2015年8月7日星期五

ある慈悲深い少女の叫び

ここではないどこかに行きたいとずっと願っていた。

「じゃあ、ペアを組んで」
 先生の何気ない言葉に、体育館の中に集まっている生徒達が散らばっていくのを見ていた。探す必要なんかない。
「あれ? 相手いないの? じゃあ、愛理が組んであげるね!」魔鬼天使Muira.PuamaII
「アイちゃん、優しー!」
「愛理は、本当に優しいやつだな」
「えー。普通だよー。だって困ってる人放っておけないでしょ? あたしがペアになってあげなきゃ、この子一人のままだもん」
「俺も一人だぞ。愛理」
「ええー、みんなは心配しなくても相手いるでしょ」
「やだあ、愛理ちゃん、やさしーい。有紀菜はぁ、ぜえったいむりー!」
「よしなよ、それっていじめだよ? 大丈夫だった? 気を悪くしないでね?」
クラス一「優しい」女の子が「慈悲深い施し」を授ける。
 それだけで、クラス中の高感度が上がっていくのを肌で感じた。
 もっと、賞賛して良いのよ?
 クラスの中の影でしかない、根暗で陰気な彼女に慈悲の手を差し伸べている私はとっても、可愛いでしょう?
「あれ、泣いてる?」
「やだあ、感激しちゃった? 泣かなくてもいいよ、また次も愛理がペア組んであげるからね!」
 聖母のように見えるように、光線の加減まで計算して微笑んだ。
 優越感と共に差し出された手を、取らないはずはない。周りから見えないところで、根暗女を睨みつけた。
 ……愚図。さっさと手をとって「ありがとうございます」って言いなさいよ。
「……馬鹿ね、施しがうれしいわけ、ないじゃない」
「え?」
「優越感に浸ってるだけの、勘違い女はこれだから」
 クラス中のみんなの目が冷たかった。
 帰宅途中の路上で、タイヤの音が、獣の咆哮の様に聞こえ、咄嗟に振り返った。
 目の前に近づいてくる車のライト。運転席に座る人の表情までが鮮明に見える。
 回避しようと運転手の腕がハンドルを回す。
 すべてがスローモーションのようで、はっきりと見えた。
 逃げるタイミングはあった。
 足だって速いほうだ。でも足は縫い付けられたように動かない。
 わかっていた。
 ここは私の世界じゃない。親も周りにいる他人も、誰一人として、私に優しい人はいない。
 努力して自分を磨いても、どこか違うと感じていた。
 こんな詰まんない世界、終わりにしたかった。
 どんなに努力してもどんなに魅力的になろうとしても、周りは認めてくれないのなら。
 高く鳴らされるクラクションの音と、悲鳴のようなブレーキ音。
 トーンと空に飛ばされて、私は目を閉じた。

 次に目覚めたとき、私の周りには見慣れない服装の、ありえない髪の色の人が沢山いた。
 凄い。リアルメイドに仰天する。甘ロリだった。
 口々に姫と呼ぶ笑顔の仮面。
 ……私は決して小さくはない国の、第一王女として生まれかわった。
 ―――いいや。
 生まれかわったわけじゃない。
 母の腹の中で夢を見ていただけで、私はもともとこの国の人間だったのだ。
 あの世界の親も、友人面した他人も、教師も何もかも、午睡の夢なのだ。だってありえないじゃないか。鉄の船が海を渡り、空を飛び、界を飛び越え宇宙へ行くのだ。遠くの人と声をかわし、映像をかわし、溢れるばかりの情報の海に埋没する現実なんてありえない。
 ああ、判っていた。
 あの世界は私の世界じゃあないと。私には私の世界があるのだと、知っていたのだ。
 努力しても賞賛を浴びることが出来ずに悔しかったのは、私がこの国の王女で、傅かれるのが当たり前の高貴な身分だったからだ。
 周りに認められない屈辱に震えたのは、本来ならば私に近寄ることも声をかけることも適わない、底辺のやつらに従わざるを得なかったからだ。

 でももう平気。
 私は私の現実を見出した。
 ここは私の世界。
 私が私らしくあるための世界。
 私が世界の中心で、私のためにこの世界はあるのだから!

