翌日、ギルド。大部屋に全員が集合してまずは戦利品の分配である。ドレウィンとティリカちゃんも立ち会っている。アイテムから順番に獲物を出し、確認していく。だいたいの獲物は宵闇か暁が倒しているので、手間がかかったのはオークくらいだ。ギルドカードを照会して、配分を決めていく。分配された獲物はどんどん運び出され換金されていくんだろう。新一粒神
次はドラゴンの分配会議である。誰がどのくらい活躍したか?配分をどうするか、決めなければいけない。とりあえず輸送分で一割は確定しているし、戦闘面でも活躍したことだし、これは期待してもいいだろう。
まずはドラゴンとの戦闘について詳細に語られる。何人もの証言により、事細かに記録されていく。次はその記録を元に、分配会議だ。やはり活躍した順はおれとエリザベス、暁、アリブール、ヘルヴォーンの順だ。どの部分がどの程度の比率なのか?激論が戦わされる。おれは気配を殺して黙って聞いていた。退屈だ。もう適当でいいので帰ってもいいだろうか。家を探しに行きたい。だが、真剣に議論している冒険者たちにそんなことは言えるはずもなく、踊る会議を眺めるのみ。ティリカちゃんも会議室の端のほうで、無表情で会議を聞いている。こういう会議、あとで揉めるといけないので真偽官は歓迎される。嘘とか言うとすぐばれちゃうからね。
ようやく各人の満足の行く結果がでたようだ。それを元に、報酬を計算していく。まずは依頼報酬200ゴルド×5日分で1000。荷物の輸送報酬の1割が、3280。ドラゴン討伐参加に対する報酬が2000。オークの討伐報酬が50×9匹で450と素材で1200。で、最後にドラゴン討伐成功の報酬で30000。合計37930ゴルド。これにさらに後日、ドラゴンを売った値段が加算される。
命がけではあったが、魔法一発当てただけで3万ゴルドである。思ったよりいい報酬に喜んでいたら、これくらいが妥当なんだそうだ。
もし町にあのドラゴンがやってきたら?被害は10人や20人じゃ済まないだろう。建物の被害がどれほどになるか予想もできない。事前に察知できて退治できたのは運がよかった。むしろ報酬は安いほうだ。あのドラゴンがどこかで暴れて賞金がかけられるとかになると、報酬はもっと上がるだろう。
37930ゴルドである。資金はほぼ倍。じゃらじゃらとコインを受け取り、アイテムに投入し金額を確認する。69879ゴルド。クルックによると奴隷の値段は4,5万くらい。余裕で買える!買えるよ!!家は賃貸ならそんなにかからないだろう。ドラゴンの売却のほうも期待できそうだし、いっそ一人と言わず二人でも……
受付のおっちゃんに不動産屋のことを聞くと、商業ギルドのほうで紹介してくれると言う。そちらへ行こうとすると、エリザベスに捕まった。
「ちょっと、マサル。お待ちなさい!」
目敏いな。隠密発動してるのに見つかるとは。ちなみに町に戻ってから忍び足は取り直してある。ないとなんか不安だったから。
「暇ならついてきなさい。魔法の特訓をするわよ!」
練習ではない。特訓である。なにやら不吉な響きだ。
「このあとは家を見に行こうかと……」
「家?買うの?借りるのね。いいわね。わたしもついて行くわ」
「わたしもよろしいですか?マサル殿」
エリザベスの後ろに女の人が立っていた。顔を見て思い出す。暁の女戦士の人だ。たしか名前はナーニア。普段着だったから一瞬わからなかった。肩くらいまであるウエーブした赤みがかった髪。ズボンをはいた男装っぽい服装だが、背が高くモデル体型で、出るところが出ているのでとても女性的だ。腰に剣をさし、実に精悍な印象だ。顔も洋画のヒロインでもできそうな美人で、さぞかし女性にもてそうだ。お姉さま!って呼ばれるタイプだな。
「ええ、構いませんよ」
これはきっとデートってやつだよな。彼女いない暦=年齢のおれに訪れたモテ期に違いない。伊藤神よ、ありがとう。今日は日誌に感謝の言葉を書いておこう。蔵八宝
お隣の商業ギルドで不動産屋の場所を聞く。わりと近くだ。商業ギルドを出ると、突然エリザベスが言った。
「マサル、あなたちょっと服が野暮ったいわよ」
効果はばつぐんだ!おれのハートは大ダメージを受けた。
「ね、ナーニアもそう思うわよね?」と、ナーニアさんにも同意を求める。この女、自分は黒いローブにフードのくせして、なんてことを言いやがる。エリザベスは町中でもフードをすっぽり被ったままだ。怪しいことこの上ない。
「え、ええ……ちょっとその、安っぽいかなと思わないでもありません」
ナーニアさんが困りながら返答している。言葉は選んでいるがおおむね同意のようだ。スタイリッシュなナーニアさんに言われて、泣きたくなった。たしかにこの服は安い。こっちにきて最初に古着屋で買って以来、使ってる服だ。
「そんな貧乏臭い格好で家を探しにいったら舐められるわよ!さきに服を買いましょう。お金はたっぷりあるでしょ」
エリザベスのその黒ローブはどうなんだよ!
「これはいいのよ。伝統ある魔法使いの服なんだから!」
そんな格好の人、町でも見たことないですが?
「勇者の仲間の魔法使いがこの格好だったの。挿絵でみたから間違いないわ!」
黒ローブにはなみなみならぬこだわりがあるらしい。値段がどうの、材質がどうの、魔法がかかっていて防御力もいい。ステキでしょ?
「はい、素敵ですよ。エリー」
ナーニアさん、甘やかしすぎじゃないですか……
服屋に連れて行かれて、あーだこーだと試着させられる。色々と疲れたおれはされるがままに服を着て、購入した。エリザベスは満足そうにしている。
「うん、悪くないわね。お金持ちのお坊ちゃんに見えなくもないわよ」
「はい。お似合いかと。上品な感じになりましたよ」
わたしが選んだんだもの、当然よ!とエリザベス。黒ローブに言われても説得力のかけらもないが、ナーニアさんが言うならそうなんだろう。500ゴルド近く散財したが、たしかに着心地はいい。
「髪もどうにかしたいけど、とりあえずはいいわ。さあ、行きましょう!」
エリザベスを先頭に不動産屋にのりこむ。おれの家を探しに行くんだけどなー、とこっそり心の中だけで思う。なんかご老公のお付の人みたいな感じだ。
不動産屋はモルト商会とだけ看板が出ていた。日本の不動産屋のようにぺたぺたと物件情報が貼り付けてあるわけでもなく、店構えだけでは何の店かもわからない。そもそも商会と看板がなければ店であることすらわからないだろう。
「これはこれはお客さま。本日はどのようなご用件でしょう」
商会にはいるとすぐに、初老の紳士な人が出迎えてくれた。わたくし、モルト商会番頭のバウンスと申しますと名乗る。
「家よ、家を借りたいの」と、エリザベス。
「さようですか。どのような家をお探しでしょうか」
「そうね。大きい家がいいわ。広い庭がついてるやつ」
いやいや、ちょっと待ちなさいよエリザベスさん。
「いえ、そんなに広くないのがいいです。むしろ小さいのが」
バウンスさんはちらりとこちらを見るとごそごそと資料を探し、VIVID
「こちらなどいかがでしょう」と、エリザベスに提示する。こんな黒ローブをしててもエリザベスが本体で、おれがお付に見えるのか……
提示された物件を一緒に覗き込む。でかい。みるからに豪邸である。部屋がなんだかいっぱい書いてある。どう見ても一人暮らしに紹介する物件じゃない。
「ふうん。ちょっと庭が小さい気もするけど、屋敷のほうは悪くないわね」
さすがにこれは無理だ。
「いえ、もっと小さいのでお願いします。おれが、一人で住む予定なんです」
おれが、と強調していう。
次に見せてくれたのは普通の物件だった。庭付き一戸建て。二階建てで3LDKってところだろうか。家族向けの物件のようだがお風呂もあるし、庭も広め。悪くない。
「これじゃ小さいわよ」
エリザベスは基準がおかしい。この子のことは聞かなくていいからと、他の物件も見せてもらう。
2つ目に見せてもらった物件と他にも候補があがり、3軒ほど実際に見せてもらうことになった。案内には若い人がついた。
「もっと広い家がいいのに。あれじゃあパーティーも開けないわよ」と、エリザベスは不満みたいだ。いや、パーティーなんか開きませんから。
「ねえ。前から思ってたんだけど、エリザベスっていいとこのお嬢さん?」と、ナーニアさんにこそっと聞いてみた。お嬢さんなのは見るからになんだけど、なんかこう、浮世離れしてるところがあるな。思ってたより、お金持ちの家なのかもしれない。
「ええ、まあ……。ですがいまはただの冒険者ですし、お嬢様の家のことはあまり……」
「いえ、すいません。余計な詮索でしたね」
お嬢様って言っちゃってるし、どこかの名家のお嬢様と護衛の人って感じだろうか。
3軒とも見て周り、豪邸の次に見せてもらった家に決めた。庭付き風呂付一戸建て二階建ての3LDKである。値段も月900ゴルドとお手頃だ。この異世界、庶民のお風呂は銭湯である。家についてるほうが少ない。庭もそこそこの広さがあったし、家具も揃っていて、すぐに住めそうだ。庭は雑草だらけだったし、部屋も掃除が必須だったが。井戸も共用のものがすぐ近くにあり、いま住んでいる宿も近いから外食にも困らない。
商会に戻り、契約を交わす。契約は明日からだが今日から使っても構わないとのこと。3か月分の家賃を払い、鍵をもらう。敷金礼金といったシステムはないようだ。家を壊したり、ひどく汚した場合は出て行くときに請求される。夜逃げ対策とかどうするんだろうね?
昼も近いので3人でお食事処で昼食をとる。
「とりあえず布団がいる。あとは掃除だな」
掃除と聞いて目をそらすエリザベス。どうやら手伝ってくれる気はなさそうだ。
「人を雇えばどうでしょう。ギルドに雑用の依頼を出せばいいんじゃないでしょうか」
なるほど。自分でやる必要はないな。アンジェラが孤児院の子供達のバイトを探してると言ってた気がする。聞いてみようかな。家の掃除くらいなら手頃だろう。
「このあとはどうする?知り合いのところに掃除の手伝いを頼みにいくつもりだけど」
「そうね。魔法の練習してる時間はなさそうだし、今日は帰るわ」
「掃除のてつだ……」「用事があるのよ!」強力催眠謎幻水
よっぽど嫌らしい。そういうと、さっさと逃げていった。ナーニアさんに手を振って別れを告げる。エリザベスたちは一週間くらいは休暇だそうだ。家も割れてるし、きっとまた来るだろう。一応エリザベスの泊まってる宿も聞いてあるし。
孤児院につく。子供達に囲まれつつ、アンジェラを探す。ちょうど昼が終わったくらいなようだ。
「あら?今日はどうしたの」と、アンジェラちゃん。
「いい服を着てるじゃないか。うん、似合ってるよ」
女性が選んだ服だし、女性受けはいいんだろうか。高い服ってのはわかるが、似合ってるかどうかは自分ではわからんし。
「ええと、家を借りたんだけど……」と、事情を説明する。
「なんだ、それくらいならタダで手伝うよ」
「いや、悪いよ。お金は今回の報酬で結構あるからさ。ちゃんとバイト代ははずむよ」
「そうだね。じゃあこれくらいで……」と、数字を出される。
「安すぎない?」
「子供の仕事だもの。これくらいが相場だよ」
「これくらいは出すよ」
「じゃあ、これくらいを子供達に渡して、あとは孤児院に寄付ってことにしよう。あんまり子供達にお金を持たすのもよくないからね」
子供の人件費やっすいなあ。5ゴルドで半日仕事してもらえるそうだ。500円だよ、500円。子供の小遣いだよ。いや子供なんだけどさ。10人ほど雇って、部屋の掃除と庭の草むしりをしてもらう。道具はここにあるのを持ち出し。報酬は一人5ゴルド+孤児院に100ゴルド。
準備をして子供達を引き連れて我が家に向かう。家につくとアンジェラが子供達にてきぱきと指示をだし、作業分担を決めていく。おれは子供達3人と庭で草むしりをすることにした。じゃあとアンジェラは家の中の担当となった。
実家の庭の草むしりはおれの役目だったし、慣れたものだ。道具はなかったので素手でぶちぶち引き抜いていく。ステータスが上がった効果だろうか。明らかに力は増しているし、この程度じゃ全然疲れない。子供達の倍以上のペースで雑草を処理していく。とはいえ、広い庭なので時間はかかる。子供達にも無理はさせないように、休みながらゆっくりと作業を進めていった。
夕方になる頃には庭はきれいになり、家の中もピカピカになっていた。さっきまでの埃まみれが嘘のよう。いい仕事だ。それを見ながらふと、浄化を使えばよかったじゃないかと気がついた。かなり広いとはいえ、おれのMP量なら余裕だろう。まあ庭の草むしりは魔法じゃ無理そうだし、お金をもらって喜ぶ子供達を見て、まあいいかと思い直した。
アンジェラが子供達を連れて帰っていったので家に一人になった。布団を買わないとダメだけど、まだ店はあいているだろうか。この町の店が閉まる時間はかなりはやい。明日でいいか。そろそろ晩御飯の時間だし、竜の息吹亭で食事にしようか。女将さんにも宿を引き払うことを知らせないとだめだし。印度神油
その日はベッドの上で寝袋に包まって寝た。宿のせんべい布団も硬かったが、直接木のベッドの上で寝るのはとても硬かった。明日は実家で使ってたみたいな、ふかふかの布団を買いに行こう。そう心に誓った。
2014年8月16日星期六
2014年8月13日星期三
家族
エリーのスキル振りは少し保留にした。65Pはあるものの、空間魔法を極めようと思えば48P必要な可能性がある。じっくり考えたいとのことだ。
だがティリカがこんなことを言い出した。狼一号
「私もマサルのパーティーに入る」
「仕事はどうするの?」と、アン。
「辞める」
「辞めるって。そんなに簡単にできるの?」
「師匠がまだ街にいるから頼んでくる」
「でも急にどうして?」
そう聞いてみた。みんなで冒険に行くのが羨ましくなっちゃったのだろうか。それとも召喚獣を試してみたいとか。
「マサルが使徒だから」
「おれが使徒だとパーティーに入るの?」
ティリカはこくりとうなずいた。
「昔。勇者があらわれたとき、一人の真偽官が勇者と知り合った」
その真偽官は勇者の仲間になる機会もあった。だけどその真偽官は魔王討伐の旅にはついていかなかった。なぜ同行しなかったのか理由は残されていないが、後年それを後悔した真偽官は、もしまた勇者があらわれたときは必ず助けとなるように、できれば真偽官が同行するようにと掟を定めた。それは今でも連綿と受け継がれているという。
「おれ勇者じゃないんだけど」
「可能性があるってだけでも十分よ。ね、ティリカ」
「十分。もし後日、この機会を逃したとみんなに知れたら、きっと怒られる」
「でも使徒ってばらしちゃ困るよ」
「大丈夫。うまくやれる」
そうしておれはティリカとともに、ティリカの怖い師匠と対面してるわけだ。場所は普通の宿屋の一室だ。結構偉い人と聞いたけど、質素なところに泊まってるんだな。
「師匠、頼みがある」
席につくといきなりティリカが切り出す。
「何かね」
「この街での真偽官の任務を解除して欲しい」
「何故かね」
「マサルのパーティーに入る」
「何故?理由なき任務放棄は多額の賠償金が発生する。それはわかっているのかね?」
「これは特記事項第三項にあたると考えられる。補填は本部がするべき」
特記事項第三項ってなんだろう?気になるけど、ティリカには基本的に黙っていろって言われているし。
「ほほう!第三項とは大きく出たな。根拠はあるのかね?」
「言えないし、今は言うべき時ではない」
言うべきことはそれで十分らしい。もしこれ以上追求するようなら、真偽院という組織自体が疑心暗鬼で崩壊するだろう。身内同士で腹のうちは探らないという不文律があるのだ。うちの中でも最初にそういう話はして、ちゃんと言いたくないと言えばティリカはそれ以上追求するようなことはない。アンと相談していたときも、言いたくないと言えば済んだ話だったのだ。
「理由も言えないのに私にそれを本部に持って帰れと?」
「第三項を本部に知らせるのはまずい。このことは師匠のところで留めて欲しい」
「その男のせいかね?」
「それは言えない」
「情に流されたのじゃないのかね?」
「少しはそれもある。だけどこれは真偽官としての務めを果たすためにやること」
「義務を果たすためだと?」
「今のところは可能性が少しある、という程度。だけど後日、それが間違いだったとの判断がなされればこの命を断ってもいい」
「よかろう。好きにするがいい。本部に人員補充の連絡をいれよう。その間の代役はわしが務めることにする」
「ありがとう、師匠」
「だが、そこのおまえ。おまえにはティリカに命を賭けさせるほどの何かがあるのかね?」
「たぶんあるんだと思います。おれはそれでティリカの命を賭けるなんてとんでもないとは思いますが」紅蜘蛛
「ティリカは自分の命を賭けると言った。おまえは自分の命を賭けられるのかね?」
「賭けますよ」
そうだ。家族を守るためなら命を賭けてもいい。
「いいだろう。ティリカ、常に真偽官の本分を忘れないように。しっかりと務めを果たせ」
「わかった。行こう、マサル」
それで話は終わった。そういえばまたこの人の名前聞けなかったな。
おれたちはいま冒険者ギルドに向かっている。今回の件を副ギルド長に報告に行かなければならない。
「さっき言ってた特記事項第三項ってなんなの?」
「第三項とは世界の趨勢に関わる事態にあった際の規定」
そりゃ、大きく出たなって師匠の人が言うはずだよ。
「おれが使徒ってだけじゃ世界の趨勢うんぬんは言い過ぎだと思うんだけど」
「マサルのその能力。なぜ神がそんな力をマサルに与えた?」
「そりゃテストをするためだろ」
「なぜテストの必要が?」
「なんでだろう……」
「それはいつか、その力が必要になる事態が起こると神が考えてるからに他ならないと私は考える」
世界の破滅か。やはり神はおれにそれをどうにかさせたいのだろうか。
「魔王でも復活しておれが勇者になるかもしれないってこと?」
「わからない。でも何かがあってもマサルが勇者になることはない。その力で勇者を作ればいい」
なるほど。おれも少しそれは考えてた。どっちかって言うとおれとかよりサティのほうが勇者に向いてるんじゃないと思うんだ。まあサティにそんなことは絶対にさせないけど。
「私の魔眼は旅の役に立つ。召喚魔法も覚えた。私がマサルを守ってあげる。それにサティもアンもエリーもいる。何が起こってもきっと大丈夫」
「うん。ありがとう、ティリカ」
そう言ってティリカの頭をぐりぐりと撫でた。そうだ。おれ一人でやる必要はないんだ。今はまだこの生活を壊したくないから黙っているけど、世界の破滅のことはそのうちちゃんと話そう。
世界の破滅は20年後だ。あとほんの少しくらい、安穏とした生活を楽しんでも罰はあたらないだろう。
ギルドに到着し、副ギルド長の執務室を訪ねる。副ギルド長はちょうど在席で仕事もしていなかったようだ。
「おお、マサルとティリカじゃねーか。今日は休みだろう。おれの顔を見にでも来てくれたのか!」
そういって副ギルド長が豪快に笑う。
「今日は仕事を辞めるのを言いに来た」
「お、おう?もう子供でも出来たのか……?」
相変わらず説明不足のティリカも問題だが、副ギルド長の発想もおかしい。こんな短期間で子供が出来たのがわかるわけがなかろう。避妊もちゃんとしてるし。
「ええっとですね。今回ティリカがうちのパーティーに入ることになりまして」
「ふむむ。それは構わんが、ここの仕事はどうするんだ、ティリカ?」
「師匠が説明しに来ると思う。代役を用意する」
「そうかあ。マサルのパーティーもこれで5人か?パーティーの名前はなんて言うんだ?」
「え?名前……なんだろう?」と、ティリカを見る。
「知らない」
そうだよね。何にも考えてなかったよ。 紅蜘蛛赤くも催情粉
「登録しとかないとだめだから決めておけよ」
「あ、はい」
「それにしても寂しくなるな。マサル、ちゃんと面倒みてやってくれよ」
