながし、冷蔵庫から作りおきしておいたハーブティーを取り出す。
 銀のコップに注いでリーゼに渡すと、一良も椅子に座った。

「で、相談って?」

「その……グレゴルン領の塩のことなんだけど……」

 リーゼはそこまで言うと一旦口を閉ざし、視線をテーブルに落とした。
 これから話すことについて、口にするのをためらっているように見える。
 その様子に、代わりに一良が口を開いた。

「塩のことならたぶん大丈夫じゃないかな? 一時的に価格は高騰するかもしれないけど、フライス領に手を貸せば何とかなるよ。グレゴルン領の塩と同じくらい高品質なものが作れるかは分からないけどさ」

「ううん、そうじゃないの」

 塩の融通について心配しているのだろうと話す一良に、リーゼが首を振る。

「取引規模縮小の話なんだけど……たぶん、私のせいなの」蔵秘雄精

「え、どういうこと?」

 驚いている様子の一良に、リーゼは不安げな眼差しを向ける。

「いつも私に面会しに来てるニーベル・フェルディナントっていう豪商がいるんだけど、グレゴルン領のすべての塩取引を牛耳ってる人なの。4年前に私が面会するようになってから、イステール領に対しては2割引で塩を売ってくれてたんだけど、最近態度が露骨になってきて……」

「態度?」

 一良が問うと、リーゼは若干涙目になった。

「やたらと身体に触ってきたり、外に連れ出そうとしたりしてきて……今までは何とか受け流してたんだけど、ここにきて急に取引縮小の話が出たから、きっと私のせいだと思って……それに、値引きも中止になって通常価格に戻されるみたいで」

「うげ、そりゃたちが悪いな。ていうか、今までよく我慢してたな……」

 生々しいセクハラ被害の告白を受け、一良は顔をしかめた。
 どうやら、ニーベルという豪商は塩取引を盾にして、リーゼを手篭めにしようとしているらしい。
 ナルソンたちに相談しなかったのかとも考えたが、領内の財政状況を知っているリーゼは言い出すことができなかったのだろう。
 午前中にナルソンが、『イステール領はグレゴルン領とクレイラッツの間に入って卸をしている』と言っていたので、塩取引は貴重な収入源だったはずだ。

「2日前にあの人と面会した時に、『本当はこんなことはしたくないが、リーゼ様がご協力してくださるのなら、私も身を切る覚悟で取り組ませていただきます』とか言ってきたの。これってどう考えても身体を差し出せってことでしょう? その時は返答を濁したけど、もうどうしたらいいか分からなくて」

「いや、そんな脅しに応じなくていいから。資金はとりあえずガラスで一時的に凌げるし、作物の収穫量や鉱石の採掘量も今後は増える。そんな腐れ外道とはもう会わなくてよろしい」

「えっ、で、でも、さすがにそれは……」

「大丈夫だって。そいつだってあんまり極端なことをすると、イステール領どころか自分のとこの領主にだって目をつけられたり糾弾されることになるだろ。塩の取引量をもっとしぼったり、多少値段が吊り上げられたりするかもしれないけど、それまでにフライス領のほうで何とかしてしまおう」

 一良が言い切ると、リーゼはほっとした様子を見せた。
 この2日間、ずっと不安で仕方がなかったのだろう。

「しかし、そうなるとグレゴルン領の海岸線での天候不順っていうのもでたらめなんだろうか? 全部そいつの出任せだったり」

「もしそうだとしたら最悪だけど、さすがにそんなすぐにばれる嘘はつかないんじゃないかな。天候不順に乗じて話を盛ってる可能性はあるとは思うけど」

「まあ、そうだよな。別の商人とかに聞き込みしたり、グレゴルン領の領主……ダイアスだっけ? そいつに相談すればすぐにばれるもんな」夜狼神

 ニーベルはかなりの権力者のようだが、領主に対してバレバレの嘘をつくほど馬鹿ではないだろう。
 一応内偵は入れたほうがよさそうだが、話が話だけに扱いが難しい。
 リーゼはナルソンたちには知られたくないから、こうして一良にこっそり相談してきたのだろう。
 あまりおおっぴらにはしたくはないはずだ。

「よく話してくれたな。塩取引については俺が何とかするから、安心してくれ。その商人みたいなことをしてくる奴は他にもいるのか?」

「他は大丈夫。あからさまに酷いのはその人だけだから」

「そっか。重ねて言うけど、もうそいつとの面会はしなくていいぞ。リーゼから断り難いようなら、俺がジルコニアさんに話しておくから」

 一良が言うと、リーゼは慌てて胸の前で手を振った。

「あ、そこまでしてくれなくていいよ! 次からは人のいるところで会うようにするから」

「会いたくないのに会う必要もないだろ。そんなやつ相手に無理する必要もないし」

「ううん、あんまり急に面会拒否すると相手の顔を潰すことになるから。向こうの顔も立てながら上手くやるよ。護衛も付けるから大丈夫」

「でもさ……」

「大丈夫だから」

 リーゼは微笑むと、コップを口につけ傾けた。
 ごくごくと喉を鳴らして飲み干し、立ち上がる。
 ぐっと背伸びをし、深く息をついた。

「あー、ほっとした。急に変な相談してごめんね」

「いや、変な相談なんかじゃないよ。これからも何かあったら何でも相談してくれ」

「うん」

 部屋の扉へと向かうリーゼに続き、一良も席を立つ。
 扉の前に来た時、くるりとリーゼが振り返って一良に抱きついた。

「ど、どうした!?」

「……ありがとう」

 突然のことに一良が慌てふためいていると、リーゼは一良の胸に顔をつけたままぽつりと言った。
 そしてすぐに離れ、ドアノブに手をかける。

「おやすみなさい」

 リーゼは振り返らずにそう言うと、そのまま出て行ってしまった。
 一良はしばし扉を見つめていたが、一度息をつくと先ほどの作業に戻るのだった。樂翻天