2014年12月11日星期四

漁夫の利

ソラが窓から差し込む月明かりの中でアイスプラントを観察していると、豚親父を先頭に裏切りメイドのミナンと護衛二名がノックも無しに入ってきた。中絶薬RU486

「ソラ、話がある」

 開口一番、豚親父がソラの前に立つ。

「何でしょうか?」
「宝くじなる物についてだ」

 豚親父はチラリと彼の後ろに控えるミナンに視線をやる。
 ミナンは注意していなければ分からないほどの一瞬だけ顔をしかめたが、恭しく一礼してさりげなく顔を伏せた。

「あのメイドから話は聞いた。詳しく説明してもらおうか」
「子供の戯れ言、単なる思いつきです」
「それを話せと言うのが分からんのかっ!?」

 がめつい豚が怒鳴る。儲け話を前にじらされるのが我慢できないのだ。
 ソラは首を竦ませ、怯えた振りをする。嘘泣きするのも忘れない。

「分かりました。宝くじの詳しいやり方を話します」
「それでいい、早くしろ」

 促されるままにソラはやり方を説明する。
 木の板に番号を彫り宝くじの札にして、出来るだけ多く、広い範囲に売る。
 その後、札の偽物が作られるより早く札に彫られた番号を全て書いた的を用意し、衆人環視の中で射抜く。
 矢が刺さった場所に書かれた番号を当選とし、一等から三等までの賞金を用意する。

「後、札の値段は安くすべきです」
「何故だ? 高く売った方が儲けが大きいだろう」

 ソラの値段設定に豚親父が不満を漏らす。

「安ければ平民も買えるので、結果的に多くの札を売れます。それでも売れ残るでしょうけど」

 理由には不満気ながら納得の様子を見せる豚親父。

「よし、早速準備させよう。おい、そこのメイド、お前が責任者だ。任せたぞ」

 そう言って豚親父達は部屋を後にした。
 ミナンはまさか企画運営を任されるとは考えなかったため、困った顔で天井を仰ぐ。そして、運営メンバーを都合すべく早足で廊下を歩いていった。
 一人残されたソラは話し疲れた喉を癒すべく金属製の水差しを持ち上げる。良く磨かれた表面には誰に隠すこともなく満面の笑みを浮かべる幼い顔が写っていた。

「踊れ、踊れ。俺の手のひらで……っと、これでは俺が悪者みたいじゃないか」

 翌日、豚親父と顔面凹凸婆は王都へ旅立った。
 裏切りメイドのミナンは十五日で準備を整え、札を売り出す。掛かりきりだったためにソラの側付きが変更されたが、経験のある者はミナンとメイド長しか居なかったために新人から選ぶことになった。
 懐柔策の一つだろう、側付きはソラ自身が直々に選べるそうで、アイスプラントを持ってきた新人メイドのラゼットを任命した。
 ずっと部屋に引きこもっていた彼に付き添い、ラゼットも部屋に居続ける。
 実際にはラゼットが部屋に居ないことをソラ以外に知る者はいない。
 宝くじの札が完売した事を喜び、愉悦を浮かべたミナンが部屋を訪ねて来た時にも何とかやり過ごした。
 そして、六日目、ミナンは街の中央にて当選番号を決める射的を行った。宝くじの札が完売したにも関わらず、見物人はそこまで多くなかったとラゼットに聞いたソラは悪戯が成功した子供のように無邪気に笑った。

「今日の昼までの報告は終わりです」
「お疲れ様、ラゼット。今日はもう楽にして良いよ」

 ソラが労うと、新人メイドから側付きメイドに昇進した茶髪娘は途端に椅子に座り、体を弛緩させた。巨人倍増

「足が筋肉痛ですよ」

 ふへぇ、と気の抜けた声を出してラゼットは足を伸ばす。

「お側付きになってもお給金は雀の涙ですし、下っ端の方が良かったかもです」
「そう? ボーナスを出す予定だったけど」
「マジですかっ? ソラ様万歳! お側付きも悪くないですね」

 調子のいい娘である。
 苦笑するソラにラゼットは嬉しそうに手を出してきた。

「今くれます?」
「後にしろ。ボーナスは踊り子をやり過ごしてからだ」

 廊下を歩く足音が聞こえてくる。程なくして扉をノックする音が聞こえてきた。

「入っていいぞ」

 ソラが入室の許可を出すと、少し乱暴に扉が開かれる。

「失礼します」

 ミナンがソラを見て勝ち誇った笑みを浮かべる。楽しそうで何より。
 ラゼットはミナンから視線を逸らした。ソラの共犯者として少しは良心の呵責がある。

「ソラ様、宝くじとはやはり素晴らしい商売ですね」
「おめでとう」

 札を一定の数売り上げれば理論上は必ず儲けが出る。気軽なギャンブルなので売りやすいのも強み。宝くじはそういう商売だ。

「今回は木材の価格が高騰していたので大した儲けは出ませんでしたが、次はもっと上手くやりますよ」

 ミナンが帳簿をソラに突きつける。
 ソラの予想通り、利益は大したことがない。全て計画通りに進んだ証拠である。

「ほどほどにしておけよ」

 ソラの忠告を負け惜しみと取ったミナンが嬉しそうに笑う。
 二歳児に勝ったのがよほど嬉しいのだろう。

「ふふん。それでは失礼します。次の宝くじを企画しているので」

 彼女が部屋を出て行った後、廊下から高笑いが聞こえてきた。

「ラゼット、踊り子について感想をどうぞ」

 ソラが水を向けると、ラゼットは廊下の方を気の毒そうに見つめた。

「報われない苦労とも知らないで、ご愁傷様ですね」
「あいつが頑張るほど俺が目立たなくなるし、助かるけどな」

 宝くじに人手が必要だったためか、ソラが懸念していた監視も付けられていない。

「それは置いといて、ボーナスをやろう。ラゼット、余った木材を全部くれてやる」
「やった。売りに行ってきますね」

 ガッツポーズをしたラゼットは小走りで部屋を出ていく。
 ソラは今回の騒動で大人二十人を1ヶ月養えるだけの金額を稼ぎ出した。金額を先に見ると冗談とも思える簡単なカラクリで。
 まず、ソラはミナンに木の板を百枚入手させていた。その後、彼女は裏切って独自に宝くじを始めるわけだが、豚親父と共に詳しいやり方を聞きに来た。
 ソラは詳しいやり方として“札は売れば売るほど儲かる”と吹き込んだ。札を売るためには材料が必要で、材料は薪にも使う木材だ。
 しかし、木材の価格は元から高くなっている。豚親父の政策により、税として納められる木材がなくなり、備蓄が少ないからだ。
 そして、宝くじの札は偽造防止の為、木材の種類を統一する必要がある。複数の商会を回って買い付けるのは間違いないし、注文もするだろう。
 何故なら利益を上げるには“多く、広い範囲に”売らなければならないから。
 元々が供給不足の木材を一度で大量に買い上げれば、値上がりするのは当たり前。
 値上がりすると分かっているなら後は簡単。先に木材を買い占めればいい。
 ソラはミナンに裏切られた後にラゼットと出会い、すぐさま商会から宝くじの札にする木材を買い占めるように指示を出した。五便宝
 ただし、現物取引ではなく先物取引で、だ。
 木材を低い値段で翌日に買い取る旨を証書にしたためる。それをあちこちの商会向けに行い、買い取り時間をずらしておく。
 商人達は宝くじについての情報を知らないので簡単に乗ってきた。
 ミナンが木材の購入を行えば、ただでさえ少ない木材の備蓄がすぐになくなる。
 後はソラが木材の買い取り証書を売りさばくだけだ。高騰した木材との差額は彼の懐に入り、高くなった木材をミナンが買い取る。
 ソラと各商会がミナンの足下を見ながら価格を釣り上げたのと同じ事だ。
 木材の証書を売りにくるラゼットを商人達は皆バカにしていた。
 商人からは、クラインセルト家が木材の価格を釣り上げ自ら高くなった木材を買ったように見えるから、バカだと思ったのだろう。内部分裂を起こしているとは夢にも思わない。
 なにしろ、ソラは二歳児だ。家督争いを起こす年齢ではない。

「あと半年か」

 豚親父達がクラインセルト領に戻ってくるまでのタイムリミット。彼らが帰ってきたならば悪政に拍車がかかる。
 余裕がある内に少しでも領民の生活を改善しておきたいソラにとっては短すぎる時間である。

「まずは弱者救済だな」

 またこき使うことになりそうだと、屋敷の門を駆け足で出ていく茶髪頭を見送るソラだった。

捨てる神あれば拾う神あり。

 ソラの両親が屋敷にいた十日間に九人の使用人が“処罰”された。ソラが庇っていなかったら倍の人数が消えていただろう。
 もちろん、物理的に。
 元から勤めていた使用人の中で今も屋敷で働いているのは八人だけだ。
 更に、領民への税も三割増えた。いくつかの村が離散したからというのが建前だが、徴収した税金はとある司教へ、出世祝い金という名の賄賂に使われる。
 それらの事を自慢するように話す両親と同席するソラは痛む頭と増幅する殺意をおさえつつ、食卓を囲んでいた。
 油に砂糖をまぶしたような味がする料理の数々が机に並べられている。見るだけで食欲が失せ、食べれば吐き気がこみ上げる。そんな食事だった。

「ソラ、食べないのか?」

 豚親父が皿をソラに差し出す。ぶよぶよの手で皿を持ち上げ、上下させていた。
 その皿をパイ投げの要領で豚親父の顔面へ投擲できればどれほど幸せか、と考えるソラの敵意に気づいた様子はない。

「あぁ、その……。気分が優れないので」
「なに? ソラはまた体調を崩したのか。食事のたびにそれだな」

 豚親父が顎だか首だかわからない部分をこすりつつ、料理人に目をやった。

「コック、お前が出す料理のせいではないのか?」

 剣呑なその視線にコックが身を震わせる。
 そもそも、この油まみれの料理は豚親父の注文なのだが、記憶から綺麗に消えているらしい。
 激しさを増した頭痛を我慢しながらソラは口を挟む。

「お父様、そのコックを処罰する前に一つ試してみてはいかがでしょう?」

 コックは一縷の希望を託した視線でソラを見た。二歳児に向ける視線では決してない。

「ソラ、何を試すというの?」

 顔面凸凹婆がソラに聞く。その母親面に苛つきを覚える彼の心中を知るものはいない。
 ──てめえ等はパチモンなんだよ、自覚しろ。
 彼にとって、クラインセルト家当主夫妻は領民を苦しめる敵でしかなくなっていた。

「そのコックがもっとも苦手とする料理を作らせてみるのです。それを食べて美味しくなければ不合格でいいでしょう」

 両親が口を開くより先に件の料理人を厨房へ追いやったソラに豚親父が不満そうな顔を向ける。

「ソラよ。わざわざ不味い物を出させる必要はなかろう。さっさと殺してしまえばよいのだ」
「お父様、何も食べるのが我々だとは言っておりません。そこのメイドに食べさせましょう。平民の舌でも不味いと感じるならばそれまで、美味しいと感じるならば我々の舌が肥えすぎているだけです。我々の舌が肥えているだけなのにコックを処罰しては懐が狭いと思われます」三便宝カプセル
「ふむ。一理あるな。平民の舌がどれほど貧しいか、試してみるのも一興か」

 豚親父と顔面凸凹婆がニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべる。
 二人の隙を見てソラは側付きメイドに目線で謝っておいた。
 コックの料理が運ばれてきて、メイドが「美味しい」と感想を述べたことに大笑いした豚親父達はやはり平民の味覚はおかしい等と好き放題に言って食堂を後にした。
 なし崩し的にコックへの処罰は見送られ、犠牲者を出さずに食事は終わった。
 豚親父達は翌朝に王都へ出発する。
 “病弱な跡継ぎ”ソラは領地でお留守番である。
 テーブルを片付け始めた使用人達を横目にソラも席を立ち、自室へと向かう。
 この十日間、様々なことがあった。
 何人かの若いメイドが豚親父に襲われそうになったり、領主軍が村一つを奴隷化する計画を立てたり、顔面凸凹婆が『美人税』なる物を起案したり……。
 ソラの心労が蓄積していく日々だった。
 片端から阻止したお陰で使用人達から信頼され始めたのだけが救いだ。一部には不気味だと避けられているが……。

「ソラ様、素晴らしい助け船でした」

 後ろを歩く側付きメイドのミナンがソラをほめる。

「君には悪いことしたね。あのコック、本当に苦手な料理をだすんだものなぁ」

 得意料理を出せとは言わないが、もう少し器用に立ち回ってほしいものだとソラは苦笑する。

「えぇ、大変な味がしました。それはそうと、先日の頼まれ物が届きました」
「そうか。よくやった」

 ミナンの報告にソラはニヤリと悪ぶった笑みを返した。二歳児が背伸びしているような微笑ましさがある。

「あんな草をどうなさるおつもりですか?」

 ミナンの質問には部屋に入るまで無言を通す。
 空気を読めるメイドは彼に付き合って無言のまま部屋に入り、扉を閉めた。

「さて、ミナンの質問に対する答えだけど……きっと信じられないと思う」

 ミナンに向き直り、ソラは切り出した。
 なにしろ、これから話すのは数百年先の知識を複合したものだ。
 顕微鏡すら存在しないこの世界では確かめることができない知識もベースにしている。
 怪訝な顔をするミナンを椅子に座らせ、彼は計画の説明に移った。

「──と、今の所はここまでが限界だ。あまり派手にやると豚……お父様が喜ぶだけだからな」

 説明を終えたソラが締めくくると、ミナンは知恵熱を出した頭に手で風を送りながらため息を吐いた。

「正直、よく分かりませんでした」

 ミナンが疲れた声で感想を述べる。

「そうだろうね。理解できる人がいたら王都でも引っ張りだこだよ」

 ソラの立てた計画はこうだ。
 木の板を加工して札を作り、それで宝くじを行って資金を集める。
 集めた資金で食料を買い付けつつ、浮浪児を集めて海辺の廃村に住まわせる。ついでに集めておいた古着を着せて恩を売っておく。
 海辺の廃村にて浮浪児達に漁を教える。既に漁師を確保してあるから問題なく行えるだろう。
 ここまでの計画はこの世界の人々でも理解できる。宝くじのやり方は教える必要があったが、それだけだ。
 宝くじの原型と言われる富くじは江戸時代にもあったから、さほど難しいシステムではない。蟻力神

2014年12月9日星期二

銀の影さす

 アイクは大樹館を後にし、待たせていた馬車に乗る。
 すぐさま御者が馬車を進めた。

「商会長、首尾はどうでしたか?」
「残念な事に、交渉は決裂だよ」美人豹

 言葉とは裏腹に、アイクはにやにやと笑う。
 御者も似た笑みを浮かべて肩を竦めた。

「悪い人ですね。元々、子爵様の話を聞く気なんてなかったでしょう?」
「当然だ。どんな利益を提示されようと、やめられるはずがない」

 御者の問いに答え、アイクは腕を組んだ。
 カラカラと馬車の車輪が回る音が聞こえてくる。

「すでに引き返せる地点を過ぎている。ここで引けば、何人も解雇せねばならん」

 伯爵領の乞食共のせいでな、とアイクは吐き捨てた。
 当初の計画とは裏腹に、伯爵領の住民が転売目的で買い付けていくため、布の在庫を増やす必要があった。
 子爵領の住民がいつ大量に買い始めるか分からない状況で、在庫を切らす訳にはいかない。
 安値競争の相手であるロジーナ商会より布を多く確保しておき、子爵領民が布を買い始めた時、ロジーナ商会の客を一人でも多く奪うためだ。
 しかし、伯爵領の住民が布を買っていくため、ロジーナ商会の在庫の見当がつかなくなっていた。
 仕方なく、アイク商会は布の備蓄量を増やすが、ロジーナ商会も同様に大量に買い付けた。
 考える事は一緒、という所だろう。
 しかも、ロジーナ商会が買い付けた物は布だけではなかった。
 羊糸も買い付けていたのだ。
 布の製造から行う事で、僅かでも安く仕上げる腹積もりだったのだろう。
 アイク商会は出遅れたが、羊糸を輸入して布の製造を開始した。
 輸入した布には品質で劣ったが、それでも売り物になった。
 しかし、人が増えたため、人件費も増えた。
 人を雇えば、売上に関わらず決まった金額の給料を支払わねばならず、赤字に弱くなる。
 アイクは、安値競争に勝ったと思った。
 同じ事をしている限り、始めから多くの資金を持っている自分達が有利なのだ。
 もうすぐ、ロジーナ商会の商圏を奪えるこの状況で和解など、馬鹿馬鹿しくて笑えてくる。
 ロジーナ商会の資金も底を突きかけていると、先程のやり取りで見当が付いた。
 後は追撃に次ぐ追撃あるのみ。

「例の話を進めねばならん。早く帰るぞ」

 この一撃で相手は諦めるだろう、とアイクはほくそ笑んだ。


 同じ頃、ロジーナは馬の上で神経質に身体を揺すっていた。
 乗せている馬は慣れているようで、落ち着きのない乗り手を気にした様子がない。

「交渉は決裂、交渉は決裂、交渉は決裂……ッ」

 呟きながら親指を口元に持っていった時、ボロボロの爪が目に入った。
 癖で噛もうとしていたが、諦める。
 我慢したせいで余計に行き場のない不安で胸が一杯になり、振り払うように頭を振った。

「大丈夫、手は打ってある。早く進めれば、間に合う。まだ、間に合う」

 ぶつぶつと独り言を零すロジーナに、すれ違う人が怪訝な顔をした。
 キッと睨みつけると慌てたように去っていった。絶對高潮

「──ロジーナ商会長ですね?」

 聞き慣れない声で名を呼ばれ、ロジーナが怪訝な顔を向ける。
 そこには茶褐色の外套を羽織った男が一人、静かに佇んでいた。
 男は重たそうな眼鏡を人差し指で押し上げ、背中を向ける。
 ついて来い、と言いたいらしい。
 ロジーナはやや遅れて馬を歩かせる。
 しばらくして、どうやらクロスポートを出るつもりらしいと気付いたロジーナは、町を振り返りつつ口を開く。

「護衛を町に置いてきてるから──」
「時間の無駄です。後にして下さい」

 反論を受け付けるつもりはないらしく、眼鏡の男は歩調を緩めない。
 ロジーナは諦めて従った。
 クロスポートの外に出て、森に入る。
 少し開けた場所、倒木に銀髪の娘が腰掛けていた。

「ご機嫌よう」

 感情を含まない空虚な笑顔を浮かべ、銀髪の娘はロジーナを出迎える。
 ロジーナの顔を一目見ると、銀髪の娘は笑顔のまま口に片手を当て、首を傾げた。

「──あら、怖い。荒れてますのね?」

 鈴を転がすような明るい声で、銀髪の娘は面白がった。
 ロジーナは悔しさに顔を背ける。

「交渉は決裂よ」

 交渉において、ソラからいくつかの和解案が提示された。
 だが、アイク商会は条件を飲むつもりが最初からなかった。
 アイクのふてぶてしい顔を思い浮かべて、ロジーナは苛つく。

「でも、演技はしてきた。こちらが資金不足に陥っていると、アイク商会は勘違いしたはず」

 ロジーナが伝えると、銀髪の娘は笑顔のまま「よくできました」と頷いた。
 投げた小枝を犬に取りに行かせて遊ぶような、誘導する事を楽しんでいる動作だ。
 しかし、顔を背けていたロジーナは気付かなかった。

「アイク商会が勘違いしているのなら、必ず勝負を仕掛けてきます。付き合ってあげましょうね」

 銀髪の娘の言葉を聞き、ロジーナは不安そうに横目で睨む。

「本当に、大丈夫なのよね? 資金的な余裕がないのは事実なんだから、一刻も早く──」
「焦っちゃ駄目よ。アイク商会が攻勢を掛けてきた所を叩く計画なのだから、今は獲物の振りをしないと」

 銀髪の娘は両膝に頬杖を突き、諭すように言い含める。
 それでもロジーナの不安が消えていない事を察したのか、銀髪の娘は残念そうな声を出す。

「仕方がありませんね。近い内に会談の席を設けましょう。もちろん、秘密の、ですよ?」

 銀髪の娘の提案にロジーナはようやく人心地ついた。

二人の商会長

 アイク商会長は厳つい顔をした男だった。
 髪や整えられた髭は赤茶色で、やや日に焼けた肌も相まってお洒落な山賊のように見える。Xing霸 性霸2000
 続いて入ってきたロジーナ商会長は眼鏡を掛けた若い女だった。
 神経質そうな眼差しで部屋を素早く見回し、警戒している。
 ソラは二人に席を勧めた。
 ソラを合わせて三角形を作るように座り、先に口を開いた方が負けだとばかりに睨み合っている。
 ──かなり根が深そうだな。
 交渉が難航しそうな気配を感じ取り、ソラは内心でため息を吐いた。
 リュリュに目配せして、飲み物と甘い物を用意させる。
 険悪な空気が殺伐と呼ばれる域に辿り着く前に、ソラは口を開いた。

「アイク商会長並びにロジーナ商会長……双方とも個人名がそのまま商会の名前になっているのか。名前で呼ばせてもらうが、構わないな?」

 ソラの申し出にアイクが頷いた。

「もちろんですとも、子爵様に名前を覚えて頂けるこの機会を逃すはずはありません」
「そうか。では、遠慮なく、アイクと呼ばせてもらおう」

 ソラに名前を呼ばれると、アイクは厳つい顔に形ばかりの笑みを浮かべた。
 少なくとも、友好的な空気を作る手伝いはするつもりらしい。
 しかし、アイクに反して、ロジーナは眼鏡の奥の瞳に警戒心を露わにして、ソラを見つめるだけだった。

「アイク商会長と気安い仲のようですね」

 より力のあるアイク商会がソラを買収しているのではないか。
 そんな考えが透けて見えるロジーナの言葉に、アイクは余裕の表情だった。
 交渉の仲介役であるソラの機嫌を損ねれば、不利な条件を提示される可能性がある。
 子爵領主でもあり、一種の強制力すら持つソラに向ける態度としては不適当だ。
 ──妙だな。
 安値競争が続けば、規模が小さいロジーナ商会の方が不利になる。
 安値競争の早期終結を願うべきはロジーナ商会の方であり、その点ではソラと利害が一致していると考えていた。
 ──何か奥の手があるのか……?
 利害関係を考え直す事も視野に入れつつ、ソラはロジーナに笑顔を向ける。

「俺は君達の利益を守りつつ、仲を取り持つ役割を担っている。そのために、まずは俺自身が君達それぞれと仲良くならないといけないだろう?」
「……ロジーナで結構です」

 器を測るようにソラを見つめていたロジーナは、ぼそりと呟いて眼鏡のガラスを拭いた。
 眼鏡を掛け直したロジーナは、アイクに視線を固定した。

「アイク商会長、こうして顔をつき合わせるのは初めてですね」
「アイクと呼んでくださいよ、ロジーナさん」

 アイクが口端を上げ、軽い態度で返す。
 ロジーナは嫌悪の眼差しでアイクを睨んだ。

「冗談。後、気安く呼ばないで。虫酸が走る」
「ははっ、これは手厳しい。金が無いと余裕がなくなる典型例だ。そうはなりたくないもんです、ロジーナさん」
「ッ……誰のせいだと思って!?」

 机を叩いて立ち上がり掛けたロジーナだったが、アイクがソラを見てわざとらしく肩を上げ下げする姿を見て、口を閉ざした。
 失言に気付いたのだ。
 アイクが顎を上げ、ロジーナを馬鹿にするように見た。

「もう化けの皮が剥がれるとは、所詮は安物。金がないなら、無駄に虚勢を張らんようにしたらどうです?」WENICKMANペニス増大

 アイクが丁寧な言葉を使いながら、ロジーナを嘲弄する。
 ロジーナは歯を食いしばって、アイクを睨みつけていた。
 一連のやり取りから、ソラはアイクの能力評価に加点する。
 アイクはロジーナ商会の資金繰りが厳しい事を浮き彫りにしようと、挑発したのだ。
 ソラは同時に、ロジーナの能力に疑問符を付ける。
 ──いくら若いとはいえ、あの程度の挑発に乗るか?
 仮にも商会を束ねる地位にいるのだ。
 ソラは手元にある資料の内容を思い出す。
 ロジーナ商会は元は個人店舗だったものが、いくつかの店舗を取り込んで肥大化した中規模商会だ。
 押し上げた人物は先代の商会長だが、特別に目を掛けていた部下であるロジーナに後を託してすぐに隠居した。
 残された部下達が反対した形跡もなく、能力的には認められているはずだ。
 ソラは細めた目でロジーナを見る。
 ──演技、か。
 ソラは一つ咳払いして、アイクとロジーナの睨み合いに終止符を打つ。

「言いたい事は色々あるだろうが、我が家の使用人が盆を持って困っていてな。休戦してくれ」

 ソラの言葉に、二人の商会長が部屋の扉を見る。
 開かれた扉の横で、湯気の立つティーポットと果物の菓子を載せた盆を持ったコルが視線をさまよわせていた。
 アイクとロジーナが憮然として椅子の背にもたれ、互いを睨み据える。
 コルが両者の前にハーブティーと菓子を置き、そそくさと退散した。

「頼りなく見えるが、腕は確かだ。食べてみると良い」

 二人がまた喧嘩を始める前に、ソラは率先して菓子を口に運び、二人に勧める。
 二人が同時に菓子を口に含んだタイミングを見計らい、ソラは話し掛ける。

「アイクも、ロジーナも、トライネン伯爵領から布を輸入しているらしいな」

 菓子が口の中にあるため肯定も否定も出来ない二人の様子を気にせず、ソラは続ける。

「ベルツェ侯爵領からの布を輸入している商会が、我が領の北に幾つかある」

 トライネン伯爵領産の布は羊毛だが、ベルツェ侯爵領産の布は綿花や麻から作られている。
 動物性か植物性かの違いはあれど、布を輸入して販売している商会だ。procomil spray

