一騎の葬式の後、草摩は熱を出して倒れた。
「疲れが出たんでしょう」
桐生はベッドの上の草摩に優しく微笑む。草摩の額には冷たいタオルが掛けられていた。蟻力神
確かに、あの時の草摩は精神的に限界を迎えていたように思われる。受験勉強で疲労を蓄積していた上、合格してからも喜びに浸る間もなく手続きに奔走しているうちに、たった一人の家族である父を失った……。
「仕事は?」
嗄れた喉からそう尋ねると、桐生は首を横に振った。
「少し遅刻していきます」
「……遅刻、するなよ」
息をきらしながら、草摩は桐生を軽く睨む。
「父さんは、俺が熱出したってちゃんと仕事に行ってたぜ」
「僕は貴方のお父さんじゃないですからねえ」
桐生は煙に巻くようなことを呟き、寝汗に濡れた草摩の髪をそっと撫でた。
「今日はゆっくり寝ることですよ。何も考えずにね」
「……うん」
草摩は深い溜息を漏らした。
目を閉じると側にいるはずの桐生の気配が感じ取れず、不安になって目を開けてしまう。それを何度か繰り返しているうちに、
「眠れませんか?」
と問われた。草摩は困ったように眉を寄せる。
「お前って本当にいるのかいないのか、良く分かんないんだよな」
「……え?」
「なんか……変な感じ。眼をつぶると消えてしまいそうで……」
非科学的なことは信じない草摩だが、この桐生に関しては例外もあるかもしれないと思ってしまう。本人は笑って否定しそうだが、それが余計に疑惑を生むのだ。深い闇色の瞳は、その淵に草摩には知り得ないものを隠しているような……。
「消えたりしませんよ」
布団から突き出した草摩の熱っぽい手に、桐生は自分の手の平を当てた。ひんやりとしていて心地いい。
「眼を閉じて」
言われて、草摩は素直に瞼を閉じる。触れている手の感触から、確かに桐生の存在が感じ取れた。
「消えないでしょう?」
柔らかな桐生の声に、草摩はこくりと頷いた。声はそのまま穏やかに続ける。
「眼に見えることだけが全てじゃないし――眼に見えないことだから嘘というわけでもない」
「え……?」
「手で掴んでみないとわからないことというのは沢山あるんですよ、草摩君」
「何言ってんの? お前……」
戸惑って眼を開けると、桐生は相変わらず微笑していた。その笑みが、ゆらりと揺れて……崩れて……。
――真っ赤に染まる。
「――――ッ!!」
声にならない叫びとともに、草摩は目を覚ました。
「草摩君……」
側にいたのは桐生ではなく、佳世。
「大丈夫?」
「……あ……」
ゆっくりと、草摩の認識に昨夜の出来事が甦ってくる。――桐生が血を吐いて……倒れていた――。
「桐生……桐生は?!」
草摩はベッドから起き上がり、佳世を問い詰める。
「…………」
佳世は蒼白な顔で、口を開く。
「それが……どこにも……」
「……え?」
「桐生さんがいなくなったの……」
佳世は眼に涙を溜めていた。
「昨日の夜……慧一さんが貴方をここに運んできて……」
言われて初めて気がついたが、草摩が寝かされていたのは慧一と佳世の寝室らしい。佳世は口元に震える手を当てて言葉を続ける。
「慧一さんが、『桐生さんが殺された』って言って……。警察に連絡とって、辰巳さんと島原さんも起こして……慧一さんと三人で、もう一度桐生さんの部屋を見に行ったのよ。そうしたら、誰もいなくなっていたって……」
「…………」
「警察も探しているんだけど……。貴方が起きたら、貴方からも話を聞きたいそうよ」
「…………」
途中から、草摩の耳には入っていなかった。
――桐生が殺された……?
