2014年8月29日星期五

転生したら

ユウキとの戦いから一年経った。
 あれから色々あった。
 いや本当に。
 思い出すのも大変な程だったのだ。

 ヴェルダを倒した事を、全世界に向けて放送した。三便宝
 監視魔法を応用した光学魔法により、俺の姿を各国の上空に投影したのだ。
 そして、全世界的な危機が去った事を、俺の名において宣言したのである。
 世界は歓喜に包まれ、ゆっくりと未曾有の混乱は終息していった。
 それを助けたのは言うまでもないが、魔物の国テンペストの住民達である。
 ともかく、ようやく世界は以前の落ち着きを取り戻したのだった。


 ユウキを倒して一段落してから、ヴェルドラを解放した。
 そしたらヴェルドラのヤツ、

「クアーーー、よく寝た。ようやく我の出番のようだな!」

 などと言い放ちやがった。
 いくら『虚数空間』の中で外界と隔絶させていたとはいえ、余りにも空気を読めていない発言であったと言えよう。
 その代償は高くついた。
 姉二人に捕まり、きっちりとお仕置きされていたのは仕方無い話である。
 とはいえ、姉二人――ヴェルザードとヴェルグリンドの興味は、ミリムの肩に乗っている新たなる"竜種"であるヴェルガイアへとすぐに移った。
 それで助かったと言えるのだが、それが原因で姉達から放置されてしまったのは、ヴェルドラの完全なる自業自得であろう。

「グヌゥ……ガイアのヤツめ……」

 と弟(?)に嫉妬するヴェルドラを慰めるのが俺の役目となり、非常に迷惑したのはここだけの話だ。
 まあ何のかんの言って、ヴェルドラはいつも通りだ。
 これからも迷惑行為を撒き散らし、それを俺が何とかする関係が続いていくのだろう。
 それを思うと愉快な気分になるのだが、ヴェルドラには秘密である。
 だってそうだろ?
 それを言ってしまうと、ヤツが調子に乗るのが明白だからだ。
 今後とも俺達の関係が変わらないのと同様に、それは言うまでもない事なのだ。

 そんなヴェルドラの姉二人だが、片方のヴェルグリンドはさっさと旅立ってしまった。
 ルドラの生まれ変わりを探しに行ったのだろう。

「リムル、心当たりがあるのではないか?」
「えっ!? い、いいや。知らないっすよ?」

 旅立つ前に突然聞かれたが、俺は華麗にスルーしておいた。
 少しどもってしまったのは、ヴェルドラを血祭りに上げる姿が怖かったからではない。
 迫力ある美人の顔が直近に迫り、少し緊張してしまっただけなのだ。
 ……いや本当に。
 実は、疑わしい人物に心当たりはある。
 だがしかし、ここで彼の名を出してしまうと、俺がヴェルグリンドに屈したように思われてしまうだろう。
 それに、彼を売るのは少しだけ可哀相だと思ったというのも理由であった。
 せっかく平和が訪れるのだし、もう少し幸せな時間を味わっても良いと思うのだ。
 ……だが、そんな俺の配慮を他所に、彼はアッサリとヴェルグリンドに見つかってしまったようだ。
 ご愁傷様と思いつつ、彼の行く手に幸多からん事を祈っておいた。

 ――その後、喋る剣を携え竜と悪魔を従えた勇者の物語が幕を開けるのだが、それは俺とは関係のない話なのである。

 ヴェルザードはギィと共に、北の大陸へと戻って行った。
 人の干渉できない極寒の地にて、悪魔達の楽園を築くのだそうだ。
 城は完全に崩壊してしまっていたが、ギィの能力で再現すると言う。
 最終決戦の経験を元に自身の究極能力アルティメットスキル『傲慢之王ルシファー』を進化させて、究極能力アルティメットスキル『深淵之神ノーデンス』を獲得していたようだ。
 この能力はガイアの『万物具現』をも取り込んだようで、まさに万能能力となっていそうである。
 ルドラの暴走エネルギーを処理しようとして、能力進化を試みたのだそうだ。
 俺がタイミング良く登場した事で、せっかくの能力を使用する事なく最後の戦いが終ってしまって不満そうだったけど。
 隠す気もないのか、本人から直接聞いた。

「テメーとは戦うつもりはない。オレは勝てない戦いはしない主義なんだ」

 とは、その時に言われた言葉である。
 それが本心なのかどうかは不明だが、俺からしてもギィと戦いたくはなかったので望む所だった。
 少なくとも、本気になったギィならばユウキとも互角以上に戦えそうな気配を感じた。
 今の俺ならば負ける事はないと思うが、そうした慢心から怪我をするのも御免である。
 戦う理由も意味もないのだし、仲良く出来るのならそれが一番なのだ。
 ギィもある意味では戦闘脳なので、不必要に挑まれなかっただけ良しとしよう。

 そんな事を言いいながらも、この後何度かギィと戦う事になるのだが、それはまた別の機会に語るとしよう。 巨人倍増枸杞カプセル
 天空界は、ミリムの領土と決まった。
 ガイアの『万物具現』により、戦いで壊した居城や天空門の修復を行ったのだ。
 ミリムの統治していた旧魔王領から、続々と住民が移住中である。
 フレイを筆頭とした有翼族ハーピィや、カリオン率いる獣人族ライカンスロープ。
 そして、ディーノに付き従う事になった天魔族エンジェル達。
 天魔族エンジェルとは、受肉した天使が変質して生まれた新たな種族と言えば良いだろうか?
 そもそも、天使が魔に堕ちて派生したのが有翼族ハーピィや長鼻族テングなのだと言われているので、一概には言えないだろう。
 ディーノなんて、天使のまま堕天した堕天族フォールンという種族だし。
 本当の意味での天使族エンジェルには肉体がないので、天空界でしか活動出来ないのだ。なので、ミリムの配下としては、天魔族エンジェル、有翼族ハーピィ、獣人族ライカンスロープの三種族が主力となる。

 文化交流として魔物の国テンペストとの交流を密にする事は確定済みであり、新技術の試行実験は天空界で行う事になっている。
 魔素という、直接エネルギーに変換可能な物質がある以上、科学の発展は元の世界と異なるものとなるのは明らかだ。
 開発研究は今まで通り迷宮内部で行うが、出来たものを取り入れるのは天空界が最初となる。
 そして、そこで得たデータを元に完成したものを、魔物の国テンペストにて運用するという寸法だ。
 当然だが、物理技術に基づくものはドワーフ王国に、魔法技術に基づくものは魔導王朝サリオンへと真っ先に還元する事になっている。
 こうして各国の独自性を保ちつつ、西側諸国には数世代遅れの技術を流出させていく事になるだろう。
 高い技術料が俺の懐に入る事になるのは、言うまでもない話なのだ。

 で、当のミリムはと言うと相変わらずで……フレイの目を盗み、ちょくちょく遊びに来る。
 いやまあ、俺も一緒になって遊んで――いやいや、息抜きしているのだから、文句はないのだけどね。
 ミリムの護衛という名目でディーノもやって来るのだが、コイツの場合はお菓子とサボり目的なのは間違いない。
 何しろ、散々遊び終えたタイミングでフレイが現れて、ミリムとディーノが揃って青い顔になるのもお約束だからだ。
 主従揃って働く気に乏しいようだが、天空界は大丈夫だろうか?
 まあ、苦労性のフレイがいる間は何とかなるだろうけど。

 ミリムで思い出したが、一つ問題がある。
 最近、シュナやシオンとミリムが、俺のいない所で激しく争っているらしいのだ。
 ソウエイがそれとなく報告してくれたのだが、何でも俺の正妻の座を巡る聖戦ジハードなのだとか。
 何だそれ? と呆れるしかない話に、頭が痛くなるのを感じる。
 俺には息子がないし、そもそも寿命がないのだから結婚も不要なのだよ。
 というか、争いの元になる予感しかしない。
 クロエなどは、「先生は(私だけの)先生ですから!」と言って懐いてくれているので、素直に可愛いと思えるのだけどね。

「ずるいのだ! リムルはワタシの親友だから、一番はワタシなのだぞ!」
「それは騙されているのです! それを言うなら、私こそ、リムル様の唯一の秘書ですから!」
「クロエ――思った以上に策士だったようですね……。脳筋のミリム様やシオン以上に、警戒すべき相手でした……」

 クロエと寛いでお茶していると、三人が雪崩れ込んで来た。
 そしていつものように、騒々しい時間が始まる。
 これも段々と日常化してきたので、そろそろ対策を考えた方が良いかもしれない。
 それに、正妻を認めたら、側室とか言い出す気だろうか? 
 いやいや、そんな事を考えるのは止めておこう。
 面倒過ぎる話である。

《ふふふ、我が主マスターの正妻あいぼうは私ですから――》

 何か聞こえた気がしたが、それも深く考えるのは止めておいた方が良さそうだ。
 俺はいつものように、早々に問題を先送りにすると決めたのだった。

 魔物の国テンペストも大きな変化を遂げた。
 ベニマルを筆頭とした幹部達やリグルド以下のホブゴブリン達に労われた後、街の復興に取り掛かった。
 ゲルド配下の工作兵により、瞬く間に街が再建されたのだ。
 周辺都市の再設置は、ラミリスが簡単に済ませている。
 冒険者も協力してくれたし、帝国兵も動員した。
 彼等の給料がどうなっているのか? それは俺が考える事ではない。
 ミョルマイル君が泣きそうな声で「リムル様〜〜〜」と縋ってきたが、「頑張れ! 君なら出来る!!」と暖かく応援しておいたので大丈夫だろう。
 リグルドに肩を叩かれて慰められていたようだが、仲良くやっているようで何よりだ。
 だが、彼の頑張りのお陰で、魔物の国テンペストは他に類を見ない超未来都市として生まれ変わった。
 俺が自重せずにアイデアを出し、それをゲルドが全て実現してくれたからだ。
 研究中の新発明を実用化したものを、惜しげもなく実装したのだ。
 天空界での実験を待たずに採用したものもある。
 温泉街としての観光地的側面を残しつつ、見事なまでに未来化改修が完了した。
 ぶっちゃけ、わざと地上部分を更地にしたのではないかと疑われた程である。
 大規模な魔法陣により実現した、多重防御用結界。
 転移装置により結ばれた、都市内部の流通経路。
 区画毎に転移魔法陣が配置されているので、移動はスムーズとなっている。
 超高層ビル群が機能的に配置され、光が降り注ぐように、都市中枢を取り囲む。
 その周囲に、住民の居住空間が広がり、森と融和しているのだ。
 癒し空間すら備えた、幻想都市の完成である。
 魔法と科学が融和しているので、果てしなく時代を先取りしたような利便性の高さを実現出来たのだった。中絶薬RU486

 当然だが、他国との交流の為にも仕事は山盛りだ。
 転移中継魔法陣トランジットゲートの設置は急務だが、それと併用して鉄道網の整備も行う必要がある。
 そう考えて、各都市との交通網として魔素で動く列車を配備する事にした。
 各種魔法技術の粋を集め、周囲に衝撃や音を漏らす事なく時速三百キロを超える速度で運用可能である。
 軌道レール敷設は帝国兵によるものだ。
 西側諸国、ドワーフ王国、魔導王朝サリオン、そして旧魔王領。
 魔物の国テンペスト周辺との交通網も急ピッチで進められているのだ。
 ドワーフ王国と帝国の間は、ドワーフによる施工にて軌道レールが設置される事になっている。
 ちなみに、ミリム一派が去った後の旧魔王領だが、ここは未だ手付かずである。
 豊かな大地であり、資源は豊富。
 今後の運用については、各国の王達とも相談の上、決定しようと思う。

 これらの開発は、国家事業として十数年かけて達成する事になるだろう。
 反対する者はいなかった。
 俺の名で施工を申し入れるだけで、どこの国も喜んで協力を申し出てくれたのだ。
 流石、世界を救った大魔王の名は伊達ではないという事だろう。
 新たな技術の登場により、失業者が大量に出る事も想定される。そうした者達に仕事を与える事にもなるので、何も悪い事ばかりではないというのも理由だろうけど。
 寧ろ、先を見る目があるならば、こうした交通網の整備は良い点しかないと気付いたのかも知れない。
 これからの時代、情報を制する者が全てを掴むようになる。
 俺は自重しないと決めたし、邪魔する者もいなくなった。
 ならば、魔物の国テンペストから齎される新技術を如何に早く取り入れるか、それこそが他国に先んじる一手となるだろうから。
 直接的な戦争という手段が馬鹿馬鹿しいと思える程に、経済戦争は苛烈なのだ。
 それを支えるのは情報であり、国民の努力である。
 各人が努力しないならば、その国の生活レベルは低いままとなり、格差は凄まじく開く事になるだろう――というのが、シエルさんの立てた未来予想図なのだから。
 というか、経済力と技術力で、世界を実効支配しようとしているとも取れるんだよね……。
 いやいや、俺の考え過ぎだろう。
 自重しないとは言ったけど、世界征服したいなんて一言も言ってはいないしね。
 これから先も皆で頑張って、より良い世界にしていければそれでいいのだ。

 ジュラの大森林に、新たに二つの都市を創設する事にした。
 只今絶賛建設中である。
 ハイオークの住む鉱山都市と、リザードマンの住む水中都市だ。
 鉱山都市からは良質の鉱石が産出される。
 そうして産出したものを、中央都市である魔物の国テンペストへと運ばせるのだ。
 水中都市はシス湖の中に浮かぶ都で、飛空船の整備工廠を兼ねる予定だ。
 魔物の国テンペストにも工房はあるのだが、大量に停める場所がないのだ。
 その点、広大なシス湖ならば、幾らでも船を浮かべる事が出来るだろう。
 魔物の国テンペストはリグルドが宰相として統治してくれる。
 鉱山都市はゲルドが、水中都市はガビルが、それぞれ部族を纏める王となり統治する事になるだろう。
 ガビルでは少し心配だが、アビルとも仲直りした上に成長もしている。
 昔のガビルではないし、問題はないだろう。
 こうして、俺が口を出さずとも動くシステムが順調に構築されていく。

 世界各地にて発見される"異世界人"も、今では無事に保護されるようになっていた。
 この世界で生きる事を選択した者は、イングラシア王国にある"学園"に送り、この世界の常識と戦闘技術、その他事項を教育する事になる。
 卒業後は本人の自由であり、望むならば各国の重要機関に勤めるという選択肢も用意されていた。
 帰還を望む者は、マイが率先して研究している異世界交流調査部門に所属する事になる。
 実は、俺ならば元の世界に戻してやる事も可能なのだ。
 だが、慈善事業のように皆を各々の故郷に戻すのは、何だか違うような気がした。
 それに、世界は幾つも存在する事が確認出来た以上、"異世界人"と一括りにも出来ない。
 俺の故郷とは別の異世界からやって来ている場合もあるだろうからだ。
 情報は提供する。だから、自分達で頑張って次元を超える転移方法――次元間航法を発見して貰いたいと思うのだ。
 その為には、帰りたいという強い意思が、何よりも大きな原動力になるだろうから。
 数年頑張っても駄目そうなら、こっそりと送ってやろうかなとは思っているんだけど……彼等なら成し遂げてくれるという予感があるので、その必要はないかも知れない。

 彼等の努力は実を結び、次元間航法は開発される。
 そして――
 次元を超えた交流により、新たなる物語が始まるのだ。

 ラミリスはご立腹だった。

「せっかくアタシが華麗なる活躍をする予定だったのに! また何千年も子供のままじゃん!」

 と、俺に文句を言ってきたのだ。MaxMan
 そんな事を言われても知らん、というのが正直な感想である。
 トレイニーさん達まで、ラミリスの晴れ姿を見れなかったと残念そうにしている。
 だけどね、数千年の内に数年ちょっと? そんな短い期間しか成人の姿になれないのが変なのだ。
 今回は無理やりに覚醒したとの事で、また最初からやり直しになるのだとか。

「まあいいじゃないか。子供は自由に遊べるんだし、ミリムみたいに嫌な仕事を割り振られる事もないだろ?」
「そりゃあ、まあね。好きな研究が仕事になるし、ここは最高だけどさ……」
「だろ? そもそも、大人になったからって、何かしたい事がある訳でもないんだろ?」
「うーん、そう言われてみれば……」

 とまあ、そんなやり取りがあったのだが、それ以降はご機嫌になり普段通りに戻っている。
 大人になった姿を俺に見せたかっただけのようだし、ラミリスの怒りなんてそんなもんである。
 そして迷宮はというと、難易度が高くなり過ぎていた。
 どう考えても人間に攻略など不可能。
 機動兵器や、魔導兵器といった、最新鋭の戦闘兵器を用意しても厳しいだろう。
 下層階は、新型兵器の実験場といった趣すら醸し始めている程なのだ。
 なので、五十階層を突破したらエルフの都市へのパスポートを発行する事にした。
 そうでもなければ、せっかくの上流の癒し空間が全くの無駄になってしまうから。
 俺達や、各国の王族専用のVIP施設としては利用しているのだが、それだけでは寂しいというものである。

 それはともかくとして、ラミリスやゼギオンを筆頭とした迷宮勢は、ますますその力を増していく事になるのだった。

 とまあ、こんな感じの慌しい一年だったのだ。
 思い返してみても非常に濃密な時間である。
 だけど、そろそろ落ち着いたので、心残りを一つ片付けようと思う。

 立ち並ぶのは高層ビル。
 周囲は喧騒に包まれており、悲鳴や怒号に満ちている。
 遠くではパトカーのサイレンの音。
 懐かしさに、眩暈すら覚える光景だった。

「先輩、先輩!? しっかりして下さいよ、先輩ーーーー!!」

 刺されて倒れたナイスガイを抱えて泣き叫ぶ若造と、それを悲しそうに見つめる女性。
 田村と沢渡さんだ。
 コイツ等、本当に変わってないな――いやまあ、変わってなくて当然なんだけど。
 俺は田村に歩み寄り、肩を叩いた。

「ちょっとどけよ、田村」
「っ!? 誰だ、君……? 何で俺の名前を知って――」
「いいからいいから。相変わらず細かいヤツだな」

 文句を言おうと俺を振り向いたが、あまりの美貌に言葉を失った、って所か?
 沢渡さんに怒られるぞと思ったが、その言葉は飲み込んでおく。
 俺は田村を押しやると、懐から取り出した宝珠ギジコンをナイスガイの死体へと翳した。
 さて、と。
 死体と宝珠ギジコンが上手く融合したので、後は俺の『多重並列存在』を移して完了だ。
 おっと、忘れてた。
 人間の肉体には痛みがありそうだし、きちんと治療しておこう。
 そう考えて、懐から取り出した回復薬を死体へと降り注ぐ。
 見る見るうちに傷が消えるのを確認し、こっちでも薬は効果があるのだと納得した。
 上手く治癒しなかったら、一度飲み込んで復元するしかなかったので少し面倒だと思っていたのだ。
 回復薬に効果があって助かった。
 これで準備完了。
 俺は意識を集中し、宝珠ギジコンへと『多重並列存在』を移した。威哥王

2014年8月27日星期三

クッキーアソート

それは、アレッタがこの異世界食堂を初めて訪れたときから数えて5回目の仕事の最中のことだった。
「それじゃあ30分……あそこの時計の長い針が真上に来るまで休憩な」
「はい!」
客が余り居ない頃を見計らってアレッタに与えられる『休憩』の時間。挺三天
簡素な卓と椅子が置かれた小さな休憩室に、店主に作って貰った熱いココアの入った杯を両手で持ち、アレッタは椅子に腰掛ける。
「ふぅ……おいし」
温かいココアが疲れた身体に染み渡る。
この、ちょっぴり苦くてとても甘い飲み物は初めて飲んだときからのアレッタの大好物の1つだ。
異世界の産物らしく、アレッタの世界では一番栄えている都である王都ですら売っているのを見かけたことは無いので、この食堂で何か好きな飲みものを1つもらえる時はいつもこれにしている。
「なんだか、幸せだな……」
ふぅ、と満足げにため息をつく。
この1ヶ月ほどは、今までから考えると嘘みたいに幸運が続いたし、アレッタ自身も変わった。

異世界食堂に雇われ始めてから、アレッタは帽子を被らなくなった。

それは異世界食堂で働いているお陰で懐に大分余裕ができたと言うのも大きかったし、異世界食堂で朝と夜の1日に2度異世界の香油で髪と身体を洗って『セイケツ』にしていたらぼさぼさだった髪が綺麗になり、隠すのが惜しくなったのもある。
そして分かった。帽子が無い方が、働くのには良いと。

アレッタは魔族であり、その頭には小さな漆黒の巻き角が生えている。
それを隠す帽子を被らないと言う事は当然アレッタが魔族だと他の人間にも伝わるということだ。

けれど、それが返って、変な隠し事をしない、誠実な娘だと言うことになり、以前より仕事はうまく行くようになった。
無論、魔族というだけで嫌な顔をしたり、雇うのを断る人間もいないわけではないが、逆に言えばそういう雇い主のところでは最初から働かず、アレッタが魔族だと知っていてなお雇ってくれる場所で働くお陰で、トラブルになることも前より確実に減った。
(これはアレッタが以前からは比べ物にならぬほど髪や服の手入れが行き届いた『清潔』な娘になったことも大きいし、仕事中に男に口説かれるなどトラブルの質は大分変わったが)

極めつけは3日程前から働いている向こうでの仕事である。
本人がいうところのトレジャーハンターである雇い主が所有している、小さな家で掃除や洗濯、日々の家の手入れといった管理をする仕事。
雇い主が見つけてきた貴重な魔道具がいくつか、頑丈な鍵付きの部屋にではあるが置いてある家を管理するその仕事には何よりも『信用』が求められる。
そしてその雇い主はアレッタを一目見るなり信用することを決め、アレッタは寝床つき1日辺り銅貨8枚で雇われることになった。その理由はただひとつ。

雇い主はアレッタのことを知っていた……
彼女は、異世界食堂の常連の1人だったのだ。

かくしてアレッタは貧民街の廃墟から旧市街の一軒家の使用人用の部屋に居を移し、7日に1度は今までどおり異世界食堂で働きながら、残りの日々を充実して過ごしていた。

それから、くつろぐこと少し。
「……食べても、良いよね……?」
アレッタはそっとそれに手を伸ばした。
雲と虹が描かれた空の絵を背景に、白い鳥の翼が生えた子犬の魔物が舞っている様が描かれた、大きな金属の箱。
アレッタはそれをそっと開ける。
中に詰められているのは『クッキー』と呼ばれている異世界の焼き菓子。
店主によれば茶を飲むための店ならともかく料理屋で出すようなものではないと言うことで、異世界食堂では出していない特別な菓子である。
「どれにしようかな……?」
目に入った小麦色と茶色の群れに、アレッタは迷う。
店主曰く『休憩室のクッキーはアイツから試食用っつって渡されてる奴だから好きに食べていい』とは言われている。

だが、幾らでも食べられると思えるくらい美味しい上にタダとはいえ異世界の焼き菓子をパクパクと1人で食い尽くせるだけの度胸は、アレッタには無い。

一度に食べるのは指の数と同じ5枚まで。

アレッタは自主的にそう決めていた。
「よし……これにしようっと」
しばし迷ったあとアレッタは5枚のクッキーを取り出す。

バターと砂糖でできた白いクリームが挟まれ、生地の方にもたっぷりとバターが使われたもの。

アーモンドと言う豆を荒く砕いてシナモンと言う香辛料と共に生地に混ぜ込んだ、大き目のもの。

チョコと呼ばれる黒い粒と店主が言うには一年中夏だという不思議な国で取れるバナナと言う果物を干したものを入れた、ココアと同じ色のもの。

真っ赤なベリーの砂糖煮をたっぷりとクッキーの真ん中に入れた、美しいつくりのもの。

そして、コウ茶の茶葉とバターをたっぷりと混ぜ込んだ生地の、さくさくと脆い歯ざわりのもの。

全部で15種類あるうち、その5つを厳選して選び出し、アレッタは一枚一枚丁寧に手に取る。
そしてほんの数口で食べ終えられるほどの大きさであるクッキーを大事に少しずつ齧り、口の中で転がすようにして味わう。
(……やっぱりお菓子って、果物よりずっと美味しい!)
口の中に広がる甘いクッキーの味に、アレッタは素直にそう思う。

こうしてお菓子を食べていると、最近知り合ったヒルダという魔族の傭兵がチーズケーキを食べながら言っていた『菓子というものは季節になると市場に出回る果物よりずっと高級なものだ』だと言う話も分かる。VIVID XXL

