2014年11月28日星期五

魔術を使ってみるらしい

 風になぶられるがままに立ち尽くし、じっと森を見つめる。
 他に音を立てるものが無い環境では、森の葉鳴りの音が妙に耳について気分もざわめく。蟻力神
 時たま聞こえる悲鳴は、おそらくはまだ森の中に残っている冒険者達が、何かに出会ってどうにかされている事の証左なのだろうが、蓮弥は彼らの末路については考えないようにしていた。
 風向きが変わる。
 森の方向から吹き付けてくる風には、森の木々の匂いに混じって、腐臭と鉄錆の匂いが混じっていた。
 気分の悪くなる匂いだ、と蓮弥は顔をしかめる。
 なまじ気分が落ち着く効果があると言われている森の木々の匂いに混じってしまっているので、嫌な匂いが際立って強く感じられてしまう。
 嫌な臭いを嗅ぎたくないだけだから、とどこか自分自身をごまかすように考えながら、蓮弥はとんと一つ足踏みをする。
 無詠唱で魔力を目一杯拡大されて起動した<送風>の魔術は、森から来る風に対抗するように蓮弥の背後から吹きつけると、臭いも風も一緒くたに押し流して森の方向へと押しやる。
 これで嫌な臭いに悩まされることはなくなると、蓮弥は一つ息を吐く。
 実際に意図していることは違う。
 シオンは最後までそれに気づかなかったようだが、蓮弥一人で森の一部分を監視した所で、他の場所から抜ける魔物まで抑えきることができるわけがない。
 普通気がつきそうなものだが、蓮弥一人を置いていくという罪悪感にでも苛まれていたのか、シオンはそれに全く気がつく素振りが無かった。
 ローナに関しては蓮弥は良く分からなかった。
 気がついていて口にしなかったのか、或いはローナにとってはどうでもいいことだったのか、もしくはその両方なのか、どちらでもないのか。
 考えてみても答えが出ないので、蓮弥はその考えを止めた。
 とにかく、広域にわたる範囲を一人でカバーできるわけがない。
 それは現実の問題だ。
 だとすれば、どうすればこの森の中にいる得体の知れない魔物達が森から抜けて近隣の街等に行かないようにすればいいのか。
 その答えは蓮弥にとっては簡単だった。
 確実にとは言えなかったが、それでも森を抜けようとするかもしれない魔物達を自分のいる場所へと誘導する方法。
 風に乗せて自分の匂いを森の中へと運んでやり、魔物たちにここにも一人、人間がいますよと教えてやればいいのだ。
 森の中で出会った魔物は、人の腹を借りたり、逃げる人間を追ったりと、積極的に人を襲っていた。
 人を襲う習性のある魔物であるならば、森の中にいる冒険者達を狩り尽した後、次に狙うのはほぼ間違いなく一番近いところにいる人間であろう。
 その人間がわざわざ自分がここにいることを森の中へと伝えているのだ。
 これは一種の挑発とも取れる。

 「なんとも……やっぱり俺も馬鹿だね」

 自嘲して呟く。
 シオン達はきっと、一刻も早く街に戻ろうとして、休みなく走るか歩き続けるかすることだろうと蓮弥は思っていた。三便宝カプセル
 持って来た荷物は邪魔だとばかりに、武装以外は全て置いていってしまっている。
 勿体無いからと蓮弥は、二人の姿が遠くなってから、全て自分のインベントリに収納した。
 中身は見ていない。
 きっと見てはいけないものとかも入ってるはずだからだ。
 そんな状態での移動であるから、早ければ一時間ちょっと、遅くでも二時間以内に街に帰り着くだろうと言うのが蓮弥の予想だ。
 そこからギルドに駆け込んで、職員を叩き起こして幹部連中に報告を上げて、調査隊はそれなりに技能のある人物を選ばなくてはならないから、後発になるとしても、そこそこ戦える冒険者を集めて討伐隊を組んでこちらへ向う。
 一体何時間くらいかかるか考え出すと、蓮弥は気が重くなるのを感じた。
 余程ギルドの幹部連中が馬鹿ではない限り、とりあえずにでも先発隊を出すだろうから、人と資材を揃えて出発するまでに3、4時間。
 きちんと急がなくてはならないことが伝わっていれば、移動には馬か馬車を使うだろうから、こちらに到着するのが街を出発してからおよそ一時間。
 その他諸々、なんやかやあると考えて余裕を見れば、大体八時間程監視を続ければお役ごめんになるのではないか、と言うのが蓮弥の希望的観測だ。
 物事と言うものは、常にすんなりと事が運ぶわけではない。
 無駄な軋轢や責任の擦り付け合い、頭の固い幹部がシオン達の言い分に耳を貸さない可能性。
 時間的にまだ夜も明けない時間になるだろうから、人が集まらなかったり、資材が入手できなかったりと言う問題が発生することを予想することは難しいことではない。
 そもそも、結構な数の冒険者がこの森で魔物の被害にあっている状況で、討伐隊を編成出来る程の人数が町に残っているのか、と言う心配も残る。

 「なんとなくだが……討伐隊編成は早い気もしてるんだけどな」

 ぼそりと呟いて天を仰ぐ。
 そもそも、森に行って手当たり次第に魔物を狩ってきたら、狩ってきた分だけお金をお支払い致しますよ、等という依頼が妙なのだと蓮弥は思っていた。
 普通に依頼を出すならば、ゴブリンが増えすぎてきたようなので間引きをしてこい、とかオークに近隣の村の女性が多数誘拐されたので、オークを減らして女性を救助してこい、と言うのが普通だ。
 なんでもいいからとにかく狩って来い、と言うのは依頼の形としてはおかしい。
 魔石の在庫が切迫しているとか、あまり強い魔物も出ない森なので、初心者達への救済措置と言う可能性も無いわけではなかったが、蓮弥はそう言った話やうわさを耳にしていない。
 酷く穿った見方をするならば、これはそう言ったおかしい依頼に気がつかない不注意な冒険者達を撒き餌にした大規模な釣りではないのか、と言う疑いがあるのだ。
 無論、推測の域を出ない話ではあったし、フォレストオクトパスにばかり気を取られて、蓮弥がこの可能性に気がついたのは森の中で正体不明の魔物に襲われた後なので、正しく後の祭り状態ではあるのだが。
 もしもこの推測が正しければ、討伐隊の編成も調査隊の編成も、既に終わっている可能性がある。
 ついでに言えば、シオン達よりも先に報告がギルドに上がっている場合もある。
 エサで魚を釣り上げるならば、当然エサには針と糸がついているはずだからだ。

 「針役はなんかエサごと食いちぎられた気配だけどなー……」

 撒き餌役の冒険者達に混じって、おそらくは本命の針役のパーティがいたのかもしれない。
 しかし、森の中から聞こえてくる音は、時間の経過と共に少なくなっていき、やがて全く聞こえなくなり、蓮弥達の他に森の外に出てくるようなパーティの姿も見受けられない。五便宝

 「もし、この推測が当っているなら、企画者の思う通りに進んでいるのが癪だな」

 なにかこう一発、相手の度肝を抜くような結末に持っていってやりたいと思う気持ちが蓮弥の中に沸き起こる。
 いわばいたずら心と言うやつであろう。
 ただ、何をどうしてやったらそんな結果が引き起こせるかと言う考えは浮かんではこない。
 自分の持っている魔術が火や氷ならば、有り余っているらしい魔力を全てつぎ込んで森ごと灰にしてやったり凍らせてやるのに自分と相性のいい風ではせいぜいが木立を吹き飛ばすくらいで、それでもまぁいいような気もするのだが、どうにも派手さに欠ける、と思った蓮弥は、ふと空を仰いだまま一つの考えに行き着く。
 この世界は、お盆の上にのった箱庭のような状態であると言う話は、こちらの世界に来る前にあの幼女から聞いていた。
 お盆の下は虚無であり、何もないと。
 では翻ってお盆の上はどうなっているのだろう?
 この世界にとて何千m級の山と言うのが一つや二つはあるはずだ。
 山があるなら空気の層とて、それ以上の厚さがあるはずである。
 さらに、こちらの世界に来てから、お湯が妙に沸くのが早いと言った覚えも無い。
 つまりは元の世界並に大気圧があり、同じくらいの空気の層があると考えられるのではないか。
 そしてそれは、高度があがるにつれて段々と薄くなるような元の世界と同じような構成になっているのではないだろうか。

 「我が力を捧げ、大気に満ちよ……」

 風属性の魔術であれば、既知の魔術の全てを網羅されている虎の巻をカリルから買ったばかりであり、その全てに目を通し終えている蓮弥である。
 使用制限についても、初級の制限を解除してすぐに、無属性魔術と同じ方法で無制限まで解除してあった。
 唱える魔術は風系統の上級魔術。
 但し、本来は下から上へと巻き上げる効果をイメージでアレンジして上から下へと逆に叩きつけるものへと変更する。
 ついでに余波で自分が被害を蒙っても面白くないので、自分の周囲に風の防御壁を展開。
 これから起す現象を予想して、術式並列起動のいくつかを重複させて堅固で広い繭のような形で壁を何枚も重ねて展開させた。
 壁の展開を待ってから、蓮弥は右腕を空へ突き上げ、まるで空を掴むかのように拳を握り締めて詠唱を続ける。

 「風よ、渦巻きて荒れ狂い、我の望むがままに大地を叩け!」

 本来の詠唱は「我の望むがままに天を穿て」なのだが、逆向きなのだからと詠唱もアレンジ。
 どうせすぐに回復するのだからと防御壁を維持する魔力以外のほとんど全てを、魔術に注入。
 言葉が回路を造り、そこへ魔力が流し込まれて魔術が完成する。
 その瞬間、蓮弥の周囲を煙と轟音が包み込んだ。
 遠く離れた場所。
 蓮弥よりもずっと高い視点からそれを見るものがあれば、それは巨大な漏斗に見えたことだろう。VigRx
 本来竜巻と言う自然現象は大地からものを吸い上げて空へ飛ばす現象だが、この逆さ竜巻は天空より全てのものを吸い込んで地面へと叩きつける。
 竜巻と形容するよりは、海面にあるものを渦へと引きずり込んで海底へと叩きつける巨大な渦潮と形容した方が正しい代物であった。
 全高20Kmに及ぶ巨大な渦潮は、遥か高みから冷気の塊を掴み取り、途中で雲などの水分を巻き込んで、それらをまとめて蓮弥の目の前の森へと轟然と降り注がせる。

 「失敗したなーこれ……」

 自分を包み込んでいる防御壁の外側を、轟音を立てて白い煙だか氷だか分からないものが流れていくのを、呆然と見やりながら、蓮弥はぼやいた。
 高高度の上空から、たぶんそこにあるであろう冷気を引き摺り下ろすことしか考えておらず、引き摺り下ろした冷気を処理する方法をすっかり考えていなかった。
 本当は下降する気流の外側に上昇する気流をつくって循環させることで、魔術の効果範囲を限定しなくてはいけなかったのだろうが、外側の気流を作っていなかった為に、叩きつけられた冷気はそのまま広がるがままに周囲を凍らせ始めていたのだ。
 すぐに魔術を解除しようか、と考えた蓮弥であったが、すぐにもうやってしまったことは仕方がないと切り替えて、ゆっくりと風の漏斗を森の中央目掛けて前進させる。
 漏斗が離れていくに従って、周囲を流れる風の勢いは弱くなっていく。
 蓮弥はそれでも防御壁は解かない。
 蓮弥が空から引き摺り下ろした冷気の温度は、どこまで元の世界の知識が通用するのか分からなかったが、計算通りであるならば、およそ-70℃であるはずだった。
 引き摺り下ろしている最中に、幾分かのロスがあったとしても、人間がなんの装備もせずにそこにいればほぼ確実に絶命する温度であるのは間違いがない。
 蓮弥が無事なのは、偏に多重に展開した風の防御壁でいくつかの空気の層を作り上げ、その中にいるからであり、壁を解除した途端に凍死するだろう未来が予測できた。

 「この世界の人間は、ダウンバーストなんて知らないだろうけど。まぁこんな大規模かつ大被害をもたらすダウンバーストなんて元の世界でもなかったと思うが……」

 たまに白い煙の切れ間からみえる森は、白一色の世界へと変貌していた。
 木々も草もみな同様に凍りつき、おそらくはその中にいた動物も魔物も、何もかもが一様に白い世界に閉ざされてしまったはずだ。

 「天変地異が起きました、と言い張ろう。そうしよう」

 どうせ私がやりましたと正直に報告した所で、信じる者などいないだろう。
 それならばいっそ、神様が気まぐれで天変地異を起したとでも言った方がまだ信憑性があるに違いないと蓮弥は事の全てを顔も見たことの無いこの世界の神様達に丸投げすることにした。
 どうせまともに世界の管理もせずに、陣取りゲームで遊びほうけているのだ。
 蓮弥からしてみれば、お前らの怠慢のおかげで界渡りなんぞさせられているのだから、ちょっとは泥を被れ的なものである。

 「それにしても……」

 魔術を解除すれば、巨大な漏斗は出現した時と同じ速度で大気に解かれて消えていく。
 解かれた大気は内包していた冷気と水分を吐き出して、あたり一面に雪を降らせ始めた。
 しんしんと降り積もっていく大粒の雪を見ながら、蓮弥は誰に言うともなくぼやく。

 「やっぱ俺、魔術の才能ないわー……」

 普通に使えば魔術師並でも、全力で使えば大災害では、使い道が無い。
 見渡す限り白く染まってしまった世界をみやり、さていつになったら風の防御を解いても大丈夫になるんだろうかと考えつつ、巻き起こしてしまった大規模災害並の状況に、蓮弥は大きく深く溜息をつくのだった。巨人倍増

2014年11月26日星期三

逃走の結末らしい

槍と言う武器は、あまり主役を張らない武器だと言うイメージがある。
 異論反論は多種多様にあるだろうし、実際に槍と言う武器はそれを最強の武器であると評価する人もいる。頂点3000
 三間槍を持たせれば農民が武士を殺すと言う評価もあるし、個人で使用する短槍は突く、斬る、叩くと三拍子揃った優秀な武器だ。
 神話にも出てくるし、有名どころもかなりある。
 それでも、何故か主役を張れない。
 ほぼ確実に英雄の武器と言ったら剣がまず挙げられる。
 勇者の武器も剣なら、伝説の武器も大体は剣。
 イメージ戦略としては剣に大敗を喫しているのが槍だと言えなくも無い。
 しかしそれはイメージ的な話だけであって、実際相対してみれば、槍と言うものが如何に厄介な武器かわかろうと言うものである。
 とにかくリーチが長い。
 単純な戦闘においてはこれだけで相当な優位性を保つことができる。
 下手をすると、この一点だけで一方的にやられる可能性もある。
 穂先を切り落とせば槍など無力、と言い張る人は後世の槍の脅威を知らない人が作った話や映像の見すぎである。
 やれるものならやってみろ、と言いたい蓮弥であった。
 ただ、不利な点もある。
 長ければ長いほど、取り回しに手間がかかると言うのが最大のものだ。
 サイドに回りこまれると途端に弱くなるのも槍の特徴であると言える。

 「もっとも、回り込む脇があれば、なんだけどな」

 ぼそりと呟いて、また突き出された穂先を回避する蓮弥。
 狭く直線的な通路において、槍を相手にすることは非常に苦しい戦いを強いられる結果となる。
 払っても叩いても、すぐに次の穂先が繰り出されてくる。
 十文字槍のように引いても斬れると言う武器がこの場にないことだけが救いだと蓮弥は思う。
 もしそれがこの場にあったら、とてもではないが素手で対応しきれる気がしない。
 蓮弥の技量をもってすれば、槍の先端だけを狙って切り落とすことはわけのないことではあったが、天井が低く、幅の無い通路での立ち回りとなれば、十全に刀を奮うこともできない。
 もっとも蓮弥は刀をインベントリに収納したまま、取り出すつもりもなかったのだが。
 あまり使う者のいない武器は、ただそれだけで使用者の身元を割り出す情報となりえてしまう。
 どれだけ派手なことになろうと一向に構わない蓮弥ではあるが、今この場にククリカの冒険者のレンヤがいた、と言う情報だけは絶対に秘匿しておく必要があった。

 「もうこれさ。面倒だから天井ぶち抜いて逃げたりしたら駄目かねぇ?」

 うんざりした声音でエミルが天井を仰ぎながらぼやく。
 魔族である彼女にとって、相手を殺さず、自分も怪我をしないように戦うと言うことは思ったよりもストレスを感じるものらしく、声に疲労の色が濃い。

 「何かご褒美でもないと、やってられないよこれ?」

 「交渉には応じる。何か考えておけ」

 「おや? 言ってみるもんだねぇ。ちょっとやる気が出てきたよ」

 蓮弥の返答に気を良くしたのか、エミルが一歩前へと踏み出す。
 その小柄な身体に、途端に襲い掛かる複数の槍の穂先。
 その多さは一瞬とは言え蓮弥が焦りを覚える程であったが、エミルはそれらを回避しようともせずにその細い腕を一閃させて薙ぎ払った。
 本来槍の柄と言うものは人の打撃でそう簡単に折れる代物ではない。
 そんな脆いものであれば、標的に突き刺した時の衝撃で折れかねないからだ。
 しかし、魔族の力に物を言わせたエミルの一撃は、槍の柄をまるで小枝をへし折るかのような手軽さで、まとめて叩き折ってしまう。

 「うおぉ!?」

 「槍が素手で……化け物かあいつはっ!?」

 「替えだっ! 替えの槍を早く持って来いっ!」

 その一撃の威力に、思わずと言った感じで身を引いてしまう兵士達。
 それにくるりと背を向けて、エミルは蓮弥を押すようにして走り出す。

 「ほら、さっさと逃げる!」

 「言われずとも分かってる!」

 一目散に逃げ出す二人の背後から、替えの槍を持った兵士達が追いかけていく。
 兵士達からしてみれば、上へ上へと逃げる蓮弥達を追い詰めているつもりなのだろうが、上へ行くのが目的である蓮弥達からしてみれば、状況は順調に流れていると言えた。
 さらに数回の交戦を重ねて、蓮弥達は階段を駆け上がり、いくつかのハッチらしきものを抜け、とうとう魔導船の居住区の屋上へと抜け出る。
 追跡してくる兵士達を、エミルが再度力に物を言わせて押し返し、屋上へと出た二人が見たものは。夜狼神
 爆発音と共に建物の一部が吹き飛んでいく王城の姿と、そこからゆっくりと姿を現した紫色の泥人形のような巨人の姿であった。

 「……なにあれ?」

 低い唸り声を上げながら、建物が吹き飛ばされてできた孔からずるずると出てくる巨人に、あっけに取られたような蓮弥が呟く。

 「何って……ご注文の魔物じゃないかねぇ?」

 「でかすぎるだろ!?」

 王城自体と比較して、その巨人はおよそ10mを超える大きさがあった。
 蓮弥達を追いかけて、屋上に出てきた兵士達も、蓮弥の視線の先を追った先にいる紫色の巨人を見てパニックを起し始める。
 そりゃ大陸の中心である聖王国の、さらにその中心部である聖都の、その心臓部とも言える王城にあんな馬鹿でかい魔物が突如出現すればパニックにもなるか、とうろたえて右往左往する兵士達を見ながら思う蓮弥。
 この事態に関してのみ、兵士の錬度が低いとは責められないなぁとも思う。

 「王城に魔物がっ!?」

 「馬鹿な……一体どこから……」

 兵士達の声が聞こえる中、崩れた王城の壁に手をかけて、身体を乗り出していた紫色の巨人の身体のあちこちから小さな爆発やら炎の柱やらが巻き起こる。
 どうやら王城に詰めていた魔術師や兵士達の攻撃が始まったらしい。
 王城に勤めているくらいなのだから、それなりの実力を持った者達による攻撃のはずだったのだが、それらの攻撃は巨人の身体の表面で炸裂するばかりで、巨人本体は何も感じていないように立ち尽くしている。

 「硬いな、あれ……」

 「そりゃ、ああ言うゴーレムの基本性能は硬い、でかい、鈍いの三拍子だからねぇ」

 大きな被害を出したいわけでもないので、蓮弥はエミルに注文をつける時に攻撃能力に関しては皆無でなんとなく魔物だと分かればそれでいいと言っていた。
 言うなれば、ただの虚仮脅しである。

