このところ寝不足だった分も祟ったのか、今度は三日も寝続けたらしい。
目が覚めた時に丁度見舞いに来たナーラムに突進された所為でまた少々治療の手間は増えたが、肩の怪我に後遺症もなく順調過ぎるほどに回復していった。狼一号
ナーラムの件からロボはすっかり番人のように病室の前に張り付いている為、事実上の面会謝絶だなと仕事の合間を縫ってやって来たドレイツが言う。
「それで、ヒューゴ様とシエル様のご様子は?」
「まだ寝惚けてるみたいな状態なんだよ。ゴン達が言うに体に問題はないってさ、ルーリィちゃんみたいに外傷がある訳でもないし。なんだか随分疲労してるみたいだって」
あれからどうやって戻ったのかは記憶にない。
ロボやドレイツが言うには、どうやらヒューゴが三人を担いでゴン達管理人の部屋に来たようだ。
それからすぐにロボはレディーの元へ運ばれ修理を受け、ヒューゴとシエルはブラッドレイ邸で眠っている。
ヒューゴが直前に言いつけたらしく、ルーリィだけが町の病院へ運ばれていた。
それを聞いて、ヒューゴは人の姿に戻ったのだと安堵した。
噛まれた傷跡からルーリィは野生の獣に襲われ、それを三人が助けようとしてこうなったという事になっているらしい。
それにしても、と自分の肩へ目をやる。
傷自体はともかく、起きた時にはすっかり傷みがなくなっていた。
医者はルーリィの事を異常に治癒が早いと驚いていたが、恐らくそれはルーリィ自身の力によるものではないだろう。
「ルーリィ様、果物をお持ち致しました。……ファーランド様、あまり長居をしてはルーリィ様がお休みになれません」
「わかったわかった。じゃあルーリィちゃん、お大事に。あいつらが目ぇ覚めたらまた煩いだろうから、今の内にゆっくり休んでな」
手を振って出て行くドレイツに礼を言いながら見送って、ルーリィは手渡された小鉢からリンゴを一切れ取って齧る。
二人が無傷なのは、以前ヒューゴの傷があっという間に治ったように、彼らが半分人ではないからだ。
だがその事に心底ほっとしてしまう。
ロボとて傷を負った事は微塵も感じさせずてきぱきとしていた。
「ルーリィ様、仰られていた本はこちらでよろしいですか?」
「そうです、ありがとうございます」
受け取った本の裏表紙を捲ると、「オーグウェン卿」とだけ記されている。
ベッドの横の椅子に腰を下ろしたロボはそれに目をやり僅かに眉を上げた。
「変わり者男爵と呼ばれていた方ですね、随分前に没していますが」
こんな本を書いた所為か、それともそれは結果論に過ぎないのか、彼はとにかく変わっていた人物のようだ。
「見えないもの」を見えると言い、人から倦厭されて生涯を過ごしたらしい。
読書は程々にと言い置いてロボが病室を後にすると、ルーリィはぱらぱらとページを捲る。
人狼のページに辿り着き、その文字の全てを目で追い始めた。
自分が目で見た事実とは異なっているところも多々ある事に気付く。
本では元々彼らは狼の形を取り、人型になれる者は一部だとある。
確かにヒューゴは顔は大きな狼そのものだったが、手足の形や動きなどは人間のものだった。
それにシエルはあの時でも変化していた様子は見られない。
やはりこれは想像上のものかと思い直したところで、ノックと共に当のシエルが素早く体を滑り込ませて来た。
「体は平気?」
「はい。シエル様は如何ですか?さっきドレイツさんからまだお休みになっていると伺いましたけど」
先程までロボが座っていた椅子に腰を下ろし、シエルはひらひらと手を振ってみせる。
「平気だよ。ああ、その本」
「よかった……お元気そうで安心しました。あ、これご存知なんですか?」
彼はルーリィの手から本を取ると、描かれている狼の挿絵を見て小さく笑った。
「人狼は古代生物でも御伽噺の生き物でもない。君が見た通り、少数ながら現存している種族なんだ。まあ古くからいる点においては古代生物と言えるだろうけどね」
魔力が強い上位種族はシエル達のように元々人型だという、力が弱い者は逆に狼の姿のままで普通の狼と何ら変わりはないらしい。
人型は通常自らの魔力を操る事によって狼の姿にも変化出来るが、年に一二度、体が魔力を調整する為にあの時のヒューゴのようにどちらも半々の獣人の姿になるようだ。
そしてその時期は魔力が不安定になり、彼らが最も理性を失う事に等しい。
人里を離れ、力が暴発などしてしまわないように、たった独りでやり過ごすのだ。勃動力三體牛鞭
