「お前は――お前は!」
パズルのピースが埋まるように、思い出してきました。
フィロリアル様達を亡き者にし、お義父さんに重傷を負わせた元凶が目の前にいて、お義父さんやみんなを傷つけようとしている。D9 催情剤
この元康、動かずには……居られないのですぞ。
槍を奴の攻撃の射線上に合わせて弾き、奴の豚に当てますぞ。
「ブヒ――!?」
ブシュッと豚の一匹に当たって血が飛び散りましたな。
同時に、飛行船のデッキに穴が空きましたぞ。
「え……ヴァーンズィンクローが……弾かれた……それに武器が奪え……俺は今……」
放心するように、ビクンビクンと痙攣する豚をタクトは見つめておりますな。
「何のつもりか知らないけれど、俺達に何の恨みがあって――」
お義父さんがタクトに向けてなにやら呟いておられます。
ですがこの最低のクズ相手にはそんな言葉、意味がありませんぞ。
「てめぇええええええええ――」
ぶちぎれたタクトが『ツメ』を振りかざしてこちらに近寄ろうとしています。
ですが――。
「元康くん! 何をするつもり!?」
「コイツは……コイツだけは生かしておいてはいけないのですぞ!」
最大限出力を上げたブリューナクを俺はタクトに向けますぞ。
全ての力を全開まで引き出し、当てて見せますぞ。
「ブヒィイイイ!」
メイド服を着た豚が俺とタクトの間に立ちますぞ。
「ブリューナクⅩ!」
槍から放たれた高出力の分厚い閃光がメイド服を着た豚を貫き。
「うわ――」
タクトを消し炭にしましたぞ。
豚一人が庇った程度で俺のブリューナクは止まりませんぞ。
シューっと音を立てて部屋に風穴が生成されましたな。
……思わず殺してしまいましたが、ループしませんぞ?
ふふふ……どうやらループの起点となっているのはお義父さんや錬と樹だけの様ですな。
ならば、こやつ等を殺しても問題ないですぞ。
「「「ブヒィイイイイイイイイイイイイイイ!?」」」
豚共の喧騒が騒がしいですな。
安心すると良いですぞ。
等しく皆殺しにしてタクトのいるあの世に送ってやりましょう。
「よくもタクトを!」
「タクト……タクトは何処に行ったの!?」
と、ドラゴンとグリフィンが豚から正体を露わして騒ぎ始めましたぞ。
「タクトは元より、父上まで殺した槍の勇者! 絶対に殺してやる!」
狭い室内で、グリフィンが俺に向かって突撃してきましたぞ。麻黄
「父上? 知りませんな……ああ、そういえば山で遭遇した大きなグリフィンがいましたな。ドロップが優秀でしたぞ?」
「ぶっ殺す!」
突然現れてブツブツとよくわからない事を呟いていた根暗なグリフィンですか。
その子供らしいですな。
タクトと共に居たという事は同罪、その命を持って償ってもらいましょう!
「エアストジャベリンⅩ!」
ブリューナクはクールタイム中ですからな。
狭い室内でエイミングランサーなど放とうものなら、ユキちゃん達に当たりかねません。
それならば俺が直接狙った方が良い結果になります。
なにより、この程度の攻撃であの時の鬱憤は晴れませんぞ。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアア――」
ブチャっと音を立てて、グリフィンの頭を消し飛ばしましたぞ。
「ハハハッ! 親と同じ殺し方をしてやりましたぞ!」
近かった所為で返り血が俺に振りかかってしまいましたな。
穢らわしい。
「ええい! この乗り物が邪魔じゃ! タクトの仇、ここで晴らしてくれる!」
バキバキとドラゴンが巨大化して、飛行船を崩壊させていきますぞ。
こんな化け物も隠しているとは……腕がなりますな。
ドラゴンというだけで生きる価値が無いのに、その上タクトの仲間と来たら殺しても殺し足りませんぞ。
「みんな、今すぐここから逃げるんだ!」
「は、はい!」
シルトヴェルトの重鎮達は頷いて、俺が開けた穴から逃げましたぞ。
「ブヒ――」
「死ね! ですぞ」
俺も合わせて逃げますが、その合間にタクトの豚共をついでに突いて仕留めますぞ。
やがて火を放ちながら飛行船は落下し、辺りは火の海になりました。
城目掛けて巨大なドラゴンが飛来し、シルトヴェルトの者達は右往左往し始めましたぞ。
「元康くん!」
俺は逃げる豚にエイミングランサーのターゲットを何度かしたのですが、タクトの豚の数は多く、しかも威力の低いエイミングランサーでは殺しきれ無い状態でしたぞ。
お義父さんに声を掛けられて振りかえります。老虎油
「一体どうしたの! それに、鞭の勇者を殺すなんて大問題……いや、状況的にそうしないとダメだったか……」
「思い出したのですぞ! 奴は……鞭の勇者だけではなく七星の武器を集めている、未来の世界でお義父さんが倒した敵だったのですぞ!」
「だからって……今の状態がわかる?」
お義父さんに言われて辺りを見渡しますぞ。
辺りは今まさに火の海になっていて、城の近くにあった森に火が燃え移っております。
シルトヴェルトの者達が必死に消火活動をしておりますが、空を飛来してくる巨大なドラゴンを相手に戦場は混乱を極め始めました。
辛うじてフィロリアル様達によって城は守られておりますが、いつ被害が増大するかわかったものじゃありません。
俺は火の海の中で……そっと槍を下に向けましたぞ。
「奴の所為で……未来のお義父さんは泣いていたのですぞ……フィロリアル様も死んでしまって……」
「うん……その気持ちはわかったから、それにどうやったかわからないけど行方不明だったツメの勇者を殺したのもどうやらタクトだったみたいだしね」
お義父さんが炎の中で俺を抱きしめてくださいました。
遠くでユキちゃん達がドラゴン相手に指揮をしてくださっています。
「今は少しでも被害を抑えるべく、暴れている敵を倒そう。波までの残り時間も少ないから……」
「はい! ですぞ!」
お義父さんに言われ、俺はドラゴン……怒り狂った竜帝に向けて駆けだしますぞ。
狙うはドラゴンの頭部……。
そこに全力でスキルを放ちますぞ。
「ブリューナクⅩ!」
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
一直線に距離のある状況ではブリューナクは紙一重で避けられてしまいましたぞ。
チッ!
ならば、被害が出る前にやる事は一つですぞ。威哥十鞭王
エイミングランサーの上位スキル……威力、命中精度を誇る神々の有名な槍の名を冠するスキルを放ちますぞ。
槍が黒く輝き、俺の視界に飛んで行く軌道が現れますぞ。
「グングニルⅩ!」
黒い一筋の、曲がる槍が……巨大なドラゴンの頭部目掛けて飛んで行くのですぞ。
「ガアアアアアアアアアアア――グガ!?」
ドスッとグングニルが巨大なドラゴンの眉間に命中し、音を立てて内部に入り込んで通り過ぎると……ドラゴンの頭部は炸裂しましたな。
ヒューッと音を立てて、巨大なドラゴンが城の中庭に落下致しました。
「やった! やったよ元康くん!」
「当たり前ですぞ! さあ、後はタクトの豚共を駆逐するのですぞ!」
「待って! もう逃げられちゃってるし……波までの時間を見て!」
お義父さんに言われて視界の砂時計の数字を見ますぞ。
そこには後10分と言う数字が刻まれていました。
「10分もあれば、何匹か仕留められますな」
「落ちついて元康くん! 君は……タクトの連れていた女達の区別が付くの?」
「……なんと」
そうでした。
俺は……あの場に居た豚の区別など付きません。
今行けば、判別が付かず無関係な豚共も皆殺しにしてしましょうでしょう。
「今は少しでも波に備えて準備をしよう。じゃなきゃ世界が大変になるよ」
「わかりましたぞ」
「大変です!」
ドラゴンの死骸を前にしているとシュサク種の長が空から舞い降りて獣人から亜人に変わってお義父さんに頭を垂れました。
「どうしたの? 波の準備を急いでしなきゃいけないんだけど」
「……メルロマルクが軍を引き連れて、我が国に攻め込んでまいりました!」田七人参
2014年6月30日星期一
2014年6月27日星期五
何でも屋の休日
「おぇぇ……疲れ過ぎて吐きそう……」
起きたら毒料理を食わされ、食後に駆けっこ(という名の一時間フルマラソン)、小休止の後に、残りの時間は迷宮探索……。
もう、何が何だか分からない。あまりの疲労に足元さえ覚束ない。天天素
やっとの思いで向上心豊かなフランソワから逃れて家に辿り着いたものの、気がつけばもう夜だ……!
こうして、俺の休日は今日も潰れた。
神は……神は死んだ!! ファック! Holy shit!
おおお……(涙)
何でも屋の住み込み従業員の場合
「ゔあ~……今、帰ったぞ~……」
おや、ご主人さまが帰ってきたようだ。
お玉で鍋をかき混ぜていた手を止め、玄関へと出迎えに行く。
「……お遅いお戻りで。もしや、食事はもう済まされましたか?」
「食事? ははっ……んなもん食う暇なかったよ……」
どうやら、食事も忘れて休日を楽しんでいたようだ。良かった。せっかくご主人様のためにお昼から煮込んでおいたシチューが無駄にならずに済む。
「……すぐに食事になさいますか? それとも先にお風呂へ入られますか? どちらも準備はできております」
「先に風呂に入ろうかな……腹は減ってるけど、まだ疲れが抜けてないから胃が受け付けなさそう」
「……お疲れですか。お背中をお流ししましょうか?」
「お前って……お前って、ほんっとーに仕事が関わらなきゃ……ワーカーホリックじゃなければ良い奴なんだよな……」
「……?」
ワーカーホリック? よくわからない言葉だ。ご主人さまは時々難しい言葉を話すことがある。こんなとき、私は自分の無学さに恥じ入ってしまう。
「まあ、風呂なら一人で入れるさ」
「……そうですか。では、お食事の用意をしてお待ちしております」
「ああ、よろしく。一時間ぐらいで出るわ」
「……かしこまりました」
では、料理の仕上げに取りかかろう。カオルさんから、「疲れには甘いものやすっぱいものが効く」と聞いたので、デザートに「柑橘とベリーのフルーツサラダ」を用意しておこう。ご主人さまが喜んでくださると良いのだが。
「あ~……やっぱ我が家は落ち着く……」
「……それはようございました」
お風呂上がりのご主人さまと二人で食卓を囲む。
四人がけの小さな食卓の上にパン、シチュー(奮発して塩漬けの「スノー・カウ」の肉を使った。休日だから良いだろう)、フルーツサラダを並べ、壁には映像水晶で「たそがれセーベー」を映し出している。
休日の夜に映画(映像水晶に入れられた劇のことらしい)を見ながらゆったりと食事をとるのは、ご主人さまが好む時間だ。セッティングに抜かりはない。三鞭粒
私も映画は嫌いではない。秘かにこの時間を楽しみにしているほどだ。
この時間に言葉はない。映像水晶から流れる音声のみが響いているのみ……だが、居心地は悪くはない。ただただ、穏やかに時間が流れていく……。
「腹もいい感じに膨れたし、疲れてるからもう寝るわ」
「……そうですか」
「じゃあな、お休み」
「……はい、お休みなさいませ」
満足げに自室へと戻っていくご主人さま。テーブルを見ると、キレイに完食されて何も残っていない皿がある(特にシチュー皿はパンでぬぐっていたので、皿の底の模様が見えるほどだ)。
どうやら満足なされたようだ。私もうれしい。手をかけた甲斐があるというものだ。食器を片づける手が、何だか軽やかになる。
こんなにも穏やかで充実した安息日が過ごせるとは、一年ほど前の私には考えることすらできなかった。
ご主人さまに買われる前は、私には安息日などなかった。
買われる……そう、私はご主人さまに買われた奴隷だ。
妖精種の繁殖用奴隷を掛け合わせて産まれた私も当然奴隷で、見目麗しいという理由から愛玩用奴隷として育てられた。
奴隷として過ごす日々……あの頃の私は安息日どころか、自由という言葉の意味すら知らなかった。
でも、あの日……雨がしとしとと降る肌寒い日。ご主人さまは私に教えてくれたのだ。
「自由」の意味を。神が祝福したもうた「安息日」の存在を。
今では、私は休日を謳歌している。
屋上の空中庭園でハーブを育てたり、商店街に買い物に出かけたり、ご主人さまからいただいた映像水晶を観たり……奴隷商人の元に居た頃は考えられなかったような生き方だ。
こんな生活を……「自由」を教えてくれたご主人さまには、今でも感謝している。
しているからこそ、ご主人さまには「労働」をさせるのだ。
それが私にできるせめてもの恩返しだから……。
ご主人さまが「自由」の素晴らしさを知っているのなら、私は「労働」の良さを熟知している。
労働は、人の気力を満たすものだ。屋上のハーブが、水や肥料が無いと枯れてしまうように、人も労働が無ければ腐ってしまう。
かつて私を縛り付けていた奴隷商は、商人でありながら自分の足では動かず、人を使って楽をしていた。そもそも、奴隷商という職業自体が、人を右から左へ流すだけの仕事だ。こんなもの、労働とは言えない。
その証拠に、奴隷商はいつも気だるそうに日々を過ごしていた。まるで根ぐされした植物のようだ。威哥王三鞭粒
金貨を手にした時はいやらしい声で笑うが、その目の光はねばついていて、腐泥を貯め込んでいるかのようだった。
私も、与えられた小さな部屋の中で何をすることなく過ごしていた。今にして思うと、あの時の私の心は枯れ果てていたのだろう。
そんな私たちに比べて、自ら動き、日々を懸命に生きている人たちの輝きはどうだ。
カオルさんたち一家は、忙しそうにしながらもいつも生き生きと笑顔でいる。その姿からは溢れんばかりの生命力を感じる。
ご近所のみんなだってそうだ。
鍛冶工房「ヘルバルト」のマークさんは、冒険者の要求に真摯に答え、いつも額に汗して真剣な表情で鉄を打っている。
道具屋「アップル・バスケット」のミーシャさんは、自分が苦労して仕入れた商品を誇らしげに説明してくれる。
パン工房「クラリス」のクラリス夫妻は、学園帰りにお腹をすかせてパンにかぶりつく子どもたちを、嬉しそうな顔をして見つめている。
これが、「生きる」ということなのだ。
働かなくても生命活動に何ら支障をきたさない生き方では、かつての私たちのように腐って枯れてしまう。
かくも労働は素晴らしい。
でも、そのことが理解できていないのか、ご主人さまはほうっておくといつまで経っても働こうとしない。私と出会った頃は特に酷かった。
このままでは、ご主人さまもあの奴隷商のように、腐った目をした脂肪の塊になってしまう。
当時、焦った私はご近所のヴィーヴィル夫人を訪ねた。町内会のまとめ役で、何かと物知りの老婦人。料理やガーデニングはこの人から習った。
今回も、きっといい知恵を貸してくれるだろうと考え、ヴィーヴィル家のドアをノックしたのだ。
焦燥した私から話を聞いた彼女は、さも何でもないことのようにこう答えてくれた。
「なんだい、タカヒロが働かなくなったのかい。まあ、近頃の若いもんは(略)で、要するにだ。いいかい、こうしな。思いっきり引っ叩いてやるんだ。家の旦那も若い頃は酒に博打にのめり込んでいてね、ろくに働かなかったんだ。私が内職をして、やっと食べていけれたんだよ。その金も博打につぎ込もうとしてね……私ゃ頭にきてね。思いっきり引っ叩いてやったんだ。泣きながら何回も、何回もね。そしたら旦那も目が覚めたのか、渋々だけど働くようになったのさ」
「……ご主人さまに、暴力をふるえというのですか? そんな……」
「いいんだよぉ、貴族さまでもあるまいし。あんなぐーたらは、手を出さなきゃいつまで経っても働かないもんさ。口で言って聞いてくれたことがあったかい?」威哥王
「……確かに……ありませんでした。いつも、「明日になったら働くさ」とはぐらかされます」
「でしょぉ? まあ、ビシッと一発お見舞いしてやんな」
「……なるほど、ビシッと」
思いっきり引っ叩く。それもビシッと……鞭ですね。
思い返してみると、奴隷商のところの労働用奴隷も、怠慢な者は鞭で叩かれていた。まさか、市井でも鞭によって労働へと駆り立てるとは知らなかった。
そういえば、ご主人さまから「こん中のもんだったら自由に使っていいよ」と渡されたアイテム・ボックスの中には鞭があった。
恐らくは、こういった時のために用意されたものだ。
なにせ、その鞭、「九尾の猫鞭」は、【ダメージは少ないが、痛覚を刺激し、行動を中断させる】効果を持っているぐらいだから……ダメージは少ない。なるほど、これならお仕置きに使っても、重傷を負うこともないだろう。
そう自分に言い聞かせ、私は意を決してご主人さまの元へ向かう……居た。いつも通り、自室のベッドで布団に包まっている。
「働いてくれますように」。そう願って、私はもう昼過ぎだというのに眠りこけるご主人さまを力いっぱい打ちつける。
「働いてください、働いてください」と、願いを口にも出しながら何度も鞭を入れる。そのたびにご主人さまの体はビクンビクンと震える。胸が痛い……だが、これもご主人さまのためだ。
しばらくして、「わ、わかった! 俺が悪かった!! 働く! 働いてきます!!」と、ご主人さまは家を飛び出していった。
効果は覿面だった。さすがヴィーヴィル夫人。
その日、ご主人さまはいくつかの依頼をこなしてきて、「こ、これでいいのか……?」と恐る恐る聞いてきた。もちろん、「はい」と頷くと、ほっと息を吐いて寝室へと戻っていった。
しかし、その次の日、ご主人さまは働こうとしなかった。「昨日の今日で疲れているのだろう」と考え、そっとしておいた。だけど、次の日も、その次の日も、ご主人さまは働こうとはしなかった。
私は、こういう人を知っている。労働奴隷でも、誰かに何かを言われないと働かない、鞭を入れないと働かないという人たちがいた。もしや、ご主人さまもその類なのだろうかと考え、鞭を入れるとまた働くようになった。MaxMan
起きたら毒料理を食わされ、食後に駆けっこ(という名の一時間フルマラソン)、小休止の後に、残りの時間は迷宮探索……。
もう、何が何だか分からない。あまりの疲労に足元さえ覚束ない。天天素
やっとの思いで向上心豊かなフランソワから逃れて家に辿り着いたものの、気がつけばもう夜だ……!
こうして、俺の休日は今日も潰れた。
神は……神は死んだ!! ファック! Holy shit!