 「攻撃能力が皆無な分、防御能力には力を入れたからねぇ。物理防御も魔術防御もがっちがちだよ」

 「自分で注文しておいて言うのもなんだが、ひたすら邪魔なだけかあれ……」

 「お、おい。貴様らっ!」

 なんだか生温い視線で立ち尽くしている紫色の巨人を見つめる蓮弥とエミルに、どうにかショックから立ち直ったらしい兵士の一人が、手にした槍をつきつけながら叫ぶ。
 そのつきつけられた槍も、それを握る手も、ぷるぷると震えているのには蓮弥もエミルも気がついていたが、この状況下でいち早く立ち直っただけでも偉いな、と思ってしまう。

 「あれも貴様らの仕業か!」

 問われて蓮弥とエミルは一度お互いの顔を見合す。
 さて、どう答えようと蓮弥が考え込み、エミルはあっさりとその場を蓮弥に譲った。
 一応、自分の演技力の無さには自覚があったらしい。

 「答えろっ!」

 「ふ……ふはははははははっ!」

 こうなればもう自棄で、ノリと勢いで突っ走ってしまえとばかりに蓮弥は高笑いをあげる。
 ぎょっとした表情でわずかに身を引く兵士に向き直り、蓮弥は大きく両腕を広げた。

 「言わねば分からぬか! オロかなニンゲンども!」

 「なっ!? き、貴様……」

 羞恥心からなのか、言葉がカタコトになりかける蓮弥であるが、状況が状況であるせいなのか兵士には気づかれなかったらしい。

 「そこは人族の方がそれっぽくてグッドだねぇ」VIVID XXL

 蓮弥の背後に隠れながらぼそぼそと小声で指摘するエミル。
 俺は腹話術の人形か何かなんだろうか、と思いつつ、蓮弥は続ける。

 「人族の姫を攫い、魔王陛下に献上し、貴様らが希望と縋る勇者を亡き者とせんが為に我らは今、ここにある! 姫の身柄を確保する事には失敗したが、見よ! 勇者を匿い魔王陛下にたてつこうとする貴様らの城はここに崩れた!」

 「いやー……魔王様も人族の姫とか献上されても困るんじゃないかなぁ? 今の魔王様って男だっけ、女だっけ?」

 どよめく兵士達の声にかきけされて、エミルの呟きは蓮弥の耳にしか届かなかった。
 さすがに聞きとがめて蓮弥は肩越しに背後を振りかえる。

 「やっぱりいるのかよ、魔王?」

 「さぁ? 私はなーんにも知らないねぇ」

 蓮弥の背中に自分の背中を預ける形で、自然に視線をそらすエミル。
 状況が許すのであれば、振り返って問い詰めたい蓮弥であるが、状況はそれを許してくれそうに無い。
 城に手をかけた状態で、何をするでもなく立ち尽くしていた紫色の巨人の胸の辺りで、一際大きな閃光が発生する。
 少しばかり眼を凝らしてみれば、空中を駆けるように移動しつつ紫色の巨人に斬りかかる、光り輝く剣を持った人影がなんとなくではあるが見えた。

 「今の一撃は結構削ったねぇ。あれ勇者かな?」

 「遠めで良く分からないが、たぶんそうだろな。あいつ馬鹿なんじゃないのか?」

 「なんで?」

 「なんでわざわざ空飛んで斬りかかるんだよ? ああ言う場合は足を切り落とすのが先だろうに」

 自分より身体の大きな相手は、まず手の届く部分から潰せと言うのは戦い方においては定石と言うのも恥ずかしくなるような常識だ。
 わざわざ自分の足元がおろそかになるような飛んだり跳ねたりを駆使して斬りかかる等と言う行為は愚の骨頂であると蓮弥は思う。

 「ま、いずれにせよ。勇者様の服毒は確実だねぇ」

 誰かに何かを仕掛けるときは、できることならば二段構えにしておかなくてはならないと蓮弥は思う。
 常に保険を仕掛けておく、と言うことなのだが、今回に限って言うならば偽シオンの周囲1mに勇者が踏み込んだ時に撒き散らす毒が一段目。
 二段目はその後に出現する毒人形自体が同じ毒を常時、体中から発散していると言うことだった。
 王城に魔物が出れば、それが強力であるように見えれば見えるほど、勇者自身が撃退に動かなくてはならなくなる。
 それを見越して蓮弥は巨人状態でも周囲に毒の影響を及ぼせるようにエミルに依頼していたのだ。
 勿論、そのせいで無関係な人達にも被害者が出ることになるのだが、命に関わるような毒ではないので巻き込まれたことを不運と思って諦めてもらおうと蓮弥は思っている。
 フラウ特製の毒薬「浮気の大罪」(カプリシアルクライム)
 レベル9と言う猛烈な強さを誇るこの毒薬は、男性にのみ機能し、服毒した男性が女性に触れるだけで激しい動悸に息切れ、猛烈な腹痛と頭痛、放っておくと脱水症状にまで陥る吐き気を催させる。
 さらに女性の体液に触れようものならば、その部分が即時に爛れて行くと言うおまけつきだ。
 そのくせ男性機能には一切の影響を与えないと言うのだから始末が悪い。
 簡単に説明するのであれば、極度の女性アレルギー体質へと変貌させる薬なのだ。
 その手の欲求はそのままに、その欲求が果たされない身体にされてしまうのだから酷い話だ。
 さらにはフラウが以前口にしたように、解毒方法がほぼ無い。
 この話を聞いた時、蓮弥はその内容のすさまじさに思わずフラウから距離を取ってしまうほどだった。
 その表情はフラウから見ても驚くくらいに恐怖に引き攣っていたらしく、もし蓮弥が間違って服毒してしまった場合は責任をもって解毒するからと何度も説明するくらいだった。lADY Spanish

 「本来の使用方法は、女性が最初にこれを飲んで、男性と交渉を持つことで服毒させるのが本当なんだけどねぇ。この方法の場合は服毒させた女性だけが毒の効果から除外されると言う素敵な仕様なんだ」

 つまり、女性には効果を及ぼさない毒なのである。

 「お前、間違っても使うなよ?」

 「あれ? レンヤ君、複数の女性と関係を持つ気ありありなわけ?」

 「そうは言ってない……」

 そう取られても仕方がないかと思いつつも、一応は反論しておく蓮弥だ。
 その間にも、勇者は巨人の周囲を飛びまわり、聖剣によるものらしい強烈な攻撃を叩き込んでいく。
 そのたびに、開かれた傷口からは血しぶきにも似た紫色の液体が飛び散り、勇者の身体を汚していく。
 この毒、一応は粘膜吸収による摂取で効果を表すが、揮発性に優れており、発生した気体に関しても毒性は全く変わらない。
 ただ、空気に触れると数分で酸化により劣化し、無害化する。

 「はっ! 見たか賊ども! あの勇者殿の力を! 巨人は成す術もないではないか!」

 おそらく聖王国所属の兵士なのだろう。
 一方的に巨人を攻撃する勇者の姿に勢いを得たのか、槍を掲げて高らかに言い放つ。
 その周囲にいた兵士達も同じく、槍を掲げ勇者の力を賞賛する声を上げるが、事情を知っている蓮弥やエミルからすれば、あ、そうなの? 以上の感想を持てない。

 「ほら、ここは一発それらしい事を言って撤退しないと、いつまでもこのままだよ?」

 背中をつんつん突きつつ言うエミルに、蓮弥はなんと言っていいやらその手の知識の持ち合わせの無い頭を振り絞って考える。

 「あ、えーと……、おのれ勇者め! 命冥加な奴よ! だが次はこうはいかぬ! 第二第三の刺客の影に怯え、その時が来るまで束の間の平和に浸るが良いわっ!」

 「なんかもう、君が魔王ってことでいいんじゃないかねぇ?」

 赤面して端っこの方で膝を抱えていたい気持ちで一杯の蓮弥に、追い討ちをかけるエミル。
 何故かそのエミルの呟きだけはしっかりと兵士達の耳に届いたらしい。

 「貴様! 魔王なのかっ!」

 「んなワケがあるかっ! こんな所までのこのこやって来る魔王がいるなら連れて来い! 説教してやるから! よしんば俺が魔王だとしたら、こんなショボい戦果で撤退なんぞするか!」

 「逃げるつもりか! 貴様!」

 「あ……」

 やっちまった、と言う表情になる蓮弥。
 その背後に控えていたエミルが、蓮弥の腰にそっと腕を回して背後から抱き締める。

 「なんだか締まらない話になっちゃったけど、そう言うわけだから。君らも大切な勇者様の所に行ってみた方がいいんじゃないかねぇ。あんな風に戦ってはいるけれど、無事と決まったわけじゃないよねぇ?」

 「な、何っ!?」

 「それじゃあね」

 そっと囁くようなエミルの言葉。
 そのあまりに静かな囁きに、兵士達の対応が一瞬遅れた。
 その一瞬の隙に、エミルの背中から一対の黒い皮膜の翼が出現する。
 とん、と一つエミルが床を蹴ると、ふわりと二人の身体が浮き上がった。

 「しまった! 飛んで逃げる気だぞ!」

 「誰か弓持って来い!」

 兵士達の叫び声が聞こえるが、既に遅い。
 エミルは背中の翼を一度大きく羽ばたかせると、兵士達の手の届かない高さへと飛び去っていったのである。

 兵士達の声も届かない高度にて。

 「エミル、魔族って背中にそんなの生えてたっけ?」

 「ダミーだよっ! 風の魔術の増幅使用に決まってるじゃないかこんなのっ!」

 「余裕なさそうだな? 俺は背中に色々当たって気持ちいいけど」

 「アホーっ! 自分で飛べるんだからさっさと飛んでくれないかねぇ!? 背中のこれも邪魔だし、二人飛ばすのは辛いんだよっ! さっさとしないと落とすかもしれないよ!」玉露嬌 Virgin Vapour

 「んー……もうちょっと」

 「そう言うの後にしてくれないかねぇっ!?」

2014年11月20日星期四

古竜を解体するらしい

遠く離れた地点で、青い身体の竜達が必死に息吹や魔術を大地に向けて放っている光景が見える。
 大地に着弾した青い息吹や、水系統の魔術は当たった途端に水蒸気に変わり、勢い良く天に向かって吹き上がって行く。SEX DROPS
 それでも一向に大地の熱は冷めない。
 大地が放つ熱で、空を飛んでいる青い竜達もどことなくふらふらと元気がないように見えた。
 燃えるものなど何一つ残っていないと言うのに、大地は熱を持ったまま冷めようとしないのだ。
 蓮弥は傍らを見る。
 そこに小山のような巨体を横たえているのは、蓮弥が叩き落した邪竜のうち、もっとも巨大で強力であった古竜だ。
 落ちた場所が龍人族の都市の防壁ぎりぎり外だったので、自分が張った風の結界に飛ばされてどこかへ行ってしまったのではないかと心配していたのだが、余裕を持たせてやや大きめに結界を張ったおかげで、どこにも飛ばされること無くその巨体は残されていた。
 その巨体に<操作>の魔術をかけて、蓮弥は都市から少し離れた場所へ移動させる。
 そちらも辺りは何も無く、地面は黒くほんのりと暖かい土があるだけであった。
 その土の上で、蓮弥はインベントリからナイフを取り出すとゆっくりと自分の魔力をナイフに染み渡らせるようにして強化していく。

 <まぁなんと言うか……非常事態故の緊急措置と言い張るしかないんだが、レンヤ。同じことが起きないように君には私が持つ魔術知識の一部を譲り渡そう>

 文字通り、なにもかもが終わった後で、かなり遠くまで避難していたエメドラが戻ってくるなり蓮弥を捕まえてそう言った。
 蓮弥は無言で、ルビドラの背中の上から周囲の状況を見回す。
 大地は、もう燃やすものなど何も残っていないはずなのに赤々と燃え上がっている。
 その赤い光に照らされて、見渡す限り何も無くなってしまった大地の上にぽつんと一つだけ龍人族の都市が、防壁を半壊させた状態でなんとかその姿を残していた。
 空は、爆発と炎上によって巻き上げられた煤で覆い尽くされ、太陽の光が地面まで届いていない。

 <これ……私が? 一体何が……えぇえええええ?>

 空中でホバリングしつつ、ルビドラは開いた口が塞がらない。
 都市を攻撃していた魔物の軍勢は跡形も無く消えうせていた。
 後に残ったのは溶けて赤熱化した大地のみ。
 それ以外は本当に何も残っていない。
 焼け野原と言う形容すら生ぬるい有様であった。

 <龍人族の意見は真っ二つに分かれている。感謝するべきと抗議するべきの二択だ>

 思念にたっぷりと溜息を混ぜて、エメドラが言う。

 <君らが来なければ、命までも奪われていたのだろうから、抗議するのはどうかと私も思うんだが。これでは命以外は全て無くなったと言ってもいい惨状だ。現在竜族が必死に消火活動にあたっているが鎮火の目処は立っていない。……もうちょっと穏やかな解決方法は無かったのだろうか?>

 「最善手だったと断言する」

 きっぱりはっきりと断言した蓮弥であるが、わずかにその視線が泳いでいるのをシオンとエメドラは見逃さなかった。
 炎の適性と言う点においては世界最高峰であろうルビドラが蓮弥から供給された膨大な魔力を使って放った炎の息吹は完膚なきまでに効果範囲内にある全てを焼き尽くしてしまった。
 ルビドラの精神にもうちょっと強度があり、蓮弥が送り込む魔力の量がさらに多かったと仮定すると四大竜が放つ息吹のように地形が変わっていたかもしれないとは、一部始終を逃げながら見ていたエメドラの計算である。
 誤算ではない。
 そもそもが計算して行った行為ではないので、誤算であるわけがない。
 とりあえず最大火力で焼き払えば、軍勢もろとも魔族とかも焼けて無くなるんじゃないだろうかと言う非常にアバウトな考えの下に行われた攻撃は、確かに結果としてはその通りの結果を導き出した。
 こんな有様の中でしっかり命を繋いでいるような魔族が存在したのであれば、エメドラはその魔族を倒す手段が全く思いつかない。
 その代わりに、龍人族側が受けた被害も大きい。
 都市がなんとか形として残ったのは内部に勇者が、龍人族のアルベルトも混ぜて四人いたおかげだった。蒼蝿水
 その四人が総がかりで防壁を芯にして都市全体に防御結界を設け、加えて蓮弥が直前に張った風の結界と合わせた防御力がなんとか爆風に耐え切ったのだ。
 生きた心地がしなかった、とはレパードの感想である。
 エメドラは何が起こるのか察知した時点で全力で逃走に移っていた為に被害を蒙らなかったのだが、遠くから見たルビドラの息吹の爆発は、この世の終わりにしか見えなかったそうだ。
 背中に乗っていた面々は開いた口が塞がらず、ただエミル一人だけが爆笑していたらしい。
 普通、竜族がその知識を人族に与える等と言うことは行われることが無いのだが、エメドラはその光景を見て蓮弥をこのままにしておくのは、魔王を倒す倒さない以前の問題として非常に危険であると判断し、自分が持っている魔術に関する知識の一部を蓮弥の頭に転写することにしたのである。

 「拒否権は?」

 <この惨状を見た上であると思うか?>

 「俺、剣士なんだけど?」

 <頼むから受け取ってくれ。何なら伏して懇願するから>

 人間の脳みその容量には上限が存在するのだからそんな知識は必要ない、と思う蓮弥であったのだが泣きを入れられてしまえば無碍に断ることもできず、エメドラに請われるままにその知識を受け取った。
 受け取って実践に移してみれば、その知識は非常に役立つものであることを蓮弥は知る。
 魔術については勿論、魔力を使用した自己強化技術。
 さらには物品に魔力を通して強化する術までエメドラは蓮弥に譲り渡したのだ。
 単に自分の危険度が上がるだけではないかと蓮弥は思ったのだが、無自覚に力を行使されるよりはきちんと知った上で使われるほうが危険が少ないとエメドラは判断したらしい。

 <自己強化については、既に無意識になのか行っているように見えるのだが、適当にやっていると身体を痛めるぞ。最悪、再起不能になる可能性もあるのだから技術として知っておいた方がいい>

 そんなわけで竜族の魔術知識を獲得した蓮弥は、後始末等は他の人に丸投げして、戦闘中に叩き落した邪竜の回収に来たわけである。
 戦闘で倒されてしまった竜族の遺体は、エメドラとルビドラによって回収されていった。
 戦場ではなく街の中に落ちていた為に、焼かれたり飛ばされたりすることなく残っていたそれを、エミルが欲しがったりしたのだが、そちらには絶対に手をつけないようにと蓮弥は厳命している。
 竜族には竜族の弔いがあるらしく、その遺体に手をつけることは冒涜だろうと考えたからだ。
 代わりに邪竜の死体に関しては自分達の好きにさせろとエメドラに伝えてあり、こちらはすんなりと蓮弥の意見が通った。
 エメドラ達も同胞の遺体はともかくとして、邪竜に関しては比較的どうでもいいと考えているらしい。
 小さな邪竜はエミルが嬉々として解体し、素材と肉に分けて回収作業を行っていたが、古竜だけは蓮弥が所有権を主張し、その手に委ねられることになった。
 炎の魔術で滅多打ちにしたせいで、鱗と皮に関しては素材としての価値はほとんど無くなってしまっている。
 あちこち焼け焦げてしまっているそれを蓮弥は魔力で強化したナイフで手際よく切り裂く。
 その下にある肉も表面は焦げてしまっていたが、内部に関してはそこそこに綺麗な肉が残っており、蓮弥はそれを適当に小さく切り取る。
 身体の大きな動物の肉は赤い、と言うのが蓮弥の中の知識であったが、切り取った古竜の肉はそれほど赤身を帯びておらず、どちらかといえばピンク系統の色でしっとりと蓮弥の指に絡みついた。勃動力三体牛鞭
 インベントリから取り出した薪で焚き火を作り、金串を用意した蓮弥は切り取った肉をそれに刺すと焚き火の傍らに突き刺して焼き始める。
 あまり火を通すと固くなるかもしれないと、軽く炙って脂が溶け始めた辺りで火から外し、ぱらりと塩を振りかけて無造作にかぶりついた蓮弥は低い唸り声を上げた。
 血抜きもしておらず、肉自体熟成もさせていないそれは食材としてはどうなんだろうと疑問に思うものだったのだが、口に入れた途端に香ばしい脂が喉へと滑り落ち、肉自体はしっかりとした噛み応えを歯に与えつつ、噛み締めるたびに芳醇な肉汁が溢れ出す。
 わずかに感じる血の匂いと味も、肉の味自体を邪魔することなく、逆に野趣溢れる味と香りになって喉と鼻を刺激し、その存在感は胃に落ちて尚満足感となって蓮弥の感覚を刺激する。

 「美味い……」

 瞬く間に一串食べてしまった蓮弥は陶然と呟くと、すぐ我に返って古竜の解体作業に着手した。
 かなり適当に焼いただけでもこれだけ美味い食材ならば、きちんと調理すればもっと美味いに違いない。
 さらに、肉がこれだけ美味いのであれば内臓はさらに美味いかもしれない。
 その上、骨からはきっと良い出汁が取れるだろうし、頭を開けば魔石と脳がある。
 魔石はお金になるし、脳も調理方法によってはきっと美味しく食べられることだろう。
 これは一片たりとて無駄にしてはいけない素材であると蓮弥は全能力を解体作業へ傾ける。
 この世界において、全ての災厄の一端を担うとまで言われ忌避されている邪竜と言う存在が、蓮弥の認識の中で極上の食材として認識されてしまった瞬間であった。

 <あの認識がこっちに向かない事を祈るばかりだわ>

 とても疲れた思念を放つルビドラの傍らで、シオンが苦笑している。
 二人の視線の先では、巨大な古竜の身体が蓮弥の手によってとんでもない速度で解体されていた。
 邪竜と言う存在はルビドラにとってはどうでもいい存在であり、それが食材になろうが素材になろうが勝手にすれば、程度のものだったのだが同じ竜と言う存在である以上、実はお前らも美味しいんじゃないかと蓮弥が言い出すことだけが怖かった。
 その場合、全力で逃げるしか選択肢が無いのだが、どうにも逃げ切れる気がしないルビドラである。

 「大丈夫だろう。あれで蓮弥は仲間と認識した存在には優しい人だし」

 ぐったりと身体を横たえているルビドラの首筋を、シオンは安心させるかのように撫でる。
 その感触が心地よかったのか、ルビドラが小さく喉を鳴らした。

 <仲間だと認識してくれてると良いのだけど>

 「多分、大丈夫」

 <不安になる返答ね、それ>

 ルビドラが疲れ果てているのは、エメドラから説教を食らったせいだった。
 原因の大半は蓮弥にあるとは言え、吐き出すときに分裂させて散らすとか、そもそもそうなる前に経路を切って魔力供給を止めるとか、手立ては色々あっただろうと怒られたのである。
 巻き込まれた形のルビドラからしてみれば、非常に理不尽に感じられる話ではあったのだが、確かに注がれた魔力の量に混乱さえしなければ、多少被害を抑えることができたかもしれないと言う自覚はあったので、おとなしく説教され続けていたのだが、やはり精神的には疲れてしまう。福源春