 父王は表向き悪政を強いていた先王を玉座から引き摺り下ろした、賢明なる王として名高かった。
 母はそんな父を良く支える聡明な妃として尊敬を集めている。もともと父より身分も高く、金色の髪青い瞳の母は、王族直系の血を引く令嬢だった。
 父は王でありながら、華美を好まなかった。必要以上に城を、身を飾ることよりも、底辺で蠢く民草のために堰を作り、水を溜め、農民と共に国の端々まで歩くような泥臭い男だった。
 質実剛健と言えば聞こえは良いが、王族なのに、それに相応しい装いを、贅沢に過ぎると切り捨てた父とはそりが合わなかった。国の王が威厳ある装いを否定しては国が貧相に見えてしまうではないか。周辺諸国から侮られては、質実剛健も意味がないだろう。
 王族直系の高貴な母がなんでこんな無骨極まりない父の元に嫁いだのだろうと、不思議に思ったが、疑問はすぐに解決した。
 王城の奥深くで大切に育てられている私に、ある貴族が教えてくれたのだ。
 母君は、陛下の手を取る以外術がなかったのですよ、と男は教えてくれた。
 あの当時、母君が父の手を取らなかったら、粛清の波に攫われていたでしょう、と。
 高貴な母は、生き残るために父の手を取ったのだ。かわいそうなお母様。
 さらにその貴族の男は言った。
 王族直系の血を引く貴女様は、私共の希望です。
 どうか、陛下のお言葉を鵜呑みになさいますな。SPANISCHE FLIEGE D5
 あのお方は、いと貴きお方を血祭りに上げて、国を統べた簒奪者なのですから。
 本来なら王座に座るなど許されない、辺境の一領主に過ぎない男が、王女を下賜されたからと、図に乗った挙句、簒奪に走ったのです。上手く行ったから王として傅かれておりますが、正しくは玉座になど座れるはずのない反逆の徒なのです。
 ああ、王女様は違います。高貴なる母君の血潮をたしかに受け継いだ、この世でもっとも高貴な姫君なのですから!
 男の言葉は、私が疑問に思っていた事をすっかりと解明してくれた。そして、理解を示した私に傅き、いったのだ。
 陛下は私達のような高貴な生まれの者よりも、農民や商人を味方につけ、兵糧攻めで国を弱体化させたのです。王女様、どうか、われらの希望でいてください。
 貴族を締め上げ、荘園から上がる利益を国に吸い上げさせる悪政を、諌めてください。
 地に捨てられた誇りを、我らに取り戻すと、誓ってくださいませ!
 密かに打ちあけられた、賞賛の声はとても……そう、とても心地良かった。
 おお、そうだ。これは我が領土から算出される希少な宝石でして。王女様の首を飾ってこそ、価値があるというもの。どうぞ、お納めくださいませ。
 それはとても大きな宝石が煌く首飾りだった。私のような高貴な姫君の首筋を飾るにはまだまだだが、日常使いには充分な美しさだった。

 その日からあちこちの貴族からご機嫌伺いがやってくるようになった。
 訪れては私を褒め称え、満足すると私の慰めになればと土産を置いて行った。
 私は優しい王女だ。
 私に似合うだろうと贈り物をよこす貴族にお礼に何が欲しいかと聞いたことがあった。
 何もいらないから、王女の口利きが欲しいと言われた。
 私は賞賛されるべき麗しい王女だ。
 気軽に口を聞いてやるうちに、日を変えて貴族がやってくるようになった。
 全ての貴族の愛を、私は微笑んで受け取る。なぜなら私はあらゆる貴族の頂点に立つこの国の王族であり、国の花である王女なのだから。
 首筋に、手指に、髪にさまざまな色の石が嵌っていった。あちらへこちらへ、私を崇拝する貴族達に便宜を図るようにと、手紙を書いた。
 当然だ。これは当たり前のことだ。
 ……私には三つ年上の頭の固い兄がいる。
 母上の豪奢な金の髪と、青の瞳を受け継いだくせに、王族としての華やかさからは縁遠い、地味な男だ。
 王族特化を発現させたくせに、その魔法特性も土属性と、泥臭いことこの上ない。
 唯一自慢できるのは、母譲りの美貌と父譲りの体格くらいか。
 頭の中にいたっては、四角四面に堅すぎて話にならない。口を開けば勉強、勉強。