2014年12月7日星期日

乙女たちの予感

ヒュン、と風切る音とともに、刃のきらめきが宙に踊ったかと思うと、風に運ばれてきた木の葉が細切れにされて跡形もなく散っていく。
 普通であれば、見事というほかはない光景なのだが、ひどく不満そうに眉を顰めて、マゴットはため息をついた。levitra
 彼女にとってその出来は、本来の力の十分の一どころか百分の一程度にしか思えなかったからだ。
 大きく膨らんだ腹に手をやり、その愛おしさにいくぶん表情を和らげたものの、人生を武で切り拓いてきたマゴットにとって自らの無力さは歯がゆくてしかたのないものであった。
 「銀光ともあろうものが、戦を前にしてこの体たらくとはねえ……」
 コルネリアスにも、いや、むしろコルネリアスだからこそハウレリアとの再戦が近いという情報はたちまちのうちに広まっていた。
 同時に、ハウレリアの第一目標はアントリムである、ということも。
 もしもマゴットの体調が万全であれば、彼女は今すぐにもアントリムに向かったであろう。
 愛する息子が置かれた状況の深刻さがわからないほど、マゴットは戦略にうとくはないのである。
 かつてコルネリアスが陥落の一歩手前までいったときよりも、現在バルドが置かれた状況は過酷であるとマゴットは確信していた。
 苦しみながら育てあげてきたたった一人の息子である。
 生まれたばかりのバルドを、その手に抱いたときの心を衝き動かす感動を、マゴットは片時も忘れたことはない。
 本能が確かに感じる血のつながり。
 戦いのなかで死ぬだけだと思っていた自分が、人の親になったのだという実感。
 そして愛するイグニスとの間に子供を為すことが出来たという安堵。
 そんな感情がないまぜになって、マゴットは声もなく哭いた。

 ――――自分はこの世に生まれるべきではなかった、と考えていたころもあった。
 だから持って生まれた名を捨て、マゴットを名乗った。
 自分が生んだ子供を不幸にしてしまうのではないか、という不安に眠れぬ夜を過ごしたこともある。
 イグニスの過剰なまでの愛情表現がなければ、マゴットはこの懊悩から解き放たれることはなかったであろう。
 まさに目に入れても痛くないほど可愛いバルドであったが、五歳になったある日、突然謎の高熱に倒れ生死の境を彷徨った。
 どうして病に倒れたのが自分ではないのか、理不尽な怒りを覚えつつ、マゴットは寝食を忘れてバルドの看病にあたった。
 奇跡的にもバルドは回復したものの、今度は三重人格となってしまった我が子にマゴットは内心で頭を抱えた。
 しかし禍福はあざなえる縄のごとしとはよく言ったものである。
 武将の前世を受け継いだバルドは、マゴットが驚愕するほどの武人としての素質を開花させた。中絶薬
 命よりも大事な可愛い息子が、同時に鍛え甲斐のある有望な弟子となったのだ。
 それからの親子の肉体言語による修行と言う名の会話は、マゴットにとって何にも勝る悦楽となった。
 育児に没頭しすぎて、バルドに続く第二子の誕生がひどく遅れたことからも、どれだけ彼女がバルドに夢中であったかがうかがい知れる。
 成長した愛息は、セイルーンとセリーナという嫁を迎え、母の手を離れた寂しさとともに、孫の誕生という、親ならば誰もが夢見る至福の悦楽をマゴットに期待させた。
 自分の手で鍛え上げるという楽しさから、少し離れた場所で、我が子の成長を見守るという楽しさを覚え始めた矢先でもあった。
 「バルド……」
 息子の強さを信じていないわけではない。
 あれはマゴットが知るかぎり、戦場でもっとも敵に回したくない有能な指揮官だ。
 問題はバルド自身の経験の少なさと、その手足となるべき兵の質と数である。
 幕僚となるブルックスやネルソンはいかにも経験が足らず、ジルコを中心とした傭兵あがりは経験は豊富だが忠誠心に疑問が残る。特に圧倒的な戦力差で侵攻してくるハウレリア軍を前にして、彼らが逃亡しない保証はどこにもないのであった。
 これまで気の向くままに殺しまくってきた兵士、暗殺者、傭兵……彼らの無惨な死に様が、今になってマゴットの脳裏にバルドの死を連想させた。
 自分が本来の調子でさえあれば、アントリムを勝利させることは無理でも、バルドを無事脱出させることぐらいはわけはないのだが……。
 「ふがいない……息子一生の危機に母として何もしてやれんのか」
 闇雲に剣を振りまわし、肩で息をつくマゴットを背後からたくましいふたつの腕が抱きしめた。
 「……気は済んだかい?」
 「済むわけがないっ! いいのかイグニス? あの子が死ぬかもしれないんだぞ?」
 一瞬、マゴットがバルドを殺す確率のほうが割と高かったんじゃ、とイグニスは思ったが、賢明にも口には出さず愛する妻を抱きしめるに留めた。
 「夜風はお腹の子に悪い……今は私に任せておけ」
 口惜しそうに唇を噛みしめる妻に、まるで舌先で舐めあげるようなキスをしてイグニスは微笑んだ。
 もちろんイグニスもバルドを無策のまま見捨てることなど考えてもいない。
 しかしアントリムの後、戦場になることが確実なコルネリアスの守備に手を抜くこともまたできなかった。
 いくら財政的に好転してきたとはいえ、戦争の準備には莫大な資金と人手が必要となる。
 そこでイグニスが頼ったのは親友であるマティスであった。
 マティスのブラットフォード子爵領はアントリムからほど近く、援軍を送りやすい状況にある。
 またかつての戦友として、マティスの優れた戦術手腕をイグニスは深く信用していた。
 ましてマティスにとってバルドは娘テレサをサンファン王国王太子妃に押し上げてくれた大恩人である。
 むしろ嬉々として援軍の整備を始めていた。RU486
 「今こそバルド殿に積年の恩を返すとき!」
 そう叫ぶマティスは十年ほど若返ったように見えたという。
 「マティスは領内全軍をあげて支援することを約束してくれている。マティスの弟のギーズ男爵も協力してくれるようだ。ハウレリアにしてもアントリムだけに全軍を差し向けられる余裕はあるまいよ」
 ハウレリアとしては、所詮アントリム侵攻は前哨戦であり、勝って当たり前の戦いである。
 逆侵攻の拠点となりうるアントリムを制して、コルネリアス攻略に本腰を入れるのがハウレリアの基本方針である以上、それほど多くの軍勢をアントリムに向かわせる理由がなかった。
 この時点でイグニスはアントリムの守備態勢が、ハウレリアで大いに警戒されていることを知らない。
 マティスと、その近郊の諸侯で数千の援軍を送ることができれば、あとはバルドの采配で十分に勝算はあるものとイグニスは考えていたのである。
 「甘い――――甘いよイグニス」
 力なくマゴットは頭を振った。
 初めて見る妻の弱々しい少女のような表情に、イグニスは困惑を隠せない。
 いつだって自力で道を切り開いてきたマゴットである。
 性格は可愛らしく乙女なところはあるが、根っこのところは間違いなく一個の美丈夫であった。
 そのマゴットが、身も世もなく無力な少女のように泣いていた。
 「私にはわかる……この戦の中心は間違いなくアントリムになる。下手をするとコルネリアスには様子見にすらこないよ。あれほど感じられた兵気が全く感じられないんだ」
 長年傭兵として戦争の最前線にいたマゴットには、理由はわからないが、不可視の兵気を察知する能力があった。
 戦役の当時、コルネリアスはまるで南方のサイクロンのように凶暴な兵気が取り巻いていた。
 しかし今のコルネリアスは晩秋の小春日和のように穏やかな空気に満ちている。
 対照的にアントリムを巨大な竜巻のように、悪意ある兵気が渦巻いているのがマゴットにはわかった。
 (バルド……無力な母を許してくれ……)
 下腹部に感じる確かな生命の鼓動も、マゴットにとって愛しいものであることに変わりはない。
 断腸の思いとともにマゴットはイグニスの胸にすがりついて慟哭した。


 「いい加減にしろ!」
 これほどバルドが声を荒げるのは珍しい。
 しかしその声にはどこか張りがなく、焦りのようなものが感じられた。
 「何と言われようと、うちらはこのアントリムから離れへん! こればっかりはバルドの言うことでもきけへんで!」巨人倍増枸杞カプセル
 「こればかりはセリーナに同意します」
 徹底抗戦の構えを崩さないセリーナとセイルーンにバルドはいらだたしげにテーブルを叩いた。
 「もうすぐこのアントリムは戦場になる! だから一旦王都に避難するように言ってるんだ! これは命令だ!」
 アントリム防衛の手は打っているバルドではあるが、それでも非戦闘員に不測の事態が生じることまでは防ぐことは不可能である。
 二人をアントリムから避難させたいというのは、バルドなりの二人に対する愛情の発露でもあるのであった。
 「なんと言われようときけんものはきけへん。うちらだけ安全な場所に逃げるとかありえへんわ」
 「無理やり言うことをきかせようとしても無理ですよ。女たちの連携を舐めてもらっては困ります」
 暗に協力者を匂わせるセイルーンの言葉に、バルドは頭をかきむしって顔を歪めた。
 開戦を控えたアントリムでは猫の手も借りたいほどの人手不足である。
 仮に二人を避難させるとしても、まさか供も付けずに放りだすわけにもいかず、二人が抵抗するならば少なくない兵を同行させなくてはならない。
 しかも供の女性が二人に協力するとなると、安全に二人を隔離することは事実上不可能であった。
 「お諦めください、ご当主様。お二人がいやだと言っている以上、時間の無駄です」
 親の仇でも見るように睨みつけられてもアガサは飄々と受け流した。
 セイルーンやセリーナと違い、アガサはバルドの秘書長としてアントリムに残ることがすでに決定している。
 それはアガサの手腕がアントリムの行政能力の維持に必要なこともあるが、彼女のためにランドルフ家の援軍を引き出すための餌でもあるのであった。
 アガサをランドルフ家に帰してしまっては、援軍をもらう大義名分が成り立たないからだ。

 自分でも我がままを言っていると、セイルーンもセリーナも自覚していた。
 二人の脳裏に思いだされるのは、かつてコルネリアスでトーラスに捕らえかかったときの情景である。
 あの日自分たちの存在が、バルドの足でまといになってしまったのを忘れたことはない。
 それでもなお二人は、バルドのもとを離れることを心のどこかで拒否していた。
 女の本能と言い換えてもいい。
 バルドから離れてはいけない理由がある――――。
 説明のつかぬ確信であるだけに、二人はそれをバルドに告げるわけにはいかなかった。
 「式は挙げていなくとも心は妻や。夫の留守は守らせてや」
 「……です」
 往々にして女たちの連帯に男は無力だ。
 三人の妻と、その配下の部下たちの連帯を前にして、ハウレリアも恐れるバルドに為す術はなかった。三便宝

2014年12月4日星期四

風呂と水着と

西区。湾港やスラムが存在する、タームウィルズでも比較的治安の悪い地域だ。シーラとイルムヒルトが口にしていた孤児院もここにある。
 と言っても、孤児院はスラムや湾港からは割と離れているし、西区の中にあっても落ち着いた場所ではあるだろう。巨人倍増

「お二人は、その孤児院とどういう関わりを?」

 馬車の御者席に座っているイルムヒルトに尋ねる。俺やアシュレイが身元の保証をするにしても理由というか名目が必要なのだ。この場合、身の周りで働いてもらったりするのが解りやすかろうと言う事で、こういう形に落ち着いた。

「昔お世話になってね。そのよしみで差し入れを持って行ったりしていたら、子供達に懐かれてしまったの」
「それじゃギルドに閉じこもっていたというのは、割合苦痛だったんじゃないですか?」
「ええ。久しぶりに外に出れて、本当に嬉しいわ」

 ありがとう、と彼女は嬉しそうに微笑みを浮かべた。
 馬車は西区へと続く道を進んでいく。段々……馬車の揺れが激しくなってきているな。舗装が雑になって来た感じがするというか。

「やっぱり巡回が多い」

 イルムヒルトの隣に座ったシーラが、肩越し振り返りながら呟く。その視線の先には巡回の兵士達の姿があった。確かにここに来るまでに、何度か同じような巡回とすれ違ったからな。

「んー。そうねぇ。いつもは西区にはあまり来ないのにね」

 ……魔人事件の一件以後、ということになるか。
 外部から来た不審者が潜伏に向くとしたら西区という発想なんだろうが、そもそもカーディフの屋敷に魔人がいた事を考えると、今更という気もする。

 馬車はやがて大きな中庭のある、西区にあっても比較的しっかりした建物の中に入っていく。

「あ、イルムだ!」

 厩舎に馬車を止めて中庭に戻ってくると、そんな子供の声が響いた。

「え、イルムお姉ちゃん!?」

 すぐに他の子供達がその声を聞きつけて、建物の中から出て駆け寄ってくる。獣人族やエルフなどの他種族の姿も結構な数が見られるようだ。見た感じ、イルムヒルトは大分慕われているようだな。
 子供達の様子をざっと見てみるが――不自然に痩せているとか、着ている物が粗末、とか、そう言う事は無いようだ。VigRx

 ここの孤児院は月神殿が主体になって運営しているらしい。西区に作ったのは、地価が安いのとは無関係ではないだろうが、それでも立地条件は絞っているようだ。
 だから子供達の生活は質素ではあるかも知れないが、衣食住と言った環境に関してはある程度の水準を保ってはいるようである。

「お兄ちゃん達、誰?」

 と、他の子が首を傾げて尋ねてくる。

「えっと。イルムヒルトの友達、かな?」
「そうなんだ! よろしくね、お兄ちゃん!」
「ん」

 手を差し伸べてきたので握手で応える。

「どうしたのです。みんなそんな集まって」

 建物の中から月神殿の法衣を纏った初老の女性が出てきたが、人だかりの中心にイルムヒルトがいる事に気付いて表情を明るくした。

「まあ、イルムヒルト!」
「ご無沙汰してます、院長」



「美味しい!」

 ウィスパーマッシュの料理を食べた子供が嬉しそうに明るい笑顔を見せる。
 俺達が孤児院に付き添って来たのは、ウィスパーマッシュが余り過ぎたからだ。乾燥させれば保存も利くが、毎回食卓にのぼるのもどうかと思ったので、ソテーやら素揚げやらスープを作って、孤児院の子供たちに振る舞う事にした。孤児院の職員達にも手伝ってもらって、立食パーティーである。

「グレイスは、どう? 落ち着いた?」
「――はい。お見苦しい所をお見せしました」

 と、口元を押さえながら苦笑する。

「イルムヒルト、あなたはこれからどうするの?」

 院長とイルムヒルトが話をしている。
 イルムヒルトは昔からラミアである事を隠してきたそうだが、院長が既に知っていたのかはどうかは2人の話からは解らない。
 発覚してしまったからには孤児院の者達の耳にも入っているのだろうが、少なくとも院長の対応はイルムヒルトに対して当たりの厳しいものではなかった。

「んー。冒険者稼業を続けられたら、と思いますが、私の希望だけじゃダメみたいなんです」

 問われたイルムヒルトは小首を傾げる。彼女自身の希望としては今までのように外で実力をつけてからではなく、普通に迷宮に潜りたいのだろう。五便宝
 魔人と月光神殿の事もあるのでその希望通りにするのはやや難しい立場になってしまったが、俺やアシュレイが責任を持てばその話も変わって来る。

 手に入る素材やレベリングのしやすさの関係から、宵闇の森での採集と狩猟をメインに据えて行く予定なので、彼女がそれに付いてこられるだけの実力があれば、と言う感じか。そうでなければイルムヒルトには家事を手伝ってもらうか、ギルドで他の2人と治療班に専念してもらう方向になるのだろうが。

 まずは一緒に迷宮に潜って、話はそれからだ。イルムヒルトには弓矢が必要だろうから、買物に行かなければならないだろう。

「テオドール様でしたかしら? シーラとイルムヒルトの事、どうか、よろしくお願いしますね」

 と、院長に頭を下げられてしまった。

「解りました」

 話が纏まった所でイルムヒルトは一旦席を外すと、どこからかリュートを持って来て膝の上に抱えて奏で始めた。
 イルムヒルトはドミニクやユスティアに比べると一歩劣ると謙遜してはいたが……楽器を演奏する事そのものは好きなのだろう。目を閉じて、口元に笑みを浮かべ、ほっそりとした指先が弦を擽るように動くと、幽玄というか素朴というか。味のある音色が食堂に広がって行く。
 今回は呪曲というわけでなく普通の演奏だ。さっきまで騒いでいた子供達も静かに聞き入っていた。

 うーん。リュートに竪琴、ね。
 彼女の武器に関して……少々面白い趣向を思いついた。迷宮に同行する時までに用意できるよう、早めに手配してみるか。



 孤児院を出てから、諸々買物をして回って、家に帰って来た。
 イルムヒルトはまだギルドの預かりなので冒険者ギルドへ戻り、シーラは西区にある、自分の塒に帰っていった。
 今後イルムヒルトの事が周知と根回しが出来れば、あの2人は一緒に住んだりする、のかな?
 俺は俺で、風呂に入ってのんびりしている最中である。

「テオ、お背中お流ししましょうか?」

 脱衣所の向こうから、そんなグレイスの声が掛けられる。

「んー……それじゃ、よろしく頼む」

 何となく、今日はそんな事を言ってくるんじゃないかと言う気はしていた。衝動は主に食欲であったが、吸血鬼側に振れたのは間違いないのだし、その解消は必要だろう。

「それじゃあ、失礼します」

 言って、グレイスが浴室に入ってくる。いつものメイド服姿ではない。海に行く時用に購入した水着を着ていた。三便宝カプセル

「あ、テオも水着だったのですね」
「うん。まあ。水に濡れても良い服だし、折角だから」

 どうせ海に行くなら釣竿や水着が必要だろうと買ってきたのだ。
 地球側(あっち)の歴史で水着の登場が何時頃の物なのか俺は知らないが、こっちの世界ではこれが結構普通に売っていたりする。

 というのもマーメイドやセイレーンと言った友好的な水棲の魔物と、ある程度交流があるからだ。要するに水着だなんて言ってはいるが……彼女達の普段着を流用したりして、人間に使いやすいようにしたものと言う事になるだろうか。

 これらは水蜘蛛の糸を使って人魚達が編んだりする、らしい。BFOでは上のランクになると水魔法耐性が相当高い防御結界などを持つ物が出て来たりするが、今はそこまで望むべくもない。

 かくいう俺も、今はトランクスタイプの水着を着用している。
 ……水に入る時用の服と言う事で、グレイスがしきりに感心していたからな。
 衝動の解消ついでに水着を試してみたくてお風呂にやって来そうだな、と予期していたわけで。
 グレイスの水着はツーピースの、腰にパレオを巻くタイプのものだ。

 それほど露出の多い水着ではないが――胸の大きさはしっかり解るし、透けるような白い肌だとかくびれた腰回りはやっぱり目に毒である。
 細い肩や小さな臍、それから脚線の滑らかさとか――ああいや……墓穴を掘るからあまり考えないようにしよう。前のように背中を向けて、無心で背中を洗い流してもらう事にする。

「折角ですから、アシュレイ様も呼びましょう。これからは一緒にお風呂に入るのも良いですね。魔石の消耗も減って経済的です」

 と、グレイスが嬉しそうに言った。いや、それは……どうなんだ。どうにも、墓穴を掘った気がしなくもないが……。
 いや、待て。水着ぐらいで取り乱すな。落ち着け、俺。一緒にプールに行くような物じゃないか。

「失礼します」

 グレイスが呼び掛けると、アシュレイも水着に着替えてやって来た。

「この水着、可愛いくて好きです」
「テオが選んでくれた物ですからね。大事にしましょう」
「はいっ」

 選んだと言うか……意見を求められただけだけど、な。
 ……ちなみにアシュレイの水着はワンピースで、胸と腰の辺りにフリルがついている大人しめなデザインである。
 あんまり過激なものにしなくて、本当に良かったと思う。蟻力神

2014年12月2日星期二

薬と香と

『マルコム卿の件、委細承知。いずれマルコム卿とは話し合いの機会を設けたく。尚、現状では侯爵領の領民に変化があったとは報告受けておらず。緊急時は折り返し連絡するが、領民についてはこちらに任されたし』levitra

 通信機にあったそんな返信は、父さんからのものだ。ノーマンがやらかしている可能性が高くなったと言えるか。

 俺は俺で工房で大鍋をかき回して胃薬の調薬中だ。
 ローズマリーの言う所によると効能は中々だがレシピは別に貴重ではない、との事である。マルコムの事を話すと、いっそレシピごと渡してしまえば後々面倒が無くて良い、と言っていた。
 というわけで、調薬は第三者に任せても良かったのだがローズマリーからもらったレシピが、案外難易度が低い物だったので、折角なら自分で調薬経験も積んでおこうと思ったのだ。

 まあ、それでも胃薬という日常でも役に立ちそうな薬だ。身に付けておけば何かの折りにという部分はある。材料も市場で揃う程度のもので、そんなに金もかからなかった。

 今後のマルコムの事を考えるなら、確かにレシピと原材料から調薬出来る環境を整備しておいた方がいい。余り金を掛けず、タームウィルズでも侯爵領でも薬を調達出来るというのが理想だろう。

「こんな所かな」
「結構作りましたね」

 イルムヒルトの新しい防具の寸法を見ていた工房お抱え鍛冶師のビオラが、こちらを覗き込んで言う。

「大鍋に入ってるから量が多く見えるだけだよ。保存出来るようにするには水気を飛ばして乾かしてから、すり潰して粉薬にする必要がある」
「じゃあ、そっちのすり鉢ですり潰しているのは?」

 アルフレッドが首を傾げる。机の上ではゴーレムが並行作業ですり鉢をかき混ぜている。

「何だか良い匂いがする」

 シーラが窓の外でこちらを気にしている様子が見て取れた。
 風魔法でカーテンを作って香気をあまり漏らさないようにはしているのだが、シーラには察知されてしまうようだ。工房の中庭では並行して戦闘訓練を行っている。今日はマルレーンの操るソーサーとの連携を模索しているようだ。マルレーンは真剣な表情でソーサーの制御に集中しているようである。

「そっちのは香料。蝋と混ぜて芯を入れて蝋燭の形にすれば、灯しておくだけで鎮静効果を得られる」三鞭粒

 こちらは胃薬と並行して使用してもらう為にと言った所だ。
 混乱、錯乱、恐慌と言った状態異常に対して効果のある香料である。本来は小瓶から嗅がせる事で状態を正常に戻すという使い方をする静心香という道具だ。これは薄めてアロマキャンドルに仕立てる事で、日常で使えるようにする狙いがある。

「薬香か。君も色んな物を作るね」

 アルフレッドが苦笑する。
 胃薬の方は次の工程に入った。水魔法で大鍋から水分のみを奪っていく。後は残ったものを細かくすり潰せば完成である。一応、完成したら試飲しておくか。

「後でマルコム卿の所に届けてくるよ。父さんの返事も伝えておきたいし」
「分かった。僕はこのまま魔道具の調整をしているよ」
「みんなもこのまま訓練を続ける予定だから……警備の方は大丈夫かな?」

 今日はアルフレッドの婚約者である、オフィーリア嬢も工房に顔を見せているのだ。中庭にテーブルを出して訓練の様子を見学している。

「……アシュレイ様、いつもこんな大変な訓練をなさっていらっしゃるのですか?」
「今日はテオドール様が調薬中ですから、比較的静かな方だと思います」
「そうなのですか……。テオドール様は一度フォブレスター侯爵領に招待して、騎士団を鍛えて頂きたい所ですわ」

 オフィーリアは……交代で休憩に入ったアシュレイと雑談中のようである。
 顎に手をやって頷いているオフィーリアを、アルフレッドは穏やかな目で眺めてから言う。

「そうだねぇ。午後になったらタルコットも門番に来るそうだし。今、タームウィルズの中でも工房に詰めている戦力が一番厚いんじゃないかな。だから、僕とオフィーリアの事は気にしなくても大丈夫」
「ん、了解」

 タルコットは今、ペレスフォード学舎に真面目に通っているらしい。非常に地味な訓練も文句1つ言わずにこつこつやると教師陣の間ではタルコットを見直す声が多いとか、ロゼッタから聞かされている。

「そう言えば、タルコットにも片思いの相手が出来たらしいよ」
「へえ。相手はどんな子?」

 型に流し込んだ蝋燭を、水魔法で冷やして固めながらアルフレッドと雑談する。

「ペレスフォード学舎に通っている魔術師見習いの子だそうだ。タルコットが基礎を真面目に頑張っているのを見て、感銘を受けたそうだ。ちょくちょく話をしているのを見かける」
「なかなか良さそうな相手だね。ええっと。タルコットの過去は?」威哥王三鞭粒

 タルコットは一度婚約者に怪我をさせてしまって破談になってしまっているんだったか。
 没落したカーディフ伯爵家というのも、あまり良い材料ではあるまい。その辺の事を乗り越えられると良いんだが。

「知っているみたいだ。元々没落した準貴族の家の子らしくて。そういう所で、タルコットを理解してくれてるんじゃないかな?」

 そうか……。上手く行くと良いな。



 粉薬を詰めた瓶と蝋燭を詰めた箱を持って、飛竜に乗って王城へと向かう。
 マルコムが普段詰めているのは、騎士の塔の近くに建つ、東の塔という事になる。東の塔は所謂お役所的な機能を集めた場所だ。王城で働く役人や法衣貴族達が実務を行っている場所でもある。

 東の塔に入って行くと、入口を入ってすぐに受付と思われるカウンターがあった。

「今日はどういったご用件でしょうか?」

 受付嬢はカウンターの前に立った俺の姿を認めると声をかけてくる。

「失礼。テオドール=ガートナーと申します。マルコム=ブロデリック卿に渡しておいて頂きたいものがあるのですが」

 名乗ると、受付嬢が目を見開く。

「い、異界大使様であらせられますか? お顔を存じ上げずに大変失礼いたしました!」
「ああ、いえ。王城にはあまり顔を出さないのでお気になさらずに」
「は、はい」

 受付嬢が血相を変えたので手で押し留める。

「マルコム卿にお伝えして参ります」
「急ぎの用ではありませんので。この後、王の塔に報告に上がる予定ですし」

 と言ったものの、受付嬢としてはすぐにマルコムに知らせに行ってしまうのだろう。マルコムにしろ受付嬢にしろ、忙しい中あまり気を遣わせるのは本意ではない。
 薬の使用についての注意点はレシピを書いた紙に記してあるから渡してもらえればそれで用事は事足りてしまうのだが。