 <それで貴方達はこれからどうするの?>

 「そうだなぁ……」

 その辺りの話は勇者四人に加えて避難していた龍人族の長老やら立場のある者とクロワールやらローナやらカエデと言った各種族の者達が現在会議を行って話し合っている。
 シオンはそう言ったお話し合いは自分には難しいから、と言って逃げてきていた。
 その話を聞いたルビドラとしては、そんな理由で話し合いを逃げてくると言うのはどうなんだろうと思ってしまうのだが、さらに酷いのが蓮弥の逃げてきた理由だ。
 興味が無いからそっちで適当に決めてくれ、と言うのが蓮弥が話し合いから逃げて来る時に言い残していった言葉である。
 このいい加減さと言うか言い草が龍人族の、特に年配の龍人族の怒りを買いまくったらしいのだが、蓮弥は全く気にした様子が無い。
 そもそも、蓮弥の立場と言うのは人族勇者のクルツの後見人、もしくは保護者と言うものであり、勇者がきちんと四人そろった現状においては、その場に居合わせなくてはならない理由が無い。
 それでも、クルツ一人だけを残していくと何をしゃべりだすか分かったものではないので、お目付け役としてローナを残してきている。
 とんだ貧乏くじですとローナには溜め息をつかれてしまっていたが。

 「当たってるかどうか分からないけど、選択肢は二択だな」

 <言ってみなさいよ。判定してあげるから>

 「一つは、龍人族の領域の奪還を目指す。もう一つは龍人族のことはとりあえず脇に置いておくとして、勇者四人で魔王を倒す」

 <元凶を潰せば、諸問題は解決するだろうってことね。それで貴方はどちらの選択肢が通ると思ってるのよ?>

 「龍人族の領域奪還かなと」

 <理由は?>

 尋ねられてシオンはしばらく黙り込む。
 どうやらなんと言うべきなのか一度頭の中で整理しているらしいと、ルビドラは首筋をなでられるがままにシオンが口を開くのを待った。

 「確かに魔王を倒せれば、魔族も自分の領域に引っ込むのだろうが。そもそも、魔族の支配領域の中心部にあると言われてる魔王城まで勇者四人を届ける方法が無い。今までだと、四つの大陸から魔族の領域に総攻撃をかけて、可能な限り奥地に踏み込むと言うのが常套手段だったが……今回は難しいと思うんだ」

 ルビドラは黙ってシオンの意見を頭の中で考える。
 確かに、今まではシオンの言う通りの方法で魔王城まで近づき、そこからは勇者の力でもって無理矢理突破して魔王と戦うと言う方法が取られていた。
 しかし、現状を考えてみるとまず龍人族はあっさりと支配領域のかなりの部分を魔族に奪われており、とてもではないが逆侵攻を行える力があるとは思えない。
 人族の領域は、トライデン公国と言う戦力は健在ではあるのだが、クルツの一つ前の勇者の愚行により、最大勢力であった聖王国がほぼ壊滅してしまっていると言う難点を抱える。花痴

2014年11月19日星期三

王都騒乱 -勇者-

一体何故こんな事に? というのが、現在のマサユキの偽らざる心境であった。

『マ〜サユキッ、マ〜〜サユキッ!!』

 大歓声の中、マサユキは立つ。玉露嬌 Virgin Vapour
 そして、言われた通りに首を斜めに傾げて、視線を下に向ける。
 二秒程タメをつくり、おもむろに顔を正面に向けて、民衆へと視線を合わせた。
 それだけで、民衆の興奮度が高まったのが伝わってくる。恐ろしい程に効果的であった。
(流石は、リムルさんの言った通りだ……)
 そう。
 今のマサユキの仕草は、リムルの指導の下に練習した成果であった。
 民衆の心を掴むべく、能力(スキル)だけに頼るのではなく計算され尽した仕草により、ユニークスキル『英雄覇道(エラバレシモノ)』の効果が増大したのである。
 マサユキの想像以上の影響力に、恐れ戦くしか出来ない。
 少しの演技指導を受けただけなのだが、その効果は余りにも絶大だったのだ。
 マサユキが視線を向けた途端、それだけで民衆は口を閉ざした。
 静かに、波が引くように、この場に静寂が訪れる。
 もう既に、何度も目にした光景であった。



 ――実は、マサユキ。
 イングラシア王国に訪れる前に、ジュラの大森林の周辺国家を幾つも訪れて、同様の混乱を沈静化させていたのである。
 大戦開始前、マサユキはリムルに呼ばれて依頼を受けていた。
 気軽な調子で、「各国の住民が暴動を起こさないように、説得して回ってくれ」と頼まれたのだ。

「いやいや、僕には無理ですって!」
「何言ってるんだマサユキ君。君なら出来る。いや、君にしか出来ない事だよ!」

 そういった遣り取りの後、「大丈夫、大丈夫! 君なら何でも思いのままさ!」と調子よく丸め込まれたのだ。
 その後、軽く演技指導を受けて、演説前のポーズから演説中の視線の動き、そしてタメの配分に至るまで――細かく書かれたメモを渡されて送り出されたのだった。
 そして、

「クフフフフ。流石はマサユキ殿、お見事です。
 悪魔以上に人心掌握がお得意な様子、感服いたしました」

 悪魔そのもののディアブロにまで褒められる始末。
 ちっとも嬉しくなかったものの、マサユキは複雑な笑みで受け流したのだった。
 だが何故か、妙にマサユキを気に入っているディアブロが、

「そうそう。各国を回るなら、護衛が必要でしょう」

 そう言って、ヴェノムというディアブロの腹心の部下を呼び寄せ、マサユキに同行するように手配してくれた。
 そのお陰で、各国への移動が転移により短縮化されたのである。
 二日目に、ヴェルダがリムルを倒したと宣言した際も、マサユキは気にする事なく演説を行っていた。
 小さな国で、動揺する民衆を前にして、マサユキは極自然に人々の不安を解消してみせたのである。
 それもこれも、「もしかすると、俺は一回死んだ事にするかも知れないから、後はヨロシク!」と、リムルに無責任に言われていたからである。
 同行するヴェノムも、lADY Spanish

「ああ、何だな……。ディアブロ様は無事なのに、何故か連絡がつかない。
 だが、モスのヤツの姿も見えないし、ディアブロ様の命令で裏でこそこそ何かをやっているのは間違いなさそうだ」

 そう言って肩を竦めるのみ。
 全く心配している気配はなかったのだ。
 確かに、魔王たるリムルが本当に滅ぼされたのなら、配下達はもっと暴走するハズである。
 マサユキは妙に納得したので、深く考えるのを止めたのだった。

 納得といえば、このヴェノムに関しても同様だ。
 何故かマサユキと、不思議と気が合うのだ。
 最初にディアブロがマサユキに紹介した時は、ヴェノムはゴテゴテとした戦闘衣装を着ていたのだが……。

「それって、何とかならないのか? 僕は一応、勇者という事になってるんだけど……?」
「ああ、そうだな。じゃあ、俺もあわせた方が良いな」

 というわけで、リムルの所から退出した後、ヴェノムの衣装を防具屋で購入し着替える事になった。
 その時に会話したのだが、意外な事に話があった。

「元はどうも――お前と同じ世界で生きてた気がするんだよね、俺」

 と、ヴェノムはぶっちゃけていたけれど、どうやら転生者だったのかもしれないと思うマサユキ。
 なので、衣装について色々とレクチャーしたのだ。
 職人に頼み、マサユキの書いたイラストで服を仕上げて貰った。
 ちょっとパンク系のファッションだったが、それは不思議とヴェノムによく似合ったのだ。
 トサカのように髪を立てているので、ヘルメットは被らない主義らしい。
 どこの暴走族だよ、と突っ込みを入れそうになったが、最初に比べればマシだったので良しとするマサユキ。
 悪魔なので、鎧の類も必要ないらしく、見た目重視との事だった。

「おいおい、中々いいセンスしてるじゃねーの。これからも頼むぜ?」
「ああ、気に入ってくれたなら嬉しいよ」

 不良のような空気を醸し出すヴェノムにあわせたイラストを、冗談交じりに入れていたのだが、それが一番のお気に入りになったようだ。
 昔そういう服を着ていたような気がしたらしい。
 それがキッカケとなり、マサユキとヴェノムは仲良くなった。
 見た目もマシ――悪魔っぽい外見から比べれば、だが――になったので、マサユキの仲間五名にヴェノムを紹介したのだった。

「おう。君もマサユキ様の偉大さに惹かれたのか」
「ま、当然ね。だって、マサユキは格好いいし、素敵だもの」
「英雄の風格ってヤツが滲み出てるからな。まあ今後とも、ヨロシク頼む!」

 そんな事を口々に言う仲間達。
 マサユキからすれば、「僕に惹かれる以前に、僕の方がドン引きなんだけど――」と言いたいのだが。
 そんなマサユキの気持ちに気付くような者は仲間にはいなかった。
 毎度の事ながら、マサユキを神の如く信奉してくれるのだ。VIVID XXL
 それでも、最近は少しずつ、気さくな感じに打ち解けつつある。
 リムル曰く、「お前のユニークスキルの効能に、抵抗(レジスト)出来るようになってきたんじゃね?」との事だった。
 この調子で、皆が早く真実に気付いて欲しいと思うマサユキである。
 それはともかく、ヴェノムと仲間達もそれなりに馴染んだようで、マサユキも一安心であった。
 その後、魔物の国(テンペスト)の冒険者達にも混乱を防ぐべく協力依頼し、大戦が始まる前に各国に散って貰っている。
 リムルの依頼によるものであったが、演技指導を受けたマサユキの頼みを受け、冒険者達は嬉々として各地に旅立ってくれたのだ。
 それから、今まで。
 ヴェノムを含めて、七名で各地を巡っていたのだった。



 そして現在――
 金ピカの鎧を身に纏い、全身を純白で統一したマサユキは、民衆の視線を一身に浴びている。
 段々緊張感にも慣れてきて、今では自然に受け止められるようになってきた。
 それもこれも演技と割り切って、普段からリムルのメモの通りに練習している成果だろう。
(なんていうか、狙ったようなタイミングだったみたいだ……)
 勘弁して欲しい、そう思うマサユキ。
 緊張には慣れてきたものの、マサユキはいまだに小心者なのだ。
 ヒーローのようなタイミングとか、そんなの自分の役柄ではないと思うマサユキである。
 だが、文句を言いたくても言う相手がいない。
 仕方なく、この場を収める事にする。

「みなさん、落ち着いて下さい。冷静に、そして僕に何があったか教えて欲しい――」

 静かに語りだすマサユキ。
(ええと、慌てずにゆっくりと。多少どもったり噛んだりしても、補正があるから心配するな! だったな)
 マサユキが内心で何度も読み込んだメモを思い出しているなど、熱い視線を向けてくる人々には思いもしない事である。
 マサユキの静かな言葉に、静まった人々も冷静な思考を取り戻していった。
 そもそも、ライナーとヒナタが何故戦っていたのか。
 王が弑逆されたのは事実のようだが、その犯人は本当にヒナタなのか? そうした疑問が人々の胸に去来する。
 そしてマサユキにしても。
(いや、本当に。この状況、一体何がどうなっているの?
 どっちが良い者で、どっちが悪人よ? 俺は一体、どちらの味方をするのが正解なんだ?)
 実は、本当に困惑していたのだ。
 ヒナタの事は知っている。
 西の勇者とも呼ばれるようになったマサユキだが、聖騎士筆頭のヒナタと比較される事が多かったからだ。
 人々が好き勝手に、どちらが上かを議論していたのを耳にしていたのだ。
 リムル曰く、「マサユキ君。本当に戦う事になったら、逃げた方がいいぞ」と、至極当然に言われたのを覚えている。
 それほどに冷徹で、危険な女性なのだとか。だが、意味なき行動は取らないとも言っていた。
 対するライナーは、イングラシア王国で参加した武闘会の優勝賞金を受け取る際、王の側近として控えていた男に似ている気がする。夜狼神
 多分あの時の人物だと思うが、自信のないマサユキ。どちらにせよ、国の重要人物なのは間違いないだろう。
 どちらに味方するのが正解か、非常に難しい問題であった。
 下手に手出ししようものなら、せっかく演じている勇者の仮面が剥がれかねないのだ。
 そうなったらそうなったで、魔物の国(テンペスト)に逃げ戻ろうと考えるマサユキではあったが、リムルからの依頼を全う出来ないのは問題かもしれないという不安があった。
 リムルはともかく、ディアブロ辺りは嫌味を言ってくる程度で済ませてくれるとも思えないのだ。
 何とか穏便に、この場を収めたいマサユキ。それが、自身の保身にも繋がっていると、よくわかっていたのである。
 だが、マサユキの困惑などお構いなしに、事態は動く。

「これはこれは、勇者マサユキ殿か。懐かしいですな、私はライナー。
 覚えておるでしょう? 護衛騎士団団長のライナーである。今回は私が――」

 ライナーが何か言い始めた。
 やはりマサユキの記憶は正しく、王の脇に控えていた騎士団長だったようだ。
(ええと……じゃあ、こっちに味方するのが正解、かな? って、ヒナタって人に敵対したら不味いだろ!?)
 ヒナタがその力を失った事を知らぬ――もっとも、失っていてもマサユキより強者なのだが――マサユキは、内心で動揺してしまう。
 だが、そんなマサユキの動揺などお構いなく、話は動きだす。
 そして、怒涛の展開を見せ始めたのだ。

「マサユキ様! どうか、どうかお許し下さい!! 王を、王に手をかけたのは自分なのです――」

 ライナーの言葉を遮るように、兵士の一人が前に走りでて、マサユキの前に土下座した。
(はい!? 何が何だかわからないぞ……)
 迂闊には動けない、そう再確認するマサユキ。

「な! 何を言い出すか、貴様!!」

 激昂するライナー。
 兵士を切り捨てようとするものの、その前には子供達が立ち塞がり、ライナーの行動を妨げる。
 更に――

「ふ、ふははははは。もうお仕舞いだ、私は破滅だ……」

 何故か勝手に、エルリック王子が自身の悪行を告白し始めたのだ。
 病気の家族の為に王子の依頼に従ったという兵士の証言と、王子自身の告白により、事実関係は粗方判明したも同然であった。
 それもこれも、全てはマサユキの能力によるもの。
 実はマサユキ、本人も自覚せぬままに、新たな能力に目覚めていたのだ。
 その名も、ユニークスキル『救済者(メシア)』という。
 リムル――というよりは、シエル――によって授けられたメモ、それに従った成果である。
 ユニークスキル『救済者(メシア)』の能力は、まさしくその名の通り、救済する事。
 対象の罪の意識に働きかけ、相手に自ら救済行動を取らせるのだ。それは、大半が罪の告白という形を伴い実現する。
 今回は、マサユキの言葉に対応する者のみが対象者となった。
 即ち、マサユキが問い掛けた、何があったか説明して欲しいという言葉が引き金となっているのだ。
 果てしなくマサユキに都合の良い、恐るべき能力なのであった。
 マサユキのこの能力も、当然ながら高位の者ならば抵抗(レジスト)可能である。
 故に、ライナーは辛うじて効果が出なかった。頂点3000

2014年11月17日星期一

禁忌

他人に見られたら笑われてしまいそうな大きな欠伸を噛み殺し、俺は瞼を擦りつつ辺りを窺った。
 暖かいベッドではなく、硬い板の上で寝転がっていたため身体のあちこちに痺れるような感覚が残っているが、軽い屈伸運動で身体の細部まで血が通ってくる。巨人倍増

 さて、様々な物が床へと散らばっているこの部屋は、味満ぽんぽこ亭の客室ではない。

「お腹減ったな……」

 さらにいえば、昨晩は食事さえ満足にとっていないのだった。

「む……にゃ……」

 その原因は、俺の隣で床に敷いた布切れへと横たわり寝息をたてている老人――ウォム爺さんである。

 結局あれからウォム爺さんの懇願を断りきれず、決して悪用しないこと、個人で使用するのみに留めるという条件で、俺は徹夜に近い魔法の特訓に付き合わされる羽目になったのだ。

《光学迷彩(ライトハイド)》のコツを一度掴んでからのウォム爺さんは上達が異常に速く、俺が数日かけてイメージを固めた魔法を一晩で習得してしまったのは、経験の差というものだろうか。
 見事に透明な姿となったウォム爺さんは、そのまま魔法の使用による疲労で床へと倒れ込んで眠ってしまったのだった。

 属性魔法は大気中のマナを変換することでイメージを現象へと昇華させるものだが、変換器となる術者の身体に負担がかからないわけではない。
 本業の研究が一切進んでいないように思えるが、果たしてこれで良かったのだろうか?

 それにしても……ウォム爺さんは研究室で寝泊りすることに慣れているのか、実に安らかな寝顔をしている。
 物が散乱して寝場所を確保するのにも苦労するこの部屋は、あまり寝心地の良い環境だとは思えないのだが。

「ふお……イリ……ィちゃ……」

 寝言……か。
 本当にブレないな。この人。

 ――いつまでも老人の寝顔を眺めている趣味は持ち合わせていないため、俺は宿屋に戻って腹を満たそうと思いつつ部屋の扉に手を伸ばそうとして……ウォム爺さんへと振り返った。

「……あぶないあぶない。忘れるところだった」

 寝転がっている老人へと歩み寄り、探るようにして身体へと触れていく。
 この現場を目撃されれば勘違いされそうだが、老人を撫で回す趣味だって俺は持っていない。

 ただ、今回の交換条件だった報酬を受け取ろうとしているだけである。
 魔法の道具袋――見た目の容量以上に多くの物を詰め込める必須アイテム。
 魔物から剥ぎ取った素材なんかで手持ちが一杯になる冒険者にとって、これほど嬉しいアイテムはない。
 限界量がどの程度なのか試してみたくもあるが、万が一破れてしまったりすると怖いので追々調べていくことにしよう。

「……あった。けど……」

 ローブの下で握り締められている道具袋を発見したが、掌を開かせようとしても一向に緩まる気配がない。
 逆にこちらの手を握り返そうとしてきた腕を機敏に躱し、俺は足にかかる体重をスムーズに移動させてウォム爺さんから距離を取った。

「ふう……」

 寝ぼけないでいただきたい。
 ……俺はイリィさんじゃないぞ。全く。

 ふたたびウォム爺さんに近づく勇気が湧いてこないため、とりあえず道具袋は後回しにするとしよう。
 そう考えた俺は、眠っているウォームさんに転がっていた毛布をかけてやり、魔法研究所を後にしたのだった。VigRx



 ――研究所の外に繋いであったルークを忘れて放ったらかしにしていた俺は、不機嫌な騎獣の背に揺られながら、なんとか冒険者ギルド経由で味満ぽんぽこ亭へと帰り着いた。
 途中、お腹が減ったと言ってルークが俺の身体を凝視してきたのは軽い冗談だろうが、早く何か食べさせてあげたいものだ。
 ……肉を見るような目つきでこちらを見ないでほしい。

 ギルドに寄った理由は、依頼達成報告と報酬の受け取り、森で遭遇したギーグヴォルグの皮を売却するためである。
 依頼報酬が五〇〇〇ダラに……皮の売却額も同じく五〇〇〇ダラ――合計で一万ダラだ。
 つまり――金貨一枚が昨日の儲けといえる。
 俺も稼げるようになってきたものだ。
 しばらくは装備を新調する必要性も感じられないから、いざという時のために貯金しておきたい。

 マリータの護衛依頼で得た報酬も合わせると……残金は十万ダラと少しといった感じか。
 この宿ならば宿泊費が六〇〇ダラのため、半年ぐらいは何もせずに暮らせるほどの金額だ。



「――あっ、昨日は戻って来なかったので、心配してたんですよ。大丈夫でしたか?」

 宿へ入ると、相変わらず笑顔が眩しい看板娘――ステラさんが心配そうに尋ねてきた。
 宿泊費は数日分を前払いしているため、帰ってくると思っていたのだろう。
 危険と隣り合わせの冒険者にとって、死が一般人よりも身近なものというのは共通認識である。
 心配していただけるのは素直に嬉しい。
 だが冒険者は身近にある死を恐れるのではなく、寄り添って歩くものなのだ。
 ふっ……男は辛いぜ。

「いえ。昨晩はもう街に戻ってきてはいたんですが、ちょっと用事がありまして」
「あ、そうなんですか。何かお疲れのようにも見えますけど……いったい何を……?」

 ステラさんが首を傾げると、薄桃色の髪がふわりと揺れる。
 疑問の表情を浮かべながら俺の様子を窺っていたところへ、厨房から別の声が響いてきた。

「おい、ステラっ。お客様の行動をあまり深く詮索するなよ。セイジさんはあんな立派な騎獣を持ってるんだ。優れた冒険者が深夜の街を歩いてたって何も危険なことはないだろう。それに……」

 ウランさんの言葉を遮るようにして、ステラさんは一歩前に出る。

「そりゃあ、お客様にあれこれ尋ねるのはよくないけど……セイジさんはまだお若いし……万が一危険な事件に巻き込まれでもしたら――」

 今度は、逆にウランさんがステラさんの発言をストップさせる。

「あのなぁ、ちゃんと宿泊記録を見たのか? セイジさんはもう十八歳なんだぞ。俺が言いたいのはだな……セイジさんも男なんだから、その……もしかすると夜にそういったアレに行っている可能性も考慮して……だな」

 え……ちょっ、待て。
 どういうことだってばよ。
 俺が何をしたって?