クリームが挟まれたクッキーを齧るとバターの味わいととても甘くて白い、クリームの味が口の中に広がる。

アーモンドと言う豆入りのクッキーは香ばしくて少し甘い豆の香りと独特の風味がある生地がよくあっていて1枚でもお腹にしっかりと溜まる。

ココアを混ぜ込んだ濃い茶色のクッキーは生地が少し苦めに作ってあるのがちょっと苦くてとても甘いチョコの粒と、とても甘いバナナの味を引き立てている。

真っ赤で甘酸っぱいベリーの砂糖煮が入ったクッキーは甘みを抑えて堅めにしてある分ちょっと歯ごたえがあって見た目も綺麗。

そしてコウ茶の茶葉を混ぜ込んだものは口の中で砕けて茶葉の良い香りとバターの濃厚な甘い味が口の中いっぱいに広がる。

こうしてクッキーを口にするたびにアレッタは今までまったく食べたことの無かった『お菓子』というものがどれだけ美味しいかを実感する。
これは確かにその辺の果物とは比べ物にはならない。
だからこそアレッタは黙々とクッキーを味わう。
異世界食堂で、三度の食事と同じように訪れる至福の時間。
その時間は思わず頬が緩み、なんとも言えない幸福を感じる。

だがそれはすぐに終わりを告げる。

いかに少しずつ、丁寧に味わったと言っても食べるのはクッキーをたったの5枚。
アレッタの胃袋の中に全て消えるのは、あっという間だった。
「やっぱりすぐに無くなっちゃうなあ……」
クッキーを食べ終えて、甘いココアをすすりながらちらりとクッキーを入れた金属の箱を見る。
そこには大きめの箱に半分くらい……まだまだたくさんのクッキーが残っている。
アレッタが特に気に入っている5枚もまだまだ何枚か入っている。
「……ダメダメ!」
あれだけあるんだし、もう何枚かくらいなら……という考えを頭を振って振り払う。
1度そうやって緩んでしまったら、きっとアレッタは際限なく食べてしまう。
それこそおなかいっぱいになるまで。
幾ら店主の厚意で頂いているものとはいえそれは拙いと思う。
だからこそ、我慢なのだ。
「……はぁ。仕事戻ろ」
ちらりと壁に掛けられた時計の針が真上近くまで来ていることを確認し、名残を振り払うように立ち上がる。
少しだけ時間は残っているが、今このときも調理と接客の両方を行なっている店主を思えばそうそう休んでもいられない。
「すいません。アレッタ、休憩終わりました」
「おう。もうちょいゆっくりしてても良かったんだが、まあいいや。
 コイツをいつものお嬢ちゃんのところに持ってってくれ」
「はい!」
店主からフルーツパフェを受け取りながら、アレッタは元気よく言葉を返す。

それからざっと7時間後、異世界食堂の営業は滞りなく終了した。

「あの、着替え終わりました」
異世界食堂の仕事を終え、アレッタはシャワーで身体を洗ってから制服から洗い立てのいつもの服に着替え、シャワーの熱気で上気した湯上りの姿で店主に報告する。
「おう。今日もお疲れさん。ほい、これ給料と……就職祝いな」
店主も慣れたものでアレッタがしっかりと綺麗になったことを確認し、アレッタに茶色い紙で出来た封筒に入れた給金と……もう1つ空色の厚い紙で出来た袋を渡す。
「あの……シューショクイワイ、ってなんですか?」
思わずそれを受け取りながら、アレッタは困惑した。
異世界の言葉と翼の生えた犬の絵が書かれた空色の紙で出来た取っ手付きの袋は、結構重い。
中身が何かは気になるが、それはそれである。
「ああ、向こうにはそういう風習無いのか」
その、アレッタの言葉で、店主はそのことに気づいた。
どうやら向こうには1年や1ヶ月というものはあっても1週間……曜日と言う概念も無いみたいだし、日本とは風習も違うということだろう。
そして店主は改めてもう1つのものについて説明することにする。
「アレッタ。お前さん朝言ってただろ。
 うちの仕事が無い日の仕事、ちゃんとしたの見つかったって」
「え?はい。それはそうですけど……」
確かに朝、ちらりとそんなことを言った気もする。
アレッタが困惑しながらも頷くと、店主も頷き返す。
「こっちではな、それはめでたいことだからってんで色々贈り物をすることがあるんだ。
 いつもってわけじゃあないがな。
 だからまあ遠慮なく受け取ってくれ。間に合わせのもんで悪いけどな」
「あ、はい。ありがとうございます……ってこれ!?」
店主から聞かされた異世界の風習を不思議に思いながら紙袋の中を覗きこんだアレッタは、悲鳴のような声を上げた。

中に入っていたものは、ある意味においてアレッタが望んでやまなかったもの。

店主はアレッタの反応ににこやかに笑いながらアレッタに言う。
「どうやらお前さん、休憩室で食う時は大分遠慮してるみたいだったからな。
 クッキー、嫌いってわけじゃないんだろ?」
アレッタを雇い一ヶ月。その間の付き合いで色々分かったことがある。
例えば、アレッタが休憩ごとに、ほんの少しずつクッキーを食べているらしいこととか。
平日の、一番でかい缶に一杯のクッキーを3日で食い尽くす他のスタッフにも見習って欲しい謙虚さである。
「は、はい。それはそうですけど……これってかなり高いんじゃ?」
そう、紙袋の中に入っていたのは、ある意味では見慣れた、子犬の魔物の絵が描かれた金属の箱。
休憩室に置いてあるものよりは小さいが、ずっしりとした重さからして、相当量の『クッキー』が入っていることは間違いない。
「あ~……まあ確かに高いな。基本的に贈り物にする奴だし」
アレッタの疑問に店主は頷く。
これの製作者であるところの幼馴染によれば、このクッキーの詰め合わせは先代の頃のフライングパピー開店以来のロングセラーで街の百貨店や結婚式場にも卸しているという。
味がいいのは子供の頃から食べなれているので良く知ってるが、値段もその辺のスーパーやコンビニで売っているものと比べれば、高い。

―――こっちはメーカーみたいな大量生産は出来ないからな。値段の分は味で勝負って奴よ。

と言うのが本人の弁である。
「そんなもの……本当に頂いちゃってもいいんですか?」
アレッタに銀貨10枚もの給金をあっさりと払う店主が高いと言うくらいだから、恐らくこれはかなりの高級品。福潤宝
あの味ならばそれも納得できる。
そう感じて、アレッタは少しだけ震えながら確認する。
「ああ、もちろんだ。気に入ったら買ってくれとは言ってたがそいつは俺からの贈り物だ。遠慮せず食ってくれ。
 土曜に入ってくるスタッフはお前さんだけだからな。少し位は色つけてやってもいいだろ」
店主が力強く頷く。
この一ヶ月、アレッタは実に真面目に働いてくれた。
不慣れながらも接客をしっかりとこなし、きちんと『戦力』としてあてにできることも分かった。
聞くところによると向こうでは大分貧乏暮らしをしているみたいだし、これぐらいはしてもいいだろう。
そんな仏心から、店主はクッキーの詰め合わせを渡すことにしたのだ。
「その、ありがとう、ございます。これ、大事にしま……食べますね」
その店主の言葉に、アレッタは有難く受け取ることにする。
「おう。あんまり大事されても困るけどな。一回もあけなければ3ヶ月くらい持つらしいが、開けた後は大体半月くらいしか持たないらしいから。
 あ、底の方に入ってるシリカゲル……透明の粒は食えないから気をつけろよ」
その言葉に店主は苦笑しながら、答える。
かくしてアレッタは『異世界のクッキー』を手に入れる。
……それが、新たなる出会いのきっかけになるとも知らずに。


小ぶりな、だが頑丈で華美な造りとなっている馬車が旧市街の一角、とある家の前でとまった。
「つきました。お嬢様」
御者を担当していた執事が後ろに座っていたシアに声を掛ける。
「そう。ありがとう。行って来るわね。しばらくしたら迎えに来て頂戴」
その主であるまだ若い少女が、それが当然とばかりに執事に命じる。
「はい。いってらっしゃいませ。お嬢様」
この家に来た時……家族に会いに行くときは長年ゴールド家にお仕えしてきた執事であっても同行することを厭うことを知っている執事の方も慣れたもので、それだけ言うと令嬢を降ろし、馬車で走り去る。
「さてと……姉さん、元気にしてるとよいのだけれど」
降ろされたシアもなれたもので、手早くドレスを調えなおすと、目の前に立つ家を見る。
元々は彼女の実家が王都のあちこちに持っている倉の1つを、人が住めるように改造したもので、『熱病』に冒された挙句、自分の力だけでやっていきたいと言い出した姉に両親が半ば押し付けるようにして渡したもの。
あの厄介な『熱病』に冒された姉……サラの住まいであった。

シアにとって5つ年上の姉であるサラは『熱病』に冒されている……シアの実家ゴールド家に代々伝わる病『ウィリアムの呪い』に。
ウィリアムの呪い、それは……冒険への憧れという熱。
初代から数えてシアの代でかれこれ4代目となるゴールド家では、それぞれの世代に何人かはこの厄介な熱病に取り付かれて、トレジャーハンターや冒険者になってしまう。
王都で平和な暮らしをするよりも古代の遺跡やら危険な魔物の巣に、素性怪しげな連中と共に、あるいはたった1人で潜ることを好むようになり……
最終的にはほぼ確実に命を落とすことになる。
そんな、恐ろしい病である。

無論、裸一貫から始めたウィリアムやその息子であり、まだ今ほどゴールド家が豊かでなかった時代の2代目であるリチャードの頃であれば、必要なことだっただろう。
当時のゴールド家の主な売り物は、当主自ら探し出し、手に入れてきた貴重な魔法の品だったのだから。

しかし、時代は変わった。

今や王都にはごまんといる冒険者やトレジャーハンターは、魔法の品を手に入れれば大抵は成り立ち故に冒険者との付合いが長く、知識の無い彼らを騙すような商売をしないという信頼で知られているゴールド商会に持ち込むようになった。

商会は持ち込まれたそれを買い取って長年の経験で磨いた鑑定技術を駆使してそれがどのような品であるのか正確に見極めて鑑定書をつけて好事家の貴族や魔法の武具を求める騎士や傭兵、経験を積んで金回りが良くなった上位の冒険者に売る。
または冒険者や貴族の要望を受けて契約している何人かの魔術師に比較的単純な魔法の品を作らせて売りさばく。

それだけでゴールド商会は十二分にやっていけるだけの金を稼ぐことが出来るようになっていた。
わざわざ商会の一族たるものたちが自ら危険な遺跡に宝漁りに行く必要など、まったく無い。

トレジャーハンターは危険な職業である。
代々のゴールド家のトレジャーハンターで、無事に引退し、その後天寿をまっとうしたのは初代ウィリアムとその息子リチャードのみ。
……皮肉なことにある意味で必要に駆られて冒険に出た2人以外は全員事故や魔物に殺されて命を散らしている。

シアにとっても、ウィリアムの呪いは人事ではない。
母の兄に当たる伯父は、サラとシアが生まれる前に魔物に食われて死んだ。
年上の、憧れのお兄ちゃんであった従兄は遺跡に行くといって出て行ったのを最後に未だに死体すら見つかっていない。
そして何より姉であるサラがウィリアムの呪いに冒され、なに不自由無い生活を捨ててトレジャーハンターになったとあっては、完全に当事者としかいいようが無いのである。

そんな事情もあり、シアはサラが王都に戻ってきている時はこうしてサラの家を訪ね、無事か、無茶をしていないかを確認することにしている。
「えっと、申し訳ありません。サラ様は今、出かけております」
……時折こうしてすかされる日もあるのだが。

シアに応対したのはシアがはじめて見る娘であった。
「えっと……シア様、ですよね?初めまして。
 わたしはサラ様にこの家の家政婦として雇っていただいているアレッタと言います、です」
サラをそのまま幼くしたような顔立ちを見て、シアの正体を悟ったのであろう。
その娘……アレッタは精一杯の丁寧さで自己紹介をする。
着ているものはゴールド家の使用人が着ている様なお仕着せではなく、アレッタの私物であろう着古してあちこち擦り切れてはいるが、汚れてはいない服。
妙に手入れが行き届いた金髪から伸びる黒い角を見るに、冒険者や傭兵、トレジャーハンターに多い種族である魔族の1人でもあるのは間違いない。
そのアレッタは雇い主の家族の突然の訪問にまごまごしている。
「……とりあえず、中で待たせてもらってもいいかしら?」
「あ、はい!どうぞどうぞ!」
シアの提案に一も二も無く頷くアレッタの了解を取り、シアは家の客間に上がりこむ。
質素な客間に備え付けの、柔らかなクッションがついた椅子に当然のように腰掛け、サラが帰ってくるのを待つ。OB蛋白の繊型曲痩 Ⅲ
「あ、それじゃあお茶をお持ちしますね!」
それをまだ不慣れな様子で見ていたアレッタはそれだけ言うと奥に一旦引っ込む。
「……姉さんったらいつの間に魔族の娘なんて雇ったのかしら」
その姿を見送りながら、シアは内心首を傾げる。

普通、こうした『信用』が大事な使用人に魔族は雇わない。
サラとて冒険者と顔をあわせることが多い魔道具の売買を行なっているゴールド家の娘である以上、魔族を必要以上に恐れたりはしないだろうが、それでもだ。
えてして酷い暮らしをしている魔族は、手癖が悪かったり粗暴だったりすることが多い。
傭兵や冒険者として名を馳せて、懐に余裕のある魔族はそうでもないがアレッタのように、貧しさが身に染み付いていて戦う力にも乏しそうなものであればなおさら。

『貧しさは悪のはじまり』という言葉は、シアの世界では良く知られた言葉なのである。

「姉さんが雇うくらいだから大丈夫なのかしら」
シアは独り言を呟きながら考えを整理する。
ウィリアムの呪いに冒された姉が半ば家出同然にトレジャーハンターになって3年。
薄くなったとはいえウィリアムの血を引いていて才能があったのかその3年は世間知らずの小娘をいっぱしのトレジャーハンターに育てていた。
そしてその中で磨かれたサラの人を見る目は大商人の娘としてそれなりに磨かれているシア以上に鋭い。
その姉が認めたならば、信用に値する善良な魔族なのかもしれない。
……どうやってそれを知ったのか、と言う疑問は残るが。

「お待たせしました」
そんなことを考えていると、アレッタが戻ってくる。
片手に乗せ、高くかかげたお盆にはお茶のカップと……
「……それは焼き菓子?」
簡素と言うよりは粗末な木の皿に盛られた、5枚の焼き菓子を見て、シアは首を傾げる。
焼き菓子なんてトレジャーハンターになってからは自分の稼ぎだけを使ってかなり質素な暮らしをしている姉にしては珍しい。
大して日持ちするものでもないし、何よりここを訪れて茶以外のものが出てきたのははじめてである。
「はい。クッキーと言いまして、ちょっと特別なお菓子なんですよ」
シアの問いかけに『特別な』お客様と言うことで、身をきられる様な想いで5日の間に食べつくし、最後に5枚だけ残った私物のクッキーを出すことにしたアレッタが『営業用』の笑顔で答える。
「どうぞ。お茶の方はハック茶です」
それだけ言うと、辛くて爽やかな風味が特徴的な茶とクッキーをシアの前に置く。
その動作は食堂の方で何度か店主の指導を受けて学んだ方法なので、それなりに様になっている。
「そう、ありがとう。頂くわ」
正直砂糖も蜂蜜も入っていないハック茶は辛いので苦手だが、出されたものに手をつけないのも失礼だろう。
曲がりなりにも商人の娘として、相手を出来るだけ不快にしないよう行動するよう躾けられているシアは、お茶を手に取り、一口飲む。
口に広がるのは、予想通りの、少し鼻に抜けるような辛み。
(この風味自体は嫌いでもないのだけれど……)
このすっきりとした味わい自体はけして嫌いではないが、やはりそこはある程度甘みがあってこそだ。
そう考えながら、ふと、焼き菓子の方を見る。
(……菓子というなら、甘いのかしら)
そう考え、シアはそっと焼き菓子ののった皿を見る。
それは、小麦を使った焼き菓子らしく、こげ茶色のものと小麦色のものが盛り合わせてあった。
数はそれほど多くなく、5枚。
(全部違う種類みたいね……かなり凝ったつくりだわ)
シアはまず、その『クッキー』と言う焼き菓子を見定める。

1つは表面に、これ見よがしに白い砂糖がふられた、葉っぱのような形のもの。
1つは薄く、淡い黄色い生地にこげ茶色の何かがはさまれたもの。。
1つは鮮やかな橙色のものが中心に入ったもの。
1つは干し葡萄らしきものが入って、羽の生えた犬の形に整えられたもの。
そして最後は黒い部分と白い部分がチェック柄に並んでいるもの。

どれも一般的な焼き菓子と比べると鮮やかで美しい出来栄えだ。
味さえ良ければ、貴族に出されてもおかしくは無いだろう。
(で、肝心の味は、と……)
見慣れぬ、美しい菓子にいつの間にか期待を覚えながらそのうちの1枚、表面に白くて透明な砂糖がたっぷりとふられた葉っぱ形の菓子を手に取る。
そしてハック茶の余韻が残る口へと運び……

その食感に目を見開く。
その菓子は見た目よりはずっと甘みが少なく、焼いた小麦の香ばしい風味とたっぷりと練りこまれているバターの風味を感じる味だった。
正直、貴族の菓子としては甘みが抑えられている。
だが、シアは心の中で断言する。
(……これ、とんでもない出来だわ)
シアが驚いたのは、その食感。
薄い膜のような層を幾重にも折り重ねて焼くことで確かな歯ごたえと殆ど抵抗無く砕ける柔らかさを両立している。
そしてその砕けた風味が抑えた砂糖と、それ故にしっかりと感じるバターおよび小麦の風味と交じり合う。CROWN 3000

2014年8月25日星期一

調査学習の班分けと生徒会の提案

「羽根の生えた白猫……ねえ。蝙蝠の羽根が生えた黒猫の使い魔とか、あと妖怪で夜星子(イェシンズ)なんてのもいたような気がするけど、該当するようなモンスターにはちょっと心当たりないかなァ」

 相手の魔法弾をまったく同じ威力の魔法弾で相殺するという、ウォーミングアップ代わりの軽い手合わせをしたところで、ふと気になってルークが孵した卵の中身について、何かご存じないかメイ・イロウーハ理事長に聞いてみたのですが、理事長も首を捻られました。挺三天

 ちなみに私が全力全開、呪文を唱え、愛用の魔法杖(スタッフ)を使って威力を底上げした上で、渾身の魔力を振るって火と水の複合魔術である『火弾(ナパーム)』(大鬼(オーガ)でも一発で消し飛ぶ威力です)を使用しているのに対して、メイ理事長は手ぶらでなおかつ無詠唱で生み出した火の一般(コモン)魔術『火炎(ファイアー)』(通常であれば、小鬼(ゴブリン)を焼く程度の魔法)を使って、これを全て迎撃しています。

 さらには私の狙いが甘く直撃を外れた『火弾(ナパーム)』が地面に着弾する前に、空中で分解・還元して魔素(マナ)に戻し、ついでに私が差し入れで持ってきたクッキーをつまむ余裕まで見せるのですから、どれほど隔絶した実力の差があるのか見当もつきません。

「アシミ――あ、友人のエルフが言うには真龍《エンシェント・ドラゴン》の仔龍ではないかとのことですけれど?」

「う~~ん、エルフにわかるのかなぁ……? だいたいドラゴンとかいろいろ生態が謎の部分があるのよねえ、無節操に他の動物とか人間とかに種付けするし……そもそも卵生なのかどうかすら一概にいえない節があるから怪しいわねー」
 菫色のショートの髪を軽く傾げて、苦笑いをされました。

「――? エルフというと華麗にして博識な『森の賢者』というイメージですけれど?」

「いやいや、連中は長生きするわりに個人の欲求とか好奇心とかが薄いから、その弊害か『○○はこうだ!』『△△ならそうに違いない!』って、ン百年前のカビの生えた知識でもって、頭から決め付けてそこから抜け出さない、案外モノ知らずな面があるのよね。だから変化に対応できなくて百年前に危うく絶滅しかけ、慌てて超帝国で絶滅危惧種指定して保護しようとした経緯があるし……ま、拒否られたんだけど」
 微妙に遠い目をされます。
「あの時も大変だったわ。『世の中煙と鏡だしねぇ。綺麗ごとより自然の摂理に任せて絶滅した方がいいんじゃない』なんて、ウチのトップが匙を投げたもんだから、いっそ一思いに引導を……なんて血気に逸る奴も出てくるし。ほんと妖精王が話せる相手じゃなけりゃどうなってたことやら。――ま、そんなわけで中にはあんたの友人みたいに人間と関わる変わり者もいるけど、種族的には進化に取り残されて袋小路に入っている斜陽の連中なわけよ。あと見た目だって、ジルちゃんの方がよっぽど美少女だし」

 どことなくげんなりした口調で言い切る理事長の、どうみても十代半ばくらいにしか見えないお顔をまじまじと凝視しました。

「はあ……。――あの、もしかしてお嫌いなのですか、エルフ?」

 一瞬、目を泳がせるメイ理事長。
「……いや、別にー。ただ以前、エルフというか、エルフによく似た相手に嫌な思い出があって、ちょっとだけ苦手意識があるってところかなァ。あ、だからといって偏見があるとか、色眼鏡で見てるとかじゃないから。――まァ、変な先入観を与えちゃったかも知れないけど、いまのはあくまで私見なので、適当に聞き流すように。個人と種族の話をごっちゃにするのは見当外れだし、そうなると結果的に火傷するのが定番だからねー」

「それはそうかも知れませんわね……」
 とは言え世界最高最強の魔術師で『神人』だというメイ理事長とエルフ族、結構、面倒臭そうな裏事情がありそうです。

「まあ、その羽猫もあたしが現物を直接観てみれば、鑑定スキルで種族とかも特定できるとは思うけど……」

 自分で口に出して難しい顔で「う~~む」と呻るメイ理事長。

 ご自分でも気が付かれたようですが、学則によって研究目的など特別の許可がない限り、学園の敷地内に使い魔(ファミリア)の類は持ち込みできないことになっています。
 なにしろここは大陸でも有数の貴族や有力者の子弟が数多く通う皇立学園です。万が一の事故や事件を警戒して、学生は指定された制服、教材以外はきちんと許可を得ない限り魔道具(マジック・アイテム)の類は爪楊枝一本持ち込みできません(現在私たちが特訓に使用しているここ、理事長や教授クラスの教導官(メンター)が持てる個人亜空間《パーソナル・サブスペース》であればある程度見逃してはいただけますが)――と入学時のガイダンスでも伝達され、周知徹底されています。……もっとも理事長曰く「その程度で破られるほど学園の警備は甘くないよ。単なる外部に対するポーズで、あたしが決めた決まりじゃないしね」とのことですが。VIVID XXL

「使い魔(ファミリア)ですから、持参するとなるとさすがに許可を得る必要がありまけれど?」
「う~~ん、特例として適当な理由付けが必要かな~。……いや帝国の皇族(お偉いさん)が相手となると、逆に面倒臭いか。変に勘繰る奴も出るだろうし」
「そうですわね」
 思わずため息が漏れました。

 特別扱いは差別と同義ですから、そういったお話になればおそらくは学園とルーク……いえ、グラウィオール帝国との関係を勘繰って、ナイことナイこと噂する下世話な方々がいることでしょう。
 現にいまだって、私とルークが一つ屋根の下で――と言っても私の感覚としては、大きなホテルの離れた別々の部屋に泊まっているようなものですから、後ろめたい部分は一切ないのですけれど――一緒に暮らしていることで、おかしな噂(詳しい内容は、ダニエル侯子やヴィオラ、リーゼロッテ王女やその関係者が巧妙にシャットアウトしてくださっているのでわかりませんが、だいたいは予想できます)が流布しているようで、なにげに憂慮しております。私のせいでルークの評判や経歴に傷が付くのではないか、と。

「そーいや、あの公子様はいまジルちゃんと同棲して喫茶店経営してるんだっけ? だったら、一般の客のフリして様子を見に行くのもアリかな」

 結構、乗り気で口元を綻ばせるメイ理事長。
 予想通りの流言飛語(デマ)が飛び交っていますわ。

 ちなみにお互いに呑気に会話をしているようですけれど、この間も手合わせは続いています。と言っても、メイ理事長はその場から不動の姿勢で、私がその周囲を動き回って牽制したり、各種魔法を放ったりと一方的に遊ばれている感じですけれど。

「――同棲ではなく同居です。と言うか、そもそも考えてみれば卵が孵化した以上、万が一に備えてルークがルタンドゥテ(うち)に泊り込んでいる理由もなくなりましたので、近いうちに宿泊先を変えるのではないでしょうか?」

 自分で口に出すまでその可能性を考慮していませんでしたけれど、確かにその通りです。原因がなくなった以上、ルークがうちに居る理由はありませんから、ひょっとするといまこの瞬間にも荷造りをしているかも知れません。

「…………」
 なぜか途端に注意力が散漫になり、魔力の収束も狙いも甘くなってしまいました。

 当然叱責があるかと思ったのですけれど、理事長はニヤニヤ……いえ、ニマニマと人の悪い顔で笑っています。
 なんというか……井戸端で他人の醜聞(ゴシップ)を面白おかしく興味本位で噂するオバ、いえ、好奇心旺盛なご婦人のような表情です。

「いや~っ、若いっていいわねー。うんうん、これぞ青春のメモリー、恋する男女のお約束、フラグイベントってやつよ。これだからこの仕事は辞められないわね~」
 発想が非常に残念です。あと、ひょっとして私は間違った場所で間違った相手に師事しているのではないでしょうか?