「民の嘆きをよくお聞き。自分の幸せばかりを追求してはいけないよ。それが我ら王族に課せられた義務なのだからね」

 綺麗事を述べる兄に、常々思っていた事を思い出した。
 私を認めてくれない者なんかいらない。
 私は賞賛されてしかるべき王女なのだから、私を認めない世界など要らないのだ。
 馬鹿な兄は自分が正しいと思い込んで、一段高い所からこちらを見下しているつもりなのだろう。
 馬鹿な兄だ。
 周辺諸国を圧倒できるほどの国力を持つこの国の王族に生まれていながら、当たり前を享受することなく静謐なまでに厳格だ。
 着飾ることで国力の違いを見せ付けることもせず、国民と同じ目線でしか物事を考えられない小さな男が、この私の兄であるなんて悲劇でしかない。
 自分の幸せを追求しなくてどうするのだ。弱い国ならたちまち、飲み込まれてしまうだろう。夢の世界のように。
 ここは、この世界は私のための世界なのだから、好きに生きて何が悪いのだ。
 父の戒めも兄の言葉も、母の嘆願も、聞き流した。
 彼らはもはや私の家族であって家族ではないのだ。
 母も兄も、父の思惑に染め上げられた被害者なのだから、その目を覚まさせてやらねばと初めは私も骨を折った。
 父の言いなりになっていたら、この国は発展していかないだろう。
 私だって国に貢献する為に、何人もの職人を育てているのだから、いいでしょう?
 なのに、兄はあれは育てているとは言わないと、呆れ顔を見せた。
 何を言っているのか判らない。
 底辺の平民は、税を納める為にこの国で生きていることを許されているだけなのに。
 私を満足させるものを作り上げられないのなら、死ぬのは当然のこと。
 この私の身を飾るものを作ると言う栄誉を賜るか、認められずに死ぬかだ。
 そして一生私のために私の気に入るものを作り続ける栄誉を受け入れたなら、二度と私以外の者にそれを作れないようにするのも当然のことだ。
 王女の専属と泣いて喜べば良いのだ。
 民衆は貴族王族の為の生きた奴隷に過ぎない。
 耕し、育て、収穫したものを我ら高貴なる者の為に納める、労働者にすぎない。
 おいしい食べ物も、美しい衣装も、綺麗な宝石も、私のような高貴な者に捧げられて当たり前なのだ。
 後宮の奥で、うるさく指導してくる教師達を追い出した時も、むさくるしい近衛騎士を追い返し、見目麗しい騎士を近衛に任命した時も、父母にはさんざん邪魔された。
 兄は口うるさく説教してくる。
 愚かな母と兄を何度説得したかわからない。
 この国の王族たる私は、傅かれる立場にある。
 捧げられる立場にある。
 ただ、微笑んで受け取れば良いのだ。それなのに、母も兄も私の話を聞こうとしない。
 父にはとうとう手を上げられた。
 愚かなのはどちらだ。
 この国で生産されるものは全て、王族の物だ。働く国民は全て、私を満足させる為の土台でしかない。
「私はこの国の王女なのよ。この世界は、この国は、私のためにあるの! 私は全てをささげられて当然の、国の花なのよ!」
 私が声をからして言い募っても、父母も兄も聞く耳を持ってはくれなかった。
 望んで何が悪いのだ。紅蜘蛛
 この世界は私の世界だ。私が幸せになるために、私が望んだ生き方を出来るように、作り上げられた世界なのだ。
 ……そうか。
 この国の最高権力者は父だが、最高の地位にあるのは母だ。
 母がいるから、母が私を認めてくれないから、私の信奉者がこんなに私を支持してくれていても、父も兄も私を認めてはくれないのだ。
 そうか、私が国一番の女性になれば良いのだ。
 ある夜、後宮に火が放たれ母王妃は、炎にまかれて命を落とした。
 これで私がこの国一番の女性だと浮かれたのも一過。