その言葉だけが頭を渦巻いている。
「そんな、馬鹿な……」
そんなこと、あるはずがない。
――桐生の唇から流れていた血――。
そんなこと、あるはずが……。
――父の腹から流れていた血――。
そして、父は死んだ……。
「草摩君!」
草摩は前のめりに体を折った。自分の膝に頭を埋める様に体を臥す。搾り出すように呟いた。
「桐生が死んだって……、でも、死体なんて見つかっていないでしょう?」
「ええ……。今この館中探しているわ。それなのに見つかっていない」
「…………」
「慧一さんも桐生さんが倒れているところは見ているし……たとえ一人で外へ出たとしても、私たちに助けを求めるのが普通じゃないかしら」三便宝カプセル
「…………」
「そうじゃないなら、誰かに連れ去られたとか……」
「でも……」
草摩は無理やりに感情を抑え、口を開いた。
「はじめはチェーンロックがかかってたんですよ? 後で行った時には外されていたんですか?」
「そうらしいの」
草摩はぞっとした。
「……ってことは、あの時はまだ犯人は中にいた……?」
「そうかもしれない。でも、草摩君をここに運んだ後は慧一さんが頼んで辰巳さんには北の玄関を見張っておいてもらったのよ。他に出入りできる場所はないわ」
「友早と眞由美さんは?」
「眞由美さんは朝まで起きてこなくて……、今は友早と一緒に彼の部屋にいる。友早は昨晩一歩も自分の部屋を出ていないって」
「…………」
「警察は自殺を疑っているらしいんだけど、それにしても本人がいなくなるなんて……」
「そんなわけない!」
佳世の声をさえぎり、草摩は叫んだ。
「あいつが自殺なんて……そんなわけありません!」
――俺を遺して……桐生が死ぬ訳なんてない。そんなこと、あり得ない。
「草摩君……」
佳世の差し伸べた手には縋らずに草摩は眼を閉じた。夢で見た、桐生の手の感触がまだ残っている。それが消えてしまわないうちに……。
「草摩君?」
ベッドから降り立つ草摩に、佳世が声を掛ける。草摩は小さく、しかし力強く呟いた。
「俺は桐生を探します」
「…………」
佳世は息を飲む。彼の雰囲気は、事件に立ち向かう時の兄にそっくりだった。
「俺は……」
この手に触れてみるまでは――彼の表情が暗く、鋭さを持って硬化する。
草摩は窓の外を見つめた。
「俺は、信じない」
友早の部屋のベッドの上で、眞由美は膝を抱えている。
「どういうことなの……?」
小さな声に、友早は椅子を回して振り向いた。
「…………」
一瞬口を開きかけたものの、思い直したようにまた閉じてしまう。
「千影さん……こ、殺されたの?」
「本人が見つからないことには、それも分からねえよ」
「どういうこと?」
「どこにもいねえんだ。桐生さん」
眞由美は大きく目を見開いた。
「いないって……?」
「生きてるにしろ死んでるにしろ……、どこにいるのか分からない」
「生きてるなら、私たちの前に出てくるはずでしょう?」
「そうだな」
「じゃあ……殺されて、運ばれた?」
「どこに? っていうか誰に。あの人、身長百八十センチ超えてるんだぜ。細いけど、それなりに重いだろ」
「それもそうよね……」
友早は溜息と共に言葉を吐き出した。
「俺は……草摩が心配だ」
「え?」
「あいつ、親父さん亡くしたばっかりだぜ? ショックだろ……」
「うん、そうね……」
眞由美は視線を逸らし頷く。
そのとき、ノックの音に続いて部屋の扉が開いた。振り向いたふたりの視線の先に、佳世が佇んでいる。
「ちょっといいかしら」
「母さん……」
友早がぽつりと呟くと、佳世は自分の後ろに立つ草摩を中に通した。そのまま、佳世は再び扉を閉める。
「草摩」
「七条君……」
異口同音に二人は名を呼んだ。
「ごめん。少し話を聞きたいんだ」
顔は青ざめているが、草摩の態度は毅然としている。友早は一騎の葬儀のときの草摩を思い出した。あの時の彼も今と同じような表情で……その背後には桐生が立っていた。
草摩は部屋を真っ直ぐ横切り、眞由美の横に腰を下ろした。
「昨日寝たの、何時だった?」
「あ……私?」
眞由美は眉を寄せて考える。
「えっと……東さんに案内されて部屋に来て……、シャワーを浴びてすぐだったから、十時過ぎくらいかしら」