 ステラさんは俺の年齢に驚きの感情を顕わにしたが、そこは看板娘である。
 すぐさま笑顔に戻ったものの……ウランさんの言葉の意味を理解するのには数秒を要したようだ。
 ゆっくりと頬を桃色に染めていき、最終的に髪の色よりも真っ赤となった頬を隠すようにして、俺へと深く頭を下げてくる。

「す、すみませんっ。わたしの考え足らずで失礼な質問をしてしまって」

 …………
 違うからっ!
 それ、むしろ考え過ぎだからっ!!
 ウランさんも何を言い出すかと思えば……っ。五便宝
 俺が昨晩訪れていたのは魔法研究所で、決してそんな如何わしいお店ではない。
 相手にしていたのだって綺麗なお姉さんとは程遠い。

 ――まさかのお爺ちゃんである。

 スーパー賢者タイムにも程があるというものだ。
 あのような爺さんと一晩を過ごせば、お疲れのご様子だと心配もされるさ。

 まあ……イリィさんは綺麗なお姉さんという言葉では不足なほどの美人であったが。

「違いますってっ。昨晩は依頼の延長というか……アフターサービスみたいなもので、そんな場所になんか行ったこともありませんよ!?」

 焦ってやや声を荒げてしまった俺に、ステラさんがふたたび謝罪の言葉を述べる。

「すみません。わたしったら……」
「と、とりあえず、お腹が減ってるので朝飯を用意してもらえると嬉しいかな、と。あと騎獣にも何かご飯をお願いできますか?」
「あ、はい。すぐに用意しますね。ウラン、お願い――って……ちょっと待って」

 厨房へと駆けて行ったステラさんが、笑顔をそのままの形で凍りつかせたような表情でウランさんへと詰め寄る。

「――さっきみたいな思考に至るってことは……ウランはそういったお店に行ったことがあるってこと?」
「ばっ……馬鹿なこと言うな。朝晩の食事を毎日作ってるおれに、そんな暇があるわけないだろう。仕込みにだって時間を結構取られるし、わずかに空いた時間は釣りに行ってるんだ。行きたくても行けないさ。それぐらいわかるだろ」

 ……ウランさん、最後の一言はいらなかったと思います。

「……へえ、行きたいんだ? まあ、こんな強面のお客さんが来たら店側もびっくりするかもしれないわね。試しに行ってきたら?」

 あくまで笑顔のまま、ステラさんが切り返す。

「お前な……そっちだってお客様によく飲みに誘われたりしてるだろう。試しに行ってみたらどうなんだ? 愛想が良いのは結構だけど、いつもハッキリしない答え方をするから何人も声を掛けてくるんじゃないのか?」

 ――あぁ、空気がピリッときたね。これは。
 もうね、敢えて言わせていただこう。
 さっさとくっついてしまえ、と。
 続けて言うならば、俺はとても腹が減っている。
 早く飯を食わせてくれ。
 今すぐにだ。

「――あんたたちっ! 何をグチャグチャ言ってんだい!! 明日っから暇人になりたくなけりゃ勤務時間はしっかり働きなっ」

 俺の心の代弁をしてくれたのは、味満ぽんぽこ亭の女将――マグダレーナさんである。
 階下にやって来た女将が年季の入った声で一喝すると、二人は瞬時に仕事に戻るべく機敏に動き出した。

 ――無事に朝食にありつけた俺は満腹感とともに部屋へと戻り、剣と鎧を外して一息つく。

「ふぅ……結局あんまり寝れてないから……二度寝でもしようかな」

 空が白むまで訓練を続けていたため、ちょっと床で寝たぐらいでは疲れが取れていないのだ。
 どうせウォム爺さんが起きるのも昼過ぎか……夕方くらいだろう。
 道具袋は起きてから貰いに行くとしよう。
 綺麗にベッドメイキングされた寝床へと身体を沈みこませると、お日様の匂いというべき独特な落ち着く香りが鼻腔を刺激し、それが睡魔を呼び寄せたのだった。



 ――目覚めの時刻は夕刻前。
 自分で思う以上に疲れていたのか、かなり深い眠りに落ちてしまっていたようだ。
 これだけ時間が経てば、ウォム爺さんのほうも復活しているだろう。
 俺はもそもそと着替えを済ませ、機嫌を直したルークとともに王立魔法研究所へと向かう。
 今日はさすがに依頼を受ける気にならないので、冒険者ギルドへの寄り道はなしだ。


 到着後、ルークから降りると『今度放ったらかしにしたら実家に帰らせていただく』という旨をオブラートに包んだ鳴き声で伝えられた。
 短くも可愛い鳴き声に含まれた意思は、わりと本気かもしれない。
 手短に用事を済ますべく建物に足を踏み入れた俺は、中庭に面する渡り廊下を歩いてウォム爺さんの研究室へと向かう。三便宝カプセル

 途中、俺は向かい側から歩いて来る人物を目に留めて立ち止まった。
 ウォム爺さんであればここで止まらずに全力ダッシュに移行するのだろうが、生憎と俺はそこまで本能に忠実にはなれない。

「……また、会いましたね。ここが気に入ったのですか?」
「いえ、今日はちょっとした用事で来ただけですよ。そちらは……また研究協力ですか?」

 俺は目の前にいらっしゃるエルフの麗人――イリィさんへと挨拶をしつつ、尋ね返す。

「そうですね。いえ……今日のはちょっと違いますが」

 どこか歯切れの悪い口調のイリィさんだが、エルフというのは街でもほとんど見かけることのない種族。
 ましてや……

 ――イリィさんは精霊魔法を扱えるエルフなのだ。貴重な人材ということで何かと研究協力を求められるのもわかる気がする。

 ふむ……勇気を振り絞ってイリィさんのステータスを覗いてみたのだが……レア物を見つけてしまった。

《精霊の輪(スピリットリンク)》――使役する精霊の数が多いほど、精霊の能力が強化される。

 スキルではないが、魅力的な特殊をお持ちのようだ。
 エルフ専用の精霊魔法と組み合わさると効果が発揮される感じ……か。

「なんだか妙な視線を感じますが……セイジさん、あまり女性を舐め回すように見つめるのはよろしくないと思いますよ」

 ふぁ!?

「な、ななな何を言ってるんですか!? お、俺は別にそんなっ」
「ならいいのですが。不思議ですね……何故かセイジさんに身体の奥を覗かれたような錯覚を覚えてしまいました」

 馬鹿な……一瞬だけイリィさんの顔に意識を集中させただけなのに。
 この人、鋭すぎるだろ。

「と、ところでイリィさんは精霊魔法を使えるんですよね? どんな感じなのか見せてもらえれば嬉しいなぁ……なんて」

 精霊魔法スキルを所持している事実を確認できたのはたった今だが、昨日のイリィさんとウォム爺さんとの会話からも、彼女が精霊を操れるのは明白である。
 別に俺がこういった発言をするのも不自然ではないはずだ。

「興味があるのならご覧にいれましょうか? ただし……あまり刺激はしないでくださいね。今はちょっと……みんな興奮気味ですから」

 言うが早いか、イリィさんは口元をわずかに動かし……小さく何かを呟く。
 途端――閃光のような眩い光が辺りを照らしたかと思うと、今度はその光が収束するようにゆっくりと縮まり始め、最後には光る球状の塊となった。
 その塊は意思があるように小刻みに動き回り、球の真ん中には表情のようなものが見てとれる。蟻力神

2014年11月13日星期四

城への移動

ルッツに家族への手紙を渡すと、「どうするかな」と言われた。

「何が?」
「いや、オレ、去年の夏からもうプランタン商会に住んでるし、トゥーリだってギルベルタ商会に住んでるからさ」精力剤
「え? あ、そっか。トゥーリもダプラだから……」

 トゥーリが10歳になったばかりの頃は、プランタン商会とギルベルタ商会が分かれたばかりで、店を引っ越したり、ベンノやマルクの引っ越しがあったりして店の中がバタバタしていたので、すぐに引っ越しにはならなかったそうだ。
 ベンノとマルクがプランタン商会の二階に住まいを移し、三階に住んでいたコリンナとオットーが二階に住居を移してから、トゥーリのための部屋が準備されたらしい。

「土の日には二人とも帰るから、その時にルッツが家まで直接持って行った方が良いだろう。手紙はお前が保管しておけ」
「わかりました、旦那様」

 家族への手紙を渡してもらう算段をつけ、冬の間は貴族院へ行くので会えないことを伝えて、お母様とギーベ・ハルデンツェルと話をしておくようにと言われて、プランタン商会との話し合いは終わった。

「ギル、屈んで。とっても頑張ってくれたから、撫でてあげる」

 さぁ、と手を伸ばすと、ギルが驚いたように目を見張った。

「ローゼマイン様、私はもうそういう年ではないのですが……」
「えぇ!? あ、あぁ、そうか。そうだよね」

 ものすごく困った顔でギルに断られて、わたしは伸ばした手を引っ込める。見た目は変わっても中身はあまり変わっていないと思っていたわたしは、ギルが成人前の14歳で思春期真っ盛りだったことを思い出した。皆の前で頭を撫でられて喜ぶような年ではない。

 ……頭撫でられて喜ぶギルがいなくなってしまった。なんかちょっと寂しいかも。

 当たり前だけど、外見だけではなくて、中身も変わったんだな、と思っていると、ギルがすっとわたしの前に跪いて、首を垂れた。

「あ、あの、撫でられたかったことを今思い出しました。どうぞ」

 わたしがちょっと落ち込んだのが伝わったようで、ギルが気を利かせてくれたのがわかる。
 せっかくの気遣いを無駄にするのも悪いので、わたしは大きくなったギルの頭に手を伸ばした。こうして撫でて褒めてあげるのは最後か、と思いながら、頭を撫でる。

「ギルは二年間すごく頑張ってくれたよ。起きた時に五冊も本ができてて、すごく嬉しかったの。ありがとう。これからもよろしくね」
「……はい」



 そして、すぐに城へと向かう日になった。
 わたしはレッサーバスを準備して、専属であるロジーナとエラとフーゴを乗せる。その後は神官長の側仕えがお仕事セットの詰まった木箱を載せていった。神官長もしばらく城に滞在し、わたしの短期集中講座を監督するのだそうだ。

「秋の成人式と冬の洗礼式には戻る。準備を整えておくように」
「かしこまりました」

 神官長が側仕えに頼んでいるのを見て、わたしも自分の側仕えに留守を任せる。

「二年留守にしても問題なかったのですもの。冬の間、留守にしても大丈夫だとわたくしは信じております。後をよろしく頼みますね」
「お早いお帰りをお待ちしております」

 レッサーバスに乗り込み、前方を駆けるダームエルの騎獣を追いかけて、空へと駆け出した。後方を神官長に守られる形で、わたしは城へと向かう。
 城に到着すると、ノルベルトが出迎えてくれて、アンゲリカとコルネリウス兄様が跪いた状態で待っていてくれた。

「おかえりなさいませ、ローゼマイン様」
「ただいま戻りました、ノルベルト」
「ノルベルト、この荷物を私の執務室まで運ばせろ」
「かしこまりました、フェルディナンド様」

 ノルベルトがどこからか取り出したベルを振ると、下働きがわらわらと出てきて、レッサーバスの中の木箱を運び出していく。
 そちらの動きには目もくれず、神官長はわたしを呼んだ。媚薬

「ローゼマイン、読むべき資料や本を渡すので着替えを終えたら、私の執務室に来るように」
「かしこまりました。急いで着替えます」
「いや、急ぐ必要はない。貴族院に向かう10歳に相応しい優美さを身に付けるつもりで行動しなさい」

 ……わけがわかりません。10歳に相応しい優美さって、どんなの?

 わからないことは流しておいて、わたしはアンゲリカとコルネリウス兄様と対面した。
 コルネリウス兄様は14歳になっていて、少年らしさが抜け、大人に近付いているのが一目でわかる。筋肉の付き方はそれほどガッチリしていないように見えるけれど、わたしが覚えているランプレヒト兄様くらいに背が伸びていた。お母様に似ているように見えた顔立ちは男らしさが増して、ちょっとお父様に似てきたような気がする。

「元気なお姿を拝見できて嬉しく存じます、ローゼマイン様」
「落とした魔石をコルネリウスが拾ってくれたでしょう? きちんとお礼を言いたかったのです」
「いいえ、主を守りきれず、二年も眠りにつかせることになった不甲斐ない騎士に礼など必要ございません」
「あら? コルネリウスはわたくしが助けたかったシャルロッテを助けてくれたわ。わたくしにとってはつい先日の出来事ですもの。お礼くらい言わせてちょうだい。ありがとう存じます、コルネリウス」
「もったいないお言葉です」

 顔を上げたコルネリウス兄様と目が合って、小さく笑みを交わす。

「ローゼマイン様のお戻りを心待ちにしておりました」

 そう言ったアンゲリカはこの冬の終わりには成人式を迎える15歳だ。ポニーテールにしている水色の髪が顔を上げる動きに合わせて、さらさらと流れる。深い海のような色合いの青い目がわたしを見た。美少女ぶりに磨きがかかっている気がする。おじい様に鍛えられていたとダームエルから聞いたけれど、あまりそのようには見えない。

 ……でも、外見詐欺は前からだね。

「もう二年もたっていると聞いて、わたくし、とても心配だったのですけれど、きちんと進級できていますか?」
「はい、ご安心くださいませ。お師匠様とダームエルとコルネリウスから教えを受け、シュティンルークと共に学んでいますから、辛うじて落第はしておりません」
「……辛うじて……。アンゲリカなりに頑張っているようで、何よりです」

 二人ともかなり大人に近付いていた。そんな二人とダームエルを連れて、わたしは自室へと向かおうと足を踏み出す。

「ローゼマイン、騎獣を使いなさい」
「フェルディナンド様? わたくし、ここから自室までならば歩けますけれど?」
「君の体はまだまだ本調子とは言えない。魔術具で動けるようにしてあるだけで、本来は起き上がるのも難しい状態だ。大して歩かない神殿内ならばともかく、城は広大だ。騎獣を使うように」
「わかりました」

 わたしは一人乗りの騎獣を出して乗り込み、自室へと向かった。その途中、襲撃があった回廊の手前で一瞬止まる。

「ローゼマイン様、どうかなさいましたか?」

 襲われた恐怖が蘇ってくるのは、わたしだけのようだ。護衛騎士の三人は何かあったのか、と目を丸くしただけだった。

「……ごめんなさい。襲撃あったことを思い出してしまって」
「わかります。しばらくはヴィルフリート様やシャルロッテ様も強張った顔で歩いておりましたし、護衛騎士も神経を尖らせておりましたから」

 コルネリウス兄様にそう言われて、自分だけじゃないんだ、とわたしはちょっとだけ安心して部屋へと向かった。自室ではリヒャルダとオティーリエが出迎えてくれる。涙目で「お元気な姿を拝見できてうれしいです」と言われ、こちらにもすごく心配をかけていたことを知った。

「ヴィルフリート様とシャルロッテ様はお勉強の時間ですわ。今日はローゼマイン姫様が戻られると聞いて、お二人ともそわそわとしておりましたよ」
「皆様、ローゼマイン様がお戻りになるのを心待ちにしておりましたもの。エルヴィーラ様からは新しいリンシャンや生活雑貨が届いておりますし、ボニファティウス様は楽しみのあまり、日付を昨日と間違えていらして、肩を落としていらっしゃいました」

 ……今まであまり接触なかったけど、おじい様って結構お茶目さんらしい。

 着替えを終えたわたしは、リヒャルダと護衛騎士と共に神官長の執務室へと向かう。その道中にもリヒャルダが貴族院に向かうにあたって決まったことを教えてくれた。

「貴族院へ向かう時に同行する姫様の側仕えはわたくしに決まりました」
「まぁ、リヒャルダが一緒ならば、心強いです」性欲剤

 ヴィルフリートのお勉強の管理もしていたし、わたしの筆頭側仕えなので、エーレンフェスト寮の管理全体を取り仕切れるだろう、ということで選ばれたに違いない。
 わたしがそう言うと、リヒャルダが「ほほほ」と笑った。

「図書室に籠ったら出て来なくなる姫様を連れ出せる者という人選で、フェルディナンド様によってわたくしが選ばれたのですよ」
「あ、あら、嫌だわ。閉館時間になれば、仕方なく自室に戻りますのに。ほほほほ……」

 麗乃時代、閉館の放送に気付かず、本棚の死角になるような隅っこでひたすら本を読んでいて図書館に閉じ込められた経験はあるが、基本的に閉館時間には外に出ることになる。心配しなくても大丈夫なのに、周囲にはそう思われていないようだ。

「失礼します」

 神官長の執務室へと入ると、神官長はリヒャルダに向かって、木箱を二つ示した。

「リヒャルダ、これをローゼマインの部屋に運ばせてくれないか。貴族院に向かうまでにローゼマインが目を通しておいた方が良い資料が詰まっている」
「かしこまりました、フェルディナンド坊ちゃま」
「ローゼマイン、君にはすでに一覧表を渡したはずだ。あの表に合わせて、優先度の高い順から読んでいきなさい。私の貴族院時代の書き取りや覚書に加えて、ダームエルがまとめてくれた最新の物まで入っている。それから、こちらが貴族院に行くまでの予定表だ。今のうちに目を通しておきなさい」
「はい」

 わたしはリヒャルダが下働きに指示を出し始めたのを背中で聞きながら、予定表に目を通していく。勉強の予定が詰まっているが、大半が読書だと思えば、それほど苦痛な時間でもない。

「今日は夕食までの間に、ここでこれを読んで覚えなさい」
「……これは何ですか?」

 木札にずらずらと何かの名前が書き連ねられている。わたしは神官長に示された椅子に座り、首を傾げた。

「国内にある領地の名前と今のおおよその順位だ」
「わたくし、エーレンフェスト内ならばともかく、国内となると、地理もわからないのですけれど」
「あぁ、そうか」

 神官長が立ち上がり、鍵のかかる書箱を開けると、二枚の地図を取り出し、執務机の上に広げた。手書きの地図で、書き込まれた筆跡を見たところ、神官長の自作の地図のようだ。

「こちらが昔の地図で、こちらが新しい地図だ」

 両方を並べて広げ、神官長が教えてくれる。元々は25あった領地が中央で起こった大きな政変によって統廃合があったそうだ。
 今は21の領地に分かれていて、大領地4つ、中領地が9つ、小領地が7つ。地図を見たところ、エーレンフェストは国内でも北東寄りの辺境にある中領地だった。小領地に限りなく近い中領地だそうだ。

 ……西がフロレンツィア様のご出身のフレーベルタークでしょ? 南がゲオルギーネ様のアーレンスバッハ。

 少しでも馴染みのある地名を指で押さえながら地図を見ていたわたしは大変なことに気が付いた。アーレンスバッハの南側には海がある。実はアーレンスバッハは海の幸がおいしい地域かもしれない。

 ……昆布やわかめがあるかも!? お刺身が食べられるかもしれない!