おおお……(涙)
何でも屋の住み込み従業員の場合
「ゔあ~……今、帰ったぞ~……」
おや、ご主人さまが帰ってきたようだ。
お玉で鍋をかき混ぜていた手を止め、玄関へと出迎えに行く。
「……お遅いお戻りで。もしや、食事はもう済まされましたか?」
「食事? ははっ……んなもん食う暇なかったよ……」
どうやら、食事も忘れて休日を楽しんでいたようだ。良かった。せっかくご主人様のためにお昼から煮込んでおいたシチューが無駄にならずに済む。
「……すぐに食事になさいますか? それとも先にお風呂へ入られますか? どちらも準備はできております」
「先に風呂に入ろうかな……腹は減ってるけど、まだ疲れが抜けてないから胃が受け付けなさそう」
「……お疲れですか。お背中をお流ししましょうか?」
「お前って……お前って、ほんっとーに仕事が関わらなきゃ……ワーカーホリックじゃなければ良い奴なんだよな……」
「……?」
ワーカーホリック? よくわからない言葉だ。ご主人さまは時々難しい言葉を話すことがある。こんなとき、私は自分の無学さに恥じ入ってしまう。
「まあ、風呂なら一人で入れるさ」
「……そうですか。では、お食事の用意をしてお待ちしております」
「ああ、よろしく。一時間ぐらいで出るわ」
「……かしこまりました」
では、料理の仕上げに取りかかろう。カオルさんから、「疲れには甘いものやすっぱいものが効く」と聞いたので、デザートに「柑橘とベリーのフルーツサラダ」を用意しておこう。ご主人さまが喜んでくださると良いのだが。
「あ~……やっぱ我が家は落ち着く……」
「……それはようございました」
お風呂上がりのご主人さまと二人で食卓を囲む。
四人がけの小さな食卓の上にパン、シチュー(奮発して塩漬けの「スノー・カウ」の肉を使った。休日だから良いだろう)、フルーツサラダを並べ、壁には映像水晶で「たそがれセーベー」を映し出している。
休日の夜に映画(映像水晶に入れられた劇のことらしい)を見ながらゆったりと食事をとるのは、ご主人さまが好む時間だ。セッティングに抜かりはない。三鞭粒
私も映画は嫌いではない。秘かにこの時間を楽しみにしているほどだ。
この時間に言葉はない。映像水晶から流れる音声のみが響いているのみ……だが、居心地は悪くはない。ただただ、穏やかに時間が流れていく……。
「腹もいい感じに膨れたし、疲れてるからもう寝るわ」
「……そうですか」
「じゃあな、お休み」
「……はい、お休みなさいませ」
満足げに自室へと戻っていくご主人さま。テーブルを見ると、キレイに完食されて何も残っていない皿がある(特にシチュー皿はパンでぬぐっていたので、皿の底の模様が見えるほどだ)。
どうやら満足なされたようだ。私もうれしい。手をかけた甲斐があるというものだ。食器を片づける手が、何だか軽やかになる。
こんなにも穏やかで充実した安息日が過ごせるとは、一年ほど前の私には考えることすらできなかった。
ご主人さまに買われる前は、私には安息日などなかった。
買われる……そう、私はご主人さまに買われた奴隷だ。
妖精種の繁殖用奴隷を掛け合わせて産まれた私も当然奴隷で、見目麗しいという理由から愛玩用奴隷として育てられた。
奴隷として過ごす日々……あの頃の私は安息日どころか、自由という言葉の意味すら知らなかった。
でも、あの日……雨がしとしとと降る肌寒い日。ご主人さまは私に教えてくれたのだ。
「自由」の意味を。神が祝福したもうた「安息日」の存在を。
今では、私は休日を謳歌している。
屋上の空中庭園でハーブを育てたり、商店街に買い物に出かけたり、ご主人さまからいただいた映像水晶を観たり……奴隷商人の元に居た頃は考えられなかったような生き方だ。
こんな生活を……「自由」を教えてくれたご主人さまには、今でも感謝している。
しているからこそ、ご主人さまには「労働」をさせるのだ。
それが私にできるせめてもの恩返しだから……。
ご主人さまが「自由」の素晴らしさを知っているのなら、私は「労働」の良さを熟知している。
労働は、人の気力を満たすものだ。屋上のハーブが、水や肥料が無いと枯れてしまうように、人も労働が無ければ腐ってしまう。
かつて私を縛り付けていた奴隷商は、商人でありながら自分の足では動かず、人を使って楽をしていた。そもそも、奴隷商という職業自体が、人を右から左へ流すだけの仕事だ。こんなもの、労働とは言えない。
その証拠に、奴隷商はいつも気だるそうに日々を過ごしていた。まるで根ぐされした植物のようだ。威哥王三鞭粒
金貨を手にした時はいやらしい声で笑うが、その目の光はねばついていて、腐泥を貯め込んでいるかのようだった。
私も、与えられた小さな部屋の中で何をすることなく過ごしていた。今にして思うと、あの時の私の心は枯れ果てていたのだろう。
そんな私たちに比べて、自ら動き、日々を懸命に生きている人たちの輝きはどうだ。
カオルさんたち一家は、忙しそうにしながらもいつも生き生きと笑顔でいる。その姿からは溢れんばかりの生命力を感じる。
ご近所のみんなだってそうだ。
鍛冶工房「ヘルバルト」のマークさんは、冒険者の要求に真摯に答え、いつも額に汗して真剣な表情で鉄を打っている。
道具屋「アップル・バスケット」のミーシャさんは、自分が苦労して仕入れた商品を誇らしげに説明してくれる。
パン工房「クラリス」のクラリス夫妻は、学園帰りにお腹をすかせてパンにかぶりつく子どもたちを、嬉しそうな顔をして見つめている。
これが、「生きる」ということなのだ。
働かなくても生命活動に何ら支障をきたさない生き方では、かつての私たちのように腐って枯れてしまう。
かくも労働は素晴らしい。
でも、そのことが理解できていないのか、ご主人さまはほうっておくといつまで経っても働こうとしない。私と出会った頃は特に酷かった。
このままでは、ご主人さまもあの奴隷商のように、腐った目をした脂肪の塊になってしまう。
当時、焦った私はご近所のヴィーヴィル夫人を訪ねた。町内会のまとめ役で、何かと物知りの老婦人。料理やガーデニングはこの人から習った。
今回も、きっといい知恵を貸してくれるだろうと考え、ヴィーヴィル家のドアをノックしたのだ。
焦燥した私から話を聞いた彼女は、さも何でもないことのようにこう答えてくれた。
「なんだい、タカヒロが働かなくなったのかい。まあ、近頃の若いもんは(略)で、要するにだ。いいかい、こうしな。思いっきり引っ叩いてやるんだ。家の旦那も若い頃は酒に博打にのめり込んでいてね、ろくに働かなかったんだ。私が内職をして、やっと食べていけれたんだよ。その金も博打につぎ込もうとしてね……私ゃ頭にきてね。思いっきり引っ叩いてやったんだ。泣きながら何回も、何回もね。そしたら旦那も目が覚めたのか、渋々だけど働くようになったのさ」
「……ご主人さまに、暴力をふるえというのですか? そんな……」
「いいんだよぉ、貴族さまでもあるまいし。あんなぐーたらは、手を出さなきゃいつまで経っても働かないもんさ。口で言って聞いてくれたことがあったかい?」威哥王
「……確かに……ありませんでした。いつも、「明日になったら働くさ」とはぐらかされます」
「でしょぉ? まあ、ビシッと一発お見舞いしてやんな」
「……なるほど、ビシッと」
思いっきり引っ叩く。それもビシッと……鞭ですね。
思い返してみると、奴隷商のところの労働用奴隷も、怠慢な者は鞭で叩かれていた。まさか、市井でも鞭によって労働へと駆り立てるとは知らなかった。
そういえば、ご主人さまから「こん中のもんだったら自由に使っていいよ」と渡されたアイテム・ボックスの中には鞭があった。
恐らくは、こういった時のために用意されたものだ。
なにせ、その鞭、「九尾の猫鞭」は、【ダメージは少ないが、痛覚を刺激し、行動を中断させる】効果を持っているぐらいだから……ダメージは少ない。なるほど、これならお仕置きに使っても、重傷を負うこともないだろう。
そう自分に言い聞かせ、私は意を決してご主人さまの元へ向かう……居た。いつも通り、自室のベッドで布団に包まっている。
「働いてくれますように」。そう願って、私はもう昼過ぎだというのに眠りこけるご主人さまを力いっぱい打ちつける。
「働いてください、働いてください」と、願いを口にも出しながら何度も鞭を入れる。そのたびにご主人さまの体はビクンビクンと震える。胸が痛い……だが、これもご主人さまのためだ。
しばらくして、「わ、わかった! 俺が悪かった!! 働く! 働いてきます!!」と、ご主人さまは家を飛び出していった。
効果は覿面だった。さすがヴィーヴィル夫人。
その日、ご主人さまはいくつかの依頼をこなしてきて、「こ、これでいいのか……?」と恐る恐る聞いてきた。もちろん、「はい」と頷くと、ほっと息を吐いて寝室へと戻っていった。
しかし、その次の日、ご主人さまは働こうとしなかった。「昨日の今日で疲れているのだろう」と考え、そっとしておいた。だけど、次の日も、その次の日も、ご主人さまは働こうとはしなかった。
私は、こういう人を知っている。労働奴隷でも、誰かに何かを言われないと働かない、鞭を入れないと働かないという人たちがいた。もしや、ご主人さまもその類なのだろうかと考え、鞭を入れるとまた働くようになった。MaxMan
2014年6月26日星期四
勝利はその手に
それは三月の第三週のこと。俺は寒さも緩んできた空の下、【エア・クッション】にもたれかかり日曜の午睡を楽しんでいた。
厚手のジャケットを着込み、【エア・クッション】に身を埋めれば、多少の寒さなど気にならない。それどころか、露出した顔を涼しげな風がくすぐり、とても気持ちがいい。絶好の昼寝日和と言えた。男宝
それに、今日の中級区の自然公園は珍しいことに、うるさいガキどもも、おしゃべりに夢中になるおばさん連中もいない。これならわざわざ防音効果を持つ【エア・ウォール】を張る必要もない。むしろ、微かに聞こえてくる木々のざわめきや、ボールを蹴って遊ぶ学生たちの歓声が、まどろむ俺の耳を心地よく打つ。
このまま、うとうとと夢心地に浸るのも悪くはない。そう考えていた時だ。さくさくと、芝生を踏む音が聞こえてきたのは。ゆっくりと、だが確実にこちらに向かってきている。俺に用がある奴だろうか?
「んん? ……なんだ、お前か」
目を開いてみると、高そうなドレスに、白い手袋と帽子を身につけた金髪ロールのお嬢様、フランソワ・ド・フェルディナンがそこにいた。
「お前がこんなとこまで来るのは珍しいな。どうした、何か用か?」
フランソワだけじゃなく、貴族の子息が中級区以下に来るのは珍しいことだ。それが、供も付けずとなると、ますます珍しい。と、なると、俺の姿を見かけたから挨拶を、というわけじゃあないだろう。何らかの頼みごとでもあるはずだ。
……まぁ、この時期のこいつからの頼みごとなんて、一つしかないわけだが。
「先生、未熟な私にご教授をお願いします」
そう言って、儚げに微笑むフランソワ。この様子だと、まだ「オルター・エゴ」は倒せてないみたいだな。いつもの自信に満ちた顔はどうした。
う~む、勢いに任せて「先生、「オルター・エゴ」の倒し方を教えてくださいませ!」って泣きついてきたら、そのノリに合わせて「え~い、帰れ帰れ! 俺は忙しいんだ!」って追い払おうと思ってたんだが、こう来たらどう扱っていいものか判断しかねる。
「う、むむ……ま、まあ、座れ」
「はい」
結局、座布団サイズの【エア・クッション】を展開し、そこに座らせてやる。だって、仕方ないだろう?この調子のフランソワに「帰れ」って言ったら素直に帰りそうだけど、何か後味悪そうだし……あぁ、もう、今日の午後からだらだら計画は終了! 今日はこいつに付き合うとしよう。
そう決めた俺は頭の後ろをガリガリと掻いて、穏やかな笑みの裏に疲れと虚脱を隠すフランソワへと向き直った。
「先生、私はこう思っていたのです。「オルター・エゴ」など、所詮猿真似しか能のない魔物だと。私たちが鍛え身につけた力や技術は、他者が容易に扱えるものではないと。それが、どうでしょう。王立学園の学生一同、誰も自らの鏡像を打倒し得ていません。唯一、ヴァレリーが引き分けにまで持ち込みましたが、勝利には未だ至れず……」
そう言って力なく笑うフランソワの目元には隈が目立つ。化粧でいくらか誤魔化してはいるが、ここまで近づけば嫌でも気付くというものだ。
もうすぐ年度末の終業式だからな……それまでに学園迷宮を制覇してみせると宣言した手前、今の状況に焦りを感じずにはいられないのだろう。恐らく、寝る間も惜しんで「オルター・エゴ」との対戦を続けているはずだ。
いくら死にそうになったら傷が癒えて入口に戻される学園迷宮とはいえ、回復魔法だけでは失われた体力までは戻すことはできない。だというのに、疲れた体に鞭打って戦いを続ければ、底なしに疲弊していくのは分かっているだろうに。
「先日など、騎士団の若手が鍛錬と称して「オルター・エゴ」と戦った結果……何と、四分の一もの人員が、これを打ち破りました。今や、栄えある王立学園の威信は地に落ちつつあります」
そこまで言って、視線を落とすフランソワ。笑う余裕もなくなってきたのか、顔が強張ってしまっている。いつも「貴族たるもの、ゆとりも必要ですわ」と言っては茶を啜っているこいつらしくもない。
「よ、弱気なお前なんて初めて見たぞ? はは……」
こう言っておどけてみれば……あぁ、ダメだ。俺に合わせて無理に笑おうとしてる。き、気まずい……!
そのままぎこちなく笑う俺とフランソワ。二人とも何も話さず、時ばかりが過ぎていく。三體牛鞭
どれぐらい経ったのか……やがて、フランソワが意を決したように口を開いた。
「先生。先生の、なるべく助言はしないという方針の意味は理解しております。ですが、今回はそこを曲げていただくよう、恥を忍んでお願い申し上げます。「オルター・エゴ」を倒すために、ご指導を……!」
そこまで言って、右腕を胸に付けて深々と頭を下げるフランソワ。これは国王に対しての最敬礼を除けば、過分とも言える敬礼だ。当然、貴族が庶民なんかにするもんじゃない。何だかんだでプライドが高いこいつがここまでするということは、本当に困っているということなんだろう。
……しかし、実に気まずい。一々呼び出されるのが面倒で、「人に教えてもらってばかりでは、本当の意味で身につかない」と、助言をなるべく控えるような方針を立てたんだけど……まさか、巡り巡ってこのような事態を引き起こすとは。
楽しようとして、適当なことは言うもんじゃねえな……し、仕方ない! ここは一つ、こいつが勝てるように助言をば!
「あ~、顔を上げろって。指導……指導するからさ。な?」
「あぁ……ありがとうございます……!」
そう言って、またも地に額を付けそうなほど、深く頭を下げるフランソワ。後ろめたさと、お礼を言われ慣れていないことが混ざり合って、何とも言えない焦燥感に駆られる。
うぅ……は、早く「オルター・エゴ」の倒し方のコツを教えてしまおう! 変な罪悪感で息が詰まりそうだ……。
「まず、初めに……お前と、お前をコピーした「オルター・エゴ」の差は何だ?」
「差は……ありません。対峙する者の全てを模写する魔物。それが「オルター・エゴ」です」
場所を移して、ここは喫茶ノワゼット。ピークは越えたのか、俺たちの他には若いカップルしかいない。気兼ねなく二人でテーブル席を使えるというものだ。とりあえず、マスターに紅茶を注文しておいて、臨時の講義は続く。
「違うな。「オルター・エゴ」は、お前であってお前じゃない。実はな、「オルター・エゴ」はあくまでお前を真似ているだけで、独自の人格は存在するんだ」
「そうなのですか!?」
「そうだよ。多分、エルゥが「オルター・エゴ」についてまとめようとしている研究ってのも、その辺りを言及したもんだろう。でだ、このことから何が分かる?」
「…………あっ!」
フランソワの思案げな顔が、またも驚きに変わる。頭がいいこいつのことだ。言われなくても気付いたな。
「つまり、「オルター・エゴ」は、対戦者の着ぐるみを着た魔物ということですか……?」
「正解。その通りだ」
≪Another World Online≫では、AIが「オルター・エゴ」の中身を担っていた。対戦ゲームで例えるならば、同じキャラを使ってのCPU戦……それも、難易度最高のものだ。慣れない内は、なかなか厄介なもんだろう。
「同じ能力、同じ人格でこうも差がつくのは、「オルター・エゴ」に隠された人格のせいだ。そいつは、お前の記憶と人格を分析し、如何にもお前らしく振る舞うんだ」
「つまりは、私は私に負けていたのではなく、「オルター・エゴ」そのものに敗北していた、と……?」
「そうだ。例えばだな、「オルター・エゴ」にとっては、他人の写し身は武器に過ぎないんだよ。同じレベル、同じステータス、同じ武器を持った奴がいると考えてみてくれ。で、そいつらの勝敗を分けるのは……」
「武器を如何に使いこなすか、ということですか」
「そうだ。「オルター・エゴ」の場合は、武器はコピーされた体に当たる。つまり、自分の体をよりうまく使える方が勝つんだ」
そう、だから≪Another World Online≫でも「オルター・エゴ」は、仮想現実で体を動かすことに慣れたかどうかの試金石として重宝されていた。
「ですが、そういうことならば、私の体は私が一番うまく使えるのが道理というものでしょう? なのに、何故負けてばかりなのか……見当がつきません」
まぁ、納得いかんわな。俺だって、俺を模した「オルター・エゴ」と初めて戦って負けた時は、「チートだよ、チート! 絶対ステータスとか弄ってるって!」と喚き散らしたもんだ。
だけど、何でもそつなくこなす奴ってのはいるもんだ。俺の世界では、AIがそうだった。どんな体でも、ある一定のレベルまでは使いこなすことができるだけの技量がAIには備わっていた。
だが、AIと言えども限界はあるのか、熟練者には敵わなくなる。こうなれば、「オルター・エゴ」も雑魚と同じだ。何年も≪Another World Online≫をやってた俺にとっては、片腕を使わないハンデがあっても勝てる相手だった。
でも、まぁ、そこに至るまでが中々難しいのは、俺も身を持って知っていることで……そこでだ。いくつか、コツみたいなもんを教えてやるとしよう。
「ぶっちゃけて言えば、「オルター・エゴ」はどんな武器も使いこなせる奴だからな。技量が足りなきゃ、そりゃ勝てんさ……だが、今の段階でも、お前らなら勝てる。そのためには……」
特に秘密というわけではないが、何となくフランソワの耳元にごにょごにょと吹き込む。こういうことをしてしまうのは、その場の気分と言う他ない。狼1号
やがて、「オルター・エゴ」を倒すための秘策を携えたフランソワは、意気揚々と学園迷宮へと出かけていった。
う~ん、教えておいて何だけど、貴族には厳しいやり方なのではなかろうか……まぁ、いいや。あいつのことだ。いざという時には躊躇などしないだろうさ。
『では、始めましょうか』
剣を鞘から抜き、左から右へと払った後に構える……やはり。
『どうかしまして? 来ないのでしたら、こちらから行きますわよ?』
仕掛ける際には、軽く腕を曲げる癖がある……これもそうだ。
突撃してくる「オルター・エゴ」をいなし、大きく距離を取る。今は観察に集中する時だ。攻撃するのは、その後で……。
『あら、臆病ですのね? 私らしくありませんわよ。そんな私には、骨まで溶けるような魔法がお似合いかしら』
両手で持ち直した剣を正面に立てて構え、目を細める……やはり、予想通りに【フレイム・スフィア】の詠唱に入る私の写し身。
間違いない。タカヒロ先生の言う通りだ。この者は、私ではない。いくら記憶や人格を写し取ろうが、注意深く観察すれば何者かの意思が透けて見えてくる。私を演じようとする、「オルター・エゴ」本来の意志が。
タカヒロ先生は、こうおっしゃった。「「オルター・エゴ」には「オルター・エゴ」の人格が存在するけれど、それはコピーした人間の人格に引っ張られるんだ。だから、あくまでコピーした対象らしく、相手を倒そうとする」、と。
なるほど、その通りだ。私の鏡像は、あからさまに私らしく攻撃をしかけてくる。その動作には驚くほどに無駄がないけれど、私らしさは失ってはいない。
ほら、今も【フレイム・スフィア】の大火球に隠れて、自身も突撃を仕掛けている。姿は隠れて見えないけれど、調子のよい時の私ならきっとそうするはずだ。
だから、それを逆手にとった。左右に避けて敵にわざわざ姿を晒すのではなく、バックステップで距離を取り、壁を蹴って身の丈ほどの【フレイム・スフィア】を飛び越えた。
眼下に見えるは、予想外の位置から現れた私に気付き、驚愕の表情を浮かべる「オルター・エゴ」。
まずは一太刀。もらった!
「はあっ!」
『な、何ですって!? くぅぅ……!』
やはり、急な思いつきではうまくいかない。余裕を持って高く飛びすぎたため、斬撃がやや浅かったようだ。しかし、一度も試したことがない動作でここまでできたのならば上出来だ。次は、もっと上手くやれると思う。
「あら、仮面が剥がれかけていましてよ」
『くっ……タカヒロ先生に言われて気付いた私が、何を偉そうに!』
「そういえば、記憶も模写できたのですね。ならば、もう私を私と呼ぶのは止めてくださいますこと? 他人が私を騙るのは、やはり不愉快です」
そうだ。この魔物は私であって、私ではない。あくまで猿真似……しかも、模倣することを意識するあまり、弱点すら写し取ってしまった間抜けな鏡像だ。
私が突くべきところは、そこだ。
私を演じる「オルター・エゴ」は、私の弱点を無かったことにはできない。正面切って戦えば、自身の能力を最大限に引き出すことができずにいる未熟な私では「オルター・エゴ」には敵わないが、弱点を突いてしまえば勝敗は覆るとタカヒロ先生は言ってくれた。
問題は、私の弱点を、弱点として認められるかどうか。そして、どのような手段でも……タカヒロ先生が言う、「ダーティーな手段」さえも、躊躇せずに用いることができるかだ。巨根
「敵よりも早く、躊躇わず、弱点を突け。それこそ、今のお前が勝利できる唯一のやり方だ。貴族は、優雅な勝利が大好きで、卑怯な手段を好まないからな……いいか、それじゃ駄目だ。どんな手段でもいい。敵を罠にかけろ。自分が最もされたくないことをやれ。とにかく、先に弱点を突け。そうすりゃあお前の勝ちだ」
タカヒロ先生の教えが甦る。彼はそれを伝える際に若干の迷いを見せた。きっと、私を慮ってのことだろう。
(ですが、心配はいりません。私もフェルディナン家の娘。花よ蝶よと育てられてきたわけではありませんので。清濁併せ呑むことだって出来ますわ。自分の弱さも認めてみせます)
『いつまで考え事に耽っていますの? 隙だらけですわよ!』
気付けば、剣を構えた「オルター・エゴ」が、右から突っ込んでくる。だけど、それは予想していたことだ。仕掛けていた罠を発動させる。
「【バインド・トラップ】」
『なっ……!?』
好機と見ると、敵の右側から攻めようとする。私の癖であり、エルゥ先生に「自己分析をしろ」と言われた際に気付いたことの一つだ。
悪いことではない。これは私の力が一番乗りやすい形でもある。左から右へと振り抜く必殺の刃は、幾度も魔物を屠ってきた実績を持つ。
しかし、敵に見抜かれてしまえば長所は短所へと早変わりする。ほら、今だって、仕掛けておいた【バインド・トラップ】に捕まり、写し身は身動き一つ取れなくなってしまった。ワンパターンはそれだけ読まれやすいということだ。以後、気をつけなければ……だけど、まずは!
「【シールド・バッシュ】!」
『ぅああああ!?』
敵のバインド状態が解けてしまう前に、力の限り左手に持ったバックラーを叩きつける。すると、バインドでその場に縛られた「オルター・エゴ」は吹き飛ぶことすらできず、【シールド・バッシュ】の全衝撃をその身に受けてしまった。
えげつない攻撃手段だとは思う。騎士団の演習を見学した際に学んだ技術だが、一生使うことはないと考えていた。私には、剣さえあれば怖れるものなど何もないと。だけど、今はこれが最善手。最も効率的な手段だ。
バキバキと、枯れ枝をまとめてへし折るような乾いた音が、手を通じて伝わってくる。肋骨が折れたのだろう。
それでも、まだ「オルター・エゴ」は生きている。しかし……。
「そのダメージでは、満足に剣を振ることもできないでしょう? そんな貴女に、これは防げない……」
肋骨を数本も折るようなダメージを受けてしまえば、四肢が痺れて満足に動かせなくなるものだ。最早、バインドなど必要ない。「オルター・エゴ」は、もう動けない。
『て、抵抗できぬ相手に追撃をかけるなど、それでも誇り高い貴族ですの!?』
何やら姦しい「オルター・エゴ」。あぁ、やはりこれは私ではない。真に私を模しているのならば、このような台詞など出てこない。
今、はっきりと確信した。これは混ざりものだと。それが私を名乗るなど、あってはならないことだと。
力が刃に漲ってゆく。迸る青きオーラが刀身を包んでゆく。
そして、渾身の速さで四度、「オルター・エゴ」を切りつけた。
『ああぁあぁぁぁ……』
【フォースエッジ】の刃をその身に受けた魔物は形を保つこともできず、魔素の粒子へと散っていった。烟る魔素の煌めきの中、この部屋に残るは私一人。そして、最早聞こえるはずがないであろう相手に、それでも私は断言する。
「ええ、これも貴族です」
終業式を三日後に控えたある日のこと。私は、全学生の中で唯一、学園迷宮を制覇した者となった。勃動力三體牛鞭
厚手のジャケットを着込み、【エア・クッション】に身を埋めれば、多少の寒さなど気にならない。それどころか、露出した顔を涼しげな風がくすぐり、とても気持ちがいい。絶好の昼寝日和と言えた。男宝
それに、今日の中級区の自然公園は珍しいことに、うるさいガキどもも、おしゃべりに夢中になるおばさん連中もいない。これならわざわざ防音効果を持つ【エア・ウォール】を張る必要もない。むしろ、微かに聞こえてくる木々のざわめきや、ボールを蹴って遊ぶ学生たちの歓声が、まどろむ俺の耳を心地よく打つ。
このまま、うとうとと夢心地に浸るのも悪くはない。そう考えていた時だ。さくさくと、芝生を踏む音が聞こえてきたのは。ゆっくりと、だが確実にこちらに向かってきている。俺に用がある奴だろうか?
