「お、おおおおおおあああああッ!」
血晶を飲み込んだグラディスが、大きく身体を曲げる。
頭を抑える手は筋肉が膨らんでいることから相当な力が込められていることが分かり、呻く声は獣が上げる雄叫びとよく似ていた。三体牛鞭
恐らくは今、想像を絶する苦痛がグラディスを襲っているのだろう。
人を辞めるというのは、そういうことなのかもしれない。どうしようもなさから、噛みしめる歯の奥で、そんなことを思う。
三人の男達──恐らくは全員が人ではない──の奥に見えるアルマは、事態に理解が追い付いていないようだった。激しい混乱の中、更に想定外のことが起きたのだ、無理もない。
この世のものとは思えぬ苦悶の声を上げるグラディスの横で、ゼツロが眼を細めて笑う。
「くつくつ、始まったか。随分と色々なモノを溜め込んでいたのだろうな。お前的にはどうだ? これは」
異様な様子のグラディスの仕草を見て楽しむように、ゼツロは何者かに語りかける。
その声の行く先は私でもアルマでもない。声はグラディスを挟んだ位置にいるもう一人の男へと向けられている。
……そうだ。あまりの事に冷静さを欠いていたが、乱入者はもう一人いるのだった。
咄嗟に睨みつけると、顔を隠したままの男は影から声を放る。
「見れば分かるだろう、失敗だ。恐らく自我は残るまい」
「失敗だと……!? 突然現れて、お前達は何をいっている──!」
その声に反応をしたのは、男たちへ強い敵意を向けるアルマだ。
私の疑問を代弁するかのようなアルマの声には、殺気にも近い怒気が混じっている。
アルマがここまで怒るのは珍しい……いや、初めて見るかもしれない。だがすぐに飛びかかっていかないのは良かった。怒りながらも、判断は冷静だ。
射殺すような視線と声に、フードを被った男はアルマの方を向き直る。
そしてフードを取り払うと──アルマの顔が驚愕に支配された。
「馬鹿な……お前は……ッ!」
「……俺を覚えていたか、久しいな。……だが、今はお前達の事はどうでもよい」
私の位置からでは、男の顔は見えない。だが久しいということは、アルマと何らかの関係があるのだろう。
だが私の方も今はそれどころではない。ゼツロが此方へ、凄まじい殺気を叩きつけて来るからだ。
今にも飛びかかってきそうな紅い瞳に、片時も気を抜けない。
しかし──
「ゼツロ!」
顔の見えぬ男が名を呼ぶと、ゼツロは殺気を収めた。
一つため息を吐き出し、肩を竦める。
「わかった、わかったとも。そういうわけでスラヴァ殿。その内また見えよう。……死ぬのだけは、御免なのでな。
くつくつ……そうだ、ここでお前に死なれては寂しいからなあ」
呆れた顔から、私に対してほんの一瞬だけ殺気を放ったゼツロが背を向ける。
そのままゼツロはコロッセオの頂上部まで飛び上がり、追えぬ距離まで移動していた。
前に手を合わせた時よりも、魔力が強くなっている。それは修行によるものか、よりタリスベルグに近づいた故か。……恐らくは後者なのだろうな。
去ったゼツロを見届けると、もう一人の男もその後を追おうとする。
「待て!」
反射的に、私はその背に叫んでいた。
男の動きが止まるが、此方へ顔を向ける素振りはない。
その余裕に苛立ちを感じつつも、私は続く疑問を叫ぶように浴びせた。
「貴様達は……いや、貴様は一体何者だ? 何の目的があってこんな事をする!」
「目的、か」
問いかけに対し、男は手を顎に沿わして考えるような素振りを見せる。
数秒ほど考え、男は深い沼のような声を空に這わせた。威猛酷哥
「そんなものは昔から変わらん。強さの獲得。一点のみ」
「……!」
聞き覚えのない声で紡がれる男の言葉に、私は強烈な既視感を覚えた。
だが問い詰める間もなく、私が眼を見開くと、次の瞬間には男はもう消えていた。
どこでどう会ったかはわからぬが、此奴と私は既に会ったことがある。そんな確信を残したまま、しかし何もわからぬまま男が去っていったことに手を握りこむ。
考えるのは苦手だというに、次から次へと……!