「ええと。マルコム卿には後日取り次いで頂く形で結構ですよ」
「でしたら、王の塔には私どもが連絡をして参ります。迎賓館でお待ちいただければマルコム卿の予定もお伝えできるかと」威哥王
「よろしくお願いします」

 使用人にそのまま案内され、迎賓館の貴賓室らしき部屋に通された。
 使用人の淹れてくれたお茶を飲んで暫く待っていると、マルコムが部屋にやってきた。

「これはテオドール様、大変お待たせしました」
「マルコム卿……。お仕事の途中だったのでは?」
「いえ。お気になさらず。丁度仕事も一区切り付きましたので」

 うーん。と言っているがどうなのやら。却って申し訳ない事をしたかも知れないな。

「薬を運んでいただけたという事ですが……」
「調薬してきました。薬効や注意点も紙に書かれています」
「た、大使殿が調薬を? ですが、その……。ただで受け取るというのは」

 マルコムには些か戸惑っている様子が見て取れた。
 その気持ちは分かる。あまり貸しばかり作るのは健全ではないし。ここはある程度ビジネスライクに行くか。

「分かりました。一応試していただいて効果があれば代金を頂くという事でどうでしょうか?」
「……重ね重ねのご厚意感謝いたします。大使殿」

 マルコムは表情を明るくすると深々と頭を下げてくる。
 とりあえず、使用上の注意や用量、用法などについての説明をつらつらと続ける。紙にも注意点は書いたが、アレルギーの類はないかなど最低限の問診らしき事だけはしておく。

「僕としても試作品なので――ああいえ。自分で試して安全性は確認してありますが。修行の一環ですから。それほど重く受け止められる必要はありません。薬香の方は後で感想をお聞かせいただければ」
「必ずご報告いたします」



 薬の使用についてはどうやら問題無さそうだ。マルコムにはどうやら殊の外感謝されたようである。
 仕事の途中で抜け出させる形にしてしまった所があるので、迎賓館の前まで見送って行く。

「連絡に来た使用人と行き違いになってはいけません。この辺で結構ですぞ」
「そうですね。では、今日の所はこの辺で――」

 と、練兵場前の広場で会話を交わしていると、そこに誰かが近付いてきた。
 俺とは面識がないが、その男を認めたマルコムの反応と、その顔立ちの面影で誰であるかの見当はつく。
 男はマルコムに向かってにやにやと笑みを浮かべて、言った。

「やあ、久しぶりじゃないか兄上」

 ノーマン=ブロデリック。登城してきたようだが……一体何の用で王城に来ているのやら。MaxMan

2014年12月1日星期一

どうもチートをくれるらしい

「酷く面倒なことに巻き込んでしまって申し訳ありませんが、了承して頂いたこと、誠に感謝致します、蓮弥さん。」

 深々と頭を下げる幼女。
 こういう時、幼女の外見というのはどうにも困ったものだよな、と蓮弥は思う。
 別に悪いことをしているわけではないのに、なんとなく幼女に頭を下げさせている自分が何か悪いことをしているような気分にさせられるからだ。中絶薬

 「ああ、別にいいから頭を上げてくれ」

 声に少々の焦りが出てしまったのも仕方のないことだと言えるはずだ。
 幼女は、さらに深く頭をさげてからゆっくりと顔を上げる。

 「本当にすみません。蓮弥さんに断られたらまた別の適合者を探す羽目になるとこでした」

 とっても大変なお仕事なんですよーと言う幼女に、蓮弥は興味を引かれて尋ねてみた。

 「ちなみに、適合者がいる確率は?」

 「5,630,000,000分の1人です」

 さらりと言い切られた数に、蓮弥はまたため息をつく。
 数から言えば、地球上に一人しかいない確率であり、随分と低い確率の貧乏くじを引かされたものだ、と思ってしまったからだ。

 「それで、どういう感じでそちらの世界に送られるんだ? もしかして生まれた所からやりなおす感じか?」

 それは勘弁して欲しいなという思いを、匂わせるように蓮弥は言う。
 今までの記憶がないので、今更と言うのも違う気はしているが、赤ん坊から幼児の時代をやり直すというのは、どうにも気が乗らない。
 さらに、この精神のままで赤ん坊をやることになったら、恥ずかしさだけで死ねる気がする。

 「輪廻のシステムに流そうとすると、あちらの管理者の権限で弾かれる可能性がありますので、私の力で強引に世界に割り込みをかけます。ですので、生まれなおしという事にはなりませんね。あちらで死んじゃった場合は自動的にまたここに来れるように設定しますので、次の転生先はご希望に沿った形にさせて頂きます」

 送り込まれたら、その送り先に延々居続けなくてはならないということではないようなので、その点に関しては蓮弥は安心した。
 話を聞く限り、あまり長居したくなるような世界ではなかったからだ。

 「戸籍なんかに関しては、迷い人である、と言ってもらえればあちらの世界の住民に通じますからご安心を」

 「なにそれ?」

 「別の世界から迷い込んだ人達と言うのが、この世界には結構いたんですよ。世界自体が不安定なせいで、偶発的に他の世界への亀裂が開くことが多かったんです」

 「壁を越えるのに適性云々って話はどこに?」

 「穴に落ちるのと、壁を越えるのを同一にされては困りますよ」

 蓮弥に見せるために開いていたウィンドウを指の一振りで消し、幼女は別のウィンドウを開く。

 「あ、さて。一度あちらに行ってもらうと、数十年くらいはあちらで暮らしてもらわなければならないわけですが、それに先立って、この神である私より、恩恵を差し上げようと思います」

 神と言う単語に、妙なアクセントをつけられて、蓮弥はぽんと一つ手を叩いた。

 「そう言えば神様なんだっけね」

 「わーすーれーなーいーでー! そこ大事なトコですよ!?」

 「いやだって、そんな格好だし、神々しさとかからかけ離れてるし」

 指摘されて幼女は、少し悔しそうに唇をかんだ。
 何か触れてはいけない部分に触れてしまっただろうか、と内心ややあせる蓮弥に、少女が呟く。

 「庇護欲とかを誘う為に、華奢で弱弱しい格好を選択したのが裏目にでるとは……」

 「計算づくかよ」RU486

 向ける視線が冷たくなるのを抑えられない蓮弥だったが、幼女は握りこぶしを固めて、力強く言い放つ。

 「しょうがないじゃないですか。人間どこまできれいごとを並べても結局第一印象は外見なんですよ。イケメンが女性の肩を抱いても問題にはなりにくいですが、ブサのヲタが同じ事をしたらセクハラとか強制わいせつとかで通報されるのが現実でしょうが?」

 「事実だが、ほっとけ! それより恩恵だろ!? 何かくれるんだろ!?」

 このままこの幼女のしゃべらせていたのでは、非常に不味い気がして蓮弥が遮るように口を挟むと、幼女は握りこぶしを解いてぽんと一つ手を叩いた。

 「そうでしたそうでした。まず私から差し上げる恩恵の一つは<わかさ>です」

 「……原発のある……」

 「それは若狭。これから異世界に行くのに、日本の土地もらってどうするつもりですか」

 ボケた蓮弥に、呆れて突っ込む幼女。
 蓮弥からしてみれば、毒を多量に含んだ台詞を所々で吐き散らす幼女に、たまにはツッコミ役を担当して欲しいという思いからのボケだったが、幼女の投げやりな口調からしてあまり効果の程はなかったらしい。

 「若さですよ! 94歳のおじーちゃんだった貴方を、私の力で18歳くらいのぴちぴちした体にして差し上げます」

 「94歳の体で送られたほうが、すぐ死んで転生できる分、いいんじゃないか?」

 どうせリソースを添付されて、それを異世界に届けた時点でお役ごめんなのだから、長生きする必要もないじゃないか、と蓮弥は思った。

 効率的と言えば効率的な提案だが、あまりに枯れた意見に幼女の口が開いたままふさがらなくなる。

 「別にそちらですることもないんだろう?」

 「そ、それはそうですが……。これから行く世界は所謂、剣と魔法の世界ですよ? 冒険のネタがゴロゴロ転がってて一攫千金に、ハーレム作成も夢じゃない世界ですよ!? 何を枯れたススキみたいな、爺臭いこと言ってるんですか?」

 「いや、ススキかどうかは別として、元々爺なんだが、俺……」

 94歳だしな、と蓮弥が言うと、幼女は二の句が継げなくなる。

 「え?あー……。うーむ……」

 開いたばかりのウィンドウに指を走らせて幼女が考え込んだ。
 半透明ではあったが、微妙に見えづらいもので、ちょうど蓮弥の側からはそのウィンドウに何が書かれているのか見ることができない。
 しばらくウィンドウを操作していた幼女は、何か目的のものを見つけたらしく、ぱっと顔を輝かせて蓮弥の方へ向き直った。

 「蓮弥さん、実はあちらの世界には、蓮弥さんがいた元の世界にはなかった、美味しい食べ物が結構な数あります」

 「ほぉ?」

 言われて蓮弥は幼女が何を探していたのかを察した。
 おそらくは、自分にある程度、やる気と言うか生きる気を起こさせるための情報を探していたのだろう。
 生前の記憶に関してはかなりの部分をすっぽりと忘れてしまっている蓮弥であったが、美食と言う単語には、抗いがたい誘惑を感じてしまっていた。
 きっと自分は、生前は食べることを趣味としていたのだろうと蓮弥は推測する。

 「当然ですが、美味しくて安いものもあれば、目の玉が飛び出るくらいに高くて美味しいものもあるわけです。これらを味わいつくすためには大量のお金が必要です。大量のお金を稼ぐ為には94歳のおじーちゃんでは無理です」

 ぐっと拳を握り締めて幼女が力説する。

 「一理あるな。ノせられてやろう。それならば若い体で行くことは問題ない。それで本音の部分はどうなんだ? 隠し事はタメにならんぞ?」

 「蓮弥さんの魂に添付するリソースの拡散に数十年かかると思われます。ぽいしたらおしまいという類のものではなく、死体からはリソースの拡散は行われませんので、可能な限り長生きして頂けると神としても助かるかなーって思う次第です、はい」巨人倍増枸杞カプセル

 蓮弥に問われると、意外とあっさりと幼女は本音を吐いた。
 隠し事は本当にタメになりそうにないなと悟ったらしい。

 「恩恵じゃなくて必要な処置じゃないか」

 「うう……。普通なら若返らせるって言うだけで、神様ありがとーって簡単に釣れるのに」

 うつむき加減で涙目、という様子で、腹黒いことを呟く幼女。

 「恩恵、と言うくらいなのだからちゃんとしたギフトをくれ。生きていく為に必要だったり、リソースの拡散作業に必要なものは必要経費だろう?」

 「むー、じゃあ蓮弥さんはどんな恩恵が欲しいですか?」

 幼女は考えることをあっさりと放棄して、逆に蓮弥に問い返してきた。

 「私からの恩恵は<蓮弥さんが必要だと思うことを差し上げる>権利としましょう」

 「金」

 蓮弥が真面目に即答すると幼女がのけぞった。

 「それと絶対安全なネグラと、しゃれにならない戦闘能力」

 「勘弁してください……。リソース不足で滅びる前に、バランスブレイクして滅びます、世界が」

 のけぞった状態から、土下座に移行するという器用な真似をして、幼女が額を地面にこすりつけ始めたので、流石の蓮弥も悪いことしたかなという気分になった。

 「くれれば楽だったんだが、そう美味い話はないよな」

 「嘘みたいな量の希少金属の山を創れないわけではないですが、世界の流通が破綻しますし、個人に一国滅ぼせる戦力を与えるのも、いい影響があるわけありません。絶対安全な住まいと言うのも、創れなくはないですが、定住されると拡散作業の方が……」

 「ああ、まぁ言ってみただけだから立ってくれていいよ」

 何でも差し上げると言った前言をいきなり翻すことになった形の幼女は、身の置き場がないような感じで縮こまってしまっている。

 「取り合えず若い体になるのだから、健康は欲しいな」

 ここで時間を浪費してしまっては、気まずさだけが加速的に増していくだけだと考えた蓮弥は思いつくままに、だがなるべく大事になりそうにない要素から順番にあげていくことにした。

 「は、はい。健康ですね」

 「それに、たぶん俺は呑み食いするのが趣味っぽいので、強い胃袋と肝臓が必要だ」

 「なるほど、酒精耐性と健啖ですね」

 「それと金を稼ぐ必要があるのだから、それに適した能力が欲しいな。剣と魔法の世界なんて謳うからには、やっぱり荒事関係が手っ取り早いんだろうな?」

 「そうですね。戦闘関連は適度に適当に……」

 どこから取り出したのか分からなかったが、幼女はちいさなメモ帳を手にし、蓮弥の言葉を熱心に聞き取りながら一生懸命メモを取っている。

 何もない空間にウィンドウを表示させるような力があるわりに、随分とアナログな方法で記録を取るものだなと思いながら、蓮弥は続ける。

 「物作りもしてみたい。何故か知らないが鍛冶関連で刀鍛冶なんて言葉に惹かれる」

 「ふむふむ、ってそう言えば蓮弥さんって元々剣道の段持ちでしたよ」

 「そうか、ってそういう記憶も忘却させられてるのか」

 「技能として体は覚えていると思いますけどね」

 「それから、魔法があるなら使いたいな。何でも使えるようにしろとは言わないから一芸に秀でた感じでお願いしたい」VigRx

 「なるほどなるほど、時に蓮弥さんは火力と手数とどちらが大事だと思いますか?」

 「そりゃ手数だろうが、何か意味があるか?」

 当ればでかい、と言う言葉は当らなければ意味がない、という言葉と同義であると思う蓮弥である。

 「ええ、色々と参考に」

 「それと、いきなり最強にしてくれとは言わないが、鍛錬すれば結果として跳ね返ってくるようにしてほしい。それくらいかな」

 「なーるほどです。あ、外見に関係する要望はないですか?」

 尋ねられて、訝しげに蓮弥は幼女を見返す。
 幼女は事も無げに続けて言った。

 「元の肉体は元の世界で死を迎えて、火葬されてお墓の中ですから。あちらの世界に行く際には別の肉体を構築して、それを使ってもらうわけですから」

 「ああ、なるほどな」

 「こっちは多少無茶しても、問題ないので要望をバーンと言ってもらっておっけーですよ。それこそ目が合っただけで女性が失神するようなイケメンから、その姿を見ただけで男性諸君が何故か前かがみになって動けなくなるような絶世傾国の美姫まで、お任せ下さい」

 「性転換までアリなのか」

 「肉体は新品ですからねー。一から創りますのでどっちでもイケます」

 自分は男性であるという自覚が蓮弥にはあった。
 記憶の結構な部分を初期化されてしまっているので、確かにとは言えなかったが、名前からしても女性だったとは考えにくい。
 それを踏まえた上で、蓮弥はどちらにしようかなと考える。
 具体的には抱かれるのと抱くのとどっちがいいかな、と言う実に下世話な話だったが、本人からすれば切実かつ重大な問題だった。
 しばらく考えた蓮弥はやがて、答えを決める。

 「男性で頼む。容姿は醜くさえなければ十人並みでいい」

 「了解です。容姿はそこそこに、見てて問題ないレベルっと」

 メモ帳の下の方にさらさらと書き込んだ幼女は、その書き込んだメモ紙をぴっと破り取ると、くしゃりと丸めて手のひらにおいた。
 その小さな唇がすぼめられ、ふっと小さく息を吹きかけると丸めれたメモ紙は、幼女の手の平の上で勢いよく燃え上がり、すぐに灰となって崩れ去る。
 せっかく書き留めたメモ紙に、何をしてるのだろうと思った蓮弥の視界に、天使達が消えた時と同じようなメッセージが流れた。

 <報告:「健康体」「超回復」「酒精耐性」「健啖」「鍛冶」「剣術」「体術」「魔術(適性:風)」「無詠唱」「高速充填」「術式並列起動」「成長限界突破」「鑑定」「異世界言語」を取得しました>

 「なにこれ?」

 「えーと。ゲームで言う所のスキルと言う奴だと思えば……って94歳のおじいちゃんがゲームなんてやってるわけないかー」

 「いや、なんとなく分かる」

 老後の無聊の慰みに、ゲームに興じていたかどうかは、記憶が初期化されているせいなのか蓮弥には思い出すことが出来なかったが、幼女の言わんとしていることは理解できた。三便宝

2014年11月28日星期五

魔術を使ってみるらしい

 風になぶられるがままに立ち尽くし、じっと森を見つめる。
 他に音を立てるものが無い環境では、森の葉鳴りの音が妙に耳について気分もざわめく。蟻力神
 時たま聞こえる悲鳴は、おそらくはまだ森の中に残っている冒険者達が、何かに出会ってどうにかされている事の証左なのだろうが、蓮弥は彼らの末路については考えないようにしていた。
 風向きが変わる。
 森の方向から吹き付けてくる風には、森の木々の匂いに混じって、腐臭と鉄錆の匂いが混じっていた。
 気分の悪くなる匂いだ、と蓮弥は顔をしかめる。
 なまじ気分が落ち着く効果があると言われている森の木々の匂いに混じってしまっているので、嫌な匂いが際立って強く感じられてしまう。
 嫌な臭いを嗅ぎたくないだけだから、とどこか自分自身をごまかすように考えながら、蓮弥はとんと一つ足踏みをする。
 無詠唱で魔力を目一杯拡大されて起動した<送風>の魔術は、森から来る風に対抗するように蓮弥の背後から吹きつけると、臭いも風も一緒くたに押し流して森の方向へと押しやる。
 これで嫌な臭いに悩まされることはなくなると、蓮弥は一つ息を吐く。
 実際に意図していることは違う。
 シオンは最後までそれに気づかなかったようだが、蓮弥一人で森の一部分を監視した所で、他の場所から抜ける魔物まで抑えきることができるわけがない。
 普通気がつきそうなものだが、蓮弥一人を置いていくという罪悪感にでも苛まれていたのか、シオンはそれに全く気がつく素振りが無かった。
 ローナに関しては蓮弥は良く分からなかった。
 気がついていて口にしなかったのか、或いはローナにとってはどうでもいいことだったのか、もしくはその両方なのか、どちらでもないのか。
 考えてみても答えが出ないので、蓮弥はその考えを止めた。
 とにかく、広域にわたる範囲を一人でカバーできるわけがない。
 それは現実の問題だ。
 だとすれば、どうすればこの森の中にいる得体の知れない魔物達が森から抜けて近隣の街等に行かないようにすればいいのか。
 その答えは蓮弥にとっては簡単だった。
 確実にとは言えなかったが、それでも森を抜けようとするかもしれない魔物達を自分のいる場所へと誘導する方法。
 風に乗せて自分の匂いを森の中へと運んでやり、魔物たちにここにも一人、人間がいますよと教えてやればいいのだ。
 森の中で出会った魔物は、人の腹を借りたり、逃げる人間を追ったりと、積極的に人を襲っていた。
 人を襲う習性のある魔物であるならば、森の中にいる冒険者達を狩り尽した後、次に狙うのはほぼ間違いなく一番近いところにいる人間であろう。
 その人間がわざわざ自分がここにいることを森の中へと伝えているのだ。
 これは一種の挑発とも取れる。

 「なんとも……やっぱり俺も馬鹿だね」

 自嘲して呟く。
 シオン達はきっと、一刻も早く街に戻ろうとして、休みなく走るか歩き続けるかすることだろうと蓮弥は思っていた。三便宝カプセル
 持って来た荷物は邪魔だとばかりに、武装以外は全て置いていってしまっている。
 勿体無いからと蓮弥は、二人の姿が遠くなってから、全て自分のインベントリに収納した。
 中身は見ていない。
 きっと見てはいけないものとかも入ってるはずだからだ。
 そんな状態での移動であるから、早ければ一時間ちょっと、遅くでも二時間以内に街に帰り着くだろうと言うのが蓮弥の予想だ。
 そこからギルドに駆け込んで、職員を叩き起こして幹部連中に報告を上げて、調査隊はそれなりに技能のある人物を選ばなくてはならないから、後発になるとしても、そこそこ戦える冒険者を集めて討伐隊を組んでこちらへ向う。
 一体何時間くらいかかるか考え出すと、蓮弥は気が重くなるのを感じた。
 余程ギルドの幹部連中が馬鹿ではない限り、とりあえずにでも先発隊を出すだろうから、人と資材を揃えて出発するまでに3、4時間。
 きちんと急がなくてはならないことが伝わっていれば、移動には馬か馬車を使うだろうから、こちらに到着するのが街を出発してからおよそ一時間。
 その他諸々、なんやかやあると考えて余裕を見れば、大体八時間程監視を続ければお役ごめんになるのではないか、と言うのが蓮弥の希望的観測だ。
 物事と言うものは、常にすんなりと事が運ぶわけではない。
 無駄な軋轢や責任の擦り付け合い、頭の固い幹部がシオン達の言い分に耳を貸さない可能性。
 時間的にまだ夜も明けない時間になるだろうから、人が集まらなかったり、資材が入手できなかったりと言う問題が発生することを予想することは難しいことではない。
 そもそも、結構な数の冒険者がこの森で魔物の被害にあっている状況で、討伐隊を編成出来る程の人数が町に残っているのか、と言う心配も残る。

 「なんとなくだが……討伐隊編成は早い気もしてるんだけどな」

 ぼそりと呟いて天を仰ぐ。
 そもそも、森に行って手当たり次第に魔物を狩ってきたら、狩ってきた分だけお金をお支払い致しますよ、等という依頼が妙なのだと蓮弥は思っていた。
 普通に依頼を出すならば、ゴブリンが増えすぎてきたようなので間引きをしてこい、とかオークに近隣の村の女性が多数誘拐されたので、オークを減らして女性を救助してこい、と言うのが普通だ。
 なんでもいいからとにかく狩って来い、と言うのは依頼の形としてはおかしい。
 魔石の在庫が切迫しているとか、あまり強い魔物も出ない森なので、初心者達への救済措置と言う可能性も無いわけではなかったが、蓮弥はそう言った話やうわさを耳にしていない。
 酷く穿った見方をするならば、これはそう言ったおかしい依頼に気がつかない不注意な冒険者達を撒き餌にした大規模な釣りではないのか、と言う疑いがあるのだ。
 無論、推測の域を出ない話ではあったし、フォレストオクトパスにばかり気を取られて、蓮弥がこの可能性に気がついたのは森の中で正体不明の魔物に襲われた後なので、正しく後の祭り状態ではあるのだが。
 もしもこの推測が正しければ、討伐隊の編成も調査隊の編成も、既に終わっている可能性がある。
 ついでに言えば、シオン達よりも先に報告がギルドに上がっている場合もある。
 エサで魚を釣り上げるならば、当然エサには針と糸がついているはずだからだ。

 「針役はなんかエサごと食いちぎられた気配だけどなー……」

 撒き餌役の冒険者達に混じって、おそらくは本命の針役のパーティがいたのかもしれない。
 しかし、森の中から聞こえてくる音は、時間の経過と共に少なくなっていき、やがて全く聞こえなくなり、蓮弥達の他に森の外に出てくるようなパーティの姿も見受けられない。五便宝

 「もし、この推測が当っているなら、企画者の思う通りに進んでいるのが癪だな」

 なにかこう一発、相手の度肝を抜くような結末に持っていってやりたいと思う気持ちが蓮弥の中に沸き起こる。
 いわばいたずら心と言うやつであろう。
 ただ、何をどうしてやったらそんな結果が引き起こせるかと言う考えは浮かんではこない。
 自分の持っている魔術が火や氷ならば、有り余っているらしい魔力を全てつぎ込んで森ごと灰にしてやったり凍らせてやるのに自分と相性のいい風ではせいぜいが木立を吹き飛ばすくらいで、それでもまぁいいような気もするのだが、どうにも派手さに欠ける、と思った蓮弥は、ふと空を仰いだまま一つの考えに行き着く。
 この世界は、お盆の上にのった箱庭のような状態であると言う話は、こちらの世界に来る前にあの幼女から聞いていた。
 お盆の下は虚無であり、何もないと。
 では翻ってお盆の上はどうなっているのだろう?
 この世界にとて何千m級の山と言うのが一つや二つはあるはずだ。
 山があるなら空気の層とて、それ以上の厚さがあるはずである。
 さらに、こちらの世界に来てから、お湯が妙に沸くのが早いと言った覚えも無い。
 つまりは元の世界並に大気圧があり、同じくらいの空気の層があると考えられるのではないか。
 そしてそれは、高度があがるにつれて段々と薄くなるような元の世界と同じような構成になっているのではないだろうか。

 「我が力を捧げ、大気に満ちよ……」

 風属性の魔術であれば、既知の魔術の全てを網羅されている虎の巻をカリルから買ったばかりであり、その全てに目を通し終えている蓮弥である。
 使用制限についても、初級の制限を解除してすぐに、無属性魔術と同じ方法で無制限まで解除してあった。
 唱える魔術は風系統の上級魔術。
 但し、本来は下から上へと巻き上げる効果をイメージでアレンジして上から下へと逆に叩きつけるものへと変更する。
 ついでに余波で自分が被害を蒙っても面白くないので、自分の周囲に風の防御壁を展開。
 これから起す現象を予想して、術式並列起動のいくつかを重複させて堅固で広い繭のような形で壁を何枚も重ねて展開させた。
 壁の展開を待ってから、蓮弥は右腕を空へ突き上げ、まるで空を掴むかのように拳を握り締めて詠唱を続ける。

 「風よ、渦巻きて荒れ狂い、我の望むがままに大地を叩け!」

 本来の詠唱は「我の望むがままに天を穿て」なのだが、逆向きなのだからと詠唱もアレンジ。
 どうせすぐに回復するのだからと防御壁を維持する魔力以外のほとんど全てを、魔術に注入。
 言葉が回路を造り、そこへ魔力が流し込まれて魔術が完成する。
 その瞬間、蓮弥の周囲を煙と轟音が包み込んだ。
 遠く離れた場所。
 蓮弥よりもずっと高い視点からそれを見るものがあれば、それは巨大な漏斗に見えたことだろう。VigRx
 本来竜巻と言う自然現象は大地からものを吸い上げて空へ飛ばす現象だが、この逆さ竜巻は天空より全てのものを吸い込んで地面へと叩きつける。
 竜巻と形容するよりは、海面にあるものを渦へと引きずり込んで海底へと叩きつける巨大な渦潮と形容した方が正しい代物であった。
 全高20Kmに及ぶ巨大な渦潮は、遥か高みから冷気の塊を掴み取り、途中で雲などの水分を巻き込んで、それらをまとめて蓮弥の目の前の森へと轟然と降り注がせる。