「んん? ……なんだ、お前か」
目を開いてみると、高そうなドレスに、白い手袋と帽子を身につけた金髪ロールのお嬢様、フランソワ・ド・フェルディナンがそこにいた。
「お前がこんなとこまで来るのは珍しいな。どうした、何か用か?」
フランソワだけじゃなく、貴族の子息が中級区以下に来るのは珍しいことだ。それが、供も付けずとなると、ますます珍しい。と、なると、俺の姿を見かけたから挨拶を、というわけじゃあないだろう。何らかの頼みごとでもあるはずだ。
……まぁ、この時期のこいつからの頼みごとなんて、一つしかないわけだが。
「先生、未熟な私にご教授をお願いします」
そう言って、儚げに微笑むフランソワ。この様子だと、まだ「オルター・エゴ」は倒せてないみたいだな。いつもの自信に満ちた顔はどうした。
う~む、勢いに任せて「先生、「オルター・エゴ」の倒し方を教えてくださいませ!」って泣きついてきたら、そのノリに合わせて「え~い、帰れ帰れ! 俺は忙しいんだ!」って追い払おうと思ってたんだが、こう来たらどう扱っていいものか判断しかねる。
「う、むむ……ま、まあ、座れ」
「はい」
結局、座布団サイズの【エア・クッション】を展開し、そこに座らせてやる。だって、仕方ないだろう?この調子のフランソワに「帰れ」って言ったら素直に帰りそうだけど、何か後味悪そうだし……あぁ、もう、今日の午後からだらだら計画は終了! 今日はこいつに付き合うとしよう。
そう決めた俺は頭の後ろをガリガリと掻いて、穏やかな笑みの裏に疲れと虚脱を隠すフランソワへと向き直った。
「先生、私はこう思っていたのです。「オルター・エゴ」など、所詮猿真似しか能のない魔物だと。私たちが鍛え身につけた力や技術は、他者が容易に扱えるものではないと。それが、どうでしょう。王立学園の学生一同、誰も自らの鏡像を打倒し得ていません。唯一、ヴァレリーが引き分けにまで持ち込みましたが、勝利には未だ至れず……」
そう言って力なく笑うフランソワの目元には隈が目立つ。化粧でいくらか誤魔化してはいるが、ここまで近づけば嫌でも気付くというものだ。
もうすぐ年度末の終業式だからな……それまでに学園迷宮を制覇してみせると宣言した手前、今の状況に焦りを感じずにはいられないのだろう。恐らく、寝る間も惜しんで「オルター・エゴ」との対戦を続けているはずだ。
いくら死にそうになったら傷が癒えて入口に戻される学園迷宮とはいえ、回復魔法だけでは失われた体力までは戻すことはできない。だというのに、疲れた体に鞭打って戦いを続ければ、底なしに疲弊していくのは分かっているだろうに。
「先日など、騎士団の若手が鍛錬と称して「オルター・エゴ」と戦った結果……何と、四分の一もの人員が、これを打ち破りました。今や、栄えある王立学園の威信は地に落ちつつあります」
そこまで言って、視線を落とすフランソワ。笑う余裕もなくなってきたのか、顔が強張ってしまっている。いつも「貴族たるもの、ゆとりも必要ですわ」と言っては茶を啜っているこいつらしくもない。
「よ、弱気なお前なんて初めて見たぞ? はは……」
こう言っておどけてみれば……あぁ、ダメだ。俺に合わせて無理に笑おうとしてる。き、気まずい……!
そのままぎこちなく笑う俺とフランソワ。二人とも何も話さず、時ばかりが過ぎていく。三體牛鞭
どれぐらい経ったのか……やがて、フランソワが意を決したように口を開いた。
「先生。先生の、なるべく助言はしないという方針の意味は理解しております。ですが、今回はそこを曲げていただくよう、恥を忍んでお願い申し上げます。「オルター・エゴ」を倒すために、ご指導を……!」
そこまで言って、右腕を胸に付けて深々と頭を下げるフランソワ。これは国王に対しての最敬礼を除けば、過分とも言える敬礼だ。当然、貴族が庶民なんかにするもんじゃない。何だかんだでプライドが高いこいつがここまでするということは、本当に困っているということなんだろう。
……しかし、実に気まずい。一々呼び出されるのが面倒で、「人に教えてもらってばかりでは、本当の意味で身につかない」と、助言をなるべく控えるような方針を立てたんだけど……まさか、巡り巡ってこのような事態を引き起こすとは。
楽しようとして、適当なことは言うもんじゃねえな……し、仕方ない! ここは一つ、こいつが勝てるように助言をば!
「あ~、顔を上げろって。指導……指導するからさ。な?」
「あぁ……ありがとうございます……!」
そう言って、またも地に額を付けそうなほど、深く頭を下げるフランソワ。後ろめたさと、お礼を言われ慣れていないことが混ざり合って、何とも言えない焦燥感に駆られる。
うぅ……は、早く「オルター・エゴ」の倒し方のコツを教えてしまおう! 変な罪悪感で息が詰まりそうだ……。
「まず、初めに……お前と、お前をコピーした「オルター・エゴ」の差は何だ?」
「差は……ありません。対峙する者の全てを模写する魔物。それが「オルター・エゴ」です」
場所を移して、ここは喫茶ノワゼット。ピークは越えたのか、俺たちの他には若いカップルしかいない。気兼ねなく二人でテーブル席を使えるというものだ。とりあえず、マスターに紅茶を注文しておいて、臨時の講義は続く。
「違うな。「オルター・エゴ」は、お前であってお前じゃない。実はな、「オルター・エゴ」はあくまでお前を真似ているだけで、独自の人格は存在するんだ」
「そうなのですか!?」
「そうだよ。多分、エルゥが「オルター・エゴ」についてまとめようとしている研究ってのも、その辺りを言及したもんだろう。でだ、このことから何が分かる?」
「…………あっ!」
フランソワの思案げな顔が、またも驚きに変わる。頭がいいこいつのことだ。言われなくても気付いたな。
「つまり、「オルター・エゴ」は、対戦者の着ぐるみを着た魔物ということですか……?」
「正解。その通りだ」
≪Another World Online≫では、AIが「オルター・エゴ」の中身を担っていた。対戦ゲームで例えるならば、同じキャラを使ってのCPU戦……それも、難易度最高のものだ。慣れない内は、なかなか厄介なもんだろう。
「同じ能力、同じ人格でこうも差がつくのは、「オルター・エゴ」に隠された人格のせいだ。そいつは、お前の記憶と人格を分析し、如何にもお前らしく振る舞うんだ」
「つまりは、私は私に負けていたのではなく、「オルター・エゴ」そのものに敗北していた、と……?」
「そうだ。例えばだな、「オルター・エゴ」にとっては、他人の写し身は武器に過ぎないんだよ。同じレベル、同じステータス、同じ武器を持った奴がいると考えてみてくれ。で、そいつらの勝敗を分けるのは……」
「武器を如何に使いこなすか、ということですか」
「そうだ。「オルター・エゴ」の場合は、武器はコピーされた体に当たる。つまり、自分の体をよりうまく使える方が勝つんだ」
そう、だから≪Another World Online≫でも「オルター・エゴ」は、仮想現実で体を動かすことに慣れたかどうかの試金石として重宝されていた。
「ですが、そういうことならば、私の体は私が一番うまく使えるのが道理というものでしょう? なのに、何故負けてばかりなのか……見当がつきません」
まぁ、納得いかんわな。俺だって、俺を模した「オルター・エゴ」と初めて戦って負けた時は、「チートだよ、チート! 絶対ステータスとか弄ってるって!」と喚き散らしたもんだ。
だけど、何でもそつなくこなす奴ってのはいるもんだ。俺の世界では、AIがそうだった。どんな体でも、ある一定のレベルまでは使いこなすことができるだけの技量がAIには備わっていた。
だが、AIと言えども限界はあるのか、熟練者には敵わなくなる。こうなれば、「オルター・エゴ」も雑魚と同じだ。何年も≪Another World Online≫をやってた俺にとっては、片腕を使わないハンデがあっても勝てる相手だった。
でも、まぁ、そこに至るまでが中々難しいのは、俺も身を持って知っていることで……そこでだ。いくつか、コツみたいなもんを教えてやるとしよう。
「ぶっちゃけて言えば、「オルター・エゴ」はどんな武器も使いこなせる奴だからな。技量が足りなきゃ、そりゃ勝てんさ……だが、今の段階でも、お前らなら勝てる。そのためには……」
特に秘密というわけではないが、何となくフランソワの耳元にごにょごにょと吹き込む。こういうことをしてしまうのは、その場の気分と言う他ない。狼1号
やがて、「オルター・エゴ」を倒すための秘策を携えたフランソワは、意気揚々と学園迷宮へと出かけていった。
う~ん、教えておいて何だけど、貴族には厳しいやり方なのではなかろうか……まぁ、いいや。あいつのことだ。いざという時には躊躇などしないだろうさ。
『では、始めましょうか』
剣を鞘から抜き、左から右へと払った後に構える……やはり。
『どうかしまして? 来ないのでしたら、こちらから行きますわよ?』
仕掛ける際には、軽く腕を曲げる癖がある……これもそうだ。
突撃してくる「オルター・エゴ」をいなし、大きく距離を取る。今は観察に集中する時だ。攻撃するのは、その後で……。
『あら、臆病ですのね? 私らしくありませんわよ。そんな私には、骨まで溶けるような魔法がお似合いかしら』
両手で持ち直した剣を正面に立てて構え、目を細める……やはり、予想通りに【フレイム・スフィア】の詠唱に入る私の写し身。
間違いない。タカヒロ先生の言う通りだ。この者は、私ではない。いくら記憶や人格を写し取ろうが、注意深く観察すれば何者かの意思が透けて見えてくる。私を演じようとする、「オルター・エゴ」本来の意志が。
タカヒロ先生は、こうおっしゃった。「「オルター・エゴ」には「オルター・エゴ」の人格が存在するけれど、それはコピーした人間の人格に引っ張られるんだ。だから、あくまでコピーした対象らしく、相手を倒そうとする」、と。
なるほど、その通りだ。私の鏡像は、あからさまに私らしく攻撃をしかけてくる。その動作には驚くほどに無駄がないけれど、私らしさは失ってはいない。
ほら、今も【フレイム・スフィア】の大火球に隠れて、自身も突撃を仕掛けている。姿は隠れて見えないけれど、調子のよい時の私ならきっとそうするはずだ。
だから、それを逆手にとった。左右に避けて敵にわざわざ姿を晒すのではなく、バックステップで距離を取り、壁を蹴って身の丈ほどの【フレイム・スフィア】を飛び越えた。
眼下に見えるは、予想外の位置から現れた私に気付き、驚愕の表情を浮かべる「オルター・エゴ」。
まずは一太刀。もらった!
「はあっ!」
『な、何ですって!? くぅぅ……!』
やはり、急な思いつきではうまくいかない。余裕を持って高く飛びすぎたため、斬撃がやや浅かったようだ。しかし、一度も試したことがない動作でここまでできたのならば上出来だ。次は、もっと上手くやれると思う。
「あら、仮面が剥がれかけていましてよ」
『くっ……タカヒロ先生に言われて気付いた私が、何を偉そうに!』
「そういえば、記憶も模写できたのですね。ならば、もう私を私と呼ぶのは止めてくださいますこと? 他人が私を騙るのは、やはり不愉快です」
そうだ。この魔物は私であって、私ではない。あくまで猿真似……しかも、模倣することを意識するあまり、弱点すら写し取ってしまった間抜けな鏡像だ。
私が突くべきところは、そこだ。
私を演じる「オルター・エゴ」は、私の弱点を無かったことにはできない。正面切って戦えば、自身の能力を最大限に引き出すことができずにいる未熟な私では「オルター・エゴ」には敵わないが、弱点を突いてしまえば勝敗は覆るとタカヒロ先生は言ってくれた。
問題は、私の弱点を、弱点として認められるかどうか。そして、どのような手段でも……タカヒロ先生が言う、「ダーティーな手段」さえも、躊躇せずに用いることができるかだ。巨根
「敵よりも早く、躊躇わず、弱点を突け。それこそ、今のお前が勝利できる唯一のやり方だ。貴族は、優雅な勝利が大好きで、卑怯な手段を好まないからな……いいか、それじゃ駄目だ。どんな手段でもいい。敵を罠にかけろ。自分が最もされたくないことをやれ。とにかく、先に弱点を突け。そうすりゃあお前の勝ちだ」
タカヒロ先生の教えが甦る。彼はそれを伝える際に若干の迷いを見せた。きっと、私を慮ってのことだろう。
(ですが、心配はいりません。私もフェルディナン家の娘。花よ蝶よと育てられてきたわけではありませんので。清濁併せ呑むことだって出来ますわ。自分の弱さも認めてみせます)
『いつまで考え事に耽っていますの? 隙だらけですわよ!』
気付けば、剣を構えた「オルター・エゴ」が、右から突っ込んでくる。だけど、それは予想していたことだ。仕掛けていた罠を発動させる。
「【バインド・トラップ】」
『なっ……!?』
好機と見ると、敵の右側から攻めようとする。私の癖であり、エルゥ先生に「自己分析をしろ」と言われた際に気付いたことの一つだ。
悪いことではない。これは私の力が一番乗りやすい形でもある。左から右へと振り抜く必殺の刃は、幾度も魔物を屠ってきた実績を持つ。
しかし、敵に見抜かれてしまえば長所は短所へと早変わりする。ほら、今だって、仕掛けておいた【バインド・トラップ】に捕まり、写し身は身動き一つ取れなくなってしまった。ワンパターンはそれだけ読まれやすいということだ。以後、気をつけなければ……だけど、まずは!
「【シールド・バッシュ】!」
『ぅああああ!?』
敵のバインド状態が解けてしまう前に、力の限り左手に持ったバックラーを叩きつける。すると、バインドでその場に縛られた「オルター・エゴ」は吹き飛ぶことすらできず、【シールド・バッシュ】の全衝撃をその身に受けてしまった。
えげつない攻撃手段だとは思う。騎士団の演習を見学した際に学んだ技術だが、一生使うことはないと考えていた。私には、剣さえあれば怖れるものなど何もないと。だけど、今はこれが最善手。最も効率的な手段だ。
バキバキと、枯れ枝をまとめてへし折るような乾いた音が、手を通じて伝わってくる。肋骨が折れたのだろう。
それでも、まだ「オルター・エゴ」は生きている。しかし……。
「そのダメージでは、満足に剣を振ることもできないでしょう? そんな貴女に、これは防げない……」
肋骨を数本も折るようなダメージを受けてしまえば、四肢が痺れて満足に動かせなくなるものだ。最早、バインドなど必要ない。「オルター・エゴ」は、もう動けない。
『て、抵抗できぬ相手に追撃をかけるなど、それでも誇り高い貴族ですの!?』
何やら姦しい「オルター・エゴ」。あぁ、やはりこれは私ではない。真に私を模しているのならば、このような台詞など出てこない。
今、はっきりと確信した。これは混ざりものだと。それが私を名乗るなど、あってはならないことだと。
力が刃に漲ってゆく。迸る青きオーラが刀身を包んでゆく。
そして、渾身の速さで四度、「オルター・エゴ」を切りつけた。
『ああぁあぁぁぁ……』
【フォースエッジ】の刃をその身に受けた魔物は形を保つこともできず、魔素の粒子へと散っていった。烟る魔素の煌めきの中、この部屋に残るは私一人。そして、最早聞こえるはずがないであろう相手に、それでも私は断言する。
「ええ、これも貴族です」
終業式を三日後に控えたある日のこと。私は、全学生の中で唯一、学園迷宮を制覇した者となった。勃動力三體牛鞭
2014年6月23日星期一
四千年の歴史
この世界、〈アース〉には五つの大陸がある。西大陸、東大陸、南洋大陸に暗黒大陸。それから、南の果ての氷と雪に閉ざされた大陸。
それに、海に浮かぶ島。これは数えられんほどあるから、説明は割愛しよう。田七人参
――なに? 大陸と島の違いがわからない? ほっほ、確かに、確かに。空高く飛び上がり、星空から眼下を見下ろせば、この星の全容さえも視界に収まるからのう。
それでも、大陸は広大じゃよ。特に、世界最大の東大陸は広大無辺。大地に立てば、どこまでも、どこまでも続いて見えるじゃろう。
内包する文明も実に多種多様。西欧では煌びやかな貴婦人が踊り、極東では質実剛健な武士もののふたちが刀を振るう。南蛮では海の民が熟れた果物でのどを潤し、魔の中部地方では数多の怪異たちが覇権を競って殺し合っておる。
わしが生まれた忠の国は東大陸の東端にあるんじゃが、国一つとってみても、文化や街並み、道行く人たちは驚くような違いを見せていた。
龍として生まれてから三千年は、そういった違いが面白く、世界中を旅して回った。少し目を離した隙に成長していく他種族の文化に、心を躍らせていた。
よちよち歩きの赤ん坊を見守り、時にはそっと手助けをする。そのうち、彼らはわしと肩を並べるほどに成長し、夜になれば盃を交わして星を見上げた。
幾万の命を奪う流行り病に涙した。人々に仇成す悪神をうち滅ぼし、勇者とともに喝采を上げた。揺れる小麦畑の中で穏やかにほほ笑んだ。
戻らざる青春の日々。若き赤龍の冒険譚。振り返れば、思わず赤面してしまうような失態もあるが、どれも大切なわしの思い出じゃ。
それら若き日の記憶を抱え、三千歳を越えてからは故郷で隠遁生活を送り始めた。世界は循環し、目まぐるしく変化していくもの。最盛期を越えた中年が、いつまでも大きな顔をしていては、次世代を担う若者が育たない。
そう考えたわしは、忠の国――かつては、交の国と呼ばれていた故郷へと去っていった。
それから千年。激動の若き時代に比べると、どこまでもゆったりと流れていく時間。日がな一日本を読んだ。日が暮れるまで湖に釣り糸を垂らした。自分の手で深山に庵を建てたりした。
少し早めの老後を有意義に過ごすため、様々なことに挑戦した。太極拳という人間の武術も学んだし、手遊び程度に料理も試してみた。その中でも特に性にあったのは、意外にも薬品の調合じゃった。
山野で採取した薬草や鉱石を混ぜ合わせ、怪我や病を癒す薬を作る。簡単に言えばそれだけのことじゃが、これが実に奥が深い。
ザオインという、三角形の実をつける植物がある。そこから種を取り出して、そのまま飲めば便秘によく効くんじゃが、乾かしてからすり潰し、鍾乳洞の鉱水と混ぜれば、なんと魔力を補充するための飲み薬が出来上がる。
マーツの実も面白い。生の果汁は切り傷の特効薬となるこの果実は、干して煎じて、スライムジェルと混ぜ合わせると打ち身用の湿布となる。
生で、干して、茹でて、炒って、潰して、磨って。更に混ぜ合わせることで無限の広がりを見せる薬の精製に、わしはすっかり魅了され、千年間、日課のように薬品調合に勤しんだ。
その結果、『幽山の医龍』とまで呼ばれるようになったんじゃが……龍族には時間だけはたっぷりあるからのう。他の者が同じことをすれば、似たような名前がつくじゃろうて。
それでも、医龍という響きには頼もしさを感じるんじゃろうな。名前だけが独り歩きをして、人間の間では、不治の病すら治す龍が霊山に住んでいる、という伝承すらある。
不治の病を治す? とんでもない。わしにも治せん病は山ほどあるよ。神や妖精王などの管理者でもあるまいに、この世の道理を操る術などわしにはない。
風邪の特効薬など作れんし、不老不死の妙薬なぞ夢のまた夢。恋の病も治せんし、中二病に効く薬も作れんのう。
それに、何より――。
「できたー!」
「なぜ、林檎と蜂蜜、ポーションを混ぜただけで、泡立つ水銀が出来上がるんじゃ……!?」
効能はともかく、調味に関して壊滅的な腕を持つ少女を導くこともできんのだ。
これでは、医龍とはとても呼べんじゃろう?
ミーシャという名の少女と出会ったのは、ほんの二か月前。夏の気配を滲ませる、温かな春の日のことじゃった。威哥十鞭王
その日も常のごとく、わしは深山の庵で薬を作っておった。乳鉢に薬種を放り込み、ごりごりと磨っては細かく砕いていく。
いつも通りの生活。いつも通りの穏やかな日常。その中に、騒がしくも懐かしい闖入者が飛び込んできた。
「老龍! 老龍はおるか!?」
焦燥感を隠そうともせずに庵に飛び込んできたのは、西の魔の山に住む混沌龍のお嬢ちゃん。いつもの自信に満ちた顔をどこへやったのやら、お嬢ちゃんはわしを見つけると、泣きそうな顔をして駆け寄ってきた。
「頼む! 貴様の力が必要なのだ! 我の伴侶を救ってくれ!」
そう言って、わしを引っ張っていこうとするルートゥー。しかし、その時のわしは、いまいち事情が呑み込めずにきょとんとするばかり。
「伴侶? 根源のお嬢ちゃんは、結婚しておったのか?」
とんと記憶にない情報に、わしは思わず首を傾げた。いよいよわしもボケてきたのかとさえ思った。それでも、ゴシックロリータ衣装に身を包んだお嬢ちゃんは、説明する時間も惜しいとばかりに龍の姿へと変わり、わしを連れて天高く舞い上がっていった。
そして、道中聞かされる、旦那様――いや、婚約者じゃったか――の話。レベルを極め、混沌龍の心臓をも突き破ったという青年が、ある日突然、倒れてしまったのだという。
毒か、病か――もしも後者ならば諦めなさいと、わしはルートゥーへと伝えた。レベル250は生物としての限界点。そこへ辿り着いた生命体は鋼のように強靭で、生半可な病など自力で跳ね除けてしまう。
もしも、そのような人間が病に罹るとすれば――それは、不治の病であることが多い。
だからこそ、覚悟はしておくようにと、お嬢ちゃんに言って聞かせた。最悪の事態はままあるのだと、若き龍へと言い聞かせた。
そして、東大陸を横断し、辿り着いた一軒家のベッドに横たわっていた男は――何てことはない、ただのポーション中毒じゃった。
複数の効能を持つポーションをがぶ飲みした際に起こる、心身の不調。症状は重かったが、治す手段はいくらでもあった。
安心して膝をついた混沌龍のお嬢ちゃん。相変わらず、早とちりが過ぎると苦笑させられたが、これも愛ゆえかと温かい気持ちにもなった。
おてんばで、自信家で、弱い男など眼中にもない龍族の少女。それが、愛を知ったことによって、ここまで献身的になるとは。龍族の女は情が厚い者が多いが、そういった意味ではお嬢ちゃんは誰よりも龍族らしかった。
はるばる大陸の東端からついてきた甲斐があったというもの。恋するルートゥーを見れただけでも、わしは十分過ぎるほどに満足感を覚えていた。
じゃから、患者が回復し、後顧の憂いを断った後は、余韻に浸りながらゆっくりと帰ろう――そう思っていたのじゃが。
「お師匠様ー。アップル・ポーションの改良、うまくいきませんね」
「材料や工程は間違っておらんはずなのじゃが……」
わしはまだ、グランフェリアにいた。
貴大という青年はとっくの昔に復調している。それなのに、なぜ、まだこの街にいるのかと言うと――。
「すみません、もう二ヶ月も手伝ってもらっちゃって」
「いや、いいんじゃよ。好きでやっておることじゃからな」
目の前には、ごぽりごぽりと泡立つポーション……らしきもの。
どろりと濁った水銀色。ねばねばとビーカーに付着した飛沫。ツンと鼻を突く刺激臭は、吐き気すら催させる。老虎油
この薬品の名は、アップル・ポーション。苦いポーションを、飲みやすくするために開発されたもの――らしい。
これが、わしがこの街に留まる理由。悪神の影響を取り除いたというのに、未だこのような劇薬を作り出す娘を正すべく、わしは説明のつかない使命感に駆られていた。
この子は、野放しにしていてはいけない。せめて『人が飲める』ポーションを作れるようにしなければ、放っておくことなどできはしない。
医龍の名は関係ない。この世に生きる者として、本能が警鐘を鳴らしている。その者を正しく導けと、心が命じてくる。
――いや、これはもしかすると、プライドの問題なのかもしれない。
千年間、薬品とともに生きてきたわしが、一人の人間も矯正できないなどあってはならない。若き日に置いてきたはずの無用な自尊心が、甦ったのかもしれない。
いずれにせよ、わしはミーシャの舌と腕を正すためだけに、グランフェリアに逗留することに決めた。こうなった以上、改善の兆しが見えるまでは、絶対にこの街を離れん。
……二か月前は、そう決意して、年甲斐もなく息巻いておったのじゃが。
「お師匠様ー! ポーションが動き始めましたー!?」
「ぱみいいいいいいいい!」
「なぜ、なぜ、そうなるんじゃーっ!?」
早くも、絶望に捕らわれようとしている自分を感じる。
この世に生を受けて四千年。まだまだ〈アース〉には不思議が満ちている。まさか、林檎味のポーションに命が宿るとは……。
「しかも地味に強いっ!? 【物理無効】とは、小癪なスライムめっ!」
「ぷうええぇぇぇ……!」
工房から表通りに飛び出して死闘を演じるわしとポーション(だったもの)。
体にまとわりついて、口の中に侵入してこようとする林檎色のスライムに、ブレスをお見舞いして蒸発させる。
……だ、大丈夫じゃろうか? 今度は気体の状態で襲いかかっては来ないじゃろうか?