「それでドレイツさんは顔も見ない時期があるって言ってたんですね」
シエルは頷いた。
種族の中でも稀に、特に力を持って生まれる者は調整の時期が来ても姿は変化せず、人型のままである程度は魔力を自在に使える。
その時期こそ多少の自我は失うかもしれないが、他の人型とは比べものにならないらしい。
僕はエリートなんだよ、とシエルは可笑しそうに言う。
「普段ならあれに負ける事なんかないんだけどね。多分君の所為だ」
「そうですか……なんでですかっ」
「これからもどう転ぶかはわからないけど、ヒューゴは変わった。でもそれは確実に君が来てからだよ」
ああも自我を失う事になって魔力が暴発したのも、そしてああも早く気を取り戻したのもと、そう彼は笑う。
良いのか悪いのか、ルーリィは苦虫を噛み潰したような顔になる。
自分の何かがきっかけでヒューゴがシエルすら止められないほど悪い状態になったのは歓迎出来る事ではないが、彼の苦しみが長く続かなかったというのならそれでいい。
「こういう時期は良くも悪くも特に魔力が感情に共鳴するんだ。だから僕達の種族はあまり感情というものを持たない。正確には理性を失うほど感情を大きく揺さぶられる事がほぼないんだ」
彼らの母親もそうだったのだと、以前言われた事に気付く。
例えば強く人を愛したり憎んでしまうと些細な事で心が振り切れてしまう。
それに共鳴した魔力が暴発し周囲の人々を傷つけ、やがて異端者として人間から「排除」された――それを繰り返して人狼は数を減らしていった。
彼らは歴史に学び、徐々に自らの魔力をコントロールし感情を奥底に埋めてしまう術を身につけた。
だから例え愛する人が出来ても、愛しい家族が出来ても、深く関わらないようになったのだという。
いつしか愛情は姿を変え、種族の自尊心だけがそこに残ってしまった。
「君がそんな顔をする事はないのに」
「したくもなりますよ」
もし誰かを強く思う事があれば、ヒューゴやシエルはあの時以上に獣に成り果ててしまうという事だ。
もしかしたら愛する人を手にかけてしまうかもしれない。
「シエル様が言っていたのって、こういう事だったんですね」
愛する人が死んでも、悲しまない。
すでに理性を失った獣には、愛する人の死もわからなくなる。
シエルは本を閉じルーリィに手渡すと、子供をあやすように髪を撫でてきた。
「もし感情に引き摺られそうになった最悪の場合の為に、自分の魔力を調整するんだ。今回はちょっとタイミングが悪かったな、何せ相手が人ではないと知りながら自ら近付く人がいるなんて思わないから。でも君が来てくれたお蔭だ、君があいつに理性を取り戻してくれた。怖かっただろうにここまでしてくれて、僕からも礼を言うよ」
「いえ、私は……」
引っ叩いただけだ。
「ルーリィ――古の言葉より、傍にある理性」
「例の古代語ですか。どちらかと言うと、そんなしっかりしている言葉とは真逆ですけどね」
「そんな事はないよ。ルーは理性、リィは傍ら……常に共にある、という意味だ。特にリィは、宣誓にも多く使われた神聖な言葉なんだよ。君のお父さんが知らないで名付けたとは思えない」
益々頷けないなと思ったルーリィに向かって微笑み、シエルはありがとうと言った。
その意味を聞き返すよりも先に彼は立ち上がって静かに病室を後にする。
どこかすっきりと晴れた顔をした彼に、ルーリィはそのまま言いかけた言葉を飲み込んだ。
彼が「探している」といつか言っていた言葉を思い出す。
全く人と変わりのない姿のままでありながら魔力を持つ人狼である彼は、恐らくヒューゴとはまた違った意味で辛いのかもしれない。
先祖が代々奥底に埋めてきた感情、それを揺さぶってくれる誰か、その現実を彼は探していたのではないか。
人を避けていたヒューゴとは違い、彼は敢えて接する事で見つけようとしていたように感じる。
「ヒューゴ様は大丈夫かな」
何気なくまたぱらぱらと本を捲りながら、ルーリィは深く息をつく。
気を失う直前、ヒューゴに名前を呼ばれた気がする。
彼が自分の怪我に対して気負う事がなければいいなと思った。
シエルやロボの制止を振り切ったのは自分であるし、ヒューゴはそういう「時期」だったのだから仕方がない。
もし彼が「あの時」の事を考えたのなら、やはり責任を取るなどと言い出しそうだ。
流石にあれは主従関係にあるべき行為ではなかった。