 「失敗したなーこれ……」

 自分を包み込んでいる防御壁の外側を、轟音を立てて白い煙だか氷だか分からないものが流れていくのを、呆然と見やりながら、蓮弥はぼやいた。
 高高度の上空から、たぶんそこにあるであろう冷気を引き摺り下ろすことしか考えておらず、引き摺り下ろした冷気を処理する方法をすっかり考えていなかった。
 本当は下降する気流の外側に上昇する気流をつくって循環させることで、魔術の効果範囲を限定しなくてはいけなかったのだろうが、外側の気流を作っていなかった為に、叩きつけられた冷気はそのまま広がるがままに周囲を凍らせ始めていたのだ。
 すぐに魔術を解除しようか、と考えた蓮弥であったが、すぐにもうやってしまったことは仕方がないと切り替えて、ゆっくりと風の漏斗を森の中央目掛けて前進させる。
 漏斗が離れていくに従って、周囲を流れる風の勢いは弱くなっていく。
 蓮弥はそれでも防御壁は解かない。
 蓮弥が空から引き摺り下ろした冷気の温度は、どこまで元の世界の知識が通用するのか分からなかったが、計算通りであるならば、およそ-70℃であるはずだった。
 引き摺り下ろしている最中に、幾分かのロスがあったとしても、人間がなんの装備もせずにそこにいればほぼ確実に絶命する温度であるのは間違いがない。
 蓮弥が無事なのは、偏に多重に展開した風の防御壁でいくつかの空気の層を作り上げ、その中にいるからであり、壁を解除した途端に凍死するだろう未来が予測できた。

 「この世界の人間は、ダウンバーストなんて知らないだろうけど。まぁこんな大規模かつ大被害をもたらすダウンバーストなんて元の世界でもなかったと思うが……」

 たまに白い煙の切れ間からみえる森は、白一色の世界へと変貌していた。
 木々も草もみな同様に凍りつき、おそらくはその中にいた動物も魔物も、何もかもが一様に白い世界に閉ざされてしまったはずだ。

 「天変地異が起きました、と言い張ろう。そうしよう」

 どうせ私がやりましたと正直に報告した所で、信じる者などいないだろう。
 それならばいっそ、神様が気まぐれで天変地異を起したとでも言った方がまだ信憑性があるに違いないと蓮弥は事の全てを顔も見たことの無いこの世界の神様達に丸投げすることにした。
 どうせまともに世界の管理もせずに、陣取りゲームで遊びほうけているのだ。
 蓮弥からしてみれば、お前らの怠慢のおかげで界渡りなんぞさせられているのだから、ちょっとは泥を被れ的なものである。

 「それにしても……」

 魔術を解除すれば、巨大な漏斗は出現した時と同じ速度で大気に解かれて消えていく。
 解かれた大気は内包していた冷気と水分を吐き出して、あたり一面に雪を降らせ始めた。
 しんしんと降り積もっていく大粒の雪を見ながら、蓮弥は誰に言うともなくぼやく。

 「やっぱ俺、魔術の才能ないわー……」

 普通に使えば魔術師並でも、全力で使えば大災害では、使い道が無い。
 見渡す限り白く染まってしまった世界をみやり、さていつになったら風の防御を解いても大丈夫になるんだろうかと考えつつ、巻き起こしてしまった大規模災害並の状況に、蓮弥は大きく深く溜息をつくのだった。巨人倍増

2014年11月26日星期三

逃走の結末らしい

槍と言う武器は、あまり主役を張らない武器だと言うイメージがある。
 異論反論は多種多様にあるだろうし、実際に槍と言う武器はそれを最強の武器であると評価する人もいる。頂点3000
 三間槍を持たせれば農民が武士を殺すと言う評価もあるし、個人で使用する短槍は突く、斬る、叩くと三拍子揃った優秀な武器だ。
 神話にも出てくるし、有名どころもかなりある。
 それでも、何故か主役を張れない。
 ほぼ確実に英雄の武器と言ったら剣がまず挙げられる。
 勇者の武器も剣なら、伝説の武器も大体は剣。
 イメージ戦略としては剣に大敗を喫しているのが槍だと言えなくも無い。
 しかしそれはイメージ的な話だけであって、実際相対してみれば、槍と言うものが如何に厄介な武器かわかろうと言うものである。
 とにかくリーチが長い。
 単純な戦闘においてはこれだけで相当な優位性を保つことができる。
 下手をすると、この一点だけで一方的にやられる可能性もある。
 穂先を切り落とせば槍など無力、と言い張る人は後世の槍の脅威を知らない人が作った話や映像の見すぎである。
 やれるものならやってみろ、と言いたい蓮弥であった。
 ただ、不利な点もある。
 長ければ長いほど、取り回しに手間がかかると言うのが最大のものだ。
 サイドに回りこまれると途端に弱くなるのも槍の特徴であると言える。

 「もっとも、回り込む脇があれば、なんだけどな」

 ぼそりと呟いて、また突き出された穂先を回避する蓮弥。
 狭く直線的な通路において、槍を相手にすることは非常に苦しい戦いを強いられる結果となる。
 払っても叩いても、すぐに次の穂先が繰り出されてくる。
 十文字槍のように引いても斬れると言う武器がこの場にないことだけが救いだと蓮弥は思う。
 もしそれがこの場にあったら、とてもではないが素手で対応しきれる気がしない。
 蓮弥の技量をもってすれば、槍の先端だけを狙って切り落とすことはわけのないことではあったが、天井が低く、幅の無い通路での立ち回りとなれば、十全に刀を奮うこともできない。
 もっとも蓮弥は刀をインベントリに収納したまま、取り出すつもりもなかったのだが。
 あまり使う者のいない武器は、ただそれだけで使用者の身元を割り出す情報となりえてしまう。
 どれだけ派手なことになろうと一向に構わない蓮弥ではあるが、今この場にククリカの冒険者のレンヤがいた、と言う情報だけは絶対に秘匿しておく必要があった。

 「もうこれさ。面倒だから天井ぶち抜いて逃げたりしたら駄目かねぇ?」

 うんざりした声音でエミルが天井を仰ぎながらぼやく。
 魔族である彼女にとって、相手を殺さず、自分も怪我をしないように戦うと言うことは思ったよりもストレスを感じるものらしく、声に疲労の色が濃い。

 「何かご褒美でもないと、やってられないよこれ?」

 「交渉には応じる。何か考えておけ」

 「おや? 言ってみるもんだねぇ。ちょっとやる気が出てきたよ」

 蓮弥の返答に気を良くしたのか、エミルが一歩前へと踏み出す。
 その小柄な身体に、途端に襲い掛かる複数の槍の穂先。
 その多さは一瞬とは言え蓮弥が焦りを覚える程であったが、エミルはそれらを回避しようともせずにその細い腕を一閃させて薙ぎ払った。
 本来槍の柄と言うものは人の打撃でそう簡単に折れる代物ではない。
 そんな脆いものであれば、標的に突き刺した時の衝撃で折れかねないからだ。
 しかし、魔族の力に物を言わせたエミルの一撃は、槍の柄をまるで小枝をへし折るかのような手軽さで、まとめて叩き折ってしまう。

 「うおぉ!?」

 「槍が素手で……化け物かあいつはっ!?」

 「替えだっ! 替えの槍を早く持って来いっ!」

 その一撃の威力に、思わずと言った感じで身を引いてしまう兵士達。
 それにくるりと背を向けて、エミルは蓮弥を押すようにして走り出す。

 「ほら、さっさと逃げる!」

 「言われずとも分かってる!」

 一目散に逃げ出す二人の背後から、替えの槍を持った兵士達が追いかけていく。
 兵士達からしてみれば、上へ上へと逃げる蓮弥達を追い詰めているつもりなのだろうが、上へ行くのが目的である蓮弥達からしてみれば、状況は順調に流れていると言えた。
 さらに数回の交戦を重ねて、蓮弥達は階段を駆け上がり、いくつかのハッチらしきものを抜け、とうとう魔導船の居住区の屋上へと抜け出る。
 追跡してくる兵士達を、エミルが再度力に物を言わせて押し返し、屋上へと出た二人が見たものは。夜狼神
 爆発音と共に建物の一部が吹き飛んでいく王城の姿と、そこからゆっくりと姿を現した紫色の泥人形のような巨人の姿であった。

 「……なにあれ?」

 低い唸り声を上げながら、建物が吹き飛ばされてできた孔からずるずると出てくる巨人に、あっけに取られたような蓮弥が呟く。

 「何って……ご注文の魔物じゃないかねぇ?」

 「でかすぎるだろ!?」

 王城自体と比較して、その巨人はおよそ10mを超える大きさがあった。
 蓮弥達を追いかけて、屋上に出てきた兵士達も、蓮弥の視線の先を追った先にいる紫色の巨人を見てパニックを起し始める。
 そりゃ大陸の中心である聖王国の、さらにその中心部である聖都の、その心臓部とも言える王城にあんな馬鹿でかい魔物が突如出現すればパニックにもなるか、とうろたえて右往左往する兵士達を見ながら思う蓮弥。
 この事態に関してのみ、兵士の錬度が低いとは責められないなぁとも思う。

 「王城に魔物がっ!?」

 「馬鹿な……一体どこから……」

 兵士達の声が聞こえる中、崩れた王城の壁に手をかけて、身体を乗り出していた紫色の巨人の身体のあちこちから小さな爆発やら炎の柱やらが巻き起こる。
 どうやら王城に詰めていた魔術師や兵士達の攻撃が始まったらしい。
 王城に勤めているくらいなのだから、それなりの実力を持った者達による攻撃のはずだったのだが、それらの攻撃は巨人の身体の表面で炸裂するばかりで、巨人本体は何も感じていないように立ち尽くしている。

 「硬いな、あれ……」

 「そりゃ、ああ言うゴーレムの基本性能は硬い、でかい、鈍いの三拍子だからねぇ」

 大きな被害を出したいわけでもないので、蓮弥はエミルに注文をつける時に攻撃能力に関しては皆無でなんとなく魔物だと分かればそれでいいと言っていた。
 言うなれば、ただの虚仮脅しである。

 「攻撃能力が皆無な分、防御能力には力を入れたからねぇ。物理防御も魔術防御もがっちがちだよ」

 「自分で注文しておいて言うのもなんだが、ひたすら邪魔なだけかあれ……」

 「お、おい。貴様らっ!」

 なんだか生温い視線で立ち尽くしている紫色の巨人を見つめる蓮弥とエミルに、どうにかショックから立ち直ったらしい兵士の一人が、手にした槍をつきつけながら叫ぶ。
 そのつきつけられた槍も、それを握る手も、ぷるぷると震えているのには蓮弥もエミルも気がついていたが、この状況下でいち早く立ち直っただけでも偉いな、と思ってしまう。

 「あれも貴様らの仕業か!」

 問われて蓮弥とエミルは一度お互いの顔を見合す。
 さて、どう答えようと蓮弥が考え込み、エミルはあっさりとその場を蓮弥に譲った。
 一応、自分の演技力の無さには自覚があったらしい。

 「答えろっ!」

 「ふ……ふはははははははっ!」

 こうなればもう自棄で、ノリと勢いで突っ走ってしまえとばかりに蓮弥は高笑いをあげる。
 ぎょっとした表情でわずかに身を引く兵士に向き直り、蓮弥は大きく両腕を広げた。

 「言わねば分からぬか! オロかなニンゲンども!」

 「なっ!? き、貴様……」

 羞恥心からなのか、言葉がカタコトになりかける蓮弥であるが、状況が状況であるせいなのか兵士には気づかれなかったらしい。

 「そこは人族の方がそれっぽくてグッドだねぇ」VIVID XXL

 蓮弥の背後に隠れながらぼそぼそと小声で指摘するエミル。
 俺は腹話術の人形か何かなんだろうか、と思いつつ、蓮弥は続ける。

 「人族の姫を攫い、魔王陛下に献上し、貴様らが希望と縋る勇者を亡き者とせんが為に我らは今、ここにある! 姫の身柄を確保する事には失敗したが、見よ! 勇者を匿い魔王陛下にたてつこうとする貴様らの城はここに崩れた!」

 「いやー……魔王様も人族の姫とか献上されても困るんじゃないかなぁ? 今の魔王様って男だっけ、女だっけ?」

 どよめく兵士達の声にかきけされて、エミルの呟きは蓮弥の耳にしか届かなかった。
 さすがに聞きとがめて蓮弥は肩越しに背後を振りかえる。

 「やっぱりいるのかよ、魔王?」

 「さぁ? 私はなーんにも知らないねぇ」

 蓮弥の背中に自分の背中を預ける形で、自然に視線をそらすエミル。
 状況が許すのであれば、振り返って問い詰めたい蓮弥であるが、状況はそれを許してくれそうに無い。
 城に手をかけた状態で、何をするでもなく立ち尽くしていた紫色の巨人の胸の辺りで、一際大きな閃光が発生する。
 少しばかり眼を凝らしてみれば、空中を駆けるように移動しつつ紫色の巨人に斬りかかる、光り輝く剣を持った人影がなんとなくではあるが見えた。

 「今の一撃は結構削ったねぇ。あれ勇者かな?」

 「遠めで良く分からないが、たぶんそうだろな。あいつ馬鹿なんじゃないのか?」

 「なんで?」

 「なんでわざわざ空飛んで斬りかかるんだよ? ああ言う場合は足を切り落とすのが先だろうに」

 自分より身体の大きな相手は、まず手の届く部分から潰せと言うのは戦い方においては定石と言うのも恥ずかしくなるような常識だ。
 わざわざ自分の足元がおろそかになるような飛んだり跳ねたりを駆使して斬りかかる等と言う行為は愚の骨頂であると蓮弥は思う。

 「ま、いずれにせよ。勇者様の服毒は確実だねぇ」

 誰かに何かを仕掛けるときは、できることならば二段構えにしておかなくてはならないと蓮弥は思う。
 常に保険を仕掛けておく、と言うことなのだが、今回に限って言うならば偽シオンの周囲1mに勇者が踏み込んだ時に撒き散らす毒が一段目。
 二段目はその後に出現する毒人形自体が同じ毒を常時、体中から発散していると言うことだった。
 王城に魔物が出れば、それが強力であるように見えれば見えるほど、勇者自身が撃退に動かなくてはならなくなる。
 それを見越して蓮弥は巨人状態でも周囲に毒の影響を及ぼせるようにエミルに依頼していたのだ。
 勿論、そのせいで無関係な人達にも被害者が出ることになるのだが、命に関わるような毒ではないので巻き込まれたことを不運と思って諦めてもらおうと蓮弥は思っている。
 フラウ特製の毒薬「浮気の大罪」(カプリシアルクライム)
 レベル9と言う猛烈な強さを誇るこの毒薬は、男性にのみ機能し、服毒した男性が女性に触れるだけで激しい動悸に息切れ、猛烈な腹痛と頭痛、放っておくと脱水症状にまで陥る吐き気を催させる。
 さらに女性の体液に触れようものならば、その部分が即時に爛れて行くと言うおまけつきだ。
 そのくせ男性機能には一切の影響を与えないと言うのだから始末が悪い。
 簡単に説明するのであれば、極度の女性アレルギー体質へと変貌させる薬なのだ。
 その手の欲求はそのままに、その欲求が果たされない身体にされてしまうのだから酷い話だ。
 さらにはフラウが以前口にしたように、解毒方法がほぼ無い。
 この話を聞いた時、蓮弥はその内容のすさまじさに思わずフラウから距離を取ってしまうほどだった。
 その表情はフラウから見ても驚くくらいに恐怖に引き攣っていたらしく、もし蓮弥が間違って服毒してしまった場合は責任をもって解毒するからと何度も説明するくらいだった。lADY Spanish

 「本来の使用方法は、女性が最初にこれを飲んで、男性と交渉を持つことで服毒させるのが本当なんだけどねぇ。この方法の場合は服毒させた女性だけが毒の効果から除外されると言う素敵な仕様なんだ」

 つまり、女性には効果を及ぼさない毒なのである。

 「お前、間違っても使うなよ?」

 「あれ? レンヤ君、複数の女性と関係を持つ気ありありなわけ?」

 「そうは言ってない……」

 そう取られても仕方がないかと思いつつも、一応は反論しておく蓮弥だ。
 その間にも、勇者は巨人の周囲を飛びまわり、聖剣によるものらしい強烈な攻撃を叩き込んでいく。
 そのたびに、開かれた傷口からは血しぶきにも似た紫色の液体が飛び散り、勇者の身体を汚していく。
 この毒、一応は粘膜吸収による摂取で効果を表すが、揮発性に優れており、発生した気体に関しても毒性は全く変わらない。
 ただ、空気に触れると数分で酸化により劣化し、無害化する。

 「はっ! 見たか賊ども! あの勇者殿の力を! 巨人は成す術もないではないか!」

 おそらく聖王国所属の兵士なのだろう。
 一方的に巨人を攻撃する勇者の姿に勢いを得たのか、槍を掲げて高らかに言い放つ。
 その周囲にいた兵士達も同じく、槍を掲げ勇者の力を賞賛する声を上げるが、事情を知っている蓮弥やエミルからすれば、あ、そうなの? 以上の感想を持てない。

 「ほら、ここは一発それらしい事を言って撤退しないと、いつまでもこのままだよ?」

 背中をつんつん突きつつ言うエミルに、蓮弥はなんと言っていいやらその手の知識の持ち合わせの無い頭を振り絞って考える。

 「あ、えーと……、おのれ勇者め! 命冥加な奴よ! だが次はこうはいかぬ! 第二第三の刺客の影に怯え、その時が来るまで束の間の平和に浸るが良いわっ!」

 「なんかもう、君が魔王ってことでいいんじゃないかねぇ?」

 赤面して端っこの方で膝を抱えていたい気持ちで一杯の蓮弥に、追い討ちをかけるエミル。
 何故かそのエミルの呟きだけはしっかりと兵士達の耳に届いたらしい。

 「貴様! 魔王なのかっ!」

 「んなワケがあるかっ! こんな所までのこのこやって来る魔王がいるなら連れて来い! 説教してやるから! よしんば俺が魔王だとしたら、こんなショボい戦果で撤退なんぞするか!」

 「逃げるつもりか! 貴様!」

 「あ……」

 やっちまった、と言う表情になる蓮弥。
 その背後に控えていたエミルが、蓮弥の腰にそっと腕を回して背後から抱き締める。

 「なんだか締まらない話になっちゃったけど、そう言うわけだから。君らも大切な勇者様の所に行ってみた方がいいんじゃないかねぇ。あんな風に戦ってはいるけれど、無事と決まったわけじゃないよねぇ?」

 「な、何っ!?」

 「それじゃあね」

 そっと囁くようなエミルの言葉。
 そのあまりに静かな囁きに、兵士達の対応が一瞬遅れた。
 その一瞬の隙に、エミルの背中から一対の黒い皮膜の翼が出現する。
 とん、と一つエミルが床を蹴ると、ふわりと二人の身体が浮き上がった。

 「しまった! 飛んで逃げる気だぞ!」

 「誰か弓持って来い!」

 兵士達の叫び声が聞こえるが、既に遅い。
 エミルは背中の翼を一度大きく羽ばたかせると、兵士達の手の届かない高さへと飛び去っていったのである。

 兵士達の声も届かない高度にて。

 「エミル、魔族って背中にそんなの生えてたっけ?」

 「ダミーだよっ! 風の魔術の増幅使用に決まってるじゃないかこんなのっ!」

 「余裕なさそうだな? 俺は背中に色々当たって気持ちいいけど」

 「アホーっ! 自分で飛べるんだからさっさと飛んでくれないかねぇ!? 背中のこれも邪魔だし、二人飛ばすのは辛いんだよっ! さっさとしないと落とすかもしれないよ!」玉露嬌 Virgin Vapour

 「んー……もうちょっと」

 「そう言うの後にしてくれないかねぇっ!?」

2014年11月20日星期四

古竜を解体するらしい

遠く離れた地点で、青い身体の竜達が必死に息吹や魔術を大地に向けて放っている光景が見える。
 大地に着弾した青い息吹や、水系統の魔術は当たった途端に水蒸気に変わり、勢い良く天に向かって吹き上がって行く。SEX DROPS
 それでも一向に大地の熱は冷めない。
 大地が放つ熱で、空を飛んでいる青い竜達もどことなくふらふらと元気がないように見えた。
 燃えるものなど何一つ残っていないと言うのに、大地は熱を持ったまま冷めようとしないのだ。
 蓮弥は傍らを見る。
 そこに小山のような巨体を横たえているのは、蓮弥が叩き落した邪竜のうち、もっとも巨大で強力であった古竜だ。
 落ちた場所が龍人族の都市の防壁ぎりぎり外だったので、自分が張った風の結界に飛ばされてどこかへ行ってしまったのではないかと心配していたのだが、余裕を持たせてやや大きめに結界を張ったおかげで、どこにも飛ばされること無くその巨体は残されていた。
 その巨体に<操作>の魔術をかけて、蓮弥は都市から少し離れた場所へ移動させる。
 そちらも辺りは何も無く、地面は黒くほんのりと暖かい土があるだけであった。
 その土の上で、蓮弥はインベントリからナイフを取り出すとゆっくりと自分の魔力をナイフに染み渡らせるようにして強化していく。

 <まぁなんと言うか……非常事態故の緊急措置と言い張るしかないんだが、レンヤ。同じことが起きないように君には私が持つ魔術知識の一部を譲り渡そう>

 文字通り、なにもかもが終わった後で、かなり遠くまで避難していたエメドラが戻ってくるなり蓮弥を捕まえてそう言った。
 蓮弥は無言で、ルビドラの背中の上から周囲の状況を見回す。
 大地は、もう燃やすものなど何も残っていないはずなのに赤々と燃え上がっている。
 その赤い光に照らされて、見渡す限り何も無くなってしまった大地の上にぽつんと一つだけ龍人族の都市が、防壁を半壊させた状態でなんとかその姿を残していた。
 空は、爆発と炎上によって巻き上げられた煤で覆い尽くされ、太陽の光が地面まで届いていない。

 <これ……私が? 一体何が……えぇえええええ?>

 空中でホバリングしつつ、ルビドラは開いた口が塞がらない。
 都市を攻撃していた魔物の軍勢は跡形も無く消えうせていた。
 後に残ったのは溶けて赤熱化した大地のみ。
 それ以外は本当に何も残っていない。
 焼け野原と言う形容すら生ぬるい有様であった。

 <龍人族の意見は真っ二つに分かれている。感謝するべきと抗議するべきの二択だ>

 思念にたっぷりと溜息を混ぜて、エメドラが言う。

 <君らが来なければ、命までも奪われていたのだろうから、抗議するのはどうかと私も思うんだが。これでは命以外は全て無くなったと言ってもいい惨状だ。現在竜族が必死に消火活動にあたっているが鎮火の目処は立っていない。……もうちょっと穏やかな解決方法は無かったのだろうか?>

 「最善手だったと断言する」

 きっぱりはっきりと断言した蓮弥であるが、わずかにその視線が泳いでいるのをシオンとエメドラは見逃さなかった。
 炎の適性と言う点においては世界最高峰であろうルビドラが蓮弥から供給された膨大な魔力を使って放った炎の息吹は完膚なきまでに効果範囲内にある全てを焼き尽くしてしまった。
 ルビドラの精神にもうちょっと強度があり、蓮弥が送り込む魔力の量がさらに多かったと仮定すると四大竜が放つ息吹のように地形が変わっていたかもしれないとは、一部始終を逃げながら見ていたエメドラの計算である。
 誤算ではない。
 そもそもが計算して行った行為ではないので、誤算であるわけがない。
 とりあえず最大火力で焼き払えば、軍勢もろとも魔族とかも焼けて無くなるんじゃないだろうかと言う非常にアバウトな考えの下に行われた攻撃は、確かに結果としてはその通りの結果を導き出した。
 こんな有様の中でしっかり命を繋いでいるような魔族が存在したのであれば、エメドラはその魔族を倒す手段が全く思いつかない。
 その代わりに、龍人族側が受けた被害も大きい。
 都市がなんとか形として残ったのは内部に勇者が、龍人族のアルベルトも混ぜて四人いたおかげだった。蒼蝿水
 その四人が総がかりで防壁を芯にして都市全体に防御結界を設け、加えて蓮弥が直前に張った風の結界と合わせた防御力がなんとか爆風に耐え切ったのだ。
 生きた心地がしなかった、とはレパードの感想である。
 エメドラは何が起こるのか察知した時点で全力で逃走に移っていた為に被害を蒙らなかったのだが、遠くから見たルビドラの息吹の爆発は、この世の終わりにしか見えなかったそうだ。
 背中に乗っていた面々は開いた口が塞がらず、ただエミル一人だけが爆笑していたらしい。
 普通、竜族がその知識を人族に与える等と言うことは行われることが無いのだが、エメドラはその光景を見て蓮弥をこのままにしておくのは、魔王を倒す倒さない以前の問題として非常に危険であると判断し、自分が持っている魔術に関する知識の一部を蓮弥の頭に転写することにしたのである。

 「拒否権は?」

 <この惨状を見た上であると思うか?>

 「俺、剣士なんだけど?」

 <頼むから受け取ってくれ。何なら伏して懇願するから>

 人間の脳みその容量には上限が存在するのだからそんな知識は必要ない、と思う蓮弥であったのだが泣きを入れられてしまえば無碍に断ることもできず、エメドラに請われるままにその知識を受け取った。
 受け取って実践に移してみれば、その知識は非常に役立つものであることを蓮弥は知る。
 魔術については勿論、魔力を使用した自己強化技術。
 さらには物品に魔力を通して強化する術までエメドラは蓮弥に譲り渡したのだ。
 単に自分の危険度が上がるだけではないかと蓮弥は思ったのだが、無自覚に力を行使されるよりはきちんと知った上で使われるほうが危険が少ないとエメドラは判断したらしい。