あのミーシャという娘が作ったポーションは、何が起きても不自然ではないからのう……ああ、本当に、どのようにすれば改善できるんじゃろ。
「誰かと思えば、老龍ではないか」
「あ、先生、こんちはっす」
通りの魔素燈の柱に手をついて項垂れていると、後ろから声をかけられた。
振り返れば、そこには混沌龍のお嬢ちゃんに腕を組まれた青年がいた。
「またミーシャさんっすか? 何と言うか、その……頑張ってください」
貴大君か。彼も、ミーシャと関わり、改善のために尽力していたと聞く。しかし、そんな彼の目に浮かぶのは、諦観の念だけで――。
いかん、わし、最近あんな目をしておる!
「なあに、まだこれからじゃよ。二人は、これからお出かけかね?」
強がりを口にして、露骨に話題を変える。このまま、貴大君とミーシャのことについて話していたら、絶望の沼に沈んでしまいそうじゃ。
「そうなのだ。タカヒロが、我を喫茶店に連れていってくれるのだ。デートだぞ、デート!」麻黄
黒色のサマードレスでおめかしをしたお嬢ちゃんが、頬を上気させて仲のよさをアピールする。
「違うわ。お前が連れて行けって騒いだんだろ」
反面、貴大君は乗り気ではないようで――しかし、繋いだ手を放そうとはしない。言うほどに嫌がってはいないんじゃろ、あれは。
ツンデレってやつかのう。人前でなければ、もっといちゃついているのじゃろうか。いずれにせよ、貴大君には頑張ってもらいたい。
何せ、孫娘のような少女の婚約者じゃ。ぜひ、発奮して、四人か五人ぐらいは子どもを作って欲しい。曾孫の顔も見たいんじゃよ、わし。
「よかったのう。二人とも、楽しんでおいで」
「うむ! 言われるまでもないわ」
「先生は……その、頑張ってください」
笑顔でうなずいて去っていく少女と、彼女に引きずられていく青年。
うんうん、仲良きことは美しきかな。そのまま、順調に仲を深めていって、幸せな家庭を築いてもらいたい。
「前途多難ではあるがの」
そう、あの佐山貴大という青年は、これから先、激動の人生を送るじゃろう。
彼は、この世界における特異点じゃ。全てが異質で、大きな力も秘めておる。そんな彼の可能性を狙って、何やら悪神が暗躍しておるようじゃが――それは、彼が自分で解決すべきこと。
彼が自ら動き、自ら戦い、そして、自ら選択する。
そうすることで初めて、彼は大きく成長できる。だから、何が起きようとも、わしは手を貸すべきではない。そうせずとも、彼は自分で何とかできる人間じゃ。
だからわしは、傍観者に徹する。この千年間、そうしてきたように。ただただ、世の中の人々を見守るだけに――。
「お師匠様ー! また、また、ポーションが動き出しましたー!?」
「シェリッシャアアアアアアア!!!!」
「感慨に浸らせておくれっ!?」
それでも、放っておけないこともある。
それが、ミーシャという少女であり、彼女が作り出すポーションじゃ。
今度は何を加えたのか、蛇のようにするすると床を這う林檎色の薬品は、やはりわしの口を目指して進んでくる。
ポーションとして生まれたからには、人に飲まれようという本能が備わっているのじゃろうか? しかし、わけのわからぬ薬品を飲むつもりは毛頭ないっ!
だからこそ、わしは果敢に立ち向かう。己自身に降りかかる災厄を祓うため。ミーシャという少女を救うため。
持てる力と知識の全てを使い、わしは運命へと立ち向かう――!
願わくば、貴大君も頑張ってもらいたい。そう考えながら、わしはポーションとの死闘を演じた。D9 催情剤
それに、海に浮かぶ島。これは数えられんほどあるから、説明は割愛しよう。田七人参
――なに? 大陸と島の違いがわからない? ほっほ、確かに、確かに。空高く飛び上がり、星空から眼下を見下ろせば、この星の全容さえも視界に収まるからのう。
それでも、大陸は広大じゃよ。特に、世界最大の東大陸は広大無辺。大地に立てば、どこまでも、どこまでも続いて見えるじゃろう。
内包する文明も実に多種多様。西欧では煌びやかな貴婦人が踊り、極東では質実剛健な武士もののふたちが刀を振るう。南蛮では海の民が熟れた果物でのどを潤し、魔の中部地方では数多の怪異たちが覇権を競って殺し合っておる。
わしが生まれた忠の国は東大陸の東端にあるんじゃが、国一つとってみても、文化や街並み、道行く人たちは驚くような違いを見せていた。
龍として生まれてから三千年は、そういった違いが面白く、世界中を旅して回った。少し目を離した隙に成長していく他種族の文化に、心を躍らせていた。
よちよち歩きの赤ん坊を見守り、時にはそっと手助けをする。そのうち、彼らはわしと肩を並べるほどに成長し、夜になれば盃を交わして星を見上げた。
幾万の命を奪う流行り病に涙した。人々に仇成す悪神をうち滅ぼし、勇者とともに喝采を上げた。揺れる小麦畑の中で穏やかにほほ笑んだ。
戻らざる青春の日々。若き赤龍の冒険譚。振り返れば、思わず赤面してしまうような失態もあるが、どれも大切なわしの思い出じゃ。
それら若き日の記憶を抱え、三千歳を越えてからは故郷で隠遁生活を送り始めた。世界は循環し、目まぐるしく変化していくもの。最盛期を越えた中年が、いつまでも大きな顔をしていては、次世代を担う若者が育たない。
そう考えたわしは、忠の国――かつては、交の国と呼ばれていた故郷へと去っていった。
それから千年。激動の若き時代に比べると、どこまでもゆったりと流れていく時間。日がな一日本を読んだ。日が暮れるまで湖に釣り糸を垂らした。自分の手で深山に庵を建てたりした。
少し早めの老後を有意義に過ごすため、様々なことに挑戦した。太極拳という人間の武術も学んだし、手遊び程度に料理も試してみた。その中でも特に性にあったのは、意外にも薬品の調合じゃった。
山野で採取した薬草や鉱石を混ぜ合わせ、怪我や病を癒す薬を作る。簡単に言えばそれだけのことじゃが、これが実に奥が深い。
ザオインという、三角形の実をつける植物がある。そこから種を取り出して、そのまま飲めば便秘によく効くんじゃが、乾かしてからすり潰し、鍾乳洞の鉱水と混ぜれば、なんと魔力を補充するための飲み薬が出来上がる。
マーツの実も面白い。生の果汁は切り傷の特効薬となるこの果実は、干して煎じて、スライムジェルと混ぜ合わせると打ち身用の湿布となる。
生で、干して、茹でて、炒って、潰して、磨って。更に混ぜ合わせることで無限の広がりを見せる薬の精製に、わしはすっかり魅了され、千年間、日課のように薬品調合に勤しんだ。
その結果、『幽山の医龍』とまで呼ばれるようになったんじゃが……龍族には時間だけはたっぷりあるからのう。他の者が同じことをすれば、似たような名前がつくじゃろうて。
それでも、医龍という響きには頼もしさを感じるんじゃろうな。名前だけが独り歩きをして、人間の間では、不治の病すら治す龍が霊山に住んでいる、という伝承すらある。
不治の病を治す? とんでもない。わしにも治せん病は山ほどあるよ。神や妖精王などの管理者でもあるまいに、この世の道理を操る術などわしにはない。
風邪の特効薬など作れんし、不老不死の妙薬なぞ夢のまた夢。恋の病も治せんし、中二病に効く薬も作れんのう。
それに、何より――。
「できたー!」
「なぜ、林檎と蜂蜜、ポーションを混ぜただけで、泡立つ水銀が出来上がるんじゃ……!?」
効能はともかく、調味に関して壊滅的な腕を持つ少女を導くこともできんのだ。
これでは、医龍とはとても呼べんじゃろう?
ミーシャという名の少女と出会ったのは、ほんの二か月前。夏の気配を滲ませる、温かな春の日のことじゃった。威哥十鞭王
その日も常のごとく、わしは深山の庵で薬を作っておった。乳鉢に薬種を放り込み、ごりごりと磨っては細かく砕いていく。
いつも通りの生活。いつも通りの穏やかな日常。その中に、騒がしくも懐かしい闖入者が飛び込んできた。
「老龍! 老龍はおるか!?」
焦燥感を隠そうともせずに庵に飛び込んできたのは、西の魔の山に住む混沌龍のお嬢ちゃん。いつもの自信に満ちた顔をどこへやったのやら、お嬢ちゃんはわしを見つけると、泣きそうな顔をして駆け寄ってきた。
「頼む! 貴様の力が必要なのだ! 我の伴侶を救ってくれ!」
そう言って、わしを引っ張っていこうとするルートゥー。しかし、その時のわしは、いまいち事情が呑み込めずにきょとんとするばかり。
「伴侶? 根源のお嬢ちゃんは、結婚しておったのか?」
とんと記憶にない情報に、わしは思わず首を傾げた。いよいよわしもボケてきたのかとさえ思った。それでも、ゴシックロリータ衣装に身を包んだお嬢ちゃんは、説明する時間も惜しいとばかりに龍の姿へと変わり、わしを連れて天高く舞い上がっていった。
そして、道中聞かされる、旦那様――いや、婚約者じゃったか――の話。レベルを極め、混沌龍の心臓をも突き破ったという青年が、ある日突然、倒れてしまったのだという。
毒か、病か――もしも後者ならば諦めなさいと、わしはルートゥーへと伝えた。レベル250は生物としての限界点。そこへ辿り着いた生命体は鋼のように強靭で、生半可な病など自力で跳ね除けてしまう。
もしも、そのような人間が病に罹るとすれば――それは、不治の病であることが多い。
だからこそ、覚悟はしておくようにと、お嬢ちゃんに言って聞かせた。最悪の事態はままあるのだと、若き龍へと言い聞かせた。
そして、東大陸を横断し、辿り着いた一軒家のベッドに横たわっていた男は――何てことはない、ただのポーション中毒じゃった。
複数の効能を持つポーションをがぶ飲みした際に起こる、心身の不調。症状は重かったが、治す手段はいくらでもあった。
安心して膝をついた混沌龍のお嬢ちゃん。相変わらず、早とちりが過ぎると苦笑させられたが、これも愛ゆえかと温かい気持ちにもなった。
おてんばで、自信家で、弱い男など眼中にもない龍族の少女。それが、愛を知ったことによって、ここまで献身的になるとは。龍族の女は情が厚い者が多いが、そういった意味ではお嬢ちゃんは誰よりも龍族らしかった。
はるばる大陸の東端からついてきた甲斐があったというもの。恋するルートゥーを見れただけでも、わしは十分過ぎるほどに満足感を覚えていた。
じゃから、患者が回復し、後顧の憂いを断った後は、余韻に浸りながらゆっくりと帰ろう――そう思っていたのじゃが。
「お師匠様ー。アップル・ポーションの改良、うまくいきませんね」
「材料や工程は間違っておらんはずなのじゃが……」
わしはまだ、グランフェリアにいた。
貴大という青年はとっくの昔に復調している。それなのに、なぜ、まだこの街にいるのかと言うと――。
「すみません、もう二ヶ月も手伝ってもらっちゃって」
「いや、いいんじゃよ。好きでやっておることじゃからな」
目の前には、ごぽりごぽりと泡立つポーション……らしきもの。
どろりと濁った水銀色。ねばねばとビーカーに付着した飛沫。ツンと鼻を突く刺激臭は、吐き気すら催させる。老虎油
この薬品の名は、アップル・ポーション。苦いポーションを、飲みやすくするために開発されたもの――らしい。
これが、わしがこの街に留まる理由。悪神の影響を取り除いたというのに、未だこのような劇薬を作り出す娘を正すべく、わしは説明のつかない使命感に駆られていた。
この子は、野放しにしていてはいけない。せめて『人が飲める』ポーションを作れるようにしなければ、放っておくことなどできはしない。
医龍の名は関係ない。この世に生きる者として、本能が警鐘を鳴らしている。その者を正しく導けと、心が命じてくる。
――いや、これはもしかすると、プライドの問題なのかもしれない。
千年間、薬品とともに生きてきたわしが、一人の人間も矯正できないなどあってはならない。若き日に置いてきたはずの無用な自尊心が、甦ったのかもしれない。
いずれにせよ、わしはミーシャの舌と腕を正すためだけに、グランフェリアに逗留することに決めた。こうなった以上、改善の兆しが見えるまでは、絶対にこの街を離れん。
……二か月前は、そう決意して、年甲斐もなく息巻いておったのじゃが。
「お師匠様ー! ポーションが動き始めましたー!?」
「ぱみいいいいいいいい!」
「なぜ、なぜ、そうなるんじゃーっ!?」
早くも、絶望に捕らわれようとしている自分を感じる。
この世に生を受けて四千年。まだまだ〈アース〉には不思議が満ちている。まさか、林檎味のポーションに命が宿るとは……。
「しかも地味に強いっ!? 【物理無効】とは、小癪なスライムめっ!」
「ぷうええぇぇぇ……!」
工房から表通りに飛び出して死闘を演じるわしとポーション(だったもの)。
体にまとわりついて、口の中に侵入してこようとする林檎色のスライムに、ブレスをお見舞いして蒸発させる。
……だ、大丈夫じゃろうか? 今度は気体の状態で襲いかかっては来ないじゃろうか?
あのミーシャという娘が作ったポーションは、何が起きても不自然ではないからのう……ああ、本当に、どのようにすれば改善できるんじゃろ。
「誰かと思えば、老龍ではないか」
「あ、先生、こんちはっす」
通りの魔素燈の柱に手をついて項垂れていると、後ろから声をかけられた。
振り返れば、そこには混沌龍のお嬢ちゃんに腕を組まれた青年がいた。
「またミーシャさんっすか? 何と言うか、その……頑張ってください」
貴大君か。彼も、ミーシャと関わり、改善のために尽力していたと聞く。しかし、そんな彼の目に浮かぶのは、諦観の念だけで――。
いかん、わし、最近あんな目をしておる!
「なあに、まだこれからじゃよ。二人は、これからお出かけかね?」
強がりを口にして、露骨に話題を変える。このまま、貴大君とミーシャのことについて話していたら、絶望の沼に沈んでしまいそうじゃ。
「そうなのだ。タカヒロが、我を喫茶店に連れていってくれるのだ。デートだぞ、デート!」麻黄
黒色のサマードレスでおめかしをしたお嬢ちゃんが、頬を上気させて仲のよさをアピールする。
「違うわ。お前が連れて行けって騒いだんだろ」
反面、貴大君は乗り気ではないようで――しかし、繋いだ手を放そうとはしない。言うほどに嫌がってはいないんじゃろ、あれは。
ツンデレってやつかのう。人前でなければ、もっといちゃついているのじゃろうか。いずれにせよ、貴大君には頑張ってもらいたい。
何せ、孫娘のような少女の婚約者じゃ。ぜひ、発奮して、四人か五人ぐらいは子どもを作って欲しい。曾孫の顔も見たいんじゃよ、わし。
「よかったのう。二人とも、楽しんでおいで」
「うむ! 言われるまでもないわ」
「先生は……その、頑張ってください」
笑顔でうなずいて去っていく少女と、彼女に引きずられていく青年。
うんうん、仲良きことは美しきかな。そのまま、順調に仲を深めていって、幸せな家庭を築いてもらいたい。
「前途多難ではあるがの」
そう、あの佐山貴大という青年は、これから先、激動の人生を送るじゃろう。
彼は、この世界における特異点じゃ。全てが異質で、大きな力も秘めておる。そんな彼の可能性を狙って、何やら悪神が暗躍しておるようじゃが――それは、彼が自分で解決すべきこと。
彼が自ら動き、自ら戦い、そして、自ら選択する。
そうすることで初めて、彼は大きく成長できる。だから、何が起きようとも、わしは手を貸すべきではない。そうせずとも、彼は自分で何とかできる人間じゃ。
だからわしは、傍観者に徹する。この千年間、そうしてきたように。ただただ、世の中の人々を見守るだけに――。
「お師匠様ー! また、また、ポーションが動き出しましたー!?」
「シェリッシャアアアアアアア!!!!」
「感慨に浸らせておくれっ!?」
それでも、放っておけないこともある。
それが、ミーシャという少女であり、彼女が作り出すポーションじゃ。
今度は何を加えたのか、蛇のようにするすると床を這う林檎色の薬品は、やはりわしの口を目指して進んでくる。
ポーションとして生まれたからには、人に飲まれようという本能が備わっているのじゃろうか? しかし、わけのわからぬ薬品を飲むつもりは毛頭ないっ!
だからこそ、わしは果敢に立ち向かう。己自身に降りかかる災厄を祓うため。ミーシャという少女を救うため。
持てる力と知識の全てを使い、わしは運命へと立ち向かう――!
願わくば、貴大君も頑張ってもらいたい。そう考えながら、わしはポーションとの死闘を演じた。D9 催情剤
2014年6月21日星期六
港町
コツンコツン
遠くから足音が響いてくる。
紅く輝く双眸を持った、小さな白い影がやってくる――
「……うおっ!?」
やべぇ、今一瞬気を失ってなかったか!?
素早く立ち上がり周囲を見渡す。精力剤
誰の気配も感じない。
この耳に聞こえてくるのは、白い少女が奏でる足音では無く、すぐ横を流れる河の音だ。
「ど、どうなったんだっけ……」
俺は螺旋階段の下った底にあった井戸へ迷わず飛び込んだ。
井戸の底から、水が流れる音が聞こえてきたから、地下を流れる水脈があるのだと思い、どこか外へ通じていると思ったからだ。
そしてその目論見は見事成功、俺はこうして地面へ立っている。
ただし、あの地下水脈が俺を閉じ込める深い地の底へ続いていたのかもしれないし、実際飛び込めば真っ暗だし、水はめっちゃ冷たいしで、流されながら恐怖と不安で挫けそうにもなった。
運よく、暗い地下(洞窟というべきか)そこから日の当たる外へ水脈は続いていたようで、どうにか川岸に上がったところでちょっと気絶してしまったみたいだ。
「ああ、外だ」
天を仰げば真上に照る太陽、横には俺が流れてきた河があり、周囲は木々が生い茂り、そのさらに向こうには聳え立つ山々が見える。
そんな、完璧大自然な緑の中に、俺はいる。
「やった、俺はついに自由――」
ガサリ、と近くの茂みが音を立てた。
一瞬で俺の心臓の鼓動が高鳴り、嫌な汗が全身から噴出す。
脳裏に浮かび上がるのは、無表情な白いサリエルの顔。
「……」
現れたのは、鹿によく似た動物だった。
河へ水を飲みに来たのだろうか、よく見れば、奥のほうにも何体かいるようだ。
ところで‘鹿によく似た’とわざわざ言うのは、鹿ではない確信が俺にはあるからだ。
その鹿モドキは立派な角が三本も生えている上に緑色。あんなファンタジックな角を生やした鹿は、俺の世界にはいない。
いや、この世界で進化したらああいう鹿も生まれるのかもしれない、なんてったって火を噴くドラゴンが実在する魔法の世界だからなここは。
そもそもダーウィンの進化論はこの世界で通用するんだろうか?