 兄が結婚を決めた。
 この国で最高の女性には、兄の婚約者がなるだろう。では私は? 兄の嫁に過ぎない貴族女性の下につくのか?
 いやだ!
 この国は、この世界は私のものだ!
 それなのに、私よりも尊ばれて私よりも先に傅かれる女がいるなんて、許せない!
 そうだ。この国の王女から、大国の王妃になれば良い。どこがいいだろう? 
 この国の頭の固い連中に気兼ねなく着飾ることが出来て、おいしいものを食べられて、私の言うことをすべて叶えてくれる素敵な王のいる国。
 私が嫁ぐのだから、国力は高くなければいけないわ。資産総額も高くなければ嫁ぐ意味がないわね。武力行使もいとわず私を守ってくれるくらい、武力に優れた国が良いわね。
 ……いっそ、地味な兄の代になったら、武力行使で国ごと奪えばいいんじゃない?
 そうよ。だって私の生まれたこの国は、私のものだもの。
「隣国の国王陛下は結構な年だったわね。王太子は何歳だったかしら。ねえ、お父様。隣国の王太子との縁談はないのですか? 私、嫁いで上げてもよくってよ?」
「周辺諸国からの縁組は無い。話もない。皆、浪費家で派手好きで、男好きな女王はいらないのだろう」
「まあ、失礼な。私別に浪費家でも男好きでもないですわよ。美しいもの、麗しいものが好きなだけです。で、お父様。冗談はやめて。一国の王女たる私に、妻乞いのひとつもないはずないでしょう」
「冗談ではないよ、ひとつも無い」
 話はそれで終わりかと父に聞かれた。
 そんなはずは無い。父が私を手元に置く為に縁談を断っているに違いないんだ。
 だけど、結婚適齢期を迎えても、どこかの国の王族へ嫁ぐ話はないままだ。そのうち、周辺国家で王太子の結婚が相次いだ。
 みな、私なんかより器量にも劣る女ばかりだ。
 可哀想に。
 他国の王子とはいえ、哀れになった。ここにこんなにすばらしい女がいるのに、気付かず自国の貴族娘で妥協したのだ。私に一目会う機会があったなら、つまらない女と結婚せずともよかったのに。
 だが、これで、大国と言える国の王太子は皆結婚してしまった。
 後に残る国は、私の国に婚姻を求めるには小さすぎて、諦めたようね。そりゃあそうだろう。
 農業が主体の酪農国家では私を満足させるだけの、財産は無いだろう。日替わりで着飾ることが出来なくて何が王族か! と言われるとでも思ったのかしら。
 まあ、少しの贅沢を我慢くらいしてやったのに。殊勝なことね。
 工業主体の小さな都市国家は、国というにはおこがましいほどの規模で、この私を迎えるには国土が小さすぎた。きっと相手にならないと、初めから頭に入れてなかったのでしょうね。私の国の大きさ有能さを目にしているから恐れを抱いたのかもしれないわ。
 でも打診くらいしてもよかったのに。
 他にもいろんな国があったが、全ての国王が、私を妻に迎えることを躊躇したのだろう。打診した形跡すらないので、よほどおこがましいと思ったのか。まあ、さもあらん。
「仕方がないわね」
 私はため息をついて、どこかの国の王妃になる事を諦めた。
 その頃にはどんなに小さな国の王も妃を迎えていたからだ。
 私は自国の貴族に目を向け始めた。
 この私を満足させられるだけの地位と、財産と、名声がなくてはならない。そしてもちろんこの私の隣に立てるだけの美貌も。
 そうね、公爵家ならどうかしら。
 数ある公爵家の中でも、筆頭であるディクサム公なら、私も納得できるわ。
 中継ぎの代理公爵として肩身の狭い思いをしているでしょうから、私が降嫁したら、ないてよろこぶわね、きっと!
 そうと決まったら、父上に言って動いてもらわなきゃ!
 可愛い娘が嫁ぐべき家を選定するのは父親としては嫌な仕事だと思うけど、これは仕方がないわよね、父上には泣いてもらいましょう。
 私の信奉者である貴族の男に言ってみたら、男は根回しを約束してくれた。
 なのに、反対したのは兄と、父だったのだ!
「どうしてよ、だってこの私が嫁ぐのよ? それなりな男で無ければ、見劣りするじゃない!」
「馬鹿を言うな。お前を降嫁させても褒章にすらならない。逆に何の刑罰かと嘆かれるだけだ」
「ディクサム公に国外に出られたら事だ。くれぐれも馬鹿な夢物語を吹聴するな。そんなうわさが出たら、お前を後宮に拘束する」
「じゃ、じゃあ、リム導師にするわ! 爵位は持ってないけど、地位と名声は確かなひとだもの!」
「処置無しか」
 ……後宮に監禁されてしまった。
「お父様もお兄様も、私が可愛くて仕方がないのね。手元から離したくないんだわ」
 じゃあ、恋愛結婚を狙っていこう。情愛芳香劑 RUSH
 そう誓った私は、その夜からリム導師の研究室へ忍んでいくことにした。初めて忍んでいった夜は、リム導師の麗しいお顔を窺い見た瞬間、意識を失った。
 意識を取り戻した時は、なぜか後宮の中庭にある噴水の中で、おどろいた。
 それからも何度もすれ違いの夜が過ぎる。リム導師の構築した魔法陣に引っかかったり、研究植物に巻きつかれて危うく窒息しかかったり、水の攻撃魔法をたまたま受け取ったり、土壁に押しつぶされたり、風魔法に吹き飛ばされて尖塔の先に引っかかったり、炎の魔法陣に行く手を遮られたり。
 仕方なく、後継者に公爵位を譲った前ディクサム公、マリウスの部屋にも忍んで行った。
 水に埋められて身動きが出来なくなったり、マリウス医師を前にすると体が凍りついたり、体が高熱を出したり、のどが渇いて死にそうになったり。
 うまくいかない。