「ええ。でもこの街を拠点にしてますからね。いつでも顔を見れますよ」
「ドレウィンには世話になった。ありがとう」
「いいんだ。こっちこそ。最初にやらせたあれとか大変だった。もう流石に手出ししてくるやつはいないと思うが、マサル、本当に気をつけてくれよ。ギルドの仕事を辞めるとなると、もう護衛をつけるわけにはいかんからな」
ティリカがこっちにきた当初、街にはびこる犯罪者やら汚職やらを魔眼を使って徹底的に摘発したらしい。それで恨んでいるやつらが相当数いるのだそうだ。結構前の話だから、いまだにどうこうしてくるやつはもういないみたいだけど、油断はできない。
「大丈夫です。対策は考えてありますから」
今は召喚獣のたいががいるし、ティリカ自身も魔法が使えるから、多少強いくらいの刺客では相手にはならないだろう。もちろんティリカを一人にするつもりはないが。
「そうか。何かあったら言ってくれ。力になるぞ」
その瞬間。ティリカがたいがを呼び出した。
「な、なななん」
狭い執務室に突然あらわれた大きな虎に、副ギルド長がうろたえる。
「落ち着いて。私の護衛。名前はたいが」
「護衛?この虎が?今どこから出てきた?」
「おい、見せちゃって大丈夫なのか?」と、小声でティリカに尋ねる。
「大丈夫。ドレウィンは信用できる。ドレウィン、この事は誰にも話さないように」
「ん、ああ。わかった」
「くれぐれもお願いしますよ」
「それで。今のこれは魔法か?」
「ええ、そのようなものです。普段は隠しておいて、いつでも呼び出せるんです」
「ほー。強そうなやつだなあ」
「強いしかわいい」
「うむ。そうだな。こんなのが護衛についてたら安心だ。しかしこれは……ビーストテイマー?……いや、召喚か?」
「秘密」
「そうか。秘密だな。わかった」
そんな感じでティリカは無事うちのパーティーに入ることになった。そして翌日から師匠の人がギルドに来て威圧感を存分に振りまいたおかげで、冒険者からはティリカ復帰の嘆願が多く出されたそうである。紅蜘蛛(媚薬催情粉)
もう一件難題が残っている。司祭様に話をしないといけない。今のところ黙っていてくれてるみたいだけど、そのあたりのことをキチッとしておきたいのだ。
前日にアンジェラを通して2人で会いに行くのは言ってあり、神殿に着くとすぐに司祭様に出迎えられ、小部屋に通された。アンジェラと並んで座り、司祭様と向き合う。
「お話があるということですが」
「はい。まずは先日の結婚式のお礼を。神殿を使わせてもらい、主催もやっていただきありがとうございます」
「いいのですよ。シスターアンジェラは娘のようなものですから。それにマサル殿には何度も治療院を手伝ってもらってますからね。この程度ではとても釣合いません」
さてここからが本題だ。
「それでその。アンジェラからある程度伝わっていると思うのですが……」
「そのことに関しては私の胸の内におさめてあります。ご心配なく」
「はい。ですがきちんと話をしておこうと思いまして」
「話していただけるとあれば喜んで聞きましょう」
「今から話すことはご内密にお願いします」
「もちろんですとも。どこにも話すことはありませんよ」
「俺が使徒だと言うことはお気付きかと思います」
「ええ。薄々は」
「話の始まりは仕事を探していて……」
みんなにした話を繰り返す。もちろん世界の破滅の話はしないで街に入ったあたりくらいまでだ。
「なるほど。能力のテストですか」
「ええ。別に魔王を倒せとかそんな話は全くないんです。だから使徒ってばれて自由に動けないと困るなと。それにおれが目立つのだめって知ってますよね」
「お話はわかりました。このことは絶対に漏らしません。それにしても、シスターアンジェラ」
「あ、はい」
「最近急に治癒術の腕が上達したのはもしかして?」
やっぱり鋭いな。砦に行っている時におれに教えてもらってコツを掴んだ、みたいな誤魔化しはしてみたが、やっぱり無理だったか。
「この能力でアンジェラの魔法も強化したんですよ。加護を与えるっていうんですか」
「その加護は誰にでも与えられるのですか?」
「いえ。親愛度っていうか、信頼度のようなものが一定以上にならないと」
「ああ、なるほど。そういうことですか。ではマサル殿の家の他の方も?」
「はい。全員加護を受けてます」
「いや、しかし。なんという素晴らしい力でしょうか。まさに神の御加護ですね」
「くれぐれも内密にお願いします」
「ええ、ええ。もちろんですとも。使徒様の頼みなのです。絶対に守りましょう。ただですね……」
司祭様は先程までの笑顔を急に曇らせた。D10 媚薬 催情剤
だがティリカがこんなことを言い出した。狼一号
「私もマサルのパーティーに入る」
「仕事はどうするの?」と、アン。
「辞める」
「辞めるって。そんなに簡単にできるの?」
「師匠がまだ街にいるから頼んでくる」
「でも急にどうして?」
そう聞いてみた。みんなで冒険に行くのが羨ましくなっちゃったのだろうか。それとも召喚獣を試してみたいとか。
「マサルが使徒だから」
「おれが使徒だとパーティーに入るの?」
ティリカはこくりとうなずいた。
「昔。勇者があらわれたとき、一人の真偽官が勇者と知り合った」
その真偽官は勇者の仲間になる機会もあった。だけどその真偽官は魔王討伐の旅にはついていかなかった。なぜ同行しなかったのか理由は残されていないが、後年それを後悔した真偽官は、もしまた勇者があらわれたときは必ず助けとなるように、できれば真偽官が同行するようにと掟を定めた。それは今でも連綿と受け継がれているという。
「おれ勇者じゃないんだけど」
「可能性があるってだけでも十分よ。ね、ティリカ」
「十分。もし後日、この機会を逃したとみんなに知れたら、きっと怒られる」
「でも使徒ってばらしちゃ困るよ」
「大丈夫。うまくやれる」
そうしておれはティリカとともに、ティリカの怖い師匠と対面してるわけだ。場所は普通の宿屋の一室だ。結構偉い人と聞いたけど、質素なところに泊まってるんだな。
「師匠、頼みがある」
席につくといきなりティリカが切り出す。
「何かね」
「この街での真偽官の任務を解除して欲しい」
「何故かね」
「マサルのパーティーに入る」
「何故?理由なき任務放棄は多額の賠償金が発生する。それはわかっているのかね?」
「これは特記事項第三項にあたると考えられる。補填は本部がするべき」
特記事項第三項ってなんだろう?気になるけど、ティリカには基本的に黙っていろって言われているし。
「ほほう!第三項とは大きく出たな。根拠はあるのかね?」
「言えないし、今は言うべき時ではない」
言うべきことはそれで十分らしい。もしこれ以上追求するようなら、真偽院という組織自体が疑心暗鬼で崩壊するだろう。身内同士で腹のうちは探らないという不文律があるのだ。うちの中でも最初にそういう話はして、ちゃんと言いたくないと言えばティリカはそれ以上追求するようなことはない。アンと相談していたときも、言いたくないと言えば済んだ話だったのだ。
「理由も言えないのに私にそれを本部に持って帰れと?」
「第三項を本部に知らせるのはまずい。このことは師匠のところで留めて欲しい」
「その男のせいかね?」
「それは言えない」
「情に流されたのじゃないのかね?」
「少しはそれもある。だけどこれは真偽官としての務めを果たすためにやること」
「義務を果たすためだと?」
「今のところは可能性が少しある、という程度。だけど後日、それが間違いだったとの判断がなされればこの命を断ってもいい」
「よかろう。好きにするがいい。本部に人員補充の連絡をいれよう。その間の代役はわしが務めることにする」
「ありがとう、師匠」
「だが、そこのおまえ。おまえにはティリカに命を賭けさせるほどの何かがあるのかね?」
「たぶんあるんだと思います。おれはそれでティリカの命を賭けるなんてとんでもないとは思いますが」紅蜘蛛
「ティリカは自分の命を賭けると言った。おまえは自分の命を賭けられるのかね?」
「賭けますよ」
そうだ。家族を守るためなら命を賭けてもいい。
「いいだろう。ティリカ、常に真偽官の本分を忘れないように。しっかりと務めを果たせ」
「わかった。行こう、マサル」
それで話は終わった。そういえばまたこの人の名前聞けなかったな。
おれたちはいま冒険者ギルドに向かっている。今回の件を副ギルド長に報告に行かなければならない。
「さっき言ってた特記事項第三項ってなんなの?」
「第三項とは世界の趨勢に関わる事態にあった際の規定」
そりゃ、大きく出たなって師匠の人が言うはずだよ。
「おれが使徒ってだけじゃ世界の趨勢うんぬんは言い過ぎだと思うんだけど」
「マサルのその能力。なぜ神がそんな力をマサルに与えた?」
「そりゃテストをするためだろ」
「なぜテストの必要が?」
「なんでだろう……」
「それはいつか、その力が必要になる事態が起こると神が考えてるからに他ならないと私は考える」
世界の破滅か。やはり神はおれにそれをどうにかさせたいのだろうか。
「魔王でも復活しておれが勇者になるかもしれないってこと?」
「わからない。でも何かがあってもマサルが勇者になることはない。その力で勇者を作ればいい」
なるほど。おれも少しそれは考えてた。どっちかって言うとおれとかよりサティのほうが勇者に向いてるんじゃないと思うんだ。まあサティにそんなことは絶対にさせないけど。
「私の魔眼は旅の役に立つ。召喚魔法も覚えた。私がマサルを守ってあげる。それにサティもアンもエリーもいる。何が起こってもきっと大丈夫」
「うん。ありがとう、ティリカ」
そう言ってティリカの頭をぐりぐりと撫でた。そうだ。おれ一人でやる必要はないんだ。今はまだこの生活を壊したくないから黙っているけど、世界の破滅のことはそのうちちゃんと話そう。
世界の破滅は20年後だ。あとほんの少しくらい、安穏とした生活を楽しんでも罰はあたらないだろう。
ギルドに到着し、副ギルド長の執務室を訪ねる。副ギルド長はちょうど在席で仕事もしていなかったようだ。
「おお、マサルとティリカじゃねーか。今日は休みだろう。おれの顔を見にでも来てくれたのか!」
そういって副ギルド長が豪快に笑う。
「今日は仕事を辞めるのを言いに来た」
「お、おう?もう子供でも出来たのか……?」
相変わらず説明不足のティリカも問題だが、副ギルド長の発想もおかしい。こんな短期間で子供が出来たのがわかるわけがなかろう。避妊もちゃんとしてるし。
「ええっとですね。今回ティリカがうちのパーティーに入ることになりまして」
「ふむむ。それは構わんが、ここの仕事はどうするんだ、ティリカ?」
「師匠が説明しに来ると思う。代役を用意する」
「そうかあ。マサルのパーティーもこれで5人か?パーティーの名前はなんて言うんだ?」
「え?名前……なんだろう?」と、ティリカを見る。
「知らない」
そうだよね。何にも考えてなかったよ。 紅蜘蛛赤くも催情粉
「登録しとかないとだめだから決めておけよ」
「あ、はい」
「それにしても寂しくなるな。マサル、ちゃんと面倒みてやってくれよ」
「ええ。でもこの街を拠点にしてますからね。いつでも顔を見れますよ」
「ドレウィンには世話になった。ありがとう」
「いいんだ。こっちこそ。最初にやらせたあれとか大変だった。もう流石に手出ししてくるやつはいないと思うが、マサル、本当に気をつけてくれよ。ギルドの仕事を辞めるとなると、もう護衛をつけるわけにはいかんからな」
ティリカがこっちにきた当初、街にはびこる犯罪者やら汚職やらを魔眼を使って徹底的に摘発したらしい。それで恨んでいるやつらが相当数いるのだそうだ。結構前の話だから、いまだにどうこうしてくるやつはもういないみたいだけど、油断はできない。
「大丈夫です。対策は考えてありますから」
今は召喚獣のたいががいるし、ティリカ自身も魔法が使えるから、多少強いくらいの刺客では相手にはならないだろう。もちろんティリカを一人にするつもりはないが。
「そうか。何かあったら言ってくれ。力になるぞ」
その瞬間。ティリカがたいがを呼び出した。
「な、なななん」
狭い執務室に突然あらわれた大きな虎に、副ギルド長がうろたえる。
「落ち着いて。私の護衛。名前はたいが」
「護衛?この虎が?今どこから出てきた?」
「おい、見せちゃって大丈夫なのか?」と、小声でティリカに尋ねる。
「大丈夫。ドレウィンは信用できる。ドレウィン、この事は誰にも話さないように」
「ん、ああ。わかった」
「くれぐれもお願いしますよ」
「それで。今のこれは魔法か?」
「ええ、そのようなものです。普段は隠しておいて、いつでも呼び出せるんです」
「ほー。強そうなやつだなあ」
「強いしかわいい」
「うむ。そうだな。こんなのが護衛についてたら安心だ。しかしこれは……ビーストテイマー?……いや、召喚か?」
「秘密」
「そうか。秘密だな。わかった」
そんな感じでティリカは無事うちのパーティーに入ることになった。そして翌日から師匠の人がギルドに来て威圧感を存分に振りまいたおかげで、冒険者からはティリカ復帰の嘆願が多く出されたそうである。紅蜘蛛(媚薬催情粉)
もう一件難題が残っている。司祭様に話をしないといけない。今のところ黙っていてくれてるみたいだけど、そのあたりのことをキチッとしておきたいのだ。
前日にアンジェラを通して2人で会いに行くのは言ってあり、神殿に着くとすぐに司祭様に出迎えられ、小部屋に通された。アンジェラと並んで座り、司祭様と向き合う。
「お話があるということですが」
「はい。まずは先日の結婚式のお礼を。神殿を使わせてもらい、主催もやっていただきありがとうございます」
「いいのですよ。シスターアンジェラは娘のようなものですから。それにマサル殿には何度も治療院を手伝ってもらってますからね。この程度ではとても釣合いません」
さてここからが本題だ。
「それでその。アンジェラからある程度伝わっていると思うのですが……」
「そのことに関しては私の胸の内におさめてあります。ご心配なく」
「はい。ですがきちんと話をしておこうと思いまして」
「話していただけるとあれば喜んで聞きましょう」
「今から話すことはご内密にお願いします」
「もちろんですとも。どこにも話すことはありませんよ」
「俺が使徒だと言うことはお気付きかと思います」
「ええ。薄々は」
「話の始まりは仕事を探していて……」
みんなにした話を繰り返す。もちろん世界の破滅の話はしないで街に入ったあたりくらいまでだ。
「なるほど。能力のテストですか」
「ええ。別に魔王を倒せとかそんな話は全くないんです。だから使徒ってばれて自由に動けないと困るなと。それにおれが目立つのだめって知ってますよね」
「お話はわかりました。このことは絶対に漏らしません。それにしても、シスターアンジェラ」
「あ、はい」
「最近急に治癒術の腕が上達したのはもしかして?」
やっぱり鋭いな。砦に行っている時におれに教えてもらってコツを掴んだ、みたいな誤魔化しはしてみたが、やっぱり無理だったか。
「この能力でアンジェラの魔法も強化したんですよ。加護を与えるっていうんですか」
「その加護は誰にでも与えられるのですか?」
「いえ。親愛度っていうか、信頼度のようなものが一定以上にならないと」
「ああ、なるほど。そういうことですか。ではマサル殿の家の他の方も?」
「はい。全員加護を受けてます」
「いや、しかし。なんという素晴らしい力でしょうか。まさに神の御加護ですね」
「くれぐれも内密にお願いします」
「ええ、ええ。もちろんですとも。使徒様の頼みなのです。絶対に守りましょう。ただですね……」
司祭様は先程までの笑顔を急に曇らせた。D10 媚薬 催情剤
2014年8月12日星期二
魔族
里を滅ぼされたあの夜、翼人たちは子供たちを家の中へと隠すと、森から現れた妖魔たちと戦った。
「いい? リーナ。絶対に家の外に出てはダメよ?」
「大丈夫だ。父さんは強いんだぞ。ゴブリンだろうと、オーガだろうと負けないさ」挺三天
森の中でゴブリンを見たという報せを受けて、イフェリーナの両親もまた彼女へ家の中で隠れているように言い聞かせると外へと出て行った。
天空から雷を召喚し、荒れ狂う大気の刃が妖魔を粉砕し切り刻む。
外から響く轟音。強烈な閃光。妖魔たちの断末魔の叫び。
まだ幼いイフェリーナの精神が、恐怖に耐えられなくなったのも無理はない。
いつの間にか意識を失っていた。
やがて目が覚めた時には、周囲からは物音一つ聞こえなかった。
部屋の中に満ちる煙に咳き込む。
屋根が崩れ落ち、部屋の半分を埋め尽くしていた。
射し込む月明かりの中、ようやく通れるだけの隙間を柱の間に見つけて外へと這い出す。
そして――イフェリーナの目の前に、変わり果てた里が広がっていた。
昨日まで笑い合っていた里の人々が、見るも無残な姿で血に染まり物言わぬ骸となっていた。
ふらつく足取りで里の中を歩いていく。
そして出会った。
月明かりに照らしだされ、里を燃やす炎を背にその巨大な人影は立っていた。
何か丸いモノを足で弄んでいる。
イフェリーナは恐る恐る近づいていく。
転がされていた丸いものがゴロリと転がって、反対側をイフェリーナに見せた。
「……お父さん?」
それはこの里で一番の使い手だったイフェリーナの父親の首。
イフェリーナにいつも優しい笑顔を浮かべて接してくれていた、大好きな父親の首から下が無い。
「お……お父さん!」
「おっと……もう一匹いたのか」
影がイフェリーナへと手を伸ばす。
ギラつく野獣のような瞳。犬や狼を思わせる頭部。そして、鋭い犬歯の見える口。
「こいつはお前の親父か? 強かったぜ。魔族の俺がここまで追い詰められるとは、さすがは翼人といったところだな。まるで手応えのない人間の騎士と違って手ごわかった。わざわざこんなところまで来て正解だったぜ」
言いながら、犬頭の魔物はイフェリーナに向かって近づいてくる。
家の屋根も背丈のある巨体がイフェリーナを見下ろす。
「そういえば翼人ってのは精神の奥底で、仲間同士繋がっているそうだな。さすが精霊に近い半神半人の種族といったところか」
悪魔は手を伸ばして、恐怖で身動きのできないイフェリーナの胸ぐらを掴むと、顔の前まで持ち上げる。
「お前は餌だ。運が良かったな、生かしておいてやろう。お前という餌に釣られてやってくる翼人が来なくなるまでな。殺さずにいてやるよ」
イフェリーナの顔に、犬頭の魔族が血生臭い息を吹きかかる。
恐怖で目を見開いているイフェリーナに獰猛な笑みを浮かべながら。
それから幾度か同胞の里の異変に気づいた他の里の翼人たちが、里を訪れた。
イフェリーナの悲しみと絶望の心に触れ、遠くに住む翼人たちが彼女を救い出そうとしたのだ。
しかしイフェリーナを助け出そうとした翼人たちは、それを待ち伏せていた犬頭の魔物によってことごとく殺されてしまった。
さながらイフェリーナという蝋燭の灯りに誘い込まれる虫けらのごとく――。
やがて、翼人たちが里へ来なくなった。
いつ殺されるのかわからない。
いつも怯えていた。
(誰か、助けて!)
――死ぬのは怖かった。生きたいと強く思った。
強く思い続けたイフェリーナの心、それは他の里の翼人たちへと伝わってしまう。
逆に言えば、他の里の翼人たちの心も彼女には伝わってくる。
――諦め。
その思念が届いた時、イフェリーナは一人で生にしがみつくことを決めざるを得なかった。
もう二度と誰かから抱きしめてもらうこともない。
言葉もかわせない。
笑いかけてももらえない。
静寂に支配された滅びた里で、ただ一人生き続ける。
(――お前という餌に釣られてやってくる翼人が来なくなるまでな。殺さずにいてやるよ)
その翼人たちがもう来なくなってしまった。
もうイフェリーナには餌としての価値も無くなってしまった。
(――殺される。嫌だ。怖い。死ぬのは嫌だ。死にたくない。もっと生きていたい!)