「いやいや、そんなことより、今はもっと遠くへ逃げた方が良さそうだ」
多少の疲労感はあるが、サリエルに受けた傷は治りつつあり、行動するのに問題は無い。
今はこの改造されてやたら頑丈になった体がありがたい。
しかし、そんな体を持つ俺でも手も足もでない、モンスター以上の化物が存在するのだ。
もしかすれば、この世界にはあんなヤツラがごろごろいるのかもしれない、だとすれば、自分の力を過信するのは危険。
あんなのが束で脱走した俺の捜索に来られれば、完全にお終いだ。
どこが安全で、どこまで逃げればいいのか分からないが、兎に角あの施設からはひたすら遠くへ行くべきだ。
「行くか」
取り立てて道しるべの無い俺は、とりあえずこの河を下流へ向かっていくことに決めた。
今もサリエルに追われているかもしれない、という恐怖心が、体力の続く限り俺の足を進ませる。
俺は三日三晩一睡もせずにひたすら山やら森やらを歩き続けた。
足を止めるのは、便所と河の水を飲む時だけだ。
腹を壊すかもしれない、と思ったが、河は底が透けて見えるほど綺麗なものであり、なにより、これまで糞不味いゲロスープしか口にしなかった俺にとって、自然の清流はあまりに美味すぎた。
結局、腹は壊さなかったが、飲みすぎて胃袋がタプタプになるという弊害はあった。
そして、時たま遭遇する犬だか狼だかみたいなモンスターは散弾とライフルで追い返し、深追いはしなかった。
そして四日目の晩ついに、
「……灯りだ」
前方に、人が住んでいると思しき灯りを見た。
その灯をみながら、喜び勇んで真っ直ぐ走っていく。
が、その途中で俺は思った。
「待て、あのマスク共に通じるヤツラがいるかもしれないな」
若しくは研究者が、最悪サリエル本人がいる可能性も否定できない。
俺はこの世界については、モンスターがいることと魔法があることくらいしか知らない。
世間の常識を知らない上に、このボロボロの貫頭衣姿は確実に怪しまれる。
怪しまれるってことは目立つってことだ、逃亡する身としてはそれだけは絶対に避けたい。
そしてさらに悪い想像だが、俺が指名手配されている可能性もありうる。
実験体としての俺の存在は、マスク共の中でどういう位置づけにあるのかは分からないが、国を挙げての大規模プロジェクトとかそういうのだった場合、広範囲に渡って俺を捜索してくるだろう。媚薬
つまりこの世界の人間に、不用意に接触するのは危険だということだ。
そこまで思い至った時、街は目前に迫っていたが、人恋しさを我慢しつつ、俺は息を潜めて街へ潜入することにした。
ここは、灰色の石壁に囲まれた、潮風漂う港町だ。
門に立って街へ出入りする人々を監視する兵士に見つからないよう、注意深くぐるっと一周見て回って分かったことだ。
それと、どうやらこの世界の文明は中世レベルだというのも判明した。
石壁だけなら文化財として残しているだけなのかもしれない、しかし、ここの石壁は現役で使用されている。
他にも、アスファルトで舗装されていない道、槍を携えた鎧姿の兵士、夜の明かりは篝火とランプ、などなど、俺の知る現代的な物は何一つ見つからない。
あの実験施設にいたころから、電気設備も無く、銃ではなく剣や弓で武装したモンスターを見て、現代では無さそうとは思っていたが、こうして一般的(と思われる)街を見れば、その時の予想が正しかったのだと思い知らされる。
「本当に異世界だな、ここは……」
軽く絶望してしまいそうだが、心に大きな不安を抱いて思い悩めるほど今の俺は暇では無い。
元の世界に帰る方法を模索するのは、もっと遠くへ逃げて落ち着いてからにしよう。
再び考えを目の前の街へと戻す。
ここが港町というのは、俺にとっては好都合かもしれない。
陸路を行くより、船で海路を行った方が、遥かに速く、より遠くへ行くことが出来るのだ。
少なくとも、飛行機は無いだろうと予想されるこの世界において、船が最長最速の移動手段だろう。
もっとも、ワープやテレポートの魔法装置が無ければの話だ。
兎に角ここから遠くへ行きたいという目的しか無い俺にとって、船というのは魅力的な存在だ。
ここは是が非でも、できるだけ遠くへ行く船に乗りたいものだ。
勿論、人と会うわけにも行かない上に、無一文な俺は正規の手段で乗船する気はさらさら無い。
要するに、密航だ。
「よし、目的は決まった、そんじゃ街へ行くとするか」
周囲に人の目がない事を確認して、俺は石壁へと手をかける。
垂直に、かつ精密に組み上げられた石壁に、手をかけ、足をかけるほどの凹凸は無い。
なので、ここは頼りになる黒魔法の出番だ。
手足の先に、黒色魔力を鋭く物質化させる。
頑張れば竜の鱗だって貫く硬さを再現できるのだ、石壁にさっくり切り込める刃を作ることも十分可能だ。
そうして初めての壁登りにチャレンジ。
指先と一体化した鋭い爪は、ダンボールにカッターを突き刺すくらいの感覚で、石壁に食い込む。
垂直の壁を直接指を刺すことで、手をかけるところを作っていくのだ。
足先も同じ要領で、壁に突き刺し、しっかりと固定する。
壁の高さはおよそ5メートルといったところか、命綱の無いウォールクライミングだが、俺の体なら天辺から落下してもなんとも無いだろう、下は柔らかい土の地面だしな。
そして、段々と壁登りの要領を掴んでいった俺は順調に壁を登っていく。
「おお、今の俺って忍者みたいじゃね?」
そして、すっかり夜の闇に溶け込む忍の者気分になった俺は、あっという間に壁を登りきる。
壁の上で仁王立ちしたら、流石に誰かに見られそうな気がしたので、這い蹲ったまま街の内部を眺める。
「おお、予想はしてたが、やっぱすげぇな……」
そこでは、映画やアニメでしか見たことが無い、ヨーロッパ風の町並みが再現されていた。
視力と共に、夜目も効くようになっているので、この闇夜においても街の様子がはっきり見て取れる。
白塗りの民家が立ち並び、街の一番大きい通りは石畳で、灯りをつけた夜店が見える。
昼にはきっと荷を満載にした馬車が行き交っていることだろう。
そして、中央部に街で一番の高さを誇る尖塔を備えた教会が建つ。
そこからさらに大通りを進むと、沢山の船が停泊している港へ至る。
流石に夜だけあって、人の姿が多く見えるのは大通りだけで、住宅地などは灯りを消して静まり返っている。
「港には、壁沿いを進んだ方が良さそうだな」
おおよその街の全景を頭に入れ、ここから港までの大雑把なルートを決定すると、俺は石壁から飛び降りた。
井戸に続く螺旋階段くらいの高さならヤバいが、(目測)5メートルくらいは問題ない。
ドッと鈍い音を響かせて土の上に着地し、すぐさまその場を離れる。
最大限注意を払いながら、暗い住宅街の路地を駆け抜けていった。性欲剤
自由
地獄のような魔法世界へやってきてから、これほどまで深く眠ったのは初めての経験だった。
機動実験で同じ実験体の少年を殺して以来、ずっと自意識が戻らず淡々と身に起こる実験の日々を眺めるだけの生活が続いた。
だから、また同じように実験体の少年少女をこの手にかけても、特に何とも思わなかった。
けれど、このボンヤリした俯瞰意識も、このまま深い眠りの中で、ついには消え去り、俺が黒乃真央という個人だったという記憶も完全に無くなってしまうのだろうと思った。
それでも、もう痛いのも苦しいのも、同じ人間を殺すのも我慢の限界で、このままゆるやかに自分が消えてしまうのは寧ろ望む所であった。
もういい、俺は元いた場所には帰れない、いよいよ両親の顔すら満足に思い出せず、脳裏に蘇るのは、あの十字を背負った爺と白いマスク、それと、俺が殺したモンスターと実験体達の姿だけだ。
だから、もういいんだ、ここで俺が消えてしまえば楽になる、これ以上生にしがみつく必要性は全く無い――
そうして、薄れ行く意識の中で全てを諦めかけた直後だった。
ズズン――
そんな轟音と共に、天地が引っくり返ったような衝撃で、俺の意識は急速に覚醒していった。
「――はっ!?」
飛び起きると、何時もの如く固い床の上。
けれど、これまでにないほど俺の頭ははっきりとしていて、今まで脳内と意識を覆っていたモヤモヤみたいなのは綺麗サッパリ消え去っていた。
気分爽快、とは今みたいな状況を言うんだろうな。
自意識は久方ぶりに戻り、俺の頭は冴え、体中を血液と魔力が滞りなく循環し、力が全身に漲っている。
「ここは……実験室か」
中央の台座から俺は床へと転がり落ちたのだろう。
どういう経緯でそうなったのかは分からないが、他に二名のマスクが、さっきまでの俺と同じように地面へ転がっている。
何かの実験中に事故ったんだろうか?
俺としてはこの白マスクを助け起こす義理なんぞ無いし、その気もさらさらない。
どうしたものか、と考えつつ部屋を見渡すと、とある物が目に入った。
一度だけしか見たことの無いモノだったが、それが何なのかすぐに理解できた。
「白い、リング……」
七つの針で俺に絶対服従を強いる恐怖のアイテム。
装着されて以来、絶対に外れることのないソレが、俺の目の前にある。
自分の手でゆっくりと頭部を探る。
どれほど注意深く触っても、指先に感じるのは髪の毛と頭皮以外に無い。
「無い……リングが、無いぞ」
当然だった、目の前に置いてあるリングこそ、これまで俺の頭部に装着されたリングなのだから。
「は、はははは――」
頭からリングが外れた。
俺を束縛するモノは、最早存在しない。
気がつけば、リングは俺の手の中で粉々に砕け散っていた。
「あははははは! 俺は自由だっ!!」
そうさ、自由の身になれば、もう大人しく死んでやる必要性など無い!
俺の絶叫が気付け変わりにでもなったのか、床に倒れていたマスクが二人、壁に手を突きながら起き上がってきた。
俺は、近い方にいるマスクへと接近する。
「なに、49番――」
今がどういう状況にあるのか判っているのかいないのか、俺を見て驚きの声を上げる。
「その名前で俺を呼ぶんじゃねぇ」
左手でマスクの胸倉を掴みあげる。女性用媚薬
「ぐはっ、や、やめるんだ……49番……」
「俺の名は――」
右腕をゆっくりと振りかぶる。
体調は万全、漲るほどの黒色魔力が瞬間的に右腕へ凝集する。
「黒乃真央だっ!!」
忌々しい白マスクへ、渾身のパイルバンカーが炸裂した。
断末魔の声すら上げる間も無く、頭部を粉々に粉砕、首無し死体が出来上がる。
「なにをしている49番っ!」
もう一人のマスクが、背後から俺へ飛び掛ってくる。
例えその叫び声が無くとも、その気配は察知していたので、その対処には何の苦労も無い。
マスクが俺へ突き刺そうとしたガラス製の注射器を、左腕一本で受け止める。
「危ねぇな」
そのまま注射器を奪い取り、右手で逆手に持って構える。
「やめ――」
首元まで覆う白いマントの上から、首筋目掛けて注射器を打ち込む。
上手く血管に刺さったのかどうかは知らないが、注射器を満たす毒々しい色の薬液をそのまま注入する。
「ぐっっ、おぉおおお……」
首を押さえて、苦しみ始めたマントは、再び床へと倒れ伏す。
「ライフル」
指の先ですでに形成を完了した黒い弾丸を、額へ向けて撃つ。血と脳漿を派手に床へぶちまけて、マスクは絶命する。
あの薬液がどんな効果があるのか知らんので、一応念のためだ、俺みたく変に強くなって復活されたら困るしな。
「さて――どういうワケか分からんが、チャンスだ」
すでにリングの絶対的な拘束は存在しない。
その上、コイツラが好き勝手に散々肉体改造を施したお陰で、ドラゴンだって殺せるほどの力を持っている。
さらに、人殺しの禁忌も、知らずとは言え既に犯してしまった俺だ、憎悪する理由に事欠かないこの白いマスク共を殺すのに一切の躊躇も無い。
ここで二人のマスクをあっさり殺害できたのだ、研究者程度が束でかかってきても俺を抑えることは不可能だろう。
自業自得、俺をそこまでの化物に仕立て上げたのは、他でもないコイツラ自身だ。
自由の身となった俺に、この場を脱するのを妨げるモノは、最早存在しない。
「行くぞっ!」
自分を奮い立たせるいつもの台詞を叫んで、俺は扉をぶち破った――
「――あれほど最終洗礼処置は注意して行えと言っただろうがっ!」
会議室に怒号が響く。
「し、しかし、拘束処置は規定の通り行い、完全に無力化できていたはずです」
「薬物耐性か回復力が予想以上のものであったというのか……」
「地震の影響で、洗礼処置の途中で強制的に中断されたことにより、意識を取り戻してしまったのでしょう」
「ならば警備兵の全てを動員してさっさと取り押さえんかっ!!」
そう叫んだ司祭だったが、膨大な黒色魔力を扱う49番を、それほど数の多くない警備兵だけで捕獲することは不可能だろうと薄々感づいていた。
「申し訳ございません猊下、事態は一刻を争います、速やかに避難を――」
「落ち着きたまえ司祭殿、枢機卿である私が何ゆえ護衛の一人も連れずに来たのか、分からないのかね?」
アルス自身、49番と呼ばれる実験体が制御不能となり、数々のモンスターを単独で屠るほど危険な力をもって暴れているのは理解できている。
しかしながら、‘その程度’の力では、全く動ずるに値はしない。
「し、しかし……」
大司祭はアルスの隣に佇むサリエルへ視線を向ける。
アルスがどういう意図を持っての発言か、すでに理解は出来ている。
「これは全て我々の不手際、サリエル卿のお手を煩わせるわけには――」
「いらぬ気を回すな、サリエル卿、この場を任せてよいかな?」
コクンと小さくサリエルは頷く。
「どうやら危険な相手らしい、生け捕りにする必要は無いだろう」
もう一度小さく頷いて、軽い足取りでサリエルは会議室を出て行く。中絶薬
「では行こうか、慌てる必要は無い、十分もすれば49番とやらの首を持ってサリエル卿は戻ってくるだろうからな」
遠くから足音が響いてくる。
紅く輝く双眸を持った、小さな白い影がやってくる――
「……うおっ!?」
やべぇ、今一瞬気を失ってなかったか!?
素早く立ち上がり周囲を見渡す。精力剤
誰の気配も感じない。
この耳に聞こえてくるのは、白い少女が奏でる足音では無く、すぐ横を流れる河の音だ。
「ど、どうなったんだっけ……」
俺は螺旋階段の下った底にあった井戸へ迷わず飛び込んだ。
井戸の底から、水が流れる音が聞こえてきたから、地下を流れる水脈があるのだと思い、どこか外へ通じていると思ったからだ。
そしてその目論見は見事成功、俺はこうして地面へ立っている。
ただし、あの地下水脈が俺を閉じ込める深い地の底へ続いていたのかもしれないし、実際飛び込めば真っ暗だし、水はめっちゃ冷たいしで、流されながら恐怖と不安で挫けそうにもなった。
運よく、暗い地下(洞窟というべきか)そこから日の当たる外へ水脈は続いていたようで、どうにか川岸に上がったところでちょっと気絶してしまったみたいだ。
「ああ、外だ」
天を仰げば真上に照る太陽、横には俺が流れてきた河があり、周囲は木々が生い茂り、そのさらに向こうには聳え立つ山々が見える。
そんな、完璧大自然な緑の中に、俺はいる。
「やった、俺はついに自由――」
ガサリ、と近くの茂みが音を立てた。
一瞬で俺の心臓の鼓動が高鳴り、嫌な汗が全身から噴出す。
脳裏に浮かび上がるのは、無表情な白いサリエルの顔。
「……」
現れたのは、鹿によく似た動物だった。
河へ水を飲みに来たのだろうか、よく見れば、奥のほうにも何体かいるようだ。
ところで‘鹿によく似た’とわざわざ言うのは、鹿ではない確信が俺にはあるからだ。
その鹿モドキは立派な角が三本も生えている上に緑色。あんなファンタジックな角を生やした鹿は、俺の世界にはいない。
いや、この世界で進化したらああいう鹿も生まれるのかもしれない、なんてったって火を噴くドラゴンが実在する魔法の世界だからなここは。
そもそもダーウィンの進化論はこの世界で通用するんだろうか?
「いやいや、そんなことより、今はもっと遠くへ逃げた方が良さそうだ」
多少の疲労感はあるが、サリエルに受けた傷は治りつつあり、行動するのに問題は無い。
今はこの改造されてやたら頑丈になった体がありがたい。
しかし、そんな体を持つ俺でも手も足もでない、モンスター以上の化物が存在するのだ。
もしかすれば、この世界にはあんなヤツラがごろごろいるのかもしれない、だとすれば、自分の力を過信するのは危険。
あんなのが束で脱走した俺の捜索に来られれば、完全にお終いだ。
どこが安全で、どこまで逃げればいいのか分からないが、兎に角あの施設からはひたすら遠くへ行くべきだ。
「行くか」
取り立てて道しるべの無い俺は、とりあえずこの河を下流へ向かっていくことに決めた。
今もサリエルに追われているかもしれない、という恐怖心が、体力の続く限り俺の足を進ませる。
俺は三日三晩一睡もせずにひたすら山やら森やらを歩き続けた。
足を止めるのは、便所と河の水を飲む時だけだ。
腹を壊すかもしれない、と思ったが、河は底が透けて見えるほど綺麗なものであり、なにより、これまで糞不味いゲロスープしか口にしなかった俺にとって、自然の清流はあまりに美味すぎた。
結局、腹は壊さなかったが、飲みすぎて胃袋がタプタプになるという弊害はあった。
そして、時たま遭遇する犬だか狼だかみたいなモンスターは散弾とライフルで追い返し、深追いはしなかった。
そして四日目の晩ついに、
「……灯りだ」
前方に、人が住んでいると思しき灯りを見た。
その灯をみながら、喜び勇んで真っ直ぐ走っていく。
が、その途中で俺は思った。
「待て、あのマスク共に通じるヤツラがいるかもしれないな」
若しくは研究者が、最悪サリエル本人がいる可能性も否定できない。
俺はこの世界については、モンスターがいることと魔法があることくらいしか知らない。
世間の常識を知らない上に、このボロボロの貫頭衣姿は確実に怪しまれる。
怪しまれるってことは目立つってことだ、逃亡する身としてはそれだけは絶対に避けたい。
そしてさらに悪い想像だが、俺が指名手配されている可能性もありうる。
実験体としての俺の存在は、マスク共の中でどういう位置づけにあるのかは分からないが、国を挙げての大規模プロジェクトとかそういうのだった場合、広範囲に渡って俺を捜索してくるだろう。媚薬
つまりこの世界の人間に、不用意に接触するのは危険だということだ。
そこまで思い至った時、街は目前に迫っていたが、人恋しさを我慢しつつ、俺は息を潜めて街へ潜入することにした。
ここは、灰色の石壁に囲まれた、潮風漂う港町だ。
門に立って街へ出入りする人々を監視する兵士に見つからないよう、注意深くぐるっと一周見て回って分かったことだ。
それと、どうやらこの世界の文明は中世レベルだというのも判明した。
石壁だけなら文化財として残しているだけなのかもしれない、しかし、ここの石壁は現役で使用されている。
他にも、アスファルトで舗装されていない道、槍を携えた鎧姿の兵士、夜の明かりは篝火とランプ、などなど、俺の知る現代的な物は何一つ見つからない。
あの実験施設にいたころから、電気設備も無く、銃ではなく剣や弓で武装したモンスターを見て、現代では無さそうとは思っていたが、こうして一般的(と思われる)街を見れば、その時の予想が正しかったのだと思い知らされる。
「本当に異世界だな、ここは……」
軽く絶望してしまいそうだが、心に大きな不安を抱いて思い悩めるほど今の俺は暇では無い。
元の世界に帰る方法を模索するのは、もっと遠くへ逃げて落ち着いてからにしよう。
再び考えを目の前の街へと戻す。
ここが港町というのは、俺にとっては好都合かもしれない。
陸路を行くより、船で海路を行った方が、遥かに速く、より遠くへ行くことが出来るのだ。
少なくとも、飛行機は無いだろうと予想されるこの世界において、船が最長最速の移動手段だろう。
もっとも、ワープやテレポートの魔法装置が無ければの話だ。
兎に角ここから遠くへ行きたいという目的しか無い俺にとって、船というのは魅力的な存在だ。
ここは是が非でも、できるだけ遠くへ行く船に乗りたいものだ。
勿論、人と会うわけにも行かない上に、無一文な俺は正規の手段で乗船する気はさらさら無い。
要するに、密航だ。
「よし、目的は決まった、そんじゃ街へ行くとするか」
周囲に人の目がない事を確認して、俺は石壁へと手をかける。
垂直に、かつ精密に組み上げられた石壁に、手をかけ、足をかけるほどの凹凸は無い。
なので、ここは頼りになる黒魔法の出番だ。
手足の先に、黒色魔力を鋭く物質化させる。
頑張れば竜の鱗だって貫く硬さを再現できるのだ、石壁にさっくり切り込める刃を作ることも十分可能だ。
そうして初めての壁登りにチャレンジ。
指先と一体化した鋭い爪は、ダンボールにカッターを突き刺すくらいの感覚で、石壁に食い込む。
垂直の壁を直接指を刺すことで、手をかけるところを作っていくのだ。
足先も同じ要領で、壁に突き刺し、しっかりと固定する。
壁の高さはおよそ5メートルといったところか、命綱の無いウォールクライミングだが、俺の体なら天辺から落下してもなんとも無いだろう、下は柔らかい土の地面だしな。
そして、段々と壁登りの要領を掴んでいった俺は順調に壁を登っていく。
「おお、今の俺って忍者みたいじゃね?」
そして、すっかり夜の闇に溶け込む忍の者気分になった俺は、あっという間に壁を登りきる。
壁の上で仁王立ちしたら、流石に誰かに見られそうな気がしたので、這い蹲ったまま街の内部を眺める。
「おお、予想はしてたが、やっぱすげぇな……」
そこでは、映画やアニメでしか見たことが無い、ヨーロッパ風の町並みが再現されていた。
視力と共に、夜目も効くようになっているので、この闇夜においても街の様子がはっきり見て取れる。
白塗りの民家が立ち並び、街の一番大きい通りは石畳で、灯りをつけた夜店が見える。
昼にはきっと荷を満載にした馬車が行き交っていることだろう。
そして、中央部に街で一番の高さを誇る尖塔を備えた教会が建つ。
そこからさらに大通りを進むと、沢山の船が停泊している港へ至る。
流石に夜だけあって、人の姿が多く見えるのは大通りだけで、住宅地などは灯りを消して静まり返っている。
「港には、壁沿いを進んだ方が良さそうだな」
おおよその街の全景を頭に入れ、ここから港までの大雑把なルートを決定すると、俺は石壁から飛び降りた。
井戸に続く螺旋階段くらいの高さならヤバいが、(目測)5メートルくらいは問題ない。
ドッと鈍い音を響かせて土の上に着地し、すぐさまその場を離れる。
最大限注意を払いながら、暗い住宅街の路地を駆け抜けていった。性欲剤
自由
地獄のような魔法世界へやってきてから、これほどまで深く眠ったのは初めての経験だった。
機動実験で同じ実験体の少年を殺して以来、ずっと自意識が戻らず淡々と身に起こる実験の日々を眺めるだけの生活が続いた。
だから、また同じように実験体の少年少女をこの手にかけても、特に何とも思わなかった。
けれど、このボンヤリした俯瞰意識も、このまま深い眠りの中で、ついには消え去り、俺が黒乃真央という個人だったという記憶も完全に無くなってしまうのだろうと思った。
それでも、もう痛いのも苦しいのも、同じ人間を殺すのも我慢の限界で、このままゆるやかに自分が消えてしまうのは寧ろ望む所であった。
もういい、俺は元いた場所には帰れない、いよいよ両親の顔すら満足に思い出せず、脳裏に蘇るのは、あの十字を背負った爺と白いマスク、それと、俺が殺したモンスターと実験体達の姿だけだ。
だから、もういいんだ、ここで俺が消えてしまえば楽になる、これ以上生にしがみつく必要性は全く無い――
そうして、薄れ行く意識の中で全てを諦めかけた直後だった。
ズズン――
そんな轟音と共に、天地が引っくり返ったような衝撃で、俺の意識は急速に覚醒していった。
「――はっ!?」
飛び起きると、何時もの如く固い床の上。
けれど、これまでにないほど俺の頭ははっきりとしていて、今まで脳内と意識を覆っていたモヤモヤみたいなのは綺麗サッパリ消え去っていた。
気分爽快、とは今みたいな状況を言うんだろうな。
自意識は久方ぶりに戻り、俺の頭は冴え、体中を血液と魔力が滞りなく循環し、力が全身に漲っている。
「ここは……実験室か」
中央の台座から俺は床へと転がり落ちたのだろう。
どういう経緯でそうなったのかは分からないが、他に二名のマスクが、さっきまでの俺と同じように地面へ転がっている。
何かの実験中に事故ったんだろうか?