 私は幸せになりたい。
 私のための世界の中で、私のための次の舞台を。
 ここは私のための世界なのだから、私が望むんだから、最高の男を!
 もちろん、私は慈悲深いみんなの王女ですもの。
 照れて逃げるリム導師の気持も良く判るし、貴族でなくなったマリウス医師の葛藤もわかってあげられるわ。
 もちろん、それ以外の爵位持ちの男達の目線の意味も知っているわ。
 私は慈悲深い王女ですもの。
 誰か一人のものになるなど、みんなが泣くようなことはしたくないのよ。だから安心して?
 ああ、もちろん、第一子を産むまでは貞操を守るけれど、産んでしまったらみんなの愛を受け取れるわ。うれしいでしょう?

 さんざん嫁ぎ先を変えられて、結局降嫁が決まったのはアクラウス侯爵家だった。
 みんな私の夫になるのが、恐れ多いと思ったのかしら。侯爵家とは言えども、アクラウス家は古くからの旧家で、資産の多さは折り紙つきだ。父様も多額の持参金と、広い荘園を持たせてくれた。
 当主は、これが夫かとがっかりする体型だが、貴族らしく整った顔立ちをしていた。やせていればこの私の隣に立っても見劣りすることはないだろう。だけど、この体格のコンプレックスを煽って、後の夫婦生活での主導権を握ろうと思っている。
 これで当分の間は楽しむことが出来る。
 子供を一人作ったら、あとは私の好きにさせてもらうわ。
 元王女の侯爵夫人だもの、恋人には不自由することはないだろう。
 そうね、王女じゃなくなったから、リム導師もマリウス医師も、今度こそ本音を言ってくれるかもしれないわ。
 私は慈悲深い王女ですもの。恋を諦めた彼らに救いの手を差し伸べてあげるのは、当たり前のことなのよ!

 ******

 産まれたエルローズは可愛くない子供だったわ。
 エルローズの小さな顔を見ると、侍女や侍従がみんな仕事をしなくなるの。私のお世話をさせてあげているというのに、みんなエルローズにかかりきりになってしまうのよ!
 腹立たしいったらないわ!
 子供なんか、ミルクを上げてベッドに転がしておけば良いじゃないの。それよりも私のドレスを選びなさいよ。それにあわせてアクセサリーを作らせなさい。
 母乳を上げるのなんてめんどくさいし、牛でも山羊でも好きな所からミルクを取り寄せてきなさいよ。
 ああ、うるさいわね、エルローズがまたないているわ。黙らせなさい。
 え、ミルク? 知らないわよ。馬でも豚でも連れてくれば良いでしょう!
 それより、おなかがすいたわ。きょうのディナーの準備はまだなの?
 まだ昼過ぎですって? この私が望んでいるのよ、はやくじゅんびなさい! きょうは鶏肉の丸焼きが食べたい気分だわ。
 あら、お久しぶりね、貴方。エルローズのお披露目ですって? そんな事に割く予算なんかありませんわよ! え、王宮で、ですか。
 仕方がありませんわね。そりゃあそうよね、お父様にとってみたら初孫ですもの。お兄様のところにはまだ子供がいないものね。
 ふうん、もしかして子供にかこつけて、私を呼び戻したいのかしら。そうよ、きっとそう。
 だって私は慈悲深い王女だものね!
 それによくみたら、エルローズッたら、王族特化の色合いじゃなくって?
 白っぽいけど金色の髪に、淡いけど青い瞳よ。
 なくなったお母様に面影が似ていて、複雑だったけど、この子を足がかりにして中央へ戻れれば!
 マルク! 急いでエルローズに謁見服を作りなさい。大至急よ!
 それからマリウス医師をお呼びしなさい。エルローズの魔法素養を計るのよ。きっとこの子は王家の血を引いてて、すばらしい魔法素養を持っているはずよ!
 せっかく呼んだのにマリウス医師もリム導師も、仕事を理由にアクラウス家へくることを拒まれた。淫インモラル(脱裤)
 まあ、仕方がないわ。会えないほうが思慕は募るものよ。
 それよりも、驚愕の事実が。王城から派遣された医師がエルローズの魔法素養を計ったのだけど、なんと、魔力測定器が力があることを示したのよ!
 流石私の子ね。
 ここ近年、魔法素養を持つものは少なくなっているから、貴重な魔術師になれるエルローズの価値は計り知れないものになったわ。
 私を前にすると恐れ多くて、望みを口に出来ない者たちが、こぞってエルローズの魔法素養発現を期待しているのよ。早々と婚約の打診まであったわ。
 それもこれも私が慈悲深い王女だからかしらね! エルローズは感謝するでしょうね、それとも偉大なる母と畏怖するかしら。
 ……まあ、少しは可愛がってあげても良いわ。私の時間を邪魔しない限りは、声をかけてあげても良いわ。
 きっと子のこの婚約者を決める頃には、王族の血、すなわち私との縁組を夢見た貴族達が殺到するでしょうから。
 この私の隣に立って見劣りしないよう、しっかりと着飾らせなくちゃ。