 <自己強化については、既に無意識になのか行っているように見えるのだが、適当にやっていると身体を痛めるぞ。最悪、再起不能になる可能性もあるのだから技術として知っておいた方がいい>

 そんなわけで竜族の魔術知識を獲得した蓮弥は、後始末等は他の人に丸投げして、戦闘中に叩き落した邪竜の回収に来たわけである。
 戦闘で倒されてしまった竜族の遺体は、エメドラとルビドラによって回収されていった。
 戦場ではなく街の中に落ちていた為に、焼かれたり飛ばされたりすることなく残っていたそれを、エミルが欲しがったりしたのだが、そちらには絶対に手をつけないようにと蓮弥は厳命している。
 竜族には竜族の弔いがあるらしく、その遺体に手をつけることは冒涜だろうと考えたからだ。
 代わりに邪竜の死体に関しては自分達の好きにさせろとエメドラに伝えてあり、こちらはすんなりと蓮弥の意見が通った。
 エメドラ達も同胞の遺体はともかくとして、邪竜に関しては比較的どうでもいいと考えているらしい。
 小さな邪竜はエミルが嬉々として解体し、素材と肉に分けて回収作業を行っていたが、古竜だけは蓮弥が所有権を主張し、その手に委ねられることになった。
 炎の魔術で滅多打ちにしたせいで、鱗と皮に関しては素材としての価値はほとんど無くなってしまっている。
 あちこち焼け焦げてしまっているそれを蓮弥は魔力で強化したナイフで手際よく切り裂く。
 その下にある肉も表面は焦げてしまっていたが、内部に関してはそこそこに綺麗な肉が残っており、蓮弥はそれを適当に小さく切り取る。
 身体の大きな動物の肉は赤い、と言うのが蓮弥の中の知識であったが、切り取った古竜の肉はそれほど赤身を帯びておらず、どちらかといえばピンク系統の色でしっとりと蓮弥の指に絡みついた。勃動力三体牛鞭
 インベントリから取り出した薪で焚き火を作り、金串を用意した蓮弥は切り取った肉をそれに刺すと焚き火の傍らに突き刺して焼き始める。
 あまり火を通すと固くなるかもしれないと、軽く炙って脂が溶け始めた辺りで火から外し、ぱらりと塩を振りかけて無造作にかぶりついた蓮弥は低い唸り声を上げた。
 血抜きもしておらず、肉自体熟成もさせていないそれは食材としてはどうなんだろうと疑問に思うものだったのだが、口に入れた途端に香ばしい脂が喉へと滑り落ち、肉自体はしっかりとした噛み応えを歯に与えつつ、噛み締めるたびに芳醇な肉汁が溢れ出す。
 わずかに感じる血の匂いと味も、肉の味自体を邪魔することなく、逆に野趣溢れる味と香りになって喉と鼻を刺激し、その存在感は胃に落ちて尚満足感となって蓮弥の感覚を刺激する。

 「美味い……」

 瞬く間に一串食べてしまった蓮弥は陶然と呟くと、すぐ我に返って古竜の解体作業に着手した。
 かなり適当に焼いただけでもこれだけ美味い食材ならば、きちんと調理すればもっと美味いに違いない。
 さらに、肉がこれだけ美味いのであれば内臓はさらに美味いかもしれない。
 その上、骨からはきっと良い出汁が取れるだろうし、頭を開けば魔石と脳がある。
 魔石はお金になるし、脳も調理方法によってはきっと美味しく食べられることだろう。
 これは一片たりとて無駄にしてはいけない素材であると蓮弥は全能力を解体作業へ傾ける。
 この世界において、全ての災厄の一端を担うとまで言われ忌避されている邪竜と言う存在が、蓮弥の認識の中で極上の食材として認識されてしまった瞬間であった。

 <あの認識がこっちに向かない事を祈るばかりだわ>

 とても疲れた思念を放つルビドラの傍らで、シオンが苦笑している。
 二人の視線の先では、巨大な古竜の身体が蓮弥の手によってとんでもない速度で解体されていた。
 邪竜と言う存在はルビドラにとってはどうでもいい存在であり、それが食材になろうが素材になろうが勝手にすれば、程度のものだったのだが同じ竜と言う存在である以上、実はお前らも美味しいんじゃないかと蓮弥が言い出すことだけが怖かった。
 その場合、全力で逃げるしか選択肢が無いのだが、どうにも逃げ切れる気がしないルビドラである。

 「大丈夫だろう。あれで蓮弥は仲間と認識した存在には優しい人だし」

 ぐったりと身体を横たえているルビドラの首筋を、シオンは安心させるかのように撫でる。
 その感触が心地よかったのか、ルビドラが小さく喉を鳴らした。

 <仲間だと認識してくれてると良いのだけど>

 「多分、大丈夫」

 <不安になる返答ね、それ>

 ルビドラが疲れ果てているのは、エメドラから説教を食らったせいだった。
 原因の大半は蓮弥にあるとは言え、吐き出すときに分裂させて散らすとか、そもそもそうなる前に経路を切って魔力供給を止めるとか、手立ては色々あっただろうと怒られたのである。
 巻き込まれた形のルビドラからしてみれば、非常に理不尽に感じられる話ではあったのだが、確かに注がれた魔力の量に混乱さえしなければ、多少被害を抑えることができたかもしれないと言う自覚はあったので、おとなしく説教され続けていたのだが、やはり精神的には疲れてしまう。福源春

 <それで貴方達はこれからどうするの?>

 「そうだなぁ……」

 その辺りの話は勇者四人に加えて避難していた龍人族の長老やら立場のある者とクロワールやらローナやらカエデと言った各種族の者達が現在会議を行って話し合っている。
 シオンはそう言ったお話し合いは自分には難しいから、と言って逃げてきていた。
 その話を聞いたルビドラとしては、そんな理由で話し合いを逃げてくると言うのはどうなんだろうと思ってしまうのだが、さらに酷いのが蓮弥の逃げてきた理由だ。
 興味が無いからそっちで適当に決めてくれ、と言うのが蓮弥が話し合いから逃げて来る時に言い残していった言葉である。
 このいい加減さと言うか言い草が龍人族の、特に年配の龍人族の怒りを買いまくったらしいのだが、蓮弥は全く気にした様子が無い。
 そもそも、蓮弥の立場と言うのは人族勇者のクルツの後見人、もしくは保護者と言うものであり、勇者がきちんと四人そろった現状においては、その場に居合わせなくてはならない理由が無い。
 それでも、クルツ一人だけを残していくと何をしゃべりだすか分かったものではないので、お目付け役としてローナを残してきている。
 とんだ貧乏くじですとローナには溜め息をつかれてしまっていたが。

 「当たってるかどうか分からないけど、選択肢は二択だな」

 <言ってみなさいよ。判定してあげるから>

 「一つは、龍人族の領域の奪還を目指す。もう一つは龍人族のことはとりあえず脇に置いておくとして、勇者四人で魔王を倒す」

 <元凶を潰せば、諸問題は解決するだろうってことね。それで貴方はどちらの選択肢が通ると思ってるのよ?>

 「龍人族の領域奪還かなと」

 <理由は?>

 尋ねられてシオンはしばらく黙り込む。
 どうやらなんと言うべきなのか一度頭の中で整理しているらしいと、ルビドラは首筋をなでられるがままにシオンが口を開くのを待った。

 「確かに魔王を倒せれば、魔族も自分の領域に引っ込むのだろうが。そもそも、魔族の支配領域の中心部にあると言われてる魔王城まで勇者四人を届ける方法が無い。今までだと、四つの大陸から魔族の領域に総攻撃をかけて、可能な限り奥地に踏み込むと言うのが常套手段だったが……今回は難しいと思うんだ」

 ルビドラは黙ってシオンの意見を頭の中で考える。
 確かに、今まではシオンの言う通りの方法で魔王城まで近づき、そこからは勇者の力でもって無理矢理突破して魔王と戦うと言う方法が取られていた。
 しかし、現状を考えてみるとまず龍人族はあっさりと支配領域のかなりの部分を魔族に奪われており、とてもではないが逆侵攻を行える力があるとは思えない。
 人族の領域は、トライデン公国と言う戦力は健在ではあるのだが、クルツの一つ前の勇者の愚行により、最大勢力であった聖王国がほぼ壊滅してしまっていると言う難点を抱える。花痴

2014年11月19日星期三

王都騒乱 -勇者-

一体何故こんな事に? というのが、現在のマサユキの偽らざる心境であった。

『マ〜サユキッ、マ〜〜サユキッ!!』

 大歓声の中、マサユキは立つ。玉露嬌 Virgin Vapour
 そして、言われた通りに首を斜めに傾げて、視線を下に向ける。
 二秒程タメをつくり、おもむろに顔を正面に向けて、民衆へと視線を合わせた。
 それだけで、民衆の興奮度が高まったのが伝わってくる。恐ろしい程に効果的であった。
(流石は、リムルさんの言った通りだ……)
 そう。
 今のマサユキの仕草は、リムルの指導の下に練習した成果であった。
 民衆の心を掴むべく、能力(スキル)だけに頼るのではなく計算され尽した仕草により、ユニークスキル『英雄覇道(エラバレシモノ)』の効果が増大したのである。
 マサユキの想像以上の影響力に、恐れ戦くしか出来ない。
 少しの演技指導を受けただけなのだが、その効果は余りにも絶大だったのだ。
 マサユキが視線を向けた途端、それだけで民衆は口を閉ざした。
 静かに、波が引くように、この場に静寂が訪れる。
 もう既に、何度も目にした光景であった。



 ――実は、マサユキ。
 イングラシア王国に訪れる前に、ジュラの大森林の周辺国家を幾つも訪れて、同様の混乱を沈静化させていたのである。
 大戦開始前、マサユキはリムルに呼ばれて依頼を受けていた。
 気軽な調子で、「各国の住民が暴動を起こさないように、説得して回ってくれ」と頼まれたのだ。

「いやいや、僕には無理ですって!」
「何言ってるんだマサユキ君。君なら出来る。いや、君にしか出来ない事だよ!」

 そういった遣り取りの後、「大丈夫、大丈夫! 君なら何でも思いのままさ!」と調子よく丸め込まれたのだ。
 その後、軽く演技指導を受けて、演説前のポーズから演説中の視線の動き、そしてタメの配分に至るまで――細かく書かれたメモを渡されて送り出されたのだった。
 そして、

「クフフフフ。流石はマサユキ殿、お見事です。
 悪魔以上に人心掌握がお得意な様子、感服いたしました」

 悪魔そのもののディアブロにまで褒められる始末。
 ちっとも嬉しくなかったものの、マサユキは複雑な笑みで受け流したのだった。
 だが何故か、妙にマサユキを気に入っているディアブロが、

「そうそう。各国を回るなら、護衛が必要でしょう」

 そう言って、ヴェノムというディアブロの腹心の部下を呼び寄せ、マサユキに同行するように手配してくれた。
 そのお陰で、各国への移動が転移により短縮化されたのである。
 二日目に、ヴェルダがリムルを倒したと宣言した際も、マサユキは気にする事なく演説を行っていた。
 小さな国で、動揺する民衆を前にして、マサユキは極自然に人々の不安を解消してみせたのである。
 それもこれも、「もしかすると、俺は一回死んだ事にするかも知れないから、後はヨロシク!」と、リムルに無責任に言われていたからである。
 同行するヴェノムも、lADY Spanish

「ああ、何だな……。ディアブロ様は無事なのに、何故か連絡がつかない。
 だが、モスのヤツの姿も見えないし、ディアブロ様の命令で裏でこそこそ何かをやっているのは間違いなさそうだ」

 そう言って肩を竦めるのみ。
 全く心配している気配はなかったのだ。
 確かに、魔王たるリムルが本当に滅ぼされたのなら、配下達はもっと暴走するハズである。
 マサユキは妙に納得したので、深く考えるのを止めたのだった。

 納得といえば、このヴェノムに関しても同様だ。
 何故かマサユキと、不思議と気が合うのだ。
 最初にディアブロがマサユキに紹介した時は、ヴェノムはゴテゴテとした戦闘衣装を着ていたのだが……。

「それって、何とかならないのか? 僕は一応、勇者という事になってるんだけど……?」
「ああ、そうだな。じゃあ、俺もあわせた方が良いな」

 というわけで、リムルの所から退出した後、ヴェノムの衣装を防具屋で購入し着替える事になった。
 その時に会話したのだが、意外な事に話があった。

「元はどうも――お前と同じ世界で生きてた気がするんだよね、俺」

 と、ヴェノムはぶっちゃけていたけれど、どうやら転生者だったのかもしれないと思うマサユキ。
 なので、衣装について色々とレクチャーしたのだ。
 職人に頼み、マサユキの書いたイラストで服を仕上げて貰った。
 ちょっとパンク系のファッションだったが、それは不思議とヴェノムによく似合ったのだ。
 トサカのように髪を立てているので、ヘルメットは被らない主義らしい。
 どこの暴走族だよ、と突っ込みを入れそうになったが、最初に比べればマシだったので良しとするマサユキ。
 悪魔なので、鎧の類も必要ないらしく、見た目重視との事だった。

「おいおい、中々いいセンスしてるじゃねーの。これからも頼むぜ?」
「ああ、気に入ってくれたなら嬉しいよ」

 不良のような空気を醸し出すヴェノムにあわせたイラストを、冗談交じりに入れていたのだが、それが一番のお気に入りになったようだ。
 昔そういう服を着ていたような気がしたらしい。
 それがキッカケとなり、マサユキとヴェノムは仲良くなった。
 見た目もマシ――悪魔っぽい外見から比べれば、だが――になったので、マサユキの仲間五名にヴェノムを紹介したのだった。

「おう。君もマサユキ様の偉大さに惹かれたのか」
「ま、当然ね。だって、マサユキは格好いいし、素敵だもの」
「英雄の風格ってヤツが滲み出てるからな。まあ今後とも、ヨロシク頼む!」

 そんな事を口々に言う仲間達。
 マサユキからすれば、「僕に惹かれる以前に、僕の方がドン引きなんだけど――」と言いたいのだが。
 そんなマサユキの気持ちに気付くような者は仲間にはいなかった。
 毎度の事ながら、マサユキを神の如く信奉してくれるのだ。VIVID XXL
 それでも、最近は少しずつ、気さくな感じに打ち解けつつある。
 リムル曰く、「お前のユニークスキルの効能に、抵抗(レジスト)出来るようになってきたんじゃね?」との事だった。
 この調子で、皆が早く真実に気付いて欲しいと思うマサユキである。
 それはともかく、ヴェノムと仲間達もそれなりに馴染んだようで、マサユキも一安心であった。
 その後、魔物の国(テンペスト)の冒険者達にも混乱を防ぐべく協力依頼し、大戦が始まる前に各国に散って貰っている。
 リムルの依頼によるものであったが、演技指導を受けたマサユキの頼みを受け、冒険者達は嬉々として各地に旅立ってくれたのだ。
 それから、今まで。
 ヴェノムを含めて、七名で各地を巡っていたのだった。



 そして現在――
 金ピカの鎧を身に纏い、全身を純白で統一したマサユキは、民衆の視線を一身に浴びている。
 段々緊張感にも慣れてきて、今では自然に受け止められるようになってきた。
 それもこれも演技と割り切って、普段からリムルのメモの通りに練習している成果だろう。
(なんていうか、狙ったようなタイミングだったみたいだ……)
 勘弁して欲しい、そう思うマサユキ。
 緊張には慣れてきたものの、マサユキはいまだに小心者なのだ。
 ヒーローのようなタイミングとか、そんなの自分の役柄ではないと思うマサユキである。
 だが、文句を言いたくても言う相手がいない。
 仕方なく、この場を収める事にする。

「みなさん、落ち着いて下さい。冷静に、そして僕に何があったか教えて欲しい――」

 静かに語りだすマサユキ。
(ええと、慌てずにゆっくりと。多少どもったり噛んだりしても、補正があるから心配するな! だったな)
 マサユキが内心で何度も読み込んだメモを思い出しているなど、熱い視線を向けてくる人々には思いもしない事である。
 マサユキの静かな言葉に、静まった人々も冷静な思考を取り戻していった。
 そもそも、ライナーとヒナタが何故戦っていたのか。
 王が弑逆されたのは事実のようだが、その犯人は本当にヒナタなのか? そうした疑問が人々の胸に去来する。
 そしてマサユキにしても。
(いや、本当に。この状況、一体何がどうなっているの?
 どっちが良い者で、どっちが悪人よ? 俺は一体、どちらの味方をするのが正解なんだ?)
 実は、本当に困惑していたのだ。
 ヒナタの事は知っている。
 西の勇者とも呼ばれるようになったマサユキだが、聖騎士筆頭のヒナタと比較される事が多かったからだ。
 人々が好き勝手に、どちらが上かを議論していたのを耳にしていたのだ。
 リムル曰く、「マサユキ君。本当に戦う事になったら、逃げた方がいいぞ」と、至極当然に言われたのを覚えている。
 それほどに冷徹で、危険な女性なのだとか。だが、意味なき行動は取らないとも言っていた。
 対するライナーは、イングラシア王国で参加した武闘会の優勝賞金を受け取る際、王の側近として控えていた男に似ている気がする。夜狼神
 多分あの時の人物だと思うが、自信のないマサユキ。どちらにせよ、国の重要人物なのは間違いないだろう。
 どちらに味方するのが正解か、非常に難しい問題であった。
 下手に手出ししようものなら、せっかく演じている勇者の仮面が剥がれかねないのだ。
 そうなったらそうなったで、魔物の国(テンペスト)に逃げ戻ろうと考えるマサユキではあったが、リムルからの依頼を全う出来ないのは問題かもしれないという不安があった。
 リムルはともかく、ディアブロ辺りは嫌味を言ってくる程度で済ませてくれるとも思えないのだ。
 何とか穏便に、この場を収めたいマサユキ。それが、自身の保身にも繋がっていると、よくわかっていたのである。
 だが、マサユキの困惑などお構いなしに、事態は動く。

「これはこれは、勇者マサユキ殿か。懐かしいですな、私はライナー。
 覚えておるでしょう? 護衛騎士団団長のライナーである。今回は私が――」

 ライナーが何か言い始めた。
 やはりマサユキの記憶は正しく、王の脇に控えていた騎士団長だったようだ。
(ええと……じゃあ、こっちに味方するのが正解、かな? って、ヒナタって人に敵対したら不味いだろ!?)
 ヒナタがその力を失った事を知らぬ――もっとも、失っていてもマサユキより強者なのだが――マサユキは、内心で動揺してしまう。
 だが、そんなマサユキの動揺などお構いなく、話は動きだす。
 そして、怒涛の展開を見せ始めたのだ。

「マサユキ様! どうか、どうかお許し下さい!! 王を、王に手をかけたのは自分なのです――」

 ライナーの言葉を遮るように、兵士の一人が前に走りでて、マサユキの前に土下座した。
(はい!? 何が何だかわからないぞ……)
 迂闊には動けない、そう再確認するマサユキ。

「な! 何を言い出すか、貴様!!」

 激昂するライナー。
 兵士を切り捨てようとするものの、その前には子供達が立ち塞がり、ライナーの行動を妨げる。
 更に――

「ふ、ふははははは。もうお仕舞いだ、私は破滅だ……」

 何故か勝手に、エルリック王子が自身の悪行を告白し始めたのだ。
 病気の家族の為に王子の依頼に従ったという兵士の証言と、王子自身の告白により、事実関係は粗方判明したも同然であった。
 それもこれも、全てはマサユキの能力によるもの。
 実はマサユキ、本人も自覚せぬままに、新たな能力に目覚めていたのだ。
 その名も、ユニークスキル『救済者(メシア)』という。
 リムル――というよりは、シエル――によって授けられたメモ、それに従った成果である。
 ユニークスキル『救済者(メシア)』の能力は、まさしくその名の通り、救済する事。
 対象の罪の意識に働きかけ、相手に自ら救済行動を取らせるのだ。それは、大半が罪の告白という形を伴い実現する。
 今回は、マサユキの言葉に対応する者のみが対象者となった。
 即ち、マサユキが問い掛けた、何があったか説明して欲しいという言葉が引き金となっているのだ。
 果てしなくマサユキに都合の良い、恐るべき能力なのであった。
 マサユキのこの能力も、当然ながら高位の者ならば抵抗(レジスト)可能である。
 故に、ライナーは辛うじて効果が出なかった。頂点3000

2014年11月17日星期一

禁忌

他人に見られたら笑われてしまいそうな大きな欠伸を噛み殺し、俺は瞼を擦りつつ辺りを窺った。
 暖かいベッドではなく、硬い板の上で寝転がっていたため身体のあちこちに痺れるような感覚が残っているが、軽い屈伸運動で身体の細部まで血が通ってくる。巨人倍増

 さて、様々な物が床へと散らばっているこの部屋は、味満ぽんぽこ亭の客室ではない。

「お腹減ったな……」

 さらにいえば、昨晩は食事さえ満足にとっていないのだった。

「む……にゃ……」

 その原因は、俺の隣で床に敷いた布切れへと横たわり寝息をたてている老人――ウォム爺さんである。

 結局あれからウォム爺さんの懇願を断りきれず、決して悪用しないこと、個人で使用するのみに留めるという条件で、俺は徹夜に近い魔法の特訓に付き合わされる羽目になったのだ。

《光学迷彩(ライトハイド)》のコツを一度掴んでからのウォム爺さんは上達が異常に速く、俺が数日かけてイメージを固めた魔法を一晩で習得してしまったのは、経験の差というものだろうか。
 見事に透明な姿となったウォム爺さんは、そのまま魔法の使用による疲労で床へと倒れ込んで眠ってしまったのだった。

 属性魔法は大気中のマナを変換することでイメージを現象へと昇華させるものだが、変換器となる術者の身体に負担がかからないわけではない。
 本業の研究が一切進んでいないように思えるが、果たしてこれで良かったのだろうか?

 それにしても……ウォム爺さんは研究室で寝泊りすることに慣れているのか、実に安らかな寝顔をしている。
 物が散乱して寝場所を確保するのにも苦労するこの部屋は、あまり寝心地の良い環境だとは思えないのだが。

「ふお……イリ……ィちゃ……」

 寝言……か。
 本当にブレないな。この人。

 ――いつまでも老人の寝顔を眺めている趣味は持ち合わせていないため、俺は宿屋に戻って腹を満たそうと思いつつ部屋の扉に手を伸ばそうとして……ウォム爺さんへと振り返った。

「……あぶないあぶない。忘れるところだった」

 寝転がっている老人へと歩み寄り、探るようにして身体へと触れていく。
 この現場を目撃されれば勘違いされそうだが、老人を撫で回す趣味だって俺は持っていない。

 ただ、今回の交換条件だった報酬を受け取ろうとしているだけである。
 魔法の道具袋――見た目の容量以上に多くの物を詰め込める必須アイテム。
 魔物から剥ぎ取った素材なんかで手持ちが一杯になる冒険者にとって、これほど嬉しいアイテムはない。
 限界量がどの程度なのか試してみたくもあるが、万が一破れてしまったりすると怖いので追々調べていくことにしよう。

「……あった。けど……」

 ローブの下で握り締められている道具袋を発見したが、掌を開かせようとしても一向に緩まる気配がない。
 逆にこちらの手を握り返そうとしてきた腕を機敏に躱し、俺は足にかかる体重をスムーズに移動させてウォム爺さんから距離を取った。

「ふう……」

 寝ぼけないでいただきたい。
 ……俺はイリィさんじゃないぞ。全く。

 ふたたびウォム爺さんに近づく勇気が湧いてこないため、とりあえず道具袋は後回しにするとしよう。
 そう考えた俺は、眠っているウォームさんに転がっていた毛布をかけてやり、魔法研究所を後にしたのだった。VigRx



 ――研究所の外に繋いであったルークを忘れて放ったらかしにしていた俺は、不機嫌な騎獣の背に揺られながら、なんとか冒険者ギルド経由で味満ぽんぽこ亭へと帰り着いた。
 途中、お腹が減ったと言ってルークが俺の身体を凝視してきたのは軽い冗談だろうが、早く何か食べさせてあげたいものだ。
 ……肉を見るような目つきでこちらを見ないでほしい。

 ギルドに寄った理由は、依頼達成報告と報酬の受け取り、森で遭遇したギーグヴォルグの皮を売却するためである。
 依頼報酬が五〇〇〇ダラに……皮の売却額も同じく五〇〇〇ダラ――合計で一万ダラだ。
 つまり――金貨一枚が昨日の儲けといえる。
 俺も稼げるようになってきたものだ。
 しばらくは装備を新調する必要性も感じられないから、いざという時のために貯金しておきたい。

 マリータの護衛依頼で得た報酬も合わせると……残金は十万ダラと少しといった感じか。
 この宿ならば宿泊費が六〇〇ダラのため、半年ぐらいは何もせずに暮らせるほどの金額だ。



「――あっ、昨日は戻って来なかったので、心配してたんですよ。大丈夫でしたか?」

 宿へ入ると、相変わらず笑顔が眩しい看板娘――ステラさんが心配そうに尋ねてきた。
 宿泊費は数日分を前払いしているため、帰ってくると思っていたのだろう。
 危険と隣り合わせの冒険者にとって、死が一般人よりも身近なものというのは共通認識である。
 心配していただけるのは素直に嬉しい。
 だが冒険者は身近にある死を恐れるのではなく、寄り添って歩くものなのだ。
 ふっ……男は辛いぜ。

「いえ。昨晩はもう街に戻ってきてはいたんですが、ちょっと用事がありまして」
「あ、そうなんですか。何かお疲れのようにも見えますけど……いったい何を……?」

 ステラさんが首を傾げると、薄桃色の髪がふわりと揺れる。
 疑問の表情を浮かべながら俺の様子を窺っていたところへ、厨房から別の声が響いてきた。

「おい、ステラっ。お客様の行動をあまり深く詮索するなよ。セイジさんはあんな立派な騎獣を持ってるんだ。優れた冒険者が深夜の街を歩いてたって何も危険なことはないだろう。それに……」

 ウランさんの言葉を遮るようにして、ステラさんは一歩前に出る。

「そりゃあ、お客様にあれこれ尋ねるのはよくないけど……セイジさんはまだお若いし……万が一危険な事件に巻き込まれでもしたら――」

 今度は、逆にウランさんがステラさんの発言をストップさせる。

「あのなぁ、ちゃんと宿泊記録を見たのか? セイジさんはもう十八歳なんだぞ。俺が言いたいのはだな……セイジさんも男なんだから、その……もしかすると夜にそういったアレに行っている可能性も考慮して……だな」

 え……ちょっ、待て。
 どういうことだってばよ。
 俺が何をしたって?