俺としてはこの白マスクを助け起こす義理なんぞ無いし、その気もさらさらない。
どうしたものか、と考えつつ部屋を見渡すと、とある物が目に入った。
一度だけしか見たことの無いモノだったが、それが何なのかすぐに理解できた。
「白い、リング……」
七つの針で俺に絶対服従を強いる恐怖のアイテム。
装着されて以来、絶対に外れることのないソレが、俺の目の前にある。
自分の手でゆっくりと頭部を探る。
どれほど注意深く触っても、指先に感じるのは髪の毛と頭皮以外に無い。
「無い……リングが、無いぞ」
当然だった、目の前に置いてあるリングこそ、これまで俺の頭部に装着されたリングなのだから。
「は、はははは――」
頭からリングが外れた。
俺を束縛するモノは、最早存在しない。
気がつけば、リングは俺の手の中で粉々に砕け散っていた。
「あははははは! 俺は自由だっ!!」
そうさ、自由の身になれば、もう大人しく死んでやる必要性など無い!
俺の絶叫が気付け変わりにでもなったのか、床に倒れていたマスクが二人、壁に手を突きながら起き上がってきた。
俺は、近い方にいるマスクへと接近する。
「なに、49番――」
今がどういう状況にあるのか判っているのかいないのか、俺を見て驚きの声を上げる。
「その名前で俺を呼ぶんじゃねぇ」
左手でマスクの胸倉を掴みあげる。女性用媚薬
「ぐはっ、や、やめるんだ……49番……」
「俺の名は――」
右腕をゆっくりと振りかぶる。
体調は万全、漲るほどの黒色魔力が瞬間的に右腕へ凝集する。
「黒乃真央だっ!!」
忌々しい白マスクへ、渾身のパイルバンカーが炸裂した。
断末魔の声すら上げる間も無く、頭部を粉々に粉砕、首無し死体が出来上がる。
「なにをしている49番っ!」
もう一人のマスクが、背後から俺へ飛び掛ってくる。
例えその叫び声が無くとも、その気配は察知していたので、その対処には何の苦労も無い。
マスクが俺へ突き刺そうとしたガラス製の注射器を、左腕一本で受け止める。
「危ねぇな」
そのまま注射器を奪い取り、右手で逆手に持って構える。
「やめ――」
首元まで覆う白いマントの上から、首筋目掛けて注射器を打ち込む。
上手く血管に刺さったのかどうかは知らないが、注射器を満たす毒々しい色の薬液をそのまま注入する。
「ぐっっ、おぉおおお……」
首を押さえて、苦しみ始めたマントは、再び床へと倒れ伏す。
「ライフル」
指の先ですでに形成を完了した黒い弾丸を、額へ向けて撃つ。血と脳漿を派手に床へぶちまけて、マスクは絶命する。
あの薬液がどんな効果があるのか知らんので、一応念のためだ、俺みたく変に強くなって復活されたら困るしな。
「さて――どういうワケか分からんが、チャンスだ」
すでにリングの絶対的な拘束は存在しない。
その上、コイツラが好き勝手に散々肉体改造を施したお陰で、ドラゴンだって殺せるほどの力を持っている。
さらに、人殺しの禁忌も、知らずとは言え既に犯してしまった俺だ、憎悪する理由に事欠かないこの白いマスク共を殺すのに一切の躊躇も無い。
ここで二人のマスクをあっさり殺害できたのだ、研究者程度が束でかかってきても俺を抑えることは不可能だろう。
自業自得、俺をそこまでの化物に仕立て上げたのは、他でもないコイツラ自身だ。
自由の身となった俺に、この場を脱するのを妨げるモノは、最早存在しない。
「行くぞっ!」
自分を奮い立たせるいつもの台詞を叫んで、俺は扉をぶち破った――
「――あれほど最終洗礼処置は注意して行えと言っただろうがっ!」
会議室に怒号が響く。
「し、しかし、拘束処置は規定の通り行い、完全に無力化できていたはずです」
「薬物耐性か回復力が予想以上のものであったというのか……」
「地震の影響で、洗礼処置の途中で強制的に中断されたことにより、意識を取り戻してしまったのでしょう」
「ならば警備兵の全てを動員してさっさと取り押さえんかっ!!」
そう叫んだ司祭だったが、膨大な黒色魔力を扱う49番を、それほど数の多くない警備兵だけで捕獲することは不可能だろうと薄々感づいていた。
「申し訳ございません猊下、事態は一刻を争います、速やかに避難を――」
「落ち着きたまえ司祭殿、枢機卿である私が何ゆえ護衛の一人も連れずに来たのか、分からないのかね?」
アルス自身、49番と呼ばれる実験体が制御不能となり、数々のモンスターを単独で屠るほど危険な力をもって暴れているのは理解できている。
しかしながら、‘その程度’の力では、全く動ずるに値はしない。
「し、しかし……」
大司祭はアルスの隣に佇むサリエルへ視線を向ける。
アルスがどういう意図を持っての発言か、すでに理解は出来ている。
「これは全て我々の不手際、サリエル卿のお手を煩わせるわけには――」
「いらぬ気を回すな、サリエル卿、この場を任せてよいかな?」
コクンと小さくサリエルは頷く。
「どうやら危険な相手らしい、生け捕りにする必要は無いだろう」
もう一度小さく頷いて、軽い足取りでサリエルは会議室を出て行く。中絶薬
「では行こうか、慌てる必要は無い、十分もすれば49番とやらの首を持ってサリエル卿は戻ってくるだろうからな」
2014年6月18日星期三
平穏の影
初火の月の13日、あの忌々しい使徒との遭遇から一週間が経過している。
私達は無事にスパーダへの入国を許され、現在は冒険者御用達の宿を借りて平穏な休日を送っている。
と言っても、ガラハド山脈を越えてスパーダ入りするまでには3日ほどかかっているし、到着したらしたで、ダイダロスの状況やアルザス防衛戦のことに関して報告したりなどで、それなりに慌しかった、何もせずにゆっくり休めるのは今日からだ。精力剤
報告の際には冒険者ギルドを通して行われ、特に問題なくスムーズに行われた。
軍に拘束され尋問という最悪の状況も予想していたものの、それは杞憂で済んでよかった、スパーダについて早々、加護全開で大暴れするのは出来るだけ避けたい。
ギルドといえば、そもそも私達の戦いは緊急クエストの受注という形で行われたものだ。
冒険者の生き残りは僅か四名、守るべき避難民にも全滅と呼べるほどの死者を出し、実質的にはクエスト失敗、大失敗である。
だが、向こうもそれなりに情状酌量してくれたのか、僅かばかりの褒賞金が支払われた。
別にお金のために戦ったわけではないけれど、クロノの苦労を思えばあまりに少なすぎる金額に、思わず妖精女王のお世話になるところだった。
兎にも角にも、こうして戦いの後始末は終わった。
得られるものは無かったが、私の望み通りクロノと無事にスパーダへ逃げることが出来たので、一安心。
しかしながら、あの錬金術師だけがちゃっかり生き残ってしまったのは予想外だった。
その他大勢に紛れて死んでいればいいものを、よりによってアイツが助かってしまうとは……全く、女の情念とは恐ろしいものだ、ランク4の腕前ともなれば、使徒を前にしても守り通すだけのパワーがあるのだから。
スース、彼女の思いは他でもない、私が一番良く分かっている為に、余計な事をしたと非難するつもりは無い、できない。
私も半分は妖精、純情可憐な恋心はとても好ましく思える、敬意を払っても良い。
だが、シモンが生き残って不愉快と思ってしまうのとは、話が別である。
あの軟弱を絵に書いたような男は、この私に初めて嫉妬を覚えさせたのだ、嫌いこそすれども好ましく思うはずが無い。
いや、この際私の瑣末な愚痴は置いておこう、さし当たって問題となっているのはそんな事ではないのだから。
最も重要な懸案事項、それはクロノの心情だ。
私にとって避難民がどれだけ犠牲になろうが、知ったことではない、その数なんて他人がプレイするボードゲームのスコアほどにも興味が無い。
共に戦った冒険者については、その活躍は評価するし、多少は好ましく思っていたが、それでも泣いて悲しむほどの事ではない、精々が優秀な駒を失って残念に思う程度のこと。
だが、心優しいクロノはそういうワケにはいかない、駒を失っただけと割り切ることなど出来ない。
イルズ村の一件で分かっていたが、クロノはとにかく誰かの犠牲を嫌う、それが例え自分の責任でなかったとしても、どうしようもなく嘆き、悲しみ、思い悩んでしまうのだ。
二度目の敗北、それもイルズ村の時とは比べ物にならないほどの被害を出した今回の戦いに、クロノは酷くショックを受けてしまっている。
このままでは拙い、今回ばかりはクロノの心も折れかかってしまっている、なんとか元気付けなければならない。
幸いにも、時間はある。
これからゆっくりと、クロノの傷ついた心を優しく慰めてあげればよいのだ、そう、他でもない、この私がね。
「……ふふふ」
「おやリリィさん、何か悪巧みですか?」
円形のテーブルを囲むように席へ付いているフィオナから声をかけられ、思考の海を泳いでいた意識を現実へと引き上げる。
「人聞きの悪い事、言わないでちょうだい」
「すみません、どう見ても悪い笑いだったので、つい」
歯に衣に着せるという事を知らない女だとつくづく思ってしまう。
だが、こんな事で一々苛立っていたらこの天然魔女と付き合ってはいけない、間の抜けた失礼な発言も、もう聞きなれたものだ。
「クロノさん、中々来ないですね」
素直にもう待ちきれませんと言えばいいのに、妙なところで律儀である。
すでに朝食が準備されたテーブルを前にお預けをくらうなんて、この食い意地の張った魔女にとっては拷問に等しいはず。
それでも文句を言わずに我慢するとは、不器用なりに努力しているということか。
「クロノは疲れているの、大人しく待っていなさい。
けれど、貴女はクロノと比べて随分と平気な顔をしているわね、血の通った人間なら、もう少し落ち込むものかと思ったのだけれど」
少しばかり意地の悪い質問。
フィオナは私と同じように、どうにもこの大きすぎる犠牲に対してショックを受けていないようである。
その事が、少しばかり気にかかる。
この女は、一体何をその胸のうちに秘めているのかしら?
「私の心など、リリィさんならテレパシーですぐ分かるのでは無いですか」
「それほど防御プロテクトをかけておいてよくもそんなことが言えるわね」
フィオナの本心、深層意識には、私の精神感応テレパシー能力では破れないほど堅い精神防壁マインド・プロテクトで守られている。媚薬
読み取れるのは表層意識のみ、隠すつもりの無い本心は表れるが、本気で悟られたくないと思っている秘密にまでは届かない。
「心に壁をつくるのは、魔女にとっては当たり前のことですから」
「だからこそこうして聞いているの、それで、どうなのよ?」
「どう、と言われましても……」
一見して変わらぬ無表情に見えるが、僅かばかり戸惑いの感情が心の表面に波立つのを感じた。
「……私も、ショックを受けていますよ、ただ、自分以上に落ち込んでいる人を目の前にすると、かえって冷静になってしまいます」
「なるほど、それは確かにそうかもね」
一般的な人の心理状態としては、納得のゆく回答である。
自分が怒ろうとした時、代わりに友人が激怒してくれたら、自分の怒りの矛先が収まってしまうのと似たような状況だ。
けれど、本当にそんな理由で納得できていたら、
「だから、今はクロノさんの方が、心配です」
そんな思い詰めた表情にはならないでしょう、フィオナ?
「そうね、私も心配しているの、早く元気付けてあげなくちゃね」
本心が読めない以上、これは予測の域を出ないが、フィオナは本当に今回の犠牲にショックを受けていないのだろう。
私と同じかといえば、そうではない、彼女は‘ショックを受けなかった’という事に対してショックを受けているのだ。
真っ当な人であるならば、クロノのように嘆き悲しむのが当然の反応、けれど、自分はそうならなかった、守るべき民が死んでも、共に戦った仲間が死んでも、それほど心は揺れなかった。
全く、中途半端にモラルを持っていると面倒なものね、どうして人は一番大切なモノを守る為に、その他全てを犠牲にすることを躊躇するのだろう。
彼らの感情、普通の感情というのは、理解は出来るが、私には永遠に納得できそうもないわね。
「あ、クロノさん来ましたよ」
少しだけ嬉しそうなフィオナの声、そんなに朝食が食べられるのが嬉しいのだろうか、いや、嬉しいのだろうなこの食いしん坊は。
「おはようございます、クロノさん」
「ああ、おはよう、悪いな、待っててくれたのか――」
フィオナと挨拶を交わして現れたクロノは、一見すると普段と変わらない様子。
ただ、あの戦いで失ったモノは、クロノの外見に大きな変化をもたらしてしまっている。
黒魔法使いとしてのトレードマークでもあった黒ローブ『悪魔の抱擁バフォメット・エンブレス』はその身に纏うことは無く、今は清潔な白いシャツと、ボロくなってしまった黒革のパンツ姿と、一般人とそう変わらぬラフな装い。
クロノの引き締まった鋼のような筋肉がついた逞しい肉体と、首から下げるアイアンプレートのギルドカードが無ければ、冒険者だとは分からないだろう。
だが一番目を惹くのは、クロノの左目を覆う眼帯。
第八使徒アイによる最後の攻撃で、クロノは左目を失ってしまった、今その眼窩にあるのは己の黒色魔力を固めた『肉体補填』の代用品、自前の義眼、勿論それに視力などは無い。
失った部位を復元する高度な治癒魔法は存在こそするものの、クロノは目を失ったことをそれほど気にしていないようで、今すぐどうにかしたいと思っているようではなさそうだった。
私としては、痛々しい包帯こそとれてはいるが、医療用の白い眼帯を装着したクロノの姿には、やはり傷ついた彼として認識してしまい、胸が張り裂けそうなほど悲しくなってしまう。
ごめんなさいクロノ、私が癒してあげられなくて、妖精の霊薬なんかじゃ、眼球を復元することはできない……悔いているのは、己の力不足だ。
「どうしたリリィ、もしかして体調でも悪いのか?」
「ううん、大丈夫だよ」
クロノの優しい気遣いの言葉に、私は穏やかな微笑を浮かべて返答する。
うん、私は大丈夫なの、大丈夫じゃないのは、クロノの方なんだよ。性欲剤
どうして、そんなに平気な顔でいられるの? 私はクロノの深い苦悩を知っている。
けれど、こうして日常生活を送っている間は、普段と変わらず、私を気遣い、微笑み、優しくしてくれる。
無理しなくてもいいのに、一日中部屋に、ベッドに篭って泣いて、喚いて、私に当たってもいいんだよ。
私がお世話してあげるから、面倒を見てあげるから。
だから、私を心配させない為に、平気なフリをするなんて止めて――でも、そんな無理を押してでも私のことを思ってくれるクロノの気持ちは、たまらなく心地よい、抗いがたい快楽となって、私の心を甘く苦しめる。
ダメなのに、元気付けるのは、慰めるのは私の役目なのに、クロノがそんな風だと、何もせずにただただ甘えていたくなってしまうのだ。
クロノの優しさに溺れるのはいけない、私は彼の役に立たなくちゃならない、だって私は、相棒パートナーなんだから、今は、まだ。
クロノ、リリィ、フィオナの冒険者パーティ『エレメントマスター』は、宿泊している『猫の尻尾亭』で、少し遅めの朝食をとっていた。
このスタッフ全員が猫獣人ワーキャットで構成されるユニークな宿は、宿泊施設としては中の下と低ランク冒険者向けであることに加え、入れ替わりの激しい外から流れてくる冒険者の利用が多く、クロノ達の身の丈にあった相応しい宿である。
豪華ではないが、量だけはある料理を食べながら、三人は特に決まっていない本日の予定を話し合う。
「今日はどうする? ギルドに行ってクエストでも見て来るか?」
表向きは平静を装っているクロノは、冒険者としてあるべき行動を考え、そんな提案をする。
「無理しなくてもいいんだよクロノ、もう少し休んでいても……」
幼い姿ながら、今は大人の意識を戻しているリリィは、クロノを気遣う発言。
「いや、大丈夫だ、それにお金もそこまで余裕があるわけじゃないしな」
緊急クエストの報奨金は、一人当たり10ゴールド、より正確に言うならスパーダの貨幣単位である10万クランが支払われた。
ダイダロスではシルバーとゴールドがそのまま単位だったが、スパーダを含むパンドラ大陸中部の都市国家群では『クラン』という通貨単位で流通している。
1クラン=1シルバーと分かりやすい、ちょっと頭の足りない冒険者でもすぐに理解できる通貨価値だ。
「30万クランあれば、生活するだけならしばらくやっていけるのではないですか?」
この宿は一泊3000クラン、単純計算で100日は滞在できる。
それなりに飲み食いその他に出費しても、少なくても一ヶ月以上は生活していけるだろうことは、クロノでもすぐ理解できた。
「そうね、貴女の食費が抑えられれば‘かなり長く’生活していける金額ね」
「私に死ねというのですかリリィさん」
フィオナの前にはクロノとリリィが消費した倍以上の皿がすでに重ねられている。
久しぶりにフィオナの本領発揮を見た気がしたのだった。
「生活費に全部使うわけにはいかないでしょう、私達は冒険者なんだし、そうね、色々と消費しちゃったから、今日は装備を整えるために買い物に行かない?」
料理を追加注文し、現在進行形で食費を圧迫しているフィオナを放っておいて、リリィはそんな提案をする。
「買い物か、確かに色々と……」
考えてみれば、クロノが一連の戦いで失ったモノはあまりに多すぎた。
愛用の黒ローブ『悪魔の抱擁バフォメット・エンブレス』に始まり、黒色魔力のみの扱いに長けた珍しいタクト『ブラックバリスタ・レプリカ』、魔剣ソードアーツ用の剣、各種ポーション、等等。
結局、手元に残っているのは、矢が貫通し穴が空いただけですんだ『呪怨鉈「腹裂」』とキプロスから鹵獲した『聖銀剣ミスリルソード』の二つのみ。
およそ戦いに必要な全ての装備は、綺麗サッパリ使いきって、もしくは壊れてしまったのだった。
「色々と、必要なモノが多いな、下手したら30万なんてすぐ飛んでしまう」
装備の破損が無い二人に対して、クロノは少々申し訳なく感じてしまう。
「別にいいわよ、30万くらいすぐに稼げるわ」
どうせ‘はした金’だ、とまではリリィは言わなかった。
「そうだな、頑張って稼がないとな」
クロノは、このまま何もしないでいることに、どこか焦りを覚えていた。
スパーダの軍事力に、国境線を守るガラハド山脈に構える難攻不落の要塞、十字軍が攻め込んできたとしても防衛できるほどの戦力があるという事は、数日前にスパーダ冒険者ギルドで事情説明した折に聞いた。女性用媚薬
しかし、ダイダロス軍の前例がある為、いくら大丈夫だと言われても不安は拭い去ることは出来ない。
だからと言って、一介の冒険者でしない自分に一体何ができるのか、その立場からやれることの限界も自ずと理解できてしまう。
ランク1と最低ランクな上に余所者の冒険者、そんな自分がスパーダ軍に対して注意を促すことなど不可能、戯言以上の対応がされないだろうことは明らか。
今回の緊急クエストの報告と、ダイダロス陥落の情報を得たスパーダの上層部が、十字軍に対する警戒を強めてくれることを祈る以外に出来ることは無い。
それが分かっているからこそ、クロノは何も言え無いし、リリィも十字軍の対策などすでに自分達の手を離れた事柄であると思い、忘れてしまったかのように話している。
しかしながら、クロノは十字軍の事を忘れることなど出来るはずも無いし、気にしないことも出来ない。
現実的に自分が出来ることと言えば、十字軍がスパーダへ攻め込んできた際に、冒険者として再び戦に参加することだけである。
それを思えば、十字軍との戦いに備えること、いや、より正確に言うならば、もう自分の無力を嘆かないよう‘強く’なっておくことが、自分の責務のようにクロノは思っていた。
「それじゃあ、今日は買い物に行こうか、早くこの街にも慣れておきたいし」
それでも、クロノは今すぐ悲哀も後悔も振り切って、己が強くなる為にアクティブな行動が出来るかと言えば、NOと言わざるを得ない。
人はそこまで単純なものではないのだから。
今はやはり、リリィが考える通り、クロノには休息が必要なのであった。
「うふふ、楽しみだな、私こんな大都会に来たのって初めてだから」
リリィは見た目相応の実に愛らしい笑顔をクロノに向ける。
「ああ、確かにスパーダは広い――」
「失礼します、お客様」
と、その時クロノの後ろから声がかけられる。
そこまで煩く騒いでいたわけではないのだが、と思いつつ振り替えると、そこに立っていたのはエプロン姿の小柄な猫獣人、格好といい発言といい、間違いなくこの宿の店員である。
「お客様、クロノ様、で間違いありませんね?」
「はい」
「お手紙が届いております、どうぞ」
ありがとうと礼を言いつつ、一体誰が自分に手紙などを寄越すのか、と疑問を感じながら書面を見ると、すぐに得心がいった。
「シモンからか」
シモンとはスパーダに到着してから、すぐに別行動となっている。
救助に現れた部隊の隊長である姉に連れられて、その後は忙しいのか会うことが出来ないでいた。
どうやって自分の居場所を特定したのか少々疑問に思うが、あの姉のようにスパーダのお偉いさんと関わりがあるなら、冒険者一人の消息くらい調べることは出来るのだろうと予想した。
「それで、シモンがどうしたの?」
「ん、ああ、えーっと……」
リリィに急かされる様に促され、クロノは書面に目を走らせる。
そこに書かれている内容を読み取ったクロノは、真剣な表情になって伝えた。中絶薬
「避難民の生き残りが、何処に居るのか分かった」
そう、とリリィは短く返事をすると同時に、今日の買い物が中止になったことを悟るのだった。
私達は無事にスパーダへの入国を許され、現在は冒険者御用達の宿を借りて平穏な休日を送っている。
と言っても、ガラハド山脈を越えてスパーダ入りするまでには3日ほどかかっているし、到着したらしたで、ダイダロスの状況やアルザス防衛戦のことに関して報告したりなどで、それなりに慌しかった、何もせずにゆっくり休めるのは今日からだ。精力剤
報告の際には冒険者ギルドを通して行われ、特に問題なくスムーズに行われた。
軍に拘束され尋問という最悪の状況も予想していたものの、それは杞憂で済んでよかった、スパーダについて早々、加護全開で大暴れするのは出来るだけ避けたい。
ギルドといえば、そもそも私達の戦いは緊急クエストの受注という形で行われたものだ。
冒険者の生き残りは僅か四名、守るべき避難民にも全滅と呼べるほどの死者を出し、実質的にはクエスト失敗、大失敗である。
だが、向こうもそれなりに情状酌量してくれたのか、僅かばかりの褒賞金が支払われた。
別にお金のために戦ったわけではないけれど、クロノの苦労を思えばあまりに少なすぎる金額に、思わず妖精女王のお世話になるところだった。
兎にも角にも、こうして戦いの後始末は終わった。
得られるものは無かったが、私の望み通りクロノと無事にスパーダへ逃げることが出来たので、一安心。
しかしながら、あの錬金術師だけがちゃっかり生き残ってしまったのは予想外だった。
その他大勢に紛れて死んでいればいいものを、よりによってアイツが助かってしまうとは……全く、女の情念とは恐ろしいものだ、ランク4の腕前ともなれば、使徒を前にしても守り通すだけのパワーがあるのだから。
スース、彼女の思いは他でもない、私が一番良く分かっている為に、余計な事をしたと非難するつもりは無い、できない。
私も半分は妖精、純情可憐な恋心はとても好ましく思える、敬意を払っても良い。
だが、シモンが生き残って不愉快と思ってしまうのとは、話が別である。
あの軟弱を絵に書いたような男は、この私に初めて嫉妬を覚えさせたのだ、嫌いこそすれども好ましく思うはずが無い。
いや、この際私の瑣末な愚痴は置いておこう、さし当たって問題となっているのはそんな事ではないのだから。
最も重要な懸案事項、それはクロノの心情だ。
私にとって避難民がどれだけ犠牲になろうが、知ったことではない、その数なんて他人がプレイするボードゲームのスコアほどにも興味が無い。
共に戦った冒険者については、その活躍は評価するし、多少は好ましく思っていたが、それでも泣いて悲しむほどの事ではない、精々が優秀な駒を失って残念に思う程度のこと。
だが、心優しいクロノはそういうワケにはいかない、駒を失っただけと割り切ることなど出来ない。
イルズ村の一件で分かっていたが、クロノはとにかく誰かの犠牲を嫌う、それが例え自分の責任でなかったとしても、どうしようもなく嘆き、悲しみ、思い悩んでしまうのだ。
二度目の敗北、それもイルズ村の時とは比べ物にならないほどの被害を出した今回の戦いに、クロノは酷くショックを受けてしまっている。
このままでは拙い、今回ばかりはクロノの心も折れかかってしまっている、なんとか元気付けなければならない。
幸いにも、時間はある。
これからゆっくりと、クロノの傷ついた心を優しく慰めてあげればよいのだ、そう、他でもない、この私がね。
「……ふふふ」
「おやリリィさん、何か悪巧みですか?」
円形のテーブルを囲むように席へ付いているフィオナから声をかけられ、思考の海を泳いでいた意識を現実へと引き上げる。
「人聞きの悪い事、言わないでちょうだい」
「すみません、どう見ても悪い笑いだったので、つい」
歯に衣に着せるという事を知らない女だとつくづく思ってしまう。
だが、こんな事で一々苛立っていたらこの天然魔女と付き合ってはいけない、間の抜けた失礼な発言も、もう聞きなれたものだ。
「クロノさん、中々来ないですね」
素直にもう待ちきれませんと言えばいいのに、妙なところで律儀である。
すでに朝食が準備されたテーブルを前にお預けをくらうなんて、この食い意地の張った魔女にとっては拷問に等しいはず。
それでも文句を言わずに我慢するとは、不器用なりに努力しているということか。
「クロノは疲れているの、大人しく待っていなさい。
けれど、貴女はクロノと比べて随分と平気な顔をしているわね、血の通った人間なら、もう少し落ち込むものかと思ったのだけれど」
少しばかり意地の悪い質問。
フィオナは私と同じように、どうにもこの大きすぎる犠牲に対してショックを受けていないようである。
その事が、少しばかり気にかかる。
この女は、一体何をその胸のうちに秘めているのかしら?