 すっかり諦めていた和食っぽいものが手に入るかもしれない可能性を発見して、わたしは目を輝かせた。貴族院でアーレンスバッハの友達を作ったら、海の幸を手に入れられるかもしれない。
 ぶわっと期待に膨らんだ胸は、次の瞬間、現実を思い出して、しゅるんとしぼんだ。

 ……今の情勢じゃあ、怒られるどころの話じゃ済まないよね。ちぇ。

「エーレンフェストの影響力は真ん中辺りだ」

 神官長はわたしが持っている木札をトンと指差した。
 辺境でこれといった特産品もないエーレンフェストの影響力は、元々最低ラインに近かったらしい。中央で起こった政変に巻き込まれなかったおかげで、真ん中よりやや下辺りに浮上したが、これは周囲が沈んだだけで、決してエーレンフェストの実力ではなかったそうだ。
 だが、ここ数年は違う、と神官長は言った。

「来年にはもう少し上がるだろう」
「どうしてですか?」
「年々、貴族院の成績が上がっているからだ」
「え?」
「貴族院を卒業した者は、中央に勤めるか、自領で働き始めることになる。年々、貴族院の成績が上がるということは、それは優秀な者が集まっているということで、数年後には一気に影響力を持つことが多い」
「そうなんですか? それはこの先が楽しみですね」

 エーレンフェストがのし上がっていくのか、それはいい。女性用媚薬
 ほぅほぅ、と頷いていると、神官長は更に今の貴族院の状況を教えてくれた。

「君の魔力圧縮を教わったアンゲリカとコルネリウスとエルネスタが騎士コースの成績を上げ、君の教材を使って学んだ世代が貴族院に揃い始めた。座学の成績が急激に上がっていて、周囲の領地から探りを入れられているのが現状らしい」
「……それにしても、フェルディナンド様は貴族院の情報までよくご存知ですね」

 さすがに、ユストクスも貴族院には入り込めないだろう、と思っていたのだが、一体どこに情報源があるのだろうか。
 わたしが首を傾げていると、神官長はこめかみを押さえて溜息を吐いた。

「貴族院で情報を集めろ、と学生達に指示を出したのは、君だろう? 今更何を言っている? 集められた情報をダームエルが整理していたから、私はそれに目を通しただけだ」

 何と、情報源はわたしだったらしい。そういえば、そんな指令を出していた気がする。
 だがしかし、わたしは別に学生達に諜報活動を頼んだつもりはない。図書室にどんな本があるのか、他の領地ではどのようなお話があるのか、調べてほしかったのだ。説明が足りなかったようで、ちょっと違う状態になっている気がする。

 そんな中、神官長から「ダームエルからはひとまず一定金額払ってあるので、価値のある情報を持ってきた者には上乗せの料金を払うように」と言われてしまった。けれど、わたしが価値を感じる情報と神官長が価値を感じる情報に大きな隔たりを感じる。情報の価値について、一度神官長と話し合う必要がありそうだ。

「今は君のおかげでエーレンフェストにも特産品となり得る物ができた。エーレンフェストが力を上げていくのはこれからだ。それに、領主候補生が貴族院にいる時代は、学生達の士気が上がりやすい。君達、シャルロッテ、メルヒオールとしばらく領主候補生がいる時期が続くので、君には皆のやる気を上手く引き出して、全体的な成績を上げてほしいと思っている。冬の子供部屋での状況を聞いたところから推測すると、得意だろう?」

 神官長にそう言われて、わたしは首を傾げた。別に、わたしはそんなことを得意だと公言した覚えはないし、あまり得意だとも思っていない。

「いえ、別に得意というわけではないと存じます。わたくしはただ子供達が文字を読めるようになれば、本を読む人も増えるし、本を読むことに親しむ人が増えれば、本を書く人も出てくるのではないか、と考えただけですから」

 本を書く人が増えたらいいなとか、図書館を公費で作るには読書人口が必要だよね、とは思ったが、領地全体の成績を上げて、国内での影響力を高めようなんて、考えたこともない。

「……君の本にかける情熱を、私はまだ甘く見ていたようだ。その意気込みで絵本だけではなく、難しい専門書を皆が読む気になる方法を探すと良い。君の頑張りに期待する」
「お任せください」

 皆への読書普及運動を胸に、今日の講義はこれで終了した。
 夕食の時間が近いので、着替えなければならない。わたしは神官長に明日までに読んでおく資料を指示されて、退室しようとした。

「ローゼマイン」

 ふと何かを思い出したように神官長がわたしを呼び止める。

「何でしょう?」
「本日の夕食会は君の快気祝いだ。カルステッド一家とボニファティウス様もいらっしゃる。多少危険な扱いがあったとはいえ、ボニファティウス様が君を見つけてくれなかったら、解毒が間に合わなかった可能性も高かった。必ず礼は述べておきなさい」

 わたしの中では上下逆に振られて、振り回されて高速横回転で飛ばされて、正直、殺されかけた印象が強いが、確かにおじい様が助けに来てくれなかったら、危険だった。危うく止めを刺しかけたことも含めて心配していた、と言われれば、お礼くらいはきちんと言った方が良いだろう。中絶薬

2014年11月11日星期二

俺の助手

俺はオットー。
 美人で可愛い嫁、コリンナを世界一愛している男だ。

 クリーム色の髪にグレイの瞳。全体的に淡い色彩は清らかで、やんわりとした雰囲気のコリンナによく似合っている。天天素
 鼻すじはすっと通っているけど、頬に丸みがあって少し童顔に見られることを気にしているコリンナが可愛い。
 しょうがない人って言いながら、笑って俺を受け入れてくれるコリンナが愛しい。
 見ればわかる巨乳で、抱きしめたらふかふかして、いい匂いがするコリンナは最高だ。

 世界の中心で叫べる。俺のコリンナは世界一!


 今日は助手であるマインの紹介で、旅商人になりたいなんて言うルッツ少年と会った。現実を優しく叩きつけて、ルッツの夢を粉々に壊してきたところだ。

「ただいま、コリンナ。今帰ったよ。ベンノも一緒だ」
「おかえりなさい。……洗礼前の子供を苛めて、よくそんな笑顔で帰ってこられるわね」
「その唇を尖らせた顔も可愛いな」

 ついつい本音を述べると、コリンナは呆れたように、ハァ、と溜息を吐いた。
 本格的に呆れられたらしいことを悟って、俺は軽く肩を竦めて、弁解する。別に苛めたくて苛めたわけではない。おとぎ話に憧れる子供に現実を教えただけだ。

「仕方がない。旅商人になってもいいことなんかないからな。確かに希望を粉々に粉砕したけど、その方が彼のためだ」
「それはそうだけど……」

 コリンナのグレイの瞳が伏せられて、痛々しげに眉が寄せられた。子供とはいえ、他の男のための憂い顔が少しばかり俺の心を波立たせる。

「コリンナは優しいな。会ったこともない子供のためにそんなに心を痛めるなんて……」
「邪魔だ、オットー。さっさと中に入ってくれ」

 肩を抱いて、コリンナの頬に口付けようとしたら、後ろからベンノに背中をげしっと蹴られた。
 慌てたようにコリンナが俺を脇に退けて、ベンノを迎え入れる。

「いらっしゃい、ベンノ兄さん。……ずいぶん不機嫌そうね。お断りした罪悪感かしら?」

 眉間に深い皺が刻まれ、普段の愛想の良さは欠片も見当たらないベンノを見て、コリンナはそう言ったが、ベンノはルッツをお断りなんてしていないので、もちろん、罪悪感など覚えているはずがない。

「コリンナ、違う、違う。商人見習いになりたいと言ったルッツをベンノが怖がらせて追い払おうとしたのに、追い払えなかったばかりか、マインちゃんに突きつけられた条件を呑むことになったんだ。マインちゃんに返り討ちにされたんだよ。不機嫌なのはそのせいだ」
「オットー」

 低い声でベンノが凄むが、俺は無視してコリンナと家の中に入って行く。

 子供にしてやられた気分なのだろう。
 いい気味だ。いつもマインに驚かされている俺の気分をたっぷりと味わうと良い。

 コリンナの腰を抱いて、クリーム色の髪に何度も唇を落としながら、応接室へと向かえば、ベンノに「俺がいない時にやれ」とげんこつを落とされた。
 夫婦の寛ぎ時間を邪魔するな、と思うが、コリンナの前で言うと、いい加減にして、と怒られるので、我慢する。

 応接室は普段コリンナが客と商談をするための部屋だ。いつ客が来ても大丈夫なように、いつも片付けられている。
 部屋の中央に、食堂とは違って丸い形の木のテーブルがあり、椅子が4脚準備されている。服以外に布を使えるのは富の証しなので、この応接室は、ウチの中で一番布が多い。
 たとえば、右側の壁際には棚があり、コリンナが作る服のパターンがわかるような見本が飾られていたり、左側の壁には残った端切れを縫い合わせたタペストリーがかかっていたりして、色鮮やかだ。

 用がないので、この応接室に俺が入ることはあまりないが、ここにはコリンナの作品が飾られているので、それを見るだけでも楽しい気分になれる。
 椅子の一つに座って、俺は正面に座るベンノにニヤリと笑った。

「いやぁ、あの展開にはビックリしたな。まさか、ベンノが譲歩させられるとは……」
「え? ベンノ兄さんが? 詳しく聞かせてちょうだい、オットー」

 コリンナがグレイの目を輝かせて、甘えるように話をねだる。可愛い。
 そして、俺の隣の椅子に座った後、少しばかり椅子を俺の方へと寄せてくる。本当に可愛い。

 コリンナがこんな風にねだってくることは滅多にないので、俺は心の中でマインに称賛の拍手を送りながら、軽く今日の流れを話して聞かせた。


 話を聞き終わったコリンナが目を丸くして、ベンノを見つめる。

「人と会うためにできるだけ身だしなみを整えて、鐘が鳴るよりずっと早くから広場にいて待っていられるなんて……ベンノ兄さん、最初から完全に負けているじゃない」
「うるさい」三鞭粒

 ベンノの機嫌はますます悪くなっていく。コリンナが出したお酒に口をつけても、眉間の皺は緩みもしない。
 最低限の身だしなみを整えることと、お願いした相手より早く待ち合わせ場所で待つことは商人にとっては当たり前のことだ。それができているかどうかで、心構えを見てやろうと思っていたが、ルッツはどちらもクリアしていた。

 多分、マインが誘導したのだろうけれど。

 広場で二人を見つけた時のマインの反応を考えれば、そうとしか思えない。
 今日の勝者はマインで間違いないだろう。おかげで、ベンノが譲歩する場面を見ることができたわけだ。

「いやぁ、マインちゃんのお陰で予想以上に面白い会合だったよ」
「マインちゃんって、班長さんのお嬢さんでしょ? とても頭が良いって貴方が言っていた」
「あぁ、そうだよ。でも、俺の助手になって、半年以上がたったが、未だにつかみきれないんだ。どうすれば、こんな子供が育つんだろうと思うくらい変わった子だよ」

 旅商人として、色々な土地で色々な階級の人間と接してきた俺にはマインの異様さが際立って見える。
 そして、それは本日同行したベンノにとっても同じことだったようだ。ベンノも商人として、色々な階級の人間を知っている。俺が浅く広く知っているなら、ベンノは狭く深く知っているのだ。

「なぁ、オットー。あれは何だ?」
「言っただろう? 俺の助手だ」
「違う。わかってるくせに、誤魔化すな。あれは本当に兵士の娘か?」
「それは間違いない。けど、俺だって変だと思っている」
「どういうこと?」

 コリンナが不思議そうに首を傾げた。
 マインのことを頭が良いとか、身体が弱いとか、その日あったことを交えながら話をしたことはあったけれど、変だということは言ったことがない。マインの異常さは実際に見てみないとわからないと思ったからだ。

「まず、見た目がおかしいんだよ。マインちゃんはいつだって兵士の娘とは思えないくらい小奇麗だ。着ている服自体はその辺りの子供と大差ない。継ぎ接ぎの当たったぼろぼろの服なのに、肌と髪の艶が綺麗過ぎる。班長はそこらの兵士と同じようなおっさんなのに、二人の娘は肌も薄汚れていないし、髪も艶があるんだ」
「お母様がお手入れされているんじゃない?」

 裕福な商人の娘として育ったコリンナは、貧民の生活を見て知っていても、明確には理解できていない。肌や髪の手入れをするには、時間も金も品物もかかる。貧しいとそんなものにかける余裕などないのだ。

「……冬に見たけど、母親が率先して手入れをしているようじゃなかった。班長にはもったいない美人さんだったけど」

 冬の晴れ間にパルゥを採るため、マインが門に預けられていた。引き取りに来た母親を見たが、特筆するほど小奇麗だった印象はない。
 ただ、マインと似た顔立ちで、美人だな、とは思ったのだ。

「ふぅん、そうなんだ?」

 俺が他の女性を褒めることは滅多にないので、面白がるようにコリンナのグレイの瞳が光る。

「もちろん俺にはコリンナが一番だ。それは絶対に変わらない」
「はいはい。もういいわ。……それで、マインちゃんは、ベンノ兄さんから見ても変だと思うの?」

 コリンナに話を向けられたベンノは杯を置いて、天井の梁を見上げながら、ゆっくりと息を吐く。

「あぁ。光が浮き上がるように艶のある夜色の髪に、真っ白で汚れがない肌で、労働と生活感を感じさせない手だった。歯も白かったな。全てがボロの服とちぐはぐな印象で、どう考えても不自然だった」
「光が浮き上がるほど艶がある……ですって!? 何をしたらそうなるの!?」
「え? コリンナはそのままでも十分だよ?」
「オットーは黙ってて。ベンノ兄さんに聞いてるの」

 女性にとって、髪の艶はかなりの関心事になるようだ。コリンナが裁縫以外でここまで興味を示すのは珍しい。

「何か付けて手入れしているようだが、何をつけているのか教えてもらえなかったな」
「秘密って言われたもんな、ベンノ」
「オットーは教えてもらえるの?」
「……多分、これから先は警戒されて、聞き出せないと思う」

 マインの髪の艶の秘密を知りたがるコリンナのために、駄目でもともと、今度会ったらマインに聞いてみよう。

「髪の艶はともかく、手が綺麗なのは、身体が小さくて、腕力がないから、大した手伝いもできないせいだよ。それに、マインちゃんの肌の白さは病弱ですぐに寝込むから、外に出ることがなくて、日に当たることが少ないせいだと思う。実際、外に出るようになったのは、春以降のことだし」
「……そういえば、前回は嬢ちゃんが熱を出したから、会合が流れたんだったな」

 五日も熱が下がらなかったせいで、班長がピリピリして大変だったことを思い出して、俺はうんざりとした表情を隠せないまま頷いた。

「つまり、マインちゃんのそういう外見は病弱なせいでしょ? 変わっていると言うほどでもないんじゃない?」

 コリンナは話を聞いて、大したことがないと判断したらしい。興味を失ったように、肩を竦めるコリンナにベンノが首を振った。

「いや、外見だけじゃない。俺が気になったのは姿勢や口調だ。……これは躾をされていないと身につくわけがない。まさか、親が落ちぶれた貴族で躾に厳しいってわけでもないんだろう?」

 班長の家庭事情について、そこまで詳しいわけではないけれど、マイン以外の家族を見れば、貴族と繋がりがあるかどうかはわかる。

「班長にはもう一人娘がいるけれど、そっちは結構普通。髪に艶があって、比較的綺麗な肌をしているけど。それだけ。マインちゃんと違って周りから浮くほどじゃない」

 俺の言葉に軽く頷いたベンノは、コリンナを見据えて言った。威哥王三鞭粒

「コリンナ、あの嬢ちゃんの異常さは見た目だけじゃない。俺に睨まれても目を逸らさない胆力、髪の艶については情報を伏せて有利に事を運ぼうとする頭の回転、現物がなくてもハッタリかます度胸、条件つけてくる交渉……どれをとっても洗礼前の子供のものじゃない」
「ベンノ兄さんに睨まれても目を逸らさない子供なんていたの!? その子、変だわ。間違いなく、変よ」

 目を見開いて、コリンナが叫んだ。
 威圧的になったベンノは肉食獣のように鋭い目になる。
 ベンノが長男でコリンナが末っ子で、コリンナが幼い頃に父親を亡くしたことで、ベンノはコリンナの父親代わりでもあった。幼い頃から叱られてきたコリンナは、大人でも目を逸らしたくなるベンノの怖さを嫌というほど知っている。

「あ~、計算能力に記憶力もすごいぞ。そういえば、石板を与えた時もビックリしたんだ。誰に教えられることもなく、正しく石筆を持って書いていたんだぜ。まるで、書き方を知っているように」
「貴方がお手本を見せたんじゃないの?」

 首を傾げたコリンナが俺の杯が空になったことに気付いて、おかわりを注いでくれる。
 そりゃあ、見せたけどね、と答えて、俺はコリンナが入れてくれた酒を一口飲んだ。酒で口を湿らせながら、何と言えばいいか、逡巡する。

「見てすぐにすらすら書くのは、そう簡単にできることじゃないって。季節ごとに入ってくる見習い兵士に字を教えているからわかるんだけどさ。石筆の持ち方を教えて、思ったように線を引けるようにならないと、字は書けないんだ」
「そういえばそうね……」

 コリンナも見習いに物を教えることが多いため、見せれば覚えるのではないことをよく知っているのだろう。

「マインちゃんは計算能力もおかしい。本人は市場で数字を母親に教えてもらったと言っていたけど、数字を教えてもらっただけで計算ができるはずがないだろう?」
「いや、ウチに来る見習いだって、少しの計算くらいはできる。親がしていれば多少は覚えているものだぜ?」

 商人の見習いになるのは基本的に親が商人なので、洗礼式の頃に文字の読み書きや計算が多少できる子供も少なくはない。俺だって、小さい頃から旅商人の親について回っていたので、計算も文字も教えられた。
 だが、マインができる計算は桁が違う。

「少しなんてもんじゃないんだ。会計報告なんて、南門で使われる備品の数や値段を計算するものだろ? 市場で使われているような小さい数字だけじゃなくて、合計していくとかなり大きな桁の数になる。それを当たり前のように、計算できるんだ。それも、計算機も使わずに、石板に数字を並べて書くだけで」
「……やっぱり助手として活躍してんじゃねぇか。あんな子供に会計報告を手伝わせるなんて」

 面白がるベンノを軽く睨んで、俺は二人を驚かせるために、誰にも言ったことがないことを告げた。

「ここだけの話だけどさ、書類仕事は七割方、任せられる」
「……はぁ!?」
「……七割って、貴方……」

 予想以上に驚いてくれたようだ。目を見開いて一瞬固まった顔がよく似ていて、思わず笑ってしまう。

「まだ覚えている単語数が少なくて、それだからな。末恐ろしいぞ。俺の留守中に、貴族の紹介状に対して完璧な対応をしてのけたんだ」

 アレには驚いた。
 溺愛している娘の洗礼式の日に会議があって、そわそわうずうずいらいらしている班長にやきもきしながら会議を終えると、マインから報告を受けた。下級貴族の紹介状を持った商人が待っている、と。

 本来、貴族から貴族へ紹介されている客は、確認が取れ次第、できるだけ速く城壁へと行けるよう便宜を図ることになっている。客が平民でも下級貴族のように扱うのだ。
 その日はたまたま上級貴族によって招集された会議だった。どちらを優先するかと言われれば、当然上級貴族だ。
 しかし、対応を誤ると客が「無礼だ!」と怒りだしたり、下級貴族の紹介状を盾に高圧的に振る舞ったり、会議に押し掛けてきて上級貴族の怒りを買ったり、とんでもないことになる。

 そんな中、マインは貴族ではない商人に下級貴族用の待合室を使うことで商人の自尊心をくすぐり、上級貴族が招集した会議だと説明することで納得させた。そして、会議終了すぐに報告してもらったことで、士長と行き違いにもならず、速やかに処理することができた。
 ついでに、右往左往する新人兵士に子供から教えてもらうようでは駄目だと奮起させることができたのだ。完璧だ。

「すごい子、なのね?」
「すごいというか……異常。おかしい。でも、多分、父親であるギュンター班長はマインの特異性に気付いていないと思う。班長の接し方を見れば、病弱で可愛い娘に対するものでしかないんだ。俺が助手にしたいと言わなかったら、優秀さにも気付いていなかったんじゃないかな? 今も「ウチの子、賢い」レベルで、異常なほど賢いことはよくわかっていないと思う」
「鈍い親でよかったじゃねぇか。気味悪がって捨てられてもおかしくないぞ」

 ベンノの言葉にコリンナが悲しげに眉を寄せる。

「そんなこと、冗談でも言わないで。想像もしたくないわ」
「大丈夫だよ、コリンナ。たとえ、親が気味悪がって捨てたとしても、ベンノが拾ってくれるさ。マインちゃんはベンノを返り討ちにできるくらい優秀なんだから」