「別にそういう色恋沙汰の絡む関係ではありませんわ」
「またまた~っ! 好きでもない男の子と年頃の女の子が一緒にいられるわけないじゃない」
「……お互いに好意があるのは事実ですが、だからといって恋愛感情と結びつけるのは早計なのではありませんか? 互いを尊敬して尊重し合う良き隣人という――」
「ないない。女の子はまだしもあの年頃の男の子に男女の友情なんて概念はないわー。絶対に惚れた腫れたの話だって。それも“宮廷風恋愛”じゃなくてラブロマンスの方ね」

 言いかけた私を遮って、メイ理事長が所謂(いわゆる)ドヤ顔で胸を張って言い切ります。
 ここでいう『宮廷風恋愛』というのは宮廷絵巻に登場するような貴族の男女が繰り広げる、詩的で華麗な美意識に則った気高い騎士物語のような誠実な恋愛のことです。対して『恋愛(ラブロマンス)』は文字通りの男女の愛欲塗れの人間模様になります。

 なんとなくムカついたので、一発当てようとありったけの魔力を振り絞って連射しましたが、すべてその人の悪い笑顔に届く前に無効化されてしまいました。

「ああ、そういえば、イベントで思い出したけど、もうすぐ調査学習があるでしょう? あれの班分けって決めたの?」

「一応は」
 全魔力を動員した炎術・水術・光術の合わせ技をあっさり遮断され、「こういう馬鹿正直な攻撃は、バリエーションをつけてもあまり効果がないわね~」と辛口の講評を下された私は、現在研究中の奥の手を使うべくタイミングを計りながら、理事長の質問に答えます。
「ルークとダニエル、それとヴィオラとリーゼロッテと班を組む予定ですけれど」

 本当はセラヴィも誘ったのですけれど、あちらは先約があり、既に生徒会の班に入っていました。
 なお調査学習とは銘打ってはいるものの、基本的には学園の飛び地にある宿泊施設を利用した小旅行のようなものです。
 一斑が五~六人ほどで、だいたい三十~四十人ほどのグループに束ねられ、教員や教導官(メンター)数人が引率する形で、三巡週ほどリビティウム皇国内にある史跡や名所を訪れて、現地調査を行いレポートを書く形になります。福潤宝

 と――。
 私が挙げた班の面子を聞いてメイ理事長が微妙に顔を引き攣らせました。
「そ、それはまた濃いメンバーの班だこと。万一のことがあったら学園の看板どころか、屋台骨が傾くかも知れないわね。……引率する係員はご愁傷様としか言えないわ」

「そうですわね。私も皆様の身をお守りできますよう可能な限りの努力をいたしますわ。たとえこの命に替えましても」
「いやいやっ、あんたに何かあったら一番大事(おおごと)……じゃなくて、生徒は全員等しく大切な学園の生徒なんだから、誰が上だの下だのないの。だから不測の事態があっても、絶対に無理をしないこと。いいわね?」
「――ええ。ですが自分にできることがあれば行動はいたしますが」

 できる能力を持った人間が必要な場面で必要な行動を起こさないのは怠慢どころか犯罪ですから。

「う~~む。こーいう頑固なところは、さすがにレジーナの弟子だけのことはあるわね。あたしとしては大人しく王子様に守られるお姫様役を希望してるんだけど」
「それは……メンバー的にも無理なのでは?」

 私は同行する正真正銘のお姫様――ヴィオラとリーゼロッテ――を思い出して、思わず小首を傾げます。
 いまや学園の三大麗華と謳われるおふたり――行動をともにする機会が多いため、お情けで私までカウントされていますが、おそらくはお笑い枠でしょう――ですが、いずれも温室で守られた可憐な花というには自己主張が激しすぎます。

 その答えに理事長が頭を抱えたところへ、私は準備していた『奥の手』を投擲しました。

「ん? これは……」
 怪訝な面持ちで瞬きをする理事長。

 私はすかさず起動術式(トリガー・ワード)を唱えました。
「――風よ(ダート)!」

     ◆◇◆

「いかがでしょう、ルーカス公子。ユニス法国といえばリビティウム随一――いえ、大陸でも屈指の歴史と伝統に彩られた聖地です。公子をはじめ王女様方が訪問されるのにこの上なく相応しいと、私ども生徒会執行部全員が満場一致で推挙いたすしだいでございます」

 放課後の小会議室にて――。
 最初に生徒会執行部部長バリー・カーターと自己紹介をした神経質そうな眼鏡の男子生徒が、慇懃ながらもどこか押し付けがましい口調で、ルークたちに向かってユニス法国がいかに素晴らしいか、学ぶに足る地であるかを立て板に水で捲くし立てていた。

 予定されている調査学習のグループ協議ということで、集められたルークたちの班を含めた六つの班であったが、蓋を開けてみればそのうちの一班がヴィオラとリーゼロッテの取り巻きである他は、残り四班すべて生徒会とその関係者という、露骨に生徒会が横車を押した結果であろう極端な構成のグループであった。

 自身がユニスの伯爵家出身というバリーのお国自慢に内心辟易しながらも、そこはお付き合いで適当に相槌を打ちながら聞き流すルーク。
 調子に乗ったバリーが、さらにユニス法国の素晴らしさについて美辞麗句を重ねようとしたところで、
「……シレント央国の姫たる妾を前にして、リビティウム随一とは大層な口を叩くの」
 リーゼロッテ王女が不快げに眉を顰めた。

「これはリーゼロッテ様! それは誤解でございます。貴国を貶めるような意図はまったくございません。ただ単純に調査学習という修学の場であれば、ユニス法国が相応しいと推挙しているしだいでして。――ええ、勿論シレント央国はリビティウム皇国の中心地でありますから、深い敬意と親愛の情を捧げております。ですがいかんせん建国から一世紀あまりと新進気鋭の国家。他国からいらしたルーカス公子やヴィオラ王女がここ北部地域の歴史と伝統を学ぶ場としては少々そぐわない……そう思う次第でして」

「なるほど、そちらの意図はよくわかりました。他国から訪れた僕やルーカス公子……に配慮されての調査地のご提案……ふむ、ご配慮痛み入ります」
 反駁しかけたリーゼロッテの機先を制して、ヴィオラが如才なく笑みを向ける。
 ただし隣に座っていたルークたちの耳には、「僕やルーカス公子だけでジルは眼中になしとは呆れる」「提案ではなくて抱き込み工作だろう」という呟きがはっきりと聞こえていた。OB蛋白の繊型曲痩 Ⅲ

 そんなヴィオラの冷笑と表面上の言葉を額面通りに受け止めたバリーが、わが意を得たりとばかり満面の笑みを浮かべて何度も首肯する。

「いえいえ、これも皆様方のより良い学園生活のため。そのお役に立てるのであれば、我々生徒会一同は喜んでご奉仕させていただきます」

「……特定の見返りや利害を期待しての奉仕であるか」
 吐き捨てるようなリーゼロッテの感想は、幸か不幸かバリー及び執行部の面々の耳には届かなかった。

「どちらにしても」
 ゲンナリしながらも毅然とした態度を崩すことはなく、ルークはバリーの目を真正面から見て言葉を重ねた。
「グループ分けが決定していて、その過半数以上の班がユニス法国行きを希望している以上、僕たちには選択の余地がないということですね?」

「とんでもありません。それを決定する為の本日の協議ですから、皆様方にそれ以上の候補地があり、明確な根拠を示していただければ、議論するのにやぶかさではありません」
 バリーにあわせて集まった他班の顔ぶれが一斉に愛想笑いを浮かべる。
 追従しないのは、離れた窓際に背中をもたれて白けた目でこの三文芝居を眺めている、いささか貧相な身なりをしたボサボサ黒髪の一般生徒らしい少年だけだった。

 少年の立ち居地に少しだけ興味を覚えつつも、どう考えても出来レースなバリーの提案に肩を竦めるルーク。

「取り立てて僕に代案はありませんよ。ただ、歴史の長短に関わらず、どのような場所でも学ぶべきものがあると思いますけれど」
「そうであるな。逆に長いからといっても空虚な歴史では得るものもないであろうし」
「俺としては辛気臭い場所より、パーッと華やかで開放的な場所の方がいいけど」
「ははは、ダニエル君。君の意見には僕も賛成だね。その上、見目麗しい女の子が多ければ言うことはないんだけれど」

 あわせて口々に好き勝手な意見を出すリーゼロッテ、ダニエル、ヴィオラ。

 さすがに彼らが乗り気ではないのに気が付いて笑顔を強張らせるバリーであったが、さりとて積極的な否定の言葉がないことと、自分たちの数の有利を当て込んで、
「どうやら問題ないようですね。では調査学習の地はユニス法国。詳細は後ほど各班の代表者同士で詰めることにしましょう」
 一方的にそう宣言した。

「「「「…………」」」」
 無言のまま肩を竦めるルークたち。

「なお、行き先は学園の保養所のあるユニス法国東部アーレア地方となります。この地は彼の巫女姫クララ様が修行された地ということで、現在でも志しある巫女たちが修行に訪れておりますから、ヴィオラ様のご要望にもお応えできるかと」
「それは楽しみだね」

 苦笑しながらも、満更でもない顔で目を輝かせるヴィオラと、「お堅い巫女さんか……」渋い顔をするダニエル。

 その傍らで、ルークが眉を顰めた。
「クララ様の修行地、か……」
 脳裏に浮かぶのはそのクララそっくりの美貌を持つ大切な少女の麗しい姿だった。

 今日は理事長との特別講義の日ということで、この話し合いの場には同席しなかったが、こうなるとわかっていれば、無理にでも引っ張ってくるべきであった。
 そして彼女が嫌がるようなら、何を差し置いても反対したのだけれど。CROWN 3000

2014年8月22日星期五

ミュアとミミル、アヴォロスとの対面

「え? 騒いでる?」


 アヴォロスの耳に届いたのはキルツからの報告だった。


「みたいだぜ? どうすんだ?」


 キルツは面倒そうにボリボリと頭をかきながら言う。CROWN 3000


「まあ、騒いでるっつうより、あの銀髪の獣人ちゃんが自分が攫われた理由を説明してほしいと言ってるみてえだけどな」
「…………そう言えば彼女にはまだ説明してなかったね。でもやはり自分が攫われた理由が気になるようだね。ねえランコニス、キルツが言っていることは本当かな?」


 キルツの眉がピクリと動く。その確認方法だけでアヴォロスが全面的にキルツを信用していないことが分かる。


「あ、はい陛下。監視役の兵士から報告を受けて、私とキルツさんが話を聞きに行きました」
「ふぅん、大地から離れて、いよいよ不安にでもなったかな?」


 アヴォロスは顎に手をやりしばらく考えた後、ふとキルツに視線を向けた。


「ねえキルツ、兵士からの報告には、君が単独で彼女たちに会ったって聞いてるんだけど、それはどうして?」


 探るような目つきでキルツを鋭く射抜くアヴォロス。しかしキルツは飄々とした態度で肩を竦めて言う。


「そんなもん簡単だ。あの子たちが捕まったのは俺の情報のせいでしょうに。確かにお前には逆らえねえけど、ここには人としての心が残ってっからな」
「キ、キルツさん!」


 ランコニスがキルツの態度を改めるように慌てて叫ぶが、キルツはジッとアヴォロスを見つめているだけだ。


「ふぅん、つまり年端もいかない少女たちがここにいるのは自分のせいで心が痛んでいるということなのかな?」
「まあ、ざっくり言やそうだな」
「……何を話したのか言うんだ」


 アヴォロスが目を細めて冷たく言葉を放つ。するとキルツは舌打ちとともに、口が動き出す。ミュアたちと合い、話したことをアヴォロスに全て伝える。


(……不自然なところはない……か)


 キルツから聞いた限り、ほぼ一方的にキルツが謝罪を含めて短い間ミュアたちと話しただけだ。内容も別段気にする必要がないほどだ。


(若干気になるのは彼女たちが助けに来てくれることを信じていることだけど、それはまあ当然なことだしね)


 誰でも囚われの身になれば助けを願うのは当たり前である。


「それともう一つ」
「ん?」


 キルツがまだ続ける。


「もう一人の、ミミルも自分がこれから何をされるのか聞きたいとのことだ」
「……へぇ」


 キルツは全てを喋り終わったら舌打ちを鳴らしアヴォロスを睨みつける。しかしアヴォロスはそんな彼の態度に素知らぬふりをする。OB蛋白の繊型曲痩 Ⅲ


(それにしても……クク)


 アヴォロスはキルツを玉座から見下ろすと、


「自分にできるのは時間稼ぎだって? 恐らく誰かが助けに来てくれるまでの時間を稼ごうと思ってキルツは彼女たちに言ったみたいだけど残念、痺れを切らして動いたのは彼女たちの方だったようだね」
「…………」
「大人しく喚わめかず待っていればもう少し恐怖を感じずにいられたものを。どうやら自分たちが何のために、これから何をされるかそんなに知りたいなんてね。そうだね、良い機会だ。アレの準備も整う。話した後、彼女たちには絶望を感じてもらおうか」


 アヴォロスは悪魔のような笑みを浮かべるとキルツに向かって言葉を発する。


「残念だったね。時間稼ぎもできなくて」
「……ちっ」


 キルツの悔しそうな表情を見てアヴォロスは愉悦感が胸いっぱいに広がっていく。


「クク、彼女たちを使って、ヒイロにも絶望を見せてあげたいな早く……ククク」


 狂っている。アヴォロスを見た常人ならば誰もが感じるはずだ。しかしその場に居る黒衣の者たちはキルツとランコニス以外は平然と佇んでいる。


「さあ、二人をここに呼んでくれるかい?」

 《玉座の間》へ通されたミュアとミミル。二人の両手にはガッチリと重い手錠が嵌められてある。《化装術》も魔法を使用不可能にする手錠なのだ。


 ミュアとミミルは緊張した面持ちでゴクリと喉を鳴らす。そして確かめるように一歩ずつ優雅な感じで玉座に腰を落ち着かせているアヴォロスのところまで向かう。彼女たちの周りには兵士たちが囲っている。


 ミュアたちを見つめる多くの視線。玉座を挟んで左右には黒衣を身に纏った者たちが顔を突き合わせている。ミュアは目だけを動かして一人一人確認していく。そして全身を黒衣で身に纏い、顔もフードで覆っていて確認することができない人物を発見する。


(……あの人だ!)


 ミュアは再度喉を鳴らす。そして歩きながら微かに魔力を使う。福潤宝


「……? ねえ君、無駄だよ? 言ったでしょ? 君がお得意としてる《化装術》は使えないって。それにたとえ使えたとしてもこの状況、君たちが逃げおおせるわけがないと思うけど?」


 アヴォロスの言う通り周りは《マタル・デウス》の主力で囲まれている。仮に準備万端で《化装術》が使えたとしても、恐らく数秒ほどでミュアは殺されるだろう。


 だがしかし、ミュアが魔力を使ったのは《化装術》を使って逃げようと思ったからではない。そこには重要な役割が課せられていたからだ。


(ふぅ、良かったぁ。ヒイロさんの言う通り、相手は勘違いしてくれた)


 ミュアは表情には出さず心内でホッとしていた。それは隣にいるミミルも同様だったようで、若干顔を青ざめさせているが、ミュアが力強く頷くと、ミミルも安堵したように息を漏らす。


「さて、まずは君」


 アヴォロスがミュアを指差す。


「君にはまだ話してなかったね。どうして君を攫ってきたのかを」
「…………はい」
「ふぅん、力強い瞳だ。不安に揺れながらも太い信念が見える。君が送ってきた日々を考えれば驚愕すべき現在だね」
「や、やはりわたしが何者か知ってるんですね?」
「うん、君は『銀竜』。かつて三大獣人種と呼ばれ、今は絶滅したとされている伝説の獣人種。それが君だ」


 やはりとミュアは分かってはいたが再度認識できた。


「余はね、ずっと三大獣人種である『金狐』、『虹鴉』、そして『銀竜』を探していたんだ。この世界のどこかに、その血筋を引いた者たちがいると信じてね」
「ど、どうしてですか?」
「その力を求めてだよ」
「……!」
「君は自分が何者か理解しているかい? 『銀竜』……何故君の種族が三大獣人種と呼ばれ、そして今や滅んだとされているのか」
「そ、それは……」


 確かにミュアは何故『銀竜』という種族が、周りにいないのか気になっていた。そして父にも聞いたことがあった。だが父は苦笑を浮かべながらいつもはぐらかしていた。
 母親は幼い頃に病で亡くなっていたので、ミュアには父しかいなかった。周りは人間ばかりであり、自分たちが人間界に住んでいることは把握していた。


 何故獣人界ではないのか、それもまた父は教えてくれなかった。というよりも、もう少し大きくなったら全てを話すと言っていた。
 残念ながら大きくなる前に、父は獣人排斥派たちに殺されてしまって真実を確かめることはできなくなってしまった。VIVID XXL


 父の親友であるアノールドがミュアを引き取り、これまで育ててくれた。彼もまた獣人排斥派に追われる身でありながらも、父親代わりとして愛情を目一杯注いでくれている。


 アノールドにも『銀竜』について聞いてみたが、詳しいことは父にも聞いていなかったとのこと。だからミュアは、自分が伝説の種族だと言われてもピンとこなかったし、アヴォロスのいう力というものも強く実感したことはないのだ。


「三大獣人種にはね、他の獣人には持ち合わせていない特別な異能があるんだよ」
「い、異能?」
「そう、君はまだ覚醒していないみたいだけど……《獣覚》という言葉は聞いたことあるよね、獣人ならば」


 《獣覚》。それは己の中の獣の力を呼び覚ますこと。多くは満月の夜に発動する現象であり、その夜には全ての獣人は若干身体能力が向上したりする。
 またハーフの中で、獣人の血を引く者は、《獣覚》で暴走状態に陥ることがある。本来《獣覚》といっても、多少獣の力が強まるだけのものだとミュアは聞いたことがあり、暴走などは気をしっかりと持っていればしない。


 しかし心の安定さを失っている時に《獣覚》が起これば、姿形も獣のような姿に変化し、理性も失い戦闘本能に支配されてしまう。
 中には満月でもないのに、その時の状態を自由に作り出し、コントロールすることができる天才もいるということだが、そんなのは稀な例である。


 ミュアはアヴォロスに「知っています」と答えると、アヴォロスは小さく顎を引く。


「《獣覚》は獣人やハーフに若干の力を授ける月の恵み、とされてる」


 されてるということは違うのかとミュアはミミルと一緒に首を傾ける。


「月からは膨大な魔力がこの【イデア】に降り注いでいる。その魔力に当てられて、獣人は本能に刺激を受けて、本来持っている獣の本質を呼び覚ます。けどね、普通の獣人はその月の魔力を別の存在が邪魔するんだ」
「え? 別の存在?」
「そう、それが獣人の中に眠っている『精霊』だよ」
「あ……」
「ハーフが暴走し易いのは、内に秘められた『精霊』の力が弱いから。『精霊』の魔力と月の魔力は対極。だから反発し合い、中途半端なパワーアップしかしない」
「そ、それじゃ、もし『精霊』がいなければ……?」
「ククク、君の考えてる通りだよ。獣人は莫大な魔力を受け強くなれるだろうね。まあ、満月の夜限定になるだろうけどさ」
「…………」
「そうなってもまあ、膨大な力の制御ができずに暴走するだけだろうけどね。だから『精霊』が暴走にならないように月の魔力を弾いているんだよ、できるだけね」


 そんなことが獣人の身体の中で起きていることは初耳だった。だがもし彼が言うことが真実ならば、ハーフが暴走し易いことや、暴走したら激烈に強くなる理由に説明がつく。
 アヴォロスはゆっくりとミュアを指差す。挺三天


「だが例外もある。それが君たち三大獣人種だよ」

2014年8月21日星期四

新たな火種

俺の名前は、ヘルマン・フォン・ベンノ・バウマイスター。
 とある僻地の領地を継いだ新米貴族である。

 ただ、その領地は僻地とはいえ、隣接している未開地の開発が大々的に始まっている。
 もう少しで、その元未開地であるバウマイスター伯爵領とも道が繋がる予定であり、そうすれば外部との接触も増えて、以前は完全に孤立していた我が領も活気付くというものだ。SPANISCHE FLIEGE D6

 だが、それまでの道は決して平坦ではなかった。

 俺は元々次男であった。
 貴族家に生まれた次男など、長男の予備と相場が決まっている。
 実家に部屋住みして居候扱いで、結婚も長男よりも遅くなる。
 もしくは、出来ない奴も沢山いる。

 最低でも跡継ぎ長男に子供が出来ないと、与えられた屋敷の部屋で人生が止まってしまうのだ。

 子供の頃はわからなかった。
 跡継ぎであった長男のクルトは、凡庸ではあったが決して悪人ではなかったからだ。

 だが大きくなっていくと、次第に領地や家の状態が解ってくる。
 クルトは跡継ぎなので大切にされ、俺はかなり扱いが適当だ。

 妾がいる事もあって弟や妹が次第に増えていくのだが、彼らの方がまだマシなのかもしれない。

 本妻である母から生まれた弟達は、どうせ家を継げないので外に出る準備をしているし、妾であるレイラさんから生まれた弟や妹達は、元から貴族扱いされていない。

 赤い血として、名主になったり、その兄を補佐したり、妹達は豪農にでも嫁げば良いのだから。

 俺は、クルトの予備として部屋住まいだ。
 一応個室は与えられているが、これは俺には檻の無い牢屋にしか見えなかった。

 別に、親父やお袋が嫌いなわけではない。
 貴族の決まり事が、俺は大嫌いなだけであった。

 その鬱憤を、俺は剣の稽古などで晴らすようになる。
 あとは、同じ農家の次男・三男などで結成された警備隊の訓練などでだ。

 この警備隊は、普段は治安維持のために。
 有事には、当然諸侯軍の中核となる。
 とは言っても、ここは他の土地から隔絶している田舎の僻地なので犯罪者など滅多に出ない。
 諸侯軍も、俺は行かなかったが以前に大損害を出した魔の森への遠征でもなければ、まず出番などないはずだ。

 それに、警備隊の治安維持活動と言っても。
 たまに酒を飲んだ時に領民同士が喧嘩になったので止めたり、激しい夫婦喧嘩を仲裁したり。
 この領では、その程度の事でも警備隊が出動するのだ。
 何名かで駆け付けて、当事者同士を割って話を聞いてあげればそれで終わる仕事なのだが。

 あとは、たまに畑に迷い混んだ猪や熊の討伐であろうか。
 猟師と協力して倒すのだが、警備隊が駆け付ける前に猟師が倒したり、追い払ってしまっている事が多く。

 警備隊の仕事など、大した量でもない。
 あとは、たまに隊員を集めて訓練をするくらいだ。

 とはいえ、隊員達には普段仕事がある。
 一応規定の訓練量は決まっているのだが、それが守られた事など一度もない。
 規定通りに訓練を行って畑が放置されていたら意味が無いわけで、あと領主である親父は税収を増やすためだと言って大規模な開墾を行っていた。

 訓練よりも開墾が大切なので、俺もそちらをメインに手伝っていたほどだ。

『ヘルマン、今日の担当はあそこだ』

 親父に指定された場所の土を掘り起こし、邪魔な樹を切り倒して、切り株を何人かで地面から引っこ抜く。
 大きな石や木片を取り除くのも、かなりの手間であった。

 だが、今日担当している畑は隊員で良くやってくれているヘルゲが貰える事になっている。
 彼は三男で、実家の畑を継げない。

 なので、この開墾を失敗させるわけにはいかないのだ。

『すいません、ヘルマン様』

『それは言いっこ無しだ。お前がこの領に残ってくれないと、今でもショボイ警備隊がもっとショボくなる』

『ヘルマン様、それは禁句でさぁ』

 俺達は、他の開墾を手伝っている警備隊員達と大笑いをしていた。
 みんな次男以下で似たような境遇の者ばかり、ただ嘆くよりは自虐的でも笑ってしまった方が精神的に楽だからだ。

『お前は、大金を税として納めているんだ。遠慮するな』

 今年で二十歳になるヘルゲは、こう見えてあの魔の森遠征の生き残りである。 
 当時は成人したばかりの十五歳ではあったが、三男なので死んでも問題ないと思われて実家から推薦されたのだ。

 いや、厄介払いと言った方が正解であろう。

 この手の問題に、貴族と農民の差などない。
 正直なところ、当時十八歳であった俺が良く出兵させられなかったなと思っているほどなのだから。

 その代わりに、大叔父である従士長やその三人の息子達は全滅していて、現在では分家との間に隙間風が吹いている状態であったが。

 分家に仕える従士達や、男手が足らないので開墾を手伝っている女達の目を見れば一目瞭然だ。
 親父の指示には従っているが、たまに刺すような視線で親父やクルトを見ているのだから。