「私の心など、リリィさんならテレパシーですぐ分かるのでは無いですか」
「それほど防御プロテクトをかけておいてよくもそんなことが言えるわね」
フィオナの本心、深層意識には、私の精神感応テレパシー能力では破れないほど堅い精神防壁マインド・プロテクトで守られている。媚薬
読み取れるのは表層意識のみ、隠すつもりの無い本心は表れるが、本気で悟られたくないと思っている秘密にまでは届かない。
「心に壁をつくるのは、魔女にとっては当たり前のことですから」
「だからこそこうして聞いているの、それで、どうなのよ?」
「どう、と言われましても……」
一見して変わらぬ無表情に見えるが、僅かばかり戸惑いの感情が心の表面に波立つのを感じた。
「……私も、ショックを受けていますよ、ただ、自分以上に落ち込んでいる人を目の前にすると、かえって冷静になってしまいます」
「なるほど、それは確かにそうかもね」
一般的な人の心理状態としては、納得のゆく回答である。
自分が怒ろうとした時、代わりに友人が激怒してくれたら、自分の怒りの矛先が収まってしまうのと似たような状況だ。
けれど、本当にそんな理由で納得できていたら、
「だから、今はクロノさんの方が、心配です」
そんな思い詰めた表情にはならないでしょう、フィオナ?
「そうね、私も心配しているの、早く元気付けてあげなくちゃね」
本心が読めない以上、これは予測の域を出ないが、フィオナは本当に今回の犠牲にショックを受けていないのだろう。
私と同じかといえば、そうではない、彼女は‘ショックを受けなかった’という事に対してショックを受けているのだ。
真っ当な人であるならば、クロノのように嘆き悲しむのが当然の反応、けれど、自分はそうならなかった、守るべき民が死んでも、共に戦った仲間が死んでも、それほど心は揺れなかった。
全く、中途半端にモラルを持っていると面倒なものね、どうして人は一番大切なモノを守る為に、その他全てを犠牲にすることを躊躇するのだろう。
彼らの感情、普通の感情というのは、理解は出来るが、私には永遠に納得できそうもないわね。
「あ、クロノさん来ましたよ」
少しだけ嬉しそうなフィオナの声、そんなに朝食が食べられるのが嬉しいのだろうか、いや、嬉しいのだろうなこの食いしん坊は。
「おはようございます、クロノさん」
「ああ、おはよう、悪いな、待っててくれたのか――」
フィオナと挨拶を交わして現れたクロノは、一見すると普段と変わらない様子。
ただ、あの戦いで失ったモノは、クロノの外見に大きな変化をもたらしてしまっている。
黒魔法使いとしてのトレードマークでもあった黒ローブ『悪魔の抱擁バフォメット・エンブレス』はその身に纏うことは無く、今は清潔な白いシャツと、ボロくなってしまった黒革のパンツ姿と、一般人とそう変わらぬラフな装い。
クロノの引き締まった鋼のような筋肉がついた逞しい肉体と、首から下げるアイアンプレートのギルドカードが無ければ、冒険者だとは分からないだろう。
だが一番目を惹くのは、クロノの左目を覆う眼帯。
第八使徒アイによる最後の攻撃で、クロノは左目を失ってしまった、今その眼窩にあるのは己の黒色魔力を固めた『肉体補填』の代用品、自前の義眼、勿論それに視力などは無い。
失った部位を復元する高度な治癒魔法は存在こそするものの、クロノは目を失ったことをそれほど気にしていないようで、今すぐどうにかしたいと思っているようではなさそうだった。
私としては、痛々しい包帯こそとれてはいるが、医療用の白い眼帯を装着したクロノの姿には、やはり傷ついた彼として認識してしまい、胸が張り裂けそうなほど悲しくなってしまう。
ごめんなさいクロノ、私が癒してあげられなくて、妖精の霊薬なんかじゃ、眼球を復元することはできない……悔いているのは、己の力不足だ。
「どうしたリリィ、もしかして体調でも悪いのか?」
「ううん、大丈夫だよ」
クロノの優しい気遣いの言葉に、私は穏やかな微笑を浮かべて返答する。
うん、私は大丈夫なの、大丈夫じゃないのは、クロノの方なんだよ。性欲剤
どうして、そんなに平気な顔でいられるの? 私はクロノの深い苦悩を知っている。
けれど、こうして日常生活を送っている間は、普段と変わらず、私を気遣い、微笑み、優しくしてくれる。
無理しなくてもいいのに、一日中部屋に、ベッドに篭って泣いて、喚いて、私に当たってもいいんだよ。
私がお世話してあげるから、面倒を見てあげるから。
だから、私を心配させない為に、平気なフリをするなんて止めて――でも、そんな無理を押してでも私のことを思ってくれるクロノの気持ちは、たまらなく心地よい、抗いがたい快楽となって、私の心を甘く苦しめる。
ダメなのに、元気付けるのは、慰めるのは私の役目なのに、クロノがそんな風だと、何もせずにただただ甘えていたくなってしまうのだ。
クロノの優しさに溺れるのはいけない、私は彼の役に立たなくちゃならない、だって私は、相棒パートナーなんだから、今は、まだ。
クロノ、リリィ、フィオナの冒険者パーティ『エレメントマスター』は、宿泊している『猫の尻尾亭』で、少し遅めの朝食をとっていた。
このスタッフ全員が猫獣人ワーキャットで構成されるユニークな宿は、宿泊施設としては中の下と低ランク冒険者向けであることに加え、入れ替わりの激しい外から流れてくる冒険者の利用が多く、クロノ達の身の丈にあった相応しい宿である。
豪華ではないが、量だけはある料理を食べながら、三人は特に決まっていない本日の予定を話し合う。
「今日はどうする? ギルドに行ってクエストでも見て来るか?」
表向きは平静を装っているクロノは、冒険者としてあるべき行動を考え、そんな提案をする。
「無理しなくてもいいんだよクロノ、もう少し休んでいても……」
幼い姿ながら、今は大人の意識を戻しているリリィは、クロノを気遣う発言。
「いや、大丈夫だ、それにお金もそこまで余裕があるわけじゃないしな」
緊急クエストの報奨金は、一人当たり10ゴールド、より正確に言うならスパーダの貨幣単位である10万クランが支払われた。
ダイダロスではシルバーとゴールドがそのまま単位だったが、スパーダを含むパンドラ大陸中部の都市国家群では『クラン』という通貨単位で流通している。
1クラン=1シルバーと分かりやすい、ちょっと頭の足りない冒険者でもすぐに理解できる通貨価値だ。
「30万クランあれば、生活するだけならしばらくやっていけるのではないですか?」
この宿は一泊3000クラン、単純計算で100日は滞在できる。
それなりに飲み食いその他に出費しても、少なくても一ヶ月以上は生活していけるだろうことは、クロノでもすぐ理解できた。
「そうね、貴女の食費が抑えられれば‘かなり長く’生活していける金額ね」
「私に死ねというのですかリリィさん」
フィオナの前にはクロノとリリィが消費した倍以上の皿がすでに重ねられている。
久しぶりにフィオナの本領発揮を見た気がしたのだった。
「生活費に全部使うわけにはいかないでしょう、私達は冒険者なんだし、そうね、色々と消費しちゃったから、今日は装備を整えるために買い物に行かない?」
料理を追加注文し、現在進行形で食費を圧迫しているフィオナを放っておいて、リリィはそんな提案をする。
「買い物か、確かに色々と……」
考えてみれば、クロノが一連の戦いで失ったモノはあまりに多すぎた。
愛用の黒ローブ『悪魔の抱擁バフォメット・エンブレス』に始まり、黒色魔力のみの扱いに長けた珍しいタクト『ブラックバリスタ・レプリカ』、魔剣ソードアーツ用の剣、各種ポーション、等等。
結局、手元に残っているのは、矢が貫通し穴が空いただけですんだ『呪怨鉈「腹裂」』とキプロスから鹵獲した『聖銀剣ミスリルソード』の二つのみ。
およそ戦いに必要な全ての装備は、綺麗サッパリ使いきって、もしくは壊れてしまったのだった。
「色々と、必要なモノが多いな、下手したら30万なんてすぐ飛んでしまう」
装備の破損が無い二人に対して、クロノは少々申し訳なく感じてしまう。
「別にいいわよ、30万くらいすぐに稼げるわ」
どうせ‘はした金’だ、とまではリリィは言わなかった。
「そうだな、頑張って稼がないとな」
クロノは、このまま何もしないでいることに、どこか焦りを覚えていた。
スパーダの軍事力に、国境線を守るガラハド山脈に構える難攻不落の要塞、十字軍が攻め込んできたとしても防衛できるほどの戦力があるという事は、数日前にスパーダ冒険者ギルドで事情説明した折に聞いた。女性用媚薬
しかし、ダイダロス軍の前例がある為、いくら大丈夫だと言われても不安は拭い去ることは出来ない。
だからと言って、一介の冒険者でしない自分に一体何ができるのか、その立場からやれることの限界も自ずと理解できてしまう。
ランク1と最低ランクな上に余所者の冒険者、そんな自分がスパーダ軍に対して注意を促すことなど不可能、戯言以上の対応がされないだろうことは明らか。
今回の緊急クエストの報告と、ダイダロス陥落の情報を得たスパーダの上層部が、十字軍に対する警戒を強めてくれることを祈る以外に出来ることは無い。
それが分かっているからこそ、クロノは何も言え無いし、リリィも十字軍の対策などすでに自分達の手を離れた事柄であると思い、忘れてしまったかのように話している。
しかしながら、クロノは十字軍の事を忘れることなど出来るはずも無いし、気にしないことも出来ない。
現実的に自分が出来ることと言えば、十字軍がスパーダへ攻め込んできた際に、冒険者として再び戦に参加することだけである。
それを思えば、十字軍との戦いに備えること、いや、より正確に言うならば、もう自分の無力を嘆かないよう‘強く’なっておくことが、自分の責務のようにクロノは思っていた。
「それじゃあ、今日は買い物に行こうか、早くこの街にも慣れておきたいし」
それでも、クロノは今すぐ悲哀も後悔も振り切って、己が強くなる為にアクティブな行動が出来るかと言えば、NOと言わざるを得ない。
人はそこまで単純なものではないのだから。
今はやはり、リリィが考える通り、クロノには休息が必要なのであった。
「うふふ、楽しみだな、私こんな大都会に来たのって初めてだから」
リリィは見た目相応の実に愛らしい笑顔をクロノに向ける。
「ああ、確かにスパーダは広い――」
「失礼します、お客様」
と、その時クロノの後ろから声がかけられる。
そこまで煩く騒いでいたわけではないのだが、と思いつつ振り替えると、そこに立っていたのはエプロン姿の小柄な猫獣人、格好といい発言といい、間違いなくこの宿の店員である。
「お客様、クロノ様、で間違いありませんね?」
「はい」
「お手紙が届いております、どうぞ」
ありがとうと礼を言いつつ、一体誰が自分に手紙などを寄越すのか、と疑問を感じながら書面を見ると、すぐに得心がいった。
「シモンからか」
シモンとはスパーダに到着してから、すぐに別行動となっている。
救助に現れた部隊の隊長である姉に連れられて、その後は忙しいのか会うことが出来ないでいた。
どうやって自分の居場所を特定したのか少々疑問に思うが、あの姉のようにスパーダのお偉いさんと関わりがあるなら、冒険者一人の消息くらい調べることは出来るのだろうと予想した。
「それで、シモンがどうしたの?」
「ん、ああ、えーっと……」
リリィに急かされる様に促され、クロノは書面に目を走らせる。
そこに書かれている内容を読み取ったクロノは、真剣な表情になって伝えた。中絶薬
「避難民の生き残りが、何処に居るのか分かった」
そう、とリリィは短く返事をすると同時に、今日の買い物が中止になったことを悟るのだった。
2014年6月17日星期二
黒のランチタイム
果たして『腕力強化フォルス・ブースト』は発動した。
したのだが、
「まさか、効果時間が二秒で切れるとは……」
俺の腕力がラースプンもかくや、というほど爆発的に増大したのは、たったそれだけの時間。三体牛鞭
あれほど集中し、魔力をつぎ込んで発動させた魔法が、僅か二秒間の効果しかもたらさないというのは、あまりに費用対効果が悪い。
そういえば、フィオナも強化系の魔法は発動こそ出来ているが、魔力制御が苦手な所為で通常の倍くらい消費していると聞いた事がある。
攻撃魔法と違って、魔力さえあれば強化ブースト効果に反映されるということはなく、本当にただのロスとなってしまう。
だからこそフィオナは攻撃魔法特化が本来のスタイルで、それでも得意じゃない強化魔法を使うのはパーティ内に使い手がいないからだ。
今更ながらフィオナの苦労が忍ばれる。ごめん、帰ったら俺、きっと寿司と天ぷらをご馳走するよ……
ともかく、今の俺もそれと同じで、しかも最低限実戦に耐えうるレベルにも無いということだ。
「はぁ、まだまだ改良は必要ってことか」
けど、これで一つ目の壁は越えたわけだ。
きっと他の冒険者もこうやって、加護の力をより強いレベルで使えるようになっていく
のだろう。
だから、ここは一歩前進できたことを、素直に喜ぼう。
「ありがとうございます。ネルさんのお陰で発動のコツ、掴めましたよ」
「いえ、お役に立てたようで、なによりです」
と、正しく天使の微笑みを見せてくれるネルさんの額には、玉の様な汗が浮かんでいる。
テレパシーで通じながら、間接的に『腕力強化フォルス・ブースト』を発動させたのは彼女だ。恐らく、暴発気味だった魔力の余波に巻き込まれて消耗してしまったのだろう。
「すみません、体は大丈夫ですか?」
「ちょっと疲れましたけど、全然大丈夫ですよ!」
朗らかに応えるネルさんの笑顔に、どこまでも癒される気分になれる。
この癒されレベルは幼女リリィの笑顔に匹敵するぜ、恐るべしアヴァロンのお姫様。
そんな風に内心で和んでいると、
キュウゥー
と、可愛い小動物が鳴くような甲高い音が響いた。
発信源は、目の前で笑顔を浮かべるネルさん、その腹部。
「あっ、す、すみませんっ!」
次の瞬間、彼女の頬にはさっと朱が差して、この空腹を訴える生理現象を恥らった。
「いや、その――もうお昼時ですから、おなかが空くのは当たり前ですよ」
あはは、なんて適当な返事をしつつ、赤面するお姫様の可愛らしさに僅かばかり鼓動が高鳴る。
なんというか、恥らう女の子って破壊力抜群だな。ちょっと腹の虫が鳴いただけでこれだけのリアクションとは。
豪快に腹を鳴らして、
「お腹が空きましたねクロノさん」
と、何故か誇らしげに言い放つどこぞの魔女にも見習って欲しいところである。
さて、そんなことよりも、自分で言ったようにそろそろランチタイムを迎えるだろうし、腹の音について突っ込みすぎるとネルさんが泣き出してしまう可能性もあるので、ここは何事も無かったかのように、昼食の話題を続けるべきである。
「それじゃあ、俺は昼食の準備をしますけど、ネルさんはどうします?」
「あっ、そ、そうですね、私、いつも昼食は学食を利用しているんですけど――」
なるほど、学食で再会したのは偶然ではなく必然だったという事か。
てっきり、例に倣って今日も学食で、と言うのかと思ったが、
「私、今日はお料理します!」
「あ、そうですか。頑張ってください」
「あの、そうじゃなくて、クロノさんのお昼ご飯を、私が作ります!」
それは一体どういう論理の飛躍だろうか。
この流れからいって、一緒に昼食をとることになるかもしれないとは予想できたが、まさかネルさんが手料理を振舞うなんて言い出すとは。
「いや、そんな、いいですよ。そこまでしてもらうのは何だか悪いですし――」
「あっ、すみません……迷惑だったでしょうか?」男宝
うわ、そこであからさまに悲しげな表情をするのは反則だろう。シュン、っていう擬音語エフェクトが目に見えるほどだ。
この顔をされて断れる男はそうそういないだろう、というか、ネルさんの申し出は冗談でも社交辞令でもなく、心からのものであると捉えても良いだろう。
「迷惑だなんてとんでもないです、是非ネルさんの手料理は食べてみたいですよ」
「まぁ、本当ですか! それじゃあ、私、頑張って作りますね!!」
そうして、ネルさんはもう何度目かになる頼みごとを引き受けてヤル気をみなぎらせる表情を見せた。
しかし、思わぬところで女の子の手料理が食べられる機会が廻ってくるなんて、なんだか今日はツイてるな。
と、浮かれていた時も、今は昔の話。
「はいクロノさん、遠慮せずにお召し上がり下さい!」
ニコニコ笑顔でネルさんに差し出されたのは、異臭を放つ真っ黒い不気味な‘何か’を挟んだサンドイッチ。
俺の強化された視覚と嗅覚と第六感がバリバリに警戒感を発している。今、目の前に出されているのは危険物であると。
本能がコレの威力を最も鋭敏に感じ取れる味覚に触れないよう、全力で拒絶の意思を発するが、
「さぁ、どうぞ!」
理性でねじ伏せる。
直感的にヤバいと分かっても、流石に一口も食べずにいるのは礼に失するというものだろう。相手が自分の為に腕を振るってくれたならば、尚更である。
しかし、どういう意思を篭めて腕を振るえば、あのマトモな食材達がかくも怪しい物体へ変質すると言うのだろうか。俺が黒化をかけたとしても、もうちょっとマシな見た目になってくれるはずだ。
だってコレ、どうみても炭化してる。フィオナの炎にやられたモンスターの死骸と全く同じ質感である。
それに一体ナニを加えたというのだろうか、甘いような酸っぱいような腐っているような、えもいわれぬ刺激臭が漂ってくる。
そんなモノを、ここだけは手の加えようが無かったといわんばかりに、買い置きしていたごく普通の白パンでサンドしているのだ。
バンズの部分だけはマトモなので、嫌でもコレが一つの料理であることを認識させられる。
ネルさんが料理と生ゴミを取り違えたという可能性は、万に一つもありえない。
サンドイッチ、この誰でも簡単お手軽に作れる料理ともいえない料理を、彼女はどうやってか死を覚悟させるほどの危険物に仕上げてしまったのだ。
「あの、食べないんですか?」
大人しくラウンジの食卓についている俺が、もう目の前に手料理を出されているにも関わらず一向に手をつけないのを心底疑問に思っているような口調で、プレッシャーをかけられる。
彼女のブルーの瞳はどこまでも澄んでいて、そこには一点の曇りも無い。
どうやら俺を嵌めようとしているワケでも、一般庶民には理解できないロイヤルジョークであるというワケでもなさそうだ。
ネルさんはただ純粋に、俺へ手料理を振舞ってくれた、ただ、それだけのことなのである。
「あ、あの、クロノさん?」
限界だった。
俺がこうして暗黒物質ダークマターが挟まったサンドイッチと冷や汗を流しながらにらめっこしている時間も、もう終わりにしなければならない。
「ネルさん、いただきます」
覚悟を決める、恐らく、切腹に望む武士もこんな気持ちだったに違い無い。
俺は腹部を捌く刃の代わりに、内側から胃袋を破壊してくれるだろう暗黒サンドイッチを手に取る。
ええい、ままよっ! 俺は大口をあけてモノにかぶりつく――
「――クロノさん?」
「はっ、夢か……」
やべぇ、今ちょっと意識飛んでたよ。
いやぁ、それにしても恐ろしい夢を見たもんだ、あの天使のようなネルさんが毒殺する気としか思えない劇物を食卓に乗せるなんて、そんなことするはずがないだろう。
「サンドイッチを食べたら急にボーっとして、どうしたんですか?」男根増長素
ああ、それはきっとネルさんが作ってくれたサンドイッチがあまりに美味しかったから意識が飛んじゃったに違いない。
そう、このアヴァロンのお姫様お手製の暗黒物質ダークマターサンドを。
「あ、あれ……」
いや待て、そんな馬鹿な、暗黒物質ダークマターサンドってなんだよ。これじゃあまるで、ついさっきまで見ていた夢が事実だったみたいじゃないか――と突っ込みたいのはやまやまだが、現物を目にすれば、否応なく事実は受け入れなければならないのだろう。
そう、つまり、俺の前には異臭を放つ黒い物体を挟み込んだサンドイッチが魔王の如き威圧感を持って皿の上にどっかりと鎮座しているのだ。
しかも、一体どこの勇者が一太刀浴びせたと言うのだろうか、一口だけ齧った跡がある。
そうか、俺、勇者だったのか。