「ぎえ」
ふと鮮明にあの感触を思い出し、ルーリィは落ち着かなくなって本を右に左にと捲る。
犬に……いや狼に実際噛まれたようなものなのだ、あれは。紅蜘蛛
彼にとって女性という対象者がそこにいたから勢いでああしただけの事で、深い意味はないに違いない。
理性を失っていたというのなら尚更だ、ルーリィだからあんな行為に及んだという事はない。
考えて、どっと気分が落ち込んだ。
輪郭が曖昧で霧がかっていたものが、今は少しはっきりとしている。
自分がああも必死になれたのは、きっと彼であるからだ。
彼と一緒に帰りたい、それしかあの時頭にはなかった。
他の事は何も、自分の事でさえも、考えられなかった。
「特別、か」
フィリカにとってのレイナスもそうだったのだろう、きっと彼以外、幼馴染みの親友の事は頭になかったのだ。
けれどそれは彼女が自分を蔑ろにしていたからではないと、そう思える気がする。
「それにしてもいつ退院出来るん――ぎゃああああ!」
口から心臓や諸々が飛び出そうになって、慌てて口を両手で覆う。
いつの間にか戸口に立っていたヒューゴは、ただ何も言わずじっとこちらを見ていた。
その表情はどこか気落ちしていて、いつもの顰め面ではない。
「まだ体調がよくないんですか?」
「いや……」
「じゃあ座って下さい、頂いたリンゴも食べませんか?」
僅かに視線を彷徨わせ、ヒューゴは低く呟く。
「怖くは、ないか」
辛うじて聞こえたそれに、ルーリィは首を振ってから、でもと付け加える。
「人狼というのを見たのは初めてでしたから、あの時はちょっと怖かったですけどね。怖いというならむしろ普段の……あーいえ、とにかく、今はいつものヒューゴ様じゃないですか、怖くないですよ」
少し逡巡し、彼はゆっくりと歩み寄って椅子に腰掛けた。
シエル同様歩くのが辛いという訳でもなさそうでほっとする。
ただ彼はそれきり何も話そうとはせず、やはりいつもとは違う様子だ。
自分に怪我を負わせた事を気に病んでいるのだろうかと不安になってくる。
それともやはり、あの時の事を後悔して責任を取るとか言い出し――。
「ぎああああああああ」
「ぶっ」
思い余って後ろ手に掴んだ枕をヒューゴの顔面目掛けて投げ付けた。
「な、なんだっ」
「私そういうのは絶対認めませんからね!もう散々思い知りましたから!こういう事はですね、お互いがお互いを想い合ってこそ――」
「一体何の話だ」
手にした枕をルーリィの後ろに戻し、ヒューゴは溜息をつく。
早合点したとルーリィが慌てていると彼が深く頭を下げてきて二度口から諸々が飛び出すかと思った。
「すまなかった」
「ええぇ……だからっ別に謝ってもらうような事じゃないですし謝られたら何か私の立場が――」
「あまりよくは憶えていないが、お前の傷は俺がやったものだろう?」
「……………………なんだそんな事ですか」
はあと大きく息を吐き出して、二度早合点した羞恥が妙な方向に行って苛立った。
しかも憶えていないとか。
「犬……じゃなくて狼に噛まれた割には至極順調に回復してますから、お気に病まないで下さい」
あの時の事を追求されるのかと慌てた分、適当な口調になった。
焦って損をした。
「どうしてそう能天気なんだお前は」
「憶えてない貴方に言われたくないんですけどっ」
ぐっと喉を鳴らし、ヒューゴは項垂れる。
その珍しい様子を暫く観察し、ルーリィは小さく苦笑した。
やっぱりこの人は真面目だ。
「本当にそんな気にしないで下さい。不思議なんですけど、痛みも殆どないんですよ」
「恐らく、……噛んだ時に、俺の魔力が流れて痛みを緩和するよう影響したんだろう」
やはりそうかとルーリィは頷いた。鹿茸腎宝
人狼に噛まれたからといって、噛まれた人間が人狼にはならないようだ。
「お前が……俺を呼ぶ声だけは、憶えている」
ぽつりとヒューゴが言う。
そしてルーリィも頷き、心の中で同意した。
意識を失う前にヒューゴが呼んでくれた声を、今も憶えている。
彼はあの時確かに人に戻ったのだろう。
誰かに見られたくないと思って当然だ、その上ヴィヴィが言った事は当たらずとも遠からずだったのだから益々警戒していたに違いない。
だからこそ人気のない町外れに独りで住み、最低限しか人と関わらずに生きていたのだ。
それはきっと、自分が傷つかない為ではなく、誰かを傷つけない為に。