 俺もその対象になっているのだが、これについては仕方が無いのかもしれない。
 大叔父達の犠牲の元に、俺は今でも生きているのだから。

『あの金を持って、外に出るという選択肢もあったんだ。それを奪われた以上は、ヘルゲはちゃんと畑を持たないとな』

 ヘルゲは特に剣の腕が優れているわけでもないし、体も小さくて細い方だ。
 だが、弓は上手い方で、それ以上に体が丈夫で持久力があり、そしてそれ以上に精神が強かった。

 年齢のせいで下っ端扱いであった彼は、遠征軍では伝令役を務めていた。
 表面上は対等の立場であるはずの、バウマイスター家諸侯軍とブライヒレーダー家諸侯軍であったが、当然そんなわけがない。

 ブライヒレーダー先代の辺境伯は、大叔父達を自分の家臣の家臣。
 陪臣扱いして、そのせいで両者の間に次第に大きな溝が広がっていく。

 大叔父は、バウマイスター家諸侯軍をブライヒレーダー家辺境伯軍から少し離した。
 扱いの問題もあったのであろうが、もしかすると自分達の末路をある程度予想していたのかもしれない。

 あの小勢で二十名以上が生き残ったのだから、間違いなく破綻に備えていたのであろう。

 ただ、犠牲を少なくして逃げるという選択肢はあり得なかった。
 ブライヒレーダー家諸侯軍が壊滅したのに、バウマイスター家諸侯軍にはあまり犠牲は出なかったでは、後々問題になってしまう可能性があったからだ。

 特に、うちが塩などの物資の供給ルートをブライヒレーダー辺境伯家に握られている以上は、自分達だけで逃げるわけにもいかない。
 ただ、若い者はなるべく逃がしてやりたい。

 二十三名の生存者の全員が、十五歳から二十代前半の若者という事もあり。
 大叔父は、自分が出来る範囲で最良の結果を残したのだ。

 己と息子達の命をかけて。

 だが、親父の評価は辛辣であった。
 『貴重な領民をむざむざと失って』と。
 ただ、親父には領主としての立場がある。
 戦力の八割を失った大叔父を、表面的には叱責しなければいけないわけだ。

『確かに、親父の言う通りだな』

 親父に続いて、兄のクルトも大叔父の批判をする。
 クルトは凡庸な男ではあったが、親父の言う事は良く聞いているので当然こういう発言になる。

 だが、その一言で俺はクルトの軍事的才能の無さに気が付いていた。SPANISCHE FLIEGE D9
 同時に俺は、親父が一瞬だけ残念そうな表情をしていたのを見逃さなかった。

 親父は、きっとクルトに大叔父を褒めて貰いたかったのであろう。
 自分は領主なので、戦力を大半を失った大叔父を褒められない。
 だが、跡取り息子が出来る限りの若者を戻した大叔父を褒めてくれれば、多少は分家の人間の怒りを緩和する事が出来る。

 俺は聡明ではなかったが、そのくらいは理解している。
 なのに、クルトはそれに気が付かなかった。
 親父は、内心でガッカリしたのであろう。

 俺は、そういう事は事前に打ち合わせをしておけとしか思えなかった。

『それよりも、戻って来た者達を労ってやらないと』

 出しゃばりとは思ったが、俺は戻って来た者達に対して親父が直接声をかけるべきだと進言していた。 
 何しろ、クルトにはそういう配慮は期待できないのだから。

 遠征軍のせいで人手が足りず、まだ数名の領民を率いて領内を定期的に見回っているだけの俺であったが、率いている連中がミスをすればちゃんと正しく叱責する必要があるし、功績を挙げれば褒めなければいけない事くらいは知っている。

 彼らは、軍勢の八割が壊滅するほどの地獄から生き残って来たのだ。
 親父がその労を労い、気持ちでも恩賞や休暇などを与える必要があった。

『確かに、それは必要だな』

 親父は、俺の意見に賛同していた。
 そして実際にそれは行われたのだが、もしかするとその頃から俺を大叔父の分家に入れる構想練っていたのかもしれない。

『休暇など必要ない。むしろ、あの地獄を忘れさせるために開墾などで働かせた方が良い』

 クルトはこんな感じであったが、彼の立場を考えるとその意見も間違っているわけではない。
 生き残った若者達の全員が次男以下で、実家を継げる立場には無い。
 死んでも困らない者達が運良く戻って来たので、その労働力をすぐに生かすべきだと考えたのであろう。

 領地の発展のためには必要な決断なのであろうが、その発想は自分が長男であるという立場から出ている。 
 理解はするが、俺は心情的には気に入らなかった。

 そして戻って来た若者達であったが、大半が精神的に参っていた。
 大叔父の留守中に、数名の警ら隊程度の活動ではあったが勉強は必要だと思って父の書斎で本を読んだのだが、その中に戦争精神症の記述があった。

 戦場であまりに酷い目に遭うと、精神が病んで軍人としては使い物にならなくなるという物だ。

 彼らの話によると、魔物は大軍で夜襲をかけてきたらしい。
 おかげで、夜の暗闇やそこで発生する音に異常なまでに怯えるようになってしまっていた。

 大叔父一家の男手が全滅したので、暫くは俺が少数の警備隊を率いて警邏の真似事でもしなければいけない。
 実戦経験のある彼らを期待したのだが、そういう情況ならば彼らを誘うわけにはいかないであろう。

『俺は、大丈夫ですよ』

 ただ、運良く数名の精神も頑丈な若者達が警備隊に参加してくれる事になった。
 その中でも格段に頑丈であったのが、先に紹介したヘルゲであった。
 大叔父は、ブライヒレーダー諸侯軍への伝令役にヘルゲを指名した。

 両軍の険悪な空気を少しでも払拭するために、一番若造を送ったというわけだ。

 そして、その試みは少し成功している。
 相変わらずブライヒレーダー家諸侯軍の幹部連中などは高圧的ではあったが、ヘルゲの親と同年代の兵士達が定期的に伝令で来るヘルゲを可愛がってくれたのだそうだ。

『お前も災難だな。お上同士の意地の張り合いに巻き込まれてよ』

『伝令をしていると、馬の訓練になるから俺は気にしないよ』

『お前は、良い性格しているな。狩った魔物の肉を焼いたから、食べてから戻れよ』

『ありがとう』

『若い者は、遠慮しないで一杯食え』

 こんな感じで、下っ端の兵士達に可愛がられたそうだ。
 そして、あの運命の日。
 ヘルゲが伝令としてブライヒレーダー諸侯軍の陣地へと赴くと、彼らはヘルゲにある物を渡したそうだ。

『俺達は、多分生きて戻れない。坊主は、意地でも生き残れ。これをやるから』

 何かは良くはわからないが、魔物の牙を数本貰ったのだそうだ。
 そして、伝令役なので上手く馬を操って魔の森の外に逃げる事に成功していた。

 他の生き残り達と共に、どうにかバウマイスター領へと辿り着いたわけなのだが、それから彼に胸糞の悪い事態が襲う。

 せっかく生き残ったヘルゲを含む彼らに対し、親父は税金を徴収したのだ。
 魔の森に入った際に狩りを行い、それにブライヒレーダー辺境伯が報酬を出していたので、彼らは小銭持ちにはなっていたからだ。

『親父、さすがにそれは拙いだろう』

『お前の言う通りかもしれないが、それでも法は法だ』

 ただ、恩賞もあるので実質は差し引きゼロではあった。

『それに、彼らはほとんどその金を手元には置けまい……』

 確かに親父の言う通りだ。SPANISCHE FLIEGE
 親父もそれがわかっていたからこそ、決まり通りに税をかけたのかもしれない。

 生き残り組は、全員が次男以下。
 実家での扱いはご察しの通りで、命をかけて稼いだ金の大半を奪われてしまう。
 特にヘルゲは、貰った魔物の牙が高価な薬の材料になるとかで、直後に来た商隊の連中が金板二枚二十万セントで買い取って行った。

 なのに、ヘルゲが親から貰えた金額は僅か千セント。
 彼が命をかけて稼いだ金を、実家は徹底的に搾取したのだ。

『(本当に、胸糞が悪くなる話だ)』

 とはいえ、これが地方の農村の現実だ。
 家の存続こそが大事なので、次男以下などジュースを搾る山ブドウくらいにしか思っていないのだから。

 最近、商隊に付いてバウマイスター領を出る若者がチラホラと増えているが、その気持ちは俺でも納得できる。

 親父も、それが良くない事だとは思っている。 
 だが、あまりに急進的な方法は領内の統治を不安定にする。
 こんな孤立した領地で内乱などあれば、バウマイスター領は致命的な損害を受けるわけで、開墾の奨励は次男以下の独り立ちをなるべく推進しようとしているのであろう。

 その親父の配慮に、長男であるクルトが気が付いているとは思えなかったが。
 彼からすれば、耕地が増えれば税収が増える程度の認識なのであろう。

『ヘルマン、お前は分家に婿に入るのだ』

 親父からその話を聞いた時、俺は『今よりはマシかな?』程度の認識しかなかった。
 大規模開墾がひと段落し、ようやくクルトの嫁が決まった頃。
 俺は、分家に婿入りして従士長の職を継ぐのだと言われたのだ。

 遠征の失敗で、バウマイスター諸侯軍の兵力はいまだに回復していない。
 有事の際に男子全員で戦うのは義務であったが、ある程度訓練を続けている兼業兵士も必要だ。
 ところが、それが可能なのは俺が書斎の本などを見ながら苦労して見様見真似で訓練した次男以下の二十名ばかり。

 数少ない収穫は、ヘルゲが経験を積んで俺の片腕になってくれたくらいだ。 
 開墾されたばかりの畑の農作業と合わせて苦労させてるのが心苦しいのだが、今の俺には彼を遇する方法が無い。

 同年代の職人達や豪農の跡取りなどを取り巻きにして、安定した地位を築いているクルトには必要の無い苦労なのであろう。

 しかも、クルトは俺の軍事的な才能に嫉妬しているのだそうだ。
 その話を聞いた時に、俺はあまりにバカバカしくて笑ってしまったほどだ。

 確かに、俺はこの領内では一番の剣の使い手であったし、弓も猟師組に負けるとは思っていない。
 ある程度の警備隊や自警団くらいなら、親父やクルトよりも上手く指揮する事は出来るであろう。

 だが、それが何だと言うのだ。
 こんな田舎の孤立した領地で一番だからと言って、外に出れば俺よりも才能がある奴など星の数ほど存在するはず。

 クルトの嫉妬など、俺からすれば言いがかり以外の何物でもなかった。
 その後、俺への嫉妬は分家への婿入りと同時に消える事となった。
 競争相手が分家当主になったので、安心したのであろう。

 本当に、お気楽な次期当主様である。

 俺なんて、分家では針の筵だというのに。
 分家への婿入りは、大叔父の直系の孫娘であるマルレーネが成人するまで待っていたので遅れてしまったという事情があった。
 実際に婿入りすると、嫁のマルレーネの態度にも困惑した。
 分家の人間からすれば、大叔父達は本家が分家を乗っ取るための策で殺されたような物だという認識らしい。

 親父が何を考えたのかは知らなかったが、せめて俺だけでも出兵させれば良かったのだ。

 マルレーネは見た目は可愛らしかったし、結婚できたので文句は無いと言いたかったのだが。
 初夜で、『子供を作るためだから仕方なく』という態度を取られるとさすがに困ってしまう。

 食事の時などでも、俺は明らかに招かざる客という扱い。
 さすがに精神的にまいってしまいそうになるが、それを救ったのは意外な人物であった。

 俺には兄弟が多い。
 本妻である母が産んだ子供だけでも、三男のパウル、四男のヘルムート、五男のエーリッヒ。
 そして、一番年下の八男であるヴェンデリンだ。

 彼らは、どうせ家は継げないのだと王都に出るべくその準備に日々奔走していた。
 万が一に備え、予備としての十代を過ごした俺からすれば羨ましい限りであった。

『その代わりに、自己責任だぜ』

 パウルなどはそう言うのだが、それでも外に出られるのは羨ましかった。
 貴族になど未練はないし、どうせ分家の当主になった時点でもう貴族ではない。

 出来ればパウル達のように外の世界に出て、冒険者などをやってみたいと夢見る事が今でもあるのだ。

『僕は出て行かざるを得ないのですよ。正直なところ、この故郷に未練は有りませんけど』

 跡を継げるのに、クルトは新しい嫉妬の対象を見付けていた。
 五男のエーリッヒであった。

 こいつは、バウマイスター家に生まれて来たこと自体が間違っているとしか思えない男であった。
 優れた容姿に、俺でも敵わない弓の腕前に、抜群に優れた頭脳と。

 当然、領民達からの人気は高かった。 
 自然と、次期領主に相応しいと思われるようになる。

 この領地が他の領主と交渉を行うとは思わないが、領主はその領地の顔なので容姿に優れていた方が良いからだ。
 能力でもエーリッヒは、クルトなど何人いても敵わないであろう。

 クルトが嫉妬するのも当然であったが、それはエーリッヒが将来領を出て行くと明言した事で消えてしまう。

 そして最後に、更にとんでもない弟が現れる。
 八男のヴェンデリンだ。

 最初はこの子も、三歳頃から書斎で本などを読んでいて、エーリッヒに似たようなタイプだと思っていた。
 ところが、次第に魔法の才能を見せる事になる。

 こんな僻地の領地で魔法の才能を持つ子供が出るなんて、奇跡に近い。
 親父はすぐに対策を打った。

 完全に放任してしまったのだ。
 なるべく領地に貢献させないようにして、とは言っても食肉供給などでは圧倒的に貢献はしていたが。
 俺も実家に居た頃は、良くホロホロ鳥の肉を食べさせて貰った物だ。Motivator

 ヴェンデリンに行動の自由を与える。
 彼は魔法の特訓なのであろう、朝から日が暮れるまで。
 時には、どこかで外泊してまで魔法の鍛錬に集中するようになっていた。

 当然、またクルトは嫉妬の炎を燃え上がらせるのだが。
 俺からすれば、そんな暇があったら勉強でもしろと言いたくなる。

 そして肝心のヴェンデリンであったが、こいつは良い性格をしていると思う。
 クルトなど眼中に無く、自立のために好き勝手にやっているのだから。

『(ヴェンデリンを見ていたら、バカらしくなったな)』

 親父やクルトの意向に従って婿入りをしたら、嫁にまで隔意を抱かれる。
 そんな生活が嫌になったのだ。

 確かに俺は本家の次男だが、もう元次男になった。
 今は分家の当主で、家臣として親父やクルトのために働く必要はあるが、他の事で従う必要など無いのだと。

 そう決意した日から数日後、俺はとある会合に出席していた。
 この会合は、初期移民者が集まっている本村落において彼らの意見を聞くという物であった。 
 支持基盤なので、気を使っているわけだ。

 ただ、こんな事が常に行われていれば、当然他の村落の連中は面白くないわけで。
 将来的には解決の必要があったが、今は俺は分家の当主としてその利益を代弁する立場にある。

『いい加減、労役の軽減を頼みたいのだが』

 そうでなくても、分家は男が少ないのだ。
 そのために、分家の女達は開墾作業の手伝いまでしていた。
 分家にも従士は数名いるが、彼らは普段は農民として忙しい日々を送っている。
 こちらを手伝わせるには限界があった。 

『そのために、ヘルマンという男手を送ったのだがな』

『俺一人では限界があるだろう』

 やはり、クルトは俺など子分の一人くらいにしか思っていないのであろう。 
 その子分を分家に送り込んだから、分家など利用できる道具くらいにしか思っていない。

 なるほど、冷静に分析するとバウマイスター領の本村落優先の安定統治など砂上の楼閣でしかないのだと。
 親父や名主のクラウスは危機感を抱いているが、革新的な解決策などは見出せていないし、クルトはその危機にすら気が付いていない。

『(ある意味、羨ましいか……)労役のせいで、ハチミツ酒の製造量が減っている』

 分家の生業に、伝統的な養蜂技術とそれを用いたハチミツ酒の製造がある。
 ところが、極端な人手不足に労役の増加が拍車をかけて、その生産量は落ちていた。

『あと、いい加減にハチミツ酒の代金を払って欲しいのだが』

 この領地では、酒は貴重品である。
 麦の生産は増えていたが、それを酒にすると親父が渋い顔をするので精々で自家製のエールを少量作るくらい。

 なので、分家が作るハチミツ酒を徴収して領民に配っていたのだが、その代金をツケにして支払いを滞らせていたのだから性質が悪い。

 それは、俺の立場が針の筵になるわけだ。

『その内に払う』

『そうか。では、支払いが済むまではハチミツ酒の供給は停止する。ちょうど人手も足りない事だしな。あと、今まで貯めていたツケの清算も頼む』

『ヘルマン!』

 なぜかクルトが激怒していた。
 分家如きが本家に要求など、度し難い傲慢だと思っているのであろう。
 あと、俺を何だと思っているんだ。
 親父やクルトには、この領地を安定的に治める義務があるのであろうが、そのために何をしても良いというわけではない。

 いくら男手が居ないからといって、分家に無茶ばかりさせれば、それは反本家にもなろうという物だ。

『(俺を生贄にでもしたつもりか!)』

 段々と心の中で怒りが沸いてくる。
 バウマイスター家の兄弟の中で、なぜ俺だけがこんな目に遭うのだと。

 それは貴族にはなれないかもしれないが、俺はパウルやヘルムートやエーリッヒが羨ましかった。
 外の世界で、こんなクソみたいな田舎領地の柵に捕らわれないで生きていけるのだから。

 次に浮かんで来たのは、相続争いを防ぐために自由行動を許され。
 だが、領民達には怠け者の八男だと言われているヴェンデリンの姿であった。

 まだ幼いのに、ヴェンデリンは自分の思うままに行動している。
 魔法の才能が有るからでもあるが、周囲からどう思われようと、噂されようと本当に自由に生きているのだ。

 毎朝早くに出かけ、夕方に戻って来るヴェンデリンの顔には憂いや迷いなど一切無いように思える。

 俺は、彼とはあまり話した事が無い。
 元々年齢が離れていたのと、今の俺が分家当主の立場なので、話をしただけでクルトが神経を尖らせるであろうからだ。

 俺とヴェンデリンが組んで、クルトの地位を奪う。
 妄想の類ではあるが、クルトの猜疑心が強ければ信じられてしまう可能性もあった。

『とにかく、先の条件を飲んで貰う』

 俺もヴェンデリンほどではないにしても、己の道を歩むべきであろう。
 もう親父やクルトは他所の家の人間であり、俺は分家の当主なのだと。

 ならば、分家の利益を一番に考えないといけないのだ。

『開墾はひと段落ついた。貯まっていたツケは支払う』

『親父!』

『こちらが、開墾事業の関係で迷惑をかけたのだ。払って当然であろう』

 結局、親父はそういう理由で支払いをツケにしていたらしい。
 今の分家の人間からすれば、もう親父すら信用に値しないのであろうが。

 そしてクルトは、支払いなどしなくても良いと考えたらしい。

 思うに、クルトは貴族とは沢山金があれば何とかなると思っているのであろう。
 だが、それで分家を敵に回してどうしようと言うのであろうか?

『(今は、親父・クルトのコンビで何とか本村落の保守派を押さえて領地は治まっているが……)』

 魔の森遠征に端を発した分家との確執に、本村落でも若い層による保守層の年寄りへの反発。
 残り二つの村落などは、親父やクルトが領主なので仕方なしに従っているレベルであった。

 成立から百年ほどで、この領はガタガタになっていたのだ。

『(何か針の一刺しで、この領は破裂するかもな)』

 そしてそれは、親父とクルトがこの領の支配者から転落するという事だ。

『(俺の妄想かもしれないがな……)』

 この会合以降、ようやく俺は分家の人間に認められたらしい。
 妻が妻らしくなったので、これも怪我の功名であろう。

 クルトの顔が渋くなったが、どうせあいつは俺には腕っ節では勝てないのだから。

 そして数年の年月が流れたが、後の流れはもう何度も説明された通りだ。

 親父は引退し、このバウマイスター領の当主は俺になり、パウルも領地を分与され、最後にヴェンデリンが未開地の大半を分与されて伯爵になった。

 クルトの事は、もう話さない方が良いであろう。
 あいつは、外部との関係が開かれたバウマイスター領の未来に付いて行けずに自爆した。
 そういう事だ。蒼蝿水(FLY D5原液)

2014年8月18日星期一

報告と反省

 街道に出る前にジンは身だしなみを整える事にした。何せ服は破れて体中泥だらけの状態だ。
 ジンは今度は慎重に〔ウォータ〕を唱え、まずは鎧を着たまま体中の泥を洗い流す。
 本当はこのまま裸になって体中を洗い流したいところだったが、さすがにここで無防備な状態になるわけにもいかない。Motivat
 ジンは〔道具袋〕からタオルを取り出し可能な限り水気をふき取り、そして〔装備〕を使用して新しい服に着替えた。もちろん鋼鉄の片手半剣も折れた切っ先を含めて回収し、鞘に入れて腰に挿している。
 とりあえず出発前に比べ鎧はボロボロになっているものの、それ以外は変わらない姿になれた。

 さすがに人生初となる命の危険を感じる戦いを経験したせいか、精神的なものも含めた疲労感をジンは感じていた。少し早足で街道に出たところで、ジンはやっと少し気を抜いて大きくため息をついた。そのまま街道を街に向かって進む。

 そしてある程度街の近くまで来たところで人目がない事を確認し、鑑定済みの蟻モドキ(正式名マッドアント)の素材を詰めた大中一つずつの袋を取り出した。
 さすがにギルドでこんなに多くの素材をそこまで大きくない鞄から出すのは不自然すぎるので、ここからは実際持っていくことにしたのだ。
 しかし〔道具袋〕にはまだ入りきらなかった女王蟻マッドアントクイーンの素材が残っている。それなりの重さを感じながら、ジンは街への歩みを再開した。

 ようやく街に着いたジンであったが、何故かこれまでに比べ依頼達成の喜びや満足感といったものが少なかった。まだ夜どころか夕方にもなっていない時間だが、ジンは今日はこのまま宿に帰ってベッドに倒れこみたい気分だった。
 しかしそれでは一体何の為に体を張ったのか分からなくなる。ジンは気持ちに喝を入れると、ギルドへと向かった。

 ギルドの中には数人の冒険者らしき人々が見られたが、受付は空いていた。 ジンはアリアの元へ向かう。

「ただいま戻りました。『パムの花』の採取無事完了しました」

「おかえりなさい。おめでとうございます。ただ、どうかされたのですか?」

 ジンの帰りを喜んだアリアだったが、ジンの鎧についた大小様々な傷や、何かで一杯の大きな袋に驚いて思わず尋ねてしまう。

「あーっとその、色々ありまして。とりあえず、まずは『パムの花』や常時依頼の分から宜しいですか?」

「は、はい、失礼しました。確認させていただきます」

 言いよどんだジンを見て気になりつつも、確かにまずは本来の依頼からだと、アリアは一番の目的であった『パムの花』と常時依頼の『チリル草』と『メル草』を受け取る。

 一方ジンは、マッドアントについてどう話しをすれば良いのか迷う。
 さほど強くはないとは言え、あの数は異常事態だ。一応マッドアントクイーンは倒したのでもう危険はないと思われるが、群れがあの一つとも限らない。それに、そもそもジンはマッドアントの詳しい情報自体知らないのだ。
 やはりここは隠す事無く話そうと、ジンは決めた。

「(最初は20匹くらいかと思ったけど、なんだかんだで最終的には40匹以上倒していたからな。普通初心者ができる事じゃないだろうから、色々突っ込まれるのは覚悟しとこう)」

 そう考えて、ここでジンはようやく気付く。

「(しかし良く考えたら俺もよくあそこで戦おうとしたな。いくらそんなに強くないとはいえ、数が数だというのに。やっぱりVRゲームからの引継ぎ能力があるからと調子に乗って、「俺には特別な力がある」とか「俺なら出来る」的な驕りがあったとしか思えないよな。いくら『パムの花』が大事でも、自分が死んでしまったら元も子もないのに。うわ情けない。猛省しなきゃ。ほんと駄目だ)」

 ジンは恥ずかしいやら情けないやらでいたたまれない気持ちになり、思わず俯いてかぶりを振る。
 そんなジンにアリアが声をかけてきた。

「どうかなされたのですか?」

「いえ、すいません。ちょっと色々と反省してまして。どうぞ気にしないでください」

「そうですか? それではお伝えしますね。今回も採取された品に問題はありません。さらに5輪で良いところを8輪もの追加までいただきましたので、この分は改めて依頼主と相談の上、査定させていただきます。ただ、まず間違いなく同条件での依頼達成という形になるかと思います。ジンさん、本当にありがとうございます」levitra

 そう言ってアリアが頭を下げる。

「いえいえ、喜んでもらえて嬉しいです。こちらこそありがとうございます」

 そう言ってジンも頭を下げた。
 落ち込んでいたジンにとっては、自分のした事が反省すべき事ばかりではなく、結果としてはちゃんと喜ばれる事であった事に一つの慰めを得たのだ。 
 しかし当然アリアは何でお礼を言われるかは分からない。だが伝わらない事は承知で、それでもジンはお礼を言いたかったのだ。

「それと、もう一つの報告なのですが……」

 ジンはそう言って大袋からマッドアントの甲殻を一つ取り出すと、アリアに見せる為テーブルの上に置いた。

「採取の時にマッドアントの群れが出まして、その報告をさせていただきたいのですが、どうしたらよろしいでしょうか?」

 言われたアリアは固まった。
 マッドアントと言えば、一番弱いワーカータイプでもE級高位の討伐対象魔獣で、その特筆すべきは固い甲殻で覆われた防御力だ。 
 さらには最低でも2~3匹のユニットで行動する為、その場合危険度はさらに上がる。決して新米冒険者が挑むべき魔獣ではないのだ。

 しかも群れとは…… 群れ?!