そして――。
「みーつけた!」
男の子の声がして――イフェリーナはゆっくりと夢の世界から覚醒する。
ローラは繕い物をしていた手を止めると、部屋の中を振り返った。
小さなお客様、翼人の少女――イフェリーナが眠ったまま泣いている。
すでに日は天頂に達する刻限であったが、ローラはイフェリーナを起こさないように、静かに立ち上がると、彼女の頬にそっと触れ涙をすくう。
昨夜、イフェリーナは、お腹いっぱいになるまでシチューを食べた後、横になった途端に糸が切れてしまったかのように眠ってしまった。VIVID XXL
湯浴みで身体を綺麗にしてもらい、何ヶ月ぶりかで温かい食事を満腹になるまで食べ、どっと疲れが出てしまったのだろう。
里が滅んでからろくな食べ物も食べていなかったのは、ひどく痩せ細ったイフェリーナを見ればわかることだ。
(まだこんなに小さいのに、よく頑張ったわね)
何重にも袖を折っただぶだぶの服から覗く、イフェリーナの固く、ギュッと握りしめられた拳をそっと包むようにして握る。
すると、イフェリーナがゆっくりと目を覚ました。
彼女の赤い瞳は、しばし周囲に視線を彷徨わせると、ローラの顔へと視点を結ぶ。
「怖い夢でも見たの? 大丈夫、ここは安全だからね。怖くなんて無いのよ」
「……あのね……リーナはね。餌なんだって……リーナがここにいると、悪い奴がやってきて、皆をいじめるの……」
顔をグシャグシャにして泣くイフェリーナ。
「大丈夫よ? 悪い奴はみんながやっつけてくれるわ」
(どうか、みなさん気をつけて……)
イフェリーナの言葉に不吉な予感を覚えつつ、ローラは冒険者たちの無事を願いながら少女をあやし続けた。
「うわあ、凄かったな。かっこいい!」
犬頭の大きな魔物が振るう丸太の様な棍棒を受け止めるオールト。
一撃を受けたものの、刹那の一瞬で槍を引き戻し衝撃を弱めてみせたルイスの槍さばき。
そして、イリザの火球の魔法からのポウラットの必殺の攻撃。
ほんの僅かの間に見せた、熟練した冒険者たちの連携攻撃に、ウィンはまばたきをすることも忘れて食い入るように見つめていた。
コボルトが前のめりに倒れた瞬間、ウィンは息すらも止めていたことに気が付き、何度も息を大きく吸い込んだ。
身体が熱く感じる。
震えが走る。
木剣を握りしめる右手のひらに汗を搔いていた。
「凄い、凄いよレティ! かっこいい! 僕もああなりたいよ!」
大人の冒険者たちが醸し出す雰囲気、武器を下ろす姿。
ウィンは興奮に目を輝かせレティに話しかける。
しかし、興奮するウィンとは裏腹にレティは黙ったまま、強く彼の左腕を握ってきた。
腕を強く握りしめてくるレティに驚いて目を向ける。
「どうしたんだよ? レティ」
そこでウィンは自分の左腕を掴んだまま、小さく震え続けるレティに気がついた。
「……怖い。怖いよ、お兄ちゃん。あの犬さん、まだ……死んでない」
コボルトは胸を剣で貫かれ、倒れ伏している。
その剣の柄に手を掛けて、いまポウラットが引き抜こうと引っ張っていた。
「ええ? 死んでるよ! 大丈夫だよ、みんながやっつけたから!」
ウィンの言葉にレティが小さく首を振る。
「あのね? なんか変なものが見えるの。あの犬さんの周囲に、なんか怖いものが集まってる」
レティはウィンに抱きついてきた。
「怖いよ、お兄ちゃん!」
「怖いもの? そんなもの見えないけど、何が見えるの?」
「レティにもよくわかんないの。あのお姉ちゃんがおっきい火を作った時に似てるけど、全然違う怖いものが集まっているのが見えるの」
レティはイリザを指さしながら泣きそうな表情を浮かべる。
「おーいお前ら、もう大丈夫だ。どうした? 初めて見た戦闘は恐ろしかったか? ちょっと、ルイスのやつがポカやらかしたが、何てことはない。いい勉強になっただろう?」
レティの様子に気がついたのだろう、オールトがウィンたちの方へと歩いて来ようとしていた。
髭面の強面を、精一杯の優しげな笑顔で取り繕うとしている。
――レティには自分にはない才能がある。
ウィンは一緒に鍛錬をしている時も、勉強をしている時も、常々そう感じていた。
剣も、魔法も、レティはウィンが身に付けた技術を僅かの時間で吸収して会得してしまう。
物語の中に出てくる騎士、英雄、偉人、聖者、そして勇者。
常人を超えた力を持つ者たち。
レティはもしかしたら、彼らに匹敵しうる才能の持ち主なのかもしれない。
物語の主人公になれる素質――。
ウィンには感じ取ることができないが、レティにはもしかしたら――。
「……オールトさん」
(レティがそう言うのであれば、あれはまだ死んでいない!)
「どうした? ウィン」
「レティが……レティがそいつ、まだ死んでないって!」
「どういうことだ?」
「うわ……ああああ!?」
ウィンが告げると同時に、ポウラットの悲鳴が周囲に響き渡った。
「……なに!?」
「ポウラットさん!」
コボルトが立ち上がっている。
剣で胸を貫かれたまま――。
ポウラットは尻もちを付いたまま、愕然とした表情を浮かべて犬頭の魔物を見上げている。
「バカな! 心臓を貫いているのに! 魔物といえど、身体の作りは生物と同じはず!」
ある程度の治癒も終わり半身を起こしたルイスと、治癒しきれなかった傷に包帯を巻いていたイリザが驚愕の視線で犬頭の魔物を見つめている。福潤宝
「……ククク、ハーッハッハッハ!」
野太い声で哄笑を上げる。
「イヤイヤイヤ、なかなかやるじゃないか? 冒険者っていうの? 思わぬ掘り出し物だったわ! こんなに楽しめるとは思わなかったぜ?」
「コ、コボルトが喋った?」
「ああ、喋るぜ? 喋っちゃおかしいか? まあ、俺様はコボルトなんかじゃねぇ。ヴェルダロスと名乗る存在だ」
驚きで思わず声を漏らしたイリザに律儀に返事を返す。
哄笑とともに、胸を貫いていた剣が抜けていく。
音もなく、血が噴き出ることもなく、手で触ることもなく勝手に抜けた剣は、一瞬空中で浮かんだまま静止した後、カランッという軽い音を立てて地面に転がる。
「里に殺さずに生かしておいたガキに誘われて来る翼人を待ちぶせていたんだが、最近はまるでこなくなっちまってな。退屈していたところなんだよ。だから、少し俺と遊んでくれよ?」
人差し指と中指を曲げて、オールトたちを手招きして挑発してみせる。
「この化け物め!」
叫ぶと同時に、オールトがヴェルダロスと名乗った魔物に向かって走った。
突進の勢いそのままに、右手の斧を振り下ろす。
オールトの豪腕が振り下ろす斧の刃は、岩をも穿つ達人の刃。
しかし――。
渾身の力を込めたオールトの一撃を、ヴェルダロスは棍棒を持たない片手で受け止めていた。
手のひらには刃先が食い込んでいない。
「いい一撃だが、俺にはただの刃は効かないぜ? 魔族だからな。魔族と戦うには、魔法か魔力を込められた武器しか通用しない。知らないのか?」
受け止めた斧の刃を砕き掴むと、そのまま振り払った。
斧の柄を握りしめたままのオールトが、大地から根を引っこ抜かれたように吹き飛ばされる。
「ぐっ……化け物め……」
木の幹に叩きつけられ、オールトは呻き声を上げた。
「オールト!」
ルイスの側で治癒魔法をかけていたイリザが立ち上がると、口早に魔法の詠唱を開始する。
立ち上がったオールトが再び走りだした。
「おいおい、得物も無しにどうしようってんだ?」
オールトは右手に握りしめていた斧の柄を、ウェルダロスへと力いっぱい投げつける。
咄嗟にそれを手で払いのけるヴェルダロス。
『刃よ、我に従え! 我、剣の理を識りて、刃に現す!』
イリザの魔法が完成する。
その目標は、先ほどヴェルダロスの胸から抜け落ち地面に転がっていた、ポウラットの剣。
オールトはそれを拾い上げると、斬りかかる。
「付与魔法か、面白れぇ!」
オールトの剣が縦横無尽に振り回される。
付与魔法によって魔力を宿し、淡く輝く剣身が空中にその軌跡を描き出す。
得意とする得物である斧でなくても、オールトの剣技は十分に一流の域へと達していた。
しかし、当たらない。
ヴェルダロスはその巨体に見合わぬ、俊敏さでオールトの剣を軽々と避けていく。OB蛋白の繊型曲痩 Ⅲ
そして――。
「おらよ!」
避けるに徹していたヴェルダロスが、不意に右手に持っていた棍棒を振り回す。
至近距離で剣を振り回していたオールトはそれを避けられない。
咄嗟に盾をかざして身を守ろうとする。
ドゴンッという爆発音のような音を立てて、棍棒と盾が衝突。
オールトは吹き飛ばされると大地に叩きつけられた。
振り切っていた剣がオールトの手を離れて逆の方向へ、イリザの横を抜けてウィンとレティの側にまで飛んでいって突き刺さる。
「おっと、つい力が入りすぎてしまった。残念だ、その腕じゃもう戦えないだろう?」
棍棒を受け止めた鉄の盾は無残なまでに凹んでいた。
盾を支えていたオールトの腕は、ヴェルダルスの棍棒を受け止めた衝撃で、まるで内部から破裂したかのように血にまみれていた。
筋肉を、皮を破って骨が覗いている。
「オールト!」
ポウラットがオールトの下へと駆け寄る。
無事な右手を首へと回し、ポウラットはオールトを担ぎ上げた。
「おっと、逃げ出すつもりか? そう簡単に俺が逃すと思ってるのかよ?」
嘲笑の色を浮かべて言うヴェルダロスに、オールトはポウラットの肩を借りてヴェルダロスから離れようとしながら、
「貴様から逃げ出しているんじゃない、俺はただそこから離れているだけだ」
「なに?」
『――炎弾よ、穿て!』
イリザの全魔力を込めた、火球がヴェルダロスの背に着弾。爆炎を噴き上げた。
「やった!?」
確かに命中したのを確認し、イリザが喜色の混じった声を上げる。
しかし――。
「甘ぇよ!」
ヴェルダロスが棍棒を一振りした。
暴風のような突風に炎が吹き散らされる。
「確かに俺たち魔族は魔法か魔法によって強化された武器でしか倒すことはできねぇ。だが、その程度の魔法なんざ、翼人どもの魔法と違って防ぐまでもない!」
「そんな……」
「まあ、多少は痛かったけどな。少しは楽しめたが、しょせん人間なんざこの程度か。翼人も来なくなったし、さっさと貴様らを始末してあの餌にしていたガキも殺すとするか」
「化け物め……」
オールトは唇が切れるほどに噛み締め、ポウラットは蒼白を通り越して土気色の表情でヴェルダロスを見つめていた。
イリザは全魔力を使い果たしてしまったのだろう。
地面にへたり込み、激しく喘いでいる。
そのそばで槍を失ってしまったルイスが、予備の武器である短剣を抜いて上体を起こしていた。CROWN 3000
「いい? リーナ。絶対に家の外に出てはダメよ?」
「大丈夫だ。父さんは強いんだぞ。ゴブリンだろうと、オーガだろうと負けないさ」挺三天
森の中でゴブリンを見たという報せを受けて、イフェリーナの両親もまた彼女へ家の中で隠れているように言い聞かせると外へと出て行った。
天空から雷を召喚し、荒れ狂う大気の刃が妖魔を粉砕し切り刻む。
外から響く轟音。強烈な閃光。妖魔たちの断末魔の叫び。
まだ幼いイフェリーナの精神が、恐怖に耐えられなくなったのも無理はない。
いつの間にか意識を失っていた。
やがて目が覚めた時には、周囲からは物音一つ聞こえなかった。
部屋の中に満ちる煙に咳き込む。
屋根が崩れ落ち、部屋の半分を埋め尽くしていた。
射し込む月明かりの中、ようやく通れるだけの隙間を柱の間に見つけて外へと這い出す。
そして――イフェリーナの目の前に、変わり果てた里が広がっていた。
昨日まで笑い合っていた里の人々が、見るも無残な姿で血に染まり物言わぬ骸となっていた。
ふらつく足取りで里の中を歩いていく。
そして出会った。
月明かりに照らしだされ、里を燃やす炎を背にその巨大な人影は立っていた。
何か丸いモノを足で弄んでいる。
イフェリーナは恐る恐る近づいていく。
転がされていた丸いものがゴロリと転がって、反対側をイフェリーナに見せた。
「……お父さん?」
それはこの里で一番の使い手だったイフェリーナの父親の首。
イフェリーナにいつも優しい笑顔を浮かべて接してくれていた、大好きな父親の首から下が無い。
「お……お父さん!」
「おっと……もう一匹いたのか」
影がイフェリーナへと手を伸ばす。
ギラつく野獣のような瞳。犬や狼を思わせる頭部。そして、鋭い犬歯の見える口。
「こいつはお前の親父か? 強かったぜ。魔族の俺がここまで追い詰められるとは、さすがは翼人といったところだな。まるで手応えのない人間の騎士と違って手ごわかった。わざわざこんなところまで来て正解だったぜ」
言いながら、犬頭の魔物はイフェリーナに向かって近づいてくる。
家の屋根も背丈のある巨体がイフェリーナを見下ろす。
「そういえば翼人ってのは精神の奥底で、仲間同士繋がっているそうだな。さすが精霊に近い半神半人の種族といったところか」
悪魔は手を伸ばして、恐怖で身動きのできないイフェリーナの胸ぐらを掴むと、顔の前まで持ち上げる。
「お前は餌だ。運が良かったな、生かしておいてやろう。お前という餌に釣られてやってくる翼人が来なくなるまでな。殺さずにいてやるよ」
イフェリーナの顔に、犬頭の魔族が血生臭い息を吹きかかる。
恐怖で目を見開いているイフェリーナに獰猛な笑みを浮かべながら。
それから幾度か同胞の里の異変に気づいた他の里の翼人たちが、里を訪れた。
イフェリーナの悲しみと絶望の心に触れ、遠くに住む翼人たちが彼女を救い出そうとしたのだ。
しかしイフェリーナを助け出そうとした翼人たちは、それを待ち伏せていた犬頭の魔物によってことごとく殺されてしまった。
さながらイフェリーナという蝋燭の灯りに誘い込まれる虫けらのごとく――。
やがて、翼人たちが里へ来なくなった。
いつ殺されるのかわからない。
いつも怯えていた。
(誰か、助けて!)
――死ぬのは怖かった。生きたいと強く思った。
強く思い続けたイフェリーナの心、それは他の里の翼人たちへと伝わってしまう。
逆に言えば、他の里の翼人たちの心も彼女には伝わってくる。
――諦め。
その思念が届いた時、イフェリーナは一人で生にしがみつくことを決めざるを得なかった。
もう二度と誰かから抱きしめてもらうこともない。
言葉もかわせない。
笑いかけてももらえない。
静寂に支配された滅びた里で、ただ一人生き続ける。
(――お前という餌に釣られてやってくる翼人が来なくなるまでな。殺さずにいてやるよ)
その翼人たちがもう来なくなってしまった。
もうイフェリーナには餌としての価値も無くなってしまった。
(――殺される。嫌だ。怖い。死ぬのは嫌だ。死にたくない。もっと生きていたい!)
そして――。
「みーつけた!」
男の子の声がして――イフェリーナはゆっくりと夢の世界から覚醒する。
ローラは繕い物をしていた手を止めると、部屋の中を振り返った。
小さなお客様、翼人の少女――イフェリーナが眠ったまま泣いている。
すでに日は天頂に達する刻限であったが、ローラはイフェリーナを起こさないように、静かに立ち上がると、彼女の頬にそっと触れ涙をすくう。
昨夜、イフェリーナは、お腹いっぱいになるまでシチューを食べた後、横になった途端に糸が切れてしまったかのように眠ってしまった。VIVID XXL
湯浴みで身体を綺麗にしてもらい、何ヶ月ぶりかで温かい食事を満腹になるまで食べ、どっと疲れが出てしまったのだろう。
里が滅んでからろくな食べ物も食べていなかったのは、ひどく痩せ細ったイフェリーナを見ればわかることだ。
(まだこんなに小さいのに、よく頑張ったわね)
何重にも袖を折っただぶだぶの服から覗く、イフェリーナの固く、ギュッと握りしめられた拳をそっと包むようにして握る。
すると、イフェリーナがゆっくりと目を覚ました。
彼女の赤い瞳は、しばし周囲に視線を彷徨わせると、ローラの顔へと視点を結ぶ。
「怖い夢でも見たの? 大丈夫、ここは安全だからね。怖くなんて無いのよ」
「……あのね……リーナはね。餌なんだって……リーナがここにいると、悪い奴がやってきて、皆をいじめるの……」
顔をグシャグシャにして泣くイフェリーナ。
「大丈夫よ? 悪い奴はみんながやっつけてくれるわ」
(どうか、みなさん気をつけて……)
イフェリーナの言葉に不吉な予感を覚えつつ、ローラは冒険者たちの無事を願いながら少女をあやし続けた。
「うわあ、凄かったな。かっこいい!」
犬頭の大きな魔物が振るう丸太の様な棍棒を受け止めるオールト。
一撃を受けたものの、刹那の一瞬で槍を引き戻し衝撃を弱めてみせたルイスの槍さばき。
そして、イリザの火球の魔法からのポウラットの必殺の攻撃。
ほんの僅かの間に見せた、熟練した冒険者たちの連携攻撃に、ウィンはまばたきをすることも忘れて食い入るように見つめていた。
コボルトが前のめりに倒れた瞬間、ウィンは息すらも止めていたことに気が付き、何度も息を大きく吸い込んだ。
身体が熱く感じる。
震えが走る。
木剣を握りしめる右手のひらに汗を搔いていた。
「凄い、凄いよレティ! かっこいい! 僕もああなりたいよ!」
大人の冒険者たちが醸し出す雰囲気、武器を下ろす姿。
ウィンは興奮に目を輝かせレティに話しかける。
しかし、興奮するウィンとは裏腹にレティは黙ったまま、強く彼の左腕を握ってきた。
腕を強く握りしめてくるレティに驚いて目を向ける。
「どうしたんだよ? レティ」
そこでウィンは自分の左腕を掴んだまま、小さく震え続けるレティに気がついた。
「……怖い。怖いよ、お兄ちゃん。あの犬さん、まだ……死んでない」
コボルトは胸を剣で貫かれ、倒れ伏している。
その剣の柄に手を掛けて、いまポウラットが引き抜こうと引っ張っていた。
「ええ? 死んでるよ! 大丈夫だよ、みんながやっつけたから!」
ウィンの言葉にレティが小さく首を振る。
「あのね? なんか変なものが見えるの。あの犬さんの周囲に、なんか怖いものが集まってる」
レティはウィンに抱きついてきた。
「怖いよ、お兄ちゃん!」
「怖いもの? そんなもの見えないけど、何が見えるの?」
「レティにもよくわかんないの。あのお姉ちゃんがおっきい火を作った時に似てるけど、全然違う怖いものが集まっているのが見えるの」
レティはイリザを指さしながら泣きそうな表情を浮かべる。
「おーいお前ら、もう大丈夫だ。どうした? 初めて見た戦闘は恐ろしかったか? ちょっと、ルイスのやつがポカやらかしたが、何てことはない。いい勉強になっただろう?」
レティの様子に気がついたのだろう、オールトがウィンたちの方へと歩いて来ようとしていた。
髭面の強面を、精一杯の優しげな笑顔で取り繕うとしている。
――レティには自分にはない才能がある。
ウィンは一緒に鍛錬をしている時も、勉強をしている時も、常々そう感じていた。
剣も、魔法も、レティはウィンが身に付けた技術を僅かの時間で吸収して会得してしまう。
物語の中に出てくる騎士、英雄、偉人、聖者、そして勇者。
常人を超えた力を持つ者たち。
レティはもしかしたら、彼らに匹敵しうる才能の持ち主なのかもしれない。
物語の主人公になれる素質――。
ウィンには感じ取ることができないが、レティにはもしかしたら――。
「……オールトさん」
(レティがそう言うのであれば、あれはまだ死んでいない!)