「下に降りて行くつもりじゃなかったのか?」
友早に尋ねられ、眞由美は頷く。
「そうなんだけど……、何だか急に眠くなったのよ」
「急に?」
「そう……」
草摩は何かを思い出そうとするように、額に手を当てた。
「もしかしてそれは水差しの水を飲んでから?」
「え?」
友早が聞き返すが、草摩は答えない。眞由美はしばらく眉を寄せて考えた後、
「そういえば、水は飲んだわね……」
「そうか」
草摩は立ちあがった。
「どこ行くんだ?」
腰を浮かせる友早に、草摩は告げる。
「眞由美さんの部屋の水。調べてもらうんだよ」
「けど、あれは……」
「叔母さんか叔父さんが入れ替えてる、そんなことわかってるよ。でも、もし眞由美さんの水に睡眠薬を混ぜようと思ったら簡単なことだろ?」五便宝
「何?」
「水差しが載ってたのはマントルピースの上。窓際だ。眞由美さんの部屋は三階だし、バルコニーもないけど、大型の梯子か何か使えば」
「眞由美の部屋の窓、閉まってたか?」
「……わかんない。確認しなかったもの」
友早は草摩を怪訝そうに見つめる。
「そもそも大型の梯子なんてうちにはなかったと思うけど……」
草摩は無表情でぽつりと言った。
「だとしたら、叔父さんか叔母さんが入れたのかもな」
「……おい!」
怒気を含んだ声で、友早が言う。
「お前、言っていいことと悪いことがあるんだぜ」
「ちょっと、友早!」
眞由美が横から友早を抑える。
「草摩君がしているのは、ただの可能性の話よ。そうでしょ?」
草摩は軽く頷く。その眼は友早を見ていない。
「梯子だって、友早が知らないだけでどこかにあるのかもしれないし、外から運んでくることだってできるかもしれないわ。ほら、トラックとかワゴンとかに載せてきて、もしかしたら桐生さんの体もそれで運んだのかも」
「……なるほどね。可能性は十分ある」
草摩は落ち着き払って呟く。その様を見ていた友早が、軽く咳ばらいをした。
「お前……もしかして、桐生さんを殺した犯人を探すつもり……」
「違う」
草摩は鋭い目線を向けた。
「俺は、桐生を探すだけだ」
N県警から派遣された伊吹要(いぶきかなめ)警部は、被害者と目されている桐生千影の部屋に佇んでいた。開かれた扉からは、青い光が洩れている。
――変わった建物だ。伊吹はそう思う。朝なのにどこも薄暗く、光のささない廊下にはそれぞれの色のライトが灯っている。初めてここに来た彼は、相当面食らっていた。
「伊吹君」
声に振り向くと、慧一が立っていた。
「東本部長。何か?」
伊吹は心中でため息をついた。彼に気を遣わなければならないせいで、捜査がやりにくい。慧一は、気遣うことはない、早く解決することだけを考えろというが、警察組織のような縦社会ではそうはいかない。それでも他の警察幹部より慧一は随分協力的だと思う。捜査員が自分の別荘に上がり込んで荒らしても、文句一つ言わない。捜査のためなのだから当たり前なのだが、そうはいかないのが現実というものだ。
慧一は暗い表情で言った。
「草摩君が目を覚ましたようだ。こちらに来ると言っている。話を聞くだろう?」
「はい」
伊吹が頷くと、慧一は眼をそらして呟く。
「草摩君の名字で、思い出すことはないか」
「…………」
伊吹は先ほど渡された関係者のリストを思い出した。
「七条……草摩」
はっと息を呑む。
「もしや、あの……」
「そうだ。あの七条君の息子さんだよ」
「…………」
「もし桐生君がどうかなっていたら……父親に続いて新しい保護者も失ってしまうことになる」
「失礼ですが、お母様は……」
「早くに亡くなっている」
「……そうですか」
伊吹の表情は変わらない。どんなに残酷な事件を担当しようとも、彼はその眉を少し寄せるだけの反応しか見せない。冷たい男なのかと思えば、そうでもない。遺族と接する時には非常に細やかな気遣いを見せる。本来豊かな感情は、警察官としての自分を保つために押し殺しているのだ。
かすかな靴音とともに、ドアから草摩が姿を見せた。
「叔父さん」
「草摩君」
振りかえった慧一が彼を側に呼ぶ。VigRx
「彼がこの件の担当の伊吹警部だ」
無言で伊吹が会釈すると、草摩も黙ったまま頭を下げた。