「すいません、ジンさん。もしかしてその袋に入っているのは全部?」

「はい。全部マッドアントの素材です」

 アリアは思わず叫びそうになるのを意志の力でなんとか抑える。
 そして軽く目をつぶると片手を額に当て、気持ちを落ち着かせて考えようと大きく呼吸をする。

「ジンさん。お話は別室で聞きます。2階に上がりますので、ついてきてください」

 アリアはジンにそう言うと、次いで隣に居たサマンサに声をかけ何事かささやく。そして軽く頷いたサマンサは別の同僚に声をかけて受付を交代すると、自らは小走りにギルドの奥へと向かった。

 アリアの後をついて2階へと向かうジン。移動中のアリアはピリピリしていて話しかけずらい雰囲気だ。大人しくついていく。
 ジンが案内されたのは、二階の奥にある応接間らしきところだ。そしてこのまま座って待つように言うと、アリアは部屋の外へと出ていった。

 ジンが通されたそこは応接間といってもソファーと低いテーブルといった感じではなく、4人がけダイニングテーブルより気持ち大きい程度のテーブルと椅子があるシンプルなものだった。ただ壁にかけられた風景画などが応接間らしき雰囲気を出している。
 しかし残されたジンとしては落ち着かない。何かまずい事をしたかなと思いつつも、結局はなるようにしかならないと諦める。
 とりあえず誰が来るのかはわからないが、このまま座って待つというのはマナー的にないよなと、ジンは椅子から立ち上がって飾られている絵などを見ながら待つ事にした。

「待たせたな。まあ座れ」

 数分後、そう言ってアリアと共に現れたのはグレッグだった。
 意外な人物にジンは驚いたが、魔獣との戦闘だからグレッグ教官が来られたのかなと思いつつ、言われたとおり椅子に座った。

「アリアから聞いたが、マッドアントを倒したらしいな。詳しく話をしてくれ」

 いつもとは違う雰囲気に呑まれそうになりつつも、ジンは起こった出来事を話す事にした。

 森の中の採取地。現れた2匹のマッドアントと戦闘。
 そして追加で現れた20匹くらいの集団に囲まれてまた戦闘。
 何だかんだで追加も合わせて40匹くらい倒すと、マッドアントクイーンが現れ戦闘。
 それもなんとか倒して採取を行なって街に戻り、現在に至る。簡単に言えばそういう事だ。
 ジンは基本的に全て話したが、『パムの花』とマッドアントとの関係の推測等、自分のスキルが絡むところは話さなかった。

 ジンの話をこめかみをひくつかせながら聞いていたグレッグだったが、話がマッドアントクイーンに及んだときにはアリアも含め大きく反応した。
 そのままジンの話を最後まで黙って聞いていたグレッグだったが、話が終わるとおもむろに立ち上がってジンの前に立ち、次の瞬間にはその脳天に拳骨を叩き込んだ。

「この馬鹿もんが! 自分を過信してどうする!」

 頭に拳骨をくらったのは、中学生の頃に悪さをして先生からもらって以来だ。
 まさに目から火花が出る痛みに微妙な懐かしさを覚えつつ、ジンは思わず頭を押さえてうめく。しかしそんな事は当然とばかりに、グレッグの説教は続く。福源春

「いいか、お前は知らんだろうが、マッドアントは数十年に一度の周期で巣別れし、新しい群れが新天地を探して旅に出る。その数は、これまでの記録だと少ない場合でも100匹以上だ。お前が遭遇した群れが何故そんな少ない数だったかはわからんが、まずその時点でお前は運がよかったんだ。しかもいいか、あの蟻共は麻痺毒も持っているんだぞ。たまたま運良く麻痺毒をくらわなかったようだが、もし麻痺になったら1人ではその時点でほぼ詰みだ。だいたい3日前に冒険者になったばかりのお前が、20匹もの魔獣の群れに1人で戦うとか正気か? お前自分は死なないとでも思ってんのか? いいか、何度も言うぞ、お前は本当に運が良かっただけだ! この馬鹿もんが!」

 そう一気呵成にグレッグから説教を受けるジン。アリアもグレッグの後ろで、そうだそうだと言わんばかりに何度も頷いている。
 ジンも元から反省していた上に改めてグレッグに事実を突きつけられている為、より深く反省して神妙な面持ちで聞いている。

「もしお前がそこで死んでいたらどうなる? 誰も報告するものが居なくて、万一ギルドでその存在を把握できなかったら? あいつらはそこで巣作りをして数を増やしていただろうし、そうなればこの街にも影響が出たはずだ。だからお前は逃げていいんだ。いいか、それが…」

 それからもしばらくグレッグの説教は続いたが、ジンにとっては自分の浅薄さを再確認して反省する為のありがたい助言だ。しかもそれは、此方の身と将来を案じる気持ちから来ているのだ。ジンは心から反省しつつ、グレッグの話を拝聴した。

「いいか、お前は確かに普通のやつよりちょっとばかしステータスは高いし、物覚えも良い。だが、だからこそもっと慎重に行動しろ。いいな?」

「はい。ご心配をかけて申し訳ありません。今後もっと考えて行動します。ありがとうございました。」

 ジンはグレッグに深々と頭を下げた。
 グレッグの言葉の根底は此方への心配だ。ジンが感謝しないわけがない。

「アリアさんにもご心配をかけて、申し訳ありませんでした」

 そしてアリアにも向き直り、頭を下げる。そんなジンを見てアリアも言う。

「ジンさん。貴方が『パムの花』の為に体を張ってマッドアントに立ち向かったであろう事は想像がつきます。本当にありがとうございます。ですが、もしそのせいで貴方の身に何かあれば、私は泣いてしまうでしょう。勝手な言い草で申し訳ありませんが、私は何より貴方が無事戻ってきてくださった事が嬉しいのです」

 そういうアリアの様子は、本当に涙をこらえているかのように悲しげだった。 ジンは胸が締め付けられるような気持ちになり、もう一度深々と頭を下げた。 一方グレッグは驚いたような、でありながらどこか納得したような顔をアリアに向けていた。

 そうしてジンに対する説教という名の心配は終わり、3人とも椅子に腰掛けて今後の対応へと話は移った。

「まず今回のマッドアントの群れに関しては、ほぼ全滅と考えて良いだろう。女王がやられてるのに、他の蟻共が出てこないわけがないからな」

「調査の依頼はギルドから出しますか?」

「そうだな、生き残ったやつがいないかの確認と、出来れば何処から来たのか分かればいいんだが」

「では、ランクDもしくはCのパーティ推奨ということで宜しいですか?」

「そうだな、目的は探索のみに絞って、Dランク以上ということにしよう。最悪俺が指名依頼を出す」K-Y Jelly潤滑剤

 そうグレッグとアリアの話し合いが進むのをジンは黙って聞いていたが、一応の覚悟をもって口を開く。

「すいません。もしかしたら、蟻達は『パムの花』を狙っていた可能性があります。あの森にはもう『パムの花』はほとんどありませんでした」

「ふむ、そうか。アリア、うちと同じように『パムの花』が例年に比べて採れなくなっている地域があるか調べてみてくれ。もしかしたら、大まかな方角が分かるかも知れん」

「はい分かりました。他のギルド支部に連絡を取って確かめて見ます」

 何故そんな事がわかるのかと突っ込まれる事を覚悟していたジンだったが、何事もないかのようにスルーされて拍子抜けした気分になる。

「ふっ。お前が普通と違う事は分かっている。今回の件もそうだが、そうでもなければたった数時間で薬草を採取してくるなんて芸当が出来るわけがないだろう。だが別にその理由をいう必要はない。自分の情報を守るのは冒険者の基本だからな」

 無意識にジンは顔に出していたのだろう、そんなジンを見てグレッグが苦笑して言った。アリアも何でもないことのようにこちらを見て頷く。
 ジンは何だか変に身構えていた自分が恥ずかしくなり、そして2人の対応に嬉しくもなってしまう。

「あと、お前が回収した素材はこちらで一括して買い取っていい。ただ、この甲殻は良い防具の材料になるからな、いくつかは鍛冶屋に持ち込んで自分用に加工してもらうといいと思うぞ」

「はい。女王蟻の素材を持っていけば良いでしょうか?」

「おっとそうだったな。それを持っていけば問題ないどころか、かなり良いものができるだろうな。ああ、あと今回の件でお前の名前は大なり小なり冒険者連中にも知られるだろう。お前自身は言わないだろうが、こういった情報は広まるもんだからな。新米が1人でマッドアントの群れを倒したなんて話を信じるやつはそうは居ないだろうが、だからこそお前に変に絡んでくるやつも出るかも知れん。そういう奴らは適当にあしらって相手にするなよ。お前がもう少し地力をつければ、そんな奴らはすぐに黙るからな」

 確かに変に悪目立ちするのはジンにとって本意ではない。気をつけようと改めて思う。

「そうだ。明日で良いから神殿に行ってステータスを確認しておけ、まあ、カードを更新しても分かる話だがな。たぶん、レベルがだいぶ上がっているはずだ。上がったレベルにもよるが、今回の件でDランク程度のギルド貢献までなら特別に認めてやれるが、どうする?」

「いえ、普通にしてもらえれば、それで充分です」

 もしそうなれば今がFランクだから二段階UPになるが、ジンにそのつもりはない。
 今の自分は何もかも足りないので、一つ一つ確実に成長していくという考えだ。

「うむ。そうか」

 グレッグもその答えを期待していたのだろう、満足げに頷いた。曲美

2014年8月16日星期六

ドラゴン討伐の報酬

翌日、ギルド。大部屋に全員が集合してまずは戦利品の分配である。ドレウィンとティリカちゃんも立ち会っている。アイテムから順番に獲物を出し、確認していく。だいたいの獲物は宵闇か暁が倒しているので、手間がかかったのはオークくらいだ。ギルドカードを照会して、配分を決めていく。分配された獲物はどんどん運び出され換金されていくんだろう。新一粒神

 次はドラゴンの分配会議である。誰がどのくらい活躍したか?配分をどうするか、決めなければいけない。とりあえず輸送分で一割は確定しているし、戦闘面でも活躍したことだし、これは期待してもいいだろう。

 まずはドラゴンとの戦闘について詳細に語られる。何人もの証言により、事細かに記録されていく。次はその記録を元に、分配会議だ。やはり活躍した順はおれとエリザベス、暁、アリブール、ヘルヴォーンの順だ。どの部分がどの程度の比率なのか?激論が戦わされる。おれは気配を殺して黙って聞いていた。退屈だ。もう適当でいいので帰ってもいいだろうか。家を探しに行きたい。だが、真剣に議論している冒険者たちにそんなことは言えるはずもなく、踊る会議を眺めるのみ。ティリカちゃんも会議室の端のほうで、無表情で会議を聞いている。こういう会議、あとで揉めるといけないので真偽官は歓迎される。嘘とか言うとすぐばれちゃうからね。

 ようやく各人の満足の行く結果がでたようだ。それを元に、報酬を計算していく。まずは依頼報酬200ゴルド×5日分で1000。荷物の輸送報酬の1割が、3280。ドラゴン討伐参加に対する報酬が2000。オークの討伐報酬が50×9匹で450と素材で1200。で、最後にドラゴン討伐成功の報酬で30000。合計37930ゴルド。これにさらに後日、ドラゴンを売った値段が加算される。

 命がけではあったが、魔法一発当てただけで3万ゴルドである。思ったよりいい報酬に喜んでいたら、これくらいが妥当なんだそうだ。

 もし町にあのドラゴンがやってきたら?被害は10人や20人じゃ済まないだろう。建物の被害がどれほどになるか予想もできない。事前に察知できて退治できたのは運がよかった。むしろ報酬は安いほうだ。あのドラゴンがどこかで暴れて賞金がかけられるとかになると、報酬はもっと上がるだろう。

 37930ゴルドである。資金はほぼ倍。じゃらじゃらとコインを受け取り、アイテムに投入し金額を確認する。69879ゴルド。クルックによると奴隷の値段は4,5万くらい。余裕で買える!買えるよ!!家は賃貸ならそんなにかからないだろう。ドラゴンの売却のほうも期待できそうだし、いっそ一人と言わず二人でも……

 受付のおっちゃんに不動産屋のことを聞くと、商業ギルドのほうで紹介してくれると言う。そちらへ行こうとすると、エリザベスに捕まった。

「ちょっと、マサル。お待ちなさい!」

 目敏いな。隠密発動してるのに見つかるとは。ちなみに町に戻ってから忍び足は取り直してある。ないとなんか不安だったから。

「暇ならついてきなさい。魔法の特訓をするわよ!」

 練習ではない。特訓である。なにやら不吉な響きだ。

「このあとは家を見に行こうかと……」

「家?買うの?借りるのね。いいわね。わたしもついて行くわ」

「わたしもよろしいですか?マサル殿」

 エリザベスの後ろに女の人が立っていた。顔を見て思い出す。暁の女戦士の人だ。たしか名前はナーニア。普段着だったから一瞬わからなかった。肩くらいまであるウエーブした赤みがかった髪。ズボンをはいた男装っぽい服装だが、背が高くモデル体型で、出るところが出ているのでとても女性的だ。腰に剣をさし、実に精悍な印象だ。顔も洋画のヒロインでもできそうな美人で、さぞかし女性にもてそうだ。お姉さま!って呼ばれるタイプだな。

「ええ、構いませんよ」

 これはきっとデートってやつだよな。彼女いない暦=年齢のおれに訪れたモテ期に違いない。伊藤神よ、ありがとう。今日は日誌に感謝の言葉を書いておこう。蔵八宝

 お隣の商業ギルドで不動産屋の場所を聞く。わりと近くだ。商業ギルドを出ると、突然エリザベスが言った。

「マサル、あなたちょっと服が野暮ったいわよ」

 効果はばつぐんだ!おれのハートは大ダメージを受けた。

「ね、ナーニアもそう思うわよね?」と、ナーニアさんにも同意を求める。この女、自分は黒いローブにフードのくせして、なんてことを言いやがる。エリザベスは町中でもフードをすっぽり被ったままだ。怪しいことこの上ない。

「え、ええ……ちょっとその、安っぽいかなと思わないでもありません」

 ナーニアさんが困りながら返答している。言葉は選んでいるがおおむね同意のようだ。スタイリッシュなナーニアさんに言われて、泣きたくなった。たしかにこの服は安い。こっちにきて最初に古着屋で買って以来、使ってる服だ。

「そんな貧乏臭い格好で家を探しにいったら舐められるわよ!さきに服を買いましょう。お金はたっぷりあるでしょ」

 エリザベスのその黒ローブはどうなんだよ!

「これはいいのよ。伝統ある魔法使いの服なんだから!」

 そんな格好の人、町でも見たことないですが?

「勇者の仲間の魔法使いがこの格好だったの。挿絵でみたから間違いないわ!」

 黒ローブにはなみなみならぬこだわりがあるらしい。値段がどうの、材質がどうの、魔法がかかっていて防御力もいい。ステキでしょ?

「はい、素敵ですよ。エリー」

 ナーニアさん、甘やかしすぎじゃないですか……

 服屋に連れて行かれて、あーだこーだと試着させられる。色々と疲れたおれはされるがままに服を着て、購入した。エリザベスは満足そうにしている。

「うん、悪くないわね。お金持ちのお坊ちゃんに見えなくもないわよ」

「はい。お似合いかと。上品な感じになりましたよ」

 わたしが選んだんだもの、当然よ!とエリザベス。黒ローブに言われても説得力のかけらもないが、ナーニアさんが言うならそうなんだろう。500ゴルド近く散財したが、たしかに着心地はいい。

「髪もどうにかしたいけど、とりあえずはいいわ。さあ、行きましょう!」

 エリザベスを先頭に不動産屋にのりこむ。おれの家を探しに行くんだけどなー、とこっそり心の中だけで思う。なんかご老公のお付の人みたいな感じだ。

 不動産屋はモルト商会とだけ看板が出ていた。日本の不動産屋のようにぺたぺたと物件情報が貼り付けてあるわけでもなく、店構えだけでは何の店かもわからない。そもそも商会と看板がなければ店であることすらわからないだろう。

「これはこれはお客さま。本日はどのようなご用件でしょう」

 商会にはいるとすぐに、初老の紳士な人が出迎えてくれた。わたくし、モルト商会番頭のバウンスと申しますと名乗る。

「家よ、家を借りたいの」と、エリザベス。

「さようですか。どのような家をお探しでしょうか」

「そうね。大きい家がいいわ。広い庭がついてるやつ」

いやいや、ちょっと待ちなさいよエリザベスさん。

「いえ、そんなに広くないのがいいです。むしろ小さいのが」

 バウンスさんはちらりとこちらを見るとごそごそと資料を探し、VIVID

「こちらなどいかがでしょう」と、エリザベスに提示する。こんな黒ローブをしててもエリザベスが本体で、おれがお付に見えるのか……

 提示された物件を一緒に覗き込む。でかい。みるからに豪邸である。部屋がなんだかいっぱい書いてある。どう見ても一人暮らしに紹介する物件じゃない。

「ふうん。ちょっと庭が小さい気もするけど、屋敷のほうは悪くないわね」

 さすがにこれは無理だ。

「いえ、もっと小さいのでお願いします。おれが、一人で住む予定なんです」

 おれが、と強調していう。

 次に見せてくれたのは普通の物件だった。庭付き一戸建て。二階建てで3LDKってところだろうか。家族向けの物件のようだがお風呂もあるし、庭も広め。悪くない。

「これじゃ小さいわよ」

 エリザベスは基準がおかしい。この子のことは聞かなくていいからと、他の物件も見せてもらう。

 2つ目に見せてもらった物件と他にも候補があがり、3軒ほど実際に見せてもらうことになった。案内には若い人がついた。

「もっと広い家がいいのに。あれじゃあパーティーも開けないわよ」と、エリザベスは不満みたいだ。いや、パーティーなんか開きませんから。

「ねえ。前から思ってたんだけど、エリザベスっていいとこのお嬢さん?」と、ナーニアさんにこそっと聞いてみた。お嬢さんなのは見るからになんだけど、なんかこう、浮世離れしてるところがあるな。思ってたより、お金持ちの家なのかもしれない。

「ええ、まあ……。ですがいまはただの冒険者ですし、お嬢様の家のことはあまり……」

「いえ、すいません。余計な詮索でしたね」

 お嬢様って言っちゃってるし、どこかの名家のお嬢様と護衛の人って感じだろうか。

 3軒とも見て周り、豪邸の次に見せてもらった家に決めた。庭付き風呂付一戸建て二階建ての3LDKである。値段も月900ゴルドとお手頃だ。この異世界、庶民のお風呂は銭湯である。家についてるほうが少ない。庭もそこそこの広さがあったし、家具も揃っていて、すぐに住めそうだ。庭は雑草だらけだったし、部屋も掃除が必須だったが。井戸も共用のものがすぐ近くにあり、いま住んでいる宿も近いから外食にも困らない。

 商会に戻り、契約を交わす。契約は明日からだが今日から使っても構わないとのこと。3か月分の家賃を払い、鍵をもらう。敷金礼金といったシステムはないようだ。家を壊したり、ひどく汚した場合は出て行くときに請求される。夜逃げ対策とかどうするんだろうね?

 昼も近いので3人でお食事処で昼食をとる。

「とりあえず布団がいる。あとは掃除だな」

 掃除と聞いて目をそらすエリザベス。どうやら手伝ってくれる気はなさそうだ。

「人を雇えばどうでしょう。ギルドに雑用の依頼を出せばいいんじゃないでしょうか」

 なるほど。自分でやる必要はないな。アンジェラが孤児院の子供達のバイトを探してると言ってた気がする。聞いてみようかな。家の掃除くらいなら手頃だろう。

「このあとはどうする?知り合いのところに掃除の手伝いを頼みにいくつもりだけど」

「そうね。魔法の練習してる時間はなさそうだし、今日は帰るわ」

「掃除のてつだ……」「用事があるのよ!」強力催眠謎幻水

 よっぽど嫌らしい。そういうと、さっさと逃げていった。ナーニアさんに手を振って別れを告げる。エリザベスたちは一週間くらいは休暇だそうだ。家も割れてるし、きっとまた来るだろう。一応エリザベスの泊まってる宿も聞いてあるし。

 孤児院につく。子供達に囲まれつつ、アンジェラを探す。ちょうど昼が終わったくらいなようだ。

「あら?今日はどうしたの」と、アンジェラちゃん。

「いい服を着てるじゃないか。うん、似合ってるよ」

 女性が選んだ服だし、女性受けはいいんだろうか。高い服ってのはわかるが、似合ってるかどうかは自分ではわからんし。

「ええと、家を借りたんだけど……」と、事情を説明する。

「なんだ、それくらいならタダで手伝うよ」

「いや、悪いよ。お金は今回の報酬で結構あるからさ。ちゃんとバイト代ははずむよ」

「そうだね。じゃあこれくらいで……」と、数字を出される。

「安すぎない?」

「子供の仕事だもの。これくらいが相場だよ」

「これくらいは出すよ」

「じゃあ、これくらいを子供達に渡して、あとは孤児院に寄付ってことにしよう。あんまり子供達にお金を持たすのもよくないからね」

 子供の人件費やっすいなあ。5ゴルドで半日仕事してもらえるそうだ。500円だよ、500円。子供の小遣いだよ。いや子供なんだけどさ。10人ほど雇って、部屋の掃除と庭の草むしりをしてもらう。道具はここにあるのを持ち出し。報酬は一人5ゴルド+孤児院に100ゴルド。

 準備をして子供達を引き連れて我が家に向かう。家につくとアンジェラが子供達にてきぱきと指示をだし、作業分担を決めていく。おれは子供達3人と庭で草むしりをすることにした。じゃあとアンジェラは家の中の担当となった。

 実家の庭の草むしりはおれの役目だったし、慣れたものだ。道具はなかったので素手でぶちぶち引き抜いていく。ステータスが上がった効果だろうか。明らかに力は増しているし、この程度じゃ全然疲れない。子供達の倍以上のペースで雑草を処理していく。とはいえ、広い庭なので時間はかかる。子供達にも無理はさせないように、休みながらゆっくりと作業を進めていった。

 夕方になる頃には庭はきれいになり、家の中もピカピカになっていた。さっきまでの埃まみれが嘘のよう。いい仕事だ。それを見ながらふと、浄化を使えばよかったじゃないかと気がついた。かなり広いとはいえ、おれのMP量なら余裕だろう。まあ庭の草むしりは魔法じゃ無理そうだし、お金をもらって喜ぶ子供達を見て、まあいいかと思い直した。

 アンジェラが子供達を連れて帰っていったので家に一人になった。布団を買わないとダメだけど、まだ店はあいているだろうか。この町の店が閉まる時間はかなりはやい。明日でいいか。そろそろ晩御飯の時間だし、竜の息吹亭で食事にしようか。女将さんにも宿を引き払うことを知らせないとだめだし。印度神油

 その日はベッドの上で寝袋に包まって寝た。宿のせんべい布団も硬かったが、直接木のベッドの上で寝るのはとても硬かった。明日は実家で使ってたみたいな、ふかふかの布団を買いに行こう。そう心に誓った。

2014年8月13日星期三

家族

エリーのスキル振りは少し保留にした。65Pはあるものの、空間魔法を極めようと思えば48P必要な可能性がある。じっくり考えたいとのことだ。

 だがティリカがこんなことを言い出した。狼一号

「私もマサルのパーティーに入る」

「仕事はどうするの?」と、アン。

「辞める」

「辞めるって。そんなに簡単にできるの?」

「師匠がまだ街にいるから頼んでくる」

「でも急にどうして?」

 そう聞いてみた。みんなで冒険に行くのが羨ましくなっちゃったのだろうか。それとも召喚獣を試してみたいとか。

「マサルが使徒だから」

「おれが使徒だとパーティーに入るの?」

 ティリカはこくりとうなずいた。

「昔。勇者があらわれたとき、一人の真偽官が勇者と知り合った」

 その真偽官は勇者の仲間になる機会もあった。だけどその真偽官は魔王討伐の旅にはついていかなかった。なぜ同行しなかったのか理由は残されていないが、後年それを後悔した真偽官は、もしまた勇者があらわれたときは必ず助けとなるように、できれば真偽官が同行するようにと掟を定めた。それは今でも連綿と受け継がれているという。