 俺が笑ってそう言うと、コリンナがくすりと笑った。威哥王
 うん、コリンナはやっぱり笑っている方が可愛い。

「なぁ、あの嬢ちゃんは本当に作ってくると思うか?」

 ベンノが指先でテーブルをトントンと軽く叩きながら、俺を見据える。赤褐色の目が先を読もうとする商人の目になっていた。

「羊皮紙じゃない紙、だっけ? 確実にやるさ」
「ずいぶんと信頼してるんだな?」
「ん~……今すぐにでも欲しくて、作りたいけど、自分では力がなくてできないって言ってたのが、それじゃないかな? 自分でできないなら、他の奴にやらせろって、俺がこの間焚きつけた。ルッツがマインちゃんの要求通りの手足になれたら、完成するさ」

 力も体力もない、と悔しそうに言っていたが、それはつまり、作り方はわかっているということだ。
 マインは勝算があるからこそ、現物を作ると言ったんだと思う。多分、ハッタリではない。

「……実現したら市場がひっくり返るぞ。あの嬢ちゃん、どう扱うかな?」
「もしかして、マインちゃんを抱え込む気か?」

 ベンノの言葉から、ルッツだけではなくマインまで見習いとして抱え込むつもりだと推測して問いかけると、くわっとベンノが目を見開いた。

「当たり前だ! あんなもの、余所にやれるか!? あの嬢ちゃん一人だけで一体どれだけの商品が作れる? あのカンザシ、髪の艶を出す物、羊皮紙じゃない紙……俺が今日知ったのはこれだけだが、絶対に色々隠し持っている。市場をひっくり返す災害になる」
「ちょっと待て! アレは俺の助手だ。勝手に連れていくなよ」

 ベンノの主張に間違いはないだろうが、反論はある。
 マインは俺が半年かけて、決算時期のために育ててきた貴重な戦力だ。横から掻っ攫われるのを黙って見ているわけにはいかない。
 しかし、ベンノは鼻でフンと笑って、唇の端を釣り上げる。

「本人の第二希望が商人だ。助手に興味はないってよ。半年仕込んだだけだろ? 他を当たれ」
「半年であれだけ使えるようになるヤツが他にいるわけないだろ! マインちゃんが考えて、ルッツが作るなら、マインちゃんは門で仕事していても問題ないじゃないか!」

 特に決算時期だけは譲れない。力一杯睨んだが、ベンノも全く譲ろうとしない。
 杯を置いて、グッと身を乗り出してくる。

「駄目だ! 商業ギルドと契約させる。他に取られるような危険は冒せない」
「マインちゃんの体力を考えると、商業ギルドは無理だ!」
「体力?」

 ベンノが虚をつかれたように、勢いを失くす。
 それを好機とみて、俺は一気に畳みかけた。

「ビックリするほど虚弱で病弱なんだぞ? 身体を使うような仕事は無理だ!」
「……そんなに虚弱なのか?」
「あぁ、豚の処理に農村に行ったマインちゃんがそこで倒れて、班長が宿直室に連れてきたのが初めてきちんと接した時だけどさ。暖炉がある部屋だから大丈夫だろうと、暇潰し用の石板与えて鐘一つ分放っておいたら、熱出して倒れてた」
「は?」

 見張りに立たなければならないので、暖炉のある部屋に置いておいたのに、様子を見に行ったら、熱を出して倒れていた。迎えに来た班長が「気にするな。いつものことだ」と言っていたので、その虚弱さは家族にとって当たり前のものらしい。

「春になったばかりの頃はひどかったぞ。家から門まで歩けなかったんだ」
「門まで、だと?」
「街のどこに家があっても、門まで歩くのってそれほど遠くないわよ?」

 街の回りを外壁がぐるりと取り巻くのだから、街自体、それほど大きなものではない。子供の足でも西門から東門まで、鐘一つ分の時間があれば歩けるはずだ。

「そう、班長の家は南門から大して遠くない。でも、駄目だったんだ。途中でへたれて、班長に抱えられてやってきた後、宿直室で倒れて昼まで動けない。ついでに、2~3日は確実に寝込んでいた」
「おい、それ、本当に大丈夫なのかよ? 仕事させたら死ぬんじゃないのか?」

 その恐れがないとは言えない。
 特に、今勢いがあるベンノの仕事場は活気に溢れている分、忙しい。マインの体力で務まるとは思えない。

「うーん、春の中頃にやっと門まで歩けるようになって、寝込む日数も減ってきて、春の終わり頃に森に行けるようになったけど、まだ普通の仕事ができる体力はないと思う。だからこそ、書類仕事専用で門が面倒見ようと思っていたんだし……」
「むぅ……」

 病弱と言っても、そこまで虚弱だとは思っていなかったのだろう。ベンノが眉間を押さえて考え込む。今まで考えてきた計画では駄目だと方向転換するのだろう。
 それなら、もう一つ情報を与えておいた方がいいかもしれない。

「そんなマインちゃんの面倒をずっと見てきたのがルッツなんだ。子供達の集団から遅れるマインに付き添って森まで行くんだ。班長に多少の小遣いをもらっていたとはいえ、献身的で責任感は強いみたいだぞ」

 走り回りたい年頃の男の子が虚弱なマインに付き添うのだ。誰にでもできることではない。
 ちなみに、俺はよほどの義理がない限り、コリンナ以外へ献身的にしてやるつもりはない。MaxMan

2014年11月10日星期一

早速作ってみた

夕飯を終えるとすぐに、父は朝番なので寝てしまう。父の睡眠を邪魔しないように、台所で静かに作業ができる手仕事は、自分達が寝るまでの時間潰しにもピッタリだ。
 父が寝室へ行って、寝る準備を始めたので、わたしはトゥーリと母に冬の手仕事の話を切りだした。狼1号

「今日ね、フリーダに作った髪飾りが評判良くて、欲しいって人がいるから、冬の手仕事を前倒しにできないかってベンノさんに相談されたの。トゥーリの髪飾りと同じやつが欲しいんだって」
「……できなくはないけど」

 母とトゥーリは一度顔を見合わせた後、疑わしそうに眉を寄せた。できなくはないけれど、冬の手仕事を前倒しにするのは手間がかかりすぎる、と顔に書いてある。
 予想通りの反応に、わたしはトートバッグに手を入れて、証拠とばかりにチャリチャリンと中銅貨を2個、テーブルの上に並べた。

「少しだけど前金を預かって来たから、一つ出来たら、ちゃんと料金払うね」

 次の瞬間、母とトゥーリがガタリと立ち上がって、少しでも明るい竈の側に二人がテーブルを寄せた。

「え? あれ?」

 わたしは、間抜けにも椅子に座ったまま取り残されて呆然とするしかない。
 その間に、トゥーリは裁縫箱から三人分の細いかぎ針を取ってきて、母は物置から糸が詰まった籠を運んでくる。
 あまりにも息が合った動きに、わたしは圧倒されながら、椅子から下りた。椅子をテーブルのところに移動させようとガタガタ引っ張ると同時に、母の声が飛んでくる。

「マイン、参考にする見本はどこ?」
「え? トゥーリに返したけど?」

 わたしの言葉に反応したトゥーリがササッと動いて、自分の木箱から髪飾りを出してくる。
 トゥーリが髪飾りを探してごそごそと動く音に「何だ? どうした?」と父の声が聞こえてきたが、「何でもないわ。おやすみなさい、ギュンター」と母の声が台所から飛んだ。
 わたしがテーブルのところに自分の椅子を移動させて、よいせっと座り直した時には、すっかり手仕事の準備は整っていた。

「マイン、何色で作ればいいの?」

 糸の籠の中を漁りながら母が尋ねてきたけれど、指定された色はない。トゥーリの髪飾りとデザインを揃えろと言われているだけだ。

「お客様の髪の色や好きな色がわからないから、色違いでたくさん作ってほしいって言われてるの。トゥーリの髪飾りと同じになるように三色選んで、花の数も同じで作って」
「わかったわ。白と黄色と赤でどう?」
「可愛くて良いね」

 わたしの答えを聞くと同時に母は猛然と編み始めた。トゥーリの髪飾りを編んでいたので、作り方も知っているから、速い、速い。わたしが作ると一つにだいたい15分くらいかかる小花を5分ほどで編み上げるのだ。
 それぞれの色で4つずつ小花を作って、ブーケを作ることになる。

「色々あると選べて嬉しいもんね? わたしは白と黄色と青にしようかな? 自分の髪飾りと一緒の色。マインは何色にするの?」

 たくさんある色の中から、好みの色を選り分けて、うふふっ、とトゥーリが笑う。わたしが作った髪飾りをとても気に入ってくれているようで、わたしも嬉しい。

「わたしはピンクと赤と緑にしようかな。緑の小花が葉っぱみたいになって可愛いと思うんだよね」
「うん。可愛い。……ねぇねぇ、マイン。どうやって作るの?」

 わき目もふらず編んでいる母には聞けないと思ったらしいトゥーリが、ガタガタとわたしの隣に椅子を寄せてきた。見本になっている髪飾りはトゥーリのために作っていたので、トゥーリは作っていないのだ。

「そんなに難しくないよ。こうやって、こうやって……」

 トゥーリに編み方を見せながら、小さな花の作り方を教えると、フリーダのバラよりよほど簡単なので、トゥーリはすぐに作れるようになってしまった。

「わかった。ありがとね」

 ガタガタと椅子を元の位置に戻すと、トゥーリも静かにもくもくと編み始める。
 しばらく編んでいたが、3個の小花を編み終えて、わたしが視線を上げれば、できている小花には圧倒的な差があった。
 母はもう少しで1個の髪飾りになりそうな数の小花があり、トゥーリの前には6個の小花が転がっている。

 おおぅ、さすが、裁縫美人。

 母もトゥーリも手の動きがわたしとは比べ物にならないくらい速い。あっという間にできていく。
 おかんアート出身のわたしでは、スピードでも出来上がりの美しさでも勝てるはずがない。せめて、髪飾りを二人の物と比べた時に、一目で出来が悪いと思われないように丁寧に作ろうと決めて、かぎ針を動かしていく。

 普通の冬の手仕事なら、雪に閉じ込められて、暇で、暇で、仕方ない時にするので、和やかにお喋りしながらするものだ。しかし、今夜はテーブルの上に並んだ現金のせいで、お喋りが口から出ることなく、二人とも一心不乱に編んでいる。sex drops 小情人

「できた! この後はどうするの?」

 喜色に輝くトゥーリの声にハッとして顔を上げると、トゥーリの前には12個の小花が並んでいた。

「トゥーリ、速いね。すごいよ。えーと、この後は端切れに縫い付けて……って、あ、端切れ! 原価計算に入ってない!」
「手仕事の材料なんて、自分で準備するのがほとんどなんだから、ウチにあるのを使えばいいわよ」

 母はすでにウチにある端切れで、小花を縫い付けて、ちゃんと髪飾りの形に仕上げていた。

「……後でベンノさんに料金請求するか、布を請求するかどっちかするよ」
「これ一つに中銅貨2枚ももらえるのだから、そこまでしなくていいわよ」

 ……え? 普段やってる手仕事って、どれだけひどいの。

 冬から本格的に始まる手仕事では、端切れの原価も入れて計算し直してもらおうと心に決めると、トゥーリが物置から取ってきた端切れを一つ手に取った。

「母さんが作ってるから参考にして、同じ色の花が固まらないように縫い付けていってね。あまり下の布が見えないように縫い付けていくと、小花が集まって花束っぽく見えるから」
「うん、わかった」

 トゥーリが作り始めた髪飾りが完成したところで、今日は終わりにして寝ることにする。
 結局、寝るまでにわたしは半分くらいしかできなかったけれど、トゥーリは1個作り上げ、母は2個目が8割方できていた。

「じゃあ、今日の支払いをしまーす」
「わぁい!」

 わたしは二人に中銅貨を2枚ずつ支払って、できた飾りはわたしの木箱に片付ける。

「じゃあ、二人とも寝なさい」
「母さんは?」
「この中途半端なものを仕上げてから寝るわ」

 八割方終わっている髪飾りを指差して母が困ったように笑う。
 母のスピードならすぐに終わるだろう。わたしはトゥーリと二人で父を起こさないように気を付けながら寝室にそっと入った。

 なのに、なんで朝起きたら、テーブルの上に仕上がった髪飾りが2個も置かれているんだろう?……夜なべしたね、母さん。名残惜しい気分で寝たトゥーリが怒ってるよ。

「母さんだけ夜中にこっそりやるなんてずるいっ!」
「ごめんね、トゥーリ。気を付けるわ。さぁ、お仕事に行っておいで」

 ぷくぅっと膨れるトゥーリに母が謝りながら、仕事に行くように促す。納得できていないような表情のまま、トゥーリは「帰ってきたら、わたしだっていっぱい作るんだから」と言って飛び出していく。
 トゥーリが行ったので、わたしは母が作った2個の飾りを片付けて、代わりに中銅貨4枚を取り出した。

「忘れないように母さんが仕事へ行く前にお金を渡しておくね。それから、今日もベンノさんのところに行ってくる。ルッツの簪と合わせて髪飾りを完成させて、お金もらって来なきゃ二人に渡せないから」
「わかったわ。気を付けていってらっしゃい。ベンノさんによろしくね」

 中銅貨を財布に片付けた母は、笑顔で「今夜も頑張るわ」と張り切って出かけていった。
 バタンとドアが閉まって、鍵が閉まる音がする。足音が小さくなるまで笑顔で手を振っていたわたしは、ハァ、と溜息を吐いた。

 まずい。現金の威力、強すぎ。
 ここまでスピードアップすると思わなかった。
 母さんが夜なべまでするなんて予想外すぎる。
 髪飾りを完全に仕上げて売って、現金の補充をしなきゃ、今夜いきなり困るよ。

「まぁ、今日は先にトロンベの皮剥きだけど」

 ルッツがいつ迎えに来るかわからないので、いつでも出られるように準備をしておこう。
 まず、じゃが芋もどきのカルフェ芋を2個。
 それから、蒸している間に勉強できるように石板と石筆と計算機。ベンノのところに行く予定なので、発注書セットも忘れずに入れておいた。
 さらに、わたしが作っている途中の髪飾りを完成させるためのかぎ針と糸。出来上がっている小花を7つと端切れ。それから、端切れや簪に縫いつけるための針と糸。

 ルッツが来るまで、小花を作りながら待っていようと、ちまちまかぎ針で編み始める。
 小花が2つできたところで、ドンドンとドアを叩く音がして、「マイン、いるか?」とルッツの声が響いてきた。曲美

「おはよう、ルッツ。ねぇ、簪部分って、できてる分ある?」
「一応5つ作ったけど?」
「それ、全部持ってきて。わたし、針と糸を持って行くから。蒸している間に完成させて、ベンノさんのところに売りに行かなきゃダメなの」

 昨夜のうちに4つはできちゃったんだ、と呟くと、ルッツが目を見開いた。

「ちょ、速すぎないか!? あの花って、作るのが大変で時間がかかるって……」
「ん、まさかここまで速くなると思ってなかったから、実はわたしが焦ってる」
「……わかった。簪部分だけ持ってくればいいか? 他にいる物は?」

 今日、ルッツが絶対に忘れてはいけない物は一つだけだ。

「バターは? 準備できてる?」
「聞き間違いじゃなかったのか……。取ってくるよ。戸締りして下に向かっててくれ」

 どうやら準備していなかったらしい。危うくじゃがバターを食べ損ねるところだった。
 ルッツが身を翻して階段を下りていくのを見送って、わたしは準備していた荷物を持って、外に出た。

「寒いねぇ」

 人の気配がない倉庫はキンキンに冷えていて、外の方が太陽の光がある分暖かいと感じるほど寒い。倉庫の中には火を使えるような場所はないので、倉庫前で鐘一つ分ほどトロンベを蒸して、黒皮を剥く作業をすることになる。

 荷物を倉庫に置いて外に出ると、ルッツは石を積み上げて、鍋の準備をしていた。
 わたしは蒸し器にトロンベを並べていく。蒸し器の中はあっという間にいっぱいになった。

「ルッツ。蒸し器、もう一段いるみたい」
「持ってくる」

 前に作った時は試作品だったので、それほど多く蒸す必要なかったが、今回はここにある素材を全部蒸してしまわなければならない。最初から二段で蒸せるように蒸し器は準備してあったので、ルッツに倉庫からもう一つを持ってきてもらう。

「もう鍋を置いていいか?」
「うん、木を並べるのはすぐに終わるよ」

 ルッツが鍋を固定している間に残りのトロンベを並べる。
 そして、持ってきた芋も火が通りやすいようにナイフで十字に切り込みを入れて、一緒に並べて蓋をした。これで20分くらい蒸せば、おいしいじゃがバター――正確にはじゃがではないけれど――が食べられるはずだ。

 鍋の前で火にあたりながら、わたしは小花を作り始めた。わたしが髪飾りの小花を作るのに、大体15分くらいかかるので、片付ける時間も考えると、じゃがバターの待ち時間に丁度いい。

「ルッツは倉庫に残ってる竹で細い竹ぐし作っててね。先を尖らせたヤツ」
「は? なんで?」
「なんでって、『じゃがバター』ができたか確認するのにいるから」
「え? マイン、お前、何やってんの?」
「蒸し器使うなら食べたいなって……ルッツはいらない?」
「食うに決まってるだろ! ジャガバターって食い物かよ!?」

 あぁ、そうか。じゃがバターじゃ通じなかったんだ。
 芋のバターソテーみたいな料理はあるから、普通に食べられるだろうけど。

 蒸し器の中に食べ物があるとわかった途端、ルッツが張り切って竹ぐしを作りだした。

「なぁ、マイン。そのジャガバターってうまいのか?」
「わたしは結構好きだよ。ルッツも多分食べ慣れた味だと思うけど?」

 鍋が大きいので湯気が出始めるまでに予想以上に時間がかかったので、わたしは2個の小花を作り上げることでだいたいの時間を計った。
 そろそろ芋の様子を見てみよう。K-Y

「いいよ、ルッツ。蓋、開けて!」

 ラルフが作った何かの失敗作を台にして立ち、できたての竹ぐしを右手に構え、左手には菜箸をつかんで、わたしはルッツが蓋を開けるのを待つ。

「マイン、顔をあんまり近付けるなよ!」

 ルッツが蓋を開くと同時に、ぶわっと白い湯気が一気に飛び出してきた。熱くて白い湯気をやり過ごして、視界が開けると、トロンベの中に少し黄色が濃くなった芋が湯気を立てている。
 わたしは右手の竹ぐしをそっと芋に刺してみる。スッと通って形も崩れないし、いい感じに仕上がったようだ。
 右手の竹ぐしと左手の菜箸を入れ替えて、今度は菜箸を構えた。

「ルッツ、お皿がいる!」
「そんなもん、ここにあるか!」
「そこの平たい板でいいから取って。それから、バターの準備がいるよ」
「飾り作るより先に準備しておけよ!」
「ぬぅ、面目ない」

 芋を菜箸で取り出して板の上に乗せると、すぐ蒸し器に蓋をしてもらう。
 わたしは台から飛び降りると、十字の切れ込みをナイフでこじ開けて、すぐにバターを挟みこんだ。熱でとろりと溶けていくバターの匂いがたまらない。
 がんがんテンションの上がっていくわたしとは対照的に、ルッツのテンションは蒸し器から出てきた芋を見た瞬間から、だだ下がりだ。

「……なんだ、カルフェ芋かよ。マインの料理だから期待したのに」

 食べ慣れすぎてガッカリらしい。
 この辺りではよく栽培されているので、カルフェ芋は食卓にはよく出てくる食材だ。食べ飽きているのだろう。手の込んだ料理ならともかく、皮までついている状態では、期待できないのはよくわかる。

「うんうん。確かにカルフェ芋をバターで絡める料理なんて、いっぱいあるもんね? ルッツはいらないってことでいい?」
「……食うよ」

 むぅっと脹れっ面のルッツは放置しておいて、わたしは上の方だけペロッと皮をめくると、手を火傷しないようにエプロンで包んで、芋を持つ。そのまま、湯気がほこほこと立っている芋に大きく口を開けて噛みついた。

 外の冷気で表面だけが程良く冷めているが、中は熱くて、ほろほろと口の中で解けていく。トロンベと一緒に蒸したせいで、まるで燻製のように木の香りがついていて、それがバターの風味に合わさって、家では食べることができない味になっている。