「どうした? ウィン」
「レティが……レティがそいつ、まだ死んでないって!」
「どういうことだ?」
「うわ……ああああ!?」
ウィンが告げると同時に、ポウラットの悲鳴が周囲に響き渡った。
「……なに!?」
「ポウラットさん!」
コボルトが立ち上がっている。
剣で胸を貫かれたまま――。
ポウラットは尻もちを付いたまま、愕然とした表情を浮かべて犬頭の魔物を見上げている。
「バカな! 心臓を貫いているのに! 魔物といえど、身体の作りは生物と同じはず!」
ある程度の治癒も終わり半身を起こしたルイスと、治癒しきれなかった傷に包帯を巻いていたイリザが驚愕の視線で犬頭の魔物を見つめている。福潤宝
「……ククク、ハーッハッハッハ!」
野太い声で哄笑を上げる。
「イヤイヤイヤ、なかなかやるじゃないか? 冒険者っていうの? 思わぬ掘り出し物だったわ! こんなに楽しめるとは思わなかったぜ?」
「コ、コボルトが喋った?」
「ああ、喋るぜ? 喋っちゃおかしいか? まあ、俺様はコボルトなんかじゃねぇ。ヴェルダロスと名乗る存在だ」
驚きで思わず声を漏らしたイリザに律儀に返事を返す。
哄笑とともに、胸を貫いていた剣が抜けていく。
音もなく、血が噴き出ることもなく、手で触ることもなく勝手に抜けた剣は、一瞬空中で浮かんだまま静止した後、カランッという軽い音を立てて地面に転がる。
「里に殺さずに生かしておいたガキに誘われて来る翼人を待ちぶせていたんだが、最近はまるでこなくなっちまってな。退屈していたところなんだよ。だから、少し俺と遊んでくれよ?」
人差し指と中指を曲げて、オールトたちを手招きして挑発してみせる。
「この化け物め!」
叫ぶと同時に、オールトがヴェルダロスと名乗った魔物に向かって走った。
突進の勢いそのままに、右手の斧を振り下ろす。
オールトの豪腕が振り下ろす斧の刃は、岩をも穿つ達人の刃。
しかし――。
渾身の力を込めたオールトの一撃を、ヴェルダロスは棍棒を持たない片手で受け止めていた。
手のひらには刃先が食い込んでいない。
「いい一撃だが、俺にはただの刃は効かないぜ? 魔族だからな。魔族と戦うには、魔法か魔力を込められた武器しか通用しない。知らないのか?」
受け止めた斧の刃を砕き掴むと、そのまま振り払った。
斧の柄を握りしめたままのオールトが、大地から根を引っこ抜かれたように吹き飛ばされる。
「ぐっ……化け物め……」
木の幹に叩きつけられ、オールトは呻き声を上げた。
「オールト!」
ルイスの側で治癒魔法をかけていたイリザが立ち上がると、口早に魔法の詠唱を開始する。
立ち上がったオールトが再び走りだした。
「おいおい、得物も無しにどうしようってんだ?」
オールトは右手に握りしめていた斧の柄を、ウェルダロスへと力いっぱい投げつける。
咄嗟にそれを手で払いのけるヴェルダロス。
『刃よ、我に従え! 我、剣の理を識りて、刃に現す!』
イリザの魔法が完成する。
その目標は、先ほどヴェルダロスの胸から抜け落ち地面に転がっていた、ポウラットの剣。
オールトはそれを拾い上げると、斬りかかる。
「付与魔法か、面白れぇ!」
オールトの剣が縦横無尽に振り回される。
付与魔法によって魔力を宿し、淡く輝く剣身が空中にその軌跡を描き出す。
得意とする得物である斧でなくても、オールトの剣技は十分に一流の域へと達していた。
しかし、当たらない。
ヴェルダロスはその巨体に見合わぬ、俊敏さでオールトの剣を軽々と避けていく。OB蛋白の繊型曲痩 Ⅲ
そして――。
「おらよ!」
避けるに徹していたヴェルダロスが、不意に右手に持っていた棍棒を振り回す。
至近距離で剣を振り回していたオールトはそれを避けられない。
咄嗟に盾をかざして身を守ろうとする。
ドゴンッという爆発音のような音を立てて、棍棒と盾が衝突。
オールトは吹き飛ばされると大地に叩きつけられた。
振り切っていた剣がオールトの手を離れて逆の方向へ、イリザの横を抜けてウィンとレティの側にまで飛んでいって突き刺さる。
「おっと、つい力が入りすぎてしまった。残念だ、その腕じゃもう戦えないだろう?」
棍棒を受け止めた鉄の盾は無残なまでに凹んでいた。
盾を支えていたオールトの腕は、ヴェルダルスの棍棒を受け止めた衝撃で、まるで内部から破裂したかのように血にまみれていた。
筋肉を、皮を破って骨が覗いている。
「オールト!」
ポウラットがオールトの下へと駆け寄る。
無事な右手を首へと回し、ポウラットはオールトを担ぎ上げた。
「おっと、逃げ出すつもりか? そう簡単に俺が逃すと思ってるのかよ?」
嘲笑の色を浮かべて言うヴェルダロスに、オールトはポウラットの肩を借りてヴェルダロスから離れようとしながら、
「貴様から逃げ出しているんじゃない、俺はただそこから離れているだけだ」
「なに?」
『――炎弾よ、穿て!』
イリザの全魔力を込めた、火球がヴェルダロスの背に着弾。爆炎を噴き上げた。
「やった!?」
確かに命中したのを確認し、イリザが喜色の混じった声を上げる。
しかし――。
「甘ぇよ!」
ヴェルダロスが棍棒を一振りした。
暴風のような突風に炎が吹き散らされる。
「確かに俺たち魔族は魔法か魔法によって強化された武器でしか倒すことはできねぇ。だが、その程度の魔法なんざ、翼人どもの魔法と違って防ぐまでもない!」
「そんな……」
「まあ、多少は痛かったけどな。少しは楽しめたが、しょせん人間なんざこの程度か。翼人も来なくなったし、さっさと貴様らを始末してあの餌にしていたガキも殺すとするか」
「化け物め……」
オールトは唇が切れるほどに噛み締め、ポウラットは蒼白を通り越して土気色の表情でヴェルダロスを見つめていた。
イリザは全魔力を使い果たしてしまったのだろう。
地面にへたり込み、激しく喘いでいる。
そのそばで槍を失ってしまったルイスが、予備の武器である短剣を抜いて上体を起こしていた。CROWN 3000
2014年8月9日星期六
「まんぷく亭」にて
「豚の生姜焼き定食二つ、ミックスフライ定食三つ、豚キムチ丼一つ、注文いただきましたぁ~~~~~!!!!」
「あいよ~~~!!! ……くそっ、どれか1つに注文絞れよめんどくせえ……!」
中級区大通りから一つはずれた通りに位置する「まんぷく亭」の看板娘、カオルの注文に答えた貴大は、誰にも聞こえないような声で一人ごちる。田七人参
「がははっ!! な~に言ってやがる! てめえが考えた料理だろ! 自業自得だ!! がはは!」
しっかりと聞かれていたようだ。恨めしそうな顔の貴大の背中をバンバンと叩きながら豪快に笑う巨漢の名はアカツキ。「まんぷく亭」の店主である、ジパング産まれの父を持つハーフの中年だ。筋骨隆々としたその体躯と、繊細な響きをもつ名の齟齬が激しい。
「くそっ……前の店だったらもっと楽ができたのに……」
ガハガハ笑って遠ざかっていく背中を見つめながら、ぼそりと洩らす貴大。
そう、半年前の「まんぷく亭」は、こんなに繁盛はしていなかったのだ。
数ヶ月前、「何でも屋・フリーライフ」の近所に定食屋がオープンした。聞くところによると、ジパングの米の飯を出すらしい。
これには、貴大は狂喜乱舞した。なにせ、日本人の主食である「米」だ。貴大が落ちた場所は「アース」の東大陸西部。地球ではヨーロッパにあたる地方の主食は、当然ながらパンか芋だ。
大ぶりなジャバニカ米をリゾットにして食べさせる店もあったが、どうにもしっくりこない。ジャポニカ米をくれ……! という切実な思いは、貴大の心の底で溜まり続けていた。
そんな折、「ジパングの米を食わせる店ができた」と、小耳にはさんだ。ジパングと言えば、地球でいうところの日本……! ならば、米も当然ジャポニカ米だ!! 貴大は遮二無二駆け出した。
「いらっしゃい!!」
高なる胸を抑え、「まんぷく亭」の扉を開く。物珍しさからか、昼時も過ぎたと言うのにそれなりに客の姿が見える店内。ジパング人らしさが風貌から伺える店主。そして、決定的なのが、厨房の奥に鎮座する羽釜……! これは期待できる……! 椅子に座りながらも、そわそわと落ち着きが無い。
「お客さん、いらっしゃい!注文は決まりました?」
「ぁえっ!? あ、ああ、この……日替わり定食を」
「かしこまりました~」
(いかん、ぼーっとしてた……いや、無理もないか)
夢にまでみた銀シャリだ。はしゃぐなと言う方が無理だ。芳しい米の香りが鼻腔をくすぐる。今なら丼三杯は食える……!
そんな飢えた獣のような目をした貴大の前に、料理が運ばれてくる。五分ほどしか経っていない。素晴らしい早さだ。ブラボー!
「お待たせしました~! こちら、本日の日替わり定食で~す」
「あ、どうも」
軽く会釈をして、備え付けられた箸をビッ! と引き抜く。目の前にはつやつやと輝く白米。更には、一汁三菜揃っている。威哥十鞭王
素晴らしい! 素晴らしい!! 感動に震える心のまま、まずはお浸しに箸を伸ばす。これでご飯をほうばれば、天国の始まりだ・・・!
天国は、始まらなかった。
茹でて冷水にさらして軽く絞ったほうれん草にかかっていた黒い液体は、醤油ではなくバルサミコ酢だ。
「………………え?」
味噌汁だと思っていた茶褐色の汁ものに口をつける。豆のポタージュだ。
「………………はい?」
メインの照り焼きチキンにかぶりつく。これは燻製鳥のオイル焼きだ。
「お、ぉおぉおおぉぉおおぉ……!?」
天国の代わりに始まる混乱の嵐。故郷を偲ばせる米の味と、パンや芋には合うだろうオカズの味が、口の中で不協和音をバラまく。
いや、合わないことはないのだ。米の飯は守備範囲が広い。合わないものを探す方が大変だ。
しかし、日本の味に飢えていた貴大が求めていたのは、こんな「洋風」ですらない、完全な「西洋料理」の味ではない。
醤油だ! 味噌だ! 出汁だ! 特に醤油だ!
「白い飯には醤油だろうが……!!」
食いしばった歯の隙間から絞り出すように怨嗟の声を吐き出す貴大。
「うん? ショーユってなんですか?」
耳聡く聞きつける「まんぷく亭」の看板娘。少し話を聴けば、その言葉通り、「醤油」の存在を知らないらしい。味噌も、出汁もだ。
「つまり、この店はジパングの米を出すだけで、料理は他の店と変わらない、と……?」
「そうですよ?」
……貴大の心のどこかで、何かが壊れた。
「ふざっけるなあああああ~~~~~~!!!!」
「きゃあああああ~~~~!!?」
そこからの一週間、貴大は当時のことをよく思い出せない。
アカツキやカオルから話を聴くと、鬼のような形相で厨房へと入り、アカツキをふん捕まえてジパング料理を叩きこみ始めたそうだ。
曰く、「今ある食材でも米の飯がもりもり食えるもんは作れるだろうが!! おら、ミックスフライだ!! タルタルソースで食ってみろぉ!!!」とアカツキの口に揚げたてのミックスフライを詰め込んだ、とのこと。
曰く、「おらぁ!! 料理人スキル【超熟成】と【調味料作成】で作った醤油と味噌とウスターソースだぁ!! こいつを使って料理をしやがれぇ!! レシピも伝授してやるぜぇ!!!」と、カオルの胸の谷間にウスターソースの瓶を差しこんだ、とのこと。
当時の自分はどれだけ飢えていたんだよ……と、頭を抱える貴大。ともあれ、こうして「まんぷく亭」は、米の飯をいかにうまく食べさせるか、をモットーにした日本式の定食屋へと生まれ変わり、開店から一カ月経たないうちにすっかり繁盛店へと姿を変えたのだった。老虎油
「そのおかげで、今の苦労があるわけか……確かに自業自得だ……」
常のランチタイムの客+会議所から吐き出される客の群れを捌き終え、ぐったりと机に突っ伏す貴大。時刻は14:00。ラストオーダーも終わり、店も「準備中」となる時間だ。
「ねねね、タカヒロ! 今日のまかないは私がつくったんだ! ほらほら食べてみて!」
同じだけ働いたのに、どこにそんな元気が残ってるのやら。「まんぷく亭」の看板娘が、お盆に飯とおかずを載せて駆け寄ってくる。
疲れて動けなくても、働いた分だけ腹は減る。のろのろと箸に手を伸ばし、皿の中を覗き込む。
「おっ、今日はレバニラか。疲れたからありがたい……おお、なかなかいい出来だ」
「えへっ、そ、そう? おいしい?」
「ああ、うまい。飯がすすむ」
「そっか、よかったぁ。タカヒロってこういう味が好きだもんね!」
うまいうまいと山盛りのレバニラと丼飯を平らげる貴大。それをニコニコと見つめるカオル。更にその二人をニヤニヤと見つめるアカツキ。監視社会か、ここは……もちろんヒエラルキーの最下層は貴大だ。世知辛い。
「ふう……ご馳走さま」
「はい、お粗末さまでした」
昼のまかないを胃に収め、一息つく。このまま昼寝でもしそうにくつろいでいる。カオルはそんな貴大を見てくすりと笑い、食器を厨房へと下げに戻った。
(いやぁ、いっそのこと散歩の依頼はブッチするか……?)
ハロルド夫人は上級区の人間とは言え、所詮は平民だ。貴族王族ではない。依頼を断ったからと言って、牢屋にぶち込んだり体罰を与えたりはしないだろう。一か月も姿を眩ませていれば、あの頭のネジがゆるそうな有閑マダムのことだ、今回のことなど忘れるに違いない。麻黄
「そうと決まれば……」
「……そうと決まれば、何です?」
「うぇああっ!!? な、なんでお前がここにっ!!?」
いつの間にか背後に立っていた「何でも屋・フリーライフ」の住み込み使用人。いつもどおりの無表情な顔で、貴大を見下ろしている。
「あ、タカヒロー! ユミィちゃん来てるよー!」
「そういうことは早よ言え!!」
あわわわわ……と震える貴大。ユミィの湖面のように澄んだ瞳は、彼が何を考えているか見通しているかのようだ。
「……そうと決まれば、早速次の仕事へ行くか、ですよね?ご主人さま」
またもやどこからともなく取りだした鞭を、ピシリピシリと床に打ちつける使用人。あれはとても痛いんだ……でも、その痛みはやがて快楽に……ならないならない、あれは痛みだけ。冗談抜きで痛い。マジで。
「も、もちろんだ! 早く行かなきゃ一日が終わるもんな! ははは……」
「……抜き打ちで確認をするので、しっかり労働に励まれますように」
「ハイ……」
監視社会は未だ継続中のようだった。もちろん、監視される側は貴大。ヒエラルキーの最下層だ。世知辛い。
使用人に連行されて次なる仕事へと赴く貴大。背中には、「お仕事、頑張ってね~」というカオルの声。引き留めるどころか、仕事へと駆り立てる激励だ。
貴大の耳には、どこからともなくドナドナが響いてくるのが聞こえた……。D9 催情剤
「あいよ~~~!!! ……くそっ、どれか1つに注文絞れよめんどくせえ……!」
中級区大通りから一つはずれた通りに位置する「まんぷく亭」の看板娘、カオルの注文に答えた貴大は、誰にも聞こえないような声で一人ごちる。田七人参
「がははっ!! な~に言ってやがる! てめえが考えた料理だろ! 自業自得だ!! がはは!」
しっかりと聞かれていたようだ。恨めしそうな顔の貴大の背中をバンバンと叩きながら豪快に笑う巨漢の名はアカツキ。「まんぷく亭」の店主である、ジパング産まれの父を持つハーフの中年だ。筋骨隆々としたその体躯と、繊細な響きをもつ名の齟齬が激しい。
「くそっ……前の店だったらもっと楽ができたのに……」
ガハガハ笑って遠ざかっていく背中を見つめながら、ぼそりと洩らす貴大。
そう、半年前の「まんぷく亭」は、こんなに繁盛はしていなかったのだ。
数ヶ月前、「何でも屋・フリーライフ」の近所に定食屋がオープンした。聞くところによると、ジパングの米の飯を出すらしい。
これには、貴大は狂喜乱舞した。なにせ、日本人の主食である「米」だ。貴大が落ちた場所は「アース」の東大陸西部。地球ではヨーロッパにあたる地方の主食は、当然ながらパンか芋だ。
大ぶりなジャバニカ米をリゾットにして食べさせる店もあったが、どうにもしっくりこない。ジャポニカ米をくれ……! という切実な思いは、貴大の心の底で溜まり続けていた。
そんな折、「ジパングの米を食わせる店ができた」と、小耳にはさんだ。ジパングと言えば、地球でいうところの日本……! ならば、米も当然ジャポニカ米だ!! 貴大は遮二無二駆け出した。
「いらっしゃい!!」
高なる胸を抑え、「まんぷく亭」の扉を開く。物珍しさからか、昼時も過ぎたと言うのにそれなりに客の姿が見える店内。ジパング人らしさが風貌から伺える店主。そして、決定的なのが、厨房の奥に鎮座する羽釜……! これは期待できる……! 椅子に座りながらも、そわそわと落ち着きが無い。
「お客さん、いらっしゃい!注文は決まりました?」
「ぁえっ!? あ、ああ、この……日替わり定食を」
「かしこまりました~」
(いかん、ぼーっとしてた……いや、無理もないか)
夢にまでみた銀シャリだ。はしゃぐなと言う方が無理だ。芳しい米の香りが鼻腔をくすぐる。今なら丼三杯は食える……!
そんな飢えた獣のような目をした貴大の前に、料理が運ばれてくる。五分ほどしか経っていない。素晴らしい早さだ。ブラボー!
「お待たせしました~! こちら、本日の日替わり定食で~す」
「あ、どうも」
軽く会釈をして、備え付けられた箸をビッ! と引き抜く。目の前にはつやつやと輝く白米。更には、一汁三菜揃っている。威哥十鞭王
素晴らしい! 素晴らしい!! 感動に震える心のまま、まずはお浸しに箸を伸ばす。これでご飯をほうばれば、天国の始まりだ・・・!
天国は、始まらなかった。
茹でて冷水にさらして軽く絞ったほうれん草にかかっていた黒い液体は、醤油ではなくバルサミコ酢だ。
「………………え?」
味噌汁だと思っていた茶褐色の汁ものに口をつける。豆のポタージュだ。
「………………はい?」
メインの照り焼きチキンにかぶりつく。これは燻製鳥のオイル焼きだ。
「お、ぉおぉおおぉぉおおぉ……!?」
天国の代わりに始まる混乱の嵐。故郷を偲ばせる米の味と、パンや芋には合うだろうオカズの味が、口の中で不協和音をバラまく。
いや、合わないことはないのだ。米の飯は守備範囲が広い。合わないものを探す方が大変だ。
しかし、日本の味に飢えていた貴大が求めていたのは、こんな「洋風」ですらない、完全な「西洋料理」の味ではない。
醤油だ! 味噌だ! 出汁だ! 特に醤油だ!