 ……赤ん坊って、面倒ね。沢山綺麗に可愛く着飾らせたら、宝石の重さで首が落ちそうになってしまったわ。マルクが気付かなかったら死んでいたかも。 

 エルローズをつれて王宮に入るのは鼻が高かったわ。だって唯一の王族の血を引く姫よ。誰も彼もが私におめでとうといいに来るの。もちろんにこやかに微笑み返したけど、内心面白くなかったわ。
 誰も彼もがエルローズ、エルローズ。この私がいるのにもかかわらずよ。
 でも精一杯母親役を演じたわ。
 だって唯一の王位継承者よ。この子の中に流れている高貴な血は私のおかげなのだから、私のためにお父様より凄い人の所へ嫁がせなくちゃね。
 私が一生安心して安泰に暮らせるよう、骨を折るのが娘の仕事でしょう?
 なんと言っても私は、エルローズを産んだ母親なんですもの。

 ああ、腕が疲れるから抱かせないでちょうだい。エルローズの泣き声がうるさいから、離れに連れて行って。
 今宵、私をエスコートする男を選ぶわ。一列に並びなさい。
 そうね、あなたがいいわ。あなたと、あなたもよ。
 さあ。私を満足させなさい? 満足させたら貴方の家の借金を帳消しにしてあげても良いのよ。
 貴方の妹を売るのをやめてあげても良いわ。
 貴方のお母様の欲しがってる薬を譲ってあげるわ。

 私は慈悲深い王女ですもの。民草の声に耳を傾けるのは当たり前のことなのよ。

 *****

 冷たい岩肌をじかに背中に感じながら目を覚ました。
 冷たく寂しく、飾りのない空間だ。
「おい、飯だ」
 初めはこんなもの食べられるかと捨てたけれど、今はそんなことはない。
 一日の始まりに飯を食べ、鎖に繋がれて採石場へ連れ出される。鎖に繋がれた人間達はみんな臭くて不衛生だ。誰も彼も無言で、のろのろと動く。

  きょうも岩を切り崩し、石を掘り進む。
 私は慈悲深い王女だった。やがて慈悲深い侯爵夫人となり、男を手玉に取り、女王となる予定だったのに、兄に足をすくわれて失脚させられた。
 まるで罪人の扱いじゃないか。私が何をしたというのだ。
 私が売っていた薬は、気分を高揚させて自分を高めるすばらしい薬だった。少々高いのが玉に瑕の、みんなが欲しがる、珍しい薬だったのだ。
 欲しいという者に売って何がいけないのだ。
 人買いだって、私は悪くない。
 主人に金を借りることがそもそもの罪だろう? 金を貸したわれらが罰せられて、金を返さなかった彼らが、王城で職を得たのは、贔屓ではないか。
 エルローズの件だってそうだ。
 親が娘の縁談をまとめた。それだけの話なのに、誰も彼もが反逆の徒とさわぎたてて。
 私は悪くない。
 私は慈悲深い王女だ。娘の行く末を心配する母親だ。
「……まだぶつぶついってやがる。この勘違い女が」
 牢番の男が吐き捨てた言葉に、のろのろと顔をあげた。
 違う。勘違いなんかじゃない。私は慈悲深い少女だった。

 おかしいな。
 この世界は、もしかして私のための世界じゃないのかもしれない。RUSH 芳香劑

没有评论:

发表评论