 ん~、と頬を押さえて、美味しさに身悶えていると、ルッツが横で溜息混じりの白い息を吐きながら、カルフェ芋にかじりついた。
 直後、カッと目を見開いて、芋をじっと見る。騙されているような奇妙な表情でわたしと芋を見比べた後、首を傾げながらもう一口食べる。

「……うまいっ! なんでだ!? 家で湯がいた芋と全然味が違う!」
「蒸したからだよ。蒸すと栄養も旨みもぎゅうっと閉じ込めるからね。今回はトロンベと一緒に蒸したから、まるで燻製みたいな香りまでついて、すごく贅沢な気分になれるよね」

 ほくほくうまうまカルフェ芋を食べながら、わたしは昨夜の飾りを作っていた時のことをルッツに話した。

「……そんな感じで、昨日の夜は母さんもトゥーリもすごかったよ。今夜もやる気満々なの。1個も仕上げられなかったわたしの役に立たなさを改めて実感したね」
「威張るなよ」
「ルッツは? どうだったの?」

 カルフェ芋を全部食べ終わったルッツは、名残惜しそうに指をなめた後、渋い顔をして頭を振った。SPANISCHE FLIEGE D5

2014年11月6日星期四

倒れた理由

 カツカツと大股で足早にベンノが歩くと、お姫様抱っこをされて仰け反った状態のわたしの頭がガックンガックンと揺れる。脳味噌が掻き回される感じがするので、もうちょっと揺れないように歩いて欲しい。
 そんなことを考えていると、後ろの方から慌てた様子で駆けてくる足音が追いかけてきた。精力剤

「ベンノ様、お待ちください!」

 フランの声だ。ガクンと仰け反った視界にフランの胸元から顎が映った。フランがベンノの半歩後ろについて歩きながらもう一度呼びかける。

「ベンノ様」
「何だ? 見ての通り、俺は急いでいる」

 足を止めようともせずに、ベンノは丁寧さの欠片もない素の状態で言葉を返した。そのぶっきらぼうな態度に一瞬怯んだフランだったが、グッと息を吸い込んで食い下がる。

「マイン様を運ばせてください」
「急いでいる。却下だ」
「お客様に運ばせるわけにはまいりません。私がマイン様の側仕えです」

 ベンノ相手に引こうとしないフランの言葉に、わたしは内心ハラハラしていたが、ベンノは突然足を止めた。

「力が入っていないヤツは小さくても重いぞ。絶対に落とすな」
「存じております」

 その場にゆっくりと膝をついたベンノがわたしをフランに渡す。
 フランはわたしの頭の位置や腕の位置を微調整して、立ち上がった。頭の位置がフランの肩にもたれかかるようになったので、頭がガクンガクンと揺れることはなくなった。

「フランは抱き上げるのが上手だね」

 わたしが感心してそう言うと、フランは少しだけ怒ったように声を尖らせる。

「マイン様、無理して喋る必要はございません」
「身体に力は入らないけど、頭は冷えてる感じだから、別に無理はしてないよ」
「……お言葉遣いに気が回せていらっしゃらないようなので」

 フランの言葉に心配の色がにじんでいて、わたしは小さく笑う。フランの心遣いがわかって、ちょっと気恥ずかしいけれど、ちょっと嬉しい。

「あのね、フラン。デリアやギルがいると、二人で話せる機会が次にいつあるかわからないから、言っておきたいの。いい?」

 廊下には他の神官がいるかもしれないので、フランの耳元で内緒話をするように囁きかけると、視線だけは真っ直ぐ前に向いたまま、フランは小さく頷いた。

「お伺いします」
「わたし、まだ全然貴族のことわからなくて、フランをすごく困らせると思うけど、なるべく早く覚えるように努力するから、協力して欲しい。神官長の役に立てるように頑張るから、目的は同じってことで協力し合えないかな?」

 グッとフランの腕に力が籠り、フランの喉仏が上下して、息を呑むのが見えた。

「それが私の仕事ですから。……私の方こそ、神官長のお心を推し量れず、マイン様に不満をぶつけるような結果になったこと、お許し頂けたらと……」
「え? 推し量れず、って何? 神官長はちゃんと説明しなかったの?」

 ポカーンとしてしまう。説明も無しに、わたしに付けられたら、それは不満だろう。神官長付きの側仕えから一介の青色巫女見習い――それも、貴族でもない平民の小娘――の側仕えに変えられるというのは、左遷だとしか思えなくても仕方ない。

「周りに一体どれだけ敵に通じている者がいるかわかりませんから、言質を取られぬよう、神官長は普段から多くを語られません。人払いをしたとはいえ、今日のお言葉の多さには驚きました」
「いやいや、部下に意図が通じてないのは、問題だよ。フランは意図がわからないまま、わたしに付けられて辛かったんでしょ?」

 神官長の立場が一体どういうものなのか、わたしには全くわからないが、こんな忠義者に悲しい思いをさせていたら、味方は減るばかりに違いない。

「そうですね。神官長には必要ないと、デリアやギルと同程度の者だと、言われた心地がいたしました」
「それはないよ。神官長はね、フランをわたしに付けておきながら、フランを手放したつもりなんて欠片もない人なんだよ」

 神官長への忠誠心を更に強くし、ついでに、わたしにも優しくしてくれるといいなぁ、という下心満載のフォローのために、わたしはこっそりと囁いた。媚薬

「そうでございましょうか?」

 疑問の形をとっているけれど、フランの声音には明らかに否定の色が強い。

「わたしに貸してるだけの気分だから、ベンノさんって客人がいる前で、一応新しい主であるはずのわたしに何の断りもなく、フランに命令しちゃえるんだよ。秋までに体調管理できるようになれって、言ってたけど、普通の貴族に置き換えたら、かなり失礼じゃない?」
「……マイン様のおっしゃるとおりですね」

 フランがくすりと小さな笑いを漏らした時、玄関の扉が開いた。
 ちょうど馬車が前に入ってくるところで、タイミングを合わせていたのだろう御者が、わたし達のあまりに早い登場に目を白黒させているのが見えた。

「フラン、マインを寄こせ」

 先に馬車へと乗ったベンノが腕を広げる。フランが一瞬の躊躇いを見せた後、ベンノにわたしを渡しながら、すがるような声を出した。

「わたしもお伴することはできませんか?」
「駄目だ。その服で神殿から出ると、つまらん問題が起こる」

 わたしを受け取ったベンノからピシャリと却下の言葉が吐かれた。服を理由に断られると思っていなかったのだろう、フランは戸惑ったように自分の服を見下ろす。

「しかし、私達はこれ以外……」
「中古で良ければ、次回までに服を準備してやる。今日は諦めろ」
「恐れ入ります」

 ベンノに礼を述べた後、馬車の前でフランが両手を交差させて、少しかがんだ。

「マイン様、ご無事のお帰りを心よりお待ちしております」

 出かける主に向けられる挨拶だったが、予想外の言葉に狼狽した。どう答えて良いかわからない。
 わたしはフランの主は神官長だと思っていたし、フランにとって良い主ではない。待たれるような存在ではなかったはずだ。
 言葉を返すことができないわたしにベンノが耳元で低く囁く。

「留守を任せる。そう答えてやればいい」

 留守って言われても、神殿はわたしの家じゃないし、部屋もないし、まだ居場所と言えるほど思い入れのある場所でもない。
 そう反論するのは簡単なのに、フランに待っていると言われてしまえば、わたしはフランの主として、ここに戻って来なければならない気がして、むず痒いような気分になった。
 軽く息を吸って、精一杯主らしく答える。

「フラン、留守を任せます」


 馬車の中ではベンノの膝に頭を置いた状態で、座席にゴロンと横にされた。金のブローチを外したベンノのマントで包み込まれると、冷たくなっている身体が少し温まった気がする。
 ホッと安堵の息を吐くと同時に、自分の状況に気がついて、思わず叫び出したくなった。

 何これ!? 膝枕ってやつじゃないですか!

 秘密の手紙交換に加えて、身内以外の異性との膝枕初体験までベンノとこなしてしまうことになるとは、想像もしていなかった。恋心の伴わないイベントはノーカウントでいいだろうか。
 ベンノの膝に全体重を預けた状態を自力で回避できるわけがないので、店に着くまで、この照れくさくて恥ずかしい体勢でいるしかない。
 逃げ出したい気分を少しでも霧散するため、わたしは少しばかり早口になりながらベンノに質問する。

「ベ、ベンノさん、神官って、普段着は持ってないんですか?」
「必要ないからな。持っていなくても不思議はない」

 ベンノの説明によると神官が神殿から出て、下町の方に現れるのは、儀式の時だけらしい。青色神官ほどは目立たないが、基本的に神殿から出ることがない灰色神官が街の中をフラフラすると悪目立ちする。それも、わたしにつき従うように灰色神官が動けば、嫌でも注目されるに違いないと言う。

「あの、じゃあ、えーと……」
「マイン、もう黙ってろ」

 静かに宥めるような口調でそう言ったベンノがゆるりと額を撫でた後、冷たい手に熱を与えるように軽くわたしの手を握る。それは、まるで大事な恋人が倒れたような仕草だった。性欲剤
 前世においてさえ、こういう経験値は積んでないわたしとしては、気恥しいを通り越して困惑した。どう反応すればいいのか、わからない。

 口調がぶっきらぼうなくせに、ベンノさんは無意識でこういうことをやっちゃうから、周囲から妙な誤解を受けるんだよ!

 わたしの思考を読んだように、正面に座るマルクが悲しげに目を伏せる。

「旦那様、マインはリーゼ様ではありません。大丈夫ですよ」
「……わかっている。わかっているから、大丈夫だと、簡単に言うな」

 ベンノは窓の外を眺めながらそう言ったけれど、わたしの手を離そうとしない。こちらを見ようとしないベンノの表情は全く見えない。
 けれど、何でもできて、完璧に見えるベンノの触れてはいけない場所に触れてしまった気がした。多分、ベンノを安心させようと「大丈夫だよ」と笑いながら、恋人は逝ったに違いない。

 声をかけることもできず、熱を与えてくれる大きな手を握り返すこともできないまま、馬車はギルベルタ商会に着いた。

 御者が外の鍵を開けて扉を開くのと、マルクが馬車を飛び出すのはほぼ同時だった。店の扉を開けて、従業員に指示を出す。慌てているように見えても、素敵執事なマルクは有能なようだ。ベンノのマントに包まれたまま、ベンノに抱きかかえられたわたしが奥の部屋に運び込まれた時には、マルクと従業員によって長椅子が運び込まれていた。

「ルッツ、奥の部屋へ来なさい」

 店でわたしの帰りを待ちながら、仕事をしていたらしいルッツが、珍しいマルクの大声にバタバタと足音を立てて、駆けよってくるのが聞こえる。

 奥の部屋へ運び込まれた長椅子に、ベンノが一度マントを剥ぎ取って、わたしを横たえる。だらんと落ちた腕をお腹の上に置かれて、自分の腕が意外に重たいと感じた。上からふわりと布団代わりにマントがかけられる。

「ルッツ、マインが神殿で倒れた」

 長椅子に転がされたわたしの顔をルッツが心配そうに覗きこむ。額や首筋、手を触りながら、不思議そうに首を傾げた。

「疲れてるみたいで顔色が悪いけど、熱は出てないし、むしろ、手足が冷たいくらいだよな? 力が入らないだけって……今まで見たことがない。なぁ、マイン。今日は一日、何してた?」

 ルッツの質問に、わたしは長かった今日一日を思い返した。

「えーと、神殿に行って、誓いの儀式をして、お祈りと奉納をして、側仕えを紹介されて、神官長からちょっとした説明を受けて、ルッツが迎えに来るまで図書室で聖典を読んでた。その後はルッツとベンノさんが知ってる通りだよ?」
「奉納って何だ?」
「えーと、神具に魔力を込めること。余分な熱が減って、すっきりするんだよ」

 きゅるるるるる~……。
 説明途中でお腹が鳴った。全員の視線がわたしのお腹に集中する。

 そういえば、わたし、お昼食べてなかったっけ。今頃思い出したよ。緊張が続いてすっかり忘れてたや。思い出すと急激に空いてくるよね。

「……なんか、お腹空いたみたい」

 わたしがそう言うと、張りつめていた空気が少し緩んだ。マルクが小さな笑みを浮かべて、上の階へと繋がる奥の扉を開ける。

「熱がなくて、お腹が空くくらいなら、体調が急変することもないでしょう。着替えるついでに何か食べられそうな物を持って来ましょう、旦那様」
「あぁ」

 二人が奥の扉に姿を消すと、ルッツが長椅子の側に椅子を持って移動してきた。椅子に座って、眉を寄せながら、ルッツは聞き足りない様子で口を開く。

「この時間に腹が空くって、昼は何食べたんだよ?」
「食べてない」

 わたしの答えを聞いたルッツが不思議そうに首を傾げる。

「食べてない? なんで?」
「本を読む時間がもったいないから。本を読んでる間は二日くらい食べなくても平気だし」

 その瞬間、ルッツの目が据わった。翡翠のような目が怒りに冷たく光り、声が尖る。

「なぁ、マイン。それって、いつの話だ?」
「え? いつって……」
「マインになってから、本がないから作ろうとしたんだよな? 本を読んでいたら二日食べなくても平気だったのはいつの話だ? マインになる前の話じゃないだろうな?」
「あ……」

 わたしが本当のマインではなく、麗乃の記憶を持っていることを知っているルッツの言葉に、冷や汗が出てきた。
 ルッツの指摘通り、二日食べなくても平気だったのは、麗乃時代の話だ。病弱虚弱なマインになってから、体調不良で食べられないことはあっても、自分から抜いたことはなかった。女性用媚薬

「それにさ、魔力を使うって、身食いの熱を自分の意思で動かすってことだろ? 身食いに食われそうになった時、体温が急上昇して急下降して辛いって言ってたじゃないか。魔力を使うって同じようなものだろ?」
「一箇所に向かって、一方的に魔力を吸い取られる奉納と、身体中に行き場のない熱がうごめいて暴走する身食いは違うんだよ」
「魔力を動かすってところは一緒じゃないか。そんな大変なことをした後で、虚弱な体力ない身体で、昼飯食べずにこんな時間までうろうろしていたら倒れるに決まってるだろ! マインのバカ!」

 叫んだ後、ルッツが力の抜けたような遣る瀬無い溜息を吐いた。そして、ルッツがわたしの手を握り、自分の額にコツンと当てる。「夏なのに冷てぇ」と呟いて、泣きそうな目でわたしを見つめた。

「また死ぬかもしれないんだぞ。勘弁してくれよ。オレがちょっと目を離しただけで、こんなことになるんなら、心臓いくつあっても足りない」

 ルッツを慰めたくても、瞬きと口を動かせるくらいで、わたしの手足は動かし方を忘れてしまったように全く動かない。

「図書室に浮かれて、すっかり忘れてたんだよ。ごめんね、ルッツ」

 涙がうっすら滲んだ目で、ルッツがわたしの手を握ったまま、激昂する。

「忘れるなよ! 自分の身体だろ!?」
「何を騒いでいるんだ? 一応相手は病人だぞ。もうちょっと声を抑えろ」

 急いで着替えたらしいベンノは奥の扉から出てくると、こちらに向かって歩いて来ながら、顔をしかめてルッツを注意した。
 ルッツはベンノのために、椅子から下りて、わたしの手を離す。場所を空けながら、持っていき場のない感情を吐きだした。

「だって、旦那様。マインが本に夢中になって、昼飯を抜いたせいで倒れたって言うんだ。オレ……」
「こんの大馬鹿者!!」
「ひゃんっ!?」

 病人相手に騒ぐなと言った本人に心臓が止まるかと思うほどの雷を落とされた。
 くわっと目を見開いて、ベンノが怒鳴っても、逃げることも耳を塞ぐこともできず、ビックリ涙の浮かんだ目で仁王立ちのベンノを見ているしかない。

「身食いの成長が遅いのは、魔力に栄養を取られるせいだと言われている。それなのに、魔力を使って、飯を抜くとは何事だ!?」
「そ、そんなこと知らなかったし……」
「自分の身体の事だろう! ちょっと気にかけて情報を集めろ、阿呆!」
「ふぁいっ!」

 言っていることが正しいのはわかるけれど、身食いの情報なんて集め方がわからない。余計な事を口にすれば、ベンノの怒りに油を注ぐ結果になりそうで、口を噤んだ。

「マインが不注意なのは今に始まったことではありませんが、自分の体調をもう少し気にかけてくださいね。旦那様も起き上がれない病人相手に怒鳴るのは、そろそろお止めください」

 優しいけど、甘やかすことはないマルクがカチャリと食器をテーブルに置き、わたしの身体を起こして支える。

「マイン、これくらいなら食べられるのではありませんか?」

 カチカチの固いパンを削って、ミルクに浸した病人食であるパン粥に蜂蜜がかかっているのが見えた。甘みがあっておいしいだろう。

「私が支えているので、ルッツ、食べさせてやれますか?」
「オレ、下手だから、多分、その服を汚すと思います」

 わたしが着ている青の衣を指差して、ルッツが困ったように言った。
 青い衣は貴族が着るものなので、高品質で高価だ。ミルクを零して臭くなったら困る。そして、脱がそうにも、ずっぽりと被るタイプの服なので、全く力が入らないわたしを支えながら脱がせるのは大変だ。

「なるほど、これは困りましたね」
「マルク、蜂蜜の固まった部分を持ってこい。少しくらいは自分で動けるになってもらわなきゃ、脱がすのも大変だ」

 ベンノの言葉に即座に動いたマルクが、蜜が結晶化した小さな固まりを取って来てくれた。
 金平糖のようにガタガタボコボコの形の甘い物が、口の中に転がり込んでくる。じわりと解けて、とろりとした甘みが身体中にじんわりと広がって行くのがわかる。

 お昼ご飯をたった一食抜いただけで、本当に栄養が足りていなかったようだ。蜜の固まりが口の中で溶けてなくなる頃には、ほんのり身体に温もりが戻ってきたような気がした。
 さらに数個、蜜の固まりを口の中に放り込まれ、もごもごと舐めていると、ベンノがガシガシと頭を掻いた。中絶薬

2014年11月4日星期二

マイン十進分類法

「フラン、工房へ行って灰色神官を三人、それから、ヴィルマ以外の側仕えを呼んできてくださる?」
「マイン様はどうなさるのですか?」
「図書室で神官長から預かった目録に目を通して、分類について考えておきます」新一粒神

 図書室に入ると、フランが机までの間にある資料を重ねて道を作ってくれた。わたしを座らせて、神官長から借り受けた目録の木札二枚を置くと、足早に図書室を出ていく。
 フランの背中を見送った後、わたしは誰もいなくなった図書室の中で神官長の目録に目を通し始めた。本人がわかればそれで良いという感じで書かれた木札には、細かい字でぎっちりと書き連ねられている。

「どれどれ? 神官長が神殿に持ちこんだもの……って、多いっ!?」

 その量は非常に多く、鎖に繋がれた本の半分と本棚の資料一段分以上が神官長の私物になるくらいの量があった。

 ……神官長って、何者!?

 とりあえず、目が眩むようなお金持ちであることだけは、よくわかった。以前、事情があって神殿に入ったと言っていたが、実家はよほど上流でお金があるようだ。そうでなければ、一つ購入するにも大金貨が何枚も必要になるような本を5冊も神殿に持ちこめるはずがない。

 表紙が皮張りで、金や宝石をあしらっているような本は、普通私物ではなく、家宝になると思う。それを神官長は5冊も私物として神殿に持ち込み、こうして鎖につないで公開してくれているのだ。それがわかっただけで、わたしの神官長への好感度がぐぐんと上がる。

「こんなに本を持ちこんで見せてくれるなんて、神官長が良い人すぎる……」

 わたしは目録を見て、大体の分類番号を振った後、分類番号の割合から、本棚の分類番号を考えようと思っていたが、突然壁にぶつかった。

「……魔術に関する資料って、どこに分類したらいいんだろう?」

 困ったことに日本十進分類法に、魔術という項目はない。しかし、貴族しか扱えない分野のためか、研究が必要な分野なのか、神官長の私物の中では魔術に関する資料が一番多い。
 わたしは書字板に日本十進分類法を書き出してみる。

0 総記 (図書館、図書、百科事典、一般論文集、逐次刊行物、団体、ジャーナリズム、叢書)
1 哲学 (哲学、心理学、倫理学、宗教)
2 歴史 (歴史、伝記、地理)
3 社会科学 (政治、法律、経済、統計、社会、教育、風俗習慣、国防)
4 自然科学 (数学、理学、医学)
5 技術 (工学、工業、家政学)
6 産業 (農林水産業、商業、運輸、通信)
7 芸術 (美術、音楽、演劇、スポーツ、諸芸、娯楽)
8 言語
9 文学

 魔術具を作ることを考えれば、5の技術だろうか。それとも、ここでは4の数学や理学と同じ扱いにした方が良いのだろうか。分類法を導入するにしても、常識が違えばなかなか難しい。

「とりあえず、資料を見てから考えよう。あの中にあるんだろうし……」

 わたしは床に散乱した資料の数々を見つめて、ニヨッと顔が笑うのを押さえられなかった。
 だって、魔術だよ? 初めて見る本物の魔術だよ? どんなことが書かれているのか、想像するだけで胸が高鳴ってときめくじゃない?