伊吹は手早く草摩という少年を観察する。この春から大学生になると聞いていた。年齢相応の外見だと思うが、眼だけが違う。爆発させようと待ち構えて煮えたぎっている火口のような、不思議な色合いだ。
「…………」
草摩は伊吹に話しかけることなく、窓辺に歩み寄った。
「鍵。かかってますね」
誰に聞かせるつもりもないように、草摩は呟く。伊吹は彼の方へと歩きながら、
「ああ。鍵に触った形跡もない」
うっすらと溜まった埃の色に濃淡はなかった。
伊吹の方を初めて真っ直ぐ見つめ、草摩は口を開いた。
「眞由美さん――須藤さんが一つ仮説を話していたんです。でも……これならあり得ないですね」
「仮説?」
伊吹が軽く眉をひそめると、草摩は頷いて説明した。
「大きな梯子を使ったんじゃないかって」
「梯子?」
「あ、そうだ叔父さん」
草摩は黙って彼らを見ていた慧一に声を掛けた。
「何だ?」
「眞由美さんの部屋の水。調べてもらってください。睡眠薬が入っていたかもしれないから」
「なんだって?」
声をあげたのは伊吹だった。
「何故そんなことを?」
「…………」
草摩は軽く手を顎に当てた。視線は部屋の隅に置かれた窓際のマントルピースに向けられている。
「昨晩、眞由美さんは途中でシャワーを浴びに行きました。友早と……桐生も一緒に」
桐生、と口に出した瞬間、草摩の顔が歪む。しかし、口調の冷静さは変わらなかった。
「そのとき、また戻ってくるって俺たちに言っていたんですよ。それに、時間もまだ早かった。眞由美さんは、シャワーを浴びて水を飲んだら、途端に眠くなったと言っていました」
「疲れが出たのかもしれんよ?」
慧一の声に、草摩は首を横に振る。
「それだけじゃないと思います。……俺、昨日ここで倒れた桐生を見て叫んだのを覚えているんです。それも、かなり大声で。それに壁とかドアとか殴ったし、相当大きな音がしたと思うんですよ。でも、眞由美さんはちっとも気付かなかった。同じ階にいたのに」
「…………」
「あの後、それなりに大騒ぎになったでしょう? でも眞由美さんは朝まで起きてこなかった」
「……しかし」
「お願いします。叔父さん」
草摩の気迫に押されたように、慧一は伊吹に頷いて見せた。
「分かりました。調べてみましょう」
「ああ。……私が行ってくる。伊吹君はここにいたまえ」
「はい」
慧一がドアから出るのを見送って、伊吹は再び草摩に尋ねた。慧一がいない方が話しやすい。
「さっきの、梯子を使った仮説……というのは?」
「あ、はい」
草摩は窓の外に視線を投げる。
「眞由美さんの水差しに薬が入っていたとして……、梯子を使えば窓の外からでも入れられますよね」
「まあ、そうだが……」
「それから、桐生が消えたのも窓から運んだと考えれば……。混乱させるために内鍵を外しておいて」
「む……」
伊吹はこめかみに指を当てた。
「面白い仮定だとは思うが、やはりこの窓が閉まっていることを考えれば……」
「そうですね」
「それに、誰がどこの部屋に泊まるかなど、外部の人間は知らないはずだろう」
「それをいえば、桐生がここに来ることを知っていた人なんて、部外者にはいないはずなんですよ」
「……内部の人間の犯行か……? しかし……」
伊吹は溜息をついた。
確かに、この部屋には東家のものと思われる指紋しかなかった。桐生の指紋がほとんど検出されなかったのはどういうわけだか……彼には良く分からない。
だが、慧一や佳世は、草摩の親戚であり県警本部長とその妻である。友早は草摩の従兄。さらに、自分の彼女に睡眠薬を盛るとは考えにくい。辰巳や島原は桐生とは初対面で、しかも警察関係者である。警察関係者だからといって罪を犯さないとは思わないが、自分の上司の別荘で実行するだろうか。いや、むしろ桐生という男との接点が全くない。
草摩は――論外だ。伊吹は確信を持ってそう断定した。
「やはり……外部の犯行と仮定した方が良さそうだな……」
「ええ……疑わしい人がいなさ過ぎます」
草摩は部屋にかかった時計を眺めながら、
「桐生を部屋に案内したのは……」
「本部長だ。時間は午後九時半くらいだったと言っている」
それを聞いて少し視線を落とし、考えこむ。巨人倍増
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