「もしかして先日の解雇云々って、こういう事にならないようにですか?」
沈黙は肯定だ。
ルーリィは前屈みになって大きく溜息を吐き出した。
だとすれば先日から散々近寄るなだの何だのも、結局ルーリィを危険から遠ざけようと思っての事だったのだろう。
最初から追い出そうとしていたというのも、恐らくは。
考えないようにしていたが、あんな風に言われて傷つかなかった訳じゃない。
それが全くの見当違いだったと言われてしまうと、溜息も出したくなるというものだ。
「本当にヒューゴ様って、斜め上と言うか斜め下と言うか……」
「どういう意味だ」
「そういう意味です。やり方は違いますけど、双子って本当に行動が似るんですねえ」
「どういう意味だ!」
「そういう意味です。……私、取り柄もない平凡な女ですけど、よく変わってるって言われます」
「だろうな」
「どういう意味ですか!」
「そういう意味だ」
ふんと鼻を鳴らしたヒューゴに、ルーリィは嬉しくなって小さく笑った。
やはり、いつも通りの彼がいい。
「昔から変わっている形の生き物が好きなんです、虫とか動物とか。女の子なのに虫が好きなんて変わってるってよく言われました」
母からは泣かれた憶えさえある。
「それに怪我したからって、木登りも山登りも止めませんでしたしね」
母からは悲鳴を上げられた憶えさえある。
「この通り私も変わり者ですし、益々頑丈になったみたいですから、今後もどしどし用事を言い付けて下さい。わぶぶぶぶ」
大きな手が伸びてきたかと思うと、ぐしゃぐしゃと髪を掻き混ぜられるように撫でられた。
抗議を上げようとしたとたん、頭が強く引かれて広い胸に押し付けられる。
「怖い思いをさせた」
低い呟きにルーリィの目元から頬にかけてじわりと熱が広がった。
緩く首を振ると今度は髪が優しく撫でられる。
泣きたくもないのに涙が出る、このところずっとそうだ。
怖かったのだと思う、今とてつもなく安堵を感じると尚更そう思う。
けれどそれは彼の姿が獣になってしまったからではない。
あのまま、彼が正体をなくしてしまったままどこかへ行ってしまうのではないかと、それが怖かったように感じた。
彼はここにいる、それが途方もなく嬉しい。
「わ、私、早く、帰りたいです」
皆の顔を揃って見たい。
早く、早く、彼のいつもの不機嫌そうな顔が見たい。
「少し待っていろ」
ルーリィの髪を一撫でして立ち上がり病室を出て行ったヒューゴを見送り、熱くなった頬を両手で覆った。
ドキドキと心臓が痛いくらいに脈打っている。紅蜘蛛(媚薬催情粉)
彼に触れられたのはそれこそ初めてでもないのに、とどこか自分を恨みがましく思ってもみた。
けれどどうしようもない、嬉しいと思う事が少し恥しい。
「どこ行ったんだろ……」
ドアに何度か目をやって、ルーリィが再び本を開こうかと思った時、予告もなく再び彼が戻って来た。
長い足でつかつかと歩み寄って来たかと思うと、彼は何事かベッドの横で腰を屈める。
どうしたんですかと問うより先にルーリィの体はヒューゴの手によって抱え上げられた。
「ひょわ!?なななななにごとですかっ」
「医者の許可を得た。……帰るぞ」
そのまままた荷物のように肩に抱え上げられ、彼の足が大股で病院の廊下を闊歩するのを見下ろす。
何も抱え上げなくてもとか、降ろして欲しいとか、私寝巻きのままなんですけどとか、そんな言葉が幾つも浮かんではどこかに消えて行った。
帰る――そのたった一言にまた目頭が熱くなってしまう。
でも。
「やっぱり降ろして下さいいいいいいいいいい皆見てますからあああああああああああっ」
「ウルサイ、黙れ、落とすぞ」
「なんて取り付く島もない!」
廊下を歩く人々の目が痛くてルーリィは赤くなった顔を両手で覆い、ヒューゴの背中に押し付けた。
逆さになって頭に血が上りそうになりながら、それでも頬が緩むのを感じる。
帰れる、あの家に、一緒に。
「ルーリィ」
病院の雑音に掻き消されそうに小さな彼の呟きを聞いて、ルーリィは顔を上げた。
そんな風にただ優しく彼に名前を呼ばれた事など、今まであっただろうか?
「ありがとう」
次いで聞こえてきた言葉に喉が痛んだ。
何かを言いたいのに潰れそうに痛くて声が出ない。
ルーリィは彼にもわかるように首を振った、何度も。D10 媚薬
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