「おれ勇者じゃないんだけど」

「可能性があるってだけでも十分よ。ね、ティリカ」

「十分。もし後日、この機会を逃したとみんなに知れたら、きっと怒られる」

「でも使徒ってばらしちゃ困るよ」

「大丈夫。うまくやれる」

 そうしておれはティリカとともに、ティリカの怖い師匠と対面してるわけだ。場所は普通の宿屋の一室だ。結構偉い人と聞いたけど、質素なところに泊まってるんだな。

「師匠、頼みがある」

 席につくといきなりティリカが切り出す。

「何かね」

「この街での真偽官の任務を解除して欲しい」

「何故かね」

「マサルのパーティーに入る」

「何故?理由なき任務放棄は多額の賠償金が発生する。それはわかっているのかね?」

「これは特記事項第三項にあたると考えられる。補填は本部がするべき」

 特記事項第三項ってなんだろう?気になるけど、ティリカには基本的に黙っていろって言われているし。

「ほほう!第三項とは大きく出たな。根拠はあるのかね?」

「言えないし、今は言うべき時ではない」

 言うべきことはそれで十分らしい。もしこれ以上追求するようなら、真偽院という組織自体が疑心暗鬼で崩壊するだろう。身内同士で腹のうちは探らないという不文律があるのだ。うちの中でも最初にそういう話はして、ちゃんと言いたくないと言えばティリカはそれ以上追求するようなことはない。アンと相談していたときも、言いたくないと言えば済んだ話だったのだ。

「理由も言えないのに私にそれを本部に持って帰れと?」

「第三項を本部に知らせるのはまずい。このことは師匠のところで留めて欲しい」

「その男のせいかね?」

「それは言えない」

「情に流されたのじゃないのかね?」

「少しはそれもある。だけどこれは真偽官としての務めを果たすためにやること」

「義務を果たすためだと?」

「今のところは可能性が少しある、という程度。だけど後日、それが間違いだったとの判断がなされればこの命を断ってもいい」

「よかろう。好きにするがいい。本部に人員補充の連絡をいれよう。その間の代役はわしが務めることにする」

「ありがとう、師匠」

「だが、そこのおまえ。おまえにはティリカに命を賭けさせるほどの何かがあるのかね?」

「たぶんあるんだと思います。おれはそれでティリカの命を賭けるなんてとんでもないとは思いますが」紅蜘蛛

「ティリカは自分の命を賭けると言った。おまえは自分の命を賭けられるのかね?」

「賭けますよ」

 そうだ。家族を守るためなら命を賭けてもいい。

「いいだろう。ティリカ、常に真偽官の本分を忘れないように。しっかりと務めを果たせ」

「わかった。行こう、マサル」

 それで話は終わった。そういえばまたこの人の名前聞けなかったな。

 おれたちはいま冒険者ギルドに向かっている。今回の件を副ギルド長に報告に行かなければならない。

「さっき言ってた特記事項第三項ってなんなの?」

「第三項とは世界の趨勢に関わる事態にあった際の規定」

 そりゃ、大きく出たなって師匠の人が言うはずだよ。

「おれが使徒ってだけじゃ世界の趨勢うんぬんは言い過ぎだと思うんだけど」

「マサルのその能力。なぜ神がそんな力をマサルに与えた?」

「そりゃテストをするためだろ」

「なぜテストの必要が?」

「なんでだろう……」

「それはいつか、その力が必要になる事態が起こると神が考えてるからに他ならないと私は考える」

 世界の破滅か。やはり神はおれにそれをどうにかさせたいのだろうか。

「魔王でも復活しておれが勇者になるかもしれないってこと?」

「わからない。でも何かがあってもマサルが勇者になることはない。その力で勇者を作ればいい」

 なるほど。おれも少しそれは考えてた。どっちかって言うとおれとかよりサティのほうが勇者に向いてるんじゃないと思うんだ。まあサティにそんなことは絶対にさせないけど。

「私の魔眼は旅の役に立つ。召喚魔法も覚えた。私がマサルを守ってあげる。それにサティもアンもエリーもいる。何が起こってもきっと大丈夫」

「うん。ありがとう、ティリカ」

 そう言ってティリカの頭をぐりぐりと撫でた。そうだ。おれ一人でやる必要はないんだ。今はまだこの生活を壊したくないから黙っているけど、世界の破滅のことはそのうちちゃんと話そう。

 世界の破滅は20年後だ。あとほんの少しくらい、安穏とした生活を楽しんでも罰はあたらないだろう。

 ギルドに到着し、副ギルド長の執務室を訪ねる。副ギルド長はちょうど在席で仕事もしていなかったようだ。

「おお、マサルとティリカじゃねーか。今日は休みだろう。おれの顔を見にでも来てくれたのか!」

 そういって副ギルド長が豪快に笑う。

「今日は仕事を辞めるのを言いに来た」

「お、おう?もう子供でも出来たのか……?」

 相変わらず説明不足のティリカも問題だが、副ギルド長の発想もおかしい。こんな短期間で子供が出来たのがわかるわけがなかろう。避妊もちゃんとしてるし。

「ええっとですね。今回ティリカがうちのパーティーに入ることになりまして」

「ふむむ。それは構わんが、ここの仕事はどうするんだ、ティリカ?」

「師匠が説明しに来ると思う。代役を用意する」

「そうかあ。マサルのパーティーもこれで5人か?パーティーの名前はなんて言うんだ?」

「え?名前……なんだろう?」と、ティリカを見る。

「知らない」

 そうだよね。何にも考えてなかったよ。 紅蜘蛛赤くも催情粉

「登録しとかないとだめだから決めておけよ」

「あ、はい」

「それにしても寂しくなるな。マサル、ちゃんと面倒みてやってくれよ」

「ええ。でもこの街を拠点にしてますからね。いつでも顔を見れますよ」

「ドレウィンには世話になった。ありがとう」

「いいんだ。こっちこそ。最初にやらせたあれとか大変だった。もう流石に手出ししてくるやつはいないと思うが、マサル、本当に気をつけてくれよ。ギルドの仕事を辞めるとなると、もう護衛をつけるわけにはいかんからな」

 ティリカがこっちにきた当初、街にはびこる犯罪者やら汚職やらを魔眼を使って徹底的に摘発したらしい。それで恨んでいるやつらが相当数いるのだそうだ。結構前の話だから、いまだにどうこうしてくるやつはもういないみたいだけど、油断はできない。

「大丈夫です。対策は考えてありますから」

 今は召喚獣のたいががいるし、ティリカ自身も魔法が使えるから、多少強いくらいの刺客では相手にはならないだろう。もちろんティリカを一人にするつもりはないが。

「そうか。何かあったら言ってくれ。力になるぞ」

 その瞬間。ティリカがたいがを呼び出した。

「な、なななん」

 狭い執務室に突然あらわれた大きな虎に、副ギルド長がうろたえる。

「落ち着いて。私の護衛。名前はたいが」

「護衛?この虎が?今どこから出てきた?」

「おい、見せちゃって大丈夫なのか?」と、小声でティリカに尋ねる。

「大丈夫。ドレウィンは信用できる。ドレウィン、この事は誰にも話さないように」

「ん、ああ。わかった」

「くれぐれもお願いしますよ」

「それで。今のこれは魔法か?」

「ええ、そのようなものです。普段は隠しておいて、いつでも呼び出せるんです」

「ほー。強そうなやつだなあ」

「強いしかわいい」

「うむ。そうだな。こんなのが護衛についてたら安心だ。しかしこれは……ビーストテイマー?……いや、召喚か?」

「秘密」

「そうか。秘密だな。わかった」

 そんな感じでティリカは無事うちのパーティーに入ることになった。そして翌日から師匠の人がギルドに来て威圧感を存分に振りまいたおかげで、冒険者からはティリカ復帰の嘆願が多く出されたそうである。紅蜘蛛(媚薬催情粉)

 もう一件難題が残っている。司祭様に話をしないといけない。今のところ黙っていてくれてるみたいだけど、そのあたりのことをキチッとしておきたいのだ。

 前日にアンジェラを通して2人で会いに行くのは言ってあり、神殿に着くとすぐに司祭様に出迎えられ、小部屋に通された。アンジェラと並んで座り、司祭様と向き合う。

「お話があるということですが」

「はい。まずは先日の結婚式のお礼を。神殿を使わせてもらい、主催もやっていただきありがとうございます」

「いいのですよ。シスターアンジェラは娘のようなものですから。それにマサル殿には何度も治療院を手伝ってもらってますからね。この程度ではとても釣合いません」

 さてここからが本題だ。

「それでその。アンジェラからある程度伝わっていると思うのですが……」

「そのことに関しては私の胸の内におさめてあります。ご心配なく」

「はい。ですがきちんと話をしておこうと思いまして」

「話していただけるとあれば喜んで聞きましょう」

「今から話すことはご内密にお願いします」

「もちろんですとも。どこにも話すことはありませんよ」

「俺が使徒だと言うことはお気付きかと思います」

「ええ。薄々は」

「話の始まりは仕事を探していて……」

 みんなにした話を繰り返す。もちろん世界の破滅の話はしないで街に入ったあたりくらいまでだ。

「なるほど。能力のテストですか」

「ええ。別に魔王を倒せとかそんな話は全くないんです。だから使徒ってばれて自由に動けないと困るなと。それにおれが目立つのだめって知ってますよね」

「お話はわかりました。このことは絶対に漏らしません。それにしても、シスターアンジェラ」

「あ、はい」

「最近急に治癒術の腕が上達したのはもしかして?」

 やっぱり鋭いな。砦に行っている時におれに教えてもらってコツを掴んだ、みたいな誤魔化しはしてみたが、やっぱり無理だったか。

「この能力でアンジェラの魔法も強化したんですよ。加護を与えるっていうんですか」

「その加護は誰にでも与えられるのですか?」

「いえ。親愛度っていうか、信頼度のようなものが一定以上にならないと」

「ああ、なるほど。そういうことですか。ではマサル殿の家の他の方も?」

「はい。全員加護を受けてます」

「いや、しかし。なんという素晴らしい力でしょうか。まさに神の御加護ですね」

「くれぐれも内密にお願いします」

「ええ、ええ。もちろんですとも。使徒様の頼みなのです。絶対に守りましょう。ただですね……」

 司祭様は先程までの笑顔を急に曇らせた。D10 媚薬 催情剤

2014年8月12日星期二

魔族

里を滅ぼされたあの夜、翼人たちは子供たちを家の中へと隠すと、森から現れた妖魔たちと戦った。

「いい? リーナ。絶対に家の外に出てはダメよ?」

「大丈夫だ。父さんは強いんだぞ。ゴブリンだろうと、オーガだろうと負けないさ」挺三天

 森の中でゴブリンを見たという報せを受けて、イフェリーナの両親もまた彼女へ家の中で隠れているように言い聞かせると外へと出て行った。

 天空から雷を召喚し、荒れ狂う大気の刃が妖魔を粉砕し切り刻む。
 外から響く轟音。強烈な閃光。妖魔たちの断末魔の叫び。
 まだ幼いイフェリーナの精神が、恐怖に耐えられなくなったのも無理はない。
 いつの間にか意識を失っていた。

 やがて目が覚めた時には、周囲からは物音一つ聞こえなかった。

 部屋の中に満ちる煙に咳き込む。
 屋根が崩れ落ち、部屋の半分を埋め尽くしていた。
 射し込む月明かりの中、ようやく通れるだけの隙間を柱の間に見つけて外へと這い出す。

 そして――イフェリーナの目の前に、変わり果てた里が広がっていた。

 昨日まで笑い合っていた里の人々が、見るも無残な姿で血に染まり物言わぬ骸となっていた。
 ふらつく足取りで里の中を歩いていく。

 そして出会った。
 月明かりに照らしだされ、里を燃やす炎を背にその巨大な人影は立っていた。
 何か丸いモノを足で弄んでいる。
 イフェリーナは恐る恐る近づいていく。
 転がされていた丸いものがゴロリと転がって、反対側をイフェリーナに見せた。

「……お父さん?」

 それはこの里で一番の使い手だったイフェリーナの父親の首。
 イフェリーナにいつも優しい笑顔を浮かべて接してくれていた、大好きな父親の首から下が無い。

「お……お父さん!」

「おっと……もう一匹いたのか」

 影がイフェリーナへと手を伸ばす。
 ギラつく野獣のような瞳。犬や狼を思わせる頭部。そして、鋭い犬歯の見える口。

「こいつはお前の親父か? 強かったぜ。魔族の俺がここまで追い詰められるとは、さすがは翼人といったところだな。まるで手応えのない人間の騎士と違って手ごわかった。わざわざこんなところまで来て正解だったぜ」

 言いながら、犬頭の魔物はイフェリーナに向かって近づいてくる。
 家の屋根も背丈のある巨体がイフェリーナを見下ろす。

「そういえば翼人ってのは精神の奥底で、仲間同士繋がっているそうだな。さすが精霊に近い半神半人の種族といったところか」

 悪魔は手を伸ばして、恐怖で身動きのできないイフェリーナの胸ぐらを掴むと、顔の前まで持ち上げる。

「お前は餌だ。運が良かったな、生かしておいてやろう。お前という餌に釣られてやってくる翼人が来なくなるまでな。殺さずにいてやるよ」

 イフェリーナの顔に、犬頭の魔族が血生臭い息を吹きかかる。
 恐怖で目を見開いているイフェリーナに獰猛な笑みを浮かべながら。

 それから幾度か同胞の里の異変に気づいた他の里の翼人たちが、里を訪れた。
 イフェリーナの悲しみと絶望の心に触れ、遠くに住む翼人たちが彼女を救い出そうとしたのだ。
 しかしイフェリーナを助け出そうとした翼人たちは、それを待ち伏せていた犬頭の魔物によってことごとく殺されてしまった。
 さながらイフェリーナという蝋燭の灯りに誘い込まれる虫けらのごとく――。
 やがて、翼人たちが里へ来なくなった。

 いつ殺されるのかわからない。
 いつも怯えていた。

(誰か、助けて!)

 ――死ぬのは怖かった。生きたいと強く思った。

 強く思い続けたイフェリーナの心、それは他の里の翼人たちへと伝わってしまう。
 逆に言えば、他の里の翼人たちの心も彼女には伝わってくる。

 ――諦め。

 その思念が届いた時、イフェリーナは一人で生にしがみつくことを決めざるを得なかった。

 もう二度と誰かから抱きしめてもらうこともない。
 言葉もかわせない。
 笑いかけてももらえない。
 静寂に支配された滅びた里で、ただ一人生き続ける。

(――お前という餌に釣られてやってくる翼人が来なくなるまでな。殺さずにいてやるよ)

 その翼人たちがもう来なくなってしまった。
 もうイフェリーナには餌としての価値も無くなってしまった。

(――殺される。嫌だ。怖い。死ぬのは嫌だ。死にたくない。もっと生きていたい!)

 そして――。

「みーつけた!」

 男の子の声がして――イフェリーナはゆっくりと夢の世界から覚醒する。

 ローラは繕い物をしていた手を止めると、部屋の中を振り返った。
 小さなお客様、翼人の少女――イフェリーナが眠ったまま泣いている。
 すでに日は天頂に達する刻限であったが、ローラはイフェリーナを起こさないように、静かに立ち上がると、彼女の頬にそっと触れ涙をすくう。

 昨夜、イフェリーナは、お腹いっぱいになるまでシチューを食べた後、横になった途端に糸が切れてしまったかのように眠ってしまった。VIVID XXL
 湯浴みで身体を綺麗にしてもらい、何ヶ月ぶりかで温かい食事を満腹になるまで食べ、どっと疲れが出てしまったのだろう。
 里が滅んでからろくな食べ物も食べていなかったのは、ひどく痩せ細ったイフェリーナを見ればわかることだ。

(まだこんなに小さいのに、よく頑張ったわね)

 何重にも袖を折っただぶだぶの服から覗く、イフェリーナの固く、ギュッと握りしめられた拳をそっと包むようにして握る。
 すると、イフェリーナがゆっくりと目を覚ました。
 彼女の赤い瞳は、しばし周囲に視線を彷徨わせると、ローラの顔へと視点を結ぶ。

「怖い夢でも見たの? 大丈夫、ここは安全だからね。怖くなんて無いのよ」

「……あのね……リーナはね。餌なんだって……リーナがここにいると、悪い奴がやってきて、皆をいじめるの……」

 顔をグシャグシャにして泣くイフェリーナ。

「大丈夫よ? 悪い奴はみんながやっつけてくれるわ」

(どうか、みなさん気をつけて……)

 イフェリーナの言葉に不吉な予感を覚えつつ、ローラは冒険者たちの無事を願いながら少女をあやし続けた。

「うわあ、凄かったな。かっこいい!」

 犬頭の大きな魔物が振るう丸太の様な棍棒を受け止めるオールト。
 一撃を受けたものの、刹那の一瞬で槍を引き戻し衝撃を弱めてみせたルイスの槍さばき。
 そして、イリザの火球の魔法からのポウラットの必殺の攻撃。
 ほんの僅かの間に見せた、熟練した冒険者たちの連携攻撃に、ウィンはまばたきをすることも忘れて食い入るように見つめていた。
 コボルトが前のめりに倒れた瞬間、ウィンは息すらも止めていたことに気が付き、何度も息を大きく吸い込んだ。

 身体が熱く感じる。
 震えが走る。
 木剣を握りしめる右手のひらに汗を搔いていた。

「凄い、凄いよレティ! かっこいい! 僕もああなりたいよ!」

 大人の冒険者たちが醸し出す雰囲気、武器を下ろす姿。
 ウィンは興奮に目を輝かせレティに話しかける。
 しかし、興奮するウィンとは裏腹にレティは黙ったまま、強く彼の左腕を握ってきた。
 腕を強く握りしめてくるレティに驚いて目を向ける。

「どうしたんだよ? レティ」

 そこでウィンは自分の左腕を掴んだまま、小さく震え続けるレティに気がついた。

「……怖い。怖いよ、お兄ちゃん。あの犬さん、まだ……死んでない」

 コボルトは胸を剣で貫かれ、倒れ伏している。
 その剣の柄に手を掛けて、いまポウラットが引き抜こうと引っ張っていた。

「ええ? 死んでるよ! 大丈夫だよ、みんながやっつけたから!」

 ウィンの言葉にレティが小さく首を振る。

「あのね? なんか変なものが見えるの。あの犬さんの周囲に、なんか怖いものが集まってる」

 レティはウィンに抱きついてきた。

「怖いよ、お兄ちゃん!」

「怖いもの? そんなもの見えないけど、何が見えるの?」

「レティにもよくわかんないの。あのお姉ちゃんがおっきい火を作った時に似てるけど、全然違う怖いものが集まっているのが見えるの」

 レティはイリザを指さしながら泣きそうな表情を浮かべる。

「おーいお前ら、もう大丈夫だ。どうした? 初めて見た戦闘は恐ろしかったか? ちょっと、ルイスのやつがポカやらかしたが、何てことはない。いい勉強になっただろう?」

 レティの様子に気がついたのだろう、オールトがウィンたちの方へと歩いて来ようとしていた。
 髭面の強面を、精一杯の優しげな笑顔で取り繕うとしている。

 ――レティには自分にはない才能がある。

 ウィンは一緒に鍛錬をしている時も、勉強をしている時も、常々そう感じていた。
 剣も、魔法も、レティはウィンが身に付けた技術を僅かの時間で吸収して会得してしまう。

 物語の中に出てくる騎士、英雄、偉人、聖者、そして勇者。
 常人を超えた力を持つ者たち。

 レティはもしかしたら、彼らに匹敵しうる才能の持ち主なのかもしれない。
 物語の主人公になれる素質――。
 ウィンには感じ取ることができないが、レティにはもしかしたら――。

「……オールトさん」

(レティがそう言うのであれば、あれはまだ死んでいない!)

「どうした? ウィン」

「レティが……レティがそいつ、まだ死んでないって!」

「どういうことだ?」

「うわ……ああああ!?」

 ウィンが告げると同時に、ポウラットの悲鳴が周囲に響き渡った。

「……なに!?」

「ポウラットさん!」

 コボルトが立ち上がっている。
 剣で胸を貫かれたまま――。
 ポウラットは尻もちを付いたまま、愕然とした表情を浮かべて犬頭の魔物を見上げている。

「バカな! 心臓を貫いているのに! 魔物といえど、身体の作りは生物と同じはず!」

 ある程度の治癒も終わり半身を起こしたルイスと、治癒しきれなかった傷に包帯を巻いていたイリザが驚愕の視線で犬頭の魔物を見つめている。福潤宝

「……ククク、ハーッハッハッハ!」

 野太い声で哄笑を上げる。

「イヤイヤイヤ、なかなかやるじゃないか? 冒険者っていうの? 思わぬ掘り出し物だったわ! こんなに楽しめるとは思わなかったぜ?」

「コ、コボルトが喋った?」

「ああ、喋るぜ? 喋っちゃおかしいか? まあ、俺様はコボルトなんかじゃねぇ。ヴェルダロスと名乗る存在だ」

 驚きで思わず声を漏らしたイリザに律儀に返事を返す。
 哄笑とともに、胸を貫いていた剣が抜けていく。
 音もなく、血が噴き出ることもなく、手で触ることもなく勝手に抜けた剣は、一瞬空中で浮かんだまま静止した後、カランッという軽い音を立てて地面に転がる。

「里に殺さずに生かしておいたガキに誘われて来る翼人を待ちぶせていたんだが、最近はまるでこなくなっちまってな。退屈していたところなんだよ。だから、少し俺と遊んでくれよ?」

 人差し指と中指を曲げて、オールトたちを手招きして挑発してみせる。

「この化け物め!」

 叫ぶと同時に、オールトがヴェルダロスと名乗った魔物に向かって走った。
 突進の勢いそのままに、右手の斧を振り下ろす。
 オールトの豪腕が振り下ろす斧の刃は、岩をも穿つ達人の刃。
 しかし――。
 渾身の力を込めたオールトの一撃を、ヴェルダロスは棍棒を持たない片手で受け止めていた。
 手のひらには刃先が食い込んでいない。

「いい一撃だが、俺にはただの刃は効かないぜ? 魔族だからな。魔族と戦うには、魔法か魔力を込められた武器しか通用しない。知らないのか?」

 受け止めた斧の刃を砕き掴むと、そのまま振り払った。
 斧の柄を握りしめたままのオールトが、大地から根を引っこ抜かれたように吹き飛ばされる。

「ぐっ……化け物め……」

 木の幹に叩きつけられ、オールトは呻き声を上げた。

「オールト!」

 ルイスの側で治癒魔法をかけていたイリザが立ち上がると、口早に魔法の詠唱を開始する。
 立ち上がったオールトが再び走りだした。

「おいおい、得物も無しにどうしようってんだ?」

 オールトは右手に握りしめていた斧の柄を、ウェルダロスへと力いっぱい投げつける。
 咄嗟にそれを手で払いのけるヴェルダロス。

『刃よ、我に従え! 我、剣の理を識りて、刃に現す!』

 イリザの魔法が完成する。
 その目標は、先ほどヴェルダロスの胸から抜け落ち地面に転がっていた、ポウラットの剣。
 オールトはそれを拾い上げると、斬りかかる。

「付与魔法か、面白れぇ!」

 オールトの剣が縦横無尽に振り回される。
 付与魔法によって魔力を宿し、淡く輝く剣身が空中にその軌跡を描き出す。
 得意とする得物である斧でなくても、オールトの剣技は十分に一流の域へと達していた。
 しかし、当たらない。
 ヴェルダロスはその巨体に見合わぬ、俊敏さでオールトの剣を軽々と避けていく。OB蛋白の繊型曲痩 Ⅲ

 そして――。

「おらよ!」

 避けるに徹していたヴェルダロスが、不意に右手に持っていた棍棒を振り回す。
 至近距離で剣を振り回していたオールトはそれを避けられない。
 咄嗟に盾をかざして身を守ろうとする。

 ドゴンッという爆発音のような音を立てて、棍棒と盾が衝突。

 オールトは吹き飛ばされると大地に叩きつけられた。
 振り切っていた剣がオールトの手を離れて逆の方向へ、イリザの横を抜けてウィンとレティの側にまで飛んでいって突き刺さる。

「おっと、つい力が入りすぎてしまった。残念だ、その腕じゃもう戦えないだろう?」

 棍棒を受け止めた鉄の盾は無残なまでに凹んでいた。
 盾を支えていたオールトの腕は、ヴェルダルスの棍棒を受け止めた衝撃で、まるで内部から破裂したかのように血にまみれていた。
 筋肉を、皮を破って骨が覗いている。