「白い飯には醤油だろうが……!!」
食いしばった歯の隙間から絞り出すように怨嗟の声を吐き出す貴大。
「うん? ショーユってなんですか?」
耳聡く聞きつける「まんぷく亭」の看板娘。少し話を聴けば、その言葉通り、「醤油」の存在を知らないらしい。味噌も、出汁もだ。
「つまり、この店はジパングの米を出すだけで、料理は他の店と変わらない、と……?」
「そうですよ?」
……貴大の心のどこかで、何かが壊れた。
「ふざっけるなあああああ~~~~~~!!!!」
「きゃあああああ~~~~!!?」
そこからの一週間、貴大は当時のことをよく思い出せない。
アカツキやカオルから話を聴くと、鬼のような形相で厨房へと入り、アカツキをふん捕まえてジパング料理を叩きこみ始めたそうだ。
曰く、「今ある食材でも米の飯がもりもり食えるもんは作れるだろうが!! おら、ミックスフライだ!! タルタルソースで食ってみろぉ!!!」とアカツキの口に揚げたてのミックスフライを詰め込んだ、とのこと。
曰く、「おらぁ!! 料理人スキル【超熟成】と【調味料作成】で作った醤油と味噌とウスターソースだぁ!! こいつを使って料理をしやがれぇ!! レシピも伝授してやるぜぇ!!!」と、カオルの胸の谷間にウスターソースの瓶を差しこんだ、とのこと。
当時の自分はどれだけ飢えていたんだよ……と、頭を抱える貴大。ともあれ、こうして「まんぷく亭」は、米の飯をいかにうまく食べさせるか、をモットーにした日本式の定食屋へと生まれ変わり、開店から一カ月経たないうちにすっかり繁盛店へと姿を変えたのだった。老虎油
「そのおかげで、今の苦労があるわけか……確かに自業自得だ……」
常のランチタイムの客+会議所から吐き出される客の群れを捌き終え、ぐったりと机に突っ伏す貴大。時刻は14:00。ラストオーダーも終わり、店も「準備中」となる時間だ。
「ねねね、タカヒロ! 今日のまかないは私がつくったんだ! ほらほら食べてみて!」
同じだけ働いたのに、どこにそんな元気が残ってるのやら。「まんぷく亭」の看板娘が、お盆に飯とおかずを載せて駆け寄ってくる。
疲れて動けなくても、働いた分だけ腹は減る。のろのろと箸に手を伸ばし、皿の中を覗き込む。
「おっ、今日はレバニラか。疲れたからありがたい……おお、なかなかいい出来だ」
「えへっ、そ、そう? おいしい?」
「ああ、うまい。飯がすすむ」
「そっか、よかったぁ。タカヒロってこういう味が好きだもんね!」
うまいうまいと山盛りのレバニラと丼飯を平らげる貴大。それをニコニコと見つめるカオル。更にその二人をニヤニヤと見つめるアカツキ。監視社会か、ここは……もちろんヒエラルキーの最下層は貴大だ。世知辛い。
「ふう……ご馳走さま」
「はい、お粗末さまでした」
昼のまかないを胃に収め、一息つく。このまま昼寝でもしそうにくつろいでいる。カオルはそんな貴大を見てくすりと笑い、食器を厨房へと下げに戻った。
(いやぁ、いっそのこと散歩の依頼はブッチするか……?)
ハロルド夫人は上級区の人間とは言え、所詮は平民だ。貴族王族ではない。依頼を断ったからと言って、牢屋にぶち込んだり体罰を与えたりはしないだろう。一か月も姿を眩ませていれば、あの頭のネジがゆるそうな有閑マダムのことだ、今回のことなど忘れるに違いない。麻黄
「そうと決まれば……」
「……そうと決まれば、何です?」
「うぇああっ!!? な、なんでお前がここにっ!!?」
いつの間にか背後に立っていた「何でも屋・フリーライフ」の住み込み使用人。いつもどおりの無表情な顔で、貴大を見下ろしている。
「あ、タカヒロー! ユミィちゃん来てるよー!」
「そういうことは早よ言え!!」
あわわわわ……と震える貴大。ユミィの湖面のように澄んだ瞳は、彼が何を考えているか見通しているかのようだ。
「……そうと決まれば、早速次の仕事へ行くか、ですよね?ご主人さま」
またもやどこからともなく取りだした鞭を、ピシリピシリと床に打ちつける使用人。あれはとても痛いんだ……でも、その痛みはやがて快楽に……ならないならない、あれは痛みだけ。冗談抜きで痛い。マジで。
「も、もちろんだ! 早く行かなきゃ一日が終わるもんな! ははは……」
「……抜き打ちで確認をするので、しっかり労働に励まれますように」
「ハイ……」
監視社会は未だ継続中のようだった。もちろん、監視される側は貴大。ヒエラルキーの最下層だ。世知辛い。
使用人に連行されて次なる仕事へと赴く貴大。背中には、「お仕事、頑張ってね~」というカオルの声。引き留めるどころか、仕事へと駆り立てる激励だ。
貴大の耳には、どこからともなくドナドナが響いてくるのが聞こえた……。D9 催情剤
2014年8月7日星期四
メイン&サブ
「やだっ、来ないで、来ないでぇ……!」
悲鳴がした辺りへ辿り着いた俺たちの目に飛び込んできたのは、レベル80のユニークモンスター、「フォレスト・ベアー」に追われる少女の姿だった。挺三天
まだ、13、4ぐらいの年齢であろう栗色の髪をした女の子は、「森のクマさん」とも呼ばれるヒグマを一回り大きくしたようなモンスターから逃げようと、必死になって足を動かしていた。
だが、相手は森の中では抜群の探知、走破能力を誇るユニークモンスターだ。あんなか弱そうな女の子じゃあ、どうやっても逃げ切れるもんじゃない。それでも彼女が未だに無事なのは、「フォレスト・ベアー」の悪癖のおかげだったんだろう。
すなわち、「獲物が疲れて動けなくなるまでつけ回す」という嗜虐的な癖……≪Another World Online≫でも、初心者プレイヤーにトラウマを植えつけた「森のクマさん」の恐怖だ。
足を止めればその場で食われる。森から抜け出すことも許しちゃくれない。「フォレスト・ベアー」と遭遇した力なき者は、やがては動き疲れて足を止めてしまい、その瞬間に頭からバリバリと食われてしまうんだ……。
バーチャルでも滅茶苦茶怖かったモンスターだ。もしもリアルで現れたら、その恐怖は仮想現実の比ではないと思ってはいたが……まさか、その話が現実のものとなるとは思わなかったね。
どこか笑っているようにも見える「森のクマさん」は、恐怖と疲れで今にも倒れそうな少女へと、じりじりと距離を詰める。奴は、か弱い者にとっては命を狩り取る死神だ。きっと、足を止めた瞬間に嬉々として彼女の体を貪り喰らうだろう。
まだ幼さが抜けきらないような女の子の体を……。
「助けて……!」
そこで女の子に助けを求められてしまえば、もうダメだ。時にはお人よしやお節介と笑われる俺の性分が、俺の体を勝手に走り出させていた。
バーチャルと比べて「生々しい」モンスターがなんだ、肌が引きつるようなリアルな恐怖がなんだ。そんなものが入る余地がないほどに、俺の心は妙な焦りで満ちていた。
俺は走る。恐怖に涙を流す女の子の元へと……。
だが、そんな俺を追い越して駆け抜ける影があった。
それはれんちゃんだ。腰のベルトに繋がった鞘からロングソードを抜き放ち、残像すら残さぬほどの早さで「フォレスト・ベアー」に迫る俺の幼馴染。
「助けて、助けてぇぇぇ!」
そして、少女が最後の助けを求める悲鳴を上げたかどうかというところで……。
「ガ、アア、ア……」
れんちゃんは、造作もなく「フォレスト・ベアー」を上下に両断していた。
「ふ~、間にあったな……あれ?」
れんちゃんは間にあった。牙が少女に食い込む前に、モンスターを魔素の粒子に散らせていた。
でも、あまりの恐怖に気を失ったのか、少女は前のめりに倒れ伏してしまっていた。
「どうしたんだろ? お~い、大丈夫?」VIVID XXL
特にうろたえることもなく、まぶたを閉じたままの少女を仰向けに寝かせ直してやり、頬をぴたぴたと軽く叩いて起こそうとするれんちゃん。
そこに俺たちも合流し、顔を青白く染めた少女の姿に軽くパニクった優介が【ヒール】を連発したりしていた。
その甲斐もあったのかな……時間と共に彼女の顔には血の気が戻っていき、三十分も経った頃には目も覚ましてすっかり復調していた。
「じゃあ、みなさんは冒険者なんですか?」
「うん、そうだよ」
俺たちを代表してれんちゃんが女の子……モニカの問いかけに答える。れんちゃんは女ばかりの家庭育ちで、学校でもよく女子と話していたからな。女の子の相手には最適だと思ったんだ。
モンスターに襲われたばかりの女の子に三人揃ってあれこれ聞いても混乱させるばかりだろうって、モニカが寝ている間に話し合っていたんだ。だから、聞きたいことはたくさんあったけれど、まずは彼女が落ち付くのを待とうと決めていたんだ。
でも、目を覚ましたモニカが落ち付くのなんて一瞬だったね。
最初こそ「っ!? えっ、えっ!?」なんて慌てていたけれど、れんちゃんが「大丈夫?」って優しく声をかけたら「あ……」って息をもらして大人しくなっちゃうんだもんな。
隣で優介が「イケメン補正ってチートだよな……」ってぼやいていたのを覚えている。
「わたし、冒険者の人にはじめて会いました」
「うん? 冒険者って……いるよね? どこにでも」
「ううん、うちの村にも周りにも迷宮はないし、珍しい魔物もいないから来ないんです。行商のおじさんに聞いたことはありますけど、見たことはなくて……都会に行って冒険者になるぜー、って人もいますけど、たいてい挫折して戻ってきますし」福潤宝
「あっ、そういうことな。いるにはいるんだな……うんうん」
時おり、優介が気になったことを聞いている。「ここは異世界ですか?」なんて聞いても頭がおかしくなっていると思われるから、何気ない会話の中から情報を拾っていくんだぜ! なんて言ってたっけな。
「だから、冒険者として活躍できる人ってどんな人なのかずっと気になっていて……みなさんみたいに若い人でも、あんなに怖くて大きな魔物を倒せちゃうんですね! これが冒険者で食べていける人の力なんだぁ……助けてくれて、本当にありがとうございました!」
「いやぁ、いいんだよ、そんな、お礼なんて……」
「なんで優介が照れるんだよ。倒したのはこいつだよ。れんちゃん……いや、蓮次だ。俺たちは見てただけ。お礼ならこいつに言いな」
「あっ、馬鹿っ、余計なこと言うなよ~!」
結果的とはいえ、何もしていないのにお礼を言われるとどうにも居心地が悪くなるからな。純朴で可愛いモニカに礼を言われて嬉しがる優介の頭を小突いて、後ろでにこにこ微笑んでいたれんちゃんを前に押し出してやった。
「あっ……あ、あなただったんですか……」
「まぁ、魔物を倒したのは俺だよ。でもさ……」
「ありがとうございます!」
「わっ」
感極まったように、れんちゃんの両手を掴んでぶんぶんと上下に振るモニカ。その瞳はキラキラと輝いて、まるで王子様に助けられた少女のようだった。
「ありがとうございます、レンジさん! おかげで死なずに済みました……! お、お礼! お礼をしたいから、ぜひうちの村へ来てください!」
すっかり上気しきった顔で、「ぜひ、ぜひ!」とれんちゃんの手を引くモニカ。だけど、れんちゃんは困った顔でこちらを振り返る。OB蛋白の繊型曲痩 Ⅲ
「いいけど……あいつらと一緒でもいい?」
流石、「男友達と遊んでた方が楽しいし」と平然と言い放つイケメン……俺たちへの配慮も忘れていない。
「もちろんですよ! レンジさんのお友だちも歓迎します!」
「じゃあ、お世話になるよ。案内してくれるかな」
「はい、わたしの村はこっちです!」
「フォレスト・ベアー」に襲われていたことも忘れてしまったかのように、元気いっぱいにれんちゃんを引っ張っていくモニカ。
一応、「みなさんも早く~!」と声はかけられたものの、俺と優介は放置された形となってしまった。
あの時の気分は、そうだな……リアルで三人でつるんでいた時に、れんちゃんだけ女子に話しかけられた時の気分に似ていた。って、まんまだな、そりゃ。
「相変わらずモテモテだな、れんちゃん」
「言うなよ、貴大……虚しくなるだろ」
「もう慣れたわ」
「訓練されたモブ夫め!」
こうして、頬を染めた女の子に手を引かれたれんちゃんの後について、優介と俺はやいのやいのとじゃれあいながら歩いていったんだ。
≪Another World Online≫そっくりの異世界でどう動くか。そんな俺たちの方針を決めた場所……俺たちにとっての始まりの村、「カルロック村」へ。CROWN 3000
悲鳴がした辺りへ辿り着いた俺たちの目に飛び込んできたのは、レベル80のユニークモンスター、「フォレスト・ベアー」に追われる少女の姿だった。挺三天
まだ、13、4ぐらいの年齢であろう栗色の髪をした女の子は、「森のクマさん」とも呼ばれるヒグマを一回り大きくしたようなモンスターから逃げようと、必死になって足を動かしていた。
だが、相手は森の中では抜群の探知、走破能力を誇るユニークモンスターだ。あんなか弱そうな女の子じゃあ、どうやっても逃げ切れるもんじゃない。それでも彼女が未だに無事なのは、「フォレスト・ベアー」の悪癖のおかげだったんだろう。
すなわち、「獲物が疲れて動けなくなるまでつけ回す」という嗜虐的な癖……≪Another World Online≫でも、初心者プレイヤーにトラウマを植えつけた「森のクマさん」の恐怖だ。
足を止めればその場で食われる。森から抜け出すことも許しちゃくれない。「フォレスト・ベアー」と遭遇した力なき者は、やがては動き疲れて足を止めてしまい、その瞬間に頭からバリバリと食われてしまうんだ……。
バーチャルでも滅茶苦茶怖かったモンスターだ。もしもリアルで現れたら、その恐怖は仮想現実の比ではないと思ってはいたが……まさか、その話が現実のものとなるとは思わなかったね。
どこか笑っているようにも見える「森のクマさん」は、恐怖と疲れで今にも倒れそうな少女へと、じりじりと距離を詰める。奴は、か弱い者にとっては命を狩り取る死神だ。きっと、足を止めた瞬間に嬉々として彼女の体を貪り喰らうだろう。
まだ幼さが抜けきらないような女の子の体を……。
「助けて……!」
そこで女の子に助けを求められてしまえば、もうダメだ。時にはお人よしやお節介と笑われる俺の性分が、俺の体を勝手に走り出させていた。
バーチャルと比べて「生々しい」モンスターがなんだ、肌が引きつるようなリアルな恐怖がなんだ。そんなものが入る余地がないほどに、俺の心は妙な焦りで満ちていた。
俺は走る。恐怖に涙を流す女の子の元へと……。
だが、そんな俺を追い越して駆け抜ける影があった。
それはれんちゃんだ。腰のベルトに繋がった鞘からロングソードを抜き放ち、残像すら残さぬほどの早さで「フォレスト・ベアー」に迫る俺の幼馴染。
「助けて、助けてぇぇぇ!」
そして、少女が最後の助けを求める悲鳴を上げたかどうかというところで……。
「ガ、アア、ア……」
れんちゃんは、造作もなく「フォレスト・ベアー」を上下に両断していた。
「ふ~、間にあったな……あれ?」
れんちゃんは間にあった。牙が少女に食い込む前に、モンスターを魔素の粒子に散らせていた。
でも、あまりの恐怖に気を失ったのか、少女は前のめりに倒れ伏してしまっていた。
「どうしたんだろ? お~い、大丈夫?」VIVID XXL
特にうろたえることもなく、まぶたを閉じたままの少女を仰向けに寝かせ直してやり、頬をぴたぴたと軽く叩いて起こそうとするれんちゃん。
そこに俺たちも合流し、顔を青白く染めた少女の姿に軽くパニクった優介が【ヒール】を連発したりしていた。
その甲斐もあったのかな……時間と共に彼女の顔には血の気が戻っていき、三十分も経った頃には目も覚ましてすっかり復調していた。
「じゃあ、みなさんは冒険者なんですか?」
「うん、そうだよ」
俺たちを代表してれんちゃんが女の子……モニカの問いかけに答える。れんちゃんは女ばかりの家庭育ちで、学校でもよく女子と話していたからな。女の子の相手には最適だと思ったんだ。
モンスターに襲われたばかりの女の子に三人揃ってあれこれ聞いても混乱させるばかりだろうって、モニカが寝ている間に話し合っていたんだ。だから、聞きたいことはたくさんあったけれど、まずは彼女が落ち付くのを待とうと決めていたんだ。
でも、目を覚ましたモニカが落ち付くのなんて一瞬だったね。
最初こそ「っ!? えっ、えっ!?」なんて慌てていたけれど、れんちゃんが「大丈夫?」って優しく声をかけたら「あ……」って息をもらして大人しくなっちゃうんだもんな。
隣で優介が「イケメン補正ってチートだよな……」ってぼやいていたのを覚えている。
「わたし、冒険者の人にはじめて会いました」
「うん? 冒険者って……いるよね? どこにでも」
「ううん、うちの村にも周りにも迷宮はないし、珍しい魔物もいないから来ないんです。行商のおじさんに聞いたことはありますけど、見たことはなくて……都会に行って冒険者になるぜー、って人もいますけど、たいてい挫折して戻ってきますし」福潤宝
「あっ、そういうことな。いるにはいるんだな……うんうん」
時おり、優介が気になったことを聞いている。「ここは異世界ですか?」なんて聞いても頭がおかしくなっていると思われるから、何気ない会話の中から情報を拾っていくんだぜ! なんて言ってたっけな。
「だから、冒険者として活躍できる人ってどんな人なのかずっと気になっていて……みなさんみたいに若い人でも、あんなに怖くて大きな魔物を倒せちゃうんですね! これが冒険者で食べていける人の力なんだぁ……助けてくれて、本当にありがとうございました!」
「いやぁ、いいんだよ、そんな、お礼なんて……」
「なんで優介が照れるんだよ。倒したのはこいつだよ。れんちゃん……いや、蓮次だ。俺たちは見てただけ。お礼ならこいつに言いな」
「あっ、馬鹿っ、余計なこと言うなよ~!」
結果的とはいえ、何もしていないのにお礼を言われるとどうにも居心地が悪くなるからな。純朴で可愛いモニカに礼を言われて嬉しがる優介の頭を小突いて、後ろでにこにこ微笑んでいたれんちゃんを前に押し出してやった。
「あっ……あ、あなただったんですか……」
「まぁ、魔物を倒したのは俺だよ。でもさ……」
「ありがとうございます!」
「わっ」
感極まったように、れんちゃんの両手を掴んでぶんぶんと上下に振るモニカ。その瞳はキラキラと輝いて、まるで王子様に助けられた少女のようだった。
「ありがとうございます、レンジさん! おかげで死なずに済みました……! お、お礼! お礼をしたいから、ぜひうちの村へ来てください!」
すっかり上気しきった顔で、「ぜひ、ぜひ!」とれんちゃんの手を引くモニカ。だけど、れんちゃんは困った顔でこちらを振り返る。OB蛋白の繊型曲痩 Ⅲ
「いいけど……あいつらと一緒でもいい?」
流石、「男友達と遊んでた方が楽しいし」と平然と言い放つイケメン……俺たちへの配慮も忘れていない。
「もちろんですよ! レンジさんのお友だちも歓迎します!」
「じゃあ、お世話になるよ。案内してくれるかな」
「はい、わたしの村はこっちです!」
「フォレスト・ベアー」に襲われていたことも忘れてしまったかのように、元気いっぱいにれんちゃんを引っ張っていくモニカ。
一応、「みなさんも早く~!」と声はかけられたものの、俺と優介は放置された形となってしまった。
あの時の気分は、そうだな……リアルで三人でつるんでいた時に、れんちゃんだけ女子に話しかけられた時の気分に似ていた。って、まんまだな、そりゃ。
「相変わらずモテモテだな、れんちゃん」
「言うなよ、貴大……虚しくなるだろ」
「もう慣れたわ」
「訓練されたモブ夫め!」
こうして、頬を染めた女の子に手を引かれたれんちゃんの後について、優介と俺はやいのやいのとじゃれあいながら歩いていったんだ。
≪Another World Online≫そっくりの異世界でどう動くか。そんな俺たちの方針を決めた場所……俺たちにとっての始まりの村、「カルロック村」へ。CROWN 3000
2014年8月5日星期二
腐った街で
貴大が駆けつけた時には、もう手遅れだった。
街の人間の多くは、散布されたウィルスによって感染者ゾンビと化していた。かろうじて難を逃れた者、ウィルスに耐性がある者も、ゾンビに襲われて彼らの仲間入りを果たしている。挺三天
まだ『ヒト』のままでいる者は、人口の一割にも満たない。城壁の上から、ゾンビに埋め尽くされた正門前広場を見つめ、貴大は悔しそうに顔を歪めた。
「これは、俺が招いた事態だ……グランフェリアにあんなもん持って帰らなけりゃ、この光景はなかった」
遠くで誰かの悲鳴が聞こえた。風に乗って粘着質な水音が耳に届いた。十分前までは人としての生を謳歌していた者たちは、濁った瞳で得物を探していた。
「あ゛あ゛~、いだぁ~」
ここにも一人――いや、一匹。ゾンビがいる。
城壁の上にしつらえられた歩道を、よたよたと頼りない足取りで歩く中年男。警備隊の一人だったのだろう。白い胸当てと兜を身につけた男は、己の持ち場も放棄して、貴大へと近づく。
「わがい~、肉だぁ~」
嬉しそうに、本当に嬉しそうに貴大へと両手を伸ばす中年男。しかし、ずれた兜からのぞく二つの眼まなこは、肉欲に白く濁っていた。
「……すまん」
捕食のための抱擁を、貴大は冷たい刃で拒絶した。
銀のナイフを、一振り、二振り。それだけで、中年男の首は裂け、断面からはドス黒い血がどろりと溢れ出した。