だが今はグラディスの処理が先だ!
「ぐうおああああぁぁぁッッ!」
先程よりも大きな声で叫びながら、なおも頭を抱え続けるグラディス。
……処理とはいっても、こうなった状態の者を救う手立てなど、知るわけもない。
気は乗らぬが変化が終わる前に──人であるうちに殺す!
無理やり変えた意識で腕に魔力を込め、駆け出す。明確な殺気を感じ取ったか、アルマが私を制止するために叫ぶが、最早なんといわれたかを考える暇もない。
『試製桜花』を発動し限界を超えた魔力が腕に満ちる。
一撃必殺の意志を持って狙うは、こめかみだ。いかにゼツロのような生命力を持つ化け物が相手だとしても、頭を破壊すれば流石に動くことは出来まい。
脳を守る頭蓋骨は人が持つ骨の中でも屈指の頑丈さを誇るが、こめかみの部分だけはひどく薄い。
確実に殺す必要がある故に、必殺を求めた拳。
無防備で蹲る者へ振り下ろすべきではない拳がグラディスへと走り──
生々しさを伴った、破砕音を響かせた。
「──ッ!」
ただし砕けたのは、私の拳の方。
グラディスのこめかみ──いや、頭部は。
外殻を持つ生物のように、血晶で覆われていた。
「スラヴァっ!」
私の潰れた拳を見てアルマが叫ぶ。
痛みに歯を擦り潰しつつ、私は瞬時に試製桜花を解除してアルマの方へと跳ねた。
「その拳、大丈夫なのか!?」
「問題はありませぬ。今の内に集中すれば、すぐに使えるようになりましょう」
全力で拳へと集わせた治癒の魔術で、潰れた拳はもう形だけは元通りとなっていた。まともに使うにはもう少し時間が掛かるが、深刻というほどのダメージではない。
……予想外だ。まさかこんなことになるとは──
眼前で変化していくグラディスの姿に、私達は言葉を発することも出来ない。
グラディス……いや、そこに居たのはもうグラディスとは呼べぬ存在なのだろう。
屈強で幅広な身体は隙間なく血晶で覆われ、その姿はまるで血に染まった騎士のよう。
眼を除けば人とは変わらぬゼツロとは違い、血晶を飲み込んだグラディスは既に人とは呼べぬ何かに変わり果てていた。
「お前は、アレを知っているのか? 私にも、説明してくれ。何が何だかわからないんだ」
隣に並び立つアルマが、視線を動かさぬまま、呟くように語りかけてくる。
そうか、人型のタリスベルグを見るのは、初めてか。
拳を振るい感覚を確かめ、私は構えを作る。
「簡単に説明すればタリスベルグです。先程飲み込んだ血晶が作用し、人ならざる者へと変化したようです」
「……ッ! 人型のタリスベルグだと……!? 何故お前がそれを知っているかは気になるが──どうすればいいか分かるか?」
「殺す以外無いでしょうな」
「やはり……か。くそっ! 先程からどうなっているんだ……!」
アルマが吐き出した悪態は、私の胸中にあるものと同じ言葉であった。
……ただ、彼女の理解できない点には、私も入っているのだろうなとふと思う。
嘆くように頭を抱え、身を反らすグラディスはもう声を発してはいなかった。
明確に一つ、人である証が奪われた様で痛ましく思うが──私の思いとは裏腹に、血晶の怪異は完成を迎える。JACK ED
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頭を抱えていた手を降ろし、糸の切れた操り人形の様に頭を、両手を垂らすグラディス。
人でいう眼の部分に昏い光が灯ると、再び上体を逸し、拳を握りしめてタリスベルグが叫ぶ。
「ェェェェェェェェェッ!」
喉を潰された者がそれでも声を張り上げようとしたような、甲高い音。
生物と呼ぶことすら憚るナニカが、誕生した瞬間であった。
「……凄まじい、魔力だ……っ!」
怒りを体現するようにタリスベルグから吹き荒れる魔力に、腕で風を防ぐ。
魔力でいえばあの時のゼツロ以上か……!?