「オールト!」

 ポウラットがオールトの下へと駆け寄る。
 無事な右手を首へと回し、ポウラットはオールトを担ぎ上げた。

「おっと、逃げ出すつもりか? そう簡単に俺が逃すと思ってるのかよ?」

 嘲笑の色を浮かべて言うヴェルダロスに、オールトはポウラットの肩を借りてヴェルダロスから離れようとしながら、

「貴様から逃げ出しているんじゃない、俺はただそこから離れているだけだ」

「なに?」

『――炎弾よ、穿て!』

 イリザの全魔力を込めた、火球がヴェルダロスの背に着弾。爆炎を噴き上げた。

「やった!?」

 確かに命中したのを確認し、イリザが喜色の混じった声を上げる。
 しかし――。

「甘ぇよ!」

 ヴェルダロスが棍棒を一振りした。
 暴風のような突風に炎が吹き散らされる。

「確かに俺たち魔族は魔法か魔法によって強化された武器でしか倒すことはできねぇ。だが、その程度の魔法なんざ、翼人どもの魔法と違って防ぐまでもない!」

「そんな……」

「まあ、多少は痛かったけどな。少しは楽しめたが、しょせん人間なんざこの程度か。翼人も来なくなったし、さっさと貴様らを始末してあの餌にしていたガキも殺すとするか」

「化け物め……」

 オールトは唇が切れるほどに噛み締め、ポウラットは蒼白を通り越して土気色の表情でヴェルダロスを見つめていた。
 イリザは全魔力を使い果たしてしまったのだろう。
 地面にへたり込み、激しく喘いでいる。
 そのそばで槍を失ってしまったルイスが、予備の武器である短剣を抜いて上体を起こしていた。CROWN 3000

2014年8月9日星期六

「まんぷく亭」にて

「豚の生姜焼き定食二つ、ミックスフライ定食三つ、豚キムチ丼一つ、注文いただきましたぁ~~~~~!!!!」

「あいよ~~~!!! ……くそっ、どれか1つに注文絞れよめんどくせえ……!」

 中級区大通りから一つはずれた通りに位置する「まんぷく亭」の看板娘、カオルの注文に答えた貴大は、誰にも聞こえないような声で一人ごちる。田七人参

「がははっ!! な~に言ってやがる! てめえが考えた料理だろ! 自業自得だ!! がはは!」

 しっかりと聞かれていたようだ。恨めしそうな顔の貴大の背中をバンバンと叩きながら豪快に笑う巨漢の名はアカツキ。「まんぷく亭」の店主である、ジパング産まれの父を持つハーフの中年だ。筋骨隆々としたその体躯と、繊細な響きをもつ名の齟齬が激しい。

「くそっ……前の店だったらもっと楽ができたのに……」

 ガハガハ笑って遠ざかっていく背中を見つめながら、ぼそりと洩らす貴大。

 そう、半年前の「まんぷく亭」は、こんなに繁盛はしていなかったのだ。

 数ヶ月前、「何でも屋・フリーライフ」の近所に定食屋がオープンした。聞くところによると、ジパングの米の飯を出すらしい。

 これには、貴大は狂喜乱舞した。なにせ、日本人の主食である「米」だ。貴大が落ちた場所は「アース」の東大陸西部。地球ではヨーロッパにあたる地方の主食は、当然ながらパンか芋だ。

 大ぶりなジャバニカ米をリゾットにして食べさせる店もあったが、どうにもしっくりこない。ジャポニカ米をくれ……! という切実な思いは、貴大の心の底で溜まり続けていた。

 そんな折、「ジパングの米を食わせる店ができた」と、小耳にはさんだ。ジパングと言えば、地球でいうところの日本……! ならば、米も当然ジャポニカ米だ!! 貴大は遮二無二駆け出した。

「いらっしゃい!!」

 高なる胸を抑え、「まんぷく亭」の扉を開く。物珍しさからか、昼時も過ぎたと言うのにそれなりに客の姿が見える店内。ジパング人らしさが風貌から伺える店主。そして、決定的なのが、厨房の奥に鎮座する羽釜……! これは期待できる……! 椅子に座りながらも、そわそわと落ち着きが無い。

「お客さん、いらっしゃい!注文は決まりました?」

「ぁえっ!? あ、ああ、この……日替わり定食を」

「かしこまりました~」

(いかん、ぼーっとしてた……いや、無理もないか)

 夢にまでみた銀シャリだ。はしゃぐなと言う方が無理だ。芳しい米の香りが鼻腔をくすぐる。今なら丼三杯は食える……!

 そんな飢えた獣のような目をした貴大の前に、料理が運ばれてくる。五分ほどしか経っていない。素晴らしい早さだ。ブラボー!

「お待たせしました~! こちら、本日の日替わり定食で~す」

「あ、どうも」

 軽く会釈をして、備え付けられた箸をビッ! と引き抜く。目の前にはつやつやと輝く白米。更には、一汁三菜揃っている。威哥十鞭王

 素晴らしい! 素晴らしい!! 感動に震える心のまま、まずはお浸しに箸を伸ばす。これでご飯をほうばれば、天国の始まりだ・・・!

 天国は、始まらなかった。

 茹でて冷水にさらして軽く絞ったほうれん草にかかっていた黒い液体は、醤油ではなくバルサミコ酢だ。

「………………え?」

 味噌汁だと思っていた茶褐色の汁ものに口をつける。豆のポタージュだ。

「………………はい?」

 メインの照り焼きチキンにかぶりつく。これは燻製鳥のオイル焼きだ。

「お、ぉおぉおおぉぉおおぉ……!?」

 天国の代わりに始まる混乱の嵐。故郷を偲ばせる米の味と、パンや芋には合うだろうオカズの味が、口の中で不協和音をバラまく。

 いや、合わないことはないのだ。米の飯は守備範囲が広い。合わないものを探す方が大変だ。

 しかし、日本の味に飢えていた貴大が求めていたのは、こんな「洋風」ですらない、完全な「西洋料理」の味ではない。

 醤油だ! 味噌だ! 出汁だ! 特に醤油だ!

「白い飯には醤油だろうが……!!」

 食いしばった歯の隙間から絞り出すように怨嗟の声を吐き出す貴大。

「うん? ショーユってなんですか?」

 耳聡く聞きつける「まんぷく亭」の看板娘。少し話を聴けば、その言葉通り、「醤油」の存在を知らないらしい。味噌も、出汁もだ。

「つまり、この店はジパングの米を出すだけで、料理は他の店と変わらない、と……?」

「そうですよ?」

 ……貴大の心のどこかで、何かが壊れた。

「ふざっけるなあああああ~~~~~~!!!!」

「きゃあああああ~~~~!!?」

 そこからの一週間、貴大は当時のことをよく思い出せない。

 アカツキやカオルから話を聴くと、鬼のような形相で厨房へと入り、アカツキをふん捕まえてジパング料理を叩きこみ始めたそうだ。

 曰く、「今ある食材でも米の飯がもりもり食えるもんは作れるだろうが!! おら、ミックスフライだ!! タルタルソースで食ってみろぉ!!!」とアカツキの口に揚げたてのミックスフライを詰め込んだ、とのこと。

 曰く、「おらぁ!! 料理人スキル【超熟成】と【調味料作成】で作った醤油と味噌とウスターソースだぁ!! こいつを使って料理をしやがれぇ!! レシピも伝授してやるぜぇ!!!」と、カオルの胸の谷間にウスターソースの瓶を差しこんだ、とのこと。

 当時の自分はどれだけ飢えていたんだよ……と、頭を抱える貴大。ともあれ、こうして「まんぷく亭」は、米の飯をいかにうまく食べさせるか、をモットーにした日本式の定食屋へと生まれ変わり、開店から一カ月経たないうちにすっかり繁盛店へと姿を変えたのだった。老虎油

「そのおかげで、今の苦労があるわけか……確かに自業自得だ……」

 常のランチタイムの客+会議所から吐き出される客の群れを捌き終え、ぐったりと机に突っ伏す貴大。時刻は14:00。ラストオーダーも終わり、店も「準備中」となる時間だ。

「ねねね、タカヒロ! 今日のまかないは私がつくったんだ! ほらほら食べてみて!」

 同じだけ働いたのに、どこにそんな元気が残ってるのやら。「まんぷく亭」の看板娘が、お盆に飯とおかずを載せて駆け寄ってくる。

 疲れて動けなくても、働いた分だけ腹は減る。のろのろと箸に手を伸ばし、皿の中を覗き込む。

「おっ、今日はレバニラか。疲れたからありがたい……おお、なかなかいい出来だ」

「えへっ、そ、そう? おいしい?」

「ああ、うまい。飯がすすむ」

「そっか、よかったぁ。タカヒロってこういう味が好きだもんね!」

 うまいうまいと山盛りのレバニラと丼飯を平らげる貴大。それをニコニコと見つめるカオル。更にその二人をニヤニヤと見つめるアカツキ。監視社会か、ここは……もちろんヒエラルキーの最下層は貴大だ。世知辛い。

「ふう……ご馳走さま」

「はい、お粗末さまでした」

 昼のまかないを胃に収め、一息つく。このまま昼寝でもしそうにくつろいでいる。カオルはそんな貴大を見てくすりと笑い、食器を厨房へと下げに戻った。

(いやぁ、いっそのこと散歩の依頼はブッチするか……?)

 ハロルド夫人は上級区の人間とは言え、所詮は平民だ。貴族王族ではない。依頼を断ったからと言って、牢屋にぶち込んだり体罰を与えたりはしないだろう。一か月も姿を眩ませていれば、あの頭のネジがゆるそうな有閑マダムのことだ、今回のことなど忘れるに違いない。麻黄

「そうと決まれば……」

「……そうと決まれば、何です?」

「うぇああっ!!? な、なんでお前がここにっ!!?」

 いつの間にか背後に立っていた「何でも屋・フリーライフ」の住み込み使用人。いつもどおりの無表情な顔で、貴大を見下ろしている。

「あ、タカヒロー! ユミィちゃん来てるよー!」

「そういうことは早よ言え!!」

 あわわわわ……と震える貴大。ユミィの湖面のように澄んだ瞳は、彼が何を考えているか見通しているかのようだ。

「……そうと決まれば、早速次の仕事へ行くか、ですよね?ご主人さま」

 またもやどこからともなく取りだした鞭を、ピシリピシリと床に打ちつける使用人。あれはとても痛いんだ……でも、その痛みはやがて快楽に……ならないならない、あれは痛みだけ。冗談抜きで痛い。マジで。

「も、もちろんだ! 早く行かなきゃ一日が終わるもんな! ははは……」

「……抜き打ちで確認をするので、しっかり労働に励まれますように」

「ハイ……」

 監視社会は未だ継続中のようだった。もちろん、監視される側は貴大。ヒエラルキーの最下層だ。世知辛い。

 使用人に連行されて次なる仕事へと赴く貴大。背中には、「お仕事、頑張ってね~」というカオルの声。引き留めるどころか、仕事へと駆り立てる激励だ。

 貴大の耳には、どこからともなくドナドナが響いてくるのが聞こえた……。D9 催情剤

2014年8月7日星期四

メイン&サブ

「やだっ、来ないで、来ないでぇ……!」

 悲鳴がした辺りへ辿り着いた俺たちの目に飛び込んできたのは、レベル80のユニークモンスター、「フォレスト・ベアー」に追われる少女の姿だった。挺三天

 まだ、13、4ぐらいの年齢であろう栗色の髪をした女の子は、「森のクマさん」とも呼ばれるヒグマを一回り大きくしたようなモンスターから逃げようと、必死になって足を動かしていた。

 だが、相手は森の中では抜群の探知、走破能力を誇るユニークモンスターだ。あんなか弱そうな女の子じゃあ、どうやっても逃げ切れるもんじゃない。それでも彼女が未だに無事なのは、「フォレスト・ベアー」の悪癖のおかげだったんだろう。

 すなわち、「獲物が疲れて動けなくなるまでつけ回す」という嗜虐的な癖……≪Another World Online≫でも、初心者プレイヤーにトラウマを植えつけた「森のクマさん」の恐怖だ。

 足を止めればその場で食われる。森から抜け出すことも許しちゃくれない。「フォレスト・ベアー」と遭遇した力なき者は、やがては動き疲れて足を止めてしまい、その瞬間に頭からバリバリと食われてしまうんだ……。

 バーチャルでも滅茶苦茶怖かったモンスターだ。もしもリアルで現れたら、その恐怖は仮想現実の比ではないと思ってはいたが……まさか、その話が現実のものとなるとは思わなかったね。

 どこか笑っているようにも見える「森のクマさん」は、恐怖と疲れで今にも倒れそうな少女へと、じりじりと距離を詰める。奴は、か弱い者にとっては命を狩り取る死神だ。きっと、足を止めた瞬間に嬉々として彼女の体を貪り喰らうだろう。

 まだ幼さが抜けきらないような女の子の体を……。

「助けて……!」

 そこで女の子に助けを求められてしまえば、もうダメだ。時にはお人よしやお節介と笑われる俺の性分が、俺の体を勝手に走り出させていた。

 バーチャルと比べて「生々しい」モンスターがなんだ、肌が引きつるようなリアルな恐怖がなんだ。そんなものが入る余地がないほどに、俺の心は妙な焦りで満ちていた。

 俺は走る。恐怖に涙を流す女の子の元へと……。

 だが、そんな俺を追い越して駆け抜ける影があった。

 それはれんちゃんだ。腰のベルトに繋がった鞘からロングソードを抜き放ち、残像すら残さぬほどの早さで「フォレスト・ベアー」に迫る俺の幼馴染。

「助けて、助けてぇぇぇ!」

 そして、少女が最後の助けを求める悲鳴を上げたかどうかというところで……。

「ガ、アア、ア……」

 れんちゃんは、造作もなく「フォレスト・ベアー」を上下に両断していた。

「ふ~、間にあったな……あれ?」

 れんちゃんは間にあった。牙が少女に食い込む前に、モンスターを魔素の粒子に散らせていた。

 でも、あまりの恐怖に気を失ったのか、少女は前のめりに倒れ伏してしまっていた。

「どうしたんだろ? お~い、大丈夫?」VIVID XXL

 特にうろたえることもなく、まぶたを閉じたままの少女を仰向けに寝かせ直してやり、頬をぴたぴたと軽く叩いて起こそうとするれんちゃん。

 そこに俺たちも合流し、顔を青白く染めた少女の姿に軽くパニクった優介が【ヒール】を連発したりしていた。

 その甲斐もあったのかな……時間と共に彼女の顔には血の気が戻っていき、三十分も経った頃には目も覚ましてすっかり復調していた。



「じゃあ、みなさんは冒険者なんですか?」

「うん、そうだよ」

 俺たちを代表してれんちゃんが女の子……モニカの問いかけに答える。れんちゃんは女ばかりの家庭育ちで、学校でもよく女子と話していたからな。女の子の相手には最適だと思ったんだ。

 モンスターに襲われたばかりの女の子に三人揃ってあれこれ聞いても混乱させるばかりだろうって、モニカが寝ている間に話し合っていたんだ。だから、聞きたいことはたくさんあったけれど、まずは彼女が落ち付くのを待とうと決めていたんだ。

 でも、目を覚ましたモニカが落ち付くのなんて一瞬だったね。

 最初こそ「っ!? えっ、えっ!?」なんて慌てていたけれど、れんちゃんが「大丈夫?」って優しく声をかけたら「あ……」って息をもらして大人しくなっちゃうんだもんな。

 隣で優介が「イケメン補正ってチートだよな……」ってぼやいていたのを覚えている。

「わたし、冒険者の人にはじめて会いました」

「うん? 冒険者って……いるよね? どこにでも」

「ううん、うちの村にも周りにも迷宮はないし、珍しい魔物もいないから来ないんです。行商のおじさんに聞いたことはありますけど、見たことはなくて……都会に行って冒険者になるぜー、って人もいますけど、たいてい挫折して戻ってきますし」福潤宝

「あっ、そういうことな。いるにはいるんだな……うんうん」

 時おり、優介が気になったことを聞いている。「ここは異世界ですか?」なんて聞いても頭がおかしくなっていると思われるから、何気ない会話の中から情報を拾っていくんだぜ! なんて言ってたっけな。

「だから、冒険者として活躍できる人ってどんな人なのかずっと気になっていて……みなさんみたいに若い人でも、あんなに怖くて大きな魔物を倒せちゃうんですね! これが冒険者で食べていける人の力なんだぁ……助けてくれて、本当にありがとうございました!」

「いやぁ、いいんだよ、そんな、お礼なんて……」

「なんで優介が照れるんだよ。倒したのはこいつだよ。れんちゃん……いや、蓮次だ。俺たちは見てただけ。お礼ならこいつに言いな」

「あっ、馬鹿っ、余計なこと言うなよ~!」

 結果的とはいえ、何もしていないのにお礼を言われるとどうにも居心地が悪くなるからな。純朴で可愛いモニカに礼を言われて嬉しがる優介の頭を小突いて、後ろでにこにこ微笑んでいたれんちゃんを前に押し出してやった。

「あっ……あ、あなただったんですか……」

「まぁ、魔物を倒したのは俺だよ。でもさ……」

「ありがとうございます!」

「わっ」

 感極まったように、れんちゃんの両手を掴んでぶんぶんと上下に振るモニカ。その瞳はキラキラと輝いて、まるで王子様に助けられた少女のようだった。

「ありがとうございます、レンジさん! おかげで死なずに済みました……! お、お礼! お礼をしたいから、ぜひうちの村へ来てください!」

 すっかり上気しきった顔で、「ぜひ、ぜひ!」とれんちゃんの手を引くモニカ。だけど、れんちゃんは困った顔でこちらを振り返る。OB蛋白の繊型曲痩 Ⅲ

「いいけど……あいつらと一緒でもいい?」

 流石、「男友達と遊んでた方が楽しいし」と平然と言い放つイケメン……俺たちへの配慮も忘れていない。

「もちろんですよ! レンジさんのお友だちも歓迎します!」

「じゃあ、お世話になるよ。案内してくれるかな」

「はい、わたしの村はこっちです!」

 「フォレスト・ベアー」に襲われていたことも忘れてしまったかのように、元気いっぱいにれんちゃんを引っ張っていくモニカ。

 一応、「みなさんも早く~!」と声はかけられたものの、俺と優介は放置された形となってしまった。

 あの時の気分は、そうだな……リアルで三人でつるんでいた時に、れんちゃんだけ女子に話しかけられた時の気分に似ていた。って、まんまだな、そりゃ。

「相変わらずモテモテだな、れんちゃん」

「言うなよ、貴大……虚しくなるだろ」

「もう慣れたわ」

「訓練されたモブ夫め!」

 こうして、頬を染めた女の子に手を引かれたれんちゃんの後について、優介と俺はやいのやいのとじゃれあいながら歩いていったんだ。

 ≪Another World Online≫そっくりの異世界でどう動くか。そんな俺たちの方針を決めた場所……俺たちにとっての始まりの村、「カルロック村」へ。CROWN 3000

2014年8月5日星期二

腐った街で

貴大が駆けつけた時には、もう手遅れだった。

 街の人間の多くは、散布されたウィルスによって感染者ゾンビと化していた。かろうじて難を逃れた者、ウィルスに耐性がある者も、ゾンビに襲われて彼らの仲間入りを果たしている。挺三天

 まだ『ヒト』のままでいる者は、人口の一割にも満たない。城壁の上から、ゾンビに埋め尽くされた正門前広場を見つめ、貴大は悔しそうに顔を歪めた。

「これは、俺が招いた事態だ……グランフェリアにあんなもん持って帰らなけりゃ、この光景はなかった」

 遠くで誰かの悲鳴が聞こえた。風に乗って粘着質な水音が耳に届いた。十分前までは人としての生を謳歌していた者たちは、濁った瞳で得物を探していた。

「あ゛あ゛~、いだぁ~」

 ここにも一人――いや、一匹。ゾンビがいる。

 城壁の上にしつらえられた歩道を、よたよたと頼りない足取りで歩く中年男。警備隊の一人だったのだろう。白い胸当てと兜を身につけた男は、己の持ち場も放棄して、貴大へと近づく。

「わがい~、肉だぁ~」

 嬉しそうに、本当に嬉しそうに貴大へと両手を伸ばす中年男。しかし、ずれた兜からのぞく二つの眼まなこは、肉欲に白く濁っていた。

「……すまん」

 捕食のための抱擁を、貴大は冷たい刃で拒絶した。

 銀のナイフを、一振り、二振り。それだけで、中年男の首は裂け、断面からはドス黒い血がどろりと溢れ出した。

「本当に、すまない」

 どさりと音を立てて倒れた警備兵を見つめ、貴大はまた、顔をしかめる。

 城壁の上から遠くを見つめ、彼は耐え切れないとばかりに、苦い、苦い、声を漏らす。

「でも、俺、本当に男色だけは無理なんだわ」

「いやだぁぁぁぁ!」

 貴大が見つめる先、下級区と中級区を分かつ城壁の近くでは、一人の青年がゾンビたちに襲われていた。

「オレはゾンビなんかになりたくぅうむむむっむう~~~~~っ!?」

 脂ぎった禿頭の中年に、唇で口を塞がれる青年。厚ぼったい唇での濃厚なベーゼに、青年は手足をでたらめに動かすが、精一杯の抵抗も他のゾンビたちに取り押さえられ、じゅっぱじゅっぱと激しい音を立てて、体中にキスマークが刻み込まれていった。

 やがて青年の抵抗が収まる頃、禿ゾンビはようやくつかんでいた肩を離した。背中から地面に落とされた青年の目は、他のゾンビたちと同じく、暗く、暗く、濁っている。彼の目の縁から、一筋の涙が流れ落ちていった。

「〈Another Wolrd Online〉では、捕まった時点で視界が暗転していたのに……やっぱり、仮想現実と現実では、生々しさが違うってことか」

 吐き気を催したかのように胸を押さえ、貴大は遠くの出来事から視線を外す。

 そして、記憶に残る『死霊都市Z ~ゾンビは生肉の夢を見るか?~』というイベントの趣旨と概要について、両腕を組んで考え始めた。

(ゾンビものに見せかけた、ゲテモノ系イベント。それが『死霊都市Z ~ゾンビは生肉の夢を見るか?~』だ。プレイヤーは、ウィルスに感染したNPCが溢れる街で、生き残りをかけて必死に戦う。ここまでは普通のゾンビものと一緒なんだが……)

 再度、響き渡る悲鳴。下級区の民家の屋上で、追い詰められた少年が、感染者たちの熱烈なキスを浴びていた。

(違うのは、あれだ。このイベントのゾンビたちは、噛み付いてくるんじゃなくてセクハラをしてくるんだ。キス、甘噛み、指ちゅぱ、頬ずり、尻撫で……まるで恋人にするかのようなエロいことを、よりにもよって『同性』相手にするんだ)

 男が男を、女が女を襲う、生き物としての摂理に反した暴行。その結果として、人間はゾンビへと変わる。

(死ぬんじゃなくて、ウィルスに感染する。そして、街の至る所で薔薇と百合が咲き乱れる。花の都には相応しいのかもしれんが……あいにく、人間の大部分はノーマルだ)

 のどの裂傷を再生して立ち上がり、貴大に唇を突き出して迫る警備兵を蹴り飛ばして、貴大は城壁の下に向けて走り出した。VIVID XXL

「グランフェリアがソドムやアライグマ町みたいに焼き滅ぼされる前に、俺が何とかしなくちゃな」

 他国の軍勢や勇者によって、感染者の街と化したグランフェリアが焼き払われる。そのような事態を回避するために、貴大はナイフ片手に悪徳の街へと駆け出した。

 彼の視界には、『感染率:0%』、『港へ向かえ!』という二つの文字が浮かんでいた。
 日頃から込み入っている下級区には、それだけ多くの人間がいる。

 正門から放射状に伸びる五つの大通りにも、複雑に入り組んだ路地の中にも、大きな樽や木箱がいくつも水揚げされる西の港にも、老若男女、様々な人たちがいる。

 それら全てが感染者となり、そのうち半数が貴大の唇や尻を狙って襲いかかってくるのだからたまらない。責任を感じ、事態の収束に向けて動き出した貴大は、下級区を数ブロックも進まないうちに、早くも泣き出しそうだった。