「本当に、すまない」
どさりと音を立てて倒れた警備兵を見つめ、貴大はまた、顔をしかめる。
城壁の上から遠くを見つめ、彼は耐え切れないとばかりに、苦い、苦い、声を漏らす。
「でも、俺、本当に男色だけは無理なんだわ」
「いやだぁぁぁぁ!」
貴大が見つめる先、下級区と中級区を分かつ城壁の近くでは、一人の青年がゾンビたちに襲われていた。
「オレはゾンビなんかになりたくぅうむむむっむう~~~~~っ!?」
脂ぎった禿頭の中年に、唇で口を塞がれる青年。厚ぼったい唇での濃厚なベーゼに、青年は手足をでたらめに動かすが、精一杯の抵抗も他のゾンビたちに取り押さえられ、じゅっぱじゅっぱと激しい音を立てて、体中にキスマークが刻み込まれていった。
やがて青年の抵抗が収まる頃、禿ゾンビはようやくつかんでいた肩を離した。背中から地面に落とされた青年の目は、他のゾンビたちと同じく、暗く、暗く、濁っている。彼の目の縁から、一筋の涙が流れ落ちていった。
「〈Another Wolrd Online〉では、捕まった時点で視界が暗転していたのに……やっぱり、仮想現実と現実では、生々しさが違うってことか」
吐き気を催したかのように胸を押さえ、貴大は遠くの出来事から視線を外す。
そして、記憶に残る『死霊都市Z ~ゾンビは生肉の夢を見るか?~』というイベントの趣旨と概要について、両腕を組んで考え始めた。
(ゾンビものに見せかけた、ゲテモノ系イベント。それが『死霊都市Z ~ゾンビは生肉の夢を見るか?~』だ。プレイヤーは、ウィルスに感染したNPCが溢れる街で、生き残りをかけて必死に戦う。ここまでは普通のゾンビものと一緒なんだが……)
再度、響き渡る悲鳴。下級区の民家の屋上で、追い詰められた少年が、感染者たちの熱烈なキスを浴びていた。
(違うのは、あれだ。このイベントのゾンビたちは、噛み付いてくるんじゃなくてセクハラをしてくるんだ。キス、甘噛み、指ちゅぱ、頬ずり、尻撫で……まるで恋人にするかのようなエロいことを、よりにもよって『同性』相手にするんだ)
男が男を、女が女を襲う、生き物としての摂理に反した暴行。その結果として、人間はゾンビへと変わる。
(死ぬんじゃなくて、ウィルスに感染する。そして、街の至る所で薔薇と百合が咲き乱れる。花の都には相応しいのかもしれんが……あいにく、人間の大部分はノーマルだ)
のどの裂傷を再生して立ち上がり、貴大に唇を突き出して迫る警備兵を蹴り飛ばして、貴大は城壁の下に向けて走り出した。VIVID XXL
「グランフェリアがソドムやアライグマ町みたいに焼き滅ぼされる前に、俺が何とかしなくちゃな」
他国の軍勢や勇者によって、感染者の街と化したグランフェリアが焼き払われる。そのような事態を回避するために、貴大はナイフ片手に悪徳の街へと駆け出した。
彼の視界には、『感染率:0%』、『港へ向かえ!』という二つの文字が浮かんでいた。
日頃から込み入っている下級区には、それだけ多くの人間がいる。
正門から放射状に伸びる五つの大通りにも、複雑に入り組んだ路地の中にも、大きな樽や木箱がいくつも水揚げされる西の港にも、老若男女、様々な人たちがいる。
それら全てが感染者となり、そのうち半数が貴大の唇や尻を狙って襲いかかってくるのだからたまらない。責任を感じ、事態の収束に向けて動き出した貴大は、下級区を数ブロックも進まないうちに、早くも泣き出しそうだった。
「うう、男なのに男性恐怖症になりそうだ」
緩慢な動きで群がる男たちをなぎ倒し、貴大は一路、中級区へと向かう。
ここまでの道中、襲ってきたのは全て男だった。華奢な少年が、精悍な青年が、ビール腹を揺らした中年男が、杖をついた老人が、同性に手を伸ばし、その肉を貪ろうとする。
倒れても倒れても起き上がり、唇をちゅぱちゅぱと鳴らす異常なまでの獣欲に、貴大は子犬のようにぶるぶると震えていた。
それでも、前へ前へと進めているのは、ひとえに高い身体能力のおかげだろう。恐怖心から強く腕を振っただけで、何体かの感染者は吹き飛び、一時的に動きを止めていた。
「でも、中途半端なんだよな……ホラーゲームらしいというか何というか」
類稀なる強靭な肉体。大の大人を片手で持ち上げる膂力。風のような疾走を可能とする足腰。それら全てを総動員すれば、一分もかからずに中級区へとたどり着くことができる。
わざわざ、感染者が道を塞ぐ道路に下りる必要はない。城壁から手近な民家へと飛び移り、八艘飛びのように屋根から屋根へと移動すればいい。それだけの力はあったし、過去、何度か行ったこともあった。
だが、それらすべての行動は、『ホラーゲームらしい制限』で封じられていた。
「決められたルートしか移動できない。窓を割れば入れるような民家に入れない。余裕で飛び越えられるバリケートは突破できず、一部のスキル以外は全部使用禁止……はあ、地道に頑張るしかないか」
未練がましく屋根の上を見つめながら、貴大はMAPに示されたルートを進む。
南の正門から西の港へと、城壁沿いにぐるりと迂回するかのように進み、迫る感染者を倒し続ける。相も変わらず、彼に近づいてくるのは男の感染者ばかりであり、女の感染者はたとえ老婆であっても見向きもしない。
いっそ清々しいほど徹底された同性愛に、貴大は悲しくもないのに涙を流した。
――だからこそ、たどり着いた港で遭遇した感染者に、貴大は驚きを禁じえなかった。
「か、カオル!?」
港で魚や貝を焼いて売る――売っていたであろう中年女に紛れ、熱に浮かされたかのようにゆらゆらと体を揺らす、買い物籠を下げた少女。福潤宝
黒髪の中に一房、赤毛が混じった庶民的な少女は、貴大を見つけると嬉しそうに笑い、彼に向かって両手を伸ばした。
「あ゛~、タカヒロだぁ~。どこいっでたのぉ~」
よたよたと、幼子のような足つきで貴大に迫るカオル。頬を赤く染め、瞳をどんよりと濁らせた彼女は、もたれかかるかのように貴大に抱きつき、露出していた二の腕に噛み付いた。
「えへへ~。これでタカヒロは、わだしのものぉ~」
かぷかぷ、はみはみと貴大の腕に甘噛みするカオル。かゆいような、くすぐったいような刺激と、知り合いの感染者との遭遇。そして何より、『女の』感染者が自分を襲ったという事実に、貴大は抵抗もせずに立ち尽くす。
『0%』から『3%』へ。『3%』から『5%』へ上がる感染率。それでも貴大は動かない。
「キス、しよ? キスぅ~」
しかし、致命傷にもなりかねない口づけが迫れば、咄嗟に体も動くというもの。貴大は背伸びして唇を近づけるカオルの頭を両手で固定して、ねじる様に首を回した。
「せいやっ!」
「あふんっ」
こきゃっ、という軽い音とともに、崩れ落ちる黒髪の少女。
危ないところで窮地を脱することができたが、貴大は焦りを顔に浮かべたままだった。
「なんで『女』が俺を襲うんだ? ま、まさか、条件が変わったのか?」
青い顔をして辺りを見回す貴大。しかし、そこら中にいる中年女や老婆たちは、彼を見向きもしていない。遠くから熱烈な視線を送ってくるのは、やはり『男』で、『女』は誰も、貴大に興味を示していなかった。
「じゃあ、なんでカオルは……もしかして、こいつ、男か」
「前から胸が小さいとは思っていたが……」と呟きながら、薄青色のワンピースのすそをめくる貴大。だが、少女はやはり少女であり、見慣れたふくらみは股の間には存在しなかった。
そうなると、逆に際立つのがカオルの特異性だ。
なぜ、この少女は貴大に近づいてきたのか? なぜ、この少女だけが貴大を襲ったのか?
カオルだけが特別なのだと決め付けてしまうには判断材料が足りず、自身と街の運命がかかったサバイバルにおいては、安易な予想や決め付けは危険だった。
これからは、女も襲いかかってくるという気構えを持たなければならない。それほどの慎重さが求められているのだと、貴大は認識を新たにした。
「タカ、ヒロ……ごはん、だよ……」
「じゃあな。復活しても追いかけてくんなよ」
ねじれた首を元の位置に戻し始めた少女を残し、貴大は港を後にする。
今度は下級区を横断するように東に向かう。示されている目標は、『ブライト孤児院に向かえ!』。慣れ親しんだ響きに、逆に警戒心を高めながら貴大は路地を駆ける。
下級区は管理員長ミケロッティが清掃活動を開始してなお雑然としていたが、今は一昔前の状態に戻ったかのようにものが散らかり、壁が汚れていた。
誰かがつい先ほど、感染者を斬ったのだろう。まだぬらぬらと鈍く光っている血糊は、べったりと住居の壁を窓ごと濡らし、地面に滴り落ちていた。
斬られた感染者が見当たらないのは、驚異的な再生力によるものだろう。きっと、数分も経たずして傷を塞ぎ、哀れな子羊にむしゃぶりついたに違いない。そのことを思うと、何度目かの吐き気がこみ上げてくる貴大だった。
「いかんいかん。吐いたら匂いで変態が寄ってきそうだ」
気を取り直して進む貴大の顔は、まだ希望と生気に満ちている。視界の端に映る『感染率:5%』の文字に意も介さず、貴大は灰色の下級区路地を駆ける。OB蛋白の繊型曲痩 Ⅲ
グランフェリアに蓋をするかのように広がった黒雲のせいで、建物と建物に挟まれた路地は薄暗い。わずかな光も届かない物陰などは『黒』に近く、レンガの色もくすんで見えた。
曲がり角や物陰からの襲撃に警戒する貴大。その中で、壁に留められた『白』は、眩しいほどに目についた。
「ん? なんだこりゃ?」
色あせた催し物のポスターが貼られたコルクボードに、上質な白い紙がピンで留められていた。インクもまだ乾ききっていない、手紙のような白い紙。
気になった貴大は、少しの間、足を止め、真新しい紙に目を落とした。
『猛犬注意! 当区画には、犬が出ます。貴方の匂いを嗅ぎつけて、獰猛な犬がやってきます。もしも遭遇したのならば、一目散に逃げ出して、犬の縄張りから脱してください。決して、戦おうなどと考えないでください。犬は、人間よりも強いです。 Mより』
「わあ、フラグが立ったぞ!」
親切な誰かからの警告に、涙を流して喜ぶ貴大。
彼は、経験上知っていた。ホラーゲームにおいて、メモやファイル、日記に書かれているモノは、まず間違いなく出現するということを。
今回のような直接的な警告でなくてもいい。『こんな音がする』とか、『こんな影を見た』とか、『あれはなんだっ!?』といった記述でもかまわない。
大事なのは、存在が示唆されること。紙に書かれたモノたちは、実体を持って現れる。
「犬……そういえば、さっきからゾンビがいない」
これまでの道のりで、どこにでもいた感染者たちが、今はいない。
路地は不思議と一直線で、突き当たりにはいかにもな塀があった。おまけに、わずかに鼻をつく獣臭と、耳をすませば聞こえてくる犬のうなり声。決定的な状況に、貴大はようやく気がついた。
「これは、もしかするともしかするのか……?」
できれば、予想が外れて欲しいと願いながら、貴大は恐る恐る、歩を進めていく。
だが、願いはあっさりと打ち砕かれ、『猛犬』は誰かの忠告通りにやってきた。
「アオーーーーーーーーーンッ!」
ゾンビ犬だっ!
「ってか、クルミアとゴルディじゃねえか!!」
身長180センチを超える犬の獣人が、四つん這いになって貴大へと駆けてくる。
十歳児クルミアと、姉のようなゴルディ。ゴールデンレトリバーの特徴をもった獣人たちは、まさしく犬のような速さで貴大に飛びかかる!
「タカヒロ~♪」
「ぺろぺろ! ぺろぺろ!」
「ぐあっ!」
クルミアは無邪気で、天真爛漫な心優しい少女。なまじ感染前の姿を知っていたせいで貴大の手は鈍り、猛犬たちのタックルを許してしまう。
「タカヒロ~、すきすき~♪」
「わんわんお! わんわんお!」
「うっぷ、や、止めっ!?」
仰向けに倒れた貴大にのしかかり、顔を近づけるわんこたち。
口や目を狙って繰り出される舌の乱舞に、貴大の感染率は見る見るうちに上昇していく。
『5%』から『10%』、『10%』から『20%』。異様な速度で上昇する感染率に、貴大は焦り、クルミアたちにナイフを突き刺そうとする。
「くぅ~ん……」
しかし、できない。硬質な刃の剣呑な輝きを目にしたわんこたちが、悲しげな声を鼻から漏らすと、貴大の手はぴたりと止まってしまう。そして、ひるんだ隙に、再度の猛攻を許してしまう。
このままでは、自分も感染者の仲間入りを果たしてしまう。そのことがわかっていながら、どうしても貴大はナイフを振り下ろせなかった。CROWN 3000
街の人間の多くは、散布されたウィルスによって感染者ゾンビと化していた。かろうじて難を逃れた者、ウィルスに耐性がある者も、ゾンビに襲われて彼らの仲間入りを果たしている。挺三天
まだ『ヒト』のままでいる者は、人口の一割にも満たない。城壁の上から、ゾンビに埋め尽くされた正門前広場を見つめ、貴大は悔しそうに顔を歪めた。
「これは、俺が招いた事態だ……グランフェリアにあんなもん持って帰らなけりゃ、この光景はなかった」
遠くで誰かの悲鳴が聞こえた。風に乗って粘着質な水音が耳に届いた。十分前までは人としての生を謳歌していた者たちは、濁った瞳で得物を探していた。
「あ゛あ゛~、いだぁ~」
ここにも一人――いや、一匹。ゾンビがいる。
城壁の上にしつらえられた歩道を、よたよたと頼りない足取りで歩く中年男。警備隊の一人だったのだろう。白い胸当てと兜を身につけた男は、己の持ち場も放棄して、貴大へと近づく。
「わがい~、肉だぁ~」
嬉しそうに、本当に嬉しそうに貴大へと両手を伸ばす中年男。しかし、ずれた兜からのぞく二つの眼まなこは、肉欲に白く濁っていた。
「……すまん」
捕食のための抱擁を、貴大は冷たい刃で拒絶した。
銀のナイフを、一振り、二振り。それだけで、中年男の首は裂け、断面からはドス黒い血がどろりと溢れ出した。
「本当に、すまない」
どさりと音を立てて倒れた警備兵を見つめ、貴大はまた、顔をしかめる。
城壁の上から遠くを見つめ、彼は耐え切れないとばかりに、苦い、苦い、声を漏らす。
「でも、俺、本当に男色だけは無理なんだわ」
「いやだぁぁぁぁ!」
貴大が見つめる先、下級区と中級区を分かつ城壁の近くでは、一人の青年がゾンビたちに襲われていた。
「オレはゾンビなんかになりたくぅうむむむっむう~~~~~っ!?」
脂ぎった禿頭の中年に、唇で口を塞がれる青年。厚ぼったい唇での濃厚なベーゼに、青年は手足をでたらめに動かすが、精一杯の抵抗も他のゾンビたちに取り押さえられ、じゅっぱじゅっぱと激しい音を立てて、体中にキスマークが刻み込まれていった。
やがて青年の抵抗が収まる頃、禿ゾンビはようやくつかんでいた肩を離した。背中から地面に落とされた青年の目は、他のゾンビたちと同じく、暗く、暗く、濁っている。彼の目の縁から、一筋の涙が流れ落ちていった。
「〈Another Wolrd Online〉では、捕まった時点で視界が暗転していたのに……やっぱり、仮想現実と現実では、生々しさが違うってことか」
吐き気を催したかのように胸を押さえ、貴大は遠くの出来事から視線を外す。
そして、記憶に残る『死霊都市Z ~ゾンビは生肉の夢を見るか?~』というイベントの趣旨と概要について、両腕を組んで考え始めた。
(ゾンビものに見せかけた、ゲテモノ系イベント。それが『死霊都市Z ~ゾンビは生肉の夢を見るか?~』だ。プレイヤーは、ウィルスに感染したNPCが溢れる街で、生き残りをかけて必死に戦う。ここまでは普通のゾンビものと一緒なんだが……)
再度、響き渡る悲鳴。下級区の民家の屋上で、追い詰められた少年が、感染者たちの熱烈なキスを浴びていた。
(違うのは、あれだ。このイベントのゾンビたちは、噛み付いてくるんじゃなくてセクハラをしてくるんだ。キス、甘噛み、指ちゅぱ、頬ずり、尻撫で……まるで恋人にするかのようなエロいことを、よりにもよって『同性』相手にするんだ)
男が男を、女が女を襲う、生き物としての摂理に反した暴行。その結果として、人間はゾンビへと変わる。
(死ぬんじゃなくて、ウィルスに感染する。そして、街の至る所で薔薇と百合が咲き乱れる。花の都には相応しいのかもしれんが……あいにく、人間の大部分はノーマルだ)
のどの裂傷を再生して立ち上がり、貴大に唇を突き出して迫る警備兵を蹴り飛ばして、貴大は城壁の下に向けて走り出した。VIVID XXL
「グランフェリアがソドムやアライグマ町みたいに焼き滅ぼされる前に、俺が何とかしなくちゃな」
他国の軍勢や勇者によって、感染者の街と化したグランフェリアが焼き払われる。そのような事態を回避するために、貴大はナイフ片手に悪徳の街へと駆け出した。
彼の視界には、『感染率:0%』、『港へ向かえ!』という二つの文字が浮かんでいた。
日頃から込み入っている下級区には、それだけ多くの人間がいる。
正門から放射状に伸びる五つの大通りにも、複雑に入り組んだ路地の中にも、大きな樽や木箱がいくつも水揚げされる西の港にも、老若男女、様々な人たちがいる。
それら全てが感染者となり、そのうち半数が貴大の唇や尻を狙って襲いかかってくるのだからたまらない。責任を感じ、事態の収束に向けて動き出した貴大は、下級区を数ブロックも進まないうちに、早くも泣き出しそうだった。
「うう、男なのに男性恐怖症になりそうだ」
緩慢な動きで群がる男たちをなぎ倒し、貴大は一路、中級区へと向かう。
ここまでの道中、襲ってきたのは全て男だった。華奢な少年が、精悍な青年が、ビール腹を揺らした中年男が、杖をついた老人が、同性に手を伸ばし、その肉を貪ろうとする。
倒れても倒れても起き上がり、唇をちゅぱちゅぱと鳴らす異常なまでの獣欲に、貴大は子犬のようにぶるぶると震えていた。
それでも、前へ前へと進めているのは、ひとえに高い身体能力のおかげだろう。恐怖心から強く腕を振っただけで、何体かの感染者は吹き飛び、一時的に動きを止めていた。
「でも、中途半端なんだよな……ホラーゲームらしいというか何というか」
類稀なる強靭な肉体。大の大人を片手で持ち上げる膂力。風のような疾走を可能とする足腰。それら全てを総動員すれば、一分もかからずに中級区へとたどり着くことができる。
わざわざ、感染者が道を塞ぐ道路に下りる必要はない。城壁から手近な民家へと飛び移り、八艘飛びのように屋根から屋根へと移動すればいい。それだけの力はあったし、過去、何度か行ったこともあった。
だが、それらすべての行動は、『ホラーゲームらしい制限』で封じられていた。
「決められたルートしか移動できない。窓を割れば入れるような民家に入れない。余裕で飛び越えられるバリケートは突破できず、一部のスキル以外は全部使用禁止……はあ、地道に頑張るしかないか」
未練がましく屋根の上を見つめながら、貴大はMAPに示されたルートを進む。
南の正門から西の港へと、城壁沿いにぐるりと迂回するかのように進み、迫る感染者を倒し続ける。相も変わらず、彼に近づいてくるのは男の感染者ばかりであり、女の感染者はたとえ老婆であっても見向きもしない。
いっそ清々しいほど徹底された同性愛に、貴大は悲しくもないのに涙を流した。
――だからこそ、たどり着いた港で遭遇した感染者に、貴大は驚きを禁じえなかった。
「か、カオル!?」
港で魚や貝を焼いて売る――売っていたであろう中年女に紛れ、熱に浮かされたかのようにゆらゆらと体を揺らす、買い物籠を下げた少女。福潤宝
黒髪の中に一房、赤毛が混じった庶民的な少女は、貴大を見つけると嬉しそうに笑い、彼に向かって両手を伸ばした。
「あ゛~、タカヒロだぁ~。どこいっでたのぉ~」
よたよたと、幼子のような足つきで貴大に迫るカオル。頬を赤く染め、瞳をどんよりと濁らせた彼女は、もたれかかるかのように貴大に抱きつき、露出していた二の腕に噛み付いた。
「えへへ~。これでタカヒロは、わだしのものぉ~」
かぷかぷ、はみはみと貴大の腕に甘噛みするカオル。かゆいような、くすぐったいような刺激と、知り合いの感染者との遭遇。そして何より、『女の』感染者が自分を襲ったという事実に、貴大は抵抗もせずに立ち尽くす。
『0%』から『3%』へ。『3%』から『5%』へ上がる感染率。それでも貴大は動かない。
「キス、しよ? キスぅ~」
しかし、致命傷にもなりかねない口づけが迫れば、咄嗟に体も動くというもの。貴大は背伸びして唇を近づけるカオルの頭を両手で固定して、ねじる様に首を回した。
「せいやっ!」
「あふんっ」
こきゃっ、という軽い音とともに、崩れ落ちる黒髪の少女。
危ないところで窮地を脱することができたが、貴大は焦りを顔に浮かべたままだった。
「なんで『女』が俺を襲うんだ? ま、まさか、条件が変わったのか?」
青い顔をして辺りを見回す貴大。しかし、そこら中にいる中年女や老婆たちは、彼を見向きもしていない。遠くから熱烈な視線を送ってくるのは、やはり『男』で、『女』は誰も、貴大に興味を示していなかった。
「じゃあ、なんでカオルは……もしかして、こいつ、男か」
「前から胸が小さいとは思っていたが……」と呟きながら、薄青色のワンピースのすそをめくる貴大。だが、少女はやはり少女であり、見慣れたふくらみは股の間には存在しなかった。
そうなると、逆に際立つのがカオルの特異性だ。
なぜ、この少女は貴大に近づいてきたのか? なぜ、この少女だけが貴大を襲ったのか?