お世辞にも、グラディスの実力が人間のゼツロ以上であったとは考え難い。であれば、この力はあの闇を垂れ流す異様な血晶に依るものなのだろうか。
力の正体に考えを巡らせる私だが、ヒントの数はともかく、推理をしている時間はない。
魔力を収めたタリスベルグが辺りを見回し、私達の姿を捉える。
その瞬間、私は反射的に叫んでいた。
「……ち、来るぞ!」
自らの声を合図に、アルマと反対の方向へ飛び退く。
アルマも意図を察していたようで、私とは逆の方向へと飛んで難を逃れる。
そのまま血晶の拳が石畳の舞台へと振り下ろされる。すると火の大魔法を炸裂させたような音が響き──石畳を粉々に砕いた。
凄まじい威力だ……! 何の溜めも無しにこれほどの威力──やはり単純な破壊力だけならば、ゼツロよりも上か!
爆風に煽られるも、私とアルマはなんとか地面へと着地する。
地面へ埋まった手を引き抜いた、タリスベルグの瞳が私の方を向く。そこにグラディスの面影は見つからない。見つからないが──僅かにグラディスであった時の記憶が残っているのか、表情のない兜に光る目は、挑戦的である気がした。
彼もまた、何かしらの感情を私に持っているのだろうか。
だとするならば、グラディスの弔い合戦と行きたいところだが──
タリスベルグに警戒を保ちつつ、その背後に見える観客席へと僅かに視線を送る。
声からも感じてとれる事だが、理解の追いつかない展開にパニックを起こしているようだ。
……ソーニャやシェリルはどうしているだろうか。鈴が鳴ってモニカの場所に行っているのかもしれんな。だとすればモニカのことも少しは安心できるのだが。
なんにせよ、安全の確保のためなるべく早く決着を付ける必要がありそうだ。
できることならばこの手で葬ってやりたいが、ここはアルマと協力して少しでも早く打ち倒すのが先決だろう。
視線でアルマに協力を要請すると、タリスベルグの背後にいるアルマが首を傾ける。
タリスベルグのあの硬さを見れば『勁』や私ならば『天元一ツ』が有効だろう。
アルマもその事に気付いているといいが。
呼吸を合わせ、私とアルマは同時にタリスベルグへと飛びかかろうとする──が、タリスベルグはそれよりも早く行動に移る。
「ェェェェェェッ!」
声にならぬ叫びをあげ、タリスベルグが身を屈める。PPP RAM
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隙にも見える行動だが、敵は完全なる未知数。私とアルマが様子見に入るのは半ば必然のことだ。しかし、その選択が間違いであると知るのは、そう遠くはなかった。
かつてナトゥーシャで相対したタリスベルグの様に──便宜上そう呼ぶが──グラディスの背には、サメのヒレを思わせる位置から縦に連なり、三つの血晶が生えていた。
叫ぶと同時に身を屈めたグラディスの背から、血晶が射出される。
だが、その血晶は空へと飛び上がり、私達とは見当違いの方向へと飛んで行った。
その行動に意図を探す私だが、答えは考えるまでもなく、光景によって想定すらしていなかった最悪のものを示される。
観客席の方へと突き刺さった血晶が激しく発光し、黒い皮膚を持つ不気味な化け物が生み出されたのだ。
「なんっ──!?」
常識を越えた光景に、思わず声が漏れる。
「馬鹿な──! タリスベルグがタリスベルグを生み出したというのか!?」
私よりも早く状況を叫んだのはアルマであった。
これでは人々の間に被害が出る──! あってはならぬ展開に、一瞬だけ思考がかき乱される。
グラディスは、私に生まれた僅かな隙を見逃さなかった。
軽く地面を蹴ったグラディスが私に肉薄する。鋭い血晶の爪を束ね、繰り出すは突き。
防御は論外、ならば流すしか無い!