 ステラさんは俺の年齢に驚きの感情を顕わにしたが、そこは看板娘である。
 すぐさま笑顔に戻ったものの……ウランさんの言葉の意味を理解するのには数秒を要したようだ。
 ゆっくりと頬を桃色に染めていき、最終的に髪の色よりも真っ赤となった頬を隠すようにして、俺へと深く頭を下げてくる。

「す、すみませんっ。わたしの考え足らずで失礼な質問をしてしまって」

 …………
 違うからっ!
 それ、むしろ考え過ぎだからっ!!
 ウランさんも何を言い出すかと思えば……っ。五便宝
 俺が昨晩訪れていたのは魔法研究所で、決してそんな如何わしいお店ではない。
 相手にしていたのだって綺麗なお姉さんとは程遠い。

 ――まさかのお爺ちゃんである。

 スーパー賢者タイムにも程があるというものだ。
 あのような爺さんと一晩を過ごせば、お疲れのご様子だと心配もされるさ。

 まあ……イリィさんは綺麗なお姉さんという言葉では不足なほどの美人であったが。

「違いますってっ。昨晩は依頼の延長というか……アフターサービスみたいなもので、そんな場所になんか行ったこともありませんよ!?」

 焦ってやや声を荒げてしまった俺に、ステラさんがふたたび謝罪の言葉を述べる。

「すみません。わたしったら……」
「と、とりあえず、お腹が減ってるので朝飯を用意してもらえると嬉しいかな、と。あと騎獣にも何かご飯をお願いできますか?」
「あ、はい。すぐに用意しますね。ウラン、お願い――って……ちょっと待って」

 厨房へと駆けて行ったステラさんが、笑顔をそのままの形で凍りつかせたような表情でウランさんへと詰め寄る。

「――さっきみたいな思考に至るってことは……ウランはそういったお店に行ったことがあるってこと?」
「ばっ……馬鹿なこと言うな。朝晩の食事を毎日作ってるおれに、そんな暇があるわけないだろう。仕込みにだって時間を結構取られるし、わずかに空いた時間は釣りに行ってるんだ。行きたくても行けないさ。それぐらいわかるだろ」

 ……ウランさん、最後の一言はいらなかったと思います。

「……へえ、行きたいんだ? まあ、こんな強面のお客さんが来たら店側もびっくりするかもしれないわね。試しに行ってきたら?」

 あくまで笑顔のまま、ステラさんが切り返す。

「お前な……そっちだってお客様によく飲みに誘われたりしてるだろう。試しに行ってみたらどうなんだ? 愛想が良いのは結構だけど、いつもハッキリしない答え方をするから何人も声を掛けてくるんじゃないのか?」

 ――あぁ、空気がピリッときたね。これは。
 もうね、敢えて言わせていただこう。
 さっさとくっついてしまえ、と。
 続けて言うならば、俺はとても腹が減っている。
 早く飯を食わせてくれ。
 今すぐにだ。

「――あんたたちっ! 何をグチャグチャ言ってんだい!! 明日っから暇人になりたくなけりゃ勤務時間はしっかり働きなっ」

 俺の心の代弁をしてくれたのは、味満ぽんぽこ亭の女将――マグダレーナさんである。
 階下にやって来た女将が年季の入った声で一喝すると、二人は瞬時に仕事に戻るべく機敏に動き出した。

 ――無事に朝食にありつけた俺は満腹感とともに部屋へと戻り、剣と鎧を外して一息つく。

「ふぅ……結局あんまり寝れてないから……二度寝でもしようかな」

 空が白むまで訓練を続けていたため、ちょっと床で寝たぐらいでは疲れが取れていないのだ。
 どうせウォム爺さんが起きるのも昼過ぎか……夕方くらいだろう。
 道具袋は起きてから貰いに行くとしよう。
 綺麗にベッドメイキングされた寝床へと身体を沈みこませると、お日様の匂いというべき独特な落ち着く香りが鼻腔を刺激し、それが睡魔を呼び寄せたのだった。



 ――目覚めの時刻は夕刻前。
 自分で思う以上に疲れていたのか、かなり深い眠りに落ちてしまっていたようだ。
 これだけ時間が経てば、ウォム爺さんのほうも復活しているだろう。
 俺はもそもそと着替えを済ませ、機嫌を直したルークとともに王立魔法研究所へと向かう。
 今日はさすがに依頼を受ける気にならないので、冒険者ギルドへの寄り道はなしだ。


 到着後、ルークから降りると『今度放ったらかしにしたら実家に帰らせていただく』という旨をオブラートに包んだ鳴き声で伝えられた。
 短くも可愛い鳴き声に含まれた意思は、わりと本気かもしれない。
 手短に用事を済ますべく建物に足を踏み入れた俺は、中庭に面する渡り廊下を歩いてウォム爺さんの研究室へと向かう。三便宝カプセル

 途中、俺は向かい側から歩いて来る人物を目に留めて立ち止まった。
 ウォム爺さんであればここで止まらずに全力ダッシュに移行するのだろうが、生憎と俺はそこまで本能に忠実にはなれない。

「……また、会いましたね。ここが気に入ったのですか?」
「いえ、今日はちょっとした用事で来ただけですよ。そちらは……また研究協力ですか?」

 俺は目の前にいらっしゃるエルフの麗人――イリィさんへと挨拶をしつつ、尋ね返す。

「そうですね。いえ……今日のはちょっと違いますが」

 どこか歯切れの悪い口調のイリィさんだが、エルフというのは街でもほとんど見かけることのない種族。
 ましてや……

 ――イリィさんは精霊魔法を扱えるエルフなのだ。貴重な人材ということで何かと研究協力を求められるのもわかる気がする。

 ふむ……勇気を振り絞ってイリィさんのステータスを覗いてみたのだが……レア物を見つけてしまった。

《精霊の輪(スピリットリンク)》――使役する精霊の数が多いほど、精霊の能力が強化される。

 スキルではないが、魅力的な特殊をお持ちのようだ。
 エルフ専用の精霊魔法と組み合わさると効果が発揮される感じ……か。

「なんだか妙な視線を感じますが……セイジさん、あまり女性を舐め回すように見つめるのはよろしくないと思いますよ」

 ふぁ!?

「な、ななな何を言ってるんですか!? お、俺は別にそんなっ」
「ならいいのですが。不思議ですね……何故かセイジさんに身体の奥を覗かれたような錯覚を覚えてしまいました」

 馬鹿な……一瞬だけイリィさんの顔に意識を集中させただけなのに。
 この人、鋭すぎるだろ。

「と、ところでイリィさんは精霊魔法を使えるんですよね? どんな感じなのか見せてもらえれば嬉しいなぁ……なんて」

 精霊魔法スキルを所持している事実を確認できたのはたった今だが、昨日のイリィさんとウォム爺さんとの会話からも、彼女が精霊を操れるのは明白である。
 別に俺がこういった発言をするのも不自然ではないはずだ。

「興味があるのならご覧にいれましょうか? ただし……あまり刺激はしないでくださいね。今はちょっと……みんな興奮気味ですから」

 言うが早いか、イリィさんは口元をわずかに動かし……小さく何かを呟く。
 途端――閃光のような眩い光が辺りを照らしたかと思うと、今度はその光が収束するようにゆっくりと縮まり始め、最後には光る球状の塊となった。
 その塊は意思があるように小刻みに動き回り、球の真ん中には表情のようなものが見てとれる。蟻力神

2014年11月13日星期四

城への移動

ルッツに家族への手紙を渡すと、「どうするかな」と言われた。

「何が?」
「いや、オレ、去年の夏からもうプランタン商会に住んでるし、トゥーリだってギルベルタ商会に住んでるからさ」精力剤
「え? あ、そっか。トゥーリもダプラだから……」

 トゥーリが10歳になったばかりの頃は、プランタン商会とギルベルタ商会が分かれたばかりで、店を引っ越したり、ベンノやマルクの引っ越しがあったりして店の中がバタバタしていたので、すぐに引っ越しにはならなかったそうだ。
 ベンノとマルクがプランタン商会の二階に住まいを移し、三階に住んでいたコリンナとオットーが二階に住居を移してから、トゥーリのための部屋が準備されたらしい。

「土の日には二人とも帰るから、その時にルッツが家まで直接持って行った方が良いだろう。手紙はお前が保管しておけ」
「わかりました、旦那様」

 家族への手紙を渡してもらう算段をつけ、冬の間は貴族院へ行くので会えないことを伝えて、お母様とギーベ・ハルデンツェルと話をしておくようにと言われて、プランタン商会との話し合いは終わった。

「ギル、屈んで。とっても頑張ってくれたから、撫でてあげる」

 さぁ、と手を伸ばすと、ギルが驚いたように目を見張った。

「ローゼマイン様、私はもうそういう年ではないのですが……」
「えぇ!? あ、あぁ、そうか。そうだよね」

 ものすごく困った顔でギルに断られて、わたしは伸ばした手を引っ込める。見た目は変わっても中身はあまり変わっていないと思っていたわたしは、ギルが成人前の14歳で思春期真っ盛りだったことを思い出した。皆の前で頭を撫でられて喜ぶような年ではない。

 ……頭撫でられて喜ぶギルがいなくなってしまった。なんかちょっと寂しいかも。

 当たり前だけど、外見だけではなくて、中身も変わったんだな、と思っていると、ギルがすっとわたしの前に跪いて、首を垂れた。

「あ、あの、撫でられたかったことを今思い出しました。どうぞ」

 わたしがちょっと落ち込んだのが伝わったようで、ギルが気を利かせてくれたのがわかる。
 せっかくの気遣いを無駄にするのも悪いので、わたしは大きくなったギルの頭に手を伸ばした。こうして撫でて褒めてあげるのは最後か、と思いながら、頭を撫でる。

「ギルは二年間すごく頑張ってくれたよ。起きた時に五冊も本ができてて、すごく嬉しかったの。ありがとう。これからもよろしくね」
「……はい」



 そして、すぐに城へと向かう日になった。
 わたしはレッサーバスを準備して、専属であるロジーナとエラとフーゴを乗せる。その後は神官長の側仕えがお仕事セットの詰まった木箱を載せていった。神官長もしばらく城に滞在し、わたしの短期集中講座を監督するのだそうだ。

「秋の成人式と冬の洗礼式には戻る。準備を整えておくように」
「かしこまりました」

 神官長が側仕えに頼んでいるのを見て、わたしも自分の側仕えに留守を任せる。

「二年留守にしても問題なかったのですもの。冬の間、留守にしても大丈夫だとわたくしは信じております。後をよろしく頼みますね」
「お早いお帰りをお待ちしております」

 レッサーバスに乗り込み、前方を駆けるダームエルの騎獣を追いかけて、空へと駆け出した。後方を神官長に守られる形で、わたしは城へと向かう。
 城に到着すると、ノルベルトが出迎えてくれて、アンゲリカとコルネリウス兄様が跪いた状態で待っていてくれた。

「おかえりなさいませ、ローゼマイン様」
「ただいま戻りました、ノルベルト」
「ノルベルト、この荷物を私の執務室まで運ばせろ」
「かしこまりました、フェルディナンド様」

 ノルベルトがどこからか取り出したベルを振ると、下働きがわらわらと出てきて、レッサーバスの中の木箱を運び出していく。
 そちらの動きには目もくれず、神官長はわたしを呼んだ。媚薬

「ローゼマイン、読むべき資料や本を渡すので着替えを終えたら、私の執務室に来るように」
「かしこまりました。急いで着替えます」
「いや、急ぐ必要はない。貴族院に向かう10歳に相応しい優美さを身に付けるつもりで行動しなさい」

 ……わけがわかりません。10歳に相応しい優美さって、どんなの?

 わからないことは流しておいて、わたしはアンゲリカとコルネリウス兄様と対面した。
 コルネリウス兄様は14歳になっていて、少年らしさが抜け、大人に近付いているのが一目でわかる。筋肉の付き方はそれほどガッチリしていないように見えるけれど、わたしが覚えているランプレヒト兄様くらいに背が伸びていた。お母様に似ているように見えた顔立ちは男らしさが増して、ちょっとお父様に似てきたような気がする。

「元気なお姿を拝見できて嬉しく存じます、ローゼマイン様」
「落とした魔石をコルネリウスが拾ってくれたでしょう? きちんとお礼を言いたかったのです」
「いいえ、主を守りきれず、二年も眠りにつかせることになった不甲斐ない騎士に礼など必要ございません」
「あら? コルネリウスはわたくしが助けたかったシャルロッテを助けてくれたわ。わたくしにとってはつい先日の出来事ですもの。お礼くらい言わせてちょうだい。ありがとう存じます、コルネリウス」
「もったいないお言葉です」

 顔を上げたコルネリウス兄様と目が合って、小さく笑みを交わす。

「ローゼマイン様のお戻りを心待ちにしておりました」

 そう言ったアンゲリカはこの冬の終わりには成人式を迎える15歳だ。ポニーテールにしている水色の髪が顔を上げる動きに合わせて、さらさらと流れる。深い海のような色合いの青い目がわたしを見た。美少女ぶりに磨きがかかっている気がする。おじい様に鍛えられていたとダームエルから聞いたけれど、あまりそのようには見えない。

 ……でも、外見詐欺は前からだね。

「もう二年もたっていると聞いて、わたくし、とても心配だったのですけれど、きちんと進級できていますか?」
「はい、ご安心くださいませ。お師匠様とダームエルとコルネリウスから教えを受け、シュティンルークと共に学んでいますから、辛うじて落第はしておりません」
「……辛うじて……。アンゲリカなりに頑張っているようで、何よりです」

 二人ともかなり大人に近付いていた。そんな二人とダームエルを連れて、わたしは自室へと向かおうと足を踏み出す。

「ローゼマイン、騎獣を使いなさい」
「フェルディナンド様? わたくし、ここから自室までならば歩けますけれど?」
「君の体はまだまだ本調子とは言えない。魔術具で動けるようにしてあるだけで、本来は起き上がるのも難しい状態だ。大して歩かない神殿内ならばともかく、城は広大だ。騎獣を使うように」
「わかりました」

 わたしは一人乗りの騎獣を出して乗り込み、自室へと向かった。その途中、襲撃があった回廊の手前で一瞬止まる。

「ローゼマイン様、どうかなさいましたか?」

 襲われた恐怖が蘇ってくるのは、わたしだけのようだ。護衛騎士の三人は何かあったのか、と目を丸くしただけだった。

「……ごめんなさい。襲撃あったことを思い出してしまって」
「わかります。しばらくはヴィルフリート様やシャルロッテ様も強張った顔で歩いておりましたし、護衛騎士も神経を尖らせておりましたから」

 コルネリウス兄様にそう言われて、自分だけじゃないんだ、とわたしはちょっとだけ安心して部屋へと向かった。自室ではリヒャルダとオティーリエが出迎えてくれる。涙目で「お元気な姿を拝見できてうれしいです」と言われ、こちらにもすごく心配をかけていたことを知った。

「ヴィルフリート様とシャルロッテ様はお勉強の時間ですわ。今日はローゼマイン姫様が戻られると聞いて、お二人ともそわそわとしておりましたよ」
「皆様、ローゼマイン様がお戻りになるのを心待ちにしておりましたもの。エルヴィーラ様からは新しいリンシャンや生活雑貨が届いておりますし、ボニファティウス様は楽しみのあまり、日付を昨日と間違えていらして、肩を落としていらっしゃいました」

 ……今まであまり接触なかったけど、おじい様って結構お茶目さんらしい。

 着替えを終えたわたしは、リヒャルダと護衛騎士と共に神官長の執務室へと向かう。その道中にもリヒャルダが貴族院に向かうにあたって決まったことを教えてくれた。

「貴族院へ向かう時に同行する姫様の側仕えはわたくしに決まりました」
「まぁ、リヒャルダが一緒ならば、心強いです」性欲剤

 ヴィルフリートのお勉強の管理もしていたし、わたしの筆頭側仕えなので、エーレンフェスト寮の管理全体を取り仕切れるだろう、ということで選ばれたに違いない。
 わたしがそう言うと、リヒャルダが「ほほほ」と笑った。

「図書室に籠ったら出て来なくなる姫様を連れ出せる者という人選で、フェルディナンド様によってわたくしが選ばれたのですよ」
「あ、あら、嫌だわ。閉館時間になれば、仕方なく自室に戻りますのに。ほほほほ……」

 麗乃時代、閉館の放送に気付かず、本棚の死角になるような隅っこでひたすら本を読んでいて図書館に閉じ込められた経験はあるが、基本的に閉館時間には外に出ることになる。心配しなくても大丈夫なのに、周囲にはそう思われていないようだ。

「失礼します」

 神官長の執務室へと入ると、神官長はリヒャルダに向かって、木箱を二つ示した。

「リヒャルダ、これをローゼマインの部屋に運ばせてくれないか。貴族院に向かうまでにローゼマインが目を通しておいた方が良い資料が詰まっている」
「かしこまりました、フェルディナンド坊ちゃま」
「ローゼマイン、君にはすでに一覧表を渡したはずだ。あの表に合わせて、優先度の高い順から読んでいきなさい。私の貴族院時代の書き取りや覚書に加えて、ダームエルがまとめてくれた最新の物まで入っている。それから、こちらが貴族院に行くまでの予定表だ。今のうちに目を通しておきなさい」
「はい」

 わたしはリヒャルダが下働きに指示を出し始めたのを背中で聞きながら、予定表に目を通していく。勉強の予定が詰まっているが、大半が読書だと思えば、それほど苦痛な時間でもない。

「今日は夕食までの間に、ここでこれを読んで覚えなさい」
「……これは何ですか?」

 木札にずらずらと何かの名前が書き連ねられている。わたしは神官長に示された椅子に座り、首を傾げた。

「国内にある領地の名前と今のおおよその順位だ」
「わたくし、エーレンフェスト内ならばともかく、国内となると、地理もわからないのですけれど」
「あぁ、そうか」

 神官長が立ち上がり、鍵のかかる書箱を開けると、二枚の地図を取り出し、執務机の上に広げた。手書きの地図で、書き込まれた筆跡を見たところ、神官長の自作の地図のようだ。

「こちらが昔の地図で、こちらが新しい地図だ」

 両方を並べて広げ、神官長が教えてくれる。元々は25あった領地が中央で起こった大きな政変によって統廃合があったそうだ。
 今は21の領地に分かれていて、大領地4つ、中領地が9つ、小領地が7つ。地図を見たところ、エーレンフェストは国内でも北東寄りの辺境にある中領地だった。小領地に限りなく近い中領地だそうだ。

 ……西がフロレンツィア様のご出身のフレーベルタークでしょ? 南がゲオルギーネ様のアーレンスバッハ。

 少しでも馴染みのある地名を指で押さえながら地図を見ていたわたしは大変なことに気が付いた。アーレンスバッハの南側には海がある。実はアーレンスバッハは海の幸がおいしい地域かもしれない。

 ……昆布やわかめがあるかも!? お刺身が食べられるかもしれない!

 すっかり諦めていた和食っぽいものが手に入るかもしれない可能性を発見して、わたしは目を輝かせた。貴族院でアーレンスバッハの友達を作ったら、海の幸を手に入れられるかもしれない。
 ぶわっと期待に膨らんだ胸は、次の瞬間、現実を思い出して、しゅるんとしぼんだ。

 ……今の情勢じゃあ、怒られるどころの話じゃ済まないよね。ちぇ。

「エーレンフェストの影響力は真ん中辺りだ」

 神官長はわたしが持っている木札をトンと指差した。
 辺境でこれといった特産品もないエーレンフェストの影響力は、元々最低ラインに近かったらしい。中央で起こった政変に巻き込まれなかったおかげで、真ん中よりやや下辺りに浮上したが、これは周囲が沈んだだけで、決してエーレンフェストの実力ではなかったそうだ。
 だが、ここ数年は違う、と神官長は言った。

「来年にはもう少し上がるだろう」
「どうしてですか?」
「年々、貴族院の成績が上がっているからだ」
「え?」
「貴族院を卒業した者は、中央に勤めるか、自領で働き始めることになる。年々、貴族院の成績が上がるということは、それは優秀な者が集まっているということで、数年後には一気に影響力を持つことが多い」
「そうなんですか? それはこの先が楽しみですね」

 エーレンフェストがのし上がっていくのか、それはいい。女性用媚薬
 ほぅほぅ、と頷いていると、神官長は更に今の貴族院の状況を教えてくれた。

「君の魔力圧縮を教わったアンゲリカとコルネリウスとエルネスタが騎士コースの成績を上げ、君の教材を使って学んだ世代が貴族院に揃い始めた。座学の成績が急激に上がっていて、周囲の領地から探りを入れられているのが現状らしい」
「……それにしても、フェルディナンド様は貴族院の情報までよくご存知ですね」

 さすがに、ユストクスも貴族院には入り込めないだろう、と思っていたのだが、一体どこに情報源があるのだろうか。
 わたしが首を傾げていると、神官長はこめかみを押さえて溜息を吐いた。

「貴族院で情報を集めろ、と学生達に指示を出したのは、君だろう? 今更何を言っている? 集められた情報をダームエルが整理していたから、私はそれに目を通しただけだ」

 何と、情報源はわたしだったらしい。そういえば、そんな指令を出していた気がする。
 だがしかし、わたしは別に学生達に諜報活動を頼んだつもりはない。図書室にどんな本があるのか、他の領地ではどのようなお話があるのか、調べてほしかったのだ。説明が足りなかったようで、ちょっと違う状態になっている気がする。

 そんな中、神官長から「ダームエルからはひとまず一定金額払ってあるので、価値のある情報を持ってきた者には上乗せの料金を払うように」と言われてしまった。けれど、わたしが価値を感じる情報と神官長が価値を感じる情報に大きな隔たりを感じる。情報の価値について、一度神官長と話し合う必要がありそうだ。

「今は君のおかげでエーレンフェストにも特産品となり得る物ができた。エーレンフェストが力を上げていくのはこれからだ。それに、領主候補生が貴族院にいる時代は、学生達の士気が上がりやすい。君達、シャルロッテ、メルヒオールとしばらく領主候補生がいる時期が続くので、君には皆のやる気を上手く引き出して、全体的な成績を上げてほしいと思っている。冬の子供部屋での状況を聞いたところから推測すると、得意だろう?」

 神官長にそう言われて、わたしは首を傾げた。別に、わたしはそんなことを得意だと公言した覚えはないし、あまり得意だとも思っていない。

「いえ、別に得意というわけではないと存じます。わたくしはただ子供達が文字を読めるようになれば、本を読む人も増えるし、本を読むことに親しむ人が増えれば、本を書く人も出てくるのではないか、と考えただけですから」

 本を書く人が増えたらいいなとか、図書館を公費で作るには読書人口が必要だよね、とは思ったが、領地全体の成績を上げて、国内での影響力を高めようなんて、考えたこともない。

「……君の本にかける情熱を、私はまだ甘く見ていたようだ。その意気込みで絵本だけではなく、難しい専門書を皆が読む気になる方法を探すと良い。君の頑張りに期待する」
「お任せください」

 皆への読書普及運動を胸に、今日の講義はこれで終了した。
 夕食の時間が近いので、着替えなければならない。わたしは神官長に明日までに読んでおく資料を指示されて、退室しようとした。

「ローゼマイン」

 ふと何かを思い出したように神官長がわたしを呼び止める。

「何でしょう?」
「本日の夕食会は君の快気祝いだ。カルステッド一家とボニファティウス様もいらっしゃる。多少危険な扱いがあったとはいえ、ボニファティウス様が君を見つけてくれなかったら、解毒が間に合わなかった可能性も高かった。必ず礼は述べておきなさい」

 わたしの中では上下逆に振られて、振り回されて高速横回転で飛ばされて、正直、殺されかけた印象が強いが、確かにおじい様が助けに来てくれなかったら、危険だった。危うく止めを刺しかけたことも含めて心配していた、と言われれば、お礼くらいはきちんと言った方が良いだろう。中絶薬

2014年11月11日星期二

俺の助手

俺はオットー。
 美人で可愛い嫁、コリンナを世界一愛している男だ。

 クリーム色の髪にグレイの瞳。全体的に淡い色彩は清らかで、やんわりとした雰囲気のコリンナによく似合っている。天天素
 鼻すじはすっと通っているけど、頬に丸みがあって少し童顔に見られることを気にしているコリンナが可愛い。
 しょうがない人って言いながら、笑って俺を受け入れてくれるコリンナが愛しい。
 見ればわかる巨乳で、抱きしめたらふかふかして、いい匂いがするコリンナは最高だ。

 世界の中心で叫べる。俺のコリンナは世界一!