カオルだけが特別なのだと決め付けてしまうには判断材料が足りず、自身と街の運命がかかったサバイバルにおいては、安易な予想や決め付けは危険だった。
これからは、女も襲いかかってくるという気構えを持たなければならない。それほどの慎重さが求められているのだと、貴大は認識を新たにした。
「タカ、ヒロ……ごはん、だよ……」
「じゃあな。復活しても追いかけてくんなよ」
ねじれた首を元の位置に戻し始めた少女を残し、貴大は港を後にする。
今度は下級区を横断するように東に向かう。示されている目標は、『ブライト孤児院に向かえ!』。慣れ親しんだ響きに、逆に警戒心を高めながら貴大は路地を駆ける。
下級区は管理員長ミケロッティが清掃活動を開始してなお雑然としていたが、今は一昔前の状態に戻ったかのようにものが散らかり、壁が汚れていた。
誰かがつい先ほど、感染者を斬ったのだろう。まだぬらぬらと鈍く光っている血糊は、べったりと住居の壁を窓ごと濡らし、地面に滴り落ちていた。
斬られた感染者が見当たらないのは、驚異的な再生力によるものだろう。きっと、数分も経たずして傷を塞ぎ、哀れな子羊にむしゃぶりついたに違いない。そのことを思うと、何度目かの吐き気がこみ上げてくる貴大だった。
「いかんいかん。吐いたら匂いで変態が寄ってきそうだ」
気を取り直して進む貴大の顔は、まだ希望と生気に満ちている。視界の端に映る『感染率:5%』の文字に意も介さず、貴大は灰色の下級区路地を駆ける。OB蛋白の繊型曲痩 Ⅲ
グランフェリアに蓋をするかのように広がった黒雲のせいで、建物と建物に挟まれた路地は薄暗い。わずかな光も届かない物陰などは『黒』に近く、レンガの色もくすんで見えた。
曲がり角や物陰からの襲撃に警戒する貴大。その中で、壁に留められた『白』は、眩しいほどに目についた。
「ん? なんだこりゃ?」
色あせた催し物のポスターが貼られたコルクボードに、上質な白い紙がピンで留められていた。インクもまだ乾ききっていない、手紙のような白い紙。
気になった貴大は、少しの間、足を止め、真新しい紙に目を落とした。
『猛犬注意! 当区画には、犬が出ます。貴方の匂いを嗅ぎつけて、獰猛な犬がやってきます。もしも遭遇したのならば、一目散に逃げ出して、犬の縄張りから脱してください。決して、戦おうなどと考えないでください。犬は、人間よりも強いです。 Mより』
「わあ、フラグが立ったぞ!」
親切な誰かからの警告に、涙を流して喜ぶ貴大。
彼は、経験上知っていた。ホラーゲームにおいて、メモやファイル、日記に書かれているモノは、まず間違いなく出現するということを。
今回のような直接的な警告でなくてもいい。『こんな音がする』とか、『こんな影を見た』とか、『あれはなんだっ!?』といった記述でもかまわない。
大事なのは、存在が示唆されること。紙に書かれたモノたちは、実体を持って現れる。
「犬……そういえば、さっきからゾンビがいない」
これまでの道のりで、どこにでもいた感染者たちが、今はいない。
路地は不思議と一直線で、突き当たりにはいかにもな塀があった。おまけに、わずかに鼻をつく獣臭と、耳をすませば聞こえてくる犬のうなり声。決定的な状況に、貴大はようやく気がついた。
「これは、もしかするともしかするのか……?」
できれば、予想が外れて欲しいと願いながら、貴大は恐る恐る、歩を進めていく。
だが、願いはあっさりと打ち砕かれ、『猛犬』は誰かの忠告通りにやってきた。
「アオーーーーーーーーーンッ!」
ゾンビ犬だっ!
「ってか、クルミアとゴルディじゃねえか!!」
身長180センチを超える犬の獣人が、四つん這いになって貴大へと駆けてくる。
十歳児クルミアと、姉のようなゴルディ。ゴールデンレトリバーの特徴をもった獣人たちは、まさしく犬のような速さで貴大に飛びかかる!
「タカヒロ~♪」
「ぺろぺろ! ぺろぺろ!」
「ぐあっ!」
クルミアは無邪気で、天真爛漫な心優しい少女。なまじ感染前の姿を知っていたせいで貴大の手は鈍り、猛犬たちのタックルを許してしまう。
「タカヒロ~、すきすき~♪」
「わんわんお! わんわんお!」
「うっぷ、や、止めっ!?」
仰向けに倒れた貴大にのしかかり、顔を近づけるわんこたち。
口や目を狙って繰り出される舌の乱舞に、貴大の感染率は見る見るうちに上昇していく。
『5%』から『10%』、『10%』から『20%』。異様な速度で上昇する感染率に、貴大は焦り、クルミアたちにナイフを突き刺そうとする。
「くぅ~ん……」
しかし、できない。硬質な刃の剣呑な輝きを目にしたわんこたちが、悲しげな声を鼻から漏らすと、貴大の手はぴたりと止まってしまう。そして、ひるんだ隙に、再度の猛攻を許してしまう。
このままでは、自分も感染者の仲間入りを果たしてしまう。そのことがわかっていながら、どうしても貴大はナイフを振り下ろせなかった。CROWN 3000
2014年8月2日星期六
アヴァロン貧民街
雲一つない青空は鮮やかな夕焼けに染まり、古都アヴァロンの街並みを朱色に照らしていく。
スパーダとは違った様式の建物や、古代から伝わる伝統的な高い尖塔の立ち並ぶメインストリートは夕陽の赤と相俟って情緒に溢れているが、少しばかり通りを外れて奥まった方向に進めば、そこは途端に不気味な雰囲気へと一変する。SPANISCHE FLIEGE D6
無秩序に建てられた石造りの家や集合住宅アパートは、人が住むというよりもモンスターが闊歩する迷宮ダンジョンのよう。
いいや事実、この貧民街と呼ばれる掃き溜の住人は、外部からの侵入者に対してよく牙を向く。
特に、見目麗しい少女と幼い女の子を連れた姉妹など、格好の獲物である。
同じ黒髪に青い瞳をした二人は見習いの証であるローブを纏っているが、いっそ気品と呼んでも過言ではない雰囲気から、それだけの装備でも大層身なりが良いように見えた。
中でも少女が手にする金属製の長杖スタッフなど、さりげなく細かい装飾が随所に施されたシンプルながらも凝った造りで、素人目に見ても凡百の杖より高価であると察することができるだろう。
「へへっ、こんなトコロに何の用だいお嬢ちゃん?」
故に、姉妹が路地裏を歩み始めて十分と経たずにこうして絡まれるのは、自明の理である。
薄ら笑いを浮かべた一人の中年男が、二人の行く手を遮るように現れた。
「この辺りをウロつくなんてよくないなぁ、危ないヤツらに襲われちゃうよぉ」
「そうそう、俺らみたいにな!」
後方からさらに二人、逃げ道を塞ぐように現れる。
前の男は取り立てて目立った身体的特徴が見られないことから人間だと推測できるが、後ろの片方は尖った耳からエルフ、もう片方は狼の頭をしているので間違いなく狼獣人ワーウルフだと判断できた。
エルフという種族の誇りを捨て去ったかのように横に肥えた体格は、下手をすればドワーフにさえ見える。
もう片方の狼獣人は逆に痩せこけており、もはや誇り高き狼というよりも、餓えた野犬といった印象。
そんな見事に種族も特徴もバラバラの三人組ではあるが、彼らがチンピラだとかゴロツキだとか、そういった不名誉なクラス名を冠する者だというのはわざわざ説明されるまでもない。
話に聞くだけなら鼻で笑ってバカにできる底辺の人種であるが、いざ目の前に現れれば大抵の人は恐れおののくのみ。
まだ刃物の一つもチラつかせていないが、すでに十分な威圧感を持っている。
まして、少女と幼女の二人組みなど、今すぐ泣き喚いて助けを求めてもおかしくないシチュエーション。
「白光教会の孤児院へ行きたいのですが、ご存知ありませんか?」
しかし、眼鏡をかけた理知的な雰囲気そのままに、姉と思われる少女はどこか眠そうな無表情でそう質問を発した。
「チッ、テメェらあのクソガキ共の一味かっ!」
侮辱でも挑発でもなんでもない言葉であったはずだが、どうにも目の前の男を怒らせる意味合いを含んでいたようである。
「おい、どうするよ?」
「グルル、全部喰っちまえば分かんねぇよ!」
白光教会、という部分が彼らを怒らせる原因となったようではあるが、果たしてどんな因縁があるのかということは、今この状況下で問いただすことなどできそうもない。
背後の狼獣人は、台詞が冗談ではないことを証明するかのように鋭い牙を剥き出しに今にも飛び掛らんばかりの迫力。
正面の男も、太ったエルフ男も、どちらも姉妹を逃がすつもりはないとばかりに剣呑な気配を漂わせる。
「悪ぃなお嬢ちゃん、あのクソッタレなカルト信者だってんなら、手加減はできねぇぜ」
腰から下げた短剣に手をかけ、言葉通りに一切の容赦なく男が襲い掛からんとした、その時だった。
「おい、待てよオッサン共、なぁに勝手なコトしてんだよ」
正面の男の向こう側から、制止の声が上がった。
現れたのは三人の少年、胸元に十字のエンブレムがあしらわれたダボついた白い服を着込んでおり、その顔と体格からいって、恐らく未成年であると推測できる。
数の上では同じ、だが、痩せていても人間よりはパワーに優れる狼獣人ワーウルフを含む大人の男三人と、特別に高い実力を秘めているわけではなさそうな少年達では、割って入るには無理があるように思えた。
「くそっ!」
だが、忌々しそうな台詞と視線を一度だけ少年達へ向けただけで、そのまま三人は路地の向こうの闇へと退散して行った。
「見ろよ、ダセぇ!」
「ははっ、人間様に逆らってんじゃねぇぞ魔族が!」
去り行く背中に、愉快そうに少年達の罵声が響く。
そんな様子を、絡まれていた眼鏡の少女は変わらぬ無表情のまま傍観し、その足元には姉に隠れるように幼い妹が寄り添っている。
「白光教会の方ですか?」
先に言葉を発したのは少女であった。
その質問に、三人組の先頭に立つ金髪の少年が嬉しさと誇らしさの入り混じった表情で回答する。
「おう、俺らは白光教会の信者だぜ。今の見てただろ? この辺は俺らが仕切ってんだよ」
調子に乗った子供の妄言、と言い切れないのは、正しく先の一幕で証明されている。
間違いなく力で優れるはずの大人三人を、少年が一喝しただけで退いたのだ。それは何かしらの‘権力’と呼ぶべき類のパワーが働いていると見るべきだろう。SPANISCHE FLIEGE D9
「そうなんですか、そんな凄い方と出会えるなんてとても幸いです」
全くこれっぽっちも幸いに思ってないような、気だるい目つきと平坦な口調で少女が感想を述べる。
だが、眼鏡の奥に輝く麗しい青い瞳に真っ直ぐ見つめられた少年は、ただそれだけで僅かに頬を朱に染め気持ちが舞い上がった。
「そ、そうそう、俺はスゲーんだ、だからさっきみてぇなヤツらが来ても俺が守ってやるからな!」
「それはどうもありがとうございます」
ますます抑揚のない機械的な発音だったが、少年の耳にはその言葉の意味だけしか届いていないようである。
ついでに、両脇に控える仲間の少年二人から「おい、お前だけズルいぞ!」などと手荒なツッコミが入っていることも気にならないようであった。
「ところで、白光教会の孤児院を探しているのですが――」
「おお、任せときな、案内するぜ、ついて来いよ!」
ここぞとばかりに案内役を買って出た少年は、意気揚々と先導を始める。
「ありがとうございます」
それに相変わらず無表情、無感動に礼を述べる少女。
「ふふっ……」
そして、彼女の背後に隠れるように佇んでいる幼い妹が、ニヤリと口元を邪悪な笑みで歪ませた。
リリィとフィオナは首尾よく白光教会の信者と出会うことができた。
もとより、貧民街の中でも公に信者を名乗る少年達が、ここ最近かなり幅を利かせているという情報は冒険者ギルドでも知ることの出来る有名な話であった。
ようするに、その気があれば彼らと接触するのはそれほど難しくないということである。
「へぇ、姉妹で巡礼の旅をしてるなんて、偉いじゃねぇか!」
こうして、我が物顔で路地裏を突き進む少年達の姿を見れば納得できる。
そこかしこにたむろする貧民街の住人は、あからさまに少年達を避けており、大の大人が素直に道を譲っている有様だ。
ギルドの噂も、リリィが情報屋で仕入れたネタも真実であると証明された。
「いえいえ、全ては白き光のお導きによるものですから」
すっかりフィオナの美貌に魅入られた少年は、あからさまに棒読みな台詞を疑う事なく信じ、調子の良い相槌を打つことしきり。
勿論、彼女の口から語られる「姉妹で巡礼の旅を続ける敬虔な修道女シスター」の設定は、完全無欠に嘘八百である。
それでも、その演技力を除いてもボロが出そうにないのは、生まれも育ちもシンクレア共和国のフィオナが十字教について詳しいからだろう。
そもそも、いくら少年達が信者といっても、その風貌からして真の意味で宗教としての十字教について造詣が深いはずがない、誤魔化しなどいくらでも利く。
つまり、一人の信徒としてフィオナの偽装は完璧であった。
このままいけば難なく孤児院へ潜入できるだろうし、彼らの中心人物と目される「司祭様」とやらにも上手く出会えるかもしれない。
全てはリリィの計画通り、順調に進んでいた。
「なぁ、その指輪って、もしかしてカレシからのプレゼント?」
金髪の少年が、不意にその話を振るまでは。
指輪とは勿論、フィオナの左薬指に輝く思い出のシルバーリングである。
左手で握った長杖スタッフ『アインズ・ブルーム』を突きながら歩いていたからこそ、目にもつきやすかったのだろう。
質問の意図はどうであれ、フィオナには真実を語るつもりなど毛頭ないし、ローブの裾をさりげなく握って無言の注意を促すリリィの存在もある。
「……いいえ」
ただ、否定の言葉だけを咄嗟に返すことしかできなかった。
しかしフィオナは、これだけは伝えるべきであったかもしれない、この指輪が何よりも大切に思っている、彼女にとって一番の宝物であると。
「だよな、こんな安物のダセー指輪を贈るヤツなんて今時いねぇよな!」
それさえ知らせておけば、たとえ冗談でも指輪をけなすような台詞を、いくら能の足りないチンピラ小僧だって口にする事はなかっただろう。
だが、今や全てが手遅れだった。SPANISCHE FLIEGE
「実は俺さぁ、アンタに似合うスゲー指輪持ってんだよね。へへ、寄付を拒否ったケチな商人ヤロウから巻き上げたやったんだけどさぁ――」
少年が自慢げに懐から大粒のダイヤモンドがはめ込まれた指輪を取り出すと同時。
「――あ?」
彼の瞳に、両手で長杖スタッフを思い切り振り上げて――否、すでに渾身の力を篭めて振り下ろしている最中のフィオナが映った。
「ふげっ――」
顔面にめり込んだ硬質な金属の杖は、満足に悲鳴さえあげられないほどの打撃力を発揮したようだ。
肉を打つ鈍い音。かすれた呻き声。少年の体がドサリと汚らしい割れた石畳の上に落ちる。暗い路地に響き渡ったのは、そんな物音だけ。
つまるところ、誰もが声を上げることができなかった。
「クロノさんが私の為に選んでくれたんですよ……なにふざけたこと言ってるんですか……」
頭をやられたせいで確実に前後不覚に陥っている少年目掛けて、フィオナはブツブツと呟きながら容赦のない追撃を仕掛けた。
今度は杖の先端部による殴打ではなく、歩く際に地面を突き、時には土を削って魔法陣を描く杖の下部、石突と呼ばれる部分を、すでに鼻骨が砕け鼻血と涙でグシャグシャになった顔面に突き立てる。
ピックのように尖った石突は見事に少年の右目に命中。グチャリと血と肉の混ざる水音を立てながら眼球が零れ落ちた。
次はきっと左目を狙うだろう――つまり、追撃は二度、三度、フィオナの気が済むまで続けられるという事だ。
「お、おい! 何やってんだよぉ!?」
「やめろって!!」
事ここに至って、ようやく仲間の少年二人が静止の声を上げた。
しかし、あまりに突然の凶行であることと、フィオナの有無をいわせぬ圧倒的な狂気の迫力を前に、腰が引けて体を張って止めるまではいかない。
それでも、もう十を越えるほどに杖を突きこみ散々に顔面をかき回したフィオナの手は止まった。
「邪魔、しないでくださいよ」
ゆっくりと‘生き残り’である少年二人へと視線を向けたフィオナの瞳は、青と金がまだら模様に浮かび上がった、不気味な色合いへと変化していた。
眼鏡のレンズ越しに見た瞳の色は確かに青。しかし、今は殺意そのものが黄金の色彩をもったかのように煌々と輝いている。
それは美しいというよりも、ただただ混沌の様相を呈しており、視線を合わせた少年達を恐れおののかせるには十分すぎる眼力があった。
「ひ、ひぃ!」
聖書にて説かれる自己犠牲の精神など欠片も持ち合わせていないかのように、少年二人は踵を返して我先にと仲間を見捨てて走り出す。
「あーあ、台無しじゃないフィオナ」
そして、その逃走を許さなかったのは、今まで黙っていたリリィであった。
「あちゃー」という台詞が聞こえてきそうなほど悩ましげな顔と仕草を浮かべる幼女姿だが、妙に様になっているのは意識が大人のものだからだろう。
彼女が軽く手を振るうと、中空に白い光の球体が閃き、次の瞬間には逃げ去る少年達の背中に向かって放たれた矢の如く飛翔する。
事実、矢と同等かそれ以上の速度で飛ぶリリィの光弾は、あっという間に少年へと追いつき、二人の目の前にまで回りこんでから炸裂した。Motivator
「ぎゃっ!」
と、短い悲鳴をあげて転倒した二人は、揃って目元を抑えてのたうち回る。
不埒な考えで撫で撫でを迫る神学生をあしらう時に使用する優しい閃光フラッシュとは違い、直視すれば確実に失明する光量と、そうでなくても目元を焼く熱量が弾けているのだ。