「うう、男なのに男性恐怖症になりそうだ」

 緩慢な動きで群がる男たちをなぎ倒し、貴大は一路、中級区へと向かう。

 ここまでの道中、襲ってきたのは全て男だった。華奢な少年が、精悍な青年が、ビール腹を揺らした中年男が、杖をついた老人が、同性に手を伸ばし、その肉を貪ろうとする。

 倒れても倒れても起き上がり、唇をちゅぱちゅぱと鳴らす異常なまでの獣欲に、貴大は子犬のようにぶるぶると震えていた。

 それでも、前へ前へと進めているのは、ひとえに高い身体能力のおかげだろう。恐怖心から強く腕を振っただけで、何体かの感染者は吹き飛び、一時的に動きを止めていた。

「でも、中途半端なんだよな……ホラーゲームらしいというか何というか」

 類稀なる強靭な肉体。大の大人を片手で持ち上げる膂力。風のような疾走を可能とする足腰。それら全てを総動員すれば、一分もかからずに中級区へとたどり着くことができる。

 わざわざ、感染者が道を塞ぐ道路に下りる必要はない。城壁から手近な民家へと飛び移り、八艘飛びのように屋根から屋根へと移動すればいい。それだけの力はあったし、過去、何度か行ったこともあった。

 だが、それらすべての行動は、『ホラーゲームらしい制限』で封じられていた。

「決められたルートしか移動できない。窓を割れば入れるような民家に入れない。余裕で飛び越えられるバリケートは突破できず、一部のスキル以外は全部使用禁止……はあ、地道に頑張るしかないか」

 未練がましく屋根の上を見つめながら、貴大はMAPに示されたルートを進む。

 南の正門から西の港へと、城壁沿いにぐるりと迂回するかのように進み、迫る感染者を倒し続ける。相も変わらず、彼に近づいてくるのは男の感染者ばかりであり、女の感染者はたとえ老婆であっても見向きもしない。

 いっそ清々しいほど徹底された同性愛に、貴大は悲しくもないのに涙を流した。

 ――だからこそ、たどり着いた港で遭遇した感染者に、貴大は驚きを禁じえなかった。

「か、カオル!?」

 港で魚や貝を焼いて売る――売っていたであろう中年女に紛れ、熱に浮かされたかのようにゆらゆらと体を揺らす、買い物籠を下げた少女。福潤宝

 黒髪の中に一房、赤毛が混じった庶民的な少女は、貴大を見つけると嬉しそうに笑い、彼に向かって両手を伸ばした。

「あ゛~、タカヒロだぁ~。どこいっでたのぉ~」

 よたよたと、幼子のような足つきで貴大に迫るカオル。頬を赤く染め、瞳をどんよりと濁らせた彼女は、もたれかかるかのように貴大に抱きつき、露出していた二の腕に噛み付いた。

「えへへ~。これでタカヒロは、わだしのものぉ~」

 かぷかぷ、はみはみと貴大の腕に甘噛みするカオル。かゆいような、くすぐったいような刺激と、知り合いの感染者との遭遇。そして何より、『女の』感染者が自分を襲ったという事実に、貴大は抵抗もせずに立ち尽くす。

 『0%』から『3%』へ。『3%』から『5%』へ上がる感染率。それでも貴大は動かない。

「キス、しよ? キスぅ~」

 しかし、致命傷にもなりかねない口づけが迫れば、咄嗟に体も動くというもの。貴大は背伸びして唇を近づけるカオルの頭を両手で固定して、ねじる様に首を回した。

「せいやっ!」

「あふんっ」

 こきゃっ、という軽い音とともに、崩れ落ちる黒髪の少女。

 危ないところで窮地を脱することができたが、貴大は焦りを顔に浮かべたままだった。

「なんで『女』が俺を襲うんだ? ま、まさか、条件が変わったのか?」

 青い顔をして辺りを見回す貴大。しかし、そこら中にいる中年女や老婆たちは、彼を見向きもしていない。遠くから熱烈な視線を送ってくるのは、やはり『男』で、『女』は誰も、貴大に興味を示していなかった。

「じゃあ、なんでカオルは……もしかして、こいつ、男か」

「前から胸が小さいとは思っていたが……」と呟きながら、薄青色のワンピースのすそをめくる貴大。だが、少女はやはり少女であり、見慣れたふくらみは股の間には存在しなかった。

 そうなると、逆に際立つのがカオルの特異性だ。

 なぜ、この少女は貴大に近づいてきたのか? なぜ、この少女だけが貴大を襲ったのか?

 カオルだけが特別なのだと決め付けてしまうには判断材料が足りず、自身と街の運命がかかったサバイバルにおいては、安易な予想や決め付けは危険だった。

 これからは、女も襲いかかってくるという気構えを持たなければならない。それほどの慎重さが求められているのだと、貴大は認識を新たにした。

「タカ、ヒロ……ごはん、だよ……」

「じゃあな。復活しても追いかけてくんなよ」

 ねじれた首を元の位置に戻し始めた少女を残し、貴大は港を後にする。

 今度は下級区を横断するように東に向かう。示されている目標は、『ブライト孤児院に向かえ!』。慣れ親しんだ響きに、逆に警戒心を高めながら貴大は路地を駆ける。

 下級区は管理員長ミケロッティが清掃活動を開始してなお雑然としていたが、今は一昔前の状態に戻ったかのようにものが散らかり、壁が汚れていた。

 誰かがつい先ほど、感染者を斬ったのだろう。まだぬらぬらと鈍く光っている血糊は、べったりと住居の壁を窓ごと濡らし、地面に滴り落ちていた。

 斬られた感染者が見当たらないのは、驚異的な再生力によるものだろう。きっと、数分も経たずして傷を塞ぎ、哀れな子羊にむしゃぶりついたに違いない。そのことを思うと、何度目かの吐き気がこみ上げてくる貴大だった。

「いかんいかん。吐いたら匂いで変態が寄ってきそうだ」

 気を取り直して進む貴大の顔は、まだ希望と生気に満ちている。視界の端に映る『感染率:5%』の文字に意も介さず、貴大は灰色の下級区路地を駆ける。OB蛋白の繊型曲痩 Ⅲ

 グランフェリアに蓋をするかのように広がった黒雲のせいで、建物と建物に挟まれた路地は薄暗い。わずかな光も届かない物陰などは『黒』に近く、レンガの色もくすんで見えた。

 曲がり角や物陰からの襲撃に警戒する貴大。その中で、壁に留められた『白』は、眩しいほどに目についた。

「ん? なんだこりゃ?」

 色あせた催し物のポスターが貼られたコルクボードに、上質な白い紙がピンで留められていた。インクもまだ乾ききっていない、手紙のような白い紙。

 気になった貴大は、少しの間、足を止め、真新しい紙に目を落とした。

『猛犬注意! 当区画には、犬が出ます。貴方の匂いを嗅ぎつけて、獰猛な犬がやってきます。もしも遭遇したのならば、一目散に逃げ出して、犬の縄張りから脱してください。決して、戦おうなどと考えないでください。犬は、人間よりも強いです。 Mより』

「わあ、フラグが立ったぞ!」

 親切な誰かからの警告に、涙を流して喜ぶ貴大。

 彼は、経験上知っていた。ホラーゲームにおいて、メモやファイル、日記に書かれているモノは、まず間違いなく出現するということを。

 今回のような直接的な警告でなくてもいい。『こんな音がする』とか、『こんな影を見た』とか、『あれはなんだっ!?』といった記述でもかまわない。

 大事なのは、存在が示唆されること。紙に書かれたモノたちは、実体を持って現れる。

「犬……そういえば、さっきからゾンビがいない」

 これまでの道のりで、どこにでもいた感染者たちが、今はいない。

 路地は不思議と一直線で、突き当たりにはいかにもな塀があった。おまけに、わずかに鼻をつく獣臭と、耳をすませば聞こえてくる犬のうなり声。決定的な状況に、貴大はようやく気がついた。

「これは、もしかするともしかするのか……?」

 できれば、予想が外れて欲しいと願いながら、貴大は恐る恐る、歩を進めていく。

 だが、願いはあっさりと打ち砕かれ、『猛犬』は誰かの忠告通りにやってきた。

「アオーーーーーーーーーンッ!」

 ゾンビ犬だっ!

「ってか、クルミアとゴルディじゃねえか!!」

 身長180センチを超える犬の獣人が、四つん這いになって貴大へと駆けてくる。

 十歳児クルミアと、姉のようなゴルディ。ゴールデンレトリバーの特徴をもった獣人たちは、まさしく犬のような速さで貴大に飛びかかる!

「タカヒロ~♪」

「ぺろぺろ! ぺろぺろ!」

「ぐあっ!」

 クルミアは無邪気で、天真爛漫な心優しい少女。なまじ感染前の姿を知っていたせいで貴大の手は鈍り、猛犬たちのタックルを許してしまう。

「タカヒロ~、すきすき~♪」

「わんわんお! わんわんお!」

「うっぷ、や、止めっ!?」

 仰向けに倒れた貴大にのしかかり、顔を近づけるわんこたち。

 口や目を狙って繰り出される舌の乱舞に、貴大の感染率は見る見るうちに上昇していく。

『5%』から『10%』、『10%』から『20%』。異様な速度で上昇する感染率に、貴大は焦り、クルミアたちにナイフを突き刺そうとする。

「くぅ~ん……」

 しかし、できない。硬質な刃の剣呑な輝きを目にしたわんこたちが、悲しげな声を鼻から漏らすと、貴大の手はぴたりと止まってしまう。そして、ひるんだ隙に、再度の猛攻を許してしまう。

 このままでは、自分も感染者の仲間入りを果たしてしまう。そのことがわかっていながら、どうしても貴大はナイフを振り下ろせなかった。CROWN 3000

2014年8月2日星期六

アヴァロン貧民街

雲一つない青空は鮮やかな夕焼けに染まり、古都アヴァロンの街並みを朱色に照らしていく。
 スパーダとは違った様式の建物や、古代から伝わる伝統的な高い尖塔の立ち並ぶメインストリートは夕陽の赤と相俟って情緒に溢れているが、少しばかり通りを外れて奥まった方向に進めば、そこは途端に不気味な雰囲気へと一変する。SPANISCHE FLIEGE D6
 無秩序に建てられた石造りの家や集合住宅アパートは、人が住むというよりもモンスターが闊歩する迷宮ダンジョンのよう。
 いいや事実、この貧民街と呼ばれる掃き溜の住人は、外部からの侵入者に対してよく牙を向く。
 特に、見目麗しい少女と幼い女の子を連れた姉妹など、格好の獲物である。
 同じ黒髪に青い瞳をした二人は見習いの証であるローブを纏っているが、いっそ気品と呼んでも過言ではない雰囲気から、それだけの装備でも大層身なりが良いように見えた。
 中でも少女が手にする金属製の長杖スタッフなど、さりげなく細かい装飾が随所に施されたシンプルながらも凝った造りで、素人目に見ても凡百の杖より高価であると察することができるだろう。
「へへっ、こんなトコロに何の用だいお嬢ちゃん?」
 故に、姉妹が路地裏を歩み始めて十分と経たずにこうして絡まれるのは、自明の理である。
 薄ら笑いを浮かべた一人の中年男が、二人の行く手を遮るように現れた。
「この辺りをウロつくなんてよくないなぁ、危ないヤツらに襲われちゃうよぉ」
「そうそう、俺らみたいにな!」
 後方からさらに二人、逃げ道を塞ぐように現れる。
 前の男は取り立てて目立った身体的特徴が見られないことから人間だと推測できるが、後ろの片方は尖った耳からエルフ、もう片方は狼の頭をしているので間違いなく狼獣人ワーウルフだと判断できた。
 エルフという種族の誇りを捨て去ったかのように横に肥えた体格は、下手をすればドワーフにさえ見える。
 もう片方の狼獣人は逆に痩せこけており、もはや誇り高き狼というよりも、餓えた野犬といった印象。
 そんな見事に種族も特徴もバラバラの三人組ではあるが、彼らがチンピラだとかゴロツキだとか、そういった不名誉なクラス名を冠する者だというのはわざわざ説明されるまでもない。
 話に聞くだけなら鼻で笑ってバカにできる底辺の人種であるが、いざ目の前に現れれば大抵の人は恐れおののくのみ。
 まだ刃物の一つもチラつかせていないが、すでに十分な威圧感を持っている。
 まして、少女と幼女の二人組みなど、今すぐ泣き喚いて助けを求めてもおかしくないシチュエーション。
「白光教会の孤児院へ行きたいのですが、ご存知ありませんか?」
 しかし、眼鏡をかけた理知的な雰囲気そのままに、姉と思われる少女はどこか眠そうな無表情でそう質問を発した。
「チッ、テメェらあのクソガキ共の一味かっ!」
 侮辱でも挑発でもなんでもない言葉であったはずだが、どうにも目の前の男を怒らせる意味合いを含んでいたようである。
「おい、どうするよ?」
「グルル、全部喰っちまえば分かんねぇよ!」
 白光教会、という部分が彼らを怒らせる原因となったようではあるが、果たしてどんな因縁があるのかということは、今この状況下で問いただすことなどできそうもない。
 背後の狼獣人は、台詞が冗談ではないことを証明するかのように鋭い牙を剥き出しに今にも飛び掛らんばかりの迫力。
 正面の男も、太ったエルフ男も、どちらも姉妹を逃がすつもりはないとばかりに剣呑な気配を漂わせる。
「悪ぃなお嬢ちゃん、あのクソッタレなカルト信者だってんなら、手加減はできねぇぜ」
 腰から下げた短剣に手をかけ、言葉通りに一切の容赦なく男が襲い掛からんとした、その時だった。
「おい、待てよオッサン共、なぁに勝手なコトしてんだよ」
 正面の男の向こう側から、制止の声が上がった。
 現れたのは三人の少年、胸元に十字のエンブレムがあしらわれたダボついた白い服を着込んでおり、その顔と体格からいって、恐らく未成年であると推測できる。
 数の上では同じ、だが、痩せていても人間よりはパワーに優れる狼獣人ワーウルフを含む大人の男三人と、特別に高い実力を秘めているわけではなさそうな少年達では、割って入るには無理があるように思えた。
「くそっ!」
 だが、忌々しそうな台詞と視線を一度だけ少年達へ向けただけで、そのまま三人は路地の向こうの闇へと退散して行った。
「見ろよ、ダセぇ!」
「ははっ、人間様に逆らってんじゃねぇぞ魔族が!」
 去り行く背中に、愉快そうに少年達の罵声が響く。
 そんな様子を、絡まれていた眼鏡の少女は変わらぬ無表情のまま傍観し、その足元には姉に隠れるように幼い妹が寄り添っている。
「白光教会の方ですか?」
 先に言葉を発したのは少女であった。
 その質問に、三人組の先頭に立つ金髪の少年が嬉しさと誇らしさの入り混じった表情で回答する。
「おう、俺らは白光教会の信者だぜ。今の見てただろ? この辺は俺らが仕切ってんだよ」
 調子に乗った子供の妄言、と言い切れないのは、正しく先の一幕で証明されている。
 間違いなく力で優れるはずの大人三人を、少年が一喝しただけで退いたのだ。それは何かしらの‘権力’と呼ぶべき類のパワーが働いていると見るべきだろう。SPANISCHE FLIEGE D9
「そうなんですか、そんな凄い方と出会えるなんてとても幸いです」
 全くこれっぽっちも幸いに思ってないような、気だるい目つきと平坦な口調で少女が感想を述べる。
 だが、眼鏡の奥に輝く麗しい青い瞳に真っ直ぐ見つめられた少年は、ただそれだけで僅かに頬を朱に染め気持ちが舞い上がった。
「そ、そうそう、俺はスゲーんだ、だからさっきみてぇなヤツらが来ても俺が守ってやるからな!」
「それはどうもありがとうございます」
 ますます抑揚のない機械的な発音だったが、少年の耳にはその言葉の意味だけしか届いていないようである。
 ついでに、両脇に控える仲間の少年二人から「おい、お前だけズルいぞ!」などと手荒なツッコミが入っていることも気にならないようであった。
「ところで、白光教会の孤児院を探しているのですが――」
「おお、任せときな、案内するぜ、ついて来いよ!」
 ここぞとばかりに案内役を買って出た少年は、意気揚々と先導を始める。
「ありがとうございます」
 それに相変わらず無表情、無感動に礼を述べる少女。
「ふふっ……」
 そして、彼女の背後に隠れるように佇んでいる幼い妹が、ニヤリと口元を邪悪な笑みで歪ませた。



 リリィとフィオナは首尾よく白光教会の信者と出会うことができた。
 もとより、貧民街の中でも公に信者を名乗る少年達が、ここ最近かなり幅を利かせているという情報は冒険者ギルドでも知ることの出来る有名な話であった。
 ようするに、その気があれば彼らと接触するのはそれほど難しくないということである。
「へぇ、姉妹で巡礼の旅をしてるなんて、偉いじゃねぇか!」
 こうして、我が物顔で路地裏を突き進む少年達の姿を見れば納得できる。
 そこかしこにたむろする貧民街の住人は、あからさまに少年達を避けており、大の大人が素直に道を譲っている有様だ。
 ギルドの噂も、リリィが情報屋で仕入れたネタも真実であると証明された。
「いえいえ、全ては白き光のお導きによるものですから」
 すっかりフィオナの美貌に魅入られた少年は、あからさまに棒読みな台詞を疑う事なく信じ、調子の良い相槌を打つことしきり。
 勿論、彼女の口から語られる「姉妹で巡礼の旅を続ける敬虔な修道女シスター」の設定は、完全無欠に嘘八百である。
 それでも、その演技力を除いてもボロが出そうにないのは、生まれも育ちもシンクレア共和国のフィオナが十字教について詳しいからだろう。
 そもそも、いくら少年達が信者といっても、その風貌からして真の意味で宗教としての十字教について造詣が深いはずがない、誤魔化しなどいくらでも利く。
 つまり、一人の信徒としてフィオナの偽装は完璧であった。
 このままいけば難なく孤児院へ潜入できるだろうし、彼らの中心人物と目される「司祭様」とやらにも上手く出会えるかもしれない。
 全てはリリィの計画通り、順調に進んでいた。
「なぁ、その指輪って、もしかしてカレシからのプレゼント?」
 金髪の少年が、不意にその話を振るまでは。
 指輪とは勿論、フィオナの左薬指に輝く思い出のシルバーリングである。
 左手で握った長杖スタッフ『アインズ・ブルーム』を突きながら歩いていたからこそ、目にもつきやすかったのだろう。
 質問の意図はどうであれ、フィオナには真実を語るつもりなど毛頭ないし、ローブの裾をさりげなく握って無言の注意を促すリリィの存在もある。
「……いいえ」
 ただ、否定の言葉だけを咄嗟に返すことしかできなかった。
 しかしフィオナは、これだけは伝えるべきであったかもしれない、この指輪が何よりも大切に思っている、彼女にとって一番の宝物であると。
「だよな、こんな安物のダセー指輪を贈るヤツなんて今時いねぇよな!」
 それさえ知らせておけば、たとえ冗談でも指輪をけなすような台詞を、いくら能の足りないチンピラ小僧だって口にする事はなかっただろう。
 だが、今や全てが手遅れだった。SPANISCHE FLIEGE
「実は俺さぁ、アンタに似合うスゲー指輪持ってんだよね。へへ、寄付を拒否ったケチな商人ヤロウから巻き上げたやったんだけどさぁ――」
 少年が自慢げに懐から大粒のダイヤモンドがはめ込まれた指輪を取り出すと同時。
「――あ?」
 彼の瞳に、両手で長杖スタッフを思い切り振り上げて――否、すでに渾身の力を篭めて振り下ろしている最中のフィオナが映った。
「ふげっ――」
 顔面にめり込んだ硬質な金属の杖は、満足に悲鳴さえあげられないほどの打撃力を発揮したようだ。
 肉を打つ鈍い音。かすれた呻き声。少年の体がドサリと汚らしい割れた石畳の上に落ちる。暗い路地に響き渡ったのは、そんな物音だけ。
 つまるところ、誰もが声を上げることができなかった。
「クロノさんが私の為に選んでくれたんですよ……なにふざけたこと言ってるんですか……」
 頭をやられたせいで確実に前後不覚に陥っている少年目掛けて、フィオナはブツブツと呟きながら容赦のない追撃を仕掛けた。
 今度は杖の先端部による殴打ではなく、歩く際に地面を突き、時には土を削って魔法陣を描く杖の下部、石突と呼ばれる部分を、すでに鼻骨が砕け鼻血と涙でグシャグシャになった顔面に突き立てる。
 ピックのように尖った石突は見事に少年の右目に命中。グチャリと血と肉の混ざる水音を立てながら眼球が零れ落ちた。
 次はきっと左目を狙うだろう――つまり、追撃は二度、三度、フィオナの気が済むまで続けられるという事だ。
「お、おい! 何やってんだよぉ!?」
「やめろって!!」
 事ここに至って、ようやく仲間の少年二人が静止の声を上げた。
 しかし、あまりに突然の凶行であることと、フィオナの有無をいわせぬ圧倒的な狂気の迫力を前に、腰が引けて体を張って止めるまではいかない。
 それでも、もう十を越えるほどに杖を突きこみ散々に顔面をかき回したフィオナの手は止まった。
「邪魔、しないでくださいよ」
 ゆっくりと‘生き残り’である少年二人へと視線を向けたフィオナの瞳は、青と金がまだら模様に浮かび上がった、不気味な色合いへと変化していた。
 眼鏡のレンズ越しに見た瞳の色は確かに青。しかし、今は殺意そのものが黄金の色彩をもったかのように煌々と輝いている。
 それは美しいというよりも、ただただ混沌の様相を呈しており、視線を合わせた少年達を恐れおののかせるには十分すぎる眼力があった。
「ひ、ひぃ!」
 聖書にて説かれる自己犠牲の精神など欠片も持ち合わせていないかのように、少年二人は踵を返して我先にと仲間を見捨てて走り出す。
「あーあ、台無しじゃないフィオナ」
 そして、その逃走を許さなかったのは、今まで黙っていたリリィであった。
「あちゃー」という台詞が聞こえてきそうなほど悩ましげな顔と仕草を浮かべる幼女姿だが、妙に様になっているのは意識が大人のものだからだろう。
 彼女が軽く手を振るうと、中空に白い光の球体が閃き、次の瞬間には逃げ去る少年達の背中に向かって放たれた矢の如く飛翔する。
 事実、矢と同等かそれ以上の速度で飛ぶリリィの光弾は、あっという間に少年へと追いつき、二人の目の前にまで回りこんでから炸裂した。Motivator
「ぎゃっ!」
 と、短い悲鳴をあげて転倒した二人は、揃って目元を抑えてのたうち回る。
 不埒な考えで撫で撫でを迫る神学生をあしらう時に使用する優しい閃光フラッシュとは違い、直視すれば確実に失明する光量と、そうでなくても目元を焼く熱量が弾けているのだ。
 不良少年如きが耐えられる痛みではない。逃走の為に再び立ち上がる事はしばらく不可能であろう。
「その辺にしときなさいよフィオナ、こんなところでも人が集ると面倒だわ」
「でも、この人まだ生きてますよ?」
 はぁ、と小さく溜息をついてから、再びリリィは手元に光を生み出す。
 今度は弾でもなければ光線でもない、白熱の輝きで作り出された光刃フォースエッジである。
 それを、妖精の霊薬を使っても元には戻らないほどに顔面が陥没した金髪少年、その首元に差し込んだ。
 ジュッ、と肉の焼ける音と匂いを迸らせ、熱したナイフでバターを切り裂くようにあっさりと首が落ちる。
 元よりクズのような少年であったが、これで名実共に汚い路地裏に打ち捨てられるに相応しい生ゴミと化した。
「これで死んだわ。さぁ、先を急ぎましょう」
「……分かりました、取り乱してしまって申し訳ありません」
「いいのよ、クロノをバカにするヤツはみんな死ねばいいから」
 渋々ながらも素直に頭を下げて非を認めるフィオナと、それに優しい微笑みを浮かべて理解を示すリリィ。素晴らしい友情である。
「ところでリリィさん、私が言うのもなんですけど、これじゃあ案内役がいないですよね」
 どうやら正気に戻ったらしいフィオナ、瞳の色も再び眼鏡の偽装が働き青一色に戻っている。
 そんな真っ当な質問をぶつけるフィオナに、
「大丈夫、なんとかなるわよ――」
 ウフフ、と素敵な幼女スマイルを浮かべるリリィは、その小さな指先で天を指す。
「――もう、満月が昇っているから」
 そうして、身に纏う見習い治癒術士プリーストローブを一息で脱ぎ去り、その下で幼い肢体を飾る黒いワンピースドレスと、妖精の証たる二対の羽が露わとなる。
 次の瞬間には、全身が妖精結界オラクルフィールドの光で繭のように包みこまれ――気がつけば、フィオナの前には美しい少女へと変化を遂げたリリィの姿が現れた。
 もっとも、変装用魔法具マジック・アイテムであるリボンとコンタクトレンズはそのままなので、髪型は変わらず黒髪ツインテールに、瞳も青のままである。
「それでは、よろしくお願いします」
「ええ、任せてちょうだい」
 にっこり微笑む少女リリィは、その手に他者の頭脳を好き勝手に弄くり回せる悪夢の固有魔法エクストラたる光の針を形成しながら、未だ痛みにのたうつ二人の少年へと歩み寄っていった。蒼蝿水(FLY D5原液)