「ふふ、もしかして、気絶しちゃうくらい美味しかったですか?」
彼女の可愛らしい物言いは、半分以上俺の頭に入ってこなかった。
これで本当に美味しかったら、いや、せめて可もなく不可もない無難な味であったなら、この見解に肯定意見を示すのもやぶさかでは無い。
だが、今この状況においてそんな事を言われても、流石に、
「さぁクロノさん、おかわりも沢山ありますから、いっぱい食べてくださいね」
いや、それ無理、マジで無理、絶対無理、死ぬ、これ完全に詰んだ。
「……ネルさん、ちょっと真面目な相談があるんですが、聞いてくれませんか」
俺は死刑宣告よりも残酷な真実を耳にした所為で、安易な現実逃避はやめて生き残るために全力を尽くすことに決めた。
そう、どんな卑劣な手段を用いても、俺は生きる、生き残ってやる。
「え、はい、なんでしょうか?」
俺は覚悟を決める、この天使のように優しく美しいお姫様を泣かせてしまうかもしれないことを。
「このサンドイッチ不味いです」
「ごめんなさい」
誠心誠意、謝罪の言葉を述べるのは、俺では無くネルさんである。
いや、俺としても一言謝るべきであろう。
魔法の練習に付き合ってもらった上に、料理までご馳走になったのだ。ここまで相手の善意を受けておきながら謝らせるとはどんな鬼畜の所業であろうか。
だが、モノには限度というものがある。俺は良心の呵責に苛みながらも、あえて悪鬼羅刹と化す修羅の道を行くことに決めたのだ。
つまり、料理が不味いと素直に申告した。
まぁ、そこから一悶着あったのだが、ネルさんが実際に暗黒サンドイッチを食したとこで、俺の訴えの正当性は認められることと相成った。
「本当にごめんなさい……私、こんなに料理が下手だったなんて……」
ネルさんの言い訳は少々不思議なニュアンスに感じるが、
「まぁ、誰も指摘してくれなかったんじゃしょうがないんじゃないですか」
どうやら、不敬にもアヴァロンのお姫様の手料理が不味いでござると諫言を述べたのは、俺が史上初であるらしい。
この衝撃的な事実を涙ながらに受け止めてくれたネルさんの態度を見れば、今すぐ極刑に処される事はなさそうで、一安心だ。
「いつもみんなが残さず食べてくれるから、とても美味しくできていると勘違いしちゃっていたんですね……うふふ、馬鹿みたいですね、私」
白皙の美貌を悲嘆にくれさせるネルさん、この表情を見れば世の男共はどんな手を尽くしてでも笑顔にさせてあげたいと思えるほどの儚さ。V26Ⅳ美白美肌速効
だが、俺としてはこれまで彼女の料理を不味いと思わせないよう完食してきた英雄たちにこそ、敬意を表したい。
特に、このスパーダにおいてネルさんが手料理を振舞うというバイオテロを未然に防いでくれたのは、兄貴のネロをはじめとした『ウイングロード』のメンバーであるらしい。
今の俺は心から彼らが名実共にランク5の冒険者パーティだと認められるね、素直に尊敬できる。
だが、彼らの涙ぐましい努力も今、俺の手によって水泡に帰してしまった。
この残酷な現実をネルさんに知られまいとする彼らの心遣いは分かる。だがしかし、いずれ彼女も真実を知る日が来たことだろう。
そう思えば、他の誰でも無く、ただの冒険者である俺がリスクを省みず指摘することが出来たのは、かえって僥倖だったかもしれない。
ネルさんがどうであれ、アヴァロン国民だったら不敬罪に処されるかもしれないのだから。
しかし、自分の行いを正当化することに没頭するのもそろそろ限界である、なぜならば、
「こんな汚物を喜んでみんなに食べさせていたなんて……人として終わってますね……ふふ、終了……」
ネルさんがショックのあまり、ヤバい方向に自己嫌悪が全力疾走してしまっている。
このまま放っておくとリストカットくらいならしちゃうんじゃないかなという雰囲気だ。
心なしか、その青空のように澄んでいる瞳も暗雲が立ち込めているかのようにどこか曇って見える。
そんな今の彼女を一人にしてはまずい。ここは責任をとって、俺が何とか上手いフォローをしなければ。
だが、何と言うべきか。
食べられないほど酷くはないですよ? いや無理だ、コレはもう完全無欠に食物の概念を逸脱した物体になってしまっている。
じゃあクロノさん食べてくださいよ、と返されれば、俺は全力でNOと言わざるを得ない。
ちくしょう、どう頑張ってもこのサンドイッチのフォローは不可能だ……いや、待てよ、そうか、これはもう完全にスルーしてしまえば良いのだ。
「ネルさん、人は誰でも最初から料理が上手なわけじゃありません」
まぁ、料理未経験者の全てがこんな毒物を練成できるかどうかと言われれば、否であるが。
「今は料理が下手でも、これから上手くなっていけばいいじゃないですか!」
ようするに、今の惨状は忘れて、明るい未来を見よう! というテーマだ。
「でも私、小さい頃からお料理は嗜んできたつもりだったんですけど、こんなに酷いんじゃ、もう頑張ってもダメですよ……」
「ダメじゃないですよ、今まではちょっとやり方が間違っていただけで、また一から学びなおせばいいじゃないですか!」
「け、けどぉ――」
「出来る、出来る、絶対出来る! 頑張れもっとやれるって! 頑張れば絶対料理上手くなる! みんなに美味しい料理食べさせてあげよう!!」
畳み掛けるようにポジティブな言葉攻めをフルバーストする。
ここで退いたら後は無い、頑張れ俺、やればできるって!
「そ、そうですよね……私、今度こそお料理が上手に作れるよう頑張りますっ!」
よし、俺の熱い思いに応え、ネルさんは見事に持ち直してくれたぞ。曇っていた瞳も今や見違えんばかりに希望の光に満ちているような気がする。
「ところでネルさん、今までは誰から料理を習っていたんですか?」
「え? 我流ですけど?」
なるほど、それが諸悪の根源だったか……V26Ⅲ速效ダイエット
したのだが、
「まさか、効果時間が二秒で切れるとは……」
俺の腕力がラースプンもかくや、というほど爆発的に増大したのは、たったそれだけの時間。三体牛鞭
あれほど集中し、魔力をつぎ込んで発動させた魔法が、僅か二秒間の効果しかもたらさないというのは、あまりに費用対効果が悪い。
そういえば、フィオナも強化系の魔法は発動こそ出来ているが、魔力制御が苦手な所為で通常の倍くらい消費していると聞いた事がある。
攻撃魔法と違って、魔力さえあれば強化ブースト効果に反映されるということはなく、本当にただのロスとなってしまう。
だからこそフィオナは攻撃魔法特化が本来のスタイルで、それでも得意じゃない強化魔法を使うのはパーティ内に使い手がいないからだ。
今更ながらフィオナの苦労が忍ばれる。ごめん、帰ったら俺、きっと寿司と天ぷらをご馳走するよ……
ともかく、今の俺もそれと同じで、しかも最低限実戦に耐えうるレベルにも無いということだ。
「はぁ、まだまだ改良は必要ってことか」
けど、これで一つ目の壁は越えたわけだ。
きっと他の冒険者もこうやって、加護の力をより強いレベルで使えるようになっていく
のだろう。
だから、ここは一歩前進できたことを、素直に喜ぼう。
「ありがとうございます。ネルさんのお陰で発動のコツ、掴めましたよ」
「いえ、お役に立てたようで、なによりです」
と、正しく天使の微笑みを見せてくれるネルさんの額には、玉の様な汗が浮かんでいる。
テレパシーで通じながら、間接的に『腕力強化フォルス・ブースト』を発動させたのは彼女だ。恐らく、暴発気味だった魔力の余波に巻き込まれて消耗してしまったのだろう。
「すみません、体は大丈夫ですか?」
「ちょっと疲れましたけど、全然大丈夫ですよ!」
朗らかに応えるネルさんの笑顔に、どこまでも癒される気分になれる。
この癒されレベルは幼女リリィの笑顔に匹敵するぜ、恐るべしアヴァロンのお姫様。
そんな風に内心で和んでいると、
キュウゥー
と、可愛い小動物が鳴くような甲高い音が響いた。
発信源は、目の前で笑顔を浮かべるネルさん、その腹部。
「あっ、す、すみませんっ!」
次の瞬間、彼女の頬にはさっと朱が差して、この空腹を訴える生理現象を恥らった。
「いや、その――もうお昼時ですから、おなかが空くのは当たり前ですよ」
あはは、なんて適当な返事をしつつ、赤面するお姫様の可愛らしさに僅かばかり鼓動が高鳴る。
なんというか、恥らう女の子って破壊力抜群だな。ちょっと腹の虫が鳴いただけでこれだけのリアクションとは。
豪快に腹を鳴らして、
「お腹が空きましたねクロノさん」
と、何故か誇らしげに言い放つどこぞの魔女にも見習って欲しいところである。
さて、そんなことよりも、自分で言ったようにそろそろランチタイムを迎えるだろうし、腹の音について突っ込みすぎるとネルさんが泣き出してしまう可能性もあるので、ここは何事も無かったかのように、昼食の話題を続けるべきである。
「それじゃあ、俺は昼食の準備をしますけど、ネルさんはどうします?」
「あっ、そ、そうですね、私、いつも昼食は学食を利用しているんですけど――」
なるほど、学食で再会したのは偶然ではなく必然だったという事か。
てっきり、例に倣って今日も学食で、と言うのかと思ったが、
「私、今日はお料理します!」
「あ、そうですか。頑張ってください」
「あの、そうじゃなくて、クロノさんのお昼ご飯を、私が作ります!」
それは一体どういう論理の飛躍だろうか。
この流れからいって、一緒に昼食をとることになるかもしれないとは予想できたが、まさかネルさんが手料理を振舞うなんて言い出すとは。
「いや、そんな、いいですよ。そこまでしてもらうのは何だか悪いですし――」
「あっ、すみません……迷惑だったでしょうか?」男宝
うわ、そこであからさまに悲しげな表情をするのは反則だろう。シュン、っていう擬音語エフェクトが目に見えるほどだ。
この顔をされて断れる男はそうそういないだろう、というか、ネルさんの申し出は冗談でも社交辞令でもなく、心からのものであると捉えても良いだろう。
「迷惑だなんてとんでもないです、是非ネルさんの手料理は食べてみたいですよ」
「まぁ、本当ですか! それじゃあ、私、頑張って作りますね!!」
そうして、ネルさんはもう何度目かになる頼みごとを引き受けてヤル気をみなぎらせる表情を見せた。
しかし、思わぬところで女の子の手料理が食べられる機会が廻ってくるなんて、なんだか今日はツイてるな。
と、浮かれていた時も、今は昔の話。
「はいクロノさん、遠慮せずにお召し上がり下さい!」
ニコニコ笑顔でネルさんに差し出されたのは、異臭を放つ真っ黒い不気味な‘何か’を挟んだサンドイッチ。
俺の強化された視覚と嗅覚と第六感がバリバリに警戒感を発している。今、目の前に出されているのは危険物であると。
本能がコレの威力を最も鋭敏に感じ取れる味覚に触れないよう、全力で拒絶の意思を発するが、
「さぁ、どうぞ!」
理性でねじ伏せる。
直感的にヤバいと分かっても、流石に一口も食べずにいるのは礼に失するというものだろう。相手が自分の為に腕を振るってくれたならば、尚更である。
しかし、どういう意思を篭めて腕を振るえば、あのマトモな食材達がかくも怪しい物体へ変質すると言うのだろうか。俺が黒化をかけたとしても、もうちょっとマシな見た目になってくれるはずだ。
だってコレ、どうみても炭化してる。フィオナの炎にやられたモンスターの死骸と全く同じ質感である。
それに一体ナニを加えたというのだろうか、甘いような酸っぱいような腐っているような、えもいわれぬ刺激臭が漂ってくる。
そんなモノを、ここだけは手の加えようが無かったといわんばかりに、買い置きしていたごく普通の白パンでサンドしているのだ。
バンズの部分だけはマトモなので、嫌でもコレが一つの料理であることを認識させられる。
ネルさんが料理と生ゴミを取り違えたという可能性は、万に一つもありえない。
サンドイッチ、この誰でも簡単お手軽に作れる料理ともいえない料理を、彼女はどうやってか死を覚悟させるほどの危険物に仕上げてしまったのだ。
「あの、食べないんですか?」
大人しくラウンジの食卓についている俺が、もう目の前に手料理を出されているにも関わらず一向に手をつけないのを心底疑問に思っているような口調で、プレッシャーをかけられる。
彼女のブルーの瞳はどこまでも澄んでいて、そこには一点の曇りも無い。
どうやら俺を嵌めようとしているワケでも、一般庶民には理解できないロイヤルジョークであるというワケでもなさそうだ。
ネルさんはただ純粋に、俺へ手料理を振舞ってくれた、ただ、それだけのことなのである。
「あ、あの、クロノさん?」
限界だった。
俺がこうして暗黒物質ダークマターが挟まったサンドイッチと冷や汗を流しながらにらめっこしている時間も、もう終わりにしなければならない。
「ネルさん、いただきます」
覚悟を決める、恐らく、切腹に望む武士もこんな気持ちだったに違い無い。
俺は腹部を捌く刃の代わりに、内側から胃袋を破壊してくれるだろう暗黒サンドイッチを手に取る。
ええい、ままよっ! 俺は大口をあけてモノにかぶりつく――
「――クロノさん?」
「はっ、夢か……」
やべぇ、今ちょっと意識飛んでたよ。
いやぁ、それにしても恐ろしい夢を見たもんだ、あの天使のようなネルさんが毒殺する気としか思えない劇物を食卓に乗せるなんて、そんなことするはずがないだろう。
「サンドイッチを食べたら急にボーっとして、どうしたんですか?」男根増長素
ああ、それはきっとネルさんが作ってくれたサンドイッチがあまりに美味しかったから意識が飛んじゃったに違いない。
そう、このアヴァロンのお姫様お手製の暗黒物質ダークマターサンドを。
「あ、あれ……」
いや待て、そんな馬鹿な、暗黒物質ダークマターサンドってなんだよ。これじゃあまるで、ついさっきまで見ていた夢が事実だったみたいじゃないか――と突っ込みたいのはやまやまだが、現物を目にすれば、否応なく事実は受け入れなければならないのだろう。
そう、つまり、俺の前には異臭を放つ黒い物体を挟み込んだサンドイッチが魔王の如き威圧感を持って皿の上にどっかりと鎮座しているのだ。
しかも、一体どこの勇者が一太刀浴びせたと言うのだろうか、一口だけ齧った跡がある。
そうか、俺、勇者だったのか。
「ふふ、もしかして、気絶しちゃうくらい美味しかったですか?」
彼女の可愛らしい物言いは、半分以上俺の頭に入ってこなかった。
これで本当に美味しかったら、いや、せめて可もなく不可もない無難な味であったなら、この見解に肯定意見を示すのもやぶさかでは無い。
だが、今この状況においてそんな事を言われても、流石に、
「さぁクロノさん、おかわりも沢山ありますから、いっぱい食べてくださいね」
いや、それ無理、マジで無理、絶対無理、死ぬ、これ完全に詰んだ。
「……ネルさん、ちょっと真面目な相談があるんですが、聞いてくれませんか」
俺は死刑宣告よりも残酷な真実を耳にした所為で、安易な現実逃避はやめて生き残るために全力を尽くすことに決めた。
そう、どんな卑劣な手段を用いても、俺は生きる、生き残ってやる。
「え、はい、なんでしょうか?」
俺は覚悟を決める、この天使のように優しく美しいお姫様を泣かせてしまうかもしれないことを。
「このサンドイッチ不味いです」
「ごめんなさい」
誠心誠意、謝罪の言葉を述べるのは、俺では無くネルさんである。
いや、俺としても一言謝るべきであろう。
魔法の練習に付き合ってもらった上に、料理までご馳走になったのだ。ここまで相手の善意を受けておきながら謝らせるとはどんな鬼畜の所業であろうか。
だが、モノには限度というものがある。俺は良心の呵責に苛みながらも、あえて悪鬼羅刹と化す修羅の道を行くことに決めたのだ。
つまり、料理が不味いと素直に申告した。
まぁ、そこから一悶着あったのだが、ネルさんが実際に暗黒サンドイッチを食したとこで、俺の訴えの正当性は認められることと相成った。
「本当にごめんなさい……私、こんなに料理が下手だったなんて……」
ネルさんの言い訳は少々不思議なニュアンスに感じるが、
「まぁ、誰も指摘してくれなかったんじゃしょうがないんじゃないですか」
どうやら、不敬にもアヴァロンのお姫様の手料理が不味いでござると諫言を述べたのは、俺が史上初であるらしい。
この衝撃的な事実を涙ながらに受け止めてくれたネルさんの態度を見れば、今すぐ極刑に処される事はなさそうで、一安心だ。
「いつもみんなが残さず食べてくれるから、とても美味しくできていると勘違いしちゃっていたんですね……うふふ、馬鹿みたいですね、私」
白皙の美貌を悲嘆にくれさせるネルさん、この表情を見れば世の男共はどんな手を尽くしてでも笑顔にさせてあげたいと思えるほどの儚さ。V26Ⅳ美白美肌速効
だが、俺としてはこれまで彼女の料理を不味いと思わせないよう完食してきた英雄たちにこそ、敬意を表したい。
特に、このスパーダにおいてネルさんが手料理を振舞うというバイオテロを未然に防いでくれたのは、兄貴のネロをはじめとした『ウイングロード』のメンバーであるらしい。
今の俺は心から彼らが名実共にランク5の冒険者パーティだと認められるね、素直に尊敬できる。
だが、彼らの涙ぐましい努力も今、俺の手によって水泡に帰してしまった。
この残酷な現実をネルさんに知られまいとする彼らの心遣いは分かる。だがしかし、いずれ彼女も真実を知る日が来たことだろう。
そう思えば、他の誰でも無く、ただの冒険者である俺がリスクを省みず指摘することが出来たのは、かえって僥倖だったかもしれない。
ネルさんがどうであれ、アヴァロン国民だったら不敬罪に処されるかもしれないのだから。
しかし、自分の行いを正当化することに没頭するのもそろそろ限界である、なぜならば、
「こんな汚物を喜んでみんなに食べさせていたなんて……人として終わってますね……ふふ、終了……」
ネルさんがショックのあまり、ヤバい方向に自己嫌悪が全力疾走してしまっている。
このまま放っておくとリストカットくらいならしちゃうんじゃないかなという雰囲気だ。
心なしか、その青空のように澄んでいる瞳も暗雲が立ち込めているかのようにどこか曇って見える。
そんな今の彼女を一人にしてはまずい。ここは責任をとって、俺が何とか上手いフォローをしなければ。
だが、何と言うべきか。
食べられないほど酷くはないですよ? いや無理だ、コレはもう完全無欠に食物の概念を逸脱した物体になってしまっている。
じゃあクロノさん食べてくださいよ、と返されれば、俺は全力でNOと言わざるを得ない。
ちくしょう、どう頑張ってもこのサンドイッチのフォローは不可能だ……いや、待てよ、そうか、これはもう完全にスルーしてしまえば良いのだ。
「ネルさん、人は誰でも最初から料理が上手なわけじゃありません」
まぁ、料理未経験者の全てがこんな毒物を練成できるかどうかと言われれば、否であるが。
「今は料理が下手でも、これから上手くなっていけばいいじゃないですか!」
ようするに、今の惨状は忘れて、明るい未来を見よう! というテーマだ。
「でも私、小さい頃からお料理は嗜んできたつもりだったんですけど、こんなに酷いんじゃ、もう頑張ってもダメですよ……」
「ダメじゃないですよ、今まではちょっとやり方が間違っていただけで、また一から学びなおせばいいじゃないですか!」
「け、けどぉ――」
「出来る、出来る、絶対出来る! 頑張れもっとやれるって! 頑張れば絶対料理上手くなる! みんなに美味しい料理食べさせてあげよう!!」
畳み掛けるようにポジティブな言葉攻めをフルバーストする。
ここで退いたら後は無い、頑張れ俺、やればできるって!
「そ、そうですよね……私、今度こそお料理が上手に作れるよう頑張りますっ!」
よし、俺の熱い思いに応え、ネルさんは見事に持ち直してくれたぞ。曇っていた瞳も今や見違えんばかりに希望の光に満ちているような気がする。
「ところでネルさん、今までは誰から料理を習っていたんですか?」
「え? 我流ですけど?」
なるほど、それが諸悪の根源だったか……V26Ⅲ速效ダイエット
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