 今日は助手であるマインの紹介で、旅商人になりたいなんて言うルッツ少年と会った。現実を優しく叩きつけて、ルッツの夢を粉々に壊してきたところだ。

「ただいま、コリンナ。今帰ったよ。ベンノも一緒だ」
「おかえりなさい。……洗礼前の子供を苛めて、よくそんな笑顔で帰ってこられるわね」
「その唇を尖らせた顔も可愛いな」

 ついつい本音を述べると、コリンナは呆れたように、ハァ、と溜息を吐いた。
 本格的に呆れられたらしいことを悟って、俺は軽く肩を竦めて、弁解する。別に苛めたくて苛めたわけではない。おとぎ話に憧れる子供に現実を教えただけだ。

「仕方がない。旅商人になってもいいことなんかないからな。確かに希望を粉々に粉砕したけど、その方が彼のためだ」
「それはそうだけど……」

 コリンナのグレイの瞳が伏せられて、痛々しげに眉が寄せられた。子供とはいえ、他の男のための憂い顔が少しばかり俺の心を波立たせる。

「コリンナは優しいな。会ったこともない子供のためにそんなに心を痛めるなんて……」
「邪魔だ、オットー。さっさと中に入ってくれ」

 肩を抱いて、コリンナの頬に口付けようとしたら、後ろからベンノに背中をげしっと蹴られた。
 慌てたようにコリンナが俺を脇に退けて、ベンノを迎え入れる。

「いらっしゃい、ベンノ兄さん。……ずいぶん不機嫌そうね。お断りした罪悪感かしら?」

 眉間に深い皺が刻まれ、普段の愛想の良さは欠片も見当たらないベンノを見て、コリンナはそう言ったが、ベンノはルッツをお断りなんてしていないので、もちろん、罪悪感など覚えているはずがない。

「コリンナ、違う、違う。商人見習いになりたいと言ったルッツをベンノが怖がらせて追い払おうとしたのに、追い払えなかったばかりか、マインちゃんに突きつけられた条件を呑むことになったんだ。マインちゃんに返り討ちにされたんだよ。不機嫌なのはそのせいだ」
「オットー」

 低い声でベンノが凄むが、俺は無視してコリンナと家の中に入って行く。

 子供にしてやられた気分なのだろう。
 いい気味だ。いつもマインに驚かされている俺の気分をたっぷりと味わうと良い。

 コリンナの腰を抱いて、クリーム色の髪に何度も唇を落としながら、応接室へと向かえば、ベンノに「俺がいない時にやれ」とげんこつを落とされた。
 夫婦の寛ぎ時間を邪魔するな、と思うが、コリンナの前で言うと、いい加減にして、と怒られるので、我慢する。

 応接室は普段コリンナが客と商談をするための部屋だ。いつ客が来ても大丈夫なように、いつも片付けられている。
 部屋の中央に、食堂とは違って丸い形の木のテーブルがあり、椅子が4脚準備されている。服以外に布を使えるのは富の証しなので、この応接室は、ウチの中で一番布が多い。
 たとえば、右側の壁際には棚があり、コリンナが作る服のパターンがわかるような見本が飾られていたり、左側の壁には残った端切れを縫い合わせたタペストリーがかかっていたりして、色鮮やかだ。

 用がないので、この応接室に俺が入ることはあまりないが、ここにはコリンナの作品が飾られているので、それを見るだけでも楽しい気分になれる。
 椅子の一つに座って、俺は正面に座るベンノにニヤリと笑った。

「いやぁ、あの展開にはビックリしたな。まさか、ベンノが譲歩させられるとは……」
「え? ベンノ兄さんが? 詳しく聞かせてちょうだい、オットー」

 コリンナがグレイの目を輝かせて、甘えるように話をねだる。可愛い。
 そして、俺の隣の椅子に座った後、少しばかり椅子を俺の方へと寄せてくる。本当に可愛い。

 コリンナがこんな風にねだってくることは滅多にないので、俺は心の中でマインに称賛の拍手を送りながら、軽く今日の流れを話して聞かせた。


 話を聞き終わったコリンナが目を丸くして、ベンノを見つめる。

「人と会うためにできるだけ身だしなみを整えて、鐘が鳴るよりずっと早くから広場にいて待っていられるなんて……ベンノ兄さん、最初から完全に負けているじゃない」
「うるさい」三鞭粒

 ベンノの機嫌はますます悪くなっていく。コリンナが出したお酒に口をつけても、眉間の皺は緩みもしない。
 最低限の身だしなみを整えることと、お願いした相手より早く待ち合わせ場所で待つことは商人にとっては当たり前のことだ。それができているかどうかで、心構えを見てやろうと思っていたが、ルッツはどちらもクリアしていた。

 多分、マインが誘導したのだろうけれど。

 広場で二人を見つけた時のマインの反応を考えれば、そうとしか思えない。
 今日の勝者はマインで間違いないだろう。おかげで、ベンノが譲歩する場面を見ることができたわけだ。

「いやぁ、マインちゃんのお陰で予想以上に面白い会合だったよ」
「マインちゃんって、班長さんのお嬢さんでしょ? とても頭が良いって貴方が言っていた」
「あぁ、そうだよ。でも、俺の助手になって、半年以上がたったが、未だにつかみきれないんだ。どうすれば、こんな子供が育つんだろうと思うくらい変わった子だよ」

 旅商人として、色々な土地で色々な階級の人間と接してきた俺にはマインの異様さが際立って見える。
 そして、それは本日同行したベンノにとっても同じことだったようだ。ベンノも商人として、色々な階級の人間を知っている。俺が浅く広く知っているなら、ベンノは狭く深く知っているのだ。

「なぁ、オットー。あれは何だ?」
「言っただろう? 俺の助手だ」
「違う。わかってるくせに、誤魔化すな。あれは本当に兵士の娘か?」
「それは間違いない。けど、俺だって変だと思っている」
「どういうこと?」

 コリンナが不思議そうに首を傾げた。
 マインのことを頭が良いとか、身体が弱いとか、その日あったことを交えながら話をしたことはあったけれど、変だということは言ったことがない。マインの異常さは実際に見てみないとわからないと思ったからだ。

「まず、見た目がおかしいんだよ。マインちゃんはいつだって兵士の娘とは思えないくらい小奇麗だ。着ている服自体はその辺りの子供と大差ない。継ぎ接ぎの当たったぼろぼろの服なのに、肌と髪の艶が綺麗過ぎる。班長はそこらの兵士と同じようなおっさんなのに、二人の娘は肌も薄汚れていないし、髪も艶があるんだ」
「お母様がお手入れされているんじゃない?」

 裕福な商人の娘として育ったコリンナは、貧民の生活を見て知っていても、明確には理解できていない。肌や髪の手入れをするには、時間も金も品物もかかる。貧しいとそんなものにかける余裕などないのだ。

「……冬に見たけど、母親が率先して手入れをしているようじゃなかった。班長にはもったいない美人さんだったけど」

 冬の晴れ間にパルゥを採るため、マインが門に預けられていた。引き取りに来た母親を見たが、特筆するほど小奇麗だった印象はない。
 ただ、マインと似た顔立ちで、美人だな、とは思ったのだ。

「ふぅん、そうなんだ?」

 俺が他の女性を褒めることは滅多にないので、面白がるようにコリンナのグレイの瞳が光る。

「もちろん俺にはコリンナが一番だ。それは絶対に変わらない」
「はいはい。もういいわ。……それで、マインちゃんは、ベンノ兄さんから見ても変だと思うの?」

 コリンナに話を向けられたベンノは杯を置いて、天井の梁を見上げながら、ゆっくりと息を吐く。

「あぁ。光が浮き上がるように艶のある夜色の髪に、真っ白で汚れがない肌で、労働と生活感を感じさせない手だった。歯も白かったな。全てがボロの服とちぐはぐな印象で、どう考えても不自然だった」
「光が浮き上がるほど艶がある……ですって!? 何をしたらそうなるの!?」
「え? コリンナはそのままでも十分だよ?」
「オットーは黙ってて。ベンノ兄さんに聞いてるの」

 女性にとって、髪の艶はかなりの関心事になるようだ。コリンナが裁縫以外でここまで興味を示すのは珍しい。

「何か付けて手入れしているようだが、何をつけているのか教えてもらえなかったな」
「秘密って言われたもんな、ベンノ」
「オットーは教えてもらえるの?」
「……多分、これから先は警戒されて、聞き出せないと思う」

 マインの髪の艶の秘密を知りたがるコリンナのために、駄目でもともと、今度会ったらマインに聞いてみよう。

「髪の艶はともかく、手が綺麗なのは、身体が小さくて、腕力がないから、大した手伝いもできないせいだよ。それに、マインちゃんの肌の白さは病弱ですぐに寝込むから、外に出ることがなくて、日に当たることが少ないせいだと思う。実際、外に出るようになったのは、春以降のことだし」
「……そういえば、前回は嬢ちゃんが熱を出したから、会合が流れたんだったな」

 五日も熱が下がらなかったせいで、班長がピリピリして大変だったことを思い出して、俺はうんざりとした表情を隠せないまま頷いた。

「つまり、マインちゃんのそういう外見は病弱なせいでしょ? 変わっていると言うほどでもないんじゃない?」

 コリンナは話を聞いて、大したことがないと判断したらしい。興味を失ったように、肩を竦めるコリンナにベンノが首を振った。

「いや、外見だけじゃない。俺が気になったのは姿勢や口調だ。……これは躾をされていないと身につくわけがない。まさか、親が落ちぶれた貴族で躾に厳しいってわけでもないんだろう?」

 班長の家庭事情について、そこまで詳しいわけではないけれど、マイン以外の家族を見れば、貴族と繋がりがあるかどうかはわかる。

「班長にはもう一人娘がいるけれど、そっちは結構普通。髪に艶があって、比較的綺麗な肌をしているけど。それだけ。マインちゃんと違って周りから浮くほどじゃない」

 俺の言葉に軽く頷いたベンノは、コリンナを見据えて言った。威哥王三鞭粒

「コリンナ、あの嬢ちゃんの異常さは見た目だけじゃない。俺に睨まれても目を逸らさない胆力、髪の艶については情報を伏せて有利に事を運ぼうとする頭の回転、現物がなくてもハッタリかます度胸、条件つけてくる交渉……どれをとっても洗礼前の子供のものじゃない」
「ベンノ兄さんに睨まれても目を逸らさない子供なんていたの!? その子、変だわ。間違いなく、変よ」

 目を見開いて、コリンナが叫んだ。
 威圧的になったベンノは肉食獣のように鋭い目になる。
 ベンノが長男でコリンナが末っ子で、コリンナが幼い頃に父親を亡くしたことで、ベンノはコリンナの父親代わりでもあった。幼い頃から叱られてきたコリンナは、大人でも目を逸らしたくなるベンノの怖さを嫌というほど知っている。

「あ~、計算能力に記憶力もすごいぞ。そういえば、石板を与えた時もビックリしたんだ。誰に教えられることもなく、正しく石筆を持って書いていたんだぜ。まるで、書き方を知っているように」
「貴方がお手本を見せたんじゃないの?」

 首を傾げたコリンナが俺の杯が空になったことに気付いて、おかわりを注いでくれる。
 そりゃあ、見せたけどね、と答えて、俺はコリンナが入れてくれた酒を一口飲んだ。酒で口を湿らせながら、何と言えばいいか、逡巡する。

「見てすぐにすらすら書くのは、そう簡単にできることじゃないって。季節ごとに入ってくる見習い兵士に字を教えているからわかるんだけどさ。石筆の持ち方を教えて、思ったように線を引けるようにならないと、字は書けないんだ」
「そういえばそうね……」

 コリンナも見習いに物を教えることが多いため、見せれば覚えるのではないことをよく知っているのだろう。

「マインちゃんは計算能力もおかしい。本人は市場で数字を母親に教えてもらったと言っていたけど、数字を教えてもらっただけで計算ができるはずがないだろう?」
「いや、ウチに来る見習いだって、少しの計算くらいはできる。親がしていれば多少は覚えているものだぜ?」

 商人の見習いになるのは基本的に親が商人なので、洗礼式の頃に文字の読み書きや計算が多少できる子供も少なくはない。俺だって、小さい頃から旅商人の親について回っていたので、計算も文字も教えられた。
 だが、マインができる計算は桁が違う。

「少しなんてもんじゃないんだ。会計報告なんて、南門で使われる備品の数や値段を計算するものだろ? 市場で使われているような小さい数字だけじゃなくて、合計していくとかなり大きな桁の数になる。それを当たり前のように、計算できるんだ。それも、計算機も使わずに、石板に数字を並べて書くだけで」
「……やっぱり助手として活躍してんじゃねぇか。あんな子供に会計報告を手伝わせるなんて」

 面白がるベンノを軽く睨んで、俺は二人を驚かせるために、誰にも言ったことがないことを告げた。

「ここだけの話だけどさ、書類仕事は七割方、任せられる」
「……はぁ!?」
「……七割って、貴方……」

 予想以上に驚いてくれたようだ。目を見開いて一瞬固まった顔がよく似ていて、思わず笑ってしまう。

「まだ覚えている単語数が少なくて、それだからな。末恐ろしいぞ。俺の留守中に、貴族の紹介状に対して完璧な対応をしてのけたんだ」

 アレには驚いた。
 溺愛している娘の洗礼式の日に会議があって、そわそわうずうずいらいらしている班長にやきもきしながら会議を終えると、マインから報告を受けた。下級貴族の紹介状を持った商人が待っている、と。

 本来、貴族から貴族へ紹介されている客は、確認が取れ次第、できるだけ速く城壁へと行けるよう便宜を図ることになっている。客が平民でも下級貴族のように扱うのだ。
 その日はたまたま上級貴族によって招集された会議だった。どちらを優先するかと言われれば、当然上級貴族だ。
 しかし、対応を誤ると客が「無礼だ!」と怒りだしたり、下級貴族の紹介状を盾に高圧的に振る舞ったり、会議に押し掛けてきて上級貴族の怒りを買ったり、とんでもないことになる。

 そんな中、マインは貴族ではない商人に下級貴族用の待合室を使うことで商人の自尊心をくすぐり、上級貴族が招集した会議だと説明することで納得させた。そして、会議終了すぐに報告してもらったことで、士長と行き違いにもならず、速やかに処理することができた。
 ついでに、右往左往する新人兵士に子供から教えてもらうようでは駄目だと奮起させることができたのだ。完璧だ。

「すごい子、なのね?」
「すごいというか……異常。おかしい。でも、多分、父親であるギュンター班長はマインの特異性に気付いていないと思う。班長の接し方を見れば、病弱で可愛い娘に対するものでしかないんだ。俺が助手にしたいと言わなかったら、優秀さにも気付いていなかったんじゃないかな? 今も「ウチの子、賢い」レベルで、異常なほど賢いことはよくわかっていないと思う」
「鈍い親でよかったじゃねぇか。気味悪がって捨てられてもおかしくないぞ」

 ベンノの言葉にコリンナが悲しげに眉を寄せる。

「そんなこと、冗談でも言わないで。想像もしたくないわ」
「大丈夫だよ、コリンナ。たとえ、親が気味悪がって捨てたとしても、ベンノが拾ってくれるさ。マインちゃんはベンノを返り討ちにできるくらい優秀なんだから」

 俺が笑ってそう言うと、コリンナがくすりと笑った。威哥王
 うん、コリンナはやっぱり笑っている方が可愛い。

「なぁ、あの嬢ちゃんは本当に作ってくると思うか?」

 ベンノが指先でテーブルをトントンと軽く叩きながら、俺を見据える。赤褐色の目が先を読もうとする商人の目になっていた。

「羊皮紙じゃない紙、だっけ? 確実にやるさ」
「ずいぶんと信頼してるんだな?」
「ん~……今すぐにでも欲しくて、作りたいけど、自分では力がなくてできないって言ってたのが、それじゃないかな? 自分でできないなら、他の奴にやらせろって、俺がこの間焚きつけた。ルッツがマインちゃんの要求通りの手足になれたら、完成するさ」

 力も体力もない、と悔しそうに言っていたが、それはつまり、作り方はわかっているということだ。
 マインは勝算があるからこそ、現物を作ると言ったんだと思う。多分、ハッタリではない。

「……実現したら市場がひっくり返るぞ。あの嬢ちゃん、どう扱うかな?」
「もしかして、マインちゃんを抱え込む気か?」

 ベンノの言葉から、ルッツだけではなくマインまで見習いとして抱え込むつもりだと推測して問いかけると、くわっとベンノが目を見開いた。

「当たり前だ! あんなもの、余所にやれるか!? あの嬢ちゃん一人だけで一体どれだけの商品が作れる? あのカンザシ、髪の艶を出す物、羊皮紙じゃない紙……俺が今日知ったのはこれだけだが、絶対に色々隠し持っている。市場をひっくり返す災害になる」
「ちょっと待て! アレは俺の助手だ。勝手に連れていくなよ」

 ベンノの主張に間違いはないだろうが、反論はある。
 マインは俺が半年かけて、決算時期のために育ててきた貴重な戦力だ。横から掻っ攫われるのを黙って見ているわけにはいかない。
 しかし、ベンノは鼻でフンと笑って、唇の端を釣り上げる。

「本人の第二希望が商人だ。助手に興味はないってよ。半年仕込んだだけだろ? 他を当たれ」
「半年であれだけ使えるようになるヤツが他にいるわけないだろ! マインちゃんが考えて、ルッツが作るなら、マインちゃんは門で仕事していても問題ないじゃないか!」

 特に決算時期だけは譲れない。力一杯睨んだが、ベンノも全く譲ろうとしない。
 杯を置いて、グッと身を乗り出してくる。

「駄目だ! 商業ギルドと契約させる。他に取られるような危険は冒せない」
「マインちゃんの体力を考えると、商業ギルドは無理だ!」
「体力?」

 ベンノが虚をつかれたように、勢いを失くす。
 それを好機とみて、俺は一気に畳みかけた。

「ビックリするほど虚弱で病弱なんだぞ? 身体を使うような仕事は無理だ!」
「……そんなに虚弱なのか?」
「あぁ、豚の処理に農村に行ったマインちゃんがそこで倒れて、班長が宿直室に連れてきたのが初めてきちんと接した時だけどさ。暖炉がある部屋だから大丈夫だろうと、暇潰し用の石板与えて鐘一つ分放っておいたら、熱出して倒れてた」
「は?」

 見張りに立たなければならないので、暖炉のある部屋に置いておいたのに、様子を見に行ったら、熱を出して倒れていた。迎えに来た班長が「気にするな。いつものことだ」と言っていたので、その虚弱さは家族にとって当たり前のものらしい。

「春になったばかりの頃はひどかったぞ。家から門まで歩けなかったんだ」
「門まで、だと?」
「街のどこに家があっても、門まで歩くのってそれほど遠くないわよ?」

 街の回りを外壁がぐるりと取り巻くのだから、街自体、それほど大きなものではない。子供の足でも西門から東門まで、鐘一つ分の時間があれば歩けるはずだ。

「そう、班長の家は南門から大して遠くない。でも、駄目だったんだ。途中でへたれて、班長に抱えられてやってきた後、宿直室で倒れて昼まで動けない。ついでに、2~3日は確実に寝込んでいた」
「おい、それ、本当に大丈夫なのかよ? 仕事させたら死ぬんじゃないのか?」

 その恐れがないとは言えない。
 特に、今勢いがあるベンノの仕事場は活気に溢れている分、忙しい。マインの体力で務まるとは思えない。

「うーん、春の中頃にやっと門まで歩けるようになって、寝込む日数も減ってきて、春の終わり頃に森に行けるようになったけど、まだ普通の仕事ができる体力はないと思う。だからこそ、書類仕事専用で門が面倒見ようと思っていたんだし……」
「むぅ……」

 病弱と言っても、そこまで虚弱だとは思っていなかったのだろう。ベンノが眉間を押さえて考え込む。今まで考えてきた計画では駄目だと方向転換するのだろう。
 それなら、もう一つ情報を与えておいた方がいいかもしれない。

「そんなマインちゃんの面倒をずっと見てきたのがルッツなんだ。子供達の集団から遅れるマインに付き添って森まで行くんだ。班長に多少の小遣いをもらっていたとはいえ、献身的で責任感は強いみたいだぞ」

 走り回りたい年頃の男の子が虚弱なマインに付き添うのだ。誰にでもできることではない。
 ちなみに、俺はよほどの義理がない限り、コリンナ以外へ献身的にしてやるつもりはない。MaxMan

2014年11月10日星期一

早速作ってみた

夕飯を終えるとすぐに、父は朝番なので寝てしまう。父の睡眠を邪魔しないように、台所で静かに作業ができる手仕事は、自分達が寝るまでの時間潰しにもピッタリだ。
 父が寝室へ行って、寝る準備を始めたので、わたしはトゥーリと母に冬の手仕事の話を切りだした。狼1号

「今日ね、フリーダに作った髪飾りが評判良くて、欲しいって人がいるから、冬の手仕事を前倒しにできないかってベンノさんに相談されたの。トゥーリの髪飾りと同じやつが欲しいんだって」
「……できなくはないけど」

 母とトゥーリは一度顔を見合わせた後、疑わしそうに眉を寄せた。できなくはないけれど、冬の手仕事を前倒しにするのは手間がかかりすぎる、と顔に書いてある。
 予想通りの反応に、わたしはトートバッグに手を入れて、証拠とばかりにチャリチャリンと中銅貨を2個、テーブルの上に並べた。

「少しだけど前金を預かって来たから、一つ出来たら、ちゃんと料金払うね」

 次の瞬間、母とトゥーリがガタリと立ち上がって、少しでも明るい竈の側に二人がテーブルを寄せた。

「え? あれ?」

 わたしは、間抜けにも椅子に座ったまま取り残されて呆然とするしかない。
 その間に、トゥーリは裁縫箱から三人分の細いかぎ針を取ってきて、母は物置から糸が詰まった籠を運んでくる。
 あまりにも息が合った動きに、わたしは圧倒されながら、椅子から下りた。椅子をテーブルのところに移動させようとガタガタ引っ張ると同時に、母の声が飛んでくる。

「マイン、参考にする見本はどこ?」
「え? トゥーリに返したけど?」

 わたしの言葉に反応したトゥーリがササッと動いて、自分の木箱から髪飾りを出してくる。
 トゥーリが髪飾りを探してごそごそと動く音に「何だ? どうした?」と父の声が聞こえてきたが、「何でもないわ。おやすみなさい、ギュンター」と母の声が台所から飛んだ。
 わたしがテーブルのところに自分の椅子を移動させて、よいせっと座り直した時には、すっかり手仕事の準備は整っていた。

「マイン、何色で作ればいいの?」

 糸の籠の中を漁りながら母が尋ねてきたけれど、指定された色はない。トゥーリの髪飾りとデザインを揃えろと言われているだけだ。

「お客様の髪の色や好きな色がわからないから、色違いでたくさん作ってほしいって言われてるの。トゥーリの髪飾りと同じになるように三色選んで、花の数も同じで作って」
「わかったわ。白と黄色と赤でどう?」
「可愛くて良いね」

 わたしの答えを聞くと同時に母は猛然と編み始めた。トゥーリの髪飾りを編んでいたので、作り方も知っているから、速い、速い。わたしが作ると一つにだいたい15分くらいかかる小花を5分ほどで編み上げるのだ。
 それぞれの色で4つずつ小花を作って、ブーケを作ることになる。

「色々あると選べて嬉しいもんね? わたしは白と黄色と青にしようかな? 自分の髪飾りと一緒の色。マインは何色にするの?」

 たくさんある色の中から、好みの色を選り分けて、うふふっ、とトゥーリが笑う。わたしが作った髪飾りをとても気に入ってくれているようで、わたしも嬉しい。

「わたしはピンクと赤と緑にしようかな。緑の小花が葉っぱみたいになって可愛いと思うんだよね」
「うん。可愛い。……ねぇねぇ、マイン。どうやって作るの?」

 わき目もふらず編んでいる母には聞けないと思ったらしいトゥーリが、ガタガタとわたしの隣に椅子を寄せてきた。見本になっている髪飾りはトゥーリのために作っていたので、トゥーリは作っていないのだ。

「そんなに難しくないよ。こうやって、こうやって……」

 トゥーリに編み方を見せながら、小さな花の作り方を教えると、フリーダのバラよりよほど簡単なので、トゥーリはすぐに作れるようになってしまった。

「わかった。ありがとね」

 ガタガタと椅子を元の位置に戻すと、トゥーリも静かにもくもくと編み始める。
 しばらく編んでいたが、3個の小花を編み終えて、わたしが視線を上げれば、できている小花には圧倒的な差があった。
 母はもう少しで1個の髪飾りになりそうな数の小花があり、トゥーリの前には6個の小花が転がっている。

 おおぅ、さすが、裁縫美人。

 母もトゥーリも手の動きがわたしとは比べ物にならないくらい速い。あっという間にできていく。
 おかんアート出身のわたしでは、スピードでも出来上がりの美しさでも勝てるはずがない。せめて、髪飾りを二人の物と比べた時に、一目で出来が悪いと思われないように丁寧に作ろうと決めて、かぎ針を動かしていく。

 普通の冬の手仕事なら、雪に閉じ込められて、暇で、暇で、仕方ない時にするので、和やかにお喋りしながらするものだ。しかし、今夜はテーブルの上に並んだ現金のせいで、お喋りが口から出ることなく、二人とも一心不乱に編んでいる。sex drops 小情人

「できた! この後はどうするの?」

 喜色に輝くトゥーリの声にハッとして顔を上げると、トゥーリの前には12個の小花が並んでいた。

「トゥーリ、速いね。すごいよ。えーと、この後は端切れに縫い付けて……って、あ、端切れ! 原価計算に入ってない!」
「手仕事の材料なんて、自分で準備するのがほとんどなんだから、ウチにあるのを使えばいいわよ」

 母はすでにウチにある端切れで、小花を縫い付けて、ちゃんと髪飾りの形に仕上げていた。

「……後でベンノさんに料金請求するか、布を請求するかどっちかするよ」
「これ一つに中銅貨2枚ももらえるのだから、そこまでしなくていいわよ」

 ……え? 普段やってる手仕事って、どれだけひどいの。

 冬から本格的に始まる手仕事では、端切れの原価も入れて計算し直してもらおうと心に決めると、トゥーリが物置から取ってきた端切れを一つ手に取った。

「母さんが作ってるから参考にして、同じ色の花が固まらないように縫い付けていってね。あまり下の布が見えないように縫い付けていくと、小花が集まって花束っぽく見えるから」
「うん、わかった」

 トゥーリが作り始めた髪飾りが完成したところで、今日は終わりにして寝ることにする。
 結局、寝るまでにわたしは半分くらいしかできなかったけれど、トゥーリは1個作り上げ、母は2個目が8割方できていた。

「じゃあ、今日の支払いをしまーす」
「わぁい!」

 わたしは二人に中銅貨を2枚ずつ支払って、できた飾りはわたしの木箱に片付ける。

「じゃあ、二人とも寝なさい」
「母さんは?」
「この中途半端なものを仕上げてから寝るわ」

 八割方終わっている髪飾りを指差して母が困ったように笑う。
 母のスピードならすぐに終わるだろう。わたしはトゥーリと二人で父を起こさないように気を付けながら寝室にそっと入った。