 魔術に関する物以外は、普通に分類できそうなので、皆が到着したら、まずは資料を重ねて、足場を作ってもらう。その後、本棚に第一次区分の分類番号を振って、ざっと目を通した資料を第一次区分で棚に並べる。今日のうちにそこまで終わらせたい。
 そして、後日、ゆっくりと書誌事項を目録にまとめて、きっちりと細分化した分類番号順に並べていけばいい。第二次区分はかなり改造しなければ使えないだろう。

「もー! これは一体何ですの!?」

 聞き慣れた叫び声に扉の方を見ると、デリアが目を吊り上げて怒っていた。わたしの部屋を綺麗に保つことを仕事にしているデリアは、散らかしたら怒る。そんなデリアにとって、図書室の惨状は許しがたいものに違いない。
 デリアの後ろには他の側仕え達と灰色神官3人の姿があり、どの顔も図書室の惨状に唖然としているのがわかった。

「すげぇな、これ。誰がやったか知らないけど、マイン様を相手に命知らずなヤツ……」

 本に向けるわたしの想いを知っているギルの言葉にフランがそっと胃の辺りを押さえた。蔵八宝

「フラン、どうしたの? お腹でも痛いのかしら?」
「……犯人の末路を考えると、少し」

 まさかフランが胃を痛めるほど犯人の末路を心配しているとは思わなかった。わたしは頬に手を当てて、「困ったわ」と首を傾げる。

「フランの胃が痛くなるのでしたら、血祭りは中止した方が良いかしら? 敵に対する見せしめと味方の士気を上げられる上に、主としての威厳を見せつける良い機会かと思ったのですけれど」
「ちょ、マイン様! それ、味方の士気上がらねぇから! 恐怖に凍りつくって!」

 わたしの言葉に側仕えを初め、灰色神官達が顔を引きつらせてザッと一斉に後ずさった。フランだけはわたしの眼前までやってきて跪き、わたしの両手を取って懇願し始めた。

「ぜひ、中止してください。すでにマイン様は十分な威圧感をお持ちです」
「そぉ?」

 あまりに真剣な目でフランが言うので、血祭りは中止することにした。血祭りより、図書室のお片付けの方が楽しいので、問題はない。

「では、血祭りはひとまず中止して、今日はここを片付けます。まず、手順を説明しますね。決して、資料を踏まないように気を付けて、紙の資料と木札の資料に分けて、こちらの机に積み上げていってください。まずは本棚に向かって道を作るように資料を片付けてくださいね」
「はい」

 声の揃った返事に軽く頷きながら、わたしはその後の仕事について説明する。

「積まれた資料はフランとわたくしで分類していくので、言った番号の棚に資料を並べてください。左の本棚の一番上が0、二段目から1、一番下の段は空けておいてくださいね。右の本棚が上から二つが2で、その下が3です。それ以外の資料については最後に片付けます。棚に並べる資料の順序は問いません。番号だけ間違えないように気を付けてください。では、始めましょう」

 床に散らばる資料を集め出したけれど、フランだけはわたしの隣に腰を下ろす。他の者とは違う仕事を割り振られたフランは、困惑したように目を瞬かせた。

「マイン様、分類とは一体?」
「これ! マイン十進分類表です。これを見て、資料がどの番号か決めてください。迷ったら声をかけてくれれば答えます」

 わたしはフランに書字板を渡して、分類方法の説明をした。
 その間に拾って重ねられた紙や木札が机に積まれていく。フランとわたしは手元に届く資料にざっと目を通していき、第一次区分の分類番号順に分けていく。

「ロジーナ、本棚までの道ができたら、これを1の棚に入れてちょうだい」
「かしこまりました、マイン様」

 予想はしていたことだが、神殿の資料なので、どうしても1哲学の割合が大きい。2歴史や3社会科学も比較的多い。特に目を引くのは、各農村での収穫量や供物の量が記された統計資料だ。しかし、昔の物ばかりで最近のものが全く見当たらない。
 そして、8言語に相当する資料は一つもなく、9文学もない。

「デリア、巻物に紙が挟まっています! 気を付けて」
「あたしが巻いてる時に勝手に入ってこないでよ、もー!」

 指摘された恥ずかしさか、紙を取り除いて、巻物をコロコロしながらデリアが怒鳴った。そんなデリアの周囲に散らばる紙を、ロジーナがくすくすと笑いながら拾って回る。
 巻物は入れる場所がハッキリと決まっているので、わたし達が分類する必要もない。巻物を退けた途端、床が広く見え始めた。

「ギル、ここの資料を2の近くにいる神官に渡してちょうだい」
「おぅ!」

 撒き散らかされている資料は本の形態になっていないものばかりだ。しかも、書類の大きさも統一されていないので、バラバラである。
 書類を整理するボックスやファイルが大量に欲しい。へろんと倒れようとする羊皮紙と格闘している灰色神官を見て、そう思った。ブックエンドさえ見当たらない。

「ヨハンに頼んでみようかしら?」
「マイン様?」
「いえ、何でもありません。ロジーナ、この木札をあの灰色神官に渡してちょうだい。これで羊皮紙を押さえるように言ってあげて」
「かしこまりました」

 図書室中がめちゃくちゃになっているように見えたけれど、神殿長と神官長、二人の鍵がなければ開かない貴重本が入った棚は開いていなかったし、鎖に繋がれた本に傷を付けたり乱暴に扱ったりしたような跡もみられなかった。本当に資料を散らかしただけの嫌がらせだ。

 二つの本棚が空っぽになっていて、広範囲に渡って散らかっていたので、資料が大量にあるように思えた。けれど、巻物を片付けて、資料をまとめて重ねてみれば、意外と量は少ない。わたしとフランが分類しなければならない紙や木札はそれほど多くなかった。VIVID

「……これで終わりなの?」

 机の上に紙も木札もなくなったことが不思議で、わたしは首を傾げた。

「はい。予想外に早く片付きました。この分類は手早く片付けられて良いです」
「今は第一次区分で大まかに分けただけです。これからは資料を探しやすいように、もっと細分化する予定です。ここの実情に合わせた分類番号が必要になるので、番号を振るのが大変ですけれど、やりがいはありますね」

 フランが安心したように笑って立ち上がったので、わたしも立ち上がってぐるりと辺りを見回した。本当に床に散らかっていた資料は全て棚の中に収まっている。
 しかし、神官長の資料を入れるつもりだった棚には何も入っていない。片付けが終わったのに、神官長の目録に載っていた魔術関係の資料が一つも見当たらなかった。

「マイン様、どうかなさいましたか?」

 フランの声にハッと我に帰ると、側仕えと灰色神官が並んでわたしの言葉を待っていた。仕事が終わったことをハッキリと告げて、解散させなくてはならない。

「皆様の協力で図書室は片付きました。ありがとう。助かりました」

 フランが神官長に図書室の鍵を返しに行くと言ったので、わたしも一緒に神官長の部屋へ行くことにする。魔術関係の資料に関して、話を聞きたい。

「本日の結果を報告して、この目録もお返ししなくてはならないでしょう? それに、お伺いしたいこともできましたから」
「お伺いしたいこととは何でしょうか?」
「この目録に書かれている資料が見当たりませんでした。どこか別の場所で保管されているのではあれば問題ありませんけれど、紛失しているなら大変な事でしょう?」

 フランがざっと青ざめた。もし、魔術関係の資料ばかりがごっそりと誰かに奪われていた場合、図書室の片付けをしたわたしが一番疑われる対象になる。貴重本の棚にも鎖で繋がれた本にも被害はなかったので、そこまで悪辣な事をしていないと思いたいが、確認はしておいた方が良い。

「一日に何度も君の顔を見たくはないのだが……」

 目録を返したいと理由を述べて入室するや否や、ハァ、と疲れた溜息を神官長が吐きだした。わたしだって神官長の顔が見たくて来ているわけじゃないよ、と心の中で反論しながら、笑顔で目録についての礼を述べる。

「神官長、目録を貸していただけて大変助かりました」
「図書室の片付けは終わったのか?」

 予想以上に早かったな、と神官長が呟く。当たり前だ。貴重な資料をあのまま放置するなんてできるわけがない。

「第一次区分での分類は終わりました。第二次区分、第三次区分については追々やっていきます。ところで、これらの資料が見当たらなかったのです。神官長が別に保管しているならば、よろしいのですが、紛失や盗難ということになると問題があるかと思い、報告に参りました」
「それは私の部屋にあるから問題ない。……それにしても、マイン。君はあれだけの資料の中から、目録の資料がないことが何故わかった?」
「分類番号を振るために身構えていたのに、一つもなかったからです」

 それだけではなく、麗乃時代には見たことがない、本物の魔術関係の資料だ。ぜひとも読んでみたいと待ちかまえていたのに一つもなかったら誰でも気付く。
 それに、神官長はあれだけの資料と言うが、麗乃時代の記憶があるわたしにとっては、それほど多いとは感じなかった。

「分類番号とは何だ?」
「マイン十進分類法です。本を整理するために使うんです」

 そう答えながら、わたしは書字板を取り出した。中にはまだフランに見せるために書いた分類法が残っている。

「わたくし、魔術に関しては全く知識がないので、4自然科学に分類するか、5技術に分類するか、悩んでいまして、資料の内容を見てから決めようと思っていたのです」
「ほぉ……。これはなかなか興味深いが、君が考えたのか?」強力催眠謎幻水

 神官長が目を細めて、疑わしそうにわたしを見る。その疑いは正しい。わたしにこんな素敵な物が生み出せるはずがない。

「いいえ、メルヴィル・デューイさんのデューイ十進分類法を元に、色々いじった日本十進分類法を更にわたしがいじったので、マイン十進分類法なんです」
「メルヴィル・デューイ? どこの何者だ? 聞いたことがないぞ」
「もうお亡くなりになってますから、わたしも直接は存じません。そんなことより、神官長はどちらに魔術を分類しますか?」

 書字板を示しながら、わたしは神官長に魔術の分類番号について相談する。神官長は意外と真剣に考えているようで、「基礎魔術の部分は……」とか「いや、しかし、魔術具となると……」とか小さな呟きを洩らしながら、軽く目を伏せる。
 わたしがわくわくして答えを待っていると、ハッと我に帰ったらしい神官長がコホンと咳払いして、首を振った。

「資料によるとしか言えぬし、君が悩む必要はない」
「……何故ですか? 分類番号を振らないと整理できないのですよ?」

 首を傾げるわたしの前に、神官長がゆるりと周囲を見回して、コトリと盗聴防止の魔術具を置いた。わたしはそれを握って、神官長の言葉を待つ。

「魔術は貴族のみが扱うものだ。貴族院を卒業していない青色神官の目に触れさせるべきではないので、魔術に関する資料を図書室に置くつもりはない」

 なるほど、隠し部屋に積まれている資料が魔術関係に違いない。そう納得すると同時に、不思議になった。今の神官長の言い方では、まるで青色神官が貴族ではないようだ。

「貴族のみが扱うって……青色神官は貴族なんですよね?」
「正確には貴族の血を引き、魔力を持つ者だ。貴族院を卒業しなければ、一人前の貴族として貴族社会では認められない」
「あれ? でも、青色神官や巫女は貴族社会に戻っていったって……」

 実家に引き取られてから貴族院とやらに行ったのだろうか。孤児院や工房で灰色神官の前の主について聞いた話によると、貴族社会に戻っていった青色の中には成人していた神官や巫女もいたはずだ。印度神油

2014年11月3日星期一

旧知の再会

ここは【ヴィクトリアス】。『人間族ヒュマス』の王国である。


 居住区のある場所、隠れるような隅角にポツンと小さな小屋のような家が存在する。決して進んで住みたいと思わないほど小さな、そしてかなり年季の入った建物である。CROWN 3000


 周囲も草が生い茂り、もう何年も手入れなどされていないことは一目瞭然だ。そんな小屋に一人の老婆が住んでいる。


 彼女は街の大通りで占いが終わると、食糧を買い込んで小屋へと戻るのだ。そこでひっそりと時間を過ごすのだが……。


 いつものように買ってきたパンを食器に乗せて、グラスにミルクを注ぎ込み、ギシギシと音の鳴る椅子に腰かけると。


「こんな所にいたなんてね」


 子供のような甲高い声が背後から聞こえ、ハッとなって振り向く。そこには声だけで感じた通り子供が立っていた。


 しかし老婆はこれ以上開かないというくらい目を見張り硬直していた。


「ずいぶん探したよ。まさか人間王のお膝元にいるなんて思わなかったけど」


 老婆は諦めたように目を閉じて軽く息を吐き出す。そしてゆっくりと目を開け言葉を絞り出す。


「よくここが分かったもんさねぇ…………アヴォロスや?」


 彼が元魔王アヴォロスだということは承知している。そしてここにやって来た目的も大よそ見当はついていた。


 老婆がアヴォロスの背後に付き従っている黒衣のローブの存在を確認する。


「それが今のお前さんの駒かい?」


 部下とは言わない。この男が人を駒のようにしか扱えないことは百も承知だからだ。すると彼は楽しそうに笑うと、


「紹介しようかい?」


 うんざりするほど胡散臭いその笑顔。もう見たくなどないと思っていたが、ここで捕まったのなら下手に動かない方が身のためだと老婆は考える。


「いいや、そんなことより要件を言ったらどうだい?」
「フフフ、相変わらずせっかちだね。こうして久しぶりに会えたんじゃないか。昔話に花でも咲かせようとは思わないのかい?」
「そんな話をしに来たのかい?」
「…………ちぇ、ユーモアが分からないのは頂けないねぇ」


 大げさに肩を竦ませて溜め息を吐くアヴォロス。そして彼はもう一度確かめるように周囲を見回す。


「しかし、《先見せんけん》のアリシャともあろう者が、よもやこんなむさ苦しい所に隠れ住んでいるとはね……」OB蛋白痩身素(3代)
「その名で呼ぶでないさね。もう使ってはおらん」
「……そうか、そうだね。今はこう名乗ってるんだったんだね………………マルキス・ブルーノート」
「…………」
「それにしても、君が書いた本、アレは何だい? 余も一応目を通したけど……何の冗談だい?」


 それまで感じなかった殺気が、まるで針のように全身を刺してくる。思わずゴクリと喉が鳴るが、フッと殺気が止む。


「おっと、ごめんごめん。つい……ね。だってあの本、とても酷いよね。まるで主人公を馬鹿にしたような書き方だ」
「…………」
「君が何のつもりでアレを書いたのかは分からないけど、他にもいろいろ書いてるよね? いつから君は部外者になったんだい? あの事を知っている確かな生き残りのはずなのに」


 アヴォロスの目が細められる。まるで獲物を追い詰めて、後は狩るだけという意思が伝わってくる。


「……別に部外者を気取っとるわけではないさね」
「へぇ」
「あの事を知っているからこそ、ワシはペンを手に取っただけの話さね」
「何の意図があって?」
「話すとでも?」
「黙っていられるとでも?」


 またもアヴォロスから息詰まるような殺意が飛んでくる。思わず腰が引けるようになるが、負けじとガッシリと足で床を掴む。


 しばらく睨み合いが続き、アヴォロスは呆れたように頭を横に振る。


「やれやれ、強情なのは昔とちっとも変らないか」
「それはコッチのセリフさね。こんな老婆に向ける魔圧まあつではないさね」
「アハハ! 何を言ってるのさ! 老婆なのは見た目だけだろうに」
「…………」
「いつまでそんな醜い姿をしているのさ。それにその喋り方も。それとも今更恥ずかしくて素顔を見せられないのかい?」


 マルキスはジッとアヴォロスを見つめると、観念したように目を閉じる。そして懐から何かを取り出して口に含んだ。すると驚いたことに、シワシワだった肌から艶のある瑞々しい肌へと変化していく。


 白髪だった髪の毛も生気を取り戻していくかのごとく美しいダークブルーを備えた色へと変色していった。身長も伸びていき、スタイル抜群の女性がそこに現れた。


 若返り、と一言では表せないほどの変わり様だった。老婆だった先程の姿からは想像もできないほどの美貌と若さを兼ね備えたポニーテール美人が誕生した。


 そんなマルキスを満足気に見ているアヴォロスは、パチパチと手を叩く。福潤宝


「うんうん、やはり君はその姿じゃないとね。それでこそだ」
「…………」
「それでこそ、かつてアイツと余が一目を置いた女性だね」
「……言っておくけど、求婚はお断りよ」


 透き通るような美声が室内に響く。


「いやいや、今更そんなことしないよ。だって幾ら外見が若いからって、君も立派なお婆ちゃんだからね。余は若い娘が好きだし」
「あら、女性に向かってお婆ちゃんなんて言う人が若い娘を捕まえられるとでも思ってるのかしら?」
「ん~こう見えても結構モテるんだよ? 知ってるでしょ?」
「貴方こそ外見だけでしょうが」
「アハハ! 痛いとこ突かれたなぁ~」


 アヴォロスは外見だけなら老若男女を惹きつける魅力はあるのだ。しかし性格が見事に破綻している。


「さてマルキス……要件を伝えようか。余とともに来てほしい」
「お断りよ」
「アハハ! 断られるとは思ったけど、少しは考えてくれることを期待したのに」
「たとえ殺されても貴方とともにあることなどできないわ。それは昔言ったはずよ?」
「…………」
「貴方があの望みを叶えたいと言う限り、私は賛同することはできないわ」


 キリッとした表情でマルキスは言い放つ。するとアヴォロスは笑みを崩し、真面目な顔で口を動かす。


「どうしてもかい?」
「ええ、どうしてもよ」
「納得できるのかい? こんな世界でも……君は」
「もう二度と悲劇は繰り返したくないのよ」


 マルキスの決意を感じたのか、アヴォロスは「そう……」と言うと、少しだけ表情に陰りを見せた。


「私は私なりにできることをするわ。それが……償いでもあるから」
「…………たとえここで殺されても……かい?」
「ええ」
「ならこの国全ての命を天秤に掛けると言ったら?」


 ここにいる国民全員が人質だと、冷酷な笑みを浮かべて言葉を投げかけてくる。しかしマルキスは少しも動揺は見せない。


「それでもよ」


 意思は揺るがない。


「…………はぁ」


 するとアヴォロスは何を思ったか、急に踵を返し、部屋を出て行こうとする。本当に国民を始末しに行くのかと、さすがに顔を強張らせたマルキスだが、VIVID XXL


「……これから戦争を始める」
「……え?」


 ピタリと足を止めて急に何を言い出したのかと思いキョトンとなるマルキス。


「世界全土を巻き込んだ戦争をね」
「あ、貴方やはりまだ……っ!」


 アヴォロスは背中を向けたまま語る。


「憶えておくといいよマルキス……いや、アリシャ」
「……?」
「世界は必ず余が手に入れる」
「……アヴォロス」


 そして再び足を動かそうとするが、またもその前に言葉を向けてきた。


「君をここで殺しても良かったけど。君には間違いを正してもらいたいからね。余の方が正しかったと。だから最後まで君には生きていてもらうことにした」


 そして顔だけ少しマルキスの方へ向ける。


「じゃあねアリシャ、久しぶりに楽しかったよ。会えて良かったかどうかは別だけど」
「アヴォロス……」
「君に正解を見せてあげる。楽しみに待ってるといい」


 それだけ言うと、アヴォロスは黒衣の人物とともに部屋から去って行った。静寂だけが支配するその場で、マルキスはドッと押し寄せてきた疲労感で脱力した。


 よろめきながら椅子へと座る。全身にはビッショリと冷たい汗をかいている。これほどの緊張を覚えたのは久しぶりだった。


 ミルクを一気に飲み喉を潤すと、


「アヴォロス……」


 小さく呟く。


「貴方のやり方じゃ……駄目なのよ……」


 だがその思いは誰にも届きはしなかった。挺三天