不良少年如きが耐えられる痛みではない。逃走の為に再び立ち上がる事はしばらく不可能であろう。
「その辺にしときなさいよフィオナ、こんなところでも人が集ると面倒だわ」
「でも、この人まだ生きてますよ?」
はぁ、と小さく溜息をついてから、再びリリィは手元に光を生み出す。
今度は弾でもなければ光線でもない、白熱の輝きで作り出された光刃フォースエッジである。
それを、妖精の霊薬を使っても元には戻らないほどに顔面が陥没した金髪少年、その首元に差し込んだ。
ジュッ、と肉の焼ける音と匂いを迸らせ、熱したナイフでバターを切り裂くようにあっさりと首が落ちる。
元よりクズのような少年であったが、これで名実共に汚い路地裏に打ち捨てられるに相応しい生ゴミと化した。
「これで死んだわ。さぁ、先を急ぎましょう」
「……分かりました、取り乱してしまって申し訳ありません」
「いいのよ、クロノをバカにするヤツはみんな死ねばいいから」
渋々ながらも素直に頭を下げて非を認めるフィオナと、それに優しい微笑みを浮かべて理解を示すリリィ。素晴らしい友情である。
「ところでリリィさん、私が言うのもなんですけど、これじゃあ案内役がいないですよね」
どうやら正気に戻ったらしいフィオナ、瞳の色も再び眼鏡の偽装が働き青一色に戻っている。
そんな真っ当な質問をぶつけるフィオナに、
「大丈夫、なんとかなるわよ――」
ウフフ、と素敵な幼女スマイルを浮かべるリリィは、その小さな指先で天を指す。
「――もう、満月が昇っているから」
そうして、身に纏う見習い治癒術士プリーストローブを一息で脱ぎ去り、その下で幼い肢体を飾る黒いワンピースドレスと、妖精の証たる二対の羽が露わとなる。
次の瞬間には、全身が妖精結界オラクルフィールドの光で繭のように包みこまれ――気がつけば、フィオナの前には美しい少女へと変化を遂げたリリィの姿が現れた。
もっとも、変装用魔法具マジック・アイテムであるリボンとコンタクトレンズはそのままなので、髪型は変わらず黒髪ツインテールに、瞳も青のままである。
「それでは、よろしくお願いします」
「ええ、任せてちょうだい」
にっこり微笑む少女リリィは、その手に他者の頭脳を好き勝手に弄くり回せる悪夢の固有魔法エクストラたる光の針を形成しながら、未だ痛みにのたうつ二人の少年へと歩み寄っていった。蒼蝿水(FLY D5原液)
スパーダとは違った様式の建物や、古代から伝わる伝統的な高い尖塔の立ち並ぶメインストリートは夕陽の赤と相俟って情緒に溢れているが、少しばかり通りを外れて奥まった方向に進めば、そこは途端に不気味な雰囲気へと一変する。SPANISCHE FLIEGE D6
無秩序に建てられた石造りの家や集合住宅アパートは、人が住むというよりもモンスターが闊歩する迷宮ダンジョンのよう。
いいや事実、この貧民街と呼ばれる掃き溜の住人は、外部からの侵入者に対してよく牙を向く。
特に、見目麗しい少女と幼い女の子を連れた姉妹など、格好の獲物である。
同じ黒髪に青い瞳をした二人は見習いの証であるローブを纏っているが、いっそ気品と呼んでも過言ではない雰囲気から、それだけの装備でも大層身なりが良いように見えた。
中でも少女が手にする金属製の長杖スタッフなど、さりげなく細かい装飾が随所に施されたシンプルながらも凝った造りで、素人目に見ても凡百の杖より高価であると察することができるだろう。
「へへっ、こんなトコロに何の用だいお嬢ちゃん?」
故に、姉妹が路地裏を歩み始めて十分と経たずにこうして絡まれるのは、自明の理である。
薄ら笑いを浮かべた一人の中年男が、二人の行く手を遮るように現れた。
「この辺りをウロつくなんてよくないなぁ、危ないヤツらに襲われちゃうよぉ」
「そうそう、俺らみたいにな!」
後方からさらに二人、逃げ道を塞ぐように現れる。
前の男は取り立てて目立った身体的特徴が見られないことから人間だと推測できるが、後ろの片方は尖った耳からエルフ、もう片方は狼の頭をしているので間違いなく狼獣人ワーウルフだと判断できた。
エルフという種族の誇りを捨て去ったかのように横に肥えた体格は、下手をすればドワーフにさえ見える。
もう片方の狼獣人は逆に痩せこけており、もはや誇り高き狼というよりも、餓えた野犬といった印象。
そんな見事に種族も特徴もバラバラの三人組ではあるが、彼らがチンピラだとかゴロツキだとか、そういった不名誉なクラス名を冠する者だというのはわざわざ説明されるまでもない。
話に聞くだけなら鼻で笑ってバカにできる底辺の人種であるが、いざ目の前に現れれば大抵の人は恐れおののくのみ。
まだ刃物の一つもチラつかせていないが、すでに十分な威圧感を持っている。
まして、少女と幼女の二人組みなど、今すぐ泣き喚いて助けを求めてもおかしくないシチュエーション。
「白光教会の孤児院へ行きたいのですが、ご存知ありませんか?」
しかし、眼鏡をかけた理知的な雰囲気そのままに、姉と思われる少女はどこか眠そうな無表情でそう質問を発した。
「チッ、テメェらあのクソガキ共の一味かっ!」
侮辱でも挑発でもなんでもない言葉であったはずだが、どうにも目の前の男を怒らせる意味合いを含んでいたようである。
「おい、どうするよ?」
「グルル、全部喰っちまえば分かんねぇよ!」
白光教会、という部分が彼らを怒らせる原因となったようではあるが、果たしてどんな因縁があるのかということは、今この状況下で問いただすことなどできそうもない。
背後の狼獣人は、台詞が冗談ではないことを証明するかのように鋭い牙を剥き出しに今にも飛び掛らんばかりの迫力。
正面の男も、太ったエルフ男も、どちらも姉妹を逃がすつもりはないとばかりに剣呑な気配を漂わせる。
「悪ぃなお嬢ちゃん、あのクソッタレなカルト信者だってんなら、手加減はできねぇぜ」
腰から下げた短剣に手をかけ、言葉通りに一切の容赦なく男が襲い掛からんとした、その時だった。
「おい、待てよオッサン共、なぁに勝手なコトしてんだよ」
正面の男の向こう側から、制止の声が上がった。
現れたのは三人の少年、胸元に十字のエンブレムがあしらわれたダボついた白い服を着込んでおり、その顔と体格からいって、恐らく未成年であると推測できる。
数の上では同じ、だが、痩せていても人間よりはパワーに優れる狼獣人ワーウルフを含む大人の男三人と、特別に高い実力を秘めているわけではなさそうな少年達では、割って入るには無理があるように思えた。
「くそっ!」
だが、忌々しそうな台詞と視線を一度だけ少年達へ向けただけで、そのまま三人は路地の向こうの闇へと退散して行った。
「見ろよ、ダセぇ!」
「ははっ、人間様に逆らってんじゃねぇぞ魔族が!」
去り行く背中に、愉快そうに少年達の罵声が響く。
そんな様子を、絡まれていた眼鏡の少女は変わらぬ無表情のまま傍観し、その足元には姉に隠れるように幼い妹が寄り添っている。
「白光教会の方ですか?」
先に言葉を発したのは少女であった。
その質問に、三人組の先頭に立つ金髪の少年が嬉しさと誇らしさの入り混じった表情で回答する。
「おう、俺らは白光教会の信者だぜ。今の見てただろ? この辺は俺らが仕切ってんだよ」
調子に乗った子供の妄言、と言い切れないのは、正しく先の一幕で証明されている。
間違いなく力で優れるはずの大人三人を、少年が一喝しただけで退いたのだ。それは何かしらの‘権力’と呼ぶべき類のパワーが働いていると見るべきだろう。SPANISCHE FLIEGE D9
「そうなんですか、そんな凄い方と出会えるなんてとても幸いです」
全くこれっぽっちも幸いに思ってないような、気だるい目つきと平坦な口調で少女が感想を述べる。
だが、眼鏡の奥に輝く麗しい青い瞳に真っ直ぐ見つめられた少年は、ただそれだけで僅かに頬を朱に染め気持ちが舞い上がった。
「そ、そうそう、俺はスゲーんだ、だからさっきみてぇなヤツらが来ても俺が守ってやるからな!」
「それはどうもありがとうございます」
ますます抑揚のない機械的な発音だったが、少年の耳にはその言葉の意味だけしか届いていないようである。
ついでに、両脇に控える仲間の少年二人から「おい、お前だけズルいぞ!」などと手荒なツッコミが入っていることも気にならないようであった。
「ところで、白光教会の孤児院を探しているのですが――」
「おお、任せときな、案内するぜ、ついて来いよ!」
ここぞとばかりに案内役を買って出た少年は、意気揚々と先導を始める。
「ありがとうございます」
それに相変わらず無表情、無感動に礼を述べる少女。
「ふふっ……」
そして、彼女の背後に隠れるように佇んでいる幼い妹が、ニヤリと口元を邪悪な笑みで歪ませた。
リリィとフィオナは首尾よく白光教会の信者と出会うことができた。
もとより、貧民街の中でも公に信者を名乗る少年達が、ここ最近かなり幅を利かせているという情報は冒険者ギルドでも知ることの出来る有名な話であった。
ようするに、その気があれば彼らと接触するのはそれほど難しくないということである。
「へぇ、姉妹で巡礼の旅をしてるなんて、偉いじゃねぇか!」
こうして、我が物顔で路地裏を突き進む少年達の姿を見れば納得できる。
そこかしこにたむろする貧民街の住人は、あからさまに少年達を避けており、大の大人が素直に道を譲っている有様だ。
ギルドの噂も、リリィが情報屋で仕入れたネタも真実であると証明された。
「いえいえ、全ては白き光のお導きによるものですから」
すっかりフィオナの美貌に魅入られた少年は、あからさまに棒読みな台詞を疑う事なく信じ、調子の良い相槌を打つことしきり。
勿論、彼女の口から語られる「姉妹で巡礼の旅を続ける敬虔な修道女シスター」の設定は、完全無欠に嘘八百である。
それでも、その演技力を除いてもボロが出そうにないのは、生まれも育ちもシンクレア共和国のフィオナが十字教について詳しいからだろう。
そもそも、いくら少年達が信者といっても、その風貌からして真の意味で宗教としての十字教について造詣が深いはずがない、誤魔化しなどいくらでも利く。
つまり、一人の信徒としてフィオナの偽装は完璧であった。
このままいけば難なく孤児院へ潜入できるだろうし、彼らの中心人物と目される「司祭様」とやらにも上手く出会えるかもしれない。
全てはリリィの計画通り、順調に進んでいた。
「なぁ、その指輪って、もしかしてカレシからのプレゼント?」
金髪の少年が、不意にその話を振るまでは。
指輪とは勿論、フィオナの左薬指に輝く思い出のシルバーリングである。
左手で握った長杖スタッフ『アインズ・ブルーム』を突きながら歩いていたからこそ、目にもつきやすかったのだろう。
質問の意図はどうであれ、フィオナには真実を語るつもりなど毛頭ないし、ローブの裾をさりげなく握って無言の注意を促すリリィの存在もある。
「……いいえ」
ただ、否定の言葉だけを咄嗟に返すことしかできなかった。
しかしフィオナは、これだけは伝えるべきであったかもしれない、この指輪が何よりも大切に思っている、彼女にとって一番の宝物であると。
「だよな、こんな安物のダセー指輪を贈るヤツなんて今時いねぇよな!」
それさえ知らせておけば、たとえ冗談でも指輪をけなすような台詞を、いくら能の足りないチンピラ小僧だって口にする事はなかっただろう。
だが、今や全てが手遅れだった。SPANISCHE FLIEGE
「実は俺さぁ、アンタに似合うスゲー指輪持ってんだよね。へへ、寄付を拒否ったケチな商人ヤロウから巻き上げたやったんだけどさぁ――」
少年が自慢げに懐から大粒のダイヤモンドがはめ込まれた指輪を取り出すと同時。
「――あ?」
彼の瞳に、両手で長杖スタッフを思い切り振り上げて――否、すでに渾身の力を篭めて振り下ろしている最中のフィオナが映った。
「ふげっ――」
顔面にめり込んだ硬質な金属の杖は、満足に悲鳴さえあげられないほどの打撃力を発揮したようだ。
肉を打つ鈍い音。かすれた呻き声。少年の体がドサリと汚らしい割れた石畳の上に落ちる。暗い路地に響き渡ったのは、そんな物音だけ。
つまるところ、誰もが声を上げることができなかった。
「クロノさんが私の為に選んでくれたんですよ……なにふざけたこと言ってるんですか……」
頭をやられたせいで確実に前後不覚に陥っている少年目掛けて、フィオナはブツブツと呟きながら容赦のない追撃を仕掛けた。
今度は杖の先端部による殴打ではなく、歩く際に地面を突き、時には土を削って魔法陣を描く杖の下部、石突と呼ばれる部分を、すでに鼻骨が砕け鼻血と涙でグシャグシャになった顔面に突き立てる。
ピックのように尖った石突は見事に少年の右目に命中。グチャリと血と肉の混ざる水音を立てながら眼球が零れ落ちた。
次はきっと左目を狙うだろう――つまり、追撃は二度、三度、フィオナの気が済むまで続けられるという事だ。
「お、おい! 何やってんだよぉ!?」
「やめろって!!」
事ここに至って、ようやく仲間の少年二人が静止の声を上げた。
しかし、あまりに突然の凶行であることと、フィオナの有無をいわせぬ圧倒的な狂気の迫力を前に、腰が引けて体を張って止めるまではいかない。
それでも、もう十を越えるほどに杖を突きこみ散々に顔面をかき回したフィオナの手は止まった。
「邪魔、しないでくださいよ」
ゆっくりと‘生き残り’である少年二人へと視線を向けたフィオナの瞳は、青と金がまだら模様に浮かび上がった、不気味な色合いへと変化していた。
眼鏡のレンズ越しに見た瞳の色は確かに青。しかし、今は殺意そのものが黄金の色彩をもったかのように煌々と輝いている。
それは美しいというよりも、ただただ混沌の様相を呈しており、視線を合わせた少年達を恐れおののかせるには十分すぎる眼力があった。
「ひ、ひぃ!」
聖書にて説かれる自己犠牲の精神など欠片も持ち合わせていないかのように、少年二人は踵を返して我先にと仲間を見捨てて走り出す。
「あーあ、台無しじゃないフィオナ」
そして、その逃走を許さなかったのは、今まで黙っていたリリィであった。
「あちゃー」という台詞が聞こえてきそうなほど悩ましげな顔と仕草を浮かべる幼女姿だが、妙に様になっているのは意識が大人のものだからだろう。
彼女が軽く手を振るうと、中空に白い光の球体が閃き、次の瞬間には逃げ去る少年達の背中に向かって放たれた矢の如く飛翔する。
事実、矢と同等かそれ以上の速度で飛ぶリリィの光弾は、あっという間に少年へと追いつき、二人の目の前にまで回りこんでから炸裂した。Motivator
「ぎゃっ!」
と、短い悲鳴をあげて転倒した二人は、揃って目元を抑えてのたうち回る。
不埒な考えで撫で撫でを迫る神学生をあしらう時に使用する優しい閃光フラッシュとは違い、直視すれば確実に失明する光量と、そうでなくても目元を焼く熱量が弾けているのだ。
不良少年如きが耐えられる痛みではない。逃走の為に再び立ち上がる事はしばらく不可能であろう。
「その辺にしときなさいよフィオナ、こんなところでも人が集ると面倒だわ」
「でも、この人まだ生きてますよ?」
はぁ、と小さく溜息をついてから、再びリリィは手元に光を生み出す。
今度は弾でもなければ光線でもない、白熱の輝きで作り出された光刃フォースエッジである。
それを、妖精の霊薬を使っても元には戻らないほどに顔面が陥没した金髪少年、その首元に差し込んだ。
ジュッ、と肉の焼ける音と匂いを迸らせ、熱したナイフでバターを切り裂くようにあっさりと首が落ちる。
元よりクズのような少年であったが、これで名実共に汚い路地裏に打ち捨てられるに相応しい生ゴミと化した。
「これで死んだわ。さぁ、先を急ぎましょう」
「……分かりました、取り乱してしまって申し訳ありません」
「いいのよ、クロノをバカにするヤツはみんな死ねばいいから」
渋々ながらも素直に頭を下げて非を認めるフィオナと、それに優しい微笑みを浮かべて理解を示すリリィ。素晴らしい友情である。
「ところでリリィさん、私が言うのもなんですけど、これじゃあ案内役がいないですよね」
どうやら正気に戻ったらしいフィオナ、瞳の色も再び眼鏡の偽装が働き青一色に戻っている。
そんな真っ当な質問をぶつけるフィオナに、
「大丈夫、なんとかなるわよ――」
ウフフ、と素敵な幼女スマイルを浮かべるリリィは、その小さな指先で天を指す。
「――もう、満月が昇っているから」
そうして、身に纏う見習い治癒術士プリーストローブを一息で脱ぎ去り、その下で幼い肢体を飾る黒いワンピースドレスと、妖精の証たる二対の羽が露わとなる。
次の瞬間には、全身が妖精結界オラクルフィールドの光で繭のように包みこまれ――気がつけば、フィオナの前には美しい少女へと変化を遂げたリリィの姿が現れた。
もっとも、変装用魔法具マジック・アイテムであるリボンとコンタクトレンズはそのままなので、髪型は変わらず黒髪ツインテールに、瞳も青のままである。
「それでは、よろしくお願いします」
「ええ、任せてちょうだい」
にっこり微笑む少女リリィは、その手に他者の頭脳を好き勝手に弄くり回せる悪夢の固有魔法エクストラたる光の針を形成しながら、未だ痛みにのたうつ二人の少年へと歩み寄っていった。蒼蝿水(FLY D5原液)
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