「ちっ──!」
一瞬だけ送らされた反応が、私の身体を縛る。
だが、この程度の速度ならばまだなんとかなる。遅らされた反応が身体を縛るも、私はなんとか身を反らし、グラディスの爪を避けた。
かすった脇腹に切り傷が走るが、問題は無い。……が、反撃までは出来ないのがもどかしい。グラディスが攻撃動作を終了させてしまった以上、私に放てる反撃は打撃のみ。あの常識はずれの防御力の前では、此方が傷つくだけだろう。
経験による判断から、私は後方への跳躍で距離を取った。
……追撃してくる気配は見せない。自我は無くとも、ゼツロよりは慎重なようだ。
くそ、しかし厄介だ。
こうしていては生み出されたタリスベルグにより観客に被害が出てしまう。
さっさと此奴を片付けるか、それとも──!
葛藤の中、私は視界の中に映るアルマの姿を見て思考を止めた。いや、思考を続ける必要がなくなったというべきだろう。
そうだ、小型のタリスベルグはアルマに任せ、私はここでグラディスと戦えばよいのだ。
今は被害が広まる前に小型のタリスベルグを倒す事こそが優先事項だ。観客席の方には奴・もいるだろうし、今のシェリルをソーニャがサポートすれば、あの分体のタリスベルグならば何とかなりそうだ。
思いついた妙案を声に乗せてアルマへと届けようとする。
だが、その時には再びグラディスが向かってきていた。
ええい邪魔をする──! しかし今の私に油断は無い。動きを見極めんと目を凝らす──と、グラディスはその突進を九十度の方向へと向けた。
アルマの蹴りにより、吹き飛ばされたのだ。
硬いグラディスの血晶体を蹴った事で、痛みに顔を顰めるアルマだが──表情はそのままに、構わず叫ぶ。
「スラヴァ! 小型のタリスベルグを頼む! ここは、私が食い止める!」HARDWARE
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「な──!」
それは、私がいおうとしていた言葉であった。
またも先取りされた事で妙な気分になるが、今はそれどころではない。
「無茶だ! それに、この際だからいうが貴方よりも私の方が──」
感情に任せ、私は思うがままの言葉を紡いでしまう。
しかし──アルマは、それを遮った。
「そんな事はわかっている、だから頼むんだ。……私よりも、お前のほうが早く奴等を片付けられるだろう。その方が被害もずっと少なく済むはずだ。……それに、私は、お前の先生なんだぞ?
教え子により危険な方を任せられるか。少なくとも──師匠せんせいならば、そうする」
思わぬ言葉に、私は続けようとしていた言葉を飲み込んだ。
……実力差は把握した上、か。
アルマの提案は、確かにと思える理を持っていた。
アルマが行くより、私が行った方が小さいタリスベルグを早く片付ける事ができるだろう。
だが娘をより危険な方に残す事は、出来ない。
「私を……信じてくれ」
ただひとつ──信じろとさえ、いわれなければ。
……手塩にかけた、とはいえん。私は歳をくっても自分のことばかりで、良い親とはいえなかった。
けれど、何よりも彼女のことは信じている。
私には勿体無い、真面目で優しい、良い子だと。約束を違えるような子ではないと。
「分かりました。ここは任せます。……ですが無理はせぬように。すぐに片付けて戻りますが故」
「わかってる。まだまだお前には聞きたいことがあるからな、死ぬ訳にはいかない。
お前が戻ってくるまでは時間稼ぎに終始するさ」
アルマの言葉を背に、私はグラディスに背を向けた。
観客席にいるタリスベルグ。その一番近いものへ視線を向けつつ、私は身を屈める。
背後からグラディスが迫る気配がする──が、再びアルマがそれを跳ね飛ばす。
「行け!」
アルマの声を背に、私は跳躍した。
私がやるべきは、最早娘を心配することではない。
一刻も早くタリスベルグを倒して観客の安全を確保し、アルマの救援に戻ることだ。
……くそ、知らぬ間に大きくなりおって。だがまだ、アルマ一人ではグラディスの相手をするのは難しいはずだ。
跳躍によって観客席へと降り立った私は、すぐさまかけ出した。
そして目当てのものを見つけ、睨みつける。
「時間がない──さっさと終わらせてもらうッ!」
黒い表皮を持ち、ところどころに赤い線がはしった不気味な生物。
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