 なのに、なんで朝起きたら、テーブルの上に仕上がった髪飾りが2個も置かれているんだろう?……夜なべしたね、母さん。名残惜しい気分で寝たトゥーリが怒ってるよ。

「母さんだけ夜中にこっそりやるなんてずるいっ!」
「ごめんね、トゥーリ。気を付けるわ。さぁ、お仕事に行っておいで」

 ぷくぅっと膨れるトゥーリに母が謝りながら、仕事に行くように促す。納得できていないような表情のまま、トゥーリは「帰ってきたら、わたしだっていっぱい作るんだから」と言って飛び出していく。
 トゥーリが行ったので、わたしは母が作った2個の飾りを片付けて、代わりに中銅貨4枚を取り出した。

「忘れないように母さんが仕事へ行く前にお金を渡しておくね。それから、今日もベンノさんのところに行ってくる。ルッツの簪と合わせて髪飾りを完成させて、お金もらって来なきゃ二人に渡せないから」
「わかったわ。気を付けていってらっしゃい。ベンノさんによろしくね」

 中銅貨を財布に片付けた母は、笑顔で「今夜も頑張るわ」と張り切って出かけていった。
 バタンとドアが閉まって、鍵が閉まる音がする。足音が小さくなるまで笑顔で手を振っていたわたしは、ハァ、と溜息を吐いた。

 まずい。現金の威力、強すぎ。
 ここまでスピードアップすると思わなかった。
 母さんが夜なべまでするなんて予想外すぎる。
 髪飾りを完全に仕上げて売って、現金の補充をしなきゃ、今夜いきなり困るよ。

「まぁ、今日は先にトロンベの皮剥きだけど」

 ルッツがいつ迎えに来るかわからないので、いつでも出られるように準備をしておこう。
 まず、じゃが芋もどきのカルフェ芋を2個。
 それから、蒸している間に勉強できるように石板と石筆と計算機。ベンノのところに行く予定なので、発注書セットも忘れずに入れておいた。
 さらに、わたしが作っている途中の髪飾りを完成させるためのかぎ針と糸。出来上がっている小花を7つと端切れ。それから、端切れや簪に縫いつけるための針と糸。

 ルッツが来るまで、小花を作りながら待っていようと、ちまちまかぎ針で編み始める。
 小花が2つできたところで、ドンドンとドアを叩く音がして、「マイン、いるか?」とルッツの声が響いてきた。曲美

「おはよう、ルッツ。ねぇ、簪部分って、できてる分ある?」
「一応5つ作ったけど?」
「それ、全部持ってきて。わたし、針と糸を持って行くから。蒸している間に完成させて、ベンノさんのところに売りに行かなきゃダメなの」

 昨夜のうちに4つはできちゃったんだ、と呟くと、ルッツが目を見開いた。

「ちょ、速すぎないか!? あの花って、作るのが大変で時間がかかるって……」
「ん、まさかここまで速くなると思ってなかったから、実はわたしが焦ってる」
「……わかった。簪部分だけ持ってくればいいか? 他にいる物は?」

 今日、ルッツが絶対に忘れてはいけない物は一つだけだ。

「バターは? 準備できてる?」
「聞き間違いじゃなかったのか……。取ってくるよ。戸締りして下に向かっててくれ」

 どうやら準備していなかったらしい。危うくじゃがバターを食べ損ねるところだった。
 ルッツが身を翻して階段を下りていくのを見送って、わたしは準備していた荷物を持って、外に出た。

「寒いねぇ」

 人の気配がない倉庫はキンキンに冷えていて、外の方が太陽の光がある分暖かいと感じるほど寒い。倉庫の中には火を使えるような場所はないので、倉庫前で鐘一つ分ほどトロンベを蒸して、黒皮を剥く作業をすることになる。

 荷物を倉庫に置いて外に出ると、ルッツは石を積み上げて、鍋の準備をしていた。
 わたしは蒸し器にトロンベを並べていく。蒸し器の中はあっという間にいっぱいになった。

「ルッツ。蒸し器、もう一段いるみたい」
「持ってくる」

 前に作った時は試作品だったので、それほど多く蒸す必要なかったが、今回はここにある素材を全部蒸してしまわなければならない。最初から二段で蒸せるように蒸し器は準備してあったので、ルッツに倉庫からもう一つを持ってきてもらう。

「もう鍋を置いていいか?」
「うん、木を並べるのはすぐに終わるよ」

 ルッツが鍋を固定している間に残りのトロンベを並べる。
 そして、持ってきた芋も火が通りやすいようにナイフで十字に切り込みを入れて、一緒に並べて蓋をした。これで20分くらい蒸せば、おいしいじゃがバター――正確にはじゃがではないけれど――が食べられるはずだ。

 鍋の前で火にあたりながら、わたしは小花を作り始めた。わたしが髪飾りの小花を作るのに、大体15分くらいかかるので、片付ける時間も考えると、じゃがバターの待ち時間に丁度いい。

「ルッツは倉庫に残ってる竹で細い竹ぐし作っててね。先を尖らせたヤツ」
「は? なんで?」
「なんでって、『じゃがバター』ができたか確認するのにいるから」
「え? マイン、お前、何やってんの?」
「蒸し器使うなら食べたいなって……ルッツはいらない?」
「食うに決まってるだろ! ジャガバターって食い物かよ!?」

 あぁ、そうか。じゃがバターじゃ通じなかったんだ。
 芋のバターソテーみたいな料理はあるから、普通に食べられるだろうけど。

 蒸し器の中に食べ物があるとわかった途端、ルッツが張り切って竹ぐしを作りだした。

「なぁ、マイン。そのジャガバターってうまいのか?」
「わたしは結構好きだよ。ルッツも多分食べ慣れた味だと思うけど?」

 鍋が大きいので湯気が出始めるまでに予想以上に時間がかかったので、わたしは2個の小花を作り上げることでだいたいの時間を計った。
 そろそろ芋の様子を見てみよう。K-Y

「いいよ、ルッツ。蓋、開けて!」

 ラルフが作った何かの失敗作を台にして立ち、できたての竹ぐしを右手に構え、左手には菜箸をつかんで、わたしはルッツが蓋を開けるのを待つ。

「マイン、顔をあんまり近付けるなよ!」

 ルッツが蓋を開くと同時に、ぶわっと白い湯気が一気に飛び出してきた。熱くて白い湯気をやり過ごして、視界が開けると、トロンベの中に少し黄色が濃くなった芋が湯気を立てている。
 わたしは右手の竹ぐしをそっと芋に刺してみる。スッと通って形も崩れないし、いい感じに仕上がったようだ。
 右手の竹ぐしと左手の菜箸を入れ替えて、今度は菜箸を構えた。

「ルッツ、お皿がいる!」
「そんなもん、ここにあるか!」
「そこの平たい板でいいから取って。それから、バターの準備がいるよ」
「飾り作るより先に準備しておけよ!」
「ぬぅ、面目ない」

 芋を菜箸で取り出して板の上に乗せると、すぐ蒸し器に蓋をしてもらう。
 わたしは台から飛び降りると、十字の切れ込みをナイフでこじ開けて、すぐにバターを挟みこんだ。熱でとろりと溶けていくバターの匂いがたまらない。
 がんがんテンションの上がっていくわたしとは対照的に、ルッツのテンションは蒸し器から出てきた芋を見た瞬間から、だだ下がりだ。

「……なんだ、カルフェ芋かよ。マインの料理だから期待したのに」

 食べ慣れすぎてガッカリらしい。
 この辺りではよく栽培されているので、カルフェ芋は食卓にはよく出てくる食材だ。食べ飽きているのだろう。手の込んだ料理ならともかく、皮までついている状態では、期待できないのはよくわかる。

「うんうん。確かにカルフェ芋をバターで絡める料理なんて、いっぱいあるもんね? ルッツはいらないってことでいい?」
「……食うよ」

 むぅっと脹れっ面のルッツは放置しておいて、わたしは上の方だけペロッと皮をめくると、手を火傷しないようにエプロンで包んで、芋を持つ。そのまま、湯気がほこほこと立っている芋に大きく口を開けて噛みついた。

 外の冷気で表面だけが程良く冷めているが、中は熱くて、ほろほろと口の中で解けていく。トロンベと一緒に蒸したせいで、まるで燻製のように木の香りがついていて、それがバターの風味に合わさって、家では食べることができない味になっている。

 ん~、と頬を押さえて、美味しさに身悶えていると、ルッツが横で溜息混じりの白い息を吐きながら、カルフェ芋にかじりついた。
 直後、カッと目を見開いて、芋をじっと見る。騙されているような奇妙な表情でわたしと芋を見比べた後、首を傾げながらもう一口食べる。

「……うまいっ! なんでだ!? 家で湯がいた芋と全然味が違う!」
「蒸したからだよ。蒸すと栄養も旨みもぎゅうっと閉じ込めるからね。今回はトロンベと一緒に蒸したから、まるで燻製みたいな香りまでついて、すごく贅沢な気分になれるよね」

 ほくほくうまうまカルフェ芋を食べながら、わたしは昨夜の飾りを作っていた時のことをルッツに話した。

「……そんな感じで、昨日の夜は母さんもトゥーリもすごかったよ。今夜もやる気満々なの。1個も仕上げられなかったわたしの役に立たなさを改めて実感したね」
「威張るなよ」
「ルッツは? どうだったの?」

 カルフェ芋を全部食べ終わったルッツは、名残惜しそうに指をなめた後、渋い顔をして頭を振った。SPANISCHE FLIEGE D5

2014年11月6日星期四

倒れた理由

 カツカツと大股で足早にベンノが歩くと、お姫様抱っこをされて仰け反った状態のわたしの頭がガックンガックンと揺れる。脳味噌が掻き回される感じがするので、もうちょっと揺れないように歩いて欲しい。
 そんなことを考えていると、後ろの方から慌てた様子で駆けてくる足音が追いかけてきた。精力剤

「ベンノ様、お待ちください!」

 フランの声だ。ガクンと仰け反った視界にフランの胸元から顎が映った。フランがベンノの半歩後ろについて歩きながらもう一度呼びかける。

「ベンノ様」
「何だ? 見ての通り、俺は急いでいる」

 足を止めようともせずに、ベンノは丁寧さの欠片もない素の状態で言葉を返した。そのぶっきらぼうな態度に一瞬怯んだフランだったが、グッと息を吸い込んで食い下がる。

「マイン様を運ばせてください」
「急いでいる。却下だ」
「お客様に運ばせるわけにはまいりません。私がマイン様の側仕えです」

 ベンノ相手に引こうとしないフランの言葉に、わたしは内心ハラハラしていたが、ベンノは突然足を止めた。

「力が入っていないヤツは小さくても重いぞ。絶対に落とすな」
「存じております」

 その場にゆっくりと膝をついたベンノがわたしをフランに渡す。
 フランはわたしの頭の位置や腕の位置を微調整して、立ち上がった。頭の位置がフランの肩にもたれかかるようになったので、頭がガクンガクンと揺れることはなくなった。

「フランは抱き上げるのが上手だね」

 わたしが感心してそう言うと、フランは少しだけ怒ったように声を尖らせる。

「マイン様、無理して喋る必要はございません」
「身体に力は入らないけど、頭は冷えてる感じだから、別に無理はしてないよ」
「……お言葉遣いに気が回せていらっしゃらないようなので」

 フランの言葉に心配の色がにじんでいて、わたしは小さく笑う。フランの心遣いがわかって、ちょっと気恥ずかしいけれど、ちょっと嬉しい。

「あのね、フラン。デリアやギルがいると、二人で話せる機会が次にいつあるかわからないから、言っておきたいの。いい?」

 廊下には他の神官がいるかもしれないので、フランの耳元で内緒話をするように囁きかけると、視線だけは真っ直ぐ前に向いたまま、フランは小さく頷いた。

「お伺いします」
「わたし、まだ全然貴族のことわからなくて、フランをすごく困らせると思うけど、なるべく早く覚えるように努力するから、協力して欲しい。神官長の役に立てるように頑張るから、目的は同じってことで協力し合えないかな?」

 グッとフランの腕に力が籠り、フランの喉仏が上下して、息を呑むのが見えた。

「それが私の仕事ですから。……私の方こそ、神官長のお心を推し量れず、マイン様に不満をぶつけるような結果になったこと、お許し頂けたらと……」
「え? 推し量れず、って何? 神官長はちゃんと説明しなかったの?」

 ポカーンとしてしまう。説明も無しに、わたしに付けられたら、それは不満だろう。神官長付きの側仕えから一介の青色巫女見習い――それも、貴族でもない平民の小娘――の側仕えに変えられるというのは、左遷だとしか思えなくても仕方ない。

「周りに一体どれだけ敵に通じている者がいるかわかりませんから、言質を取られぬよう、神官長は普段から多くを語られません。人払いをしたとはいえ、今日のお言葉の多さには驚きました」
「いやいや、部下に意図が通じてないのは、問題だよ。フランは意図がわからないまま、わたしに付けられて辛かったんでしょ?」

 神官長の立場が一体どういうものなのか、わたしには全くわからないが、こんな忠義者に悲しい思いをさせていたら、味方は減るばかりに違いない。

「そうですね。神官長には必要ないと、デリアやギルと同程度の者だと、言われた心地がいたしました」
「それはないよ。神官長はね、フランをわたしに付けておきながら、フランを手放したつもりなんて欠片もない人なんだよ」

 神官長への忠誠心を更に強くし、ついでに、わたしにも優しくしてくれるといいなぁ、という下心満載のフォローのために、わたしはこっそりと囁いた。媚薬

「そうでございましょうか?」

 疑問の形をとっているけれど、フランの声音には明らかに否定の色が強い。

「わたしに貸してるだけの気分だから、ベンノさんって客人がいる前で、一応新しい主であるはずのわたしに何の断りもなく、フランに命令しちゃえるんだよ。秋までに体調管理できるようになれって、言ってたけど、普通の貴族に置き換えたら、かなり失礼じゃない?」
「……マイン様のおっしゃるとおりですね」

 フランがくすりと小さな笑いを漏らした時、玄関の扉が開いた。
 ちょうど馬車が前に入ってくるところで、タイミングを合わせていたのだろう御者が、わたし達のあまりに早い登場に目を白黒させているのが見えた。

「フラン、マインを寄こせ」

 先に馬車へと乗ったベンノが腕を広げる。フランが一瞬の躊躇いを見せた後、ベンノにわたしを渡しながら、すがるような声を出した。

「わたしもお伴することはできませんか?」
「駄目だ。その服で神殿から出ると、つまらん問題が起こる」

 わたしを受け取ったベンノからピシャリと却下の言葉が吐かれた。服を理由に断られると思っていなかったのだろう、フランは戸惑ったように自分の服を見下ろす。

「しかし、私達はこれ以外……」
「中古で良ければ、次回までに服を準備してやる。今日は諦めろ」
「恐れ入ります」

 ベンノに礼を述べた後、馬車の前でフランが両手を交差させて、少しかがんだ。

「マイン様、ご無事のお帰りを心よりお待ちしております」

 出かける主に向けられる挨拶だったが、予想外の言葉に狼狽した。どう答えて良いかわからない。
 わたしはフランの主は神官長だと思っていたし、フランにとって良い主ではない。待たれるような存在ではなかったはずだ。
 言葉を返すことができないわたしにベンノが耳元で低く囁く。

「留守を任せる。そう答えてやればいい」

 留守って言われても、神殿はわたしの家じゃないし、部屋もないし、まだ居場所と言えるほど思い入れのある場所でもない。
 そう反論するのは簡単なのに、フランに待っていると言われてしまえば、わたしはフランの主として、ここに戻って来なければならない気がして、むず痒いような気分になった。
 軽く息を吸って、精一杯主らしく答える。

「フラン、留守を任せます」


 馬車の中ではベンノの膝に頭を置いた状態で、座席にゴロンと横にされた。金のブローチを外したベンノのマントで包み込まれると、冷たくなっている身体が少し温まった気がする。
 ホッと安堵の息を吐くと同時に、自分の状況に気がついて、思わず叫び出したくなった。

 何これ!? 膝枕ってやつじゃないですか!

 秘密の手紙交換に加えて、身内以外の異性との膝枕初体験までベンノとこなしてしまうことになるとは、想像もしていなかった。恋心の伴わないイベントはノーカウントでいいだろうか。
 ベンノの膝に全体重を預けた状態を自力で回避できるわけがないので、店に着くまで、この照れくさくて恥ずかしい体勢でいるしかない。
 逃げ出したい気分を少しでも霧散するため、わたしは少しばかり早口になりながらベンノに質問する。

「ベ、ベンノさん、神官って、普段着は持ってないんですか?」
「必要ないからな。持っていなくても不思議はない」

 ベンノの説明によると神官が神殿から出て、下町の方に現れるのは、儀式の時だけらしい。青色神官ほどは目立たないが、基本的に神殿から出ることがない灰色神官が街の中をフラフラすると悪目立ちする。それも、わたしにつき従うように灰色神官が動けば、嫌でも注目されるに違いないと言う。

「あの、じゃあ、えーと……」
「マイン、もう黙ってろ」

 静かに宥めるような口調でそう言ったベンノがゆるりと額を撫でた後、冷たい手に熱を与えるように軽くわたしの手を握る。それは、まるで大事な恋人が倒れたような仕草だった。性欲剤
 前世においてさえ、こういう経験値は積んでないわたしとしては、気恥しいを通り越して困惑した。どう反応すればいいのか、わからない。

 口調がぶっきらぼうなくせに、ベンノさんは無意識でこういうことをやっちゃうから、周囲から妙な誤解を受けるんだよ!

 わたしの思考を読んだように、正面に座るマルクが悲しげに目を伏せる。

「旦那様、マインはリーゼ様ではありません。大丈夫ですよ」
「……わかっている。わかっているから、大丈夫だと、簡単に言うな」

 ベンノは窓の外を眺めながらそう言ったけれど、わたしの手を離そうとしない。こちらを見ようとしないベンノの表情は全く見えない。
 けれど、何でもできて、完璧に見えるベンノの触れてはいけない場所に触れてしまった気がした。多分、ベンノを安心させようと「大丈夫だよ」と笑いながら、恋人は逝ったに違いない。

 声をかけることもできず、熱を与えてくれる大きな手を握り返すこともできないまま、馬車はギルベルタ商会に着いた。

 御者が外の鍵を開けて扉を開くのと、マルクが馬車を飛び出すのはほぼ同時だった。店の扉を開けて、従業員に指示を出す。慌てているように見えても、素敵執事なマルクは有能なようだ。ベンノのマントに包まれたまま、ベンノに抱きかかえられたわたしが奥の部屋に運び込まれた時には、マルクと従業員によって長椅子が運び込まれていた。

「ルッツ、奥の部屋へ来なさい」

 店でわたしの帰りを待ちながら、仕事をしていたらしいルッツが、珍しいマルクの大声にバタバタと足音を立てて、駆けよってくるのが聞こえる。

 奥の部屋へ運び込まれた長椅子に、ベンノが一度マントを剥ぎ取って、わたしを横たえる。だらんと落ちた腕をお腹の上に置かれて、自分の腕が意外に重たいと感じた。上からふわりと布団代わりにマントがかけられる。

「ルッツ、マインが神殿で倒れた」

 長椅子に転がされたわたしの顔をルッツが心配そうに覗きこむ。額や首筋、手を触りながら、不思議そうに首を傾げた。

「疲れてるみたいで顔色が悪いけど、熱は出てないし、むしろ、手足が冷たいくらいだよな? 力が入らないだけって……今まで見たことがない。なぁ、マイン。今日は一日、何してた?」

 ルッツの質問に、わたしは長かった今日一日を思い返した。

「えーと、神殿に行って、誓いの儀式をして、お祈りと奉納をして、側仕えを紹介されて、神官長からちょっとした説明を受けて、ルッツが迎えに来るまで図書室で聖典を読んでた。その後はルッツとベンノさんが知ってる通りだよ?」
「奉納って何だ?」
「えーと、神具に魔力を込めること。余分な熱が減って、すっきりするんだよ」

 きゅるるるるる~……。
 説明途中でお腹が鳴った。全員の視線がわたしのお腹に集中する。

 そういえば、わたし、お昼食べてなかったっけ。今頃思い出したよ。緊張が続いてすっかり忘れてたや。思い出すと急激に空いてくるよね。

「……なんか、お腹空いたみたい」

 わたしがそう言うと、張りつめていた空気が少し緩んだ。マルクが小さな笑みを浮かべて、上の階へと繋がる奥の扉を開ける。

「熱がなくて、お腹が空くくらいなら、体調が急変することもないでしょう。着替えるついでに何か食べられそうな物を持って来ましょう、旦那様」
「あぁ」

 二人が奥の扉に姿を消すと、ルッツが長椅子の側に椅子を持って移動してきた。椅子に座って、眉を寄せながら、ルッツは聞き足りない様子で口を開く。

「この時間に腹が空くって、昼は何食べたんだよ?」
「食べてない」

 わたしの答えを聞いたルッツが不思議そうに首を傾げる。

「食べてない? なんで?」
「本を読む時間がもったいないから。本を読んでる間は二日くらい食べなくても平気だし」

 その瞬間、ルッツの目が据わった。翡翠のような目が怒りに冷たく光り、声が尖る。

「なぁ、マイン。それって、いつの話だ?」
「え? いつって……」
「マインになってから、本がないから作ろうとしたんだよな? 本を読んでいたら二日食べなくても平気だったのはいつの話だ? マインになる前の話じゃないだろうな?」
「あ……」

 わたしが本当のマインではなく、麗乃の記憶を持っていることを知っているルッツの言葉に、冷や汗が出てきた。
 ルッツの指摘通り、二日食べなくても平気だったのは、麗乃時代の話だ。病弱虚弱なマインになってから、体調不良で食べられないことはあっても、自分から抜いたことはなかった。女性用媚薬

「それにさ、魔力を使うって、身食いの熱を自分の意思で動かすってことだろ? 身食いに食われそうになった時、体温が急上昇して急下降して辛いって言ってたじゃないか。魔力を使うって同じようなものだろ?」
「一箇所に向かって、一方的に魔力を吸い取られる奉納と、身体中に行き場のない熱がうごめいて暴走する身食いは違うんだよ」
「魔力を動かすってところは一緒じゃないか。そんな大変なことをした後で、虚弱な体力ない身体で、昼飯食べずにこんな時間までうろうろしていたら倒れるに決まってるだろ! マインのバカ!」

 叫んだ後、ルッツが力の抜けたような遣る瀬無い溜息を吐いた。そして、ルッツがわたしの手を握り、自分の額にコツンと当てる。「夏なのに冷てぇ」と呟いて、泣きそうな目でわたしを見つめた。

「また死ぬかもしれないんだぞ。勘弁してくれよ。オレがちょっと目を離しただけで、こんなことになるんなら、心臓いくつあっても足りない」

 ルッツを慰めたくても、瞬きと口を動かせるくらいで、わたしの手足は動かし方を忘れてしまったように全く動かない。

「図書室に浮かれて、すっかり忘れてたんだよ。ごめんね、ルッツ」

 涙がうっすら滲んだ目で、ルッツがわたしの手を握ったまま、激昂する。

「忘れるなよ! 自分の身体だろ!?」
「何を騒いでいるんだ? 一応相手は病人だぞ。もうちょっと声を抑えろ」

 急いで着替えたらしいベンノは奥の扉から出てくると、こちらに向かって歩いて来ながら、顔をしかめてルッツを注意した。
 ルッツはベンノのために、椅子から下りて、わたしの手を離す。場所を空けながら、持っていき場のない感情を吐きだした。

「だって、旦那様。マインが本に夢中になって、昼飯を抜いたせいで倒れたって言うんだ。オレ……」
「こんの大馬鹿者!!」
「ひゃんっ!?」

 病人相手に騒ぐなと言った本人に心臓が止まるかと思うほどの雷を落とされた。
 くわっと目を見開いて、ベンノが怒鳴っても、逃げることも耳を塞ぐこともできず、ビックリ涙の浮かんだ目で仁王立ちのベンノを見ているしかない。

「身食いの成長が遅いのは、魔力に栄養を取られるせいだと言われている。それなのに、魔力を使って、飯を抜くとは何事だ!?」
「そ、そんなこと知らなかったし……」
「自分の身体の事だろう! ちょっと気にかけて情報を集めろ、阿呆!」
「ふぁいっ!」

 言っていることが正しいのはわかるけれど、身食いの情報なんて集め方がわからない。余計な事を口にすれば、ベンノの怒りに油を注ぐ結果になりそうで、口を噤んだ。

「マインが不注意なのは今に始まったことではありませんが、自分の体調をもう少し気にかけてくださいね。旦那様も起き上がれない病人相手に怒鳴るのは、そろそろお止めください」

 優しいけど、甘やかすことはないマルクがカチャリと食器をテーブルに置き、わたしの身体を起こして支える。

「マイン、これくらいなら食べられるのではありませんか?」

 カチカチの固いパンを削って、ミルクに浸した病人食であるパン粥に蜂蜜がかかっているのが見えた。甘みがあっておいしいだろう。

「私が支えているので、ルッツ、食べさせてやれますか?」
「オレ、下手だから、多分、その服を汚すと思います」

 わたしが着ている青の衣を指差して、ルッツが困ったように言った。
 青い衣は貴族が着るものなので、高品質で高価だ。ミルクを零して臭くなったら困る。そして、脱がそうにも、ずっぽりと被るタイプの服なので、全く力が入らないわたしを支えながら脱がせるのは大変だ。

「なるほど、これは困りましたね」
「マルク、蜂蜜の固まった部分を持ってこい。少しくらいは自分で動けるになってもらわなきゃ、脱がすのも大変だ」

 ベンノの言葉に即座に動いたマルクが、蜜が結晶化した小さな固まりを取って来てくれた。
 金平糖のようにガタガタボコボコの形の甘い物が、口の中に転がり込んでくる。じわりと解けて、とろりとした甘みが身体中にじんわりと広がって行くのがわかる。

 お昼ご飯をたった一食抜いただけで、本当に栄養が足りていなかったようだ。蜜の固まりが口の中で溶けてなくなる頃には、ほんのり身体に温もりが戻ってきたような気がした。
 さらに数個、蜜の固まりを口の中に放り込まれ、もごもごと舐めていると、ベンノがガシガシと頭を掻